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心眼・SF本能寺の変

作者: 飛井乗雲
掲載日:2026/01/05

  序幕 運命の年


 我が国の歴史教育が充実しはじめた。

 なによりも歴史を重視する教育が開始された。

 出生率の低下のため空き家と化していた小学校が軒並み歴史博物館となり、日本中の大学という大学にあった国際関係学部はおしなべて歴史学部に衣替えし、国民の80%が歴史学者になった。

 いっぽうで歴史教育の進展に反比例するかのように、理数系の研究は日に日に衰退し、目も覆わぬばかりの惨状を呈していた。

 人々は話し合った。

「日本における科学の研究は、もはや滅亡寸前というところだな」

「でも、我が国の歴史教育はかつてないほど充実している。日本のアカデミズムはまだまだ捨てたものではない。もしノーベル歴史学賞ができたとすれば、いまや国民全員が受賞できるレベルにあるぞ!」

「そうだそうだ、歴史万歳!」

「おおうっ! 歴史こそ学問の根本なるぞ!」

「日本の歴史は世界一ぞ!」

「おう! そうだぁ!」

「でも、わしらにも意地がある」

 絶滅寸前、最後の最後に、理系学者たちは総力を結集して、ひとつの装置を完成させた。

 ――タイムマシンだ。

 さてこのタイムマシンを、どんな目的で使用すればよいか?

 利用目的は、さっそく国会で審議された。

 国民の代表者たるべく議員たちも、歴史ヲタクと化していた。

「タイムマシンをなんのために利用するか? 答えは明白じゃ」

「歴史だ、歴史だ、うおー!」

「そうだ、この新発明を、我が国の歴史解明に役立てようではないか」

 犬猿の仲だった与野党は合意した。

 国会に召致した理系学者と文系学者も意気投合した。

 男女の和合さながらだ。

「よし、タイムマシンを、歴史の謎の究明に役立てる法案は全会一致で可決した」

「うむ。では、解明すべき歴史の謎は山ほど存在するが、最優先で取り組むべきなのは、なんぞな?」

「おりゃああ、それは本能寺の変だっ!」

「本能寺の変の謎を解こうぞ!」

「どうして本能寺の変が勃発したのか、切実に知りたい!」

「なぜ明智光秀が織田信長を殺したのか、原因究明だっ!」

「そうだ、そうだ!」

「やるぞ! タイムマシンを活用して、いまこそ本能寺の変の発生原因を突き止めるんだ!」

「おおおっ!」

「賛成!」

「くおおお!」

「今年は2082年。本能寺の変が起こった1582年からちょうど500年めの運命の年だ。ぜひとも謎を解き明かそうぞ!」

「おう!」

「もはや国策だ! 国是だ! 憲法にも書き加えようぞ!」

「おおっ!」

 与野党の意見は完全に一致した。国会開設以来の奇跡だ。

 こうして挙国一致で、本能寺の変の原因解明に全力を注ぐことになった。

 衆院内に『本能寺の変の勃発原因を究明する特別委員会』なるものが設置され、与党五名、野党四名、計九名の委員がタイムマシンに乗って、現地調査に飛び立つこととなった。

「では皆さん、行って参ります」

 国会中継は、史上空前の高視聴率になった。

 だが委員たちは、ものの5秒ほどで、帰還してきた。

「どうしたんだ? たった5秒で謎は解けたのか?」

 淋しげに委員たちは首を左右に振った。

「おまえたちは現地に飛んで、本当に本能寺の変を目撃したのか?」

「だいいち、どうしてこんなに早く帰ってきたんだ?」

 すると委員の代表者が答えた。

「われわれは本能寺の変を、目の前で目撃しました」

「なぬう? 本当か?」

「それでは帰還が早すぎやせぬか?」

「まさかウソついてるのか?」

「いいえ。現代への帰還時刻を、もともと出発の5秒後に設定していただけです」

「なーんだ」

「是非に及ばず」

「で、どうだった?」

「本当に、1582年に、本能寺の変はあったのか? ン?」

「ありましたよ。今を遡ること、ちょうど500年の昔。天正十年六月二日早暁、我々の眼前で、明智光秀率いる反乱軍が京都の本能寺において織田信長を急襲し、信長父子を自害に追い込みました。それはしかっと目にしました」

「おお、それで?」

「過去の事象に介入してはならないという事前のレクチャーどおりに我々は行動しました。すなわち、光秀をつかまえてどうして謀反を起こしたのか?、と問いかけることもできず、足利義昭をとらえて、オマエ陰で糸をひっぱたのか、白状しろと尋問することもできませんでした。それは黒幕と噂される公家衆や堺商人や宣教師たち、それに秀吉や家康についても同様で、かれらがすでに歴史学会が明らかにしたとおりの行動をとっているのは目撃しましたが、じゃあどうしてそうした?、オマエさん腹の奥になにか一枚隠し持ってるな!、それを教えろ!、などと問いかけることは許されておりません。ただただ臨場感溢れる立体的なテレビドラマのようなものが眼前を通り過ぎたにすぎず、なにひとつ解明できませんでした」

「んんなななんと!」

「タイムマシンは無用の長物なのか!」

 タイムマシンは国家予算の80%もの資金を惜しみなく使い、莫大な費用をかけて完成させたのである。

 しかも東京都千代田区にあったすべての建造物を破壊し、平らに整地したあとに建設された馬鹿デカい科学装置だったのだ。

 いまや国会議事堂さえ、タイムマシンの上にチョコンと乗っかっているチッポケな存在にすぎないのである。

「それなのに、タイムトラベルの成果が一切無いだなんて、信じられない!」

 国会の議論は白熱した。

「われわれは、本能寺の変の謎の、今後の究明方法を再検討する必要があります!」

「そうだ!」

「しかたない。歴史の鉄則を破り、また科学者たちからの忠告を無視して、過去に介入するしかない。とはいえ、本能寺の変の登場人物たちを拷問にかけて自白させたり、手荒な真似をして白状させたりするのはよそう」

「確かにの。歴史があらぬ方向へ捩じ曲げられてしまうのは本意ではないからのう」

「では、後世のわれわれからの影響を極力排除した方法で、真実をつきとめねばならぬわい」

「じゃあ、どうする? われわれは本能寺の変がなぜ発生したか知りたいのだ。当事者たちを直撃し、腹の奥底にある真意を聞き出すインタビュー程度なら許されようか」

「でもよ。後の世に多大な影響を及ぼした羽柴(はしば)秀吉や徳川家康に、未来人であるわれわれの使者が直接会うのは避けるべきだ。後世の歴史に大きく影響する人物に直接接触する行動は、絶対に避けなければなるまいて」

「そうさな。歴史は一切変えるべきでないから、後世の日本を変える力を持つ人物との接触は完全に禁止だ」

「歴史を変えてしまう危険をおかさぬよう、細心の注意を払おう」

「だから当時の人物の後世への影響度を精査し、秀吉や家康のようなA級人物は避け、光秀のようなB級人物も避け、情報発信力がない庶民階級だけは接触OKにしようよ」

「うん。後世にあまり影響しない人間を選んで現代に招致してきて、歴史究明特別委員会において証人喚問にかけよう。そうすれば歴史への悪影響は最小限に抑えられるはずだ」

「確かにな。オマエ野党のくせにマシなこと言うじゃないか、見直したぞ」

「そうかい。だったら今夜料亭で一杯おごりやがれ」

「よし、決まりだ」

 こうして国会の依頼を受け、歴史学者たちは、当時の人物を後世への影響の度合いによってA級・B級・C級に分類した。

 文字を書き残せない庶民などは後世に与える影響が少ないC級だと判断され、タイムマシンを使用して現代に召喚し、喚問できることになった。

 A級と認定されたのは、まず被害者。殺された織田信長本人と嫡男の織田信忠(のぶただ)。なぜなら事前に本能寺に変の勃発が伝わり、厳重に警戒されてしまうと、変が起こらなくなり、歴史が大きく変わってしまうからだ。

 さらに後世への影響度が極めて高い羽柴(のちの豊臣)秀吉、徳川家康もA級認定を受けた。

 次にB級と判定されたのは、加害者である明智光秀だ。信長殺害は成就するものの、最終的に敗死することを知れば、本能寺の変を起こさなくなる心配がある。よって、現代人が接触すべきでないと判断された。

 そして他にB級指定を受けたのは、本能寺の変の黒幕だと名指しされる面々だ。

 すなわち最後の足利将軍である足利義昭、変当時の天皇である正親町(おおぎまち)帝。前関白太政大臣の近衛前久(このえさきひさ)

 さらに堺の代表的商人である津田宗及、今井宗久、茶屋四郎次郎。宣教師ルイス・フロイス。

 また本能寺の変の当時、軍兵を揃えて織田軍と相対していた長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)毛利(もうり)輝元、上杉景勝(かげかつ)も、B級と指定され、現代に招致できなくなってしまった。

 ただし幸いにもそれ以外の人物はすべてC級にランクされ、召喚できることとなった。

 C級という冴えない名称だが、織田家中で重臣と目される面々も数多く含まれている。

 基本的に城主クラスは全員召喚可能である。さらに陪臣から国人、地侍、足軽にいたるまで、幅広く尋問が可能だ。

「よし、これは期待できそうだ」

「本能寺の変の謎が、ついに解明されるに違いない」

「果たして明智光秀野望説が正しいのか、それとも怨恨説が真実なのか?」

「それとも光秀を教唆使嗾(きょうさしそう)した黒幕がいたのか?」

「だとしたら、黒幕の張本人はいったい誰だったのだか?」

「信長に追放された最後の室町将軍・足利義昭か?」

「それとも権謀術数の達人と噂される喰えない天皇・正親町帝か?」

「はたまた叛乱軍が信忠を襲う際に便宜を図ったとされる前関白・近衛前久か?」

「既得権益の亡者であった公家や神官や仏僧か?」

「それともスペインやポルトガルと結託していた伴天連(バテレン)の宣教師たちや、堺の商人(あきんど)たちが黒幕だったのか?」

「謀反直前に、光秀とともに愛宕百韻に参加していた連歌師たちが臭うな」

「黒幕候補といえば、旧室町幕臣衆を忘れてはなるまい。隠然たる勢力を保ち、変当日も京都の市政を司っておったぞ」

「最終的に一番得をした奴があやしい。犯罪捜査の鉄則だ」

「そうだ、秀吉が臭いぞ」

「徳川家康も臭う」

「秀吉の中国大返しも出来すぎだし、神君伊賀越えもうまくいきすぎてるものなあ。あやしすぎるよ!」

「信長暗殺の動機といえば、信長に恨みを持つ者は多かった」

「そうだよ、そのとおり。織田家に蹂躙(じゅうりん)された伊賀者や、伊勢長島や越前の一向一揆の面々。焼き討ちされた比叡山の僧侶たち」

「それに織田家に敗れ、根絶やしにされた美濃斎藤をはじめ、浅井朝倉や、甲斐武田なども、信長を徹底的に恨んでいたはず」

「信長に滅ぼされ、深い恨みを持っていたにちがいない大名・小名を数え上げたらきりがない」

「それに今後、織田家と戦わねばならない全国の大名家は切羽詰っていたはず。信長の死を願っていたのは間違いあるまい」

「それにしても、どうして本能寺の変の発生時に、京都に護衛の兵がひとりとしていなかったのだ? 護衛兵力がゼロ人だったからこそ、謀反は成功した」

「というより、護衛すべき軍団が信長の滞在地にいなかったからこそ、光秀は謀反を起こすつもりになったのだろう。それこそ最大の謎だぞ」

「タイムマシンを上手に使いこなせば、謎は明らかになる」

「いよいよだ」

「ワクワクするな!」

「この臨時国会において、すべてが明らかにされるのだ」

 国民は固唾を呑んで国会中継を見守った。そして、今後の調査の方針が決定された。

 事件の鍵を握る者や、事件当時を知る人々を、ちょうど500年の昔、1582年当時から現代に招聘し、国会に連れて来る。

 そして、参考人として喚問し、公式に記録を残すことになった。



 第二幕 意外な事実



 臨時国会の特別委員会において、証人喚問が始まった。

 国民の注目度はすこぶる高い。テレビの国会中継は、証人喚問に先立つ委員長選出でさえ、かつてない高視聴率を挙げた。

 歴史究明特別委員会のメンバーは、当然ながら全員が衆議院議員でありつつも、高度な専門知識を持つ学者ばかりとなった。

 内訳は、国立大学の歴史学部で研究をおこなっている日本史学者三名、東洋史学者一名。さらに国立歴史博物館館長、東大病院医師、最高裁判所の元裁判官、IT学者、タイムマシンエキスパートが各一名。合計九名の精鋭だ。

 歴史究明特別委員会の委員長になったのは、仲柳宗百郎(なかやなぎそうひゃくろう)という日本史学者だ。京都大学日本史学部名誉教授かつ衆議院議員であり、与党の重鎮でもあるが、見ためは、ヨボヨボのおじいさんである。

「みなはん、よろしゅうに」

 仲柳委員長からの挨拶に、委員たちは目礼した。勝手な発言は法律で禁じられているので、声に出して挨拶もできないのだ。

「ほな、タイムマシンを操作してくれまっか」

 弱冠二十五歳、知能指数1300の天才である東京科学大学タイムマシン学部の茂田吉瑠(しげたよしる)教授は、新進気鋭のタイムマシンエキスパートとして歴史究明特別委員会に参加していた。

「はい。では、さっそくご覧にいれましょう」

 茂田教授は、流麗な手つきでタイムマシンを操作した。

 すると議場の真ん中に突如白煙が立ち上ったかと思いきや、煙のむこうからちょんまげを結った着物姿の人びとが現れた。

「おおおっ!」

「なんと!」

 これぞ、生き証人たちだ。

 究明特別委員会にまず召喚されたのは、織田軍団の家臣たち、広い意味で、信長の部下たちである。

 仲柳委員長は、天正十年(1582年)から連れてこられた8名の証人たちのリストを見た。ランクはC級とはいえ、長年の忠臣や、部隊長級の家臣の名前が目に入った。なかには重臣クラスの者もいる。

 仲柳委員長は告げた。

「では証人の皆はん。端から順に、ご自身のお名前を名乗っておくんなまし。名乗った方は、宣誓したものと見なしますう」

 証人たちはひとりずつ名乗った。

多羅尾光太(たらおみつもと)

生駒親正(いこまちかまさ)

進藤賢盛(しんどうかたもり)

竹尾源七(たけおげんしち)

小一(こいち)

藤八(とうはち)

中野一安(なかのかずやす)

因果居士(いんがこじ)

 証人たちの名乗りを聞き、委員会場に失笑が洩れた。

「最初の文字を並べてみると、た・い・し・た・こ・と・な・い、か。あははは」

「見るからにたいしたことない軽輩どものようですな。A級でもなく、B級でもござらん。戦国最大の謎を追及するに当たって、こんな人選で適切なのか?」

「なにを申す! だまらっしゃい!」

 証人のひとりが怒りの声を上げた。

「わしは信長さまの元服前、天文十一年に勃発した小豆坂(あずきざか)合戦にも参加した織田家の忠臣ちゅうの忠臣ぞ。信長さまのお父上・織田信秀(のぶひで)さまと今川義元殿が激突した小豆坂合戦では、きびすを接して三度、四度と敵に打ちかかり、同輩8名とともに比類なき手柄を立てたのじゃ。わしは天文年間より、何度も戦塵にまみれてきたふるつわものよ。われこそ、生き馬の目を抜く戦乱の世をくぐりぬけてきた生き証人ぞな! 嘘だと思うなら『信長公記』をお読みなされ。わしに関する記事はマダマダあるぞよ。わしは誰よりも長く、織田家に仕えた忠臣なるぞ!」

 証人はいまにも刀を抜いて、失笑を洩らした委員たちに斬りかかりそうな勢いだ。

「こ、これは失礼いたした。どうかご勘弁を!」

 目を吊り上げた証人の迫力に気圧され、委員たちは平謝りだ。

「いいかっ! なにも羽柴筑前(はしばちくぜん)や、惟任日向守(これとうひゅうがのかみ)光秀がごとき新参者だけが織田家ではないのじゃ! わしのように先代から仕えるもののふが、織田家を土台から支えてきたのじゃ」

「わ、わかった。わかってきたぞな」

 こうして委員たちは認識を新たにした。

「織田家は、基本的には古くから仕えてきた家来たちが屋台骨を支えてきたのだな、ふむふむ」

「秀吉や、光秀や、滝川一益のように新たに加わって、トントン拍子に出世した者ばかりが目立つものの、織田家は昔から仕えてきた家臣たちが支柱になっていたのだな」

 すると歴史究明特別委員会メンバーのひとりが重々しく口を開いた。最高裁元判事の小暮山(こぐれやま)(かいこ)法学博士だ。真紅のドレスに、みどりの黒髪が映える麗しい女性である。

「証人の証言の真実性の担保のため、証人の匿名性を確保する必要があります。証人たちは犯罪者ではありませんから、証人の人物像は秘匿すべきものだと考えます」

 ITの権威・九州大学AI工学部の乳岩(ちぢいわ)美夏子(みげこ)教授も豊かな金髪をなびかせて同意している。

「そうですね、小暮山博士のおっしゃるとおりです。よって、今後の尋問においてこの8人の証言は、誰がどの証言をなしたのか、伏せます。第三者には証言者が特定できぬよう工夫します。IT工学を利用すれば朝飯前です」

「へえへえ、そないどすか。ほなそうしまひょ。ただしやなあ、証人として、自己紹介はやってもらいまひょ。そないしたほうが、国民のみなはんにも、いかに適正な証人はんらが選ばれたか、容易に判かろうというものでおます」

 仲柳委員長は京都弁で言った。

「ほな証人の皆はん、自己紹介だけは実名でお願いしますぅ」

「よかろう」

 証人たちの先頭で、仁王立ちしていた武人が口火を切った。

「わしは多羅尾(たらお)光太(みつもと)であるぞ。多羅尾家の跡取りじゃ。本能寺の変当時は、織田家の外様(とざま)国人衆だった」

「おお。トザマとは、なかなかいい人選じゃないか」

「確かにの。外様は、譜代の家臣より後から臣従したのだから、織田家べったりの累代の家来ではない。織田家の懐に入りつつも、他家との差異、自他の違いが判る男なのだ。客観的な意見が聴けそうじゃわい」

 委員たちは、そう肯いた。

「多羅尾殿、おぬしは織田軍団のなかで、どのような活躍をしなすったのかな?」

「ふむ。では教えてしんぜよう」

 多羅尾光太は胸を張った。

「天正9年9月の織田信雄殿による伊賀平定に際し、わしは近江国の信楽から伊賀を攻め、おおいに手柄を立てた。知ってのとおり、わしは甲賀忍者の元締めであるから、だれよりも情報通であることは間違いない。なぜなら織田家内外の機密情報を収集することこそ、わが職掌であったからの。さらに申すと、織田家に滅ぼされた伊賀忍者のように特段、信長さまに深い恨みはございませんから、極めて中立的な、公平な意見を申し述べることができる稀有な立場におるのだ」

「なるほど、これは適任。甲賀の間者なればこそ、多様な情報に接してきたのだな」

「織田家としては、召抱えた者が、実はスパイだったというわけじゃな」

「今回の証人として、最適任ね」

 委員たちは口ぐちに賛同した。

「ほな、お次のかた。どうぞぉー」

「はいな」

 仲柳委員長のことばに反応し、ひとりの武将が、一歩前へ進み出た。

 見るからに高価な裃に身を包んでいながらも、この証人はいきなり吼えた。血の気が多いのだ。

「わしゃあ、生駒(いこま)親正(ちかまさ)じゃ! 信長さまの従兄弟(いとこ)なるぞ! 只の家来ではない。三代前から織田家の親類なるぞ!」。

「おおっ!」

 委員たちはどよめいた。

「われら生駒氏を通さずして、織田家を語れるはずがないぞな! うちはな、信長さまの側室・吉乃(きつの)さまの実家じゃぞ! さらにの、わしの実父である生駒(いこま)親重(ちかしげ)の実の娘が土田(どだ)御前(ごぜん)!、すなわち信長さまのお母上じゃ! わかったか! 我が一族は、信長さまとは三代に渡って親戚づきあいをして参ったのよ。よってわしゃあな、世界で一番、信長さまに詳しい男なのじゃ! 喝!」

「な、なるほど。信長さんの母君につながるということは、信長さんを幼少時からよくご存知だということですね?」

 感心した委員たちは、そう訊ねた。

左様(さよう)、さらに実質的な正室である吉乃さまの実家じゃから、信長さまが若かりし頃のことも家中で一番、くわしいのじゃ!」

 生駒親正はふんぞり返っている。

「なるほどなー。あんたはんは、信長はんを語るに欠かせない人物でおますな。というよりも、証人はもう、これで充分やおまへんか?」

 仲柳委員長はそう感想を洩らしたが、他の証人を追い返すわけにもいかない。

「まあ仕方ないかいな。念のためや、お次の人」

「ははっ」

 真面目そうな武士が進み出た。

「拙者は進藤(しんどう)賢盛(かたもり)と申す。近江の国人じゃ。かつて織田家と敵対していた近江の六角氏の重臣でござったが、上洛を目指す信長さまが近江に進出する際に、われらが進藤一族は、機をみて織田家に臣従しもうした」

「ほう、かつては敵方だったのか。そして織田方に調略されたのだな。ふむふむ」

 かつては信長の敵だったいう経歴が、委員たちの興味を惹いた。

「戦国後期から安土桃山時代の歴史を概観すると、織田家は倍々算に領土が増えていったので、『当初は敵対していたが、後に服従した』、こんなタイプの国衆が、家中の大多数を占めていたと推測できますね」

 委員のひとり、国立阿笠(あがさ)大学国史学部の三浦三二子(みつこ)教授がそうコメントした。きりりと鋭い目つきの才媛である。

「進藤殿、お続けください」

「うむ」

 進藤賢盛は遠い目をして言った。

「拙者は信長さまの伊勢攻略に従軍し、永禄十二年、伊勢国司の北畠具教の居城・大河内城攻めに参加しもうした。この合戦は、お味方に討ち死にが多数でた大接戦じゃったな。拙者は兵糧攻めを担当し、鹿垣(ししがき)を二重、三重にこさえたことも覚えておるわ」

「へええ。永禄年間から、織田家のために戦ったのかあ」

 委員たちは感歎している。

 進藤賢盛は続けた。

「元亀二年、佐久間(さくま)信盛(のぶもり)殿の与力を命じられた拙者は、各地を転戦し、石山本願寺攻めにも従軍した」

「ほう。あんさんは、織田家の筆頭家老やった佐久間信盛はんとも縁が深かったのでおますな」

 仲柳委員長は手を打った。

「さらに拙者は、天正十年、安土の左義長にも参加した」

「天正十年ということは、進藤さん、あなたは本能寺の変の直前の時期においても、信長殿のお側にお仕えしてたのね?」

 三浦三二子教授はそう問うた。

「そうじゃ。そして拙者は、本能寺の変以後は、信長様ご次男の信雄様にお仕えし、長きに渡って織田家に仕えた身ぞ。じゃから信長さまの現在と過去を比較して話ができる唯一無二の経歴を誇っておる」

「なんともすばらしいご経歴じゃ。証人にぴったりじゃな!」

 委員たちは賛同した。

 すると待ちきれぬように、次の証人が口を開いた。身なりは、他の証人たちとは、かなり異なっている。

「わたくしは、竹尾源七(たけおげんしち)と申す職人でおます。織田家が支配する畿内で、職人たちの(かしら)として縦横に活動しておりまする。天正9年9月の織田信雄殿による伊賀平定に際し、信長さまから、絵描きの狩野永徳はんらとともに小袖を賜りました。わたくしは町人ですから、武家のみなさんとは異なった観点から信長さまのご様子を見てまいりました。ですので、謎の解明に多角的な視点が要求されるのでしたら、証人にピッタリでござんしょ」

「そうか、これで多様性に満ちた証人団の構成になったわけだ。すごいぞ、適任だ!」

 よろこぶ委員たちに対し、次の証人が名乗った。見るからに、かなり体格がよいうえに、すこぶる肥満している。

「オッス。ワス、小一(こいち)って云うもんダス。ワスは、織田家から見ると陪臣で、本職は相撲取りダス」

「なんと、相撲取り!」

 議場はざわめいた。

「はい、ワスは、蒲生(がもう)氏郷(うじさと)さま配下の力士なんダス。そやから肥えているんドス。天正8年には安土城下で相撲を取って、信長さま手ずからご褒美を頂いたこともあるんダス、ムッホン」

「そうか、相撲取りか! これでますます証人の構成がバラエティに富んできたぞ」

「陪臣というのもいい人選ですね。直属の部下だけでなく、多角的な方面から織田信長という人間が観察できるわけですから」

 三浦三二子教授は鋭い眼差しで力士の全身を見つめている。

 すると次に、見目麗しい美形の若侍が名乗りをあげた。

「それがしは、藤八(とうはち)ちゅうもんや」

「えらい美男子やなあ」と委員長。

「そうや。それがしは天正十年、本能寺の変において、本能寺の厩で討ち死にしたお中間衆十人のうちのひとりや。皆さんのようなお年を召された委員はんたちから見ると、それがしなど若造と思われるかもしれません。しかれども、主君の信長さまとは、他人さまにはよう見せられへん熱い絆で結ばれておりましたから、だれよりも忠義の志は高いつもりですう。それに、お亡くなりになる直前、最後の最後まで、(じか)に、それがしは信長さまにお仕えしておりました。精神的にも物理的にも、一番近い家来といって差し支えないでしょうぞ。ほかには誰もおらず、一切なにも介さず、最もお側でお支えしてまいりもした」

「こいつはいい! でかした、よくぞ見つけてきたな! すばらしい人選だ!」

「色白のイケメンね。見てるだけで、うっとりしちゃう」

 (よだれ)も垂らさんばかりの乳岩美夏子教授は、写メで藤八の全身を撮影している。

 すると、一番強そうな侍が一歩、前に踏み出した。無精ヒゲが武将ヒゲに見えるほど、獰猛な顔つきだ。

「わしが中野一安(なかのかずやす)重吉(じゅうきち)なるぞ。さっきは委員長を怒鳴り飛ばして悪かったな」

「あ、冒頭で激怒してた乱暴者だわ」

「わしは、先代の織田信秀さまの代より忠勤に励んできたわい。天文十一年の小豆坂合戦では今川義元殿と戦い、小豆坂の七本槍と讃えられた」

「ふむふむ」

「信長さまの馬廻(うままわり)(しゅう)として常に身近に接し、桶狭間合戦では拙者の居所に近い熱田神宮にて、志気を高める密命を果たし、奇跡の勝利に貢献した。若い頃はこのように、すばしっこさを生かして、間者としての働きもござったな」

「ほほう。素晴しいご経歴ですな」

「元亀元年の野田・福島の合戦にも出陣し、強敵である本願寺勢と戦った。この当時から信長さまは京におかれては、本能寺を陣宿にしていらっしゃったぞ」

「なんと! 本能寺!」

「元亀三年。虎御前山をめぐっての浅井朝倉勢との合戦では、わしはまたもや比類なき手柄をたてた。それに、天正六年には摂津国の伊丹城でも戦った。さらにわしは天正九年の京都馬揃えにも参加し、信長さま本隊の先払いとして、お弓衆百人を引率した部隊長なるぞ。歴戦の猛者とはわしのことじゃ」

「中野一安殿、さすがですな」

「だめを押そうぞ。わしは信長さまの信頼厚く、天正八年、直々のご命令で、使者として佐久間信盛父子のもとへ向かった」

「なんと!」

「佐久間父子に上様直筆の折檻状(せっかんじょう)を手渡して、遠国への退去を命じたのは、このわしぞ」

「おおう!」

 議場は熱くどよめいた。

「織田家総帥から誰よりも信頼されていると、周知の事実だからこそのお役目だったのですね! まさに織田家中全員が、一安殿が忠義の臣だと認知していたのですね!」

 委員たちは感服している。

「おったまげた! 長く織田家に仕えた忠臣ちゅうの忠臣なのですね。証人にぴったり適任だ」

「ほな最後、八人目のお方ぁー」

 仲柳委員長は、最後の証人を見やった。

 三十代ぐらいの長身の男が、いっぷう変わった装束に身を包んでいた。その理知的な目の輝きは、男がそんじょそこらの愚か者ではないことを示していた。

「拙者は、因果(いんが)居士(こじ)と申す。名乗りのとおり在家の僧であり、また茶人でもある。拙者は天正七年、安土で執りおこなわれし宗論に際し、信長さま直々のご指名により、判者として参加しました」

「おお、安土宗論の審判者であられたのか!」

「で、宗論はどないなりましたかの?」

「はい。法華宗と浄土宗の宗論は、予見したとおり、微に入り細をうがった細かい細かい議論になりもした。五十歳間近になられた信長さまが、このような細かい議論に、一体どこまで加わったのか? 拙者は、信長さまの精神面での持久力を、この目で確認した生き証人でござる」

「なんと貴重な体験をなされたお人ぞ! はやくお話しをお伺いしたいの!」

「誤解されてはいけませんので申し添えておきますと、拙者は、因果(いんが)居士(こじ)でござる。幻術師の果心(かしん)居士(こじ)とは別人である、念のため」

 こうして証人たちは、自己紹介を終えた。

 いずれも申し分ない面々であり、また証人集団の構成としても、非の打ちどころがなかった。

「これほどまで豪華なメンバーなのに、全員がC級であるとは信じられぬ」

「しかもC級だからこそ、われらがいかなる尋問をいたそうが、後世の歴史が歪曲する怖れは無いのよ」

「なぜ現代人であるそなたが、歴史的人物のごとき話しぶりなのじゃ?」

「おぬしもそうであろうぞ。うつってきたのじゃ。言の葉は生き物じゃからのう」

「それにしても、この面々。証人の人選として間違えておらんばかりか、考えうる限り最高でベストな構成じゃな」

「たいしたことない証人たちだと勘違いして、ほんに申し訳なかったわ」

 委員たちは、口ぐちに謝意を表した。

「申し訳のうござった」

「失礼つかまつった」

「堪忍しておくれやす」

「なぜ昔の言葉遣いになるのじゃ?」

「証人たちのことばが感染したのじゃ」

「静粛に静粛に!」

 仲柳委員長は目を怒らした。「私語はつつしむように願えますかいな」

 ようやく議場は静まった。

「自己紹介も終わりましたので、ほな、さっそく証人に質問してくだされ」

「はい、それでは」

 東京大学歴史学部教授の芋泉(いもいずみ)星純(せいじゅん)氏が登壇しマイクを握った。黒縁の眼鏡に胡麻塩頭。堅物中の堅物だ。

「コホン。では証人のみなさん、尋問を始めます。織田信長軍団は永禄元亀年間よりカクカクシカジカ、怒濤の勢いで周辺の大名たちを斬り従え、本能寺の変が勃発した天正十年(1582年)3月には、甲斐武田家を滅亡においやりました。ですから、どんな観点からどのように観察しようが、織田家こそが国内最強の軍団でした。みなさんは、その織田軍団において、上段から底辺に至るまで様々なポジションにいるひとたちですが、さて、どうでしょう。織田軍団の雰囲気はどうでしたか? たとえば高校野球の優勝チームからは、チームのムードは最高でした!、との証言をよく聞きます。では戦国時代の優勝チームともいうべき織田軍団、実際のところ、織田軍団の雰囲気はどうでしたか?」

 証人たちは、口ぐちに言った。

「てんでバラバラでした」

「家中は態をなしていなかった」

「体もなさなかった」

「信長軍団は、内部から崩壊したのですじゃ。外の敵には負けずとも、内なる敵、――すなわちお味方によって崩壊したのですじゃ」

「敵と闘う以前に、自ら崩壊したのでする」

「自壊したのです。あの日以来……」

「家中の心は、バラバラになってしまったのです」

「もうみんな、あさっての方向を見はじめました」

「すでに、集団としての団結心など、ひとかけらも残していませなんだ」

 織田軍団の面々は悔しそうに、そう述懐した。

「なんと……。いつ崩壊したのじゃ?」

 芋泉教授は我を忘れて問いかけた。

佐久間(さくま)信盛(のぶもり)殿の追放以後、すべては変わってしまったのです!」

「なんですと? 佐久間信盛? そうかあ!」

 国会に、幾重にもどよめきが走った。

 本能寺の変を遡ること二年。天正八年(1580)8月のこと。

 織田信長は、重臣の筆頭格だった佐久間信盛に向けて折檻状を自筆で書き上げ、佐久間信盛・信栄父子は織田領から永久に追放された。紛れもない史実だ。

 同時に、林秀貞(ひでさだ)、安藤守就(もりなり)父子、丹羽(にわ)氏勝(うじかつ)も追放された。

 林秀貞は長年にわたり織田家に仕えた吏僚であり家老である。安藤守就は美濃併呑に功があった中堅クラスの武将である。丹羽氏勝は、高名な丹羽五郎佐(にわごろうざ)長秀(ながひで)とは別系統の別人で、小隊長レベルの武士である。

 証人たちは叫ぶように言った。

「追放されたこの人選は、上中下、織田家中における多様な階層の武将を網羅(もうら)していました」

「よって臣下にとっては、ズバリ、不気味でたまらない人選でした」

「この人選からは、どのような階級の部下でも、断じて目をつぶることはないという主君の強力な意思が読み取れるのですから!」

 信長の強いメッセージが溢れる追放リストだったのだ。

 証人たちは口ぐちに訴えた。

「佐久間殿と同時に、重臣の林秀貞殿や、中堅どころの安藤父子や、小身の丹羽氏勝までもが放擲(ほうてき)されましたので、驚愕の思いは、上の者も、中級者も、下の者も、等しゅうございました」

「佐久間殿の追放から以後は、あすは我が身。皆、どうやって生き延びるか、必死に算段を始めたのです」

「左様。羽柴筑前守秀吉殿や、徳川三河守家康殿とて、我々と同じでした。顔つきが変わるほどの衝撃を受け、海中へ放り出された赤子の如く、必死にもがき始めたのです」

「織田軍団のいわばナンバーツーが追放されたのですから、それ以下であった将卒は、皆、目が血走っていました」

「将兵だけでなく、公家や神官、仏僧に切支丹(きりしたん)に、商人(あきんど)に至るまで。いつ追放の憂き目に遭わされるか不安で不安で仕方がない。織田領内に生きる、生きとし生けるものすべてが、血眼になって生き残る道を探しはじめたのです」

「あの日以来! 堂々と!」

 涙目の証人たちが嘘をついているとは思えなかった。

 すると白煙が煙るなか、ひとり遅れて、証人が馳せ参じてきた。甲冑を身につけたままである。

「悪いの、ひとりだけ遅れてしもうて」

 精悍な顔つきの武者は言った。不遜な態度だ。

「ふふふふ。わしが教えてしんぜよう。佐久間信盛と林秀貞を追放して以降の織田家中はどうなったか? ふははは。股肱の重臣二人を追放したその挙げ句、家中に、二度と元に戻らない稲妻級の亀裂が走ったわ。織田家は永遠に変わってしまったのじゃ。その結果、『どないしょう、次はわしや!』と、家臣全員に疑心暗鬼の嵐が吹き荒れた。空っ風は、織田武将全員に等しく吹き当たり、忠義に燃える心に冷水をあびせかけ、主君に身を捧げようとする情念の炎をカラカラに乾かせてしもうたわ。こんな上さまに尽くしても明日は無い、と憤死した佐久間が身をもって教えてくれたんや」

 その武将の言は真に迫っていた。

「織田家の武将たち。その全員が、佐久間信盛殿追放の(しらせ)に少なからず影響を受けておる。それは、明智光秀も同じや!」

 佐久間信盛追放の報を受けて、ショックを受けぬ将士はひとりもいなかったのだ。

 議場は静まり返った。国民たちも固唾を呑んで、テレビやネットで国会中継を見守っている。

「ちと、お尋ね申しますが、あなたはどなたですか?」

そう質問した芋泉教授に対し、武将は吠えた。

「無礼者なるか! 貴様ら、この池田恒興(つねおき)を存ぜぬか! わしは織田家重臣ぞ! いいかね、無知蒙昧なる諸君。『い』から始まる織田家家臣といえば池田やろ?」

池田恒興は熱弁をふるった。高血圧で短気なのだ。

「あ、この人。証人に選ばれなかったからって、スネてたんだね、きっと」

「わが池田家は、わしの実父・池田恒利の代から、信長さまのお父上・織田信秀様にお仕えして参った。また、わしの(せがれ)・元助や輝政も一隊を率いる幹部将校として、織田軍団の中核をなしておる。ええい、まだわからぬか!」

池田恒興は本能寺の変の後始末、清洲(きよす)会議にも出席した織田家の重臣ちゅうの重臣だ。織田家のことなら何でも知っておる生き字引だからこそ、清洲会議に召集されたのだ。

「控えおろう、まだ知らぬと申すか! わしは、信長さまの乳兄弟なるぞ! 幼少時より信長さまとは兄弟同然に育ったのじゃ! 信長さまのことなら、穴から棒まで何でも知っておるのじゃ! 参ったか!」

「これはこれは参りました」

 委員たちは頭を下げた。

「では、では、池田恒興さんを含めた九名の証人のみなさんに訊くが、」

 芋泉教授は理知的な表情をさらに理知的に輝かせ、ふたたび口を開いた。

「では、いったいなぜ、信長殿は、織田家の宿将である佐久間信盛殿を追放するなどという、そんな愚策を実行したのであろうか?」

 証人たちは、重苦しい表情を浮かべ、搾り出した。

「……変わってしまわれた」

「……以前の颯爽とした、伸びやかな信長さまはどこかへ行ってしまわれた」

「何ものにも縛られぬ融通無碍(ゆうずうむげ)な思考など、とうの昔に消え失せてしまわれた」

「精神力の衰退に加え、体力も衰えていらっしゃった」

「信長さまは若き日に熱中なされた馬乗りもおやめになられた」

「遠出をなさらなくなられました」

「大事な合戦があっても、ご自身は出陣しなくなってしまわれた」

「いくさや築城の現場は、とっくの昔に引退なされていたのじゃ」

 事実、信長は、永禄十年の稲葉山合戦以降は、ほとんど合戦の陣頭指揮を執らなくなっていた。

「合戦の現場指揮は、すべて跡継ぎである信忠(のぶただ)さまにお任せされるようになった」

「織田家最大の敵だった武田家討伐でさえ、御自身で先頭には立たれず、信忠さまに総大将の座をお譲りになられた」

「左様。信長さまは天正の十年間の長きにわたって、各軍団長をお育てになった。軍団長とは、各大名家と干戈を交える方面軍の長のことじゃ、北陸方面軍を率いる柴田勝家殿や、中国方面軍を任された羽柴秀吉殿などである。その総仕上げが、嫡男信忠さまが率いる甲州征伐軍だったのじゃ」

「方面軍への移行は、予定どおりに円滑に進みましたな」

「それに、築城などについても、計画的に物上手(もののじょうず)道者(みちのもの)、名人という名の現場監督を養成なされた」

「天正十年の時点ではもう、信長さまは合戦であろうと、築城であろうと、若き日のようには現場へは行かなくなってしまわれたのです」

「武田討伐の時点で、信長さまはすでに御年四十九歳であられましたから」

 証人たちは、本能寺の変勃発当時の織田信長は、もう若くなかったと証言しているのだ。

「確かにの。人間五十年の時代であったから、晩年と称されて当然の年齢だったのやな」と仲柳委員長は洩らした。

「では、お伺いしますが」

芋泉教授は、証人たちにむかって真摯に問うた。

「信長どのは、おのれの命がこの先それほど長くないことを悟ったからこそ、おのれの没後に家中でのさばりそうな佐久間信盛殿を封じ込めるため、先手を打って、追放したのであろうか?」

「どうじゃろうかのう」

証人たちは考え込んだ。

「佐久間信盛殿は追放以前、後に明智光秀殿が引き継いだ織田軍団の近畿管領ともいうべき地位に永くあったからして、織田家にいたとしても害になるような人ではなかったと愚考するがのう。信長さまがお亡くなりになった後も、織田家の柱石として家中に安定感をもたらしてくれたと思う」

 それを聞き、三浦教授は愕然とした。


 証言者の言が真実ならば、もし、佐久間信盛が手勢とともに在京していれば、明智光秀は謀反など起こしようがなかったのだ。本能寺に信長を襲った兵卒は、佐久間信盛から明智光秀へと引き継がれた兵たちだったのだ。なんたる歴史の皮肉といえようか。あえなく追放された佐久間信盛の怨念が、本能寺へ兵馬を走らせたともいえようか。

 三浦教授は驚きのあまり、ニの句が継げなくなった。

 証人は述べた。

「ただし信長さまは、人生五十年の最後の日に向けて、着々と世代交代を推し進めていらっしゃいました。それは確かでござる。佐久間殿追放が、世代交代の一環であるかどうかは、見解がわかれるところですな……ううむ」

「ご嫡男・信忠さまにとって、佐久間殿は煙たい存在だったのかもしれぬなあ」

「織田家の家督は、とっくの昔にご長子の信忠さまにお継がせになられました。まだ衰える前に、信長さま御自身で立案なされた計画どおりに」

「衰える?」

芋泉教授はメガネを逆立てて聞き返した。「信長殿は衰えていたのか?」

「そうでおます。いかに超人的な人物であろうが、信長さまもやっぱり人間です、衰えます。日頃、お側に接する機会が多いソレガシから見ても、体力の衰えを感じる日が増えていました。しかも衰えは、体力だけではありませんでした」

「信長さまの場合は、燃え尽きたともいえます」

「信長どのが燃え尽きた?」

 芋泉教授は色をなした。「なんと!」

「左様。上杉謙信は没し、石山本願寺は降伏し、甲斐武田は滅亡。つぎつぎに宿敵は滅び、もはや織田家による天下一統は自明なものになっていましたので」

「人生の目標をやり遂げて、燃え尽きなされたのです」

 証人たちの目には、その姿がありありと浮かんでいるようだ。

「そうですか……、心の中では、すでにゴールテープを切っていたのかもしれませんね」

 三浦教授は心を動かされた様子だ。

 証人たちはここぞとばかりに、洗いざらいを吐露した。

「半生を悩ませた大敵が、ぷっつりと、この世からいなくなってしまわれたのです」

「生きがいを失われたのです。気が抜けて当たり前ですぞ」

 証人たちの声に、委員全員が色めきたった。

「そうか、それが原因だ!」

 芋泉教授は声を上げた。「信長燃え尽き説! これだ!」

 国会中継に釘付けになっていた歴史好きの人びとはみな、どよめいた。

「信長は燃え尽きていた――、それが本能寺の変、真の原因なのか?」

「燃え尽きた信長は衰亡著しく、かつての叡智を失っていたのか?」

「ううむ。だからか! 戦乱の時代に、最高権力者が武装した供も連れずに、軽装で京都の寺に宿泊するなんて、正気の沙汰ではないものな!」

「本能寺の変が勃発する前後三日間、おのれが滞在する京に、完全なる軍事的空白が生まれていた。空白になるように部下の軍団を動かしたのは他でもない、信長本人だ!」

「判断能力が衰えていたからこそ信長は、おのれが宿泊する京都の軍事的空白に気がつかなかったのだ!」

 真実の究明に大きく一歩前進したと実感した仲柳委員長は、感動を覚えつつも、なるたけ冷静にこう言った。

「確かに信長はんは、判断能力が減退してはりました。わてもそう思う」

 委員のひとり、東洋史学専門の国立逢坂(おうさか)大学教授・里桜(さとざくら)志津絵(しずえ)氏は述べた。

「古今東西、乱世を鎮めた英雄は、例外なく、股肱の武臣たちを追放したり死刑に処したりしています。しかしそれはおしなべて、天下統一を果たし、平和な時代が訪れた後にです。漢の高祖・劉邦の例を申しますと、楚王に封じた韓信、梁王に封じた膨越、准南王に封じた英布。建国に大功があった三人の将軍をいずれも誅殺しました。でも、それらは、秦王朝を滅ぼし、宿敵だった西楚の覇王・項羽を滅亡させ、中国全土を統一し終わった劉邦が漢帝国の皇帝として即位した『後』です」

 里桜教授は断言した。

「世の常識です。忠臣を粛清するのは、宿敵を葬り去った後にすべきことなのです」

 芋泉教授は肯いた。

「確かにな。信長どのに理性的で、正しい思考能力が残されていれば、重臣の追放はまだまだ時期尚早であると判断できたはず」

「もう衰えていたのですね。判断能力の著しい減退。間違いなし!」

 里桜教授はそう言い切った。

 テレビの前の好事家たちは、いきりたった。

「信長燃え尽き説は、もう、国会で定説だと認定されたのか? 燃え尽き説こそが本能寺の変の真の原因であると?」

「いや、証明するには、まだまだ時間がかかるはず」

「そうだ、証拠を見つけなければなるまい!」

 議場では、委員たちが全会一致で宣言した。

「タイムマシンを活用して、本能寺の変当時の、信長さんの医師から証言をとろう!」

 先述のとおり、東京科学大TM学部の茂田吉瑠教授は委員のひとりであり、タイムマシンのエキスパートだ。さっそくタイムマシンを駆使して、なにやらやっている。

 すると議場のど真ん中に紫色の煙が立ち上った。

「おおっ」

 目を凝らすと、煙の向こうに何者かが動いているようだ。

「なんや、あれは……?」

すると、紫煙のなかから、ひとりの男性があらわれた。

 茂田吉瑠教授は厳かに述べた。

「当時の侍医を連れてきました」

 侍医には独特の風格があった。

 いかにも医術を究めたと思われる風貌だ。知識や経験が豊富で、徳も高そうに見える。年齢はかなりいっているようにも思えるのだが、背筋がピンと伸び、動きはキビキビしており、はっきり言って年齢不詳だ。

 男性は話し始めた。

「はい、わしが信長さまの侍医、曲直瀬(まなせ)道三(どうさん)です。お尋ねの件、早速、申してしんぜましょう。お側にいればわかりまする。信長さまはもう、以前のように沈着冷静でもなくば、縦横無碍で闊達(かったつ)な精神の持ち主でもありませぬ」

「おおう」

 議場に再度、どよめきが走った。

「信長さまはこの十年ほどで、目に見えて衰えなさいました。原因は、はっきりしております。足利義昭殿を追放しても京都の市政は万全、室町将軍に用は無いと証明できました。さらに裏切り者の浅井長政を倒し、越前朝倉を滅ぼし、上杉謙信殿が病死し、敵がいなくなりました。その過程で、徐々に心の張りを失っておしまいになられたのです」

「侍医として、心当たりがあるのですね? 信長さんから直に、話を聞いたことはありますか?」

「はい。次のように述懐なされました。

『つぎつぎとな、(あぶく)のように敵が消えていきおった。まるで神懸(かみかか)りじゃ。比叡山延暦寺を焼き討ちしようが、一向一揆を撫で斬りにしようが、仏罰など受けなんだわ。それどころか、神仏の恩寵を受けたのはわしのほうだったわい。わしは神仏に選ばれし人間ぞ。なにをしようと不滅なのじゃ、ヌハハハハ』

 上様は、最後に大笑いなさいました」

 委員たちは感想を洩らした。

「ううむ。自己肥大化、はなはだしいな」

「こうして、徐々におのれを神格化していったのだな」

「どうしてこうなってしまったのでしょう。若い頃は、自由闊達な精神の持ち主だったものを……」

「ストレスにやられたのかな?」

「人知れず心理的重圧に苦しめられ、信長さんは徐々に精神を病んでいったのでは?」

 委員たちは、信長の内面に思いを馳せた。

「では道三さん。お伺いします」

 委員のひとり、東京大学医学部付属病院の佐々(ささうみ)玲香(れいか)主任教授が問うた。2082年現在、もう珍しくなくなった色気ムンムンですこぶる妖艶な美人医師である。

「日頃の生活で、患者さん――すなわち信長さんは、どのようにストレスマネジメントなされてましたか?」

 道三は真摯に証言した。

「難しゅうございました。信長さまはお酒を(たしな)まぬので、心の底に幾重にも沈殿した(おり)を容易に発散できませなんだ。若かりし頃のように乗り馬で開放感に浸ることもできず、イライラが募っていきました。たとえばです。信長さまは、明智光秀殿に惟任(これとう)という名字(みょうじ)をお授けになられました。しかし、急に姓を変えてもなかなかすぐには広まりません。皆が明智殿を惟任と呼ばない程度の些細な事柄も気になって熟睡を妨げる。一刻も心休まる瞬間がないご様子でした」

 道三は同情を惜しまない表情を見せた。

「明智殿がストレスの原因であると、とばっちりを受けたのかしら」

 里桜教授はポツリとそう洩らした。

 佐々海玲香医師は続けて質問した。

「信長さんは、最近、特に変わってきたことはありましたか?」

「はい。近頃、とみに感情の起伏が激しくなってきたのは紛れもない事実です」

「たとえば?」

「急に怒り出したり、平手で部下を打ったり、足蹴にしたり。かつては、いかに情けない粗相を仕出かそうが、部下に手をあげることなど断じてございませなんだ。さらに、呑めないはずの葡萄酒をラッパ呑みしたり、首をかしげるようなことばかりです」

「……そうですか。老いは万人に訪れます。加齢に伴い、感情の抑制力が低下する患者さんは、珍しくありません。信長さんの脳の働きにも、年齢とともに変化が訪れていたのですわ」

 色香あふれる美女・佐々海玲香医師が口を開くたびに、桃色の吐息が宙に舞った。

 熱弁する佐々海医師がジェスチャーを交え、豊かな上半身を揺らすたびに、男性の委員たちは顎を落とした。

 テレビに映る佐々海医師の美貌に釘付けになった世の殿方たちも、忘我の境地に陥り、警戒心を解いた。

 その佐々海医師が冷徹に下した診断は、それだけに、余計に、皆の胸を打った。

「前頭葉が収縮して、判断力が低下し、感情の抑えが効かなくなってくる。それはズバリ、老化現象そのものです。自由闊達な精神が(みなぎ)るどころではなく、すでに痴呆症が始まってるやもしれません。信長さんの症状は、ズバリ、老化です!」

 医師の診断は、皆の心に響いた。

 曲直道三は搾り出すように述べた。

「わしの見解と同じですな。日本史上最大の、あれほどまでの重圧に対し、独りで戦い抜かれた信長さまは、燃え尽きてしまわれたのです。……信長さまは、とっくに燃え尽きておしまいなのです」

 日本列島は静まりかえった。国会中継を見守る国民たちの胸にもズシンと響くものがあったのだ。みな、織田信長に興味があった。圧倒的な個性に惹かれていたのだ。

里桜教授はポツリ、口を開いた。

「蛇足かもしれませんが、天才だったがゆえになんでも一人でやろうとした西楚の覇王・項羽と、人遣いの名人だった漢王朝の初代皇帝・劉邦はなにかと比較されます。日本の戦国時代においては、天才織田信長と、人たらしの名人秀吉とが、宿敵としてではなく、同じ織田家側の人間として出現したところが、歴史の妙ですわね」

「なんでも一人で決め、独断専行で行動した信長さんには、人一倍の重圧がかかり、責任もストレスも半端なかったのね」

小暮山博士は嘆息した。

「だからこそ、天正の十年間を超えて、それ以上の持続は、不可能だったのよ。織田信長も人間である以上」

三浦教授も、深くため息を洩らした。

 芋泉教授は、キラリとメガネを輝かせて次のように述べた。

「これまでの議論をまとめるとこうなる。本能寺の変の謎、新説の要旨じゃ」

 芋泉教授はメモを読み上げた。


『織田家宿将・佐久間信盛の追放は、本能寺の変勃発の、最大の要因だった。

 織田家臣団に亀裂が走り、明智光秀だけでなく、羽柴秀吉、徳川家康まで含めた織田軍団ひとりひとりに対し、取り去ることのできない悪影響を及ぼした。

 著しく忠誠心を低下させた家臣団は統率役を失い、団結心を喪失し、明日は我が身だと、てんでバラバラになってしまったのだ。各自が勝手に、あさっての方向を見はじめた。まるでドタバタ喜劇のように。

 本能寺の変最大の原因は、宿老・佐久間信盛の追放にある。

 佐久間信盛の追放は、時期を誤った。早すぎたのだ。

 この過ちは、すでに織田信長が燃え尽きていたからこそ発生した。いいかえれば、信長が燃え尽きていく過程での、結果の一つとして佐久間追放劇は発生したのだ。

 もし信長に、かつての正しい判断能力が残されておれば、宿将の追放は、時期尚早であると判断できたはず。

 だがもう信長は衰えていた。判断能力の著しい衰え。体力の減退。精神力の減衰。

 そう。人生は、五十年で終わると、信長本人が信じていた。

 だからこそ信長自身が衰える以前から用意周到に計画を立て、跡継ぎ信忠に当主の座を継承させて大敵武田討伐を任せるなど、代替わりを果たし終えていた。

 傍証として、もうかなりの間、合戦の最前線には立っていなかった。築城の現場にも足を運ばなくなっていた。馬の早駆けもやめてしまった。体質的に呑めないはずの酒を呑み始めた。

 体力も精神力も何もかも、もう若かりし頃とは比較できぬほど衰えていたのだ。

 史上最強の要塞に立て籠もる石山本願寺であろうと、戦国最強と目されていた甲州武田であろうと、聖将と讃えられた上杉謙信であろうと、おのれに敵対するものは朝露の如く滅び去った。中国の毛利であろうと、四国の長宗我部であろうと、織田軍団の前には風前の灯である。

 気が抜けて当然だ。

 体力、知力、精神力の著しい衰えを実感していた信長は、大敵が消え失せた結果、もぬけの殻になってしまった。精神力の衰亡に拍車がかかった。

 だからこそ、天正十年六月。前後三日間にわたって、おのれが滞在する京の軍備を空白にしたのだ。平気でそのように駒をすすめたのだ。

 自分で、自分自身を死地に追いやった。

 これを信長燃え尽き説と名付ける』

これまでの議論を要約すると以上となる。すこぶる妥当だな」

 芋泉教授は、おのれの理知的な頭脳を高速回転させ、こうつけ加えた。

「これにて変の原因は解明できたと思う。この新説は、家中崩壊説と名付けてもよかろう。だが学術的に、定説とするにはまだ早い」

 仲柳委員長が話を引き取った。

「そないですな。いまや国民3千万人が歴史学者なんや。みなはんで知力を結集して、この新説の証拠を集めまへんか」

「おおう! 賛成!」

「新説を立証する根拠を探そうぞ!」

 歴史学会ばかりではなく、日本経済学会、国立数学者研究会などあらゆる学究団体や知識人に声をかけることとなった。そのように決定されたわずか五秒後。

 議場のど真ん中に白煙がモクモク立ち上がった。

 白煙のむこうから人影が現れた。

我が国の近代経済学の泰斗・一橋大学経済学部教授の小西仁志子(こにしにしこ)氏だ。研究の成果を手にしている。

「なに? もう調査が終わったのか?」

 委員たちは目を白黒させた。

「調査研究には十五年もかかりましたが、タイムマシンで5秒後、今ここに出現するよう設定したのです」

「なんだ、びっくりした」

「それではわたしから、歴史学と経済学を融合した歴史経済学の観点から、新説・信長燃え尽き説の証拠を発表します。我が国の経済学会が総力を挙げて挑み、十五年の歳月を費やした熱き研究の成果です」

 小西仁志子教授は、自信マンマン、次のように述べた。

「織田信長公は晩年、おのが人生の目標を失い、もぬけの殻になってしまった、とのことでしたが、もぬけの殻になって当然だったのでしょうか? 本当に織田家の力量は圧倒的に抜きん出ており、海内統一の目前だったのか? それとも認知能力が衰えた天下人の過大妄想だったのか?

 それでは歴史経済学、最新の研究成果をご紹介します。

 『織田家』対『信長包囲網』の力量を、以下の七項目で比較しました。

① 農業生産力 すなわち石高の対比

② 工業生産力 すなわち火縄銃生産高の比較

③ 軍事力Ⅰ  すなわち動員兵力の対比(農繁期・農閑期にわけて別々に算出)

④ 軍事力Ⅱ  すなわち年間軍事費総額の比較

⑤ 経済力Ⅰ  すなわち分国内総生産の比較

⑥ 経済力Ⅱ  すなわち家中キャッシュフローの比較

⑦ 人口    すなわち国力のもとになる総人口および労働者人口を比較

 結果を申し上げますと、以上の七項目すべてにおいて、天正十年(1582年)の武田勝頼滅亡を境に、両者の差異は、劇的に拡大しました。

 平たく言いますと、武田滅亡以前と比べ、滅亡後は、格段に織田家は強力になったのです。もう各項目の比率を比較検討するといった段階ではなくなったのです。

 武田滅亡以前も、確かに織田家は日本列島随一の巨大勢力ではありました。

 しかし、逆説的ですが、もし仮に若かりし頃の信長や秀吉のようなスーパーマン級の実力を有する者が、敵方が支配する地域に同時に出現した場合、まだ逆転のチャンスはありました。

 ですが旧武田領を織田方が吸収したことにより、逆転の芽は、完全に潰え去りました。

 どうあがこうが、敵方が織田氏を凌駕することはできなくなったのです。最新のAI技術を駆使した歴史経済学が証明しています。ですから、武田を滅ぼした信長が、『やった!』と小躍りし、狂喜したのも無理はなかったのです。信長が、天下一統の野望を、ほぼほぼ成し遂げたと判断しても、けっしてウソでも自己肥大妄想でもなかった。

 彼我の落差は、武田滅亡を境に、圧倒的なものになりました。

 『目標を成し遂げた』(イコール)『目標を喪失した』。この図式、理解できますよね?

 目標達成は、目標喪失に直結します。武田滅亡後、信長さんは、ガクッと気落ちしてしまって当然だったのです。

 信長燃え尽き説を、歴史経済学の立場から総合的に検証しますれば、答えは明白です。結論はYESです。信長燃え尽き説は、一点の曇りもなく論証できたのです」

「おおう!」

 議場は沸いた。

 家電量販店の店頭で、国会中継を見守っていたサラリーマンたちも沸きに沸いた。

「どういうことなんだよ?」

「これなら気が抜けても当然だと、AIも認めたってわけだ」

「そうかあ。信長の立場に立ったなら、誰しも気が抜けてボヤ~~ってして当たり前だったんだね?」

「そうともよ。甲州征伐の成功により、織田信長による天下一統は、ほぼほぼ達成されたんだ! 残りは消化試合も同然だった。だから武田討伐の後、信長が、気が抜けてホニャ~~ってしてたのは、ある意味で当然だったのだ!」

 国会の特別委員会では、新たに召集した我が国の代表的数学者・森元(もりもと)元盛(もともり)名古屋大学教授が語りはじめた。

「信長燃え尽き説を証明する確固たる証拠はあるか? この質問に対する答えははなはだ難しい。なぜならばだ。信長は燃え尽きたからこそ、これらの事象を引き起こしたのか? それとも、こういう現象が発生したから、ほっとして気が抜けて燃え尽き症候群に陥ったのか? どっちが先か? または同時進行なのか? 原因と結果が、どっちがどっちかハッキリしない。それは佐久間信盛追放についても言える。佐久間を追放するほど耄碌(もうろく)していたのか? それとも佐久間を追放して安心したから耄碌したのか?」

 数学者が出てきてあれやこれやと悩み始めた。

「あんさんのおっしゃることは、佐久間信盛追放は、信長が衰弱して引き起こした事象の一つである。と同時に、衰弱の原因にもなっとるちゅうことやね」と仲柳委員長が話をまとめた。

 三浦教授は指摘した。

「また、佐久間信盛追放は、本能寺の変を引き起こす主要因ともなっていました。兵力という観点からもです。すなわち近畿管領の麾下において京を守るべき兵力が、ごっそり、本能寺を攻める兵力にスライドしたのです」

「そして、これだけは確かです」

 委員のひとり、国立歴史学博物館の大河内(おおこうち)餅恵(もちえ)館長が初めて口を開いた。

「合戦前の予想では、苦戦をすこぶる憂慮されていた甲州征伐、すなわち生涯を賭けた仇敵・武田氏討伐は、誰もが拍子抜けするほど、成功裏に終わりました。いや織田軍団は、出陣前のいかなる予想も遥かに超えた空前の大勝利を収めたのです。よって天正十年六月頭、織田信長は達成感の絶頂を味わい、人生初めて緊張感を喪失し、虚脱状態に陥って当然な心理状態にあったのです。これで燃え尽きなければウソだというほどに!」

 大河内餅恵館長は猛烈な勢いで続けた。己の青春を捧げた研究が、ひとつひとつの言葉に凝縮されていた。

「信長燃え尽き説を証明する証拠はあるか?、とのことですが、わたくし、国立歴史学博物館館長として、確証があります! それは、甲州征伐があまりにも圧勝でありすぎたことです」

 大河内餅恵館長は周囲を睥睨した。

「三方ヶ原合戦において武田勢に大敗した徳川家康が危うく討ち死にしそうになったり、ご存知のとおり、武田騎馬軍団は戦国最強との呼び声が高かった。甲州征伐とは、織田軍と戦国最強を謳われた武田軍団との激突です。合戦前の織田軍は、もっと苦戦が予想されていました。信長自身が、なによりも武田を怖れていたのです。独裁政治の主宰者である専制君主の緊張状態は極限に達し、夜も満足に眠れなかったでしょう」

 大河内餅恵館長はたたみかけた。

「ところがふたを開けてみますと、信長嫡男の織田信忠軍は、無人の荒野を行くがごとく怒濤の勢いで進撃しました。武田軍は戦わずして四散、持ち場をほったらかしにして勝手に逃げ出し、名だたる将たちも次々と織田軍に誼を通じてくる始末。まともな会戦は一度もなく、抵抗らしい抵抗は、信州の高遠城の一戦だけでした。まさかのまさかです」

 大河内館長はつばを飛ばして熱弁した。

「武田軍のこの体たらくは、事前に誰も予想できませんでした。当時の人びとにとっては、織田軍の快勝は、万能の天才・織田信長が起こした奇跡だと、受け取られました。万人が認める神懸りそのものの快進撃です。本当に神仏の加護を受けた、選ばれし天下人が起こした聖蹟であると、当時の人びとの日記や書簡が主張しているとおりです。当然ながら、信長本人も、おのれは神仏に護持されていると、心の底から確信したことでしょう」

 大河内館長は巨大なスクリーンに、当時の公家や町人や武士たちの日記や書状を大きく映し出した。

「では現代の歴史研究者の目から見て、実際のところ、織田軍快勝の最大要因は何だったのか?」

 大河内館長は皆に問うた。

「――それは、当時の人びとが、織田家による天下支配を望んだから。信長による秩序を、万人が認め、その永続を欲したのです。それが織田軍圧勝劇の最大の要因です。武田軍の大惨敗、その根本原因と言い換えることも出来ます。信長本人の想像以上に、海内に住まう住人はおしなべて、織田信長の天下をすでに承認しており、武田滅亡後はさらに信長の天下を賞讃していくことになったのです。織田家による秩序安寧と史上空前の好景気が、もっともっと続いてほしいと願ったのです」

 大河内餅恵館長は吼えた。

「皆様おわかりですか? まとめましょう。甲州征伐における武田の自滅。これこそ信長の圧倒的な実力を自他ともに認めさせる契機となったものであり、万事に気を抜かない信長を、気の抜けた老人に変えてしまった分岐点になりました。そしてその武田自壊の最大要因は、武田領内の武士や百姓たちでさえ、織田家の天下を望んでいたことにあります」

 餅恵館長はそう言い切った。

 議場は震えた。

「……なるほど」

 委員たちは納得して首肯した。

 次に九人の証人たちが声を上げた。

「実はですな。武田征伐の帰途、まだ甲州に在陣していたおり、ありえないことが起こりました。現地で甲州征伐の論功行賞を終えた信長さまは、多くの家臣に次々と長期休暇をお与えになったのです」

「他家では考えられませぬ。軍陣の途中でですぞ!」

「丹羽長秀殿や、堀秀政殿や、多賀常則殿は、上州の草津へ湯治に向かわれました。家中の柱になる方々ばかりです。あまりに、隙が大きすぎまする。その直後、新たな占領地である信州の飯山などで一揆が発生しましたのに。部下に温泉旅行を与えるなど、早すぎまする……」

「脇が甘すぎまする。甲州征伐からお帰りになる際には、信忠さまに対して『天下支配の権も譲ろう』と、おっしゃいました。いくら何でも時期尚早すぎまする! 部下が不安に駆られるような言説を平気でお口になされるなど、かつての信長さまなれば、ありえない愚行でござる」

「富士遊覧の折も、信長さまは隙だらけでしたな!」

「そうじゃ、そうじゃ。信長さまの富士遊覧こそ、本能寺の変の予行演習のようなものじゃったぞなもし」

 証人たちはくちぐちに訴えた。

「へっ、それは、なんですかいの? 富士遊覧とな? 知らへんなあ。説明してくだはりますか」

 仲柳委員長は証人たちに依頼した。

「へえ。まずでんな。武田征伐の帰途、甲斐信濃からの帰り道に、信長さまは富士山をご覧になりたいと御所望なされました」

「そないでした。富士山遊覧は、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝公の故事に習い、武家の棟梁としてのいわば神事を果たすために実行なさったのですが、このときも、両脇は巨大な隙だらけでした」

 証人たちは次々に口を開いた。

「信長さまはみずからの軍団を、信州の諏訪にて解団なさいました。よって、丸腰の近習を二十名ほど連れただけで、富士山遊覧に出発なさったのです。諏訪から甲斐古府中をとおり、富士山麓を見物し、駿河・遠江をゆるりと抜けて、東海道をずずずっとご遊覧なされたのです」

 長野県から山梨県に入り、静岡県、愛知県とすすんだのだ。

「甲信駿に覇をとなえた武田勝頼こそ滅んだとはいえ、越後の上杉景勝や、中国の毛利輝元とは干戈を交えているさいちゅうであり、四国の長宗我部元親とも手切れ寸前の情勢でですぞ!」

「富士山ご遊覧から東海道散策へと続くこの遊興の旅は、まさに燃え尽きたあとの抜け殻のような精神状態だったからこそ、実施されたのでしょう」

「信長さまが非武装の家臣二十数名でご遊覧なさいました道中は、織田家の勢力圏内に入ったとはいえ、まさにきのう併呑したばかりの土地ですぞ! 住人たちの風俗や習慣もわからず、言葉も碌に通じない。信州も甲州も駿河も旧武田領であり、尾張のごとき譜代の地ではないのです!」

「この遊興の旅には、負の遺産が残りました。わずか二十名で敵地から無事に、余裕綽綽で、本拠の安土に帰りついた信長さまは、ますます気が大きくなられた。海内の敵はすべて目に入らなくなり、天下統一はもう成し得たぞ、とっくに統一済み、との御心になられてしまったのです。ならばこそ、本能寺の変の前後三日間における隙だらけの布陣を自らお引きなされたのじゃ。もう誰も、二度とおのれに楯突(たてつ)かない。織田家に反抗する者は皆、神罰仏罰を蒙って消え失せた。そう信じ込まれてしまったのです」

「さらにです。隙だらけ、遊興三昧のお姿を、あの初老の男、明智日向守(ひゅうがのかみ)光秀がじっと見つめておったのです」

「明智にとって富士遊覧が、本能寺の変の恰好の予行演習になったのです」

「そうじゃ、そうじゃ。興味のある現代人たちよ。富士遊覧の詳細は、当時の記録、太田牛一(おおたぎゅういち)著の『信長公記(しんちょうこうき)』を読むが良い。まるで天下統一を果たし終えたかのような気楽さで、信長さまは東海道を遊覧なされたと記してある。それに前後の記事を見ても、京や安土で爆竹に興じたり、伊勢大神宮の正遷宮を復活させたり、軍事は一切お忘れの如き有り様でござる」

「そうだの。この書物『信長公記』は、タイムマシン同様の価値があるの」

「あいや、待たれい! 暫くしばらく! 証拠なら、まだまだあり申す」

 聞き覚えのない濁声(だみごえ)とともに、青い煙がたちこめた。

「な、なんじゃ?」

 もうもうと立ち上がる青き噴煙の中から、腰に大小を差した見知らぬ初老の武将が出現した。

「あらっ? 新たな証人が過去から現れたのかしら」

「見たことないわねえ」

「あんたはんは、どこのどなたはんですかぁ?」

 委員長は問うた。

「どこの誰かだと!」

 痩せた武将は吼えた。両の鬢に残った白髪が、残らず逆立つほど湯気が立った。

「わしが、織田家中にその人ありと謳われた稲葉一鉄(いってつ)じゃ! 信長さまの家臣で、『い』で始まり、しかも本能寺の変に関係する者といえば、わしをおいていないであろうがっ! このおっ、なぜわしを呼ばぬのじゃ!」

「そ、それは……」

 委員たちはことばに詰まった。

 稲葉一鉄と名乗った初老の武将は、目を怒らせている。しかも、どことなく腹黒い容貌が不気味だ。

 一鉄は、現代の委員たちを見下ろしながら、つばを飛ばして語り始めた。

「いいかっ。本能寺の変直後の公卿の日記には、『明智家の宿将・斎藤利三(としみつ)こそが、このたびの叛乱の首謀者なり!』と記されてあるではないか! それぐらい知っとるだろう? だとすれば、斎藤利三を追い詰めたわしこそが、本能寺の変勃発の最大の原因だと、当時の情報通はみな認めていたことになるのだ」

「そ、そうですの一鉄殿。公家の日記である『言経卿記(ことつねきょうき)』には、確かに、『明智家宿老の斎藤利三こそ、今度謀反随一也(このたびのむほんずいいちなり)』と明記されてある」

「じゃあ、あなたの存在が、変勃発の理由なんですか?、一鉄さん」

「フム。では、わしが事件の流れを教えてしんぜよう。いいかな。確かにの、世上ご指摘のとおり、わし稲葉一鉄は、臣下の侍・斎藤利三を、明智光秀殿と奪いあった。しかも問題が発生した原因は、わしが斎藤利三ほどの有能な家臣を、安い喰い扶持で買い叩いた結果である。その非は潔く認める。ただ、自己弁護が許されるなら、急激な領地拡大のため、織田家傘下の家中では、どの家中でも人手不足が慢性化しておったのだ」

 稲葉一鉄はそのように述べ、懸命におのれを弁護した。

「一鉄さん。あなたは斎藤利三殿だけでなく、那波直治殿をもまた、低い俸禄に据え置こうとした挙句の果てに逃げられましたね? これらの状況証拠から判断すれば、あなたがケチケチしすぎるから、これらの問題が発生したのです!」

 三浦三二子教授は、鋭利な眼光で容赦なく一鉄を問い詰めた。「良臣を取り合うことと、部下の俸禄を値切ることを同一視することはやめにしていただきたい」

「む、むむう」

 稲葉一鉄は、ぐうの音も出ない。

 三浦教授はさらに一鉄を追い詰めた。

「そうなれば、斎藤利三殿は被害者。利三殿の雇用主であった明智光秀殿はあなたの愚行と吝嗇に対し、迷惑千万だったに違いありません」

「むむっ……鋭いの。しかしだの、現実の信長さまの裁定では、わしが正しく、明智殿が悪い。すなわち斎藤利三は打ち首に処されることになったのじゃ!」

 開き直った稲葉一鉄は、そう叫んだ。

「そうかあ」

 芋泉教授は深く納得した。「信長殿は衰えが昂じた挙句、この訴訟沙汰について愚かな裁定を下してしまった。そんな裁定を下せば、明智家が窮するに違いないのに! すでに想像力が欠落していたのじゃな。信長燃え尽き説の大いなる証拠になるぞ」

「そのとおりでございまする!」

 野太い声が響き、もうもうと噴き上がる真っ赤な煙のむこうから突然、立派な身なりをした武将が現れた。両眼は爛々と輝き、がっちりした体格に、大人(たいじん)の風格が漂っている。

「だ、誰ぞ、あれは?」

 出現した中年の武将は、腹の底から響き渡る声で話し始めた。

「皆の衆、ようく聞きたまえ。信長さまの下された裁定に盲目的に従い、明智家の筆頭家老であるわしを斬首するなどという処分を甘んじて受け入れてしまえば、明智家家中の統率は断じて覚束なくなり申そう。それは、どの家中でも変わりませぬ。火を見るより明らかなるぞ。いったん裁定を受け入れてしまえば、家臣たちに動揺が走るのは自明の理。そんなことにも思い至らぬとは、信長さまは、もはや衰えたとしかいいようがございませぬ!」

「もっともな言い分であるな」

芋泉教授は肯いた。

「して、貴公はたれぞや?」

仲柳委員長は問いかけた。

「われこそは、話題の中心・斎藤内蔵助(くらのすけ)利三でござる!」

「おおっ!」

「ついに登場した!」

「ふふふふ。なぜわしがA級証人ではないのか? 首を傾げざるをえぬがの」

 過去から現代へ、おのれの意思で出現し、堂々と口を開いたのは、明智家の筆頭家老・斎藤利三だ。

「雌伏500年。わしはいままで、このときを待っていたのである。国民みなにむけて証言する機会をだ」

 斎藤利三は議場をゆるりと見回し、カメラにも目線を合わせた。そしておのが丹田から発する深い低音を響かせ、力強く言い放った。

「稲葉一鉄殿と、わがあるじ明智光秀さまとの諍いに際して、信長さまはあきらかに誤審を下されました。この種の部下同士の諍いにおいて、大事なのは今後です。なぜならば、過ぎ去った経緯を細かに調べても、双方ともに理由があればこそそのような行動をとったのです。どちらが正しく、どちらが悪などと、はっきりし申しませぬがゆえに。

 では今後はどうなるか?

 わしを打ち首にした場合、織田家全体の勢力は、微力ではありますが削がれてしまうのです。ですから斎藤利三の死罪、これは最善の策とは言えますまい。

 では、現状を追認して、わしを明智家に仕えさせ続ければどうか? 

 わしは上様の恩義に応え、よりいっそう篤く忠義に励みまする。すると明智家が躍動します。結果的に、ますます織田家は意気盛んになり申す。

 よって、わしを明智家に残すのが最善の策です。信長さまはそう裁くべきでした。かつての、耄碌する前の信長さまであれば、必ずやそのようにご裁定を下されたでしょう」

「なるほど」

「以前の信長さまなればのう」

「さすがは明智家にその人ありと謳われた斎藤利三殿。すこぶる論理的な思考ですな」

「わかりやすかったわ。お見事!」

「この御仁をみすみす刑死させるなど、惜しい、惜しすぎる」

「これほど優秀な陪臣を死刑に処せだなんて、明智家を弱体化させるのが真の狙いなのではないかと勘ぐってしまうほど、馬鹿げた裁定だこと」

 証人たちも、委員たちも、皆、利三に同情した。

 利三は、震える声で訴えた。

「そしていま、信長さまによって死刑にされかかっているわし、斎藤利三を救わんがため、わが主人光秀は窮地に立たされたのです。もしこの窮地から脱出できるのでしたら、わしはどこまでも殿についていき申す」

 すると芋泉教授が訊ねた。

「む。そなたがついていきたいと望む、その殿とは誰のことじゃ? 信長殿か? それとも明智殿か?」

「明智光秀さまにござる!」

 悲壮感を漂わせた斎藤利三は絶叫した。喉の奥から鮮血がほとばしるほどの叫びだ。

 三浦三二子教授は見解を述べた。

「確かに、現状を追認して斎藤利三さんをこのまま明智光秀殿に仕えさせたほうが、明智軍を含めた織田軍団全体として、よりよい方向に向かったはず。団結力を維持するだけでなく、さらに結束を強固にさせる結果をもたらしたでしょう」

「雨降って地固まるか」と芋泉教授は洩らした。

「ところが信長さまは、そんな明白な結果も予測できず、破滅的にまで愚かな判決をくだされた!」

 斎藤利三の発した悲しげな声だった。利三は憤っていた。健気で律儀な男の感情は、抜き差しならぬほど高ぶっている。

「しかも明智家と、土佐の長宗我部家と、わしの斎藤家とは、幾重にも幾重にもまたがる複雑な親類関係を構築しておりまする。それを知ってか知らぬか、長宗我部家を成敗なされるなど、明智家が動揺するのは、火を見るより明らかでござろう!」

「確かに! 信長殿の四国長宗我部征伐は偏りすぎているな」

 議場の皆は肯いた。

「部下の家中の混乱も予見できなくなるほど耄碌され、信長さまは、もう、かつての叡智に富んだ名君ではなくなったのです!」

 斎藤利三は涙を流しながら訴えた。

「長宗我部成敗を実行すれば、明智家が窮するにちがいないのに! すでに、こんな初歩的な想像力が欠如していたのです! 残念至極にござる! あぁ無念じゃあ」

 むせび泣く利三。議場は森閑と静まり返った。

 忠臣利三の胸中は察してあまりあるものだった。

 文字通りの、悲憤だ。苦しげにかぶりを振る姿が、画面をとおして全国民の胸を打った。

「明智家は、ここまで追い詰められていたのね」

 大河内餅恵館長は独り言をこぼした。

 ふと委員たちが議場の脇を見やると、見知らぬ猫背の武将が立ち竦んでいた。荒々しさは皆無であり、見るからに吏僚(りりょう)タイプである。片手にはソロバン、もう片手には筆を握っている。

 委員たちは話し合った。

「はて、あの武将は誰だったな?」

「あの人もタイムマシンに乗って、信長さんの時代から現れたんだろう。ということは信長さんの家臣だな」

「織田家中にいるのは確かなのだが、はっきりとは思い出せない」

「ああ。そういえば、たしか、蜂屋(はちや)頼隆(よりたか)だったか、菅屋(すがや)長頼(ながより)だったか」

「そうだ。蜂屋も、菅屋も、ふたりとも織田家の重鎮だ。ともに政務官であると同時に、兵を率いて合戦に馳せ参じる武将でもありまするぞ」

「そうそう、そのふたりはよく混同される。なにせ屋と頼。姓名の半分が同じ文字だし、ともに内政にも長けた武将だから、記憶の中ではすぐにごっちゃに混ざってしまう」

「まさか同一人物ではあるまいな?」

「まさか、あはははは!」

「まさかの。でも、オイ、まさか、人違いで現代に召集したのではあるまいな?」

「チト、まずいな」

「そうだ。妙案を思いついたぞ。蜂屋頼隆と菅屋長頼。この二人が別人か、それとも同一人物か、タイムマシンに乗って現地で確認しようではないか!」

「おおう!」

「それがいいわ!」

「賛成よ!」

「現地で確かめようぞ」

「写メも撮れるわよ!」

 何百年経とうが、議員たちの外遊好きは変わらぬものだ。

 こうして歴史究明特別委員会の面々は、ついにタイムマシンに乗り、過去へ旅立つことになった。皆で天正の昔に赴くのだ。

「おいおいおい」

吏僚タイプのその武将はポツリと洩らした。「わしの本人確認をうっちゃって、存在を誤認したまま外遊するのか?」

「ええ、まあ」

「それではタイムトラベルの効果が半減しようぞ。諸君を過去へお連れするのなら、わしの、直々の解説付きでご案内いたそうぞ」

「おお!」

「それはそれは助かるわいな」

「では、誰だかはっきりとは特定できないこの織田家武将のナレーション付きで、テレビ中継しよう」

「インターネットでも生中継だ」

「やった!」

 現地での体験は、オンラインで完全生中継されることになった。



 第三幕 目撃者は君だ



 天正十年三月十一日。

 甲斐、信濃、上野、駿河に覇を唱えた戦国大名・武田家はあえなく滅亡した。

 長年の仇敵を滅ぼした我らが織田家の遠征軍一同は、信濃国諏訪湖のほとりに浮かぶ名城・高島城に集った。積年の疲れを癒すべく、大宴会が開かれようとしていたのじゃ。

 格式ばった正式な式三献は、先日すでに終えていたので、本日は無礼講だ。

 諸将は皆、腹をすかせて高島城本丸大広間に集結した。

膳が並び、信州味噌の焦げた甘い香りが漂いはじめた。さあさあ大祝賀会が始まるぞ、と腹が鳴った皆はそわそわしている。

 あらたな征服地である甲州信州でしか食べることのできない珍味が、目の前に盛りだくさんに用意され、大広間に歴戦の織田家家臣たちが続々と入場してきた。

 宿老であるわし、蜂屋(はちや)兵庫頭(ひょうごのかみ)頼隆(よりたか)の次に、宿将・滝川一益(たきがわかずます)殿が大広間に入った。滝川殿は、このたびの甲州征伐において勲一等との高い評価を受け、関東方面の総警固役を仰せつかったばかりだ。平たくいえば、関東方面軍の総司令官になったのだ。

 同じく宿将・川尻(かわじり)秀隆(ひでたか)殿も入室してきた。川尻殿は、このたび唯一の激戦地・高遠(たかとお)城を攻略し、比類なき勲功を挙げた。

 そして森長可(もりながよし)殿も続いた。長可殿は乱丸(らんまる)殿・坊丸(ぼうまる)殿・力丸(りきまる)殿など森兄弟の長兄である。長可殿は織田家随一の猛将であり、激戦になった高遠城合戦でも果敢に闘い武功をあげた。

 また、高遠城合戦で一番槍の手柄を立てた(はなわ)直正(なおまさ)殿の顔も見える。塙殿はついに念願だった城持ち大名に出世した。

 さらに好事家でさえ、しばしばわし、蜂屋頼隆と混同してしまう菅屋(すがや)九郎右衛門(くろううえもん)長頼(ながより)殿の顔も見えた。菅屋殿は、この度の甲州征伐において兵糧の補給を担当した。

 次に座するは、惟住(これずみ)丹羽(にわ))五郎左衛門長秀殿。六月には四国に討ち入る手筈じゃ。

 さらに、惟任(これとう)(明智)日向守光秀殿。細川管領家の流れを汲む長岡忠興殿。

 織田家重臣池田恒興殿の嫡男である池田元助殿。

 長谷川秀一殿。堀秀政殿。矢部家定殿。福富(ふくづみ)秀勝殿。氏家(うじいえ)行継(ゆきつぐ)殿。竹中重隆殿。原政茂殿。武藤康秀殿。蒲生(がもう)氏郷(うじさと)殿。阿閉(あつじ)貞征(さだゆき)殿。不破直光殿。高山ジュスト右近殿。中川清秀殿。筒井順慶殿など錚々たる面々に、お馬廻り衆も加わる。

 あまつさえ公家衆として、摂関家の近衛前久殿まで着座している。

 御連枝衆の津田信澄殿も、笑顔でお座りになっていらっしゃる。

 そのうえで、諸将みなの上座に座するのは、甲州征伐軍の総大将の職責を見事にお果たしになられた織田信忠さま。信忠さまはご存知の通り信長さまのご嫡男であり、すでに織田家の家督を継いでいらっしゃる。

 そして上座にいらっしゃるもうお一方(ひとかた)が、天下人・信長さまだ。

 一代の傑物・織田信長公。御年四十九歳。

 若き日の信長さまは誰よりも活発で、清爽としていなさった。

 かつては色白の好男子で、筋骨逞しい青年武将じゃった。軽やかに愛馬に跨り、奔放に尾張の海岸や河川、野山を駆け巡っていなさった。天賦の才を隠そうともせず、理知的で聡明であられた。道理を知り、頭の回転は誰よりも速い。機知に富み、それでいて闊達で朗らかで、楽しいお人柄じゃった。

 そんな信長さまも、寄る年波には勝てぬ。白髪も増え、いつのまにやら城下で乗り馬をなさる姿を見かけることものうなった。

 ――さて本日は、われらが宿年の仇敵・甲斐武田を葬り去った祝勝会じゃ。

 信長さまの表情はかなり上機嫌。いや、有頂天だ。

 長きに渡ってずっと目の上の瘤であった武田家を滅ぼし尽くし、もう海内一統に向けて支障は無くなった。あとはもう時間の問題である。

 信長さまは口を開いた。

者共(ものども)、今宵は、おおいに呑んで喰って楽しもうぞ!」

「おおう!」

 宿敵を滅ぼし終えた満足感は主従共通だ。歴戦の勇者猛将たちも、今宵ばかりは安堵と、喜びと、明日への希望に満ちた、晴れやかな表情じゃ。

 なかでも信長さまは、タガが外れたように、はしゃいでいらっしゃるではないか。

 確かにもっともである。

 信長さまの熟睡をここ十数年ものあいだ妨げてきた石山本願寺は一昨年われら織田家に屈服し、さらに甲斐武田はつい先日、永遠にこの世から潰え去ったのだ。

 正直に表現するならば、信長さまの心のなかに、もう敵はいない。すでに天下を取ったがごとき顔つきがそう物語っている。

 されど現実には、越後の覇者・上杉景勝。奥州の伊達、最上、蘆名。関東の北条、佐竹、里見。四国の雄・長宗我部。中国道の太守・毛利。九州の大友、竜造寺、島津など、主要な大敵でさえまだまだ数多い状況である。

 実際、越後上杉景勝軍と織田家麾下(きか)の柴田勝家軍、中国の毛利輝元軍と羽柴秀吉軍は戦火を交えている最中である。

 しかれども、信長さまの心のなかには正直なところ、もう敵はいなくなっていた。

 いったい信長さまはどうしてしまったのだろう?

 現実を直視することをやめてしまったのだろうか?

 実はこの宴会の直後に信長さまは、家臣たちに次々と物見遊山のため休暇を与えているのだ。それも丹羽長秀殿、堀秀政殿、多賀常則殿といった重臣ちゅうの重臣にぞ。上杉・毛利という大敵と、二正面作戦を継続している最中にもかかわらずじゃ。

「はっはっはっは。愉快じゃ、愉快じゃ。者共、もっと呑んで喰って楽しむのじゃ」

 信長さまの陽気な声が届いた。

ただし陽気ではあるが、朗らかではない。下戸の信長さまは先程から一滴も呑んでない。だから酒に呑まれたわけではない。

 ところが一同の中で、最も日頃の精神状態から乖離逸脱しているのが信長さまだ。酒の力で浮揚しているだけなら、酔いが醒めればもとに戻る。されど信長さまは酔ってないのだから、いよいよ厄介ではないか!

 颯爽とし、気力に満ち、早春のそよ風のようだった信長さま。天空を跳ねまわる春風の如き精神状態には、もう戻ることがないのかもしれない。

 かつての初々しさや、俊敏さ。野山や戦場を縦横に跳びまわった尽きることのない永遠の体力。機略に満ちた若き頭脳は影を潜め、それがいま、やりきった、燃え尽きたと、信長さまの痩せた背中が訴えている。宿敵滅亡とともに、どっと衰えがきてしまったのだろうか。

 信長さまは、すこぶる上機嫌で、それでいてキンキンするような大声でわめきちらしている。

「皆の者、聴くがよい。かつて、われらを手取川合戦で追い詰めた上杉謙信! 北国の守護神とも、越後の龍とも怖れられた。じゃがの、その聖将謙信は消え失せた。軍神だと崇められておったのにの! 冬の朝、起きたら厠で死んでおったとな。謙信でさえ、ただの老人だったのじゃ。さすれば、()こそが、守護神であり、龍であり、聖将かつ軍神だったのじゃ!」

 近頃とみに感情の起伏が激しくなってきたと噂される信長さまは、酒を一滴も呑んでないにもかかわらず、ますます支離滅裂な按配になってきた。かろうじて舌の呂律はまわっているのだが、脳の呂律がまわっていないと評すべきか。

「余はな、余は、戦国最強と謳われた武田軍に勝ったのじゃ! 余は最強武田を滅ぼしたのじゃ! じゃから、余こそ乱世最強なのじゃ!」

 わしには、信長さまが口にする「余」が、どうにも「余生の余」に聞こえてきて仕方がない。とうとう信長さまは狂ったように叫びだした。

「天下一統は、すでに成し得たのも同然ぞ! 余は、海内統一の偉業を、実質的にはもう果たし終えたのじゃあ!」

信長さまは咆哮した。「信玄以来の大軍団、武田滅したりぃ!」

 そうか。それほどまでに信長さまにとって、武田家は大敵だったのだ。

 こうして信長さまは生涯の仇敵を屠り、ようやく心の平和を手にしたのだ。だから、安堵して当然といえば当然なのだ。

「はっつ!、……さては」

 わしはひとり叫び声を上げ、真っ青になって顔を上げた。お猪口(ちょこ)を持つ手が震えた。

 とんでもないことに思い至ったのだ。

信長さまは宿敵を倒し有頂天になっているが――、実はもうこの瞬間、倒したほうも、倒されたほうも、共倒れになっていたと云えよう。

信長さまのこころは、甲州征伐の終了と同時に、ついにもぬけの殻になったのだ。

「余は、戦国最強と謳われた武田軍に勝ったのじゃ!」

 信長さまは、ただの酔っ払いのように、同じ台詞(せりふ)を何度も繰り返した。

「余こそ、戦国最強なるぞ!」

 信長さまとしてはただの戯言かもしれぬが、主君のお言葉には、誰かが応答せねばならない。

 されど近頃、とみに気が短くなった信長さまに返答するには、出陣するよりも勇気が要る。なぜなら合戦場でしくじってもその後に巻き返すことが可能だが、信長さまのお気に召さぬ言動を咎められれば、即刻、命を失うことに直結するからだ。

「余は、宿敵武田を倒したのじゃ!」

 さらに信長さまが大声を発した。

 一座に、ピンと緊張の糸が張り詰めた。誰かが主君の言に反応せねばならないからだ。

誰かが、となれば、やはり年長者が対応するよりほかない。幸いにも、この場に、わしよりも年長者が二名いるではないか。

 この場の最年長者である滝川一益殿をこっそり見やると、お猪口を手にしたままうつらうつらしている。酒に弱いのではなく、忍法・泥酔の術といったところか。酔い潰れたふりをしているのだ。

 こうなってしまえば、二番めの年長者に頼るよりほかない。この場で滝川一益殿についで年長である惟任日向守光秀殿が返言するよりほかなくなったのだ。

 皆は、《お願い日向殿、返事をかえして! われわれを助けて!》、と哀願する目つきで、光秀殿を見た。

 光秀殿は、場の空気を読んでか、年長者の責任を感じてか、主君のひとことに沿って無難に、このように応答した。さすがだ。

「さようでございまする。われらも長年、骨を折った甲斐があったというものです」

「なにおお!」

 やにわに信長さまは立ち上がった。目にもとまらぬ素早さだ。

「明智ぃ! 貴様が、いったい何の骨を折ったというのじゃ!」

 尋常な目つきではない。全身から湯気が立っている。いや、これは殺気だ。

 場は完全に静まり返った。

「このおっ!」

 野獣のように飛びかかった信長さまは平手で、光秀殿の額を打ち据えた。

 老化が進行し、禿げ頭に近い光秀殿の頭からは、ピシャリといい音がした。

「オマエ如きがいったい何をしたぁ?」

 無言の空間に、突き刺すように響いた。

 ああ。もう心が痛い。

「キンカン頭を叩けばピシャリとな、天下一統の味がするわい。あっはっはっはっは」

 キンカンとは、皮を食べることができる可愛らしい柑橘類の果実のことであり、すなわち禿げ頭という悪口である。それも童子が口にするような罵り言葉だ。

 酒を一滴も呑んでない信長さまは、満座の中で、忠臣ちゅうの忠臣に恥を掻かせた。

 目つきを確認すると、信長さまはもう、正気ではない。

「さあキンカン頭、もっと呑め!」

 実は光秀殿も信長さまと同じく、一滴も酒を呑めない体質じゃ。

 呑めない光秀殿が正座のまま凝固していると、信長さまは、やにわに脇差の鞘をはらった。そして鋭い切っ先を、光秀殿の喉もとに突き出した。

「余の酒が呑めぬなら、この剣先を呑んでみよ。さああ、キンカン頭め、どちらか好きなほうを選べぇ!」

 場は、真冬の湖面のように凍りついた。

 遠い未来から、乱世の見学に参った国会議員の皆々も、わしの背後にうずくまり、緊張状態の極地に陥っている。煮えたぎった乱世さえ瞬時に凍てつく修羅場の到来だ。

 常日頃から信長さまのお側に仕える乱丸、坊丸、力丸、藤八(とうはち)たち近習(きんじゅう)は、どうにか信長さまを諌めようと隙を窺っていたが、あれよあれよという間に、刃傷沙汰になりそうな気配だ。南無三!

 それでも光秀殿は落ち着き払って、静かに口を開いた。

「では、盃をいただきまする」

 そう言うなり、光秀殿は苦い酒を喉の奥へ流し込んだ。

 さすがに光秀殿は大人だ。

 こうして上諏訪の一夜は、なんとか幕を閉じた。無事にとは言えなかったがな。

 見学していた衆院特別委員会の委員たちは、写メを撮ることも忘れ、呆然としていた。

 男性委員たちは全員、失禁している有り様だ。

「信長さまの心性は、いつから狂い出したのだろう? ……疑問は解けぬ」

 宿舎に戻ったわし、蜂屋頼隆はひとり、自問した。

「あれほど聡明だった信長さまの頭脳は、いつの間に、こんなにまで曇ったのだろうか?」

 答えは出ない。わしは、おのれの無力さが身にしみた。

わしは首を左右に振り、こう洩らした。

「いや、信長さまの頭脳は曇るどころではない。大雨、いや、冷徹なる大雪ぞ、目も開けていられぬほどに吹雪いておる」

 わしは闇夜に向かって独り吠えた。

「今夜。わしがただ一つ、確信したことがある。それは、――信長さまはもう、かつての、春風がごとく颯爽とした風雲児でも英傑でもなくなってしまった。永久(とわ)にな」

 闇夜に流れる無情な黒雲が、見渡す限りの、織田家の天下を覆った。

「殿! お戻りになってくだされぃ!」

 いくら大声で叫ぼうが、歴史の闇は、わしのことばを無言で呑みこんだ。

 暗天下から、返事は無かった。



 第四幕 真説、発表さる



 ここは衆議院本会議場。

 ついにこの日が来た。仲柳委員長、芋泉教授、大河内館長をはじめ、委員たちは自信を持って本会議に臨んだ。

 いまここに、本能寺の変の謎――真の原因が公表されようとしているのだ。

 歴史究明特別委員会を代表して、芋泉教授が語り始めた。

「戦国最強を謳われた上杉謙信は没し、いまや越後は内乱に明け暮れるありさま。

 戦国有数の鉄砲隊を擁する命知らずの大敵だった石山本願寺をも屈服させ、ついに大坂の地から立ち退かせた。

 そしていま、生涯の仇敵であった甲州武田を葬り去り、大国毛利も最早、屈服寸前。後顧の憂いは消え去った。

 とくに武田家滅亡は、大きな画期となった。織田家による天下一統は、ほぼ成立したも同然になった。これは信長の誇大妄想でもなんでもなく、歴史経済学が明らかにしているとおりである。

 その結果、なにが起こったか?

 そう、織田信長は、精根尽き果て、燃え尽きてしまったのだ。

 当時は常識として、人生五十年の時代である。信長は、みずからが、その年齢に達したと強く意識していた。

 まだ老いる以前、聡明だった頃から、おのれが衰える前にと、政権移譲を着々とすすめ、嫡男を当主の座に据えた。嫡男の嫡男である男孫・三法師(さんぽうし)も誕生し、もうこれ以上の憂いも備えも不要になった。

 いまや、いつ死んでも構わない心境。

 そんな政権移譲のダメ押しが、佐久間信盛追放だった。おのれの死後に、幅を利かせそうな宿老を、念のため、先手を打って追放したのだ。

 すべてを完璧になし終えて、信長は、もう、死んだも同然の心境だった。

 だが、目に見えぬ誤算が生じた。

 おのれの死後も織田家の天下を永続させるために実行したはずの宿老佐久間の追放は、織田家全体にとんでもない悪影響を及ぼした。結果的に、家臣団は空中分解、情緒的には解体してしまったも同然となった。織田家に尽くそうという忠義の心を保持する良臣は、完全に消え失せたのだ。明智光秀だけでなく!

 しかも信長は、その暗澹たるありさまに気がつかなかった。

 そう。すでに信長は衰えていた。燃え尽きていたのだ。

 ならばこそ、本能寺の変勃発の前後三日間、おのれが軽装で滞在する京都に、目を疑うような軍事的空白を、自らの手で作り上げてしまった。

 本能寺の変は、燃え尽きた織田信長自身が、おのれの手でお膳立てしたのだ。

 これぞ、信長燃え尽き説である」



 最終幕 心眼・本能寺の変



 本日は、臨時国会最終日だ。

 衆院本会議場には、衆議院議員全員が詰めかけていた。

 その最後の最後。

 仲柳委員長は京都弁で語った。

「さて、われわれ歴史究明特別委員会はタイムマシンを活用しぃ、本能寺の変にかかわる重要証人全員にご登壇いただきぃ、ありったけの存念を述べていただきました。そして突き止めた本能寺の変の真の発生原因を、われわれ歴史究明特別委員会から、前幕に示したとおりぃ、国民のみなさんへ呈示しましたぁ」

 全国民も、テレビやスマホの生中継にかじりついている。

 三権の長である衆院議長は、皆にむかって厳かに問うた。

「最後に、もしひと言、話したい人がいれば挙手してください」

 衆院議長は衆院本会議場を見回した。

 すると一億二千万人が固唾を呑んで見守るなか、ギッギギっと、議場の扉が開いた。

 扉からフラリフラリ現れた人物は、白い寝巻きを一枚着ただけの姿だ。

 ゆっくりと、しずしずと、議場の中心へ、幽鬼のように移動してくる。

 いったい誰だろう?

 どこかで見た顔だ。

 国民、みなが見知っている顔だ。

 白い肌で長面(ながおもて)、鼻筋がとおり、切れ長の目。

 いまは老けているが、かつてはかなりの美男子だったろう。

「こ、これは!」

「う、上様じゃあ!」

「の、信長さまじゃあ!」

 議場内に、戦慄の青い稲妻が走った。委員たちは皆、動揺し、たじろいだ。政治家としての力量は、彼我に雲泥の差があるのだ。

 ひと言も発せずとも、四周を天魔王のように威圧するオーラは凄まじく、テレビを視聴していた人びとも瞬時に圧倒された。

 日本国全体が揺れたのだ。

 生か死か。根源的な恐怖を感じ、国会議員はみな顔面蒼白となり、その場に()いつくばって、額を地べたにこすりつけた。

「ふふふふ、こんなに沢山集まったか」

 議場のど真ん中に屹立したのは、織田信長その人である。信長は笑みをこぼした。

「そんなにこのわしを殺めたいか?」

 万人を悉く恐懼させる天下人は、虫けらのようにひれ伏す議員たちを睥睨した。

 柔らかな風が、信長の周囲を包む夜気を撫でるように吹き抜けていく。

 まるで信長は深更、京都の常宿・本能寺の門の前に、ひとり佇んでいるようだ。

 しかもそれは、天正十年六月一日の深更。あともう数刻、時を刻めば、本能寺の変が勃発する、その直前だ。

 それでも信長は、ひとり悠然としている。いや、幽鬼のごとく立っている。これっぽっちも生気が無いのだ。

 痩身の信長は、微風に軽々と吹かれ、まるで枯れ枝のように前に後に揺れている。

 本能寺の門前に、夜風が淋しく吹いている。

 信長の目の前には、数千人を越える完全武装した将卒たちが集結していた。おのれに敵対する謀反軍だ。おのれの命を奪おうとする武装兵たちだ。

 本能寺の外周をめぐる土塀を取り囲んだ兵卒たちは、予想だにしなかった信長の姿を目にし、呆気にとられた。狼狽し、絶望し、震え上がった。直ちに這いつくばるように膝をつき、額を路面にこすりつけた。

「ふふふふ、ふふ」

 信長は、敵軍の将卒たちにむかって、国会議員たちにむかって、国民たちにむかって、問わず語りに話し始めた。

「……実はのう」

 前右大臣兼右近衛大将であり、自他共に認める乱世最強の天下人である織田信長は、ひとり、訥々と続けた。

「わしがこうして内心を吐露するのは珍しい。というか、生まれて初めてのことである」

 信長は遠い空を眺めながら語った。

「なぜわしが、こんなにも正直な告白ができるのかといえば、それは、わしが夢遊病という(やまい)に罹患しているからじゃ。眠ってるのに歩いてしまう病気じゃ。夢遊病患者特有の症状が、今この瞬間のわしの状態じゃ」

 全国民は這い蹲って、真実の声を聞いている。

「わしは夜中にのう、眠っているにもかかわらず、ひとりフラフラと徘徊してしまうのじゃ。原因はの。極度の精神的重圧から一瞬にして解き放なたれ、精神の持ちようが極端から極端へと急激に変化し、心理状態の振れ幅が、ひとりの人間が堪えうる限界を超えてしまったから。精神的均衡が崩壊してしまったからじゃ。じゃから夢遊病に罹るぐらい仕方なかろう。ふふふふ」

 天下人の独白は続いた。

「明日は石山本願寺が差し向けた不死鳥の如き一向一揆に嬲り殺しにされるか? それとも戦国最強武田騎馬軍団に蹂躙されるか。恐怖の日々じゃった。想像できるかの? わしは、家族や家臣、領民すべての命を預る身じゃ。たった独りでな。専制君主の責任は、誰よりも重い。責任は余人(よじん)だれにも転嫁できぬのだからの」

 過ぎし日の苦衷を思い浮かべ、信長は顔色はますます青白くなった。

「それが一夜明けると強敵は(つい)え去り、わしは古今無双、海内無敵の天下人と化しておった。両極端を一足飛びに跳躍するこれほどまでの精神的激変を、実際に現実世界において体験した人間は、現在過去未来、日ノ本でわしだけじゃ」

 信長の両眼は皿のように広がり、皆を包み込むようだ。

「だからのう。わしの夢遊病には治療法が見つからぬ。

 症状は、三つ。

 一つは、睡眠中にひとりで行動すること。

 二つめは、その行動とは、歩くこと。ひとりで彷徨するだけ。

 三つめは、忌憚(きたん)無く話すこと。おのれの心の内をただただ告白するだけ。罪の無い病状じゃ。

 三つあわせると、たった一人で眠り歩いて内心を吐露するだけ。ふふふ。おかしな男よ、余って奴は。

 さてさて、本題に入るとするか。

 いかにも、わしは隙をみせた。わずか十数人の供を連れただけで、京の寺に宿泊した。しかも武装もせず、無防備でだ。さらに配下の軍勢を北陸、関東、中国、四国方面へと分散させて、京近辺に完全なる軍事的空白を生じさせるという異常な状況下でな。

 この軍事的空白は、もはや半ば以上、わざとじゃ。

 そういえば、もしいま、誰かが謀反すれば、わしゃ絶体絶命の窮地に陥るのう、わっはっはっは!

 いいのじゃ、いいのじゃ、それでよかろうて。なぜなら、わしゃ、わざと隙を作ったのだから。これは次代を担う、次の世代の天下人を見定める関門のようなものじゃからして。

 どうしてか、だって?

 おぬしたちにわかろうか?

 わしはもう、成し遂げたからじゃ。

 半生の仇敵、本願寺と武田を滅ぼし、敵はいなくなった。

 わしはもう、わしの望みを達成したのじゃ。だからもう、この世になんの夢も希望もない。思い残すことなぞ何も無い。

 わしの時代はもうじき終わる。

 次は、光秀の時代が来るのか?

 それとも、秀吉が渇望する夢が実現するのか? はたまた、家康が構築する新時代が到来するのか?

 それは次代を継ぐ者に任せよう。勝ち残った者が天下を掴み取り、泰平の世を築けばよろしい。わしは、若い者に任せた。

 そうとも。わしは、すでにわしの願望は叶えた。天から授かった能力を存分に発揮し、一生涯の任務を果たし終えたのじゃ。だから、もうよい。もうよいのじゃ。

 ――すべてが終わった。激動の日々は、遠い想い出たちとともに、去っていく。いまは、心静かに刀を置こうぞ」

 語り終えた信長は、腰にさしていた太刀を鞘のまま、腰から抜いた。そしてその場に屈みこむと、ゆっくり、静かに地面に太刀を置いた。

 カタン、と湿った音がした。

 稀代の英雄・織田信長が、戦乱の世を脱した瞬間だ。

 本心を吐露し終えた信長は、ふらふらと夢遊病者のように立ち上がり、否、信長は夢遊病者そのものだ。ふらふらと眠り歩きながら、宿舎である本能寺内へと、ひとり戻っていく。

 その後姿は痩せ細っていた。ほんのそよ風でも転倒しそうな弱々しさが際立っていた。

 それは、あまたの修羅場をくぐり抜けるなかで心身をすり減らし、誰にも理解されぬ孤独な生涯を貫き、戦乱の世を生き抜いた、一個の初老の男の背中に過ぎなかった。

 信長は振り向いた。そして最後にひと言もらした。

「どうだね? 謎は、本能寺の変の謎は解けたかね?」

 亡霊のように透明で澄み切った信長は、静かに境内へ向き直り、音もたてずに本能寺の内へ消えた。

 異様な風が吹き、皆の身体をすり抜けた。

 ギギギギ、バタン

 門が閉まった。

 人びとは瞬時に悟った。第六天魔王にも、こころがあったのだ。

 信長も人間だったのだ。

 心ある武人は感に堪えない気持ちになり、これから本能寺を急襲し、信長の首を獲ろうとしているにもかかわらず、内心忸怩(じくじ)たる思いにかられ、ひそかに涙を流した。

 天下人はこの世にただひとりだけだ。

 たった一人だからこそ天下人なのだ。

 ゆえに誰とも思いを分かち合えず、ひたすら信長は孤独だったのだ、百万人の兵卒を付き従えようが。痛切なほどまでに心は孤立していたのだ。

 信長は、その想いを誰とも共有することは無かった。信長自身、おのれの気持ちを余人にわかってほしいとは露ほども思わなかった。

 だが真の天下人にしかわかろうはずがない痛みに、夜ごと胸をえぐられていたのだ。その過酷な歳月は、信長を他のどの人間よりも激しく消耗させていた。

 梅雨の中休みとはいえ、年間を通じて最も蒸し暑い六月頭。

だが、なぜか心寂しい冷風が、京の町なかを通りすぎていった。

 本能寺の変勃発の直前。最後の最後に、信長は自ら人びとの前に現れ、生まれて初めて心のうちを吐露し、そして幽鬼のごとく去っていった。

「歴史の闇は、晴れたかの?」

 痩せた背中は、われわれに、優しい声で問いかけているように思われた。

 織田信長は自ら、『信長燃え尽き説』を唱え、天正十年六月二日、本能寺の灰燼と帰した。享年四十九。

 本能寺の伽藍は、遺体とともに燃え尽きた。

 こうして乱世随一の英傑は命を絶った。その事績を後世の我々は知ることができる。

「これだ! これが心眼だ!」

 タイムマシンは心眼と名付けられていたが、心眼によってあきらかにされた本能寺の変の真実。

 信じるか信じないかはあなた次第である。


                    《完》



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