048.大波(三)
「ねえ、なんで全然魔物がいないの?」
第十九階層に上がってからというもの、ロスティの不平不満が止まらない。
レイチェルはもう何度同じセリフを聞いたかわからなかった。
「だから言ったでしょ。この階層には今他のパーティが複数いて、その人たちも魔物を討伐しているから現状個体数が減っているのよ」
魔物がいなければラクが出来ると思った小一時間前の自分を平手打ちしてやりたい。
「じゃあ他のパーティを先回りしてよ。案内人なんだから別ルートとか近道とか知ってるんでしょ」
「下層はそんなに詳しくないのよ。だから他の案内人を雇えば良かったのに」
「えー、今更そんなこと言われても困るよ。じゃ今すぐおばさんクビにしたら代わりはいつどうやって来てくれるのさ」
全く、どういう育て方をしたらこんな人間が出来上がるのだろうか。
上流社会には興味も知見も全くないが、こんなのがウヨウヨしているのなら金輪際関わりたくない。
レイチェルは吐き出す先のない呪詛をひたすら胸の内に溜め続けるしかなかった。
「知らないわよ。そんなに知りたいなら試してみたら」
おっと、うっかり感情が表に漏れ出てしまった。
心の括約筋を締め直すレイチェル。
「ああッ! ねえねえ、このおばさんなんか口答えしてきたんですけどw」
ロスティが他の仲間に向かってレイチェルを指差しながら吹聴する。
「ロスティ、その辺にしときなさ~い」
そろそろウザくなってきたのか、ナラクが穏やかに窘める。
「えー、なんで?」
人生で一度も敬語を使ったことがないように思えるロスティ。
実際ほぼその通りで、王族や公爵家の人間にすらうっかりするとタメ口になるのを何度も再教育された経験があった。
尚、その経験が身になっているかどうかは不明。
「あと少しでエンダに着くんだから、我慢しなさいって言ってるのよ」
寛大さにおいてはパーティでもキリトに次ぐ存在のナラクでもさすがにイラついたのか、口調こそ柔らかいままだが目は全然笑っていなかった。
「チェッ、つまんないの」
一方、不満を隠しもしないロスティ。
と、ここで珍しくハリーが低いドスの効いた声で口を挟む。
「静かにしろ」
事ここに至ってようやくロスティも空気を読み出したのか、ぷくっと不満げに頬を膨らませつつ完全黙秘に移行したのだった。
ロスティが静かになったのと、叱られたような形になったことでレイチェルはだいぶ気持ちがすっとした。
「それにしてもここまで徹底的に魔物が掃除されているとなると、件のパーティの方々というのは相当な手練れなのですね」
思いがけず今度はキリトがレイチェルに話しかけてきた。
正直暫く静かにして欲しいし、必死に走ってるこっちの身にもなってほしい。
何より会話が続くとまたどこかでロスティがしゃべり出すのではないかと警戒する気持ちが大きかった。
「ええ、まぁそうなるわね」
無難にやりすごしたい受け答え。
正式な冒険者パーティじゃないけれど、とは敢えて付け加えない。
「もしかするとこの階のボスも既に倒されているのではないでしょうか」
「ええええッ! それは困るよ。ねえハリー」
ほら言わんこっちゃない。
キリトの言葉に我慢ならなくなったロスティがハリーに同意を求めた。
「……面白くないな」
「でしょでしょでしょ! せっかくここまで上がって来たのに二階層連続でボスなしだなんてあんまりだぁぁぁぁぁッ!」
ハリーの許しが出たと了解したのか、ロスティが前にも増して騒々しくなった。
レイチェルのメンタルがまた絶望の淵に沈んでいく。
「確かにそれはつまらないな。今も全然魔物が出てこないし」
マルスまで同調し始めた。
「魔物はいる。だが、もうすぐまたいなくなる」
【気配察知】でロックが離れた場所の様子を感じ取ったらしい。
「なにそれどういうこと?」
「今まさに戦闘中ということだ」
ロスティの疑問に即答するロック。
「どっちだ?」
表情を一変させたハリーにジェスチャーのみで答えるロック。
「どうするつもり?」
イヤな予感がしたレイチェルがハリーに意図を尋ねるが案の定答えはない。
「行くぞ!」
既に走り出しているハリーに他の者も続く。
勝手にメインルートを外れていく七騎士の後ろ姿をうっかり見送っているレイチェル。
「ちょっと!」
慌ててレイチェルも後を追う。
(これはいよいよ私のいる意味がなくなってきたわね)
自虐的になりつつも、精神的にはむしろ解放された感があった。
あんな連中を自分がどうこうできるわけがないのだから、先を行くより後から行く方が全然ラクなのだった。
少なくともその間は一人でいられるのだから――。
* * * * *
「あれ?」
ヤンが怪訝な顔で立ち止まる。
「どうしたんだ師匠」
直後にいたダミアンが尋ねる。
「うーん、ちょっと困ったなぁ」
「だからなにが困ったんだよ」
ダミアンには答えず、後方に向き直るヤン。
「みんな、ちょっと集まって」
ついさっき、周辺の魔物を討伐完了したところなので、休憩かと思ったみんながヤンの周りに集合する。
「あのね、今こっちに他のパーティが近づいて来てるんだけど、どうしたらいいかな」
ヤンがこうして相談してくるというのは非常に珍しかったので一同驚く。
「帝国ではなく、ですか?」
レツがヤンに聞く。
そう思うのも尤もだが、答えはノー。
「うん、違うパーティ」
「普通に挨拶してやり過ごせばいいんじゃないか」
先輩案内人のアノスがそんなの別に普通のことだろという体で答える。
「それがそうもいかない雰囲気なんだよね」
「???」
当たり前だがアノスにはどういうことかわからなかった。
「確かに何か近づいてきてるな」
ダミアンの苦手な【気配察知】でも感知できる距離まで来ているようだった。
「もう少し情報が欲しいな」
レツが促すようにヤンの方を見る。
「実はちょっと前にそのパーティの案内人とバッタリ会ってさ。少しだけ話を聞いたんだ」
「ああ、さっき一人でどっか行ってたのはそれか」
ダミアンが思い出して納得する。
「この時期にわざわざ上がってくるパーティの案内人か。誰なんだヤン」
大波中の下層を上がって来るような物好きとくれば案内も一筋縄ではいかないのではないかとアノスは推察したようだ。
「レイさん」
「レイ……ああ、あの変わった格好の。確かB級のレイチェルだったな」
確か中層の案内研修をしたうちの一人だったなとアノスは思い出す。
(物好きと変わり者の組み合わせか……)
「そうそう、その人」
「彼女と知り合いだったとは意外だな」
「知り合いっていうか、前にたまたま中層で一回会っただけなんだけど」
「取り込み中悪いが、のんびり話なんかしていて大丈夫なのか」
ダミアンが心配そうに割り込んでくる。
相手方は結構な速度で近づいて来ているらしかった。
「ああ、すまない。ヤン、続けてくれ」
「そのレイさんが連れているのは王国のパーティらしいんだけど、なんかちょっとよくない雰囲気なんだよね」
「よくない、とは?」
レツが尋ねる。
「なんかこう、好戦的な感じ?」
「なんだよそれ。まさかこっちを襲って来るつもりなのか」
ダミアンの顔は半分喜んでいるように見える。
「引くか残るか、だな?」
リンがヤンの目をじっと見ながら言うと、ヤンが頷く。
「迷宮内での冒険者同士の争いには罰則規定があるんだ。向こうにも案内人がいるんだし、そうそう無茶はしないんじゃないか」
常識的にはアノスの言う通りなのだが……。
「でも俺たち冒険者じゃないですよ」
レツが厳然たる事実を突き付けてしまう。
「ん、そう言えばそうだったな……この場合、どうなるんだ?」
アノスにとってもイレギュラーな状況だった。
「一応、ギルドへの届出は臨時パーティ扱いで提出してますけど」
手続きをした本人なのでその辺は抜かりないレツ。
「それでも冒険者登録はしていない、か……ややこしいな」
A級案内人のアノスでも判断に困る事例に該当するとなると、途端に怪しくなってくる。
「問題ない。ここには保安局の人間が三人もいるのだぞ」
リンが自信満々に断言する。
何がどう問題ないのかは不明だが。
「姉様、まさか緊急特例を使うつもりですか」
レツが青い顔になってリンに迫る。
「何か問題があるか」
当然だというリンの表情。
「しかし姉様、万が一不適切判断がされたら……」
「問題ない」
緊急特例はギルド憲章及びガイドラインに記載のない事例又は状況に対して、保安局員が自らの判断で裁定することを許可するという保安局ガイドラインの条項であり(監査局ガイドラインにも関連条項あり)、立ち会う保安局員の同意があればあるほど説得力を増す、つまり後から処断される可能性が低くなるというものであった。
現実に緊急特例が適用されたのは過去に三度あり、うち一回は裁定が過剰で不適切であったとして当該保安局員が罷免の上禁固五年の実刑を食らっていた。
通常、保安局員は罪人に対して拘束を原則としているが、逃亡の恐れがある場合や他人を害する恐れがある場合についてはその場で処断する権利が認められていた(断罪権)。
これ自体も度々問題になっているのだが、緊急特例の場合は対象を裁く根拠となる法が不在であるためその正当性については慎重に判断されねばならないというのがギルド全体の総意として周知されていた。
それでもリンの意思は揺るがない。
「全くこれだからうちの局長は……」
と言いかけてリンにジロリと睨まれ、言い淀むダミアン。
「それで、どうするんだヤン」
アノスが最終決断を促す。
「……ごめん、時間切れみたい」
ヤンが頭の後ろを掻きながら通路のひとつを見やると――。
「こんにちわーッ!」
無駄に爽やかで元気の良い声が広間内に大きく響く。
声の主はマントを着たヤンより少し年上程度で育ちの良さそうな少年だった。
「みんな、冷静に。俺が交渉する」
最年長のアノスがメンバーだけに聞こえる低い小声で伝えると、数歩前に出る。
少年の後ろから男(怪しいのが若干一名)が五人続く。
結構な速度で移動してきたはずなのに呼吸を荒くすることもなくゆったり歩いている。
「ん?」
案内人のレイチェルの姿が見当たらないことに気付いたアノスがヤンの方に視線を送ると、ヤンは「う・し・ろ」と口の形で伝えてきた。
(なるほど、置いていかれたわけか……)
迷宮で案内人を置き去りにして勝手に先へ行くような連中ということだけは理解した。
「やぁ。我々に何か用でも?」
一応の営業スマイルを作って応えるアノス。
わざわざ近づいてきたのだからありきたりの社交辞令よりも単刀直入に聞いた方がよいとの判断。
「ああ、やっぱりもう全部倒しちゃってる。遅かったかぁ~」
質問には答えず周囲を見回して残念がる少年。
するとその後ろにいたローブを着た二十代風の若者が前に出てきた。
「失礼しました。私たちは聖アリアルド王国の冒険者パーティです。かなり激しい戦闘の気配がしたので加勢をと思って駆け付けたのですが、無用な心配だったようですね」
(加勢ときたか……なかなかうまい方便だな)
もちろん言葉通りに受け取るほどアノスもお人好しではない。
「わざわざ来てくださったのにすみません。我々の方は心配ありませんので、どうぞお先に」
一応礼を言っておく方が無難だったか、と思ったがまぁいい。
右手を斜め下にして、どうぞと促すアノス。
「せっかく来てあげたのになぁ。そうやってすぐ追い払おうとしなくてもいいのに」
最初程の大声ではないものの、わざと聞こえるように言う少年。
「ところで皆さんの案内人はどちらに?」
当て付け気味に尋ねるアノス。
「ああ、あのおばさんなら今頃一生懸命追いつこうと頑張ってると思うよ」
無邪気な笑顔とは真逆の毒しかない言葉。
「すみません。急いだ方が良いと判断したので私たちだけ先行してしまったのです。もちろん、ここで彼女を待って先へ進みますよ」
ローブの若者は常識を弁えているようだが、どこまで本当なのかはわからなかった。
隣の少年の不満げな表情が何よりそれを物語っていた。
「ご挨拶が遅れました。私はA級案内人のアノス・ホックリーです。こちらのパーティの案内人をしています」
「ご丁寧にありがとうございます。私はキリト・オルト・アマステルク。王都のアズール神殿で神官を務めている者です」
「ねえねえ、この人A級案内人なんだって! あのおばさんとチェンジできるかな」
「ロスティ、アンタはちょっと静かにしてなさァい」
ロスティと呼ばれた少年の腕をむんずと掴んで後へ引っ張っていったのは厚化粧のマッチョ。
一瞬聞こえた声色からするとこの男も静かにしていてもらいたい類の人間に思えたが、もちろんアノスはそんな事は口にも顔にも出さない。
そこへようやくといった体でヘロヘロになったレイチェルが到着した。
「ハァ、ハァ、ハァ……。あ、アノスさん」
そこまで全力疾走はしていなかったが、あたかもそうしてきたかのように装うレイチェル。
アノスがヤンと同行していたとは知らなかったが、とりあえずアノスに向かって声をかける。
「レイチェル君か。お疲れのところ申し訳ないが、状況を説明してくれないか」
「はい、あの……こちらは王国から来られた七騎士の皆さんです。エンダに向かっている途中で、戦闘の気配がするというのでメインルートを外れてこちらに来ました」
「それは先程アマステルクさんから聞いた。だがよほどの非常時でもない限りそれぞれのグループは適切な距離をとって行動するのが迷宮内のルールのはずだ。B級の君がついていながらどうしてこんなことに」
先輩として言うべき事は伝えておかないといけないアノス。
「それは……察してください」
俯いたレイチェルの言葉の後半は蚊の鳴くような声になっていた。
「ホックリーさん、どうかその辺で許してあげてください。私たちが無理を言ってしまっただけなんです。彼女は悪くありません」
キリトの穏やかな正論には抗える者はいない、と思えるような説得力があった。
「はぁ、まぁそういう事でしたら」
元よりアノスにはレイチェルを本気で糾弾するつもりなどなかった。
ただ、他所から来た得体の知れない連中に目の前で同僚が悪し様に言われるのはあまり気持ちのいいものではない。
ならば自分が先に叱咤することで、ポジションに少し干渉してみたのだがまずまずうまく行ったらしい。
にしても目の前の神官と先程まで騒いでいた少年とでは、まるで飴とムチのようだな、というイメージがアノスの頭にふと浮かんだ。
キリトが他のメンバーと視線を交わす。
「それでは私たちは先に行かせていただきますね。レイチェルさん、いいですか」
「あ、ええ。大丈夫よ」
レイチェルが背筋をすっと伸ばして気持ちを作るのがわかった。
「それじゃ、お先に失礼します」
軽く頭を下げて七騎士を先導して行くレイチェル。
ヤンの近くを通り過ぎる時にレイチェルが一瞬だけ視線を合わせたように見えたが、すぐに前を向いて足早に進む。
(それにしてもちょっと速すぎないか?)
アノスはレイチェルの全力走並みの速さに気付いて違和感を覚えるが、結局そのまま見送るしかなかった。
「行ったな……」
完全沈黙を貫いていた四人の内、最初に口を開いたのはダミアン。
いつもの軽口ではなく、どこかほっとしたようなニュアンスだった。
「すごい連中だった……」
レツが深刻な表情でぼそりと呟く。
「ああ、アレはちょっと格が違うぞ」
リンもレツに同意。
「アマギ局長がそこまで言うほどなのか」
アノス自身も彼らに向き合った時、ピリピリとしたプレッシャーを感じていたのだが、そこまでとは正直思っていなかった。
「やべーな、ありゃ。どうやっても勝てねぇぞ」
ダミアンが観念したように、そして悔しそうに吐き捨てる。
「王国は本気で階層突破するつもりなんだな」
レツの言う通り、どこか寄せ集め感の拭えない帝国軍に比べ、最上級の少数精鋭で入塔してきた王国パーティの本気度と諜報力の優秀さは際立っていた。
「まだまだ強くならなければ。ヤン、続けるぞ!」
リンの競争心に火がついてしまったらしい。
「ところで、王国の連中、行かせてしまって良かったのか? このまま進むと帝国軍と鉢合わせする可能性もあるぞ」
アノスがヤンに向かって確認する。
「先回りしよう。ついでに魔物退治」
迷うことなくヤンが告げると、萎んでいた空気が少し持ち直した。
例えどんなに力量差があったとしても諦めたらその時点で永久に負けが確定するというのを身を以て理解している者ならではの割り切りと不屈さの為せる業か。
「行くぞ!」
勝手に先走ったリンに苦笑いを見せてから追いかけるヤン。
「リンさん、こっちこっち」
リンのベルトの後ろを掴んで方向修正を促すヤン。
「ああ、そうか。すまない」
少しだけ赤面しながら向きを変えるリン。
走りながら元の隊列に戻って、魔物を倒しつつ七騎士を迂回するように帝国軍パーティの方へ進むヤンたちであった。
* * * * *
七騎士たちは普通の早足で移動していた。
「どう見る、レオ」
ハリーがレオナルドに先程出合った連中について感触を尋ねる、
普段は口数は少ないが興奮してくると口も滑らかになる傾向があった。
「予想以上だな」
「やはりそうか」
「ロック。お前はどうだ」
ハリーが今度はロックに同じことを尋ねる。
「うちにスカウトしてもそこそこやれるだろうな。あの案内人は別として」
「そこそこっていうか、なんとか、じゃないの? あの程度ならボクの魔法一撃でみんな倒せるよ」
「お前には聞いてない」
ハリーがきっぱりと宣告。
「ええ~ッ、ひどい! 差別だ差別。ボクの意見もちゃんと聞いてよ」
「でもあの案内人はこの後エンダから先へ行く時の候補として、いいかもしれませんね」
「いや、アレじゃ厳しいだろうな」
キリトの発言を即座に否定するロック。
「じゃあ誰に案内人を頼むのさ。A級がダメならS級しかいないじゃん。S級ってめちゃくちゃ高いんじゃなかった?」
ご名答ロスティ。
S級の案内人報酬は最低でもA級の三倍程度にはなるのだった。
そもそもA級ですら相当高額なので、今雇っているB級と比較するとS級は目玉が飛び出る程には高くなると思われる。
「ヤンだ」
レオナルドが自信満々にその名を告げる。
「またヤンか。お前がそこまで拘るとは珍しいな。何故なんだ」
理解できないという顔のハリーがレオナルドに尋ねる。
「報告書を見ただろう。クレイジーヤンにドリルヤン。冒険者ではないがバルベル最強の呼び声まであるんだ。俺たちの案内人としてヤンほどふざわしいヤツはいない」
この遠征への参加になかなか同意しなかったレオナルドが最終的に同行するのを決めたのは報告書に記載のあったヤンという人物に興味を抱いたからだった。
「しかしまだC級で十二歳の子供だぞ」
一応ハリーも報告書にはちゃんと一通り目を通しているらしい。
「愚門だな、ハリー」
「ぐっ……」
レオナルドに真っ向から言われて言葉に詰まるハリー。
確かに自分が言ってるのはただ報告書にある事実を否定材料として投げかけているだけだった。
そこに自分なりの評価や判断は何もない。
誰かが自分にそんな発言をしたら途端に雷を落とすだろう。
「実際に確かめてみたらいい。案内人の戦闘サポートオプションでパーティの戦闘に参加してもらう」
レオナルドの言うことに、確かにその通りだと納得せざるをえないハリー。
「でもあのおばさんも戦闘サポート付けてるんでしょ」
「本人の力量が足りてなければ意味がない」
「そのヤンって人なら足りてるんだ。へぇ~」
レオナルドに食って掛かっているように聞こえるかもしれないが、これがロスティの通常会話だった。
「それを確かめるって話だろ。報告書を見てないのかよ」
マルスは既に納得しているようで、レオナルド側に回っていた。
「見たよ。見たけどボク、自分の目と耳と直感しか信用してないんだ」
なかなか粘るロスティに呆れるマルス。
「ならその直感とやらでさっきの連中を評価してみてくれ」
ロックが半分冗談、半分本気モードで聞いてくる。
「まず案内人は論外。残り四人のうち少年を除いた三人はそこそこできるかな。マルスといい勝負。あの女の人、なんかものすごい睨んできてたんだけどたぶん性格悪いね。で、最後の少年だけどあれだけはよくわからない。強いのか弱いのかも。何も感じられないって普通はかなり上級者だからね。でも見た目そんな風に思えないし。そういうロックはどう思ったの、あの少年」
途中の「マルスといい勝負」の部分でマルスが「ハァ!?」と大きな声でツッコんだのだがロスティは全く取り合わず最後まで話しきった。
「オレにもよくわからない。ただ、なんとなくあの中で彼がリーダーだと感じた」
「なに? あの子供がか」
ロックの発言にハリーが驚く。
「確かにしゃべってるのは案内人だけで他の連中はみんな静かにしてたからわかりにくかったわね。でもあの男の子、なかなかそそる雰囲気だったわよ。アタシ、ビビッとキちゃったわん」
「お前まであの子供をかってるのか。くそ! オレもヤキが回ってきたな」
どうやらハリーにはヤンがピンときていなかったらしい。
そもそも視界に入れていたかどうかも怪しかったのだが。
「連中、後を付いて来るかと思ったが別な方向へ向かっているみたいだな」
ロックが【気配察知】で感知した情報を伝える。
「そりゃそうでしょ。この先の魔物はボクたちの獲物なんだから」
ロスティが得意気に言ったその時、ロックが再び口を開く。
「前方二百。数二十以上」
「やった。やっと魔物に会える!」
「動物園に来た子供みたいね、全くこの子は……」
ナラクが茶々を入れる。
「数多いぞ。油断するな」
言いながら誰よりも先にダッシュするハリー。
マルスが負けじとそれを追い抜いていく。
ハリーからやや遅れてロックとレオナルドが続く。
「ボクらの分もちゃんと残しておいてよ~」
ロスティが後から声をかけるが当然ノーリアクションなので、仕方なくナラクとキリトと三人だけ【移動加速】でラクに進むことにした。
* * * * *
「なるほど。それでわざわざこちらに伝えに来てくださったんですな」
ナンダス准将の傍らで参謀長がレツに礼を言う。
レツは一人先行して帝国軍パーティに接触して王国のパーティの事を知らせたのだった。
幸いにも帝国軍は王国パーティの進むルートから外れたボスエリアの北側に移動していた。
ちなみに残りの四人はボスエリアの近く、王国パーティのルートと反対側で魔物狩りに没頭していた。
「七騎士と言えば帝国にも名前が通っているSランクパーティだったな」
ナンダス准将が複雑な表情でボッツ少将の様子を伺っているが、ボッツ少将の表情に変化はなかった。
「エルモンド大佐は七騎士のことはご存じでしたか」
参謀長が尋ねると渋々といった感じでエルモンド大佐が答える。
エルモンド大佐はかつて軍の作戦で王国に潜入していた時期があったので帝国軍人の中では王国事情に詳しい方だった。
但し、その作戦について知る者は極一部の者のみだったため、『王国通の大佐』というのはどこからともなく流れてきた風評のようなもので大佐自身もそれについては好ましく思っていない様子で、普段はアンタッチャブルなネタとされているのだった。
「ええ。リーダーのハリー・オルヴァンともう一人、レオナルド・フォン・アルサックという男のことは多少知っています」
単に風評として知っているというだけではなさそうなニュアンスだった。
「ほぉ、それでその二人はどんな人物で?」
「どちらも人間離れした英雄級の強さです。おそらく会えばわかります」
何がわかるのだ、と疑問に思いつつも大佐の様子からこれ以上引き出すのは難しそうなので諦める参謀長。
「それで、どうされますか。彼らがエンダ方面へ行くまで待つか、ひと悶着覚悟でボスエリアに行くか」
レツが方針を尋ねる。
ナンダス准将と参謀長がボッツ少将の方を見ると、ボッツ少将は大きく頷いて見せる。
「行きましょう。アーマーグリズリーは譲ってやってもいいが、せめて戦いぶりくらいは見ておきたいですからな。はっはっは」
参謀長がレツに告げると大声で笑った。
「言っておきますが、かなり驚くと思いますよ」
「ほぉ、そんなにかね。それはますます楽しみだ。ははは」
今度はナンダス准将が笑い出した。
第十九階層での魔物狩りを連日続けていることで、何かヘンな物質が脳内で分泌されているのかもしれない。
「わかりました。では行きましょう」
レツが先導する形で帝国軍パーティの十二名はボスエリアへ向けて移動を開始した。
* * * * *
第十九階層のボスエリアは静まり返っていた。
「あれ? やっぱりボスいないじゃん! ちょっとぉー」
広間の中央付近まで走っていって周囲を見渡し、何もいないのを確認するロスティ。
「ロスティ、戻るんだ」
「チェッ、つまんないの」
ロックの警告をまるで相手にしていない感じでフラフラしながら戻って来るロスティ。
「じゃあもうこのままエンダに行っちゃう?」
「いや、まだだ」
「さっきから何なのロック。見たらわかるでしょ。何もないし誰もいない」
「お前こそ、少しは警戒しろ。軽率すぎる」
なんでここにきてそんなうるさい事を言うのか全く理解できないロスティだったが、念のため魔力を展開する。
索敵や察知とは異なるが、ロスティは自らの魔力を周囲に薄く展開する事で肉眼では得られないような情報を取得することが出来るのだった。
有効範囲が狭い(ロスティを中心に半径十m程度が精度的に限界)のが玉に瑕だが、常に有用な手段なのだった。
「やっぱり何もないよロック」
「もっと深くまで探ってみろ」
「深くって地面の中って事? それはちょっとこれじゃ難しいんだけどなぁ……あ!」
魔力を地面の中に行き渡らせるのは難しいが、地表部分に集中してより細やかな変化を捕える事は可能だった。
「中になんかいるッ!」
ロスティが思わず叫ぶ。
「シーッ」
ロックが唇に指を当てて静かにしろと合図。
それにしても察知系スキルでも地面の中まではなかなか捉えられないのだが、ロックの場合はハンター経験からくる勘もあるのだろう。
最初から地中に敵がいるのをお見通しだったように思われる。
「これ、どうするの?」
ロスティが小声で誰にともなく尋ねる。
「中から出さないことには始まらん」
ハリーが仏頂面で答える。
「地面に剣をブッ刺したら出てくるんじゃないの?」
短絡的な意見を述べたのはマルスだった。
「ならやってみろ」
「いや、俺のは剣じゃないし……」
「アタシがやってみるわ」
マルスが言葉を濁したところへナラクが追い出し役に名乗りをあげるとさっさとスタンバイ位置に移動。
ナラクのレイピアは『エペリエーム』という名で、魔力を通すことで剣身が伸縮する魔剣なのだった。
「いくわよ~ッ! エイッ、ハッ、ヨッ、ヤッ……」
ナラクが踊るように地面に剣を何度も突き刺していく。
何度目かの時に、いきなり激しい地揺れが起きたかと思うとナラクのすぐ横の地面が割れて魔物が飛び出してきた。
グォァァァァァァァッ!!
轟音のような咆哮と共に巨大なアーマーグリズリーがナラク目がけて剛腕を振るう。
「出たわよッ」
「よしッ!」
「もらいーッ」
ナラクが華麗なバックステップで攻撃をかわすのと同時にハリーとマルスが突っ込んで行く。
レオナルドとロックは完全にお任せモードで動かず。
キリトとロスティは五mほど距離を取る位置まで詰めながら攻撃やサポートのタイミングを計る。
とはいえ前衛が三人もいれば自分らの出番はまずないだろう。
バックステップで距離を取ったナラクがそのままエペリエームを伸ばして腕を斬りつけるが刃が通らず。
この鉄壁の防御力こそアーマーグリズリー。
「カッチカチね……このクマさん」
ナラクが呆れているところ、アーマーグリズリーの右後方から飛び込んだマルスがウォーハンマー『エニグマ』を頭目がけて横殴りに叩きつける。
咄嗟に反応したアーマーグリズリーが右腕でガード。
ハンマーは肩口にヒットするも遠心力が充分に伝わらないタイミングだったため、肉は裂いたが骨には達せず、さほどの痛手にはならなかった。
それでも鋼以上に硬い毛を押し退け皮膚に達してダメージが通ったのはさすが。
「チィッ、浅かったか」
空中で二撃目をマルスが振りかぶっているうちにハリーが横から体当たりをブチかます。
ガァァァァァッ!!
左腕でマルスを捕えようとしていたアーマーグリズリーがもんどり打って転がると地面が揺れた。
「深追いするな」
ハリーが次の一手を溜めながら背中越しにマルスに声をかける。
「ごめん、油断した」
一撃目をしくじったのでつい熱くなって二撃目を欲張ってしまった。
若獅子マルスは若干二十歳ながら十二歳年上のリーダーであるハリーにも常にタメ口の物怖じしない性格だった。
同じタメ口でもロスティとは印象が全く異なるのはこうして素直にすぐ謝ることが出来るか否かだった。
「フンッ!」
起き上がったアーマーグリズリー(ダメージがあるのか動きが鈍い)へ狙いすましたハリーの【刺突】レベル5が炸裂する。
ドシューッ!!
頭が完全に吹き飛んで首からシューッと血が噴き出たままゆっくりと仰向けに倒れるアーマーグリズリー。
「ちょっとハリーちゃん、早すぎッ。もうちょっと楽しませてよォ」
エペリエームの先をキュッキュッと磨きながら不満を垂れるナラク。
ハリーが出て来た時点で自分の出番はないともう武器の手入れをしていたのだった。
アーマーグリズリーが残した大きな魔石はロックが回収。
「やっぱり下層はこんなものかぁ。中層はもう少し歯応えがあるといいね」
ロスティがロックの横から魔石を眺めながら軽口を叩く。
「それならお前に全部任せる」
至近距離のロックに真顔で言われたロスティは「えー、みんなで仲良く分担しよ」と言いながら数歩後ずざり。
「他に魔物の気配はないようですね。どうしますか、ハリーさん」
周囲を伺っていたキリトが念のためロックとロスティに視線で確認を取りながら、リーダーにお伺いを立てる。
「ネズミが出てこないなら先へ行くだけだ」
ハリーがいつもの仏頂面で答えると他の面々も同意の雰囲気。
「じゃあお先に~~~~ッ!」
ロスティがスペース全体に響き渡るような大声を出すと、レイチェルが先導してエンダへ向かう道へ移動を始める一行。
さすがにもう全力疾走する必要がないのはレイチェルには有難かった。
八人の姿が消え去ったボスエリアの広間に人影がパラパラと集まって来た。
「あ、レツさん。お帰り」
一番初めに言葉を発したのはヤンだった。
「ヤン君、そっちも最初から?」
「うん。向こうも気付いてたみたいだね」
ヤンたちは七騎士よりほんの少し先に到着していたが、王国のSランクパーティの戦いぶりを見るためにスペースに入る手前のところに待機していた。
一方のレツと帝国軍パーティはその少し後、七騎士がボスの魔物を探している時に別ルートでスペース手前まで来たのでそのまま気配を殺して(殺したつもりで)見学を決め込んでいたのだった。
「あれが王国のSランク……」
アノスが感心したのか呆れているのかよくわからない風に呟く。
「秒殺でしたな」
興奮冷めやらぬといった体の参謀長。
「あのアーマーグリズリーをたったの一撃とは……。あれがリーダーなのか」
ナンダス准将がエルモンド大佐に確認すると、大佐は頷く。
「ハリー・オルヴァン。王の盾と呼ばれる三英雄の一人です」
「盾のくせにえげつない攻撃力だったな」
ノックホルト中佐が驚きのあまりうっかりタメ口になってしまう。
「あの男の技……まさか【刺突】のレベル5をあんな簡単に扱える人間がいるなんて……」
同じ【刺突】持ちのムンバ少佐が信じられないといった顔で呟く。
【刺突】レベル5はその破壊力と貫通力において最高レベルの技と言われており、レベル4のチャージ時間を数倍数十倍に短縮して放つことが出来た。
それはつまりレベル4と同じ時間チャージすれば数倍数十倍の威力になるということであり、最大火力は理論上は上限がないとされているが、その分チャージ自体が極めて繊細で難しくなっており、更に打った後の反動も威力相応に厳しいものになるという諸刃の剣でもあった。
このように【刺突】のレベル4とレベル5には越えられない壁があるというのが通説であり、レベル5を使える者自体が極めて稀であるだけでなく、使える者同士でも練度はピンキリだった。
ムンバ少佐自身、レベル5を扱えるようになるのを目標にしてはいたが、あそこまで完璧に使う姿を見せつけられてしまうと軽く心が折られてしまったような気分になるのだった。
「遊びは終わりだ」
突然ボッツ少将のよく響く低音が聞こえたので帝国の人たちがビクッと反応する。
「閣下、まさか……」
「待ってください閣下。無謀過ぎますッ!」
ナンダス准将の言葉が終わらないうちに横から参謀長が口を挟む。
ジロリと睨みを効かせるだけで無言を貫くボッツ少将。
「まずは編成について検討すべきでしょうな」
エルモンド大佐が言うと、ボッツ少将の表情が少し動く。
「戻るぞ」
とだけ言うと真っ先に歩き出すボッツ少将。
ではお先に、とヤンたちに軽く挨拶をして帝国軍パーティはエンダ方面へ帰って行った。
「おい、まさか中層に行くつもりなのか……」
帝国軍パーティの背中を見送っていたアノスが信じられないという顔で振り返ると、少し離れたところで天井を見上げるヤンが目に入った。
アノスも天井を見上げてみたが別に何もない、ただ岩だらけの天井があるだけだった。
「ヤン?」
声をかけるが反応なし。
アノスが視線を動かすと他の三人もヤンを見守っている様子。
ダミアンは何故か嬉々とした顔。
レツは優しい笑顔にどこか寂し気な瞳。
リンは深刻な悩みでもあるかのように眉間に皺を寄せて唇を噛みしめ、何かに耐えているような表情。
もう一度ヤンに視線を戻すと今度は本人と目が合った。
その目でようやくアノスにも理解出来たのだった。
(そうか。お前も決めたんだな、ヤン)
不思議と驚きはない。
なんとなくそんな予感がしていたことにアノスは今更ながら気付いていた。
自分の立場的には考え直すよう説得するべきなのだろうが、とてもそんな気になれなかった。
むしろヤンには思い切りやりたいようにやってもらいたいと思っていたのだ。
ならば自分は出来る限りの支援をしてやるだけだ。
アノスの心も決まった。
だが実際にはヤンの思惑はアノスの想像を遥かに超えていたのだった――。





