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4 路地裏

 辺境砦での士気回復の報は、瞬く間に首都の軍上層部へと伝わった。 報告書には「兵士たちの士気、劇的に回復」「砦の防衛力、再び機能」と記されていたが、その裏にあるユノ――影武者の型破りな行動は、士官たちの間で波紋を広げていた。


「規律を逸脱している」

「兵士に媚びるなど、将軍の品格を損なう」


 彼らは不信感を募らせ、ユノの存在を危険視した。しかし、前線の士気向上という結果はあまりにも明白であり、誰も反論を押し通すことはできなかった。ユノの「影」は、功績によって徐々に確固たる影響力を持ち始めていた。


 だが、その成功を許さないかのように、ヴァルカン帝国は新たな一手を打った。大規模な部隊を編成し、補給線を断つための要衝――「錆びたさびたもん」と呼ばれる防衛線を突破する作戦を開始したのだ。


「錆びた門」は、古代の城壁の残骸を利用した要塞線であり、王国の補給路を守る最後の砦だった。そこを突破されれば、前線の兵士たちは孤立し、飢えと疲弊に追い込まれる。王国にとっては致命的な打撃となる。


 緊迫した作戦会議が、将軍の執務室で開かれた。 分厚い扉が閉ざされ、地図と戦況報告が広げられる。蝋燭の炎が揺らめき、室内には張り詰めた沈黙が漂った。


「ヴァルカン帝国軍、三万。錆びた門へ進軍中」

「補給線が断たれれば、辺境砦は持たぬ」


 士官たちの声は硬く、焦燥を隠せなかった。彼らの視線はユノへと集まる。影武者である彼女が、今や戦況を左右する決断を下さねばならない立場に立たされていた。


 ザックは黙して立ち、ユノの横顔を見つめていた。

 執務室の空気は、嵐の前の静けさのように重く、誰もが次の言葉を待っていた。



「我々の被害を最小限に抑えるためには、定石通り、全軍を三手に分け、『槌とつちときぬた』の陣形をもって敵主力を叩くべきです」


 参謀長の声は重く、会議室に響いた。代々エルムリア軍に伝わる伝統的な反攻作戦――それは「勝利を確実にする策」として、軍人たちにとっては絶対的な信頼を置かれてきたものだった。だが、その勝利の代償はあまりにも大きい。都市部の兵士や住民を巻き込み、大規模な衝突を避けられず、甚大な被害が予想される。


 ユノはその言葉を聞きながら、脳裏にスラムの光景を思い浮かべていた。雨に濡れた路地、飢えに耐える子どもたち、病に伏せる弟ロトの姿。もしこの作戦が決行されれば、彼らと同じように「明日を生きるためだけに必死な人々」が、戦場の犠牲となるだろう。


 ユノは静かに、しかし強い口調で言った。

「その作戦には反対だ」


 会議室に緊張が走った。重苦しい沈黙が広がり、士官たちは互いに視線を交わす。誰もが「将軍が伝統を否定した」という事実に驚いていた。


 参謀長は眉をひそめ、声を強めた。

「将軍、しかしこれは長年の実績がある最善の策です。槌と砧の陣形は、敵を確実に粉砕する唯一の方法なのです!」


 ユノは一歩前に出て、参謀長を見据えた。

「最善ではない。それは、多くの命を犠牲にする前提の策だ。勝利のために民を切り捨てるのは、最善ではなく最悪だ」


 士官の一人が苛立ちを隠せず声を上げた。

「しかし、犠牲は戦の常です!民の血をもって勝利を得る、それが王国の歴史ではありませんか!」


 ユノの瞳が鋭く光った。

「歴史がそうだからといって、未来もそうである必要はない。私は、兵士も民も駒として扱うつもりはない。勝利とは、命を守り抜いてこそ価値があるものだ」


 その言葉に、会議室の空気はさらに張り詰めた。伝統を重んじる士官たちの反発と、ユノの揺るぎない決意が正面からぶつかり合う。


 ザックは黙してそのやり取りを見つめていた。

(フィオナ様ならば、定石を選んだだろう。だが、この少女は…別の未来を選ぼうとしている)



 ユノは、机上に広げられた地図の上に指を走らせた。誰も注目しない都市の裏側――複雑に入り組んだ路地と、帝国軍の補給路が交差する一点。彼女の指先が止まると、会議室の空気がわずかに揺れた。


「ヴァルカン帝国の主目的は、錆びた門そのものではない。その先に広がる資源地帯だ。奴らの補給路は、ここ――『影の抜け道』と呼ばれる裏路地を通っている。我々は大規模な正面衝突は避ける」


 士官たちがざわめいた。ユノは続ける。

「精鋭の機動力ある部隊を編成し、私が知っているスラムの隠れた通路を使って帝国軍の補給部隊を奇襲する。敵の兵站を破壊すれば、主力は撤退を余儀なくされる。これは、最小限の犠牲で敵を退ける、最も迅速な方法だ」


 その言葉は、会議室に重く響いた。だが、エルムリア軍にとってそれは常識破りだった。正々堂々とした騎士道の精神を重んじる彼らにとって、裏路地を使った奇襲は「汚い戦術」に他ならない。


 貴族出身の士官たちは、激しく反対した。

「将軍!そんな卑怯な策は、フィオナ将軍の威信を汚します!」

「王国の誇り高き戦術を捨てるなど、ありえない!」

「敵を影から襲うなど、盗賊の真似事ではないか!」


 グレイブ中佐が立ち上がり、声を張り上げた。

「それは、我が王国の誇りを踏みにじる行為です!」


 ユノの瞳が燃えた。彼女は一歩前に出て、鋭い声で言い放った。

「誇り?誇りとは、なんだ?私は、生きている兵士と、怯えている民衆のために戦う。それに、この作戦は、私がスラムで盗賊や憲兵をかわすために使ってきた、最も確実な戦術だ」


 その瞬間、会議室の空気が凍りついた。将軍の仮面を被っているはずのユノが、自らの出自――スラムで生き抜いてきた過去を公言したのだ。


 士官たちは混乱し、怒りを隠せなかった。

「スラムだと…?」

「将軍がそんな場所を口にするなど…!」

「これは冒涜だ!」


 彼らの声が重なり、会議室は騒然となった。だがユノは一歩も退かず、燃える瞳で全員を見渡した。


 ユノがさらに発言しようとした、その時だった。 ザックが、今まで見せたことのないほどの激しい剣幕で、ユノの腕を掴んだ。忠実で無口な彼の突然の行動に、会議室の士官たちは一斉に息を呑み、言葉を失った。


 ザックの顔は怒りに歪み、普段の冷徹な仮面は完全に剥がれ落ちていた。彼はユノの耳元に顔を寄せ、誰も聞き取れないほど低い声で、感情を露わにして囁いた。


「勝手なことはやめろ! 貴様は将軍ではない! フィオナ様の代わりだ。将軍の威信を脅かすような真似は、契約違反だ! 弟の治療が打ち切られてもいいのか?!」


 その声は震えていた。怒りだけではない――忠誠心と恐怖が入り混じった、ザックの極限の感情だった。ユノは、腕を掴む彼の手に力がこもっているのを感じた。まるで彼女を押し潰すかのような強さ。ザックの瞳は怒りに燃え、彼がどれほどフィオナに忠実であるかを示していた。


 だがユノもまた、冷たい視線でザックを見返した。彼女の瞳には怯えはなく、鋭い決意が宿っていた。


「私はロトの命のために、ここにいる。そして、この作戦は、ロトの命を救うため、絶対に成功させなければならない作戦だ」


 ユノの声は低く、しかし揺るぎない。会議室の士官たちがざわめき、彼女の言葉に耳を傾けた。


「誰も死なせない方法を選んで、何が悪い。兵士も民も駒ではない。生きるために必死な人間だ。私はその命を守るために戦う」


 その瞬間、二人の視線がぶつかり合った。ザックの怒りと忠誠心、ユノの正義と執念。会議室の空気は張り詰め、蝋燭の炎さえ揺れるのを止めたかのようだった。


 士官たちは混乱し、誰も口を開けなかった。


 ザックは、ユノの瞳の奥にある揺るぎない覚悟と、彼女の戦術の持つ説得力に、激しく葛藤していた。 彼女の言葉は、フィオナ将軍の理念を真っ向から否定するものだった。だが、その瞳には、ロトの命を救うため、そして兵士の命を守るためならば、自らの命すら厭わない捨て身の覚悟が宿っていた。


 ザックは一瞬、力を緩め、ユノから手を放した。 士官たちが激しくユノを弾劾し、怒号が飛び交う中、ザックは無言で彼女を観察していた。


(これはフィオナ様の信念には反する…だが、机上の理論ではなく、現実を生き抜いた者の知恵だ。成功率は高い。兵士を守れる可能性がある…)


 ユノが語った「裏路地の戦術」は、盗賊や憲兵をかわしながら生き抜いたスラムの知恵そのものだった。泥臭く、騎士道からはかけ離れている。だが、現実的で確実な成功率を持つ――それをザックは直感した。


 そして彼は、静かに、だが重い声で宣言した。

「将軍の命令は絶対だ。この作戦を実行する」


 その言葉に、会議室は凍りついた。士官たちは顔を見合わせ、怒りと恐怖に震えた。忠実なザックが、フィオナの理念を裏切るような決断を下した――それは衝撃だった。


 ザックは、フィオナへの忠誠心と、ユノの戦術がもたらすであろう「結果」の狭間で、独断でユノの作戦を支持したのだ。


 *


 数時間後。 漆黒の夜の闇の中、ユノは精鋭部隊と共に砦を出発した。彼女の背には白銀のマントが翻り、兵士たちの瞳には新たな光が宿っていた。ユノはもはや、将軍の「影」ではなかった。弟への愛という動機と、スラムで培った知恵によって、自ら王国を動かす「異端の指導者」となっていた。


 作戦は成功した。 帝国軍の補給路は断たれ、兵站は壊滅。主力部隊は飢えと混乱に陥り、戦線は崩壊。ヴァルカン帝国軍は撤退を余儀なくされた。


 ユノは大勝利と共に城へ戻った。 城門前には兵士たちが整列し、歓声が響き渡った。彼女は英雄として迎えられ、兵士たちの目には感謝と尊敬が宿っていた。


 だが、士官たちの目は複雑だった。 彼らは勝利の味を知りながらも、彼女が王国の誇りと規律を破壊していくことに、深い恐怖を感じていた。


「勝利は確かに得られた…だが、これは王国の伝統ではない」

「このままでは、我らの誇りが失われる」


 士官たちの囁きは、勝利の歓声の裏で静かに広がっていた。


 ユノの影は、もはや影ではなく、王国の未来を揺るがす光となりつつあった。

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