第四話 境界の彼方
青白い光が、視界を埋め尽くした。それは、単なる光ではない。膨大な情報が、高速で流れ、渦巻き、衝突し、新たな秩序を生み出していく、デジタルの奔流のようだった。
詩織は、裕太の手を強く握りしめ、その奔流に呑み込まれないよう、必死に抵抗していた。心臓が激しく鼓動し、吐き気を催すような感覚。しかし、その恐怖よりも強く、詩織の心を支配していたのは、未知の世界への強烈な好奇心だった。
光が収まると、二人は見知らぬ場所に立っていた。
そこは、ドーム状の巨大な空間だった。頭上には、無数の星々が煌めく夜空が広がり、足元には、どこまでも続く荒野が広がっている。地平線は、ぼんやりと霞んでおり、現実とも仮想ともつかない、奇妙な風景だった。
遠くには、古代遺跡のような、巨大な石造建築物群が、静かに佇んでいた。その姿は、どこか既視感があり、詩織の心の奥底に眠る記憶を呼び覚ますようだった。
白銀雪は、二人の少し前で立ち止まり、夜空を見上げていた。深い緑色のワンピースは、夜風に揺らめき、その姿は、まるでこの異世界の住人のように見えた。
「ここは……」
裕太が、警戒しながら周囲を見回し、言葉を探す。
「深淵への入り口」
白銀は、静かに答えた。彼女の瞳は、星明かりを受けて、神秘的に輝いていた。
「あなたたちが見た夢、繰り返す日常、それらすべては、深淵からのメッセージ。あなたたちを、この場所へと導くための」
裕太は、懐疑的な表情で白銀を見つめた。
「深淵? そんなものが、本当に存在するのか?」
「深淵は、概念です。人間の意識の深層、宇宙の根源、情報と存在の境界。あらゆる可能性が収束する場所」
白銀の言葉は、抽象的で、裕太には理解が及ばなかった。しかし、詩織は、彼女の言葉に、奇妙な説得力を感じていた。
「私の研究は、長年、人間の意識の謎を解明することに費やされてきました。そして、私は、ある仮説にたどり着いたのです。人間の意識は、この宇宙に遍在する情報ネットワーク、深淵と繋がっている。そして、その繋がりを制御できれば、人類は、新たな進化の段階へと到達できる」
白銀は、井戸から取り出した、小さな水晶の球を二人に見せた。球体の中央には、詩織のペンダントと同じ紫色の石が埋め込まれている。
「この石は、深淵と共鳴する力を持っています。あなたたちを深淵へと導くための鍵。そして、人類を進化させるための鍵」
裕太は、スマートフォンを握りしめ、白銀に近づいた。
「先生、あなたの目的は、一体何なんだ?」
「私の目的は、人類を進化させること。肉体という束縛から解放し、情報生命体として、永遠の存在へと導くこと」
白銀の言葉は、狂気に満ちているようにも聞こえた。しかし、彼女の表情は、真剣そのものだった。
「あなたたちは、そのための希望。あなたのペンダントの力と、あなたのハッキング技術、それらを組み合わせれば、深淵の扉を開くことができる。そして、人類は、新たなステージへと進むことができる」
白銀は、水晶の球を詩織に手渡した。球体は、詩織の体温で温かくなり、淡い光を放ち始めた。
「さあ、決断の時です。私と共に、深淵へ。それとも……」
白銀の言葉が途切れた。その瞬間、地平線から巨大な影が姿を現した。それは、異形の怪物としか言いようのない、巨大な黒い影だった。その姿は、常に形を変え、蠢き、まるでデジタルノイズが実体化したかのようだった。
詩織は、その影を見て、言い知れぬ恐怖を感じた。それは、未知への恐怖、存在の否定、そして、自らの存在意義を揺さぶるような、根源的な恐怖だった。