1 僕の姿
一体いつからだろう。
朝から晩までずっと彼女のことを想像してしまう。1日2日とかの話ではない。学校の中だけでの話でもない。ここ1年、買い物に出かけた時でも遊びに行ったときでも彼女のことを探してしまったり。彼女に似たキャラクターを推してしまったり。挙句には無意識で彼女を横目で追ってしまう。
心が彼女に奪われてるような気持ちだ。
「…ねぇ…き…る?」
あぁ、いっそ付き合えたらこれ以上幸せなことはないだろう。つっかえてるようなこの不安が晴れて、彼女が愛情をくれる相手になっているはずだ。
なんで彼女のことをこんなにも思うのかって?それは彼女が僕の恋愛対象の人だからだ。
「…ねぇ、起きてるでしょ?」
「ふぃ、」
気持ちの悪い妄想の時間は思わぬ形で壊れてしまった。まさか彼女に寝たフリがバレていたとは思わず、つい変な声を出してしまった。幻滅されてないかな、大丈夫かな。
「今の声…何なの面白すぎ」
終わった。
彼女は肩震わせるだけで声は出さず、授業の迷惑にならないように笑ってる。
絶対ドン引きされたに違いない。
彼女の笑いが収まるともう一度僕に目を合わせ、囁くような微かな細い声で話し出す。
「授業中に寝てたら成績下がるから気をつけなよ?」
彼女はいつも僕の方を見る時は笑顔だ。こんな彼女なのだから「彼氏のひとりでもいるのかな」なんて思ったりする「ん?彼氏なんていないよ、こんなオタクな私に彼氏出来るわけないじゃん」
「そうなんだ…できるといいね、、、って、え?浅野さんもしかしてエスパー?」
「んーと、中城くんは今私に対して彼氏のひとりでもいるのかって言ったよね?」
「一言も言ってないけど。」
彼女との何気ない会話が少しだけ盛り上がってとても気分がいい。
授業中という所を除けばいま世界で1番幸せ者なのは僕なのかもしれない。
「そこ!騒がしいぞ、授業中と休み時間のメリハリくらい付けれないのか」
先生の強い言葉に軽く礼をして授業に気持ちを切替える。
あの先生は嫌いだ。
歳は老いていないにもかかわらず煌めいている毛のないアタマと眉間の深いシワに不快な大声が合わさり、自分の他にも嫌いな人は多数いる。それにこの人の受け持つ理科の成績を5段階評価で5にできる人はいないとも噂されているのだとか。
「今日はここまで、漢字ノートは明日までだからな、絶対提出するんだぞ。」
水曜日の憂鬱な3時間目がクラス長の号令で終わるとともに自分の周りの空間はすぐにたくさんの男で満たされる。浅野さんと話したいのに。
浅野さんに目線を送ると何故か見ていることを知っているかのようにに気づかれる。
にやけているような顔で男子の群れを観察しているようだった。
「……ゴリラ」
「お前なんか言ったか?」
男子で最も背が低い加藤くんがガタイのよいクラス長へ挑発する。もはやこのクラスの恒例行事として扱うべきやり取りが今日も今日とて始まった。
クラス長の秋田は小太りでガタイの良い見た目をしており、誰もからゴリラだとか肉弾戦車とかの挑発をされているのである。ノリの良い明るい集団であることはいいのだが、なんとも騒がしい奴らだといつも思う。
野次馬が集まってくると自分の席の周りは人で満たされた。移動しようにも移動はできず、ただその光景を見るだけの時間が流れた。
予鈴がなる。学校で掲げられている1分前着席に洗脳されているかのようにして、集まっている人たちは慌てて自分の席に戻る。
「次の授業は?」
そんな言葉が遠くの席から聞こえる。そんな大きな言葉で話さなくても人には伝わるというのに…
「次、国語!」
同じくらいの声で陽キャに該当する人物が答える。
「近くの人に聞くといった考えはないのか」
ぼそっと愚痴がこぼれる。この愚痴は独り言。独り言は誰にも気づかれないから独り言なのである。
ただ一人に気づかれなければ独り言になっていたのだ。
「そうだよね、わかるよ中城くん。その気持ち」
浅野 未歩。彼女は人に慕われ、人を慕う。
今起きたことのようにちょっとした小さい言葉を拾いそれを話題とすることのできるコミュ強。
クラスの中心にいるような性格であるが、少しオタク気質で中心にはいない。
そんな彼女を僕は好意的に思っている。友達としてではなく恋愛対象として好きである。
考えているうちに号令が終わっていた。
「授業、始めます 今日はなんだかにぎやかそうですね。」
前回の国語の授業で論説文の単元が終了したから今回の授業はどんな内容なのだろうと胸を踊らせていた。
「今回の授業から「恋」についての内容に入っていこうとおもいます」
「恋 か」
前の席からかすかに声が聞こえる。
浅野さんも現在進行形で恋をしているのだろうか。もし恋をしているのなら誰だろう,他のクラスの陽キャとか,クラスの人気者とか,はたまたあのゴリラ委員長だろうか。
思考が加速しパンクしそうだ。
パンク(役立たず)な僕は絶対にないなと片思いを遂行する。
教科担当の山口は板書後,しばらくして大きな声を出した。
「皆さんは受験生ですが,恋をしたことがありますか?」
先生はノンデリカシーな質問を投げかけクラスがざわめき出す。
「岩渕はいま1組の「やめろって」
この雰囲気に乗っかったのか前方の彼女は振り向いて軽く笑顔を見せたあと口を動かした。
「あ、あの…中城くんは恋愛したことある?」
なんとも単純な質問だ。答えはもちろんyesである。
しかし相手が相手であり,yesとはいえない。
「な、ないかなぁ」
言葉を濁す。好きな相手に自分を偽ることになんだか罪悪感を感じてしまう。
ごめんよ、ホントの自分。
「へぇ、一回くらい彼女いたことありそうなのにね。意外」
「そんなに意外に思うんだ。残念ながら恋愛経験はないよ。」
これも嘘だ。人生で一度だけ彼女という存在がいたことがある。
あれは二年前、中学1年生の時の話だ。
ああ、あの時活き活きとしていたな。
周りの人とは違う地域から校区を越えて、今なお通うこの「市立氷丘中学校」に来た。
小学校が同じ人達でグループができていたがそんなものは3年間の中でどうにだってなる。
見知らぬ人たちの中で一目で惚れたその人が元彼女である。
彼女の名は雪元 白子
なんとも北国育ちの寒さすら感じてしまう名前だ。
付き合った季節は名前に導かれたのか冬。
冬に付き合うことの大変さをあの時の自分には知る機会はなく…
結果として自分の精神状態の悪化で別れてしまったわけだがその時の辛かった感情とかは全く記憶に残っていない。
「教科書の178ページ開いてください」
言われた通り開くと、そこには初々しい恋愛を書き連ねた詩。
なぜ3年という恋愛をしづらい時期にこんな作品を教科書に載せた、出版社。腹立たしいったらありゃしない。
「それでは読んでいきますね。雪溶けに力強く…」
うぇ、キツいぜ。己の中のかまきりりゅうじ、すてい、すてーい。
齢43の中年が初恋なんかの作品を感情を込めて読むんじゃないよ。いやぁ、キツい、キツすぎる。キツすぎて内容が入ってこないし、羞恥心が全方向から襲いかかってくる。
感情が上下に揺れてまるでジェットコースターだ。
早く終われ、終わってくれ。
空気が薄い、窓開けたい、てか早く帰りたい。
「それでは皆さんで一回通して読んでみましょう」
はいはい解散。空気を読む力ひとつないんかこの教師。
しかし立場は教師と生徒。生徒は教師の言う事を守らなければならない。
ほとんど棒読みでこの作品を読み上げる。
「ゆきどけにちからづよく…」
気が遠くに行く。人がかすれて見える。あぁ,もう自分は死ぬんだ。
ありがとう世界。前まで入っていた部活の関係者は嫌いだったけど,この世界は嫌いじゃなかった…
ん?誰かが肩を触っている。先月死んだばあちゃんか。なんだか気持ちが心から込み上げてくる。
「中城くん起きてください。授業中に寝ないでください」
死んでいるわけはなく、肩を叩いたのは山口だった。
気分が悪い。頭が回らない。
そんな自分を、嘲笑ではなくなぜか笑顔で見つめる前の席の彼女。
「…おはよう」
一言だけ残しすぐに前を向く。
気づけば授業終了一分前になっていた。
凍てつくような空気の教室は一瞬にして温められ,何事もなかったかのようにして休み時間に入る準備をしていた。国語なんてなかったかのように。
号令が終わり。給食の時間になるはずだったのだが…