第三話 深淵への誘い
翌日の放課後。詩織と裕太は、約束の時間通りに霧ヶ峰神社へと向かった。五月の風が、木々の葉を揺らし、境内は木漏れ日と影の縞模様で彩られていた。
境内を歩く詩織の足取りは重かった。昨日の白銀雪の電話のことが、頭から離れない。裕太から聞いた、冷たい声と機械的な口調。それは、普段の彼女の温厚なイメージとはかけ離れており、詩織の胸に言い知れぬ不安をかき立てた。
裕太は、詩織の様子を気にしながらも、スマートフォンで地図アプリを開き、白銀雪の指示した場所を確認していた。
「古い井戸か……」
裕太は、画面を見ながら呟いた。地図アプリ上では、井戸の場所は、本殿の裏手にある小さな森の中と表示されていた。
二人は、本殿の裏手に回り、森へと足を踏み入れる。木々の間から差し込む光が、地面に斑模様を作り、湿った空気が詩織の肌を冷たく包み込む。
森の中をしばらく進むと、古びた石造りの井戸が現れた。井戸は、苔むした石で覆われ、周囲には朽ちた木製の柵が巡らされている。その姿は、まるで、この神社の長い歴史を静かに見守ってきたかのように、静かで、どこか寂しげな雰囲気を漂わせていた。
井戸の傍らには、白銀雪が立っていた。彼女は、白いブラウスではなく、深い緑色のワンピースを着ており、いつもとは違う印象を与えた。しかし、彼女の表情は、昨日電話で聞いた時と同じように、冷たく硬かった。
「お待たせしました」
裕太が、少し緊張した面持ちで挨拶すると、白銀はゆっくりと二人に視線を向けた。
「あなたたちには、この世界の真実を知ってほしい」
白銀の言葉は、静かだが、強い意志が感じられた。詩織は、彼女の言葉に、言い知れぬ不安と、同時に、かすかな期待を感じた。
彼女は、おもむろに井戸を指差した。
「この井戸は、単なる水源ではありません。この神社が建てられた遥か昔から、この地には、特別な力が宿っていると信じられてきました」
白銀は、まるで呪文を唱えるように、ゆっくりと語り始めた。
「この井戸は、異世界への入り口。深淵へと続く道。そして、人間の意識の起源に触れる場所」
詩織と裕太は、彼女の言葉に、息を呑んだ。
「深淵……?」
詩織が、恐る恐る尋ねると、白銀は静かに頷いた。
「そう。深淵。それは、人間の意識の根源であり、宇宙の真理が隠されている場所。そして、私が長年追い求めてきたもの」
白銀は、二人に近づき、鋭い視線を向けた。
「あなたたちは、特別な存在です。葉月詩織さん、あなたのペンダントは、深淵の力と共鳴する鍵。そして、田中裕太君、あなたのハッキング技術は、深淵の扉を開くための力となるでしょう」
白銀の言葉は、まるで二人の運命を決定づける預言のように響いた。詩織は、首元のペンダントを握りしめた。それは、かすかに震えているように感じられた。
「先生、一体、何を……」
裕太が、困惑した表情で尋ねようとした時、白銀は、井戸の縁に手を触れた。すると、井戸の底から、青白い光が湧き上がってきた。その光は、みるみるうちに強さを増し、井戸全体を包み込む。
「さあ、私と共に、深淵へと旅立ちましょう」
白銀は、二人に背を向け、光の中に消えていった。井戸から溢れ出す光は、まるで二人の心を吸い込むように、強く、美しく輝いていた。