前編
それはありし日の話。
遠い昔の幻想。
今と昔を隔てる壁は何よりもその意味を変質させる。
気が付けば、そこは豪奢なベッドの上だった。
見上げれば天蓋。シルクのカーテンが薄く視界を阻害する。
いつもの光景。
眠い眼を擦り、それでも動き出す体。
ゆるりと脳が動き始め、的確に今日と昨日の事を浮かび上がらせる。
そうして、時の隔たりが音を立てる。
「なっ!?」
跳ね起きた少女は、自分の体格なら6人は楽に眠れるベッドの上を転がるように移動し、かなぐり捨てるような乱暴さでカーテンを押しのける。
趣味のよい調度品が目に付く。
若草色の絨毯は足首が隠れるほど深く、新品のように美しい。
壁の模様も淡い模様が描かれ、大きすぎるほどの鏡台が視界に止まる。
この部屋を彼女はとてもよく知っていた。
「お目覚めですか?」
控えていたメイドが恭しく問い掛けてくる。
「……ミスカ、これは何事じゃ!」
問いを受けたメイドは少しだけ幼顔を驚きに変えると、
「何か、ご不満でもありましたでしょうか?」
と自分の行為を思い出すように問い返してくる。
「下らぬ遊びはよい。何事か、説明せぃ!」
「姫様、いかがなさいました?
失礼ですが、言葉遣いがおかしゅうございます」
理解できず困惑しているミスカを睨むのをやめ、改めて周囲を見渡す。
「我が望まぬは こに在るを認めず 消えよ 解呪」
放った魔術は何にも影響を及ぼさないように見えたが、不意にもぞりと懐で蠢くものがあった。
「わ、ひゃ!?」
「ひ、姫様!?」
怪訝そうに見守っていたミスカが妙な声を挙げて暴れ始めた少女に慌てて駆け寄る。
「どうなさったんですか!? って、わ!」
ぽんと飛び出したのは緑色の透明饅頭。
「スラ?」
「な、なんでこんなところに!? 研究所から逃げ出したんですか!?」
慌てて捕まえようとするミスカを手で制し、その一瞬の戸惑いの間にG-スラことグリーンスライムは少女の頭に載る。
「姫様、危険です!」
「よい。しかし、これではっきりしたの……」
見覚えのある部屋を痛みを堪えるような視線でもう一度見回し暫し黙考。
「ミスカ」
「……はい?」
「とりあえず全部知っておる。
とりあえず魔族としてのぬしの意見が聞きたい」
「なんのことでしょうか?」
いきなり奇妙なことを言い始めた主人にどう対応すればいいのか。
困った顔のままのミスカを睨むと、
「ぬしが不死概念であることも、あれが無敵概念であることも承知の上じゃ。
時間遡行などあの時代では考える方が馬鹿馬鹿しい。
ついでにスラまでここにおる。
……ミスカ、ぬし操魔魔術は使えるかえ?」
きょとんとしていたメイドは静かに目を閉じると、
「……使えます。
姫様、あなたは私の知る姫様ではないようですね」
どこか苛めがいのありそうな気弱なメイドが知性の光を瞳に宿す。
「うむ。状況把握がしたい。
まず、ぬしは現実かえ?」
「逞しくなられましたね」
とりあえず夜着から着替えたスティアロウ────ティアロットは部屋の椅子に深々と腰掛け、相対するミスカを見る。
「どうやら私は魔法のようです。
まぁ、元から魔法みたいな存在なのはもうご存知なのですよね?」
「うむ」
そうですか、と応じ紅茶を口に運ぶ。
「……ああ、そうですね」
カップに手をつけぬティアを見て苦笑。
「もしもこれが幻覚なら、姫様は何を口にするかわかったものでないということですからね」
「夢、であればよいのじゃがな」
鷹揚に頷き苦笑。
「ですが、着替えてよかったのですか?
その衣服ですら本物かわからないかと」
「……まぁ、そうじゃがな。
少なくともミスカ。ぬしはわしが着替えたと認識しておるのじゃよな?」
「……ああ、そういうことですか」
納得してカップを置くと窓から外を眺める。
整然と並ぶ家屋。規則正しく並ぶ塔。
少なくとも窓から見える風景は彼女の知るものと細分変わりない。
「それにしても詳細じゃな」
「可能性としては姫様の記憶を閲覧しているということも」
「ふむ。
ファルスアレンの事を知っておる者というよりは、ありえるがの」
それを考えての《解呪》だったが、効果範囲は服の中に潜り込んだスライム一匹までだった。
「ミスカ。
ぬしの魔術でなんとかならぬか?」
「どうでしょうか。
幻術と仮定して、私がその一片であれば、私の力もその枠を壊す事はできないかと。」
「道理じゃな。
……しかし目的がわからぬ」
ティアを害するつもりならこのような回りくどい事はしないだろう。
何か別の目的があったとしても、ファルスアレンを再構成する意味が知れない。
「そうですね。
ありえるとすれば、姫様の記憶を参照したいか、それとも姫様事態の調査をしたいがための足止めか」
「ふん。
このファルスアレンであるならともかく、現世にて十三系統魔術は無意味じゃろうて。」
「…… ああ、神殿がないのですか?」
「話が早いの……。
わしの記憶を参照しておるから意識が繋がっておるということかのぉ?」
「その可能性は否定できませんが。
よくよく考えますと、姫様が知覚していないはずのお生まれになった頃の記憶も私にはありますが」
「ふむ」
『醜き魔女』と国民から認識されていたティアはその実、女として生まれてきた不遇を受け入れることを拒み、男のすべき学問に習熟しようと躍起になっていた。
なにもできず、ただ男の付属品として扱われるのを受け入れられなかったのだ。
そんな彼女が幼い頃どうだったとかそんな話を好んで聞いた覚えはない。
「夢などで覚えていない事を思い出すこともありますから、可能性がないわけではないでしょうけど」
「ふむ。
ぬしが本物である可能性は?」
「どんな強力な魔術でも、魔術である以上私がその影響下に落ちる事はまずないと思います。
あるとすれば原理魔法くらいでしょうか」
柔らかく言う言葉に澱みはない。
「では、この状況を作り出す可能性のある術は?」
「幻想魔法、創造魔法、空間魔法でしょうか。
先ほど仰られた通り、時間魔法はあまりにも強大な魔力を必要とします。
神殿の影響下でないならば実行は事実上不可能と想定します」
時間を戻すということは「あった事をなかった事にする」ということだ。
三千世界の連なる中でそれを行使するのは世界創造に匹敵する。
故に、ファルスアレンでも時間魔法は一番研究が遅れている魔術体系であり、一番有望視されている技術でもあった。
「擬似的な時間逆行。
つまり情報だけを戻し、それにあわせて創造する。
空間魔法と、創造魔法のコラボレーションですが、これもよほどのことがない限り神殿の影響外での行使は難しいでしょう」
「……魔族が使ってもかえ?」
「魔族、つまり外なる者とその眷属に関してはなんとも言えません。
私の不死のように、この世界の物理法則を越える個体を否定できませんから」
「……心当たりがあるのがまずイヤじゃな」
最近やけに魔族関係に手を出しているティアは重く息をつく。
「じゃが、わしから何を引きずり出す?
十三系統魔法など実践魔術としては下の下じゃし」
「そうですね。
ですが、原理魔法であれば話は違いますわぁ」
存在を失った街ファルスアレンで二百年余り研究され続けてきた『世界を作る魔法』。
世界を作り上げるために世界の全てを解析せんとする階段こそが十三系統魔法。
「それに、十三系統魔法も実践的な魔術は存在します。
操魔魔術が代表的ですね。
対魔術としては最高を自負します」
世界を誤魔化す奇蹟そのものを解析した魔法体系は相手の魔術を利用して行使されるため、消費も少ない。
しかしファルスアレンではあまり重要視されておらず、基礎理論だけが『魔法を使った世界構築』のための道具として使われていた。
「まぁ、魔法でない物に対して一切何も出来ないのも特徴ですけど」
ふむ、とティアは過去の記憶を呼び出す。
真っ先に思い浮かぶ事に少しだけ表情を歪め、それを振り払って『日常』を導き出す。
「結果がどうなっているか私にはわかりませんが、姫様は唯一原理魔法が扱える方のはずです」
狙い済ましたような一言が胸を抉る。
「そうですか。
ならば原理魔法という線は薄いですね」
ミスカはあっさり断定して目を伏せると、「利益を基準に考えることが間違いかもしれません」と呟く。
「この世界にある物は、姫様にとって幻想どころか下手をすれば砂や石を噛み砕くことになりかねません。
食事が出来ない以上、早々に原因を究明すべきでしょう」
「……そうじゃな」
食事はまだしも水分補給ができないのはぞんざい馬鹿に出来ない。
「ベッドといい、ソファーといい、触感は本物じゃがの」
ティアは呟き、窓の外を眺める。
ファルスアレンはアイリンの四半分ほどしかない街で、同時に国である。
人口は約4万人。
街の中央にある『神殿』とその傍らにある王城。
それを取り囲むのは魔術の研究施設だ。
このファルスアレンのステータスはまさしく魔力と魔術技量。
それ以外にも記録や単純な計算など求められる才能はあるが、まずはそこに集約する。
そして街の外を取り囲む壁の向こうに農園が広がっている。
魔術の才能に恵まれなかった者は街の外縁や外で生産業に従事することとなっていた。
しかし、そこに優越感こそあれ差別の風潮はなく、この国で主神とされたオーディアルの教えもあって穏やかに健やかに人々は日々を重ねていた。
もし、この国がこのまま400年の歴史を経て現代に残っていたのであれば、中央大陸の地図は大きく変容していたに違いない。
「あら、スティアロウ」
王城の回廊。
呼び止める声にティアは小さな肩をぎくりと震えさせる。
「珍しいわね。貴女がそんな格好をしているなんて」
柔らかく誰もが聞き惚れる声。
慈悲深く暖かい物腰の女性に胸の痛みを押し込みながら振り返る。
「上姉様……」
ファルスアレン王家の三姉妹。
その長女たるサニアライトは黄金で造ったような髪をゆるり風に揺らせて妹に歩み寄る。
「今日は機嫌がいいのかしら?」
穏やかな微笑み。
文句の付け所のないスタイルを決して派手とは言えないシンプルなドレスで包むその姿は同じ女性のティアでも絶句せざるを得ない。
『陽の神宝』とも謳われる美女は決してティアを見下ろさない場所で立ち止まる。
「今から食事の時間ですよ。
たまには皆でいただきませんか?」
泣く子もこの女性の前では理由も忘れて微笑むだろう。
しかし、
「……よい……」
ではなかったと、思い直し、
「結構です、上姉様。
食欲がありませんので」
「そうですか……」
普段が眩しいくらいに明るく穏やかなため、悲しげな表情との落差は胸が痛くなるほどだ。
しかし、ティアはそれよりも酷い、この姉の姿からは想像もできないほどボロボロにやつれた姿を知っている。
「顔を出すだけでも皆喜びますのに」
「……また機会があれば」
その機会が永遠に訪れない事を知りながら、ティアは視線を逸らし言う。
「……あとで何か運んでもらいます。
よろしければあとで私の部屋にいらっしゃい」
それに応じる言葉もなくティアは早足に立去る。
無駄に長い廊下を俯きただひたすらに歩く。
そうして気が付けば蹲っていた。
胸の奥が耐えられないほどの激痛を発し、瞳の奥の熱を押さえ込む。
「くっ……ふっ……」
モノクロの光景がフラッシュバックする。
悲嘆に明け暮れ、やせ細った姉の姿。
死体に縋りつき涙する姿。
それを冷淡に見詰めていた自分。
「かっ……」
今すぐ駆け出したい、謝りたい衝動を奥歯が砕けるかとばかりに食いしばって耐える。
これが虚像、どんな形であれ現実ではない。
その謝罪の言葉は400年の時を越える事もなければ、過去をなくす事もできない。
ファルスアレンでの女性の仕事は完全に裏方に属する。
早く結婚し、子を成すことが美徳とされ、慎ましく男性を立てることが当然であった。
サニアライトも当然のように隣国の王子と婚姻が決まっていた。
それも3歳にも満たない頃からだ。
誰も疑問を持たないことにティア────スティアロウは怒りにも似た不快感を抱いていた。
その時はそれが正しい事だと思っていた。
隣国との関係が急激に悪化し、なし崩しに戦争へと突入した日。
撃ち放った魔術が王子もろとも戦場を地獄に変貌させる、その日までは。
敵軍全てを飲み込み荒れ狂った疾風の刃は等しく五体を引き裂く。
無残という言葉が逃げ出すほどの惨状。
その光景に心壊した姉の姿を見るまでは────
上姉様! お喜びください。
あなたは自由です。
……
……
「姫様、気分が優れないのですか?」
不意に掛けられた声に息を詰まらせる。
幼さが残る男の声。
動きに合わせて軽装鎧が音を立てる。
「姫様?
また何か企んでるんですか?」
すっと涙が引くのがわかった。
生まれた感情に逆らわず、予想通りの位置にある頭に拳骨をくれる。
「った!
な、何するんですか!」
年の頃は15,6か。
凛々しいにはまだ遠く及ばないがそれなりに整った顔立ちの少年が頭を抑えて非難する。
「五月蝿いわ、ジェルドめが!
さしも第一声がそれとはおもわなんだ!!」
「な、ボクは何も悪い事言ってませんよ!?」
と慌てて弁明したところで彼はふと気付いたように、
「……泣いていらっしゃったんですか?」
「やかましいわ!
その妙なところだけ敏いくせに、無神経にずかずか聞いてくるのをやめいと言うておろうが!」
「い、言われましたっけ?
そんな事……」
相変わらずの気弱さで一歩引く準騎士を見て舌打ち。
「そういえば言った事はなかったの」と苦笑。
「……あ、あの、姫様?」
「なんじゃ?」
「い、いえ、いつもの格好をせずにその口調はまずくないですか?」
言われてつい口を噤む。
王城でのスティアロウは老人のような口調を用いない。
それはフードを被り街をうろつくティアロットの口調。
「あ、あなたに言われなくてもわかってるわよ!」
「……」
「何よ?」
「いえ、姫様、今日はどうしたのですか?」
問いに一つの確信を持ちながら、なんとも言えない感情を必死に表情から追い出す。
「……なんでもないわ」
「そうですか?
そろそろメイアとの約束の時間なので御呼びしようと思っていたのですけど」
「え?」
ずぐり、とまた一つ胸が抉られる音が脳裏に響く。
同時に思い浮かぶは赤い宝石。
彼方の声を残した言葉が、あの最後まで自分を案じる言葉が痛い。
「姫……様?」
「行くのでしょう?
早くしなさい!」
「い、いえ、フードは宜しいのですか?」
う、と出鼻を挫かれ少年を睨みつける。
当たり前のように少年はごめんなさいと何度も謝り、おずおずとこちらを見る。
年も、身長も上で、正騎士ではないにせよ、大人の世界に片足を入れている少年は、そうありながらもティアのために尽くしてくれていた。
この世界は……
ティアは言葉にできぬ思いを胸中に吐き出す。
「この世界は、優しくて、残酷じゃな」
このまま幻想に飲み込まれ、溺れてしまいたくなる衝動に心を削りながら、彼女は自室への道を行く。
ジェルド・メフィアル・クーエルガ。
王城守護騎士団見習の少年はその身分を受ける前からスティアロウの護衛であり、側近であった。
彼の両親はファルスアレンでも名高い賢者であり、難易度の空間魔法と創造魔法のエキスパートであった。
その結果からか、生まれながらにしてあり余る魔力を有し生まれてきた彼は実質スティアロウの婚約者という立場だった。
しかしスティアロウが自立心を強く持ち始めると二人の関係は明確に仕従の想定を明確にしていた。
魔力こそ膨大だが、制御に全くの才能を見せない彼のコンプレックスが自然とそうさせていた。
心の未発達な子供達はジェルドを指差しこう言った。
お守りをされる逆騎士ジェルドと。
「あ、ティアロット様、おはようございます」
ファルスアレンの一角、老朽化で廃棄された建物が彼女らの集会場だった。
そこで待っていたのは活発そうな少女。
「様はいいわよ」
「あれ? ティアロット様、話し方がいつもと違いますね」
またも口篭もり、「き、気にするでない」と無理に突っぱねる。
懐かしい声が、「そうですか?」と柔らかく、そしてゆっくりと納得の意を示す。
魔王に魅入られた娘メイア。
当初あの魔王は彼女を気に入っていた。
それを思い出し、思い出を静かに苦く嚥下する。
「して、今日はなんぞ話すのかえ」
今日は一体何時の設定か、それすらもわからない身ではそう尋ねるしかない。
「……姫様、体調がよろしくないのであれば今日はやめにしませんか?」
「うるさい、黙れ」
「……はい」
しょんぼりうな垂れる騎士見習。
「ティアロットの言う通り各施設の状況は調べてきたよ?」
メイアが差し出してきた羊皮紙にはびっしりとファルスアレンの各研究機関の状況が記されている。
「ああ、そうじゃったな」
記憶を手繰り寄せる。
メイアが持ってきた情報は直接的にも間接的にも戦力になりえる魔法を探すための下準備のはず。
この検討の結果、選び出したいくつかの魔術を組み合わせ作り上げた《偽神》と《崩震》により、スティアロウは王位を手にする。
「姫様?」
記憶の海から我に返り再びなんでもないと繰り返すが、メイアまでが心配そうな顔をする。
「そう急がなくてもまだ時間はあるじゃないですか」
時間はない。
この時の二人はまだスティアロウが何をするつもりか知らなかった。
上姉の婚姻まであと三カ月。
それまでに王を殺す必要がある。
そしてその方法は決して悟られてはいけないのである。
そして、ティアロットの記憶はそれが成功し、そして本質的には失敗すると知っている。
「……そうじゃな」
だが、今の自分は違う。
時間がないのは確かだが、それは再び父親を殺すためではない。
「……メイア」
「なぁに?」
きょとんと問い返す純朴な声音にそれ以上の言葉が続かない。
「……いや、なんでもない」
「……ほんと、今日は変ですよ?
ゆっくり休まれた方が……」
優しい言葉がやすりとなって理性をゆっくり削り取る。
「大丈夫じゃ」
長い髪が、フードが目元を隠してくれることに感謝しながら、ティアロットはゆっくりと席を立った。
メイア。
魔王に『無敵』を分け与えられた娘。
魔術師でも貴族でもない。
ただの村娘がどうしてそう言うことになったのかは今の今まで知らないし、メイアも心当たりがないと言っていた。
最後の時になって聞く機会もなく、謎のままだ。
今この時に彼は居ない。
居るけれども、いない。
とにかく、『無敵』の片鱗を持ってしまったメイアはまさに万能であった。
何所に忍び込むのも自由自在。
瞬く間に欲しい物、つまり情報と技術がスティアロウの元に集まってきた。
よくよく考えれば、メイアは彼からのギフトだったのかもしれない。
つまりそれは、彼女は最後の最後まで純然たる被害者であったということ。
そして、それでも死ぬ間際まで、否、死してなお、親友と言った少女のことを案じていたのだと……
この世界は猛毒。
絶え間なく湧き出す痛みを堪えながら早足で道を行く。
ファルスアレンでは飛行による移動は警備軍、並びに緊急時以外禁止とされている。そのため多少息をあげながらティアはどことなしに道を行く。
「て、ティアロットさまぁ。
どちらに行かれるおつもりですかぁ」
隣で情けない声で尋ねてくるジェルドだが、歩幅は圧倒的に彼の方が広い。
ゆっくり歩くくらいで追いついてくるのが腹立たしい。
冷静さを欠いていることは百も承知だが、それを抑える事が出来ない。
この土地は猛毒だ。それから抜け出す力がどんどん奪われていく。
「ジェルド、ぬしはもうついて来るでない!」
「そう言うわけにはいきませんよ!」
「構わぬ。
どうせ泡沫の夢に過ぎぬ!」
胸の痛みが一際激しく、足元の床がなくなったような震えが背を走る。
「意味わからないですよぉ。
とにかく、お一人での行動は許可できません」
その決意も、この世界の人間には通じない。
ティアにとっては虚像でも、彼らにとっては日常の延長。
そういう設定なのだろう。
「やかましい!」
何もかも殴り捨てるような声に通りの喧騒が静まる。
構う物か。
昔の自分ではあってはならない事態も、この現実に意味を持たない。
「ひ、姫様、まずいですよ!」
小声で注目の集まるティアを嗜めようとするジェルドに向かい、
「我が干渉は 万物を支配する 浮舟!」
叫びながら拳の一撃。
「え!?」
続けて放たれるのは浮舟で威力を減衰させた掌破。
予想外の出来事に眼を丸くしたままジェルドはぽんと宙を舞い、ジッ とまるで焼き鏝を当てるような音が響く。
ジェルドが一瞬その容貌を失う。瞬く間にそれは戻るが見て取ったそれは木のそれだ。
周囲で巻き起こる喧騒にも気付かず、ティアは呆然と吹き飛んだ少年を見やった。
「……ゴーレム?」
完全に眼を回してしまった少年に最早おかしなところはどこにもない。
しゃがみ、髪を触れれば人形の顔にはなかったそれの感触が確かにある。
「……これは……」
結論に届く前に周囲に4つの気配が降り立つ。
その衣服が彼らを警備隊であると証明している。
「傷害の罪で逮捕する。
同行願おう」
「……」
ミスカは自分が魔法で出来ていると言った。
「子供であろうとも、罪は罪だ。
さぁ」
そして怒り任せの行使の際には気付かなかったが、ジェルドを吹き飛ばした時、その魔力の流れは懐かしいものであった。
己の内から出るのではなく、外から集まり力となった。
「えーいっ!」
掛け声。
振り向いた警備兵が吹き飛ばされる。
「じゃ、邪魔をするつもりか!」
「はい、そのつもりです。
邪魔をしますか?」
淡々と応えたようで僅かな怯えが聞いてとれた。
「ふざけるな! 当然だろうが!」
そして、その言葉は引き金となる。
「ぐ」
急に腹を抑えてうめき出す警備兵。
彼だけではない、4人全員が場所こそ違え、痛みにうめき始める。
「ティアロット様、こちらへ」
「……っく!」
手を引かれて駆け出す。
苦しむ彼らに追う術はない。
「メイアっ!」
「今は逃げましょう」
「……どうしてここに……!」
「今日のティアロット様おかしかったですから。
心配になったんです」
整然と区画整備されたファルスアレンだが、大通りから離れるごとにやはり込み入った感じが出てくる。
足をもつれさせたティアをメイアが慌てて抱きとめたことで逃走の足が止まる。
尻餅をつく形で家の壁に背を預けたメイアは息を乱しながら苦笑する。
「お怪我じゃありませんか?」
「っ……!」
「てぃ、ティアロット様?」
おろおろと大丈夫ですかと尋ねてくる少女を見上げることができない。
「あ、う……」
困りきった声。
ジェルドといいメイアといい、自分の意志が弱くて優しくて・・・・・・
スティアロウが何を考えていたかも知らぬままに協力し、そして知った後でも彼女を責めることなく、最後まで道を共にすると言ってくれた。
「ああ、ティアロット様、実は運動不足ですか?」
そして、二人とも底抜けに明るい。
何度となくしっかりしろとか、真面目にしろとか喚いたが、結局のところそれに救われていた自分が居る。
「あはは、結構走りましたもんね。
大丈夫ですか?」
あの光景が見間違いでなければ、この少女もまた木の人形なのだろう。
鼓動が、息遣いが、汗の匂いが、その全てが幻なのだろう。
そうして、ようやく一つの結論に辿り着く。
「…… メイア」
「はい? なんですか?」
「すまぬ」
「え? やだなぁ、いきなりなんですか?」
きょとんとして、それから笑みを零す親友の幻影に小さく笑みを浮かべ、そして打つべき一手に手を付ける。
「メイア、ぬしにわしが何者かわかるかえ?」
「え?
何者って……ファルスアレンのお姫様でしょ?」
そう、気楽に言って、彼女は頭痛に襲われたような面持ちを浮かべた。
「……え?
ええ?」
「わしが何者か、わからぬかや」
「ティアロット様……?」
呆然と、感情の失せた瞳がティアロットを見詰める。
沈黙の数十秒が過ぎた後、少女に戻った表情はやはり変わらぬ優しく、慈しむものだった。
「……そっか。
私の知ってるティアロット様じゃないんですね」
挑まれれば必ず勝る。
無条件に力を発する魔王と比べれば制約が多い物のメイアは無敵概念の眷属である。
「うん。
わかった。じゃあ、いこっか?」
一足飛びの言葉にティアは苦笑。
「己を知ってなお、ぬしはそう言うのじゃな」
「うん。
でも私はティアロット様好きだから、やれる事はやりますよ?
ジェルドさんも同じ意見だと思いますし」
状況を忘れさせるほど自然に淀みなく、自分の行動になんら疑いを持つ事なくメイアの虚像は微笑む。
それが当たり前だと言わんばかりに。
「私が偽者でも、ティアロット様が大事な人ってことは変わりませんから。
だから、当たり前ですよ?」
「──────っ!」
限界だった。
大粒の涙がぼろぼろと零れ、視界を歪める。
その先に困ったようなはにかんだような、曖昧な表情のメイアが居る。
両手がふわりとティアの頭を抱きこみ、静かに優しく包み込む。
一度切った堰は、これまでの全てを巻き込んで濁流となり、
────かなりの間、止まる事はなかった。