表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
fantasy of day  作者: 神衣舞
2/2

後編

「落ち着きました?」


 メイアの声にほんの少しだけ頷きを返す。


「そう。

 じゃあ、行きましょう?」


 メイアと言う少女はいつでもまっすぐだった。

 己の身に起きた事を受け止め、何とかしようと一人ファルスアレンにやってきた。

 スティアロウに利用されても天性の明るさのまま逆に彼女の心を解きほぐした。

 ティアロットがどんなに血と汚濁に塗れようとも、一度信じたからと並び歩いてくれた。

 最後の、別れの時。

 スティアロウが全ての罪を償わんと立去る時。

 市民の避難を任されたメイアはたった一言だけ、いつもの笑顔に涙を零しティアに別れを告げた。


「またね」


 その言葉は実る事なく、そしてファルスアレンの歴史全てが闇に葬られた後で、『嘆きの杖』の名を己に架した少女は幻影の檻に手をかける。


「ミスカ、おるのじゃろう?」

「はい?」


 ふわり、上空から舞い降りたメイドはいつものほんわかな笑みを浮かべて「何用ですか?」と問う。

 決して涙の跡を問わず、目礼。


「ミスカを呼んでくれぃ」


 決意を込めた一言に「あら」とわざとらしい驚きを表現し


「……さすが姫様。

 お気づきですか」

 世辞にも見える一言を発する。


「……早うせぃ」


 対するは不機嫌と気恥ずかしさの入り混じる声。


「畏まりました。

 予想ではその瞬間にこの私は消えるでしょう。

 ですので先に申して起きます。

 ごきげんよう、私の大好きなお姫様」


 からんと木の人形が地面に転がる。

 その代わりとして現れた影は厚みを持ち、色をもち、そしてミスカ・クォレル、否。ミスカ・クォレル・ミルヴィアネスの姿となる。


「我々の存在は1つにして多、多にして1つ。

 流石はお嬢様。

 よくお気づきですね」

「同じ世辞はよい。

 一つとなったなれば言わんとすることはわかるじゃろう」


 泣き腫らした顔を隠そうともせず、まっすぐに見詰め、問う。


「はい。お嬢様の推測通り、この一件の犯人は《偽神》ですわぁ」


 殺した王の代わり。

 完全なる複写人形。

 人造ドッペルゲンガーこそが幻影魔法、付与魔法の粋をもって作り出した《偽神》という存在。


「もはやファルスアレンはない。

 この魔力はいずこからのものじゃ?」

「私が昔、オイタして作ったマナマテリアルですわぁ。

 うっかり存在を忘れていました」


 時々本気でとんでもない失敗をする彼女だけに、どこまで真実か計りかねるコメントを聞き流し、


「なれば、止めにいかねばの」

「はい。

 お供いたします」

「メイア」


 ティアはぽかんとやり取りを聞いていた少女に手を差し出す。


「手伝ってくれるかや?」


 顔を真っ赤にして、視線を泳がせるその姿に本当に優しい笑みが浮かぶ。

「もちろんです」と柔らかく握り締める。


「お嬢様、彼も呼びますか?」

「ふん。

 あんな役立たずはいらぬ」

「かわいそうですよ?」


 メイアが苦笑まじりに合いの手を入れると、


「あれはぬしにくれてやる」


 さらりと言い放つ言葉はメイアの理性を直撃する。


「な、なんですか、それはっ!?」

「なんじゃ」


 ティアは肩を竦めて意地悪そうに微笑む。


「この時からその気もあったのじゃな。

 まったく、あの男ときたら」


「うぅ、なんとなく怒りたいような、逃げ出したいような気分?」


 うーと、威嚇もどきの声を出しながら立ち上がったメイアは、ティアの向こう側によろよろと走ってくる青年の姿を目を細め見詰める。


「未来情報は卑怯です」


 恨みがましい視線を受け流し少女は小さく呟く。

「無敵の眷属を相手にするのじゃ。

 ハンデくらいは当然じゃろうての」




 《偽神》

 それはこの魔法都市ファルスアレンでも見破られぬよう、細心の注意を持って組上げた存在。

 その性質は擬態ではなく変質。

 そのものになってしまえば見破る意味は存在しない。

 そのために《偽神》には《全知の書》と言われる過去を解析する魔術が仕込まれている。

 王を塵と消したスティアロウは即座にこの《偽神》を玉座に配した。

 そして、この国の最後が始まる事になる。




「《偽神》は一年ほど前でしょうか、私がちょっと暴れてた時に一度使用しました」


 さらりと爆弾発言をするミスカ。


「まぁ、あの時はお嬢様が参戦しないように立ち回っていたのでご存知ないかと思いますが。

 その時、《偽神》は何回目かの戦いで損傷し、姿をくらましました」

「その後の行方は?」

「あの時は気にしませんでした。

 残念ながら《偽神》を組み立てる際に私は参加していませんでしたし、操魔魔法は魔道具に対して干渉までは可能ですが、大きな修理や変質は専門外です。

 固定化された魔力は付与魔法の領分です」


 説明を聞きながら大通りを行く。

 向かう先は神殿。

 この地で最も大きな力がある場所はそこでなくてはならない。


「私が再起動した際、あの人形を幻影魔法師に再設定しました。

 元より幻影魔法を極めありとあらゆる物────魔法ですら欺くように作られた存在ですのでその力はかなりの物でした」

「幻影は幻影じゃないんですか?」

 メイアのもっともな意見に「はい」とミスカはあっさり肯定。


「しかし、世界を欺く幻影はその上に成立する者にとって真実になってしまいます」

「なんとも壮大すぎる話じゃな」

「お嬢様が造られたんですよ?」


 流石に少し呆れた物言いに「そうじゃったな」と肩を竦める。


「つまり、今の僕達は現実と同じってことですか?」

「はい。

 けれども幻影はやはり幻影です。

 気付かれればあっさり剥げ落ちることになります」

「なるほど。

 凄いですね」


 深く感心している少年を半眼で睨み、


「メイア、ぬし、本気か?」

「ティアロット様がそれをあたしに言いますか?」


 苦笑を伴なう逆襲に「何のことじゃ」とそっぽを向く。


「え?

 ええ?」


 一人何のことかわからない様のジェルドは思いっきり無視。


「うぅ、だいたいティアロット様に悪いと思ってたんですからね?」

「む。

 メイア、ぬしも言うのぉ」


 この頃のメイアは彼の存在を知らない。


「あれはどう転んでも悪い奴になれぬからなぁ」


 二人の視線が向けられ、きょとんとする話題の中心人物。


「一体何ですか?

 二人して」

「せんなき事じゃ」

「そうですよ?」


 困り果てる姿を見て二人は堪えきれずに笑みを零す。


「このような未来もあったのかもしれぬな」

「……後悔していますか?」


 応じたのは先を行くミスカ。


「抱えきれぬほどに」


 吐き出す言葉がヤスリのように喉を削りながら、それでも弱々しくても笑みを零す。


「お嬢様が目指した道の真実を知ってもですか?」

「覚めぬなら夢でも幸せな方がよいこともある」

「では、この世界もですか?」


 この世界であれば、世界ですら誤魔化し存在する世界では最初に心配した水も食べ物も全て本物と扱われる。


「夢はもう覚めてしまったんですよね?」


 おずおずと後ろから声が入り込む。


「だから、こうして進んでるんですよね?

 それが姫様が選んだ道なのなら、僕は従います」

「……底抜けに阿呆じゃな」

「多分あたしよりも理解してないですよ。

 ジェイルさん」

「さ、さりげに馬鹿にされてますか僕!?」


 目を閉じ長い髪に表情を隠しながら嘆息。


「締まらないんですけどね」


 楽しげに笑うメイアを髪の隙間から覗き見て、わざとらしい溜息をしてみせる。


「まったくじゃ」

「そろそろ引き締めた方が宜しいかと」


 壮大にして荘厳な建築物。

 並ぶ王城と同じ規模を持つファルスアレンの要の地。


「ミスカ、あれが居る可能性は?」

「過去を正確に再現しているのであればゼロです」


 さらりと断言し


「ですが、メイアさんの『無敵』が再現されている以上、私と同じ理論で発生する可能性は多々あります」

「ぞっとせぬな」

「そうですねぇ」


 緊張を微塵も見せず微笑みのまま


「まぁ、その時はさっぱり諦めるしかないかと」


 容易く言うわと悪態を付きこちらに気付いた神官兵を見上げる。


「止まれ! この先は立ち入り禁止ぞ!」

「控えぃ!」


 神官兵の一喝を小さな体のどこから出てきたのだろう大喝が一蹴


「道を開けなさい」

「ここはガキの遊び場じゃないんだ。

 帰れ!」


 ティアはフードを取り、長く美しい銀の髪を宙に解き放つ。


「ファルスアレン第三王女、『星霜の理』。

 スティアロウ・メリル・ファルスアレンの名に措いて命じます。

 道を開けなさい!」


 市民には知られていない顔も神殿関係者には十二分に意味がある。


「ひ、姫様っ!?」

「と、とんだご無礼を!」


 慌てて畏まる二人を見、その足を進める。


「今神殿に誰か居ますか?」


 通り過ぎようとして問う。


「は。

 神官長様が」


 神官長とはつまり国王。つくづく嫌な流れだと表情を歪める。


「そう……かえ」


 決心を込めて呟き、長い階段を一歩一歩上がる。

 神殿の造りはその壮大さに反してシンプルだ。

 最奥に鎮座する『オーディアルの御霊』を中心として、いくもの建物が覆うように建て増しされてきた。

 神官位の高い者ほど奥の間に進む許可を与えられ、御霊の間に行けるのは神官長である王ただ一人。


「お嬢様、いかがなさいますか?」


 いくらティアがついていても、一般人のメイアが入れるのは第三の間まで。

 十まである扉としては余りにも遠い。


「決まっておる」

「お嬢様らしくもありません」


 さらりと言い


「ですが、それも良いでしょう」

「まぁ、なんとかなると思いますし」


 メイアの追従も気楽なものだ。


「あ、あのぉ、慎重論は?」


 おずおずと進言する少年を見詰める女性三人。


「ゴメンナサイ」


 身の程を改めてわきまえ直し、おずおずと引き下がる。


「では、行こうかの」


 一つ目の扉が開かれる。

 最も新しい扉。

 数十年前に建てられたそれはティアの祖父に当たる人物が建造させた物だ。

 敷地の問題上これが最後の神殿となる予定であり、事実そうなった。

 現世と神界を繋ぐ門は神官となった者に潜る許可が許され、中に設えた双面の祭壇は現実と虚偽の狭間という魔法を表す。


「星霜の姫、あなたがいらっしゃるのは珍しいですね」


 司祭の一人、一の間を預かる『操魔』が柔和な笑みを浮かべ歩み寄る。

 神官は常に十四人。

 無論十三系統魔法になぞらえたものであり、神官長は同時に『原理』の名を冠する。


「今は『導きの儀』の最中です。

 『陽光の姫』と『月嶺の姫』も九の間に居られます。ささ、どうぞ」


 『陽光の姫』とは第一王女サニアライト、『月嶺の姫』とは第二王女ルニトニアの事。

 天の象徴を王女に、地の象徴を王子に付けるのはファルスアレンのしきたりでもあった。


「おや、そちらの方々は?」

「意思持て舞え 魔竜の牙」


 言葉に呼応し、魔力が練り上げられる。

 神殿の奥から巡り来る力を受け神官を睨む。


「ひ、姫様、一体何を!」


 声こそ慌てているが、その手に魔力を集め


「妨害っ!」

 操魔魔法─────対魔術戦ではこの世のあらゆる魔術を凌駕するであろうアンチマジックがティアの魔法を打ち消す。


 あっさりとその構成を諦めたティアはあまり素早いとは言えない動きで神官との間合いを詰め


「ぐはぁっ!?」


 無詠唱魔術《掌破》が魔術を打ち消した油断を突き神官の胸板を打ち抜く。

 途端に男は容貌を失いからんと乾いた音を立てて地面に転がる。


「ミスカのように常に魔法防御をしておったら厄介じゃが」


 十三系統魔法の弱点は研究用魔術が故のコストの悪さと構成の手間に尽きる。

 この世界のありとあらゆる現象を表現することを目的としても、戦闘時の即断即決を求められているものではない。


「姫様、なんか今日は怖いですよ?」

「ぬしはそう余計な事ばかり言うでないわっ!」


 怒鳴りつけて先へ。


「ほれ、さっさと次の門を開けぬか」

「はいぃぃ」


 小走りに次の門の前へ。

 魔術を組み込まれた扉は許可を受けた時点で出入りが自由となる。

 準騎士であるジェルドは第五の間までの権限を持っている。

 権限さえあれば扉を開く事は可能だ。


「静粛に。

 今は────」

「やれ」

「ひっ!?

 ご、ごめんなさい!」


 声に背中を押され、その身を風として瞬く間に二人を打ち倒す。


「な、何事ですか!」

「────輝夜!」


 ジェルドがかき乱す間に組上げた魔術が一瞬にしてこの場に詰めていた十数人を炎上させる。

 木の爆ぜ割れる音を聞きながら先へ。


「あら、お嬢様。

 それはザッガリア君の魔術ですねぇ。

 いつからそれを?」

「ちょっとした事情での」

「ふえー。凄いですね。

 ティアロット様ってほっとんど魔術が使えないと思ってたんですけど」

「ぐ」

 実のところ、かつてのティアは魔術が苦手だった。

 一連の計画も神殿の誇る莫大な魔力と、代替演算能力を最大限に活用することで賄い、プレキャストや術陣を応用して効果を上げることで計画を推し進めた。

 スティアロウという少女の最大の武器はただひたすらに熱心な事。

 術を1から見直して理解し、自分が使いやすいように再構成するという奇異で気が狂いそうな行為を取り続けたからこそ出来た事であり、その副産物として恐ろしく高度な魔術解析能力を身に付けることになったのである。


「仕方なかろうが。

 そもそも魔術を学ばせてくれなかったのじゃから」


 神官は男性でなくてはならない。

 従って王位を継ぐのも当然男子となる。

 研究者を含め、魔術に携わるのは男の仕事である。

 いくら王族でも、いや王族であるからこそ、この魔術都市に居ながら独学で魔術を学んだのである。

 幸いと言うべきは手近にある多大な学術書と、お手本がそこらじゅうにあったことか。

 彼女が今更コモンマジックの習得を渋るのは自分の魔法構築との境界があやふやになりとんでもない結果になることを恐れてのことである。


「お嬢様が操魔魔術をお使いになられたら、さぞかし怖いでしょうね」

「教えてくれるのかえ?」


 さらに前へ。

 次の門を開けながら問うと


「お断りしますわぁ。

 これは私のですもの」


 微笑み広がった捕縛の魔術を反転させる。

 己が放った魔術に逆襲され眼を白黒させる神官に一瞥すらくれる事なく次の間へ。


「姫様!

 一体何をお考えなのですか!」

「何も」


 血を迸らせんばかりの問いにティアは軽く応じる。


「今は頭の中がぐちゃぐちゃでよう考えられん。

 じゃから、何も、じゃよ」

「くっ!

 ご乱心めされたか!」

「ぬしの言う通りじゃな」


 微笑、肯定。

 継ぐ言葉を失った神官は口を無意味にぱくぱくと動かす。

 次の間へ。

 次の間へ。

 あらゆる魔術をミスカが歪め、襲い来る神官をメイアとジェイルが叩き伏せる。

 残った敵はティアが確実に《魔弾》や《竜牙》で打ち倒していく。


「スティアロウ、何事ですか」

「スティアロウ」


 開いた扉の先で待ち構えるのは二人の姉の姿。


「状況は見ての通りじゃ」


 ファルスアレンにおいて遠隔地の状況を見るなど造作もない。

 国の最重要施設である神殿にはそれより前の【間】の状況を見られる設備が存在する。


「何を……するつもりですか?」


 ルニトニアの震える声に視線を向ける。物静かで臆病ながら、真摯で誠実。

 幼い頃は母親よりもこの下姉に懐いていた。


「スティアロウ。

 これは我侭では済まされませんよ?」


 同じく優しく淑やかなサニアライトだが、道理の通らないことに対しての厳しさを有する女性である。


「何か不満があるのなら、お父様に言えなくとも、私やルニトニアに相談してくれれば良いのです。

 それなのに、貴女は……」

「……まったくその通りじゃ」


 凛々しさを欠いて悲しげに、諭すように掛けられた言葉に頷きを返す。


「そうしておれば、上姉様を悲しませることもなかったのじゃろうな」

「……スティアロウ?」


 自分が窘めた言葉の更に向こう側を見て同意を返す妹の瞳はまるで老人のように深い。


「スティアロウ……私も一緒に謝ってあげるから。

 ね?」


 ゆっくりと間に入って、それからティアの方へ近付こうとする下姉を押し留める。


「スティアロウ……?」


 スティアロウがティアロットとしての活動を始めた頃から、ティアはなるべく家族と会話をしないように努めていた。

 そんな中でも唯一拒絶できない存在がルニトニアという姉の存在だ。


「あなたは本当に、スティアロウ?」


 色素の殆どない銀の瞳が真摯に見詰める。何よりもこの下姉を評価していたのは物事を見抜く才能他ならない。


「貴女の知るスティアロウではありません」


 そんな姉に、今更隠し立てする理由も、意味もない。

 そして何よりこの説明自体が時隔てて意味を為さない。


「……そう」

「今はティアロットと名乗っています」

「……」


 おずおずともう一歩を踏み出し、膝をついてティアの頬に手を伸ばす。


「いろいろ、あったようですね」

「……はい」

「ですが、『嘆きの杖』などという名を背負い、己を追い込んではいけません。

 スティアロウ。貴女は星の名を与えられました。

 私とサニアライトお姉様のような明暗一対でなく、多にして『全』。

 故にそれ1つとして万物の法となる名を与えられました」

「……」

「満天に星数多なれば、随星の如く共に歩む者が居るのです。

 嘆きに星を落とす名を何故背負ったかまでは知りません。

 けれども、その意味をもう一度改めてくれることを私は願います」

「ルニトニアお姉様……」


 ルニトニアはぎゅっとティアを一度抱き締めると、立ち上がりサニアライトにどこか儚げな微笑を浮かべ


「サニアライトお姉様。

 私からも御願いします。

 道を開けてください」

「……ルニトニア……貴女まで」


 困惑を含み、逡巡。

 緊張を含む空気が静寂を基調とする神殿で耳鳴りすらも引き起こす。

 それを破ったのはサニアライト。

 耐えかねたような吐息をもって困ったような笑みを浮かべる。


「私もお父様には一緒にしかられてあげましょう」

「……ありがとうございます」


 体が奮えて上手く一歩めが踏み出せない。

 このままへたり込んでしまいたい衝動と戦いながら、足に力を入れようとして、失敗する。


「姫様、行きましょう?」


 左手を握るのは騎士としてはあまりにも柔らかいそれでもしっかりとした男の手。


「そうだよ。

 さ、ばーんと行きましょう」


 右手を握るのは農作業で、そして最近になって剣を持つようになり不ぞろいな豆のある手。


「ミスカ、やってくれい」

「畏まりました」


 こつんと一歩大理石の床を踏む音が響き、


「干渉」


 魔術は全て彼女の前に平伏す。

 その力の前に、やはり屈服した最奥の間への扉がゆっくりと開いた。

 幻想の終わりへと導くために。




 ティアは一度だけこの場所に来た事がある。

 それはそう、父親を殺す時。

 この場に入ることが出来るのは王ただ一人。

 つまりこの場所がすり替えるのに最も適した場所であった。

 あまりの密度に立ち昇る光とも見えたあの神々しいまでの姿。

 それは、もはやこの場所にはない。




 一人の男が立っていた。

 堂々とした風格と厳粛なる面持ち。

 質素に見えて壮麗な神官衣は男の存在感を存分に引き出している。

 ファルスアレン最後の王は、まるで待ちかねたように、そして全ての事に無関心のように禁忌の間に至った者たちを睥睨する。


「父上。

 否……わしが造りたもうゴーレム《偽神》よ」


 びくんと、王の方眉が跳ねた。


「主の声にて命ず。その姿を解き放て」


 刹那、そこに立つのは金属の人形ただ一つ。

 魔法銀で作られたそれは錆びず、頑強かつ魔法をよく通し、そして見た目に似合わず軽い。

 身代わり人形としては最適の素材といえようか。

 ただし、わき腹に当たる部分に大きな欠損が見られ、内部に仕込んだ呪が崩れている事が見て取れる。


「おひさしぶりです。

 主」


 中性的な声が何所からともなく発せられる。

 体を震動させて発する音は如何なるものも再現する。


「問おう。

 これは誰の仕業じゃ」

「回答不能です」


 人形はそうはっきりと言うと「術式に異常あり、制御不能です」と付け加える。


「……暴走かえ」

「肯定。

 マナマテリアルに接触したことで強制的に呪が起動したと推測します」


 僅かに濁りがある音。

 ぴしりと何かが小さく爆ぜる音がした。

 背後に控える巨大な宝石が破片を撒き散らす。


「随分と小さくなりましたね」


 中に空洞を掘れば大人30人くらいは詰め込めそうな大きさの魔法石に対しメイドの少女はどこか勿体ないと言わんばかりに呟く。


「損害状況は?」

「機能停止まで約一万カウントです」


 淡々とした返事を換算する。

 つまりあと3時間足らず。


「そうかえ」


 中途半端な時間だと思う。

 すぐ後ろには半分くらいししか状況を理解していない二人がいて、背にする扉の向こうでは二人の姉がこちらを窺っているのだろう。

 町では人々が営みを続け、ファルスアレンの名のままの日々を再現している。


「生殺しですねー」


 本当に理解しているのかわからない口調でメイアはティアに後ろから抱きつき


「あたし、こういうの苦手なんです。

 だから、すぱっと終らせませんか?

 ね?

 ジェイルさん」

「う、え?

 あ……?」


 最後まで情けない騎士見習に苦笑。


「それにティアロット様」

「言うな。

 わこうておる」


 この世界は余りにも甘美な猛毒だから


「ミスカ、やってくれぃ」


 確認はいまさらしない。

 一つ頷くと鎮座するマナマテリアルに触れる。

 その姿を無言で見詰めながら、ふと、ティアは《偽神》を見る。


「のぅ」

「何でしょうか、主」

「こやつらはわしの願望かえ?」


 ミスカが立ち止まりこちらを見る。


「いいえ、私の本来の機能の通り、これは完全な過去の再現です」

「…… そうかえ」


 振り返り見上げたメイアが、ジェルドが自然に微笑んでいる。


「そんな事疑ってたんだ」

「流石に酷いです。

 僕なんて必ず姫様にお仕えしてるじゃないですか。

 僕以外の人だったら姫様の我儘なんて聞いてくれませんよ?」

「言いおるな、ジェルドごときが」


 無理にでも笑い、睨むと少年は少し怯えたように、けれども笑う。


「あたしはティアロット様と、ジェルドさんと会えたことだけはこの呪いに感謝しています」

「主にジェルドかえ?」


 しれっと問うと赤の絵の具をぶちまけたように顔を真っ赤にして


「ひ、人がかっこよく纏めようとしたときにっ!

 ティアロット様なんて大ッ嫌いですっ!」

「そのような事を言わぬでくれぃ」


 この言葉が過去に届けばいいという願いは余りにもムシの良い話だろうと思いながらその手を握る。


「今でもわしの一番大切な人はぬしらじゃからの」

「んー」


 姫様、と感動しているジェイルはさておき、メイアは何故か思案げに眉根を寄せると


「ほんとーに一番ですか?」


 耳元に囁かれた言葉は理性の制御をあっさりと粉砕して少女の体をぎくりと震わせる。


「な、な、」

「お返しの積もりだったんですけど、図星なんですねー。

 女の友情って脆いものです」


 口元を綻ばせながら泣きまねをするメイア。


「ぬ、ぬしわぁっ!」

「おあいこじゃないですか!」


 二人してにらみ合い、どちらともなく吹きだす。


「ティアロット様って結構お茶目だったんですね。

 ああ、知ってたら今からすっごく可愛がってあげますのに!」


 自覚はないものの、そう言う気にさせなくて良かったと苦笑しながら


「じゃあ、ティアロット様。

 お体には充分気をつけて」


 とても軽く、別れの挨拶を告げる。

 それは遠いところから届いた手紙と同じで、けれども返事は永遠に届かない。


「…… おぅ」


 だから、返す言葉はどこにもない。


「姫様は意地を張らないととてもいい人なんですから。

 僕が居なくても皆が助けてくれると思います」


 とりあえず最後の最後まで締まらない男を思いっきり殴り飛ばしミスカに向き直ると


「やってくれぃ」


 軽く告げる。

 変化は一瞬。

 からんと木の転がる音が響き渡るそこは忘れられた遺跡の上。

 アイリンから程近く、研究され尽くされたが故に忘れ去られた遺跡の中。

 砕けたマナマテリアルが紫の雪を積もらせ、霧のように消えていく。

 大量の木の人形がそこら中に転がり、その全てを統べた亡骸は全ての機能を失い鎮座する。


「終りました」

「ご苦労じゃ」


 何時の間に見つけ出してきたのか、レーヴァティンを差し出して「お送りいたしましょうか?」と問い掛ける。


「うむ。じゃが、先に後始末をせねばの」


 ゆっくりと視線を巡らせる。

 何のかかわりもない。

 ただミスカがこのマナマテリアルの隠し場所として選んでいたというだけの遺跡。

 ここにかつての幻影など何所にもあるはずがない。

 体内の魔力の流れを感じ、杖の確かな手応えを感じる。

 深く、深く息を吸い、そして謳うように大気を震わせる。

 もし、あの幻想の日々に、あの三人で居る事に満足していれば、自分はどんな一生を過ごしたのだろう。

 膨大な魔力を統べながら脳裏に描く光景がある。

 もし、彼が現れなければ自分はジェルドを伴侶としていたのだろうか。

 幼き魔女の小さな体が魔力の濁流をねじ伏せていく。


「────────」


 激流が整えられた水路を走る。その流れが意味を為し、世界を屈服させる。

 黄金色の雪が降る。

 魔王の技。ティアはその術にこう名付けていた。


「─────輝夜」


 雪が熱となる。

 それは恐ろしく正確に木の人形だけを焼いていく。

 カグヤと名付けられたその魔族魔術の熱に髪を躍らせ、少女は差し出された手をとる。


「操魔魔術 模倣 物理魔法 跳躍」


 涼やかな声がすべてを遠い場所に連れて行く。




 その場所はアイリンの一角。そこそこに広い敷地には見覚えがあった。


「アイシアの家かえ」


 着地するなり言い当てた少女に正解と頷き


「一応家主はクーアニック様ということになっていますけど」


 と応じる。

 事実上ミルヴィアネス公が用意した建物なだけに当の本人は主張を拒否するだろう事を笑いながら言う。


「あやつも自分の事には節制を貫くに。

 親ばかじゃのぉ」

「みな大切な人が居るということです」


 微笑み語る言葉は苦しいくらいに優しい。


「お嬢様、随分と長い時間あちらに居られたようですし、お食事でもどうですか?」

「……むぅ。さしものわしでも新婚の家に邪魔するほど無粋でないぞぃ?」

「大丈夫ですよ。

 二人暮しですらないですし」

「……あやつめ、ミスカだけでなかったのかえ」

「ざっと5人ですね」


 家事が大好きなアイシアからすれば不要な人数に違いなく、実家がかなりの商人とは言え、質素な下級仕官暮らしに慣れているクーアニックにはたまったものではないだろう。


「では、言葉に甘えるとするかの」

「はい」


 メイドは微笑みゆっくりと先を行く。

 現実の喧騒を遠く聞きながら、未来に残された少女は空を見る。

 自身がどれほど愛されていたかを心に刻みながら。

 愛してくれた彼らが、自分に何を望んでいるのかを考えながら。

 幼き身故に、そして運命ゆえに長き時を有する少女は、春めいた風に髪を躍らせ、杖を手にゆるり今を歩いていく。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ