第二話 婚約者半殺し計画!?
ユリア・フォン・シュタインが、リューデル伯爵家から縁談を持ちかけられたのは、十歳の時。
まだ幼さの残る彼女のもとに、予告もなく降って湧いた未来の話。
母は、ユリアが五歳のときに家を出たきり戻らなかった。理由は明白。貧乏に嫌気が差した。それに尽きる。
残された父は、気概ばかりで経営手腕に乏しく、家はみるみる傾いていった。
そんな父に代わって、ユリアは幼い手で侯爵家の体面を支えようと必死だった。
泥をすすってでも、家を、領地を、守らなければと。
提示された縁談。それは、転機だった。
リューデル伯爵家。近年になって急成長を遂げた成金一家。
金と権力を武器にした、新参の権勢家。そんな彼らが申し出てきたのは――
「ユリア嬢と、我が家の次男との婚約と引き換えに、莫大な融資を」
つまり、だ。
娘を売れ。爵位ごと、金で売り払え。
侯爵家の名と娘の未来を、札束で買い叩くような話だった。
嫌だった。反吐が出るほど嫌だった。
(私が領地経営を立て直すから。お願い……私と侯爵位を、売らないで)
そう言いたかった。喉まで出かかったその言葉を、ユリアは飲み込んだ。
痩せこけた父の顔が、脳裏に浮かんでしまったから。
荒れ果てた領地と、うつむいたままの領民たちが、思い出されたから。
「もう少しだけ耐えて」と言うことさえ、残酷に思えた。
だから、ユリアは決意した。
クラウス・フォン・リューデルとの婚約が決まってから、心に決めた。
彼に尽くそう。共に侯爵家を立て直そう。どれだけ冷たくされようと。
「貧乏くさい女だな」
「締まりのない体だ。地味で、女らしさもない」
どれほどの侮蔑を受けても、ユリアは耐えた。噛みしめた唇から血が滲んでも、涙を流さなかった。
「せいぜい、こういう用途にしか価値はないってことだ」
同じ魔法学校に通っているクラウスのために、幾度となくレポートを代筆した。
そして、そのレポートで、クラウスは――首席を取った。
(悔しくなかった、とは言わない)
でも、ユリアは飲み込んだ。
それが自分の役割だと信じて、黙々と、黙々と、果たし続けた。
けれど、限界はある。人の心にも、忍耐の底はある。
婚約から六年。初めて舞踏会に招かれたその日。
母が残した古びたドレスを繕って、ユリアは会場に姿を現した。
――クラウスの隣で。ようやく、人並みの婚約者として。
だが、その夜、事件は起こった。
クラウスは、別の女の手を取り――
そのまま、階段の上で、ユリアの手を――
振り払った。
会場の視線が、宙を舞ったユリアの手に、集中する。
そして彼の口から放たれたのは、言葉という名の、ナイフだった。
プツン、と。
何かが、ユリアの中で切れた。
(……こんな男に、人生を捧げるくらいなら)
そう思ったユリアが手にしたのは、シュタイン家に代々伝わる――禁術の書。
命と魂を代償にしても、人生を取り戻す。そう、決意した。
だが。
『なぁんだ!そんな話なの?くだらない男のために命とか魂とか、かけるなんて!ばっかみたい!』
現れたのは悪魔ではなく、異世界の中年女性の霊だった。
どこか間の抜けた、でも異様な迫力をまとったその霊が、目を覚ましたユリアが語った経緯を、げらげらと笑い飛ばした。
(私にとっては人生の一大事なのに……)
『ふーん、リューデル家に借金返して、婚約破棄できればいいのよね?この国、女でも爵位を継げるの?』
「……ええ、継げますけど」
『なら簡単。女侯爵になればいいの。もしくは、糞男よりマシな男を婿にすればいいだけ』
そのあまりの簡単な言い様に、ユリアは絶句するしかなかった。
『でも、まずは金稼ぎと、半殺しね。どっちも得意よ、私』
「半殺し……?」
(なんと恐ろしい。異世界では暴力が横行しているの?)
『私が生きてた頃に流行ってたドラマの名台詞でね。「半殺しだ!」って、一回言ってみたかったのよ~。どうせやるなら徹底的に!蔑んで、辱しめて、二度と舐めた真似ができないように、痛め付けて、叩き潰してやるのよ!』
霊の目が、子供のようにきらきらと輝いている。
『うちの国の有名なスポーツ漫画では、ぽっちゃりしたおじいちゃん監督がこう言うの。“人間、舐められたらそこで人生終了ですよ”ってね。――まあ、私読んでないけど』
(読んでないのかいっ!?)
ユリアの心の中で、ツッコミが炸裂した。
『きゃー!明日から楽しみね!!』
ハイテンションな幽霊に振り回されて、ユリアは生気を吸い取られたかのように、ぐったりとうなだれた。
(この人……本当に悪魔じゃないの?)
こうして――
ユリア・フォン・シュタインと、おばちゃん幽霊による。
クラウス「半殺し計画」が始動した。