052.中層突破(二)
第二十一階層――。
見渡す限りの草原。
その視界の彼方、地平線のように見えるラインがもぞもぞ蠢いていた。
夥しい数の魔物の群れだ。
ここからざっと二、三キロ程先だろうか。
草原といっても完全に平坦なわけではなく、小高い丘など起伏がそれなりにあるせいか件の地平線は思いのほか近かった。
そして、蠢く地平線は横方向にもかなり広がっていた。
ところどころ途切れているように見える部分はあるが、可視範囲のほぼ端から端までを敵が埋め尽くしているといった具合だ。
やはり最初はあのアリどもが相手か――。
ゲイルは軽く身震いしながら、右斜め前方に突出して先導するヤンの背中に目をやる。
『セインの息吹』のリーダーであるゲイル・ランガ・オルセイン(レベル38Aランクの二十七歳)は、本来上層で遭遇するはずの魔物の大群を前にして尚、逸る気持ちを抑えきれずにいた。
ようやくパーティがAランクに昇格したという時に今回の波が発生し、半ば強制的にセインからエンダへ疎開させられた挙句、迷宮全体で冒険者の活動が自粛ムードに突入するという負の連鎖。
出鼻を挫かれた形で暇を持て余していたところへ、ちょうどアノスからこの話を持ち掛けられたのだった。まさに渡りに舟のタイミング。
『セインの息吹』はセインのギルドで冒険者登録をした四人(生まれは全員エンダ)で九年前に結成したパーティだったが、現在は二年前に加わったキキ(セイン生まれの)を含め五人構成になっていた。
迷宮出身者のみで構成されるパーティは珍しくはなかったが、この若者四人(繰り返すが現在は五人)のパーティは結成直後から驚異的なスピードで成長してきた事から、Cランクに上がる頃には既に全塔民の注目するところになっていた。
パーティ名を略した『セインズ』という愛称も定着し、今では現存するパーティで最も愛され贔屓にされている存在といっても過言ではなかった。
今回、大波を鎮めるという目的の合同依頼に参加するに当たっては、これまでの塔民からの応援への恩返し的な意味合いもあってパーティメンバー全員がゲイルに勝るとも劣らぬ鼻息で臨んでいたのだった。
他にも、誰もが知る王国屈指のSランクパーティ七騎士が参加することや、最近何かと話題になっていた帝国軍も参加するというのも、大きな魅力であった。
もし王国と帝国が協力して依頼を達成したということになれば、迷宮内だけに留まらず外の世界においても歴史的な出来事として注目される可能性が高い。
可能ならばその現場に是非とも立ち合いたいと若者たちが思うのも無理はなかった。
だがしかし、実のところゲイルが今回の依頼に惹かれた最大の要因は、ヤンが指揮を執ると聞いたからだった。
ヤンについてはこれまで、色々な噂も含めてずっと見守ってきていた。
ゲイル自身、彼の誕生に立ち会った巡り合わせも含め何かしらの縁を感じていたこともあるが、何よりヤンの父エルへの憧憬と尊敬と感謝がそうさせてきたのだった。
* * * * *
セインが出来てまだ半年にもならない時期にゲイルは家族と一緒にエンダから移住してきた。
開拓時期の移住者には様々な特典という名の恩恵があったからなのだが、現実には危険の度合いが跳ね上がる中層の縦断移動に躊躇する者も少なくなく、移住者の数はなかなか増えなかった。
当時まだ現役の冒険者だったエルたちがギルドの依頼で移住者の護衛を引き受ける事も多く、ゲイル一家を含む移住者たちの護衛を務めたのもエル率いるSランクパーティ『不死鳥』だった。
第二十七階層から三階層連続の階層突破でセインへの道を切り拓いた『不死鳥』とそのリーダーであるエルは、ゲイルのような子供たちにとっては最高のヒーローであり比類なきスーパースターだったので、引っ越しの移動中もゲイルはエルの一挙手一投足に注目し、たまに声をかけてもらうと狂喜乱舞したものだった。
そんなわけだからエルの家というのはセインではちょっとした名所であり、何かにつけ人がやってきては貢ぎ物を置いて行くのが習慣化するようになっていった。
ゲイルも学舎の行き帰りに特に何の用があるでもなくエルの家の前を通って帰宅するのがマイルーティンだったのだ。
ある日の午後、いつものようにエルの家を素通りして帰ろうとしたゲイルは、たまたま在宅していたエルが出かけるタイミングでばったり鉢合わせして久しぶりの再会を果たす。
「やぁ、ゲイルじゃないか久しぶり。セインの暮らしにはもう慣れたかい」
「あ、えっと……こんにちは」
名前まで憶えていてくれたんだ!と感動したゲイルは喜びと緊張がMAXでしどろもどろになりながらペコリと頭を下げる。
「今度ゆっくり遊びにおいで」
ゲイルの頭に手を置きながら優しい笑顔で声をかけるエル。
今は出かける用事があるから今度なのだろうな、とゲイルは想像しつつも、全然違う言葉を口走ってしまう。
「あの! 次の階層突破頑張ってください!」
真剣な、熱い眼差しでエルを見つめながら叫ぶゲイル。
するとエルは少し困ったような顔をしながらゲイルの目の前にしゃがむと、ゲイルと同じ目線の高さになりながら再び柔和な表情になって言った。
「すまない。オレはもう冒険者を引退したんだ。今日はこれから案内人の試験に行くところなんだ。だから、ゲイルがもし冒険者になった時にはオレに案内させてくれ」
「えっ……」
ゲイルは言葉を失った。
そんな馬鹿な……。
『不死鳥』のエルが冒険者を引退だって!?
実は第三者たる一般塔民でエルが冒険者を辞めたことを最初に知ったのがゲイルだったのだが、それは本人も知る由のない事であった。
ゲイルは半ば茫然としたまま、案内人試験に行くというエルを見送ったのだった。
その日を境にゲイルのマイルーティンは変化した。
エルの家の前を素通りするのではなく、必ず玄関先で扉を叩くようになったのだ。
案内人になったばかりのエルは忙しくしていたが、それでもたまには会うことができたので、ゲイルはここぞとばかりに冒険者時代の話を聞いたり、冒険者になるための指導をしてもらうようになっていった。
エルが不在の時にはエルの妻のアリアが出てきてくれた。
アリアは結構な頻度でゲイルを家の中に招き入れてお茶やお菓子でもてなしてくれたが、ゲイルにとってそれはとても嬉しい反面どこかこそばゆくて落ち着かない時間だったのも事実。
そのうちゲイルのマイルーティンは学舎帰りにエルの家の庭先に立ち寄り、エルに指示されたトレーニングメニューを黙々とこなすというものに変化していった。
そんなエルとの親交をある時ゲイルが学舎の仲間うちについ自慢してしまうと、自分も一緒にやりたいという者が新たに三人、ゲイルと一緒に押し掛けるようになり、なし崩し的に『エル道場』(ゲイル命名)が始まったのだった。
そして、ゲイルが成人する15歳の時――。
いつものように学舎帰りにエルの家に行くと、町の人たちが何人も家の前に集まっていて「いったい何の集まりなんだろう」などと呑気に考えながら様子を伺っているとほどなく家の中から赤ん坊の泣き声が聞こえてきたのだった。
その瞬間、人々が歓声を上げたり酒を取り出して飲みだしたり大騒ぎし始めたところへ家の中から『おくすり堂』のエリナが出て来て物凄い剣幕で怒鳴り散らかしてみんなを一瞬で黙らせたのだった。
しかしその後も誰も帰らぬまま家の外で暫く待機していると、エルが小さな赤ん坊を抱いて外に出て来た。
それが生まれたばかりのヤンだった。
びっくりするほど小さくて顔が赤くてくしゃくしゃだったけれど、溢れんばかりの生命力を発散して泣きながらも、どこか気品のある雰囲気をも漂わせていた――。
* * * * *
ゲイルはあの日の赤ん坊の姿と、今目の前で合同依頼の指揮をとっている少年の姿とを重ね合わせ、万感胸に迫る思いだったが、すぐに頭を振って目の前の事象に集中する。
(まずはお手並み拝見といきますか、ヤン)
ヤンが案内人として働くのを見るのも初めてならば、魔物と対峙する姿を見るのも初めてなので、指揮官としてどの程度やれるのかも当然未知数ではあったが、不思議と不安や心配などのようなネガティブな感情は湧いてこなかった。
第二十一階層に入ってすぐにヤンは戦闘の方針について軽く説明すると、二十一名分の配置について指示し、今現在は全員その指示通りに展開していた。
この配置の意図をゲイルは自分なりに考えた。
まず、おそらく最大戦力となる七騎士のメンバーのうち近接戦闘能力の高い者を両翼に二名ずつ配置したのは、ヤン自身が中央突破をするつもりでそれを迂回しようとする魔物を確実に潰すためだと思われる。
そのヤンが直接率いる形となる中央の主力部隊は最前列にヤンともう一人帝国の女の子。
確かジュノ軍曹と言ったか。
正直なぜあんな可憐な少女が(まぁヤン自身が最年少の十二歳ではあるが)ヤンと同列にいるのか、ゲイルには全くわからなかったがそこはヤンなりの考えがあるのだろう。
その二人の後方に帝国の司令官。
彼はおそらくその後ろにいる遠距離攻撃要員の壁役。
続いて七騎士の鉄壁の魔導士とアズールの暁。
この二人が広範囲魔法で殲滅作戦の主役になるに違いない。
その後方に同じ七騎士の魔弓将と、もう一人はうちのキキ。
どちらも魔導弓の使い手なので魔法組の援護をしつつも、ピンポイント狙撃で確実に仕留めるのが役割と思われる。
主力部隊は以上の七人。
中央と両翼の間を埋めるのが帝国軍と我々『セインの息吹』で、右側を帝国軍の四人、左側を我々四人が担当する。
広範囲魔法のダメージである程度弱らせた魔物を相手にすることになるので、我々でもなんとかなるだろう。
万が一囲まれたりイレギュラーな事態になれば中央の狙撃役が援護してくれるはずだ。
そして保安局の三人を後詰役として後方に配置しているのは背後の警戒役であると共に、適切なタイミングで遊撃隊の役回りもこなしてくれる想定なのだろう。
よく出来ている。
とても初めての指揮とは思えない。
そうこうしているうちにアリどもの姿が肉眼でもはっきりと捉えられる距離にまで近付いて来ていた。
大多数を占める黒いアリは正式名称をキラーアントといい、それ自体は迷宮の外にもいる地上種なのだが、このキラーアントは通称アカアリと呼ばれる迷宮固有の亜種が召喚する強化型で、外の世界のキラーアントよりも強力で性質も獰猛、尚且つアカアリによってコントロールされるため統率された軍隊として機能する有能な兵隊たちなのであった。
塔ではこのキラーアントをコアリと呼んでいるが、名前の印象とは裏腹に実際には最大で体長三m近くになる大きさで尚且つ素早いという厄介な相手だった。
通常出現する上層は山岳フィールドであるため、足場も悪く傾斜もある場所で大群に襲われることになるのだが、今この時は地形が草原フィールドであることが僅かばかりの救いであった。
そのコアリとアカアリの大群がワシャワシャと押し合いへし合いしながら大波(まさに今がそうなのだが)になって押し寄せて来る。
ワシャワシャの塊の中、頭ひとつ抜けているのは指揮官のアカアリだった。
そのアカアリの数だけでも数十匹はいると思われる。
一体全体コアリも含めると何匹になるのか考えるだに恐ろしい。
近接戦闘組へのヤンの指示は、ヤンがいる位置の横のラインに敵が来たら戦闘開始というものだった。
前線が接敵する前に広域魔法で体力を削る作戦なのだろうが、これだけの大群に向かって前進しつつも仕掛けを待つというのはなかなかの精神修行であった。
(ん?)
急に周囲の温度が急上昇したかと思うと、辺りの叢から蒸散による水蒸気がもわっと立ち上がった。
みるみる全身がじっとりと汗ばんでくる。
アリどもはもうすぐそこまで来ていた。
ヤンのラインまであと少し。
ゲイルが武器ハルバードを構えて臨戦態勢に入ったその時、今度はものすごい冷気が肌を刺す。
一気に氷点下にまで下がるのではというほどの寒さに、汗ばんだ体の表面が凍る危険を感じて後ずさりしそうになるが我慢。
ものの数秒もすると空中に細かい氷の粒が舞ってキラキラ光り出す。
(これは魔法なのか……)
周囲を見るとアリどもの動きがほぼ止まっていた。
半ば凍って動きが極端に鈍くなっているアリどもに、今度は魔法の矢が降り注ぐ、
あれはうちのキキの攻撃に違いない。
「よぉし、キキ。やっちまえ!」
思わず声に出して応援するゲイル。
右後方を見やると確かにキキと、そしてもう一人七騎士の魔弓将が恐るべき速さで魔弓を連射しているのが見えた。
凍りかけのアリにキキの螺旋矢が一撃必殺級の威力でトドメを刺していく。
よく見ると魔弓将も同じ種類の矢を放っているようだ。
さすがウインドマスターとも呼ばれる風魔法の達人。
一矢の威力はキキのそれよりも遥かに高く、アリどもを一度に二、三体は貫通して倒している様子だった。
いやいやキキだって大したもんだ。
負けるなキキ!
ウインドマスターに目にモノ見せてやれ!
草原を隙間なく埋め尽くすほどの大群だったアリが、いつの間にか個体同士の間隔が広くなって緑色の草原が顔を出す面積が増えていた。
一度クリアになった視界が再び白くなる。
先程の魔法が再び展開されたのだろう。
それにしても展開領域が広範囲すぎる。
当然冷気はこちらまで届いているが、凍るほどではない。
アリの集まっている中心部の座標に魔力が集中するよう絶妙にコントロールされているのだ。
その膨大な魔力量と繊細なコントロールのバランスにゲイルは舌を巻く。
(さすが王国のSランクだけはある……)
あまり魔法が得意ではないゲイルでも、この術者のレベルくらいはある程度想像がつくのだった。
いや、正しくはゲイルなどには想像もつかないほどすごい、という事実だけはなんとか理解できるのだった。
二度目の冷却系魔法が治まったのとほぼ同時にヤンが更に前進してアリの中に突入していった。
戦闘開始だ!!
「おるるるるぁぁぁぁああああッ!!」
叫びながらゲイルもアリの群れの中に突っ込んでいく。
多くのコアリは足が付け根付近まで凍っていて動きが完全に停止しているか、かなり鈍っている状態なので攻撃を当てるのは容易いことだった。
通常であれば相当硬い外骨格も、半分凍り付いている状態なので外からの強い衝撃に脆くなっているらしく、比較的容易に破壊することが出来た。
剣よりもリーチの長いハルバードを文字通りブンブン振り回しながら縦横無尽に暴れまわるゲイル。
バキッ! バキッ! ズシャッ!
脚を破壊し、胸から腹まで一気に突き刺す。
時には頭を破壊する。
コアリは尻から出す酸が一番厄介なのだが、よく見ると尻の噴出部が凍っている個体が多く、なるほどそのためにわざわざ二度も冷却系魔法を使ったのかとゲイルは感心する。
と、そこへ酸が飛んできた。
アカアリが新たにコアリを召喚したのだった。
アカアリがコアリを召喚する範囲は自分を中心にして半径約十mのエリアと言われており、一度に召喚できる数はアカアリの魔力依存で3~10体。
アカアリと対峙する時には常にその周囲にも注意していないといけないのだった。
現状、味方の近接部隊は既にアリの大群の中に全員突っ込んでしまっているので広域魔法は使えない。
となれば、このまま各自で強行突破――力圧しするしかない。
ゲイルが気合を入れ直して新たに召喚されたコアリの群れに突っ込もうとしたその時、再び螺旋矢が頭を飛び越えていった。
召喚されたてのコアリが密集しているのをいいことに一気にまとめて始末するつもりらしい。
「おいおい、今のはギリギリだったぞ……」
思わず苦笑いするゲイル。
ふと思い立ってヤンの姿を探すが見つけられない。
キキの姿も遠くてよく見えない。
いつの間にかかなり突出してしまっていたらしい。
敵の中に完全に孤立しているようにも思えるが、そのくせしっかりと援護がくるという不思議な状況だった。
まぁいい。
考えても仕方がない。
「頼むぞ、キキ」
半ば祈るように小さく呟くと、再びコアリどもに突っ込むゲイル。
アカアリの方はゲイルのハルバードでも倒すのに骨が折れるため、足を止めてしまうとコアリに囲まれることもあって、今のところ意識的にアカアリを避けていたのだが、そんなゲイルの目の前で先程よりも一層鋭い螺旋矢がアカアリを見事に貫いてみせた。
「ヒュ~ッ」
口笛を吹いて感嘆するゲイル。
(本当にバケモンなんだな、七騎士ってのは……)
左翼方面で先程から連続して聞こえてくる爆音をも意識しながら、超えるべき壁をはっきりと自覚して今一度自分を奮い立たせるゲイルだった。





