008.高潮(二)
「あれ何? 何が起きてるの?」
サラが100m以上離れた所の魔物の群れを指差して尋ねる。
「ケンカか?」
ミゲルの予想はほぼ当たり。
「チャッキー同士で殺し合いしてるみたいだね。高潮の時に起きるって言われてたヤツ。実際に見るのはボクも初めてだなぁ」
「オレたちはこのまま見ていていいのかな?」
呑気なヤンの言葉にノビリスは何となく手持無沙汰で尋ねる。
もしかしたらこのドサクサに紛れて先に攻撃をしかけたらある程度は有利になるのではないか。
「アモンとサラさんでちょっかい出してみる?」
随分とふわっとした提案だが、メンバーのうち遠距離攻撃が可能なのはその二人なので言いたいことはわかる。
「うーん、さすがにこの距離じゃ当たるかどうか……」
【氷槍】の有効射程は一般的には30m程度と言われているので、これはサラの技術的な問題ではない。
「やめておこう」
アモンが断言する。
こちらも決して彼の弓の射程外だからという理由ではない。
わざわざ多数の敵に遠距離からちまちま仕掛けることにメリットがないという判断だった。
「ええっ、やらないの? やってみたら面白いのに」
ヤンよ無責任にも程があるぞ。
などとやっているうちに群れの真ん中付近で何かが光る。
光の中に一際大きな影が浮かび、やがてそのシルエットが本来の色味を取り戻していく。
「クロチャッキーだ!!」
ヤンが叫ぶ。
ヒューラットの群れの中に一体だけ抜きんでて体躯の大きな漆黒の個体が出現していた。
「なに? どれ? あの真ん中のヤツ?」
「デカイな。あれは強いのか少年?」
「え? クロチャッキー知らないの?」
逆にヤンから質問。
「知らねーなー。リーダーは?」
「いや、オレも聞いたことがない」
「あたしもないわ」
となると残るアモンにみなの注目が集まる。
「ヒューラットの亜種だろう。話に聞いただけだが黒いのや赤いのがいるらしい」
苦手と思われる長い説明台詞をありがとうアモン。
外の世界ではクロチャッキーに相当する魔物の目撃・討伐例は極めて稀で、一応ダークヒューラットという名称は与えられているものの全くといっていい程浸透していないのだった。
その性質はヒューラットよりも遥かに攻撃的で知能も高いとされている。
黒光りする体には魔法耐性と物理耐性があり、その性能はレベルにより変化する。
突進には単なるダメージだけではなく殴打属性が追加され、クリティカルなら粉砕効果の致命打になりうる。
また、統率スキルのようなものがあり、他のヒューラットを従え指示を出したりすることもあるらしい。
ヒューラットより相当ヤバいのが理解できるだろう。
「クロチャッキーは魔法が効きにくくて防御力も高いんだって」
「なんだそれ。じゃあどうすりゃいいんだよ」
「地道に削るか、強力な一撃で倒すか、じゃないのかな」
「強力な……」
ミゲルはノビリスの言葉でさっき自身が獲得したばかりのスキルを思い出す。
「なぁ少年……」
「早速、活躍のチャンスだね」
ヤンも同じことを考えていたらしい。
「どういうことなんだ、ミゲル」
ヤンとミゲル以外には全く話が見えないのでノビリスが尋ねる。
「いやまぁなんていうか、さっき少年に拉致された時に新しいスキルを覚えたんだが、それが使えるんじゃないかって……」
「来るぞ!」
ミゲルの煮え切らない説明はアモンの鋭い声で中断。
クロチャッキーとその群れに動きがあった模様。
三十体ほどいる集団が一斉にこちらへ向かって移動を始めたのだ。
今までは数こそ多いもののそれぞれがバラバラで無秩序だったが故に対処しやすかったのだが、今度はどうやらそうはいかないらしいというのをその動きひとつで全員が感じた。
クロチャッキーだけは獲物を見定めるかのように後からゆっくり近づいてきている。
「よし! まずチャッキーから倒すぞ。アモン! サラ!」
ノビリスの声とほぼ同時にアモンの矢が飛ぶ。
少し遅れてサラの【氷槍】も飛んでいく。
こちらへ突進してくる動きに対してカウンターで決まった攻撃はいずれも相当なダメージで、即死とはいかないまでもまず行動不能にする程度には充分な有効打だった。
「前は任せろ!」
ノビリスが数歩先に出て盾を構える。
敵の先頭がもう10m先まで来ている。
サラも【氷盾】を展開してノビリスの斜め後ろに出る。
アモンはギリギリまで弓でヒューラットを減らすことに専念。
どうやら今回はヤンは見学するつもりらしく、特に何かをする様子もなくやや離れた後方に自然体で立っている。
「なにッ!?」
ノビリスが【盾防御】を発動しようとしたその時、ヒューラットたちが左右に分かれて回り込むように移動したのだ。
ここに来るまで毎日さんざん戦ってきた連中だが、今までにこんな動きをしたことは一度もなかった。
完全に意表をつかれたノビリスは一瞬頭が真っ白になる。
棒立ちになったノビリスだったが、右後方にミゲル、左後方にサラがいたので二人がノビリスに並びかけることで左右からの挟み撃ちには対応できる。
アモンもすぐに前につめてノビリスを後方からカバーするように四人が固まる。
しかし予想に反してヒューラットは四人をまるっきり無視して後方にいるヤン目がけて真っ直ぐ突進して行く。
「ヤン!」
アモンが警告。
「え? ボク? なんで?」
驚いたヤンの表情には全く危機感がなかった上、アモンの警告にも関わらず棒立ちのまま。
そこに左右それぞれ十体ほどのヒューラットが雪崩を打ってヤンに襲いかかる。
「後ろ!」
今度はヤンがノビリスたちに向かって叫ぶ。
クロチャッキーが一気に距離を詰めてきたのだ。
間近に迫ったその姿は体高が2mをゆうに超える巨大ネズミ。
体長も尻尾の先まで5mはあると思われるが、その巨体の重さを感じさせないフットワークだった。
慌てて向き直った『青の開拓者』四人だったがその一瞬にクロチャッキーは大きく跳躍しそのままノビリスの盾に体当たり。
「ぐわッ!」
「きゃあッ!」
弾き飛ばされたノビリスがサラまで巻き込んで吹き飛び転がっていく。
ミゲルとアモンは間一髪で回避成功。
そしてクロチャッキーは四人には見向きもせずまたしてもそのままヤンへ突進。
しかしその時既にヤンは余裕でクロチャッキーに対応する体勢になっていた。
「えいッ!」
クロチャッキーの突進を正面から両手で押し止めるヤン。
両者一歩も引かず均衡した力比べが続く。
クロチャッキーは前進しようと足を動かすが前に進まずその場で足が地面を滑るのみ。
「マジかよ……」
ミゲルがその様子に開いた口が塞がらない状態になっているところへヤンの檄が飛ぶ。
「ミゲルさん! 早く!」
まさかミゲルに攻撃させるためにクロチャッキーを一人で足止めしているというのか。
全身に受けた衝撃でまだ立ち上がれず、膝立ちのまま状況を確認したノビリスははたと気付く。
(チャッキーはどうしたんだ? あれだけいたのが影も形もない……)
「ミゲルさん!」
再びヤンの声が響く。
「わーったよ、やりゃいいんだろ。やるよやってやるよ。おりゃあああああッ!」
ミゲルが全力ダッシュでヤンと対峙しているクロチャッキーの背後に接近する。
「あッ!」
思わずサラが叫んだのはクロチャッキーの尻尾が一振りされてミゲルを横殴りに払いそうになったからだった。
その尻尾にアモンの矢が突き刺さって軌道が変わり、事無きを得たミゲル。
物理耐性とはいっても生まれたばかりのレベル1個体ならそこまで万能無敵ではないのか。
「食らえッ!」
ミゲルの【回転斬り】が炸裂し、クロチャッキーの腰の部分に複数回斬撃がヒット。
しかしどう見てもダメージは大して与えられていなかった。
やはり物理耐性持ちは厄介だ。
「まだまだぁッ!」
【回転斬り】!
【回転斬り】!
【回転斬り】!
何もミゲルは塵も積もれば理論で削っているのではなく、【必殺剣】発動だけを狙ってひたすら愚直に繰り返しているのであった。
スキルレベル1且つミゲル自身の運気も高くないとなれば確率的には低いのは百も承知。
だからこその反復、諦めない忍耐、己を信じる勇気。
一方その間にも、クロチャッキーの尻尾にはアモンの矢とサラの【氷槍】で集中砲火。
どうやら体毛のない尻尾部分には魔法耐性も物理耐性も備わっていないのでは、という推論の下に狙い撃ちしているようだった。
ヤンも両手で抑えていた頭を今は右脇に抱え込んで完全にクロチャッキーの動きを抑え込んでいたので、クロチャッキーはただただ尻尾をぶんぶん振り回すことしか出来ない状態。
自分だけ何もできていないと知ったノビリスは慌てて立ち上がると、クロチャッキーへ近づこうと一歩踏み出すが時すでに遅し。
「うおっしゃああああッ! ひっさぁぁぁぁつッ!!!」
ミゲルの叫びに続いてドォと重い音、そして地響き。
両手を高々を上げてガッツポーズのミゲルと、両手をパンパン叩いてふぅと一息つくヤン。
「やるな……」
これにはアモンも思わず唸るしかなかった。
「すごッ……」
サラの言葉はミゲルに対してなのか、ヤンに対してなのか、それともクロチャッキーに対してなのか。
そしてミゲルの躁状態はまだまだ止まらない。
「キタキタキタキタァーーーーーッ! ついにキタァァァァァァッ!!!」
「今度はなんだいミゲル」
「レベルアァァァァップ! ざまぁみやがれコンチクショー!」
いやそれは誰に向けて言っているのか。
アッパーカット気味に右拳を下から思い切り天に突きあげるミゲル。
珍しくちょっとカッコイイぞ。
「やったね、ミゲルさん。スキルは?」
相変わらず平常運転のヤンだがその表情はニッコニコだった。
ミゲルはヤンに言われてそういえばといった様子で改めてステータスを確認する。
「ん? スキルか……おお! 【回転斬り】がレベル3になってるぜ。どうなってんだ、オレ凄すぎだろ。もうこれ無双できんじゃね? ははははは!」
今が人生の絶頂であるかのように勝ち誇る上機嫌のミゲル。
・レア魔物を新スキル【必殺剣】で討伐
・自身のレベルアップ
・スキル【回転斬り】レベルアップ
三つのことがほぼ同時に起きたのだ。
一気に成長頭に躍り出たこの事実にミゲルが狂喜するのもわからないでもない。
「おめでとうミゲル」
「良かったわね、やっと成果が出て」
ノビリスとサラからも祝福の言葉を受け、アモンからはサムズアップ。
それらに対していちいちウンウンと頷き胸を張るミゲル。
「ところでヤン君。あのチャッキーたちはどうなったんだい?」
「あ、それあたしも気になってた。目を離した隙に一瞬でいなくなっちゃってたけど……」
「うん、まぁそれはね、なんていうか仕方なかったんだ。急にボクの方にみんな集まってきちゃったし、クロチャッキーも来てたし……」
なんだか珍しく歯切れの悪いヤン。
「ごめんなさい! ついうっかり倒しちゃった。本当にごめんなさい」
直立姿勢から深々と頭を下げるヤン。
「いや、別に謝らなくてもいいんだが……」
「そうよヤン君。どうして謝る必要なんかあるの?」
「だって、チャッキーはみんなの獲物だったから……」
頭を上げてしょぼくれた様子で弁解するヤン。
「それは別に気にしていないよ。オレたちが対処しきれなかったのが悪いし、そのせいでヤン君を危険に晒してしまったわけだし」
「ノビリス、それは違う」
アモンがノビリスの発言を制する。
「え? アモン、どうかしたのかい?」
頭を左右に振るアモン。
「ヤン君は別に危険になんてなってないって言いたいんでしょ。もうなんなのあんたたち。もっとはっきりちゃんと説明しなさいよ」
的確にアモンの意図を見抜いたサラが敢えて苦言を呈する。
「そうなのか?」
ノビリスの問いに頷くアモン。
「サラ、君はすごいな……」
真面目一辺倒のノビリスがその辺りの機微には取り分け疎いだけとも言える。
「じゃあボク、魔石の回収してくる。アモンも来て」
二人して猛ダッシュでいなくなる。
前回ミゲルがやったトドメ役を今度はアモンにやらせるつもりらしい。
「うまく逃げたられたわね」
サラの言葉にノビリスも苦笑いするしかなかった。
「なんだ? 少年とアモンはどこ行った?」
ステータスを眺めてご満悦だったミゲルは今さっきまで横で行われていたやりとりも耳に入っていなかった模様。
「さぁ、オレたちは自分の仕事をしようか」
ノビリスがその場に片膝をついて装備と盾のチェックを始めると、サラとミゲルもそれぞれ確認開始。
まだまだ第九階層は道半ばであった。