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9 ユノ

ユノは、胸に「白銀の指揮章」の冷たい重みを感じながら、静かに療養室を後にした。

扉が閉まる直前、ナディア医師が駆け込み、血まみれのザックに治療魔術と薬を施し始める姿が見えた。


ロトの命は救われた。

ザックの忠誠も報われた。


――残るは、この戦いを終わらせることだけ。


ユノは深く息を吸い、城の廊下へと踏み出した。


城内は依然として混乱の渦中にあった。

貴族派の兵士たちが情報を遮断しようと走り回り、廊下では怒号と足音が交錯している。

だがその混乱の中で、ユノの姿は異様なほどに静かで、揺るぎなかった。


胸元の白銀の指揮章が、ランプの光を受けて鋭く輝く。

その輝きは、兵士たちにとって“本物の将軍”の象徴だった。


ユノはフィオナ直筆の署名入り命令書を掲げ、声を張った。


「フィオナ・リディアス将軍の名において、全軍に告ぐ!私が将軍権限を代行する。全兵士は直ちに持ち場を整え、私の指示に従え!」


その声は、影武者のものではなかった。

堂々とした将軍の声だった。


兵士たちは一瞬戸惑ったが、指揮章と署名を見た瞬間、膝をつき、敬礼した。


「将軍代理に従う!」


フィオナに忠誠を誓っていた兵士たちは、迷いなくユノの側についた。

混乱していた城内の空気が、一気に統制を取り戻していく。


ユノの最初の命令は、迷いなく発せられた。


「神鋼石利権に関わる貴族、およびその関係者を――全員、緊急拘束せよ。逃がすな。」


その言葉は、城内に雷のように響いた。


兵士たちは一斉に動き出す。

廊下を駆け、扉を破り、利権に関わる貴族たちを次々と拘束していく。


この命令は、グレイブ中佐を含む利権の中心人物たちを一瞬で無力化することを意味していた。



ユノは時間を稼ぐため、軍事会議をあえて避け、王国の外交顧問を密かに呼び出した。

混乱する城内の一室で、ユノは白銀の指揮章を胸に、静かだが揺るぎない声で命じた。


「ヴァルカン帝国との秘密停戦交渉を開始して。条件は――エルムリアが神鋼石の採掘技術の一部を供与すること。ただし、それは『平和条約の担保』としてのみ提供すると伝えなさい」


外交顧問は驚愕し、息を呑んだ。

神鋼石の技術は国家最高機密。

それを交渉材料にするなど、前代未聞だった。


だがユノは迷わなかった。


ヴァルカン帝国が求めているのは「資源」であり、「血」ではない。

スラムで生きてきたユノは、理想ではなく、利害で動く世界の現実を知っていた。


「戦争を終わらせるには、綺麗事では足りない。腹を割って交渉するしかない」


外交顧問は震える手で頷き、密命を受けて部屋を去った。



しかし――ユノのこの動きは、貴族派にとって致命的だった。


神鋼石利権を独占してきた彼らにとって、

和平交渉は「金の流れが止まる」ことを意味する。


追い詰められた貴族派は、最後の反撃に出た。


拘束される直前、グレイブ中佐は血走った目で叫び、王国中に嘘の情報をばら撒いた。


「聞け!将軍フィオナは敵国と裏取引をしている!スラムの偽物が、利己的な目的で国を売り渡しているのだ!」


その声は、兵士たちの間を駆け巡り、城下町の民衆にまで瞬く間に広がった。


「将軍が裏切った?」

「偽物……?影武者だったのか?」

「和平交渉?それは降伏ではないのか?」


不安と怒りが混ざり合い、城内は一気に大混乱に陥った。


ユノの正体――影武者であること。

そして彼女の行動――和平交渉。


この二つが悪意によって結びつけられ、

ユノは一瞬にして「裏切り者」として糾弾される存在になった。


兵士たちの視線が揺れ、民衆のざわめきが城壁を震わせる。


ユノが築き始めた信頼は、たった一つの嘘で崩れ落ちようとしていた。



だが、ユノは逃げなかった。

城のバルコニーへと歩み出ると、眼下には怒号と混乱が渦巻く広場が広がっていた。

士官、兵士、そして噂を聞きつけた民衆が押し寄せ、誰もが「裏切り者」の姿を探している。


その中心に、ユノは堂々と立った。

白銀の指揮章が胸で光り、将軍の衣装が風に揺れる。


「――静粛に!」


ユノの声は、フィオナのように威厳を帯び、広場全体に響き渡った。

ざわめきが波のように引き、視線が一斉に彼女へと向けられる。


ユノは深く息を吸い、ゆっくりと仮面を外した。

その瞬間、広場は息を呑んだように静まり返る。


「私は――フィオナ将軍ではありません」


その告白は、雷鳴のように群衆を貫いた。


「私はスラムの娘、ユノ。将軍との契約により、弟の命を救うために……将軍の『影』を演じてきました」


兵士たちがざわめき、民衆が顔を見合わせる。

だがユノは一歩も退かず、真実を語り始めた。


自分が影武者であること。

そして――ロトの病が、貴族たちの神鋼石利権による毒で引き起こされたこと。


「私が売国奴ですか? それは違います!」


ユノの声は、怒りと悲しみを帯びていた。


「国民の命をゴミのように扱い、利権のために戦争を続け、スラムの民を毒で殺してきた者こそ――真の裏切り者です!」


ユノは手を振り上げた。

その合図で、兵士たちがバルコニーの上から束ねた書類を広場へ投げ落とす。


紙が舞い散り、民衆の足元に落ちる。

それは、貴族たちが神鋼石の廃棄物をスラムの地下水路に流すよう指示した命令書――動かぬ証拠だった。


兵士たちが紙を拾い、読み、顔色を変える。

民衆の間に怒りの火が広がっていく。


ユノは胸に手を当て、静かに、しかし力強く宣言した。


「私の『契約』は終わりました。でも――私は今、一人の人間として宣言します」


風が吹き、ユノの髪が揺れる。

その姿は、影ではなく、光そのものだった。


「この国には、理想だけでは築けない“命の尊厳”が必要です。私は将軍の権限を使い、貴族の利権をすべて国庫に返還させます。そして――この戦争を終わらせます!」


広場が揺れた。

怒号ではない。

歓声でもない。


ユノの告白は、広場に集まった人々の心を激しく揺さぶった。

兵士たちは互いに顔を見合わせ、やがて一人、また一人と声を上げた。


「将軍代理に従う!」

「スラムの娘でも関係ない!俺たちを救ったのはあんただ!」


その声は波紋のように広がり、やがて広場全体がユノの真実に共鳴していった。

人々は、理想の“英雄像”ではなく、泥の中から立ち上がった“本物の希望”に忠誠を誓ったのだ。



その直後、城へ急報が届いた。


――ヴァルカン帝国との停戦交渉、成功。


ユノが提案した神鋼石技術の一部供与は、戦争を終わらせるための現実的で、そして最も平和的な一手となった。

ヴァルカン側は資源を、エルムリアは平和を手に入れた。

血を流さずに終わる戦争など、誰も想像していなかった。


戦いが終わり、ユノは静かに胸元の「白銀の指揮章」を外した。

その瞬間、肩に乗っていた重圧がふっと消え、彼女は初めて心からの笑顔を見せた。


「これで……本当に終わったんだ」


その笑顔は、影の役割から解放された少女のものだった。



後日、フィオナ将軍は治療の甲斐あって回復した。

彼女はユノの前に立ち、静かに頭を下げた。


「ユノ。お前は私の理想を超えた。国を救ったのは……影ではなく、お前自身だ」


フィオナはユノの功績を正式に認め、彼女の安全と未来を保証した。

ユノは将軍の地位を退いたが、その名はすでに民衆の心に深く刻まれていた。



ユノは民衆からの圧倒的な支持を受け、王国議会は彼女に新たな役割を与えた。


「戦後復興と貧困対策の特別大使」


それは、スラムの少女として生きてきたユノだからこそ務まる役職だった。

彼女は戦争で傷ついた街を巡り、貧困に苦しむ人々の声を聞き、王国の制度そのものを変えていった。


ユノの歩く先には、いつも希望が生まれた。



ロトの病は完全に治り、ユノは弟と共に、貴族の利権に脅かされることのない、穏やかで平和な日々を歩み始めた。

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