あとで調べておかなくちゃ
人は疑問に思わないことはわざわざ調べない
車に轢かれたら危険なことがわかっていれば
車に轢かれたらどうなるか、を、いちいち調べないように
ヴァーチャル=仮想が誤訳であること、
イナバウアーという技法について、
みんな調べる気がない
だって“そういうことになっている”から
なんでLGBとTが一緒なのか
知りたくもないし知る気もないし
知った気になっている
疑問を抱いているくせに
手繋ぎゴールも、光宙くんも
どれもこれも実在しない、ソースがない
にもかかわらず僕らは思い込んで信じ込んで
調べてみる、という発想自体が生まれない
円周率は3、と、誰もが疑問に思うのに
その割には疑問を解消する気はない
“どれが疑問か”がめちゃくちゃになっている
求めているのは“自分が気持ちいいかどうか”
ちょっと調べればすぐにわかる
“ちょっと調べる”という発想自体がそもそも生まれない
これは仕方のないことなのだろうか
これは人間の限界なのだろうか
“学校じゃ教えてくれない真実”とか
“テレビ、新聞が報じない真相”とか
“教科書に書いてあることだけじゃわからない”とか
“プロの技術ではなく心を込めて歌いました”とか
………
手っ取り早く効率的に真理に到達したい
地味に地道にコツコツ勉強なんて面倒臭い
そんな気持ちもわからなくはないけれど
まずは基礎知識を学ぶ力を
要は探究心を持たなくちゃ
だから、俺はとにかく求めるぞ
そう、真実に辿り着きたいから
俺はかなり長いこと
配達って住所が書かれてれば名前はどうでもいいと思ってた
誰に何を言われたわけでもないのに勝手に信じ込んじゃうことってありません?
そして世界はそういう風にできている
ちょっと調べればすぐわかる、は、
調べない限りわからない、ということ
俺も絶対の絶対に何かを“信じちゃってる”
彼にとっては自明の理が
俺には、調べる、という発想自体が浮かばない
少なくとも、今は