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047.大波(二)

 第十九階層のボスエリアでは今日も帝国軍迷宮攻略選抜パーティが代理主(ボスもどき)ハンティングに精を出していた。


「今だッ、氷結(フリーズ)


 参謀長の合図で氷魔法が使える者四人が同時に魔法を発動する。

 四重詠唱(クアドラブルスペル)の効果は凄まじく、代理主ボスもどきとして鎮座するアーマーグリズリーをも数秒で下半身まで一気に凍らせる。


 しかしアーマーグリズリーは有り余るパワーに物を言わせ無理矢理下半身を動かすことで表面の氷を砕き剥がしてしまう。

 四重詠唱(クアドラブルスペル)をもってしても、アーマーグリズリーの体の内部まで効果を及ぼすのは難しいのだった。


 立ったまま両手を振り回して攻撃してくるアーマーグリズリーの前に立ち塞がるのはボッツ少将だが、大きなバスターソードで攻撃を受け止める度にじりじりと後退させられていく。

 人間離れした膂力のボッツ少将なればこそ、こうして受け止め切れているのだ。

 もしこれが他の帝国人であれば一発で吹き飛ばされるほどの威力だった。

 それでも受け止める際のダメージがゼロというわけにはいかず、その蓄積と疲労であまり長くは持ちそうもなかった。


「プレスキーッ!」


 参謀長に階級を省略して名指しされたプレスキー一等兵はアーマーグリズリーの真下に落とし穴を作る。

 マッドベアとの戦いでイヤという程経験したのでタイミングも穴の規模もドンピシャリ。


 但し今回はその後、上から落石を加えるのが新たな手順だった。

 石で穴の隙間を埋めてアーマーグリズリーの動きを阻害するのが目的だったのだが、落した傍からぼこぼこ岩が弾き飛ばされる。


「よしッ、氷結(フリーズ)


 参謀長が再び合図をして、四重詠唱(クアドラブルスペル)氷結(フリーズ)で岩ごとアーマーグリズリーを凍らせにかかる。


 ボッツ少将はこの隙に回復役(ポーション)で体力を回復。


 アーマーグリズリーが穴の中で動きを封じられたのはほんの数秒間だったが、その数秒こそムンバ少佐が必要としたものだった。


「ハァッ!」


 バシューッ!!


 頭部を狙った刺突(スラスト)レベル4だが、直前に氷結を解いたアーマーグリズリーの右腕がそれを阻止。

 代わりに右腕前腕部を半分抉り取る。


 刺突(スラスト)のチャージ時間が0コンマ数秒長かった――。

 あとほんの少しだけ早く打てれば頭部を完全に吹き飛ばせたものを。


 ゴアァァァッ!!


 アーマーグリズリーは怒りの咆哮を上げると、滅茶苦茶に周囲の岩を弾き飛ばして空間を作り、あっという間に穴から抜け出してしまった。


 そこへ体力満タンで待ち受けていたボッツ少将の渾身の一撃が振り下ろされる、


 ガキンッ!!


 アーマーグリズリーはなんなく左腕でそれを防ぐと、そのまま迷わず負傷している右腕を振りかぶる。

 

 そこを狙いすましたように死角からノックホルト中佐が斬馬刀でちょうど負傷した部分に【斬撃】で斬りつける。

 さすがのアーマーグリズリーの鋼の肉体でも既に大きく抉られた部位の防御力では到底堪えられず、右前腕部切断。


 グゴアァァァァァァッ!!


 激痛と怒りに半狂乱になったアーマーグリズリーが暴れまわる。

 半狂乱ながらも、恐ろしいまでの復讐心で今腕を斬り落としたノックホルト中佐と、その前に負傷させられたムンバ少佐を執拗に狙ってくる。

 右前腕部から噴き出す血が飛び散って辺り一面、そしてボッツ少将、ノックホルト中佐、ムンバ少佐の三人までもが血みどろ。



「お、やってるやってる」


 エンダの方からヤンたちが現れるが、帝国軍パーティは戦闘に集中していて気付かない。


アーマーグリズリー(よろいグマ)だな。ありゃ難儀するぞ」


 アノスが言葉ではそういいつつも、深手を負っているアーマーグリズリーを見て感心した様子。


「だからもっと早く出ないと先を越されるって言ったんだ」


 ダミアンが悔しそうに不満をぶちまける。


「帝国の獲物を横取りしたら恨まれるぞ」


 レツがダミアンを茶化す。


「そんなもん早いモン勝ちだろうが」


 ダミアンはまだ不満たらたら。


「なら今回は帝国のモノではないか」


 最後尾にいたリンが正論でトドメを刺す。

 ダミアン墓穴。


「それにしてもすごい光景だな……」


 アノスが血まみれの地獄絵図を見て溜息をつく。


 そのまま静かに帝国軍パーティの戦いを見守る一同。



「プレスキー!」


 再び参謀長の合図で、プレスキー一等兵は【泥沼(ボグ)】の魔法でアーマーグリズリーの周辺の地面を泥沼化した。


 【泥沼(ボグ)】は土魔法の定番だが 効果範囲と深さの指定加減がなかなか難しく、実戦で使用するにはかなりの熟練が必要とされる魔法だった。

 しかしヤンのドリルで薫陶を受けたプレスキー一等兵は見事にコントロール出来ていた。


 泥沼にふくらはぎあたりまでハマったアーマーグリズリーは途端に動きが鈍くなる。


「泥沼ごと凍らせろ! 氷結(フリーズ)


 参謀長が三度目の合図を出すと三度四重詠唱(クアドラブルスペル)氷結(フリーズ)が発動。

 アーマーグリズリーを中心に泥沼の周囲が円状にパキピキと凍っていく。


「中心に魔力を集中しろッ!」


 これまで空気だったナンダス准将が発破をかけると、アーマーグリズリーの足下に急速に冷気が集まっていった。

 沼の最深部までカッチカチに凍らせるだけの魔力だ。


 完全に足を固定されたアーマーグリズリーが凍った沼の表面を両手で叩きつけて氷を割ろうとするが、奥まで凍った沼は表面の凍った泥が少し削れる程度で相変わらずアーマーグリズリーの足をしっかりホールドして離さない。


 今がチャンスとムンバ少佐が刺突(スラスト)レベル4のチャージに入る。


 それに気付いたアーマーグリズリーが必死に両手を振るうが、無為に時間が過ぎるのみ。


「ハァッ!」


 バシュッ!!


 ムンバ少佐の気合とほぼ同時にアーマーグリズリーの股間部分が大きく欠損する。

 両足が固定されていたからこそ狙える、鋼のような体毛が薄い場所。

 

 ボタボタと音を立てて落ちる大量の血と内臓。


 ほとんど悲鳴に近い咆哮を上げてアーマーグリズリーの動きが止まった。


 ノックホルト中佐が真正面から欠損した股間に斬馬刀を深々と突き刺す。


燃焼(バーニング)ッ!」


 スキル【燃焼(バーニング)】で剣先を通してアーマーグリズリーの内部を燃やす。


「ハアァァァァァァァッ!!」


 ノックホルト中佐が全身全霊を込めて焼き尽くす。


 グボォァァァァァァァァ……。


 最後の方はゴボゴボと泡のような音になって消えていくアーマーグリズリーの断末魔。


「中佐ッ! そこをどけぇぇぇぇッ!!」


 突然後ろから大声がしたのでノックホルト中佐は斬馬刀を引き抜いてその場を離れる。


「フンッ」


 ボッツ少将がバスターソードをバッティングの要領で全力で振り抜くと、アーマーグリズリーの凍った両の脛を強打。


 バキン!


 と恐ろしい音が響いて膝下部分が完全に砕け、前に倒れ込むアーマーグリズリー。


 更にボッツ少将、今度はバスターソードの刃を縦にして俯せに倒れたアーマーグリズリーの口の中に突っ込むとそのまま真上に斬り上げる。


 アーマーグリズリーの頭部の口から上がパッカーンと真っ二つに開いて完全に絶命。


 まだ燃焼の炎が残っている状態で肉体が消滅すると、後には大きな魔石がひとつ残った。


 ボッツ少将がそれを拾い上げると、ナンダス准将が駆け寄って受け取る。


「ご苦労だった諸君」


 ボッツ少将の言葉で全員敬礼。


「わぁ、すごーい」


 パチパチパチ。

 声と拍手でようやくヤンたち一行に気が付いた帝国軍。


「ヤン君ッ」

「ヤン教官ッ……あっ」


 ムンバ少佐に続いたプレスキー一等兵がうっかりその呼び方をしてしまった後で思わず口を両手で塞ぐ。


「教官?」


 ナンダス准将がその呼び方を気に留めるが、それよりヤンたちがいた事の方により意識を持っていかれる。


「アノス殿ではないですか」


 参謀長がアノスに声をかけるとアノスは軽く一礼で返す。


「レツ殿、ヤン殿、その節は世話になりました」


 ノックホルト中佐が二人に向かって敬礼する。


「ウェルド殿まで。皆さんお揃いでどうされたのですかな」


 ナンダス准将が興味津々で尋ねる。

 さきほどのプレスキー一等兵の発言については既に記憶の彼方か。


「まぁそちらさんと同じってところですかね」


 ダミアンがもってまわった言い方で答えると、ナンダス准将にはすぐに伝わったようだった。


「なるほど、精が出ますな。しかしウェルド殿ほどの方でもまだ必要なので?」


「いやいや、俺なんかまだまだ全然っすよ。うちの師匠に比べたらウッ……」


 言いかけたところで横腹にヤンから肘打ちが入る。


「そう言えばヤン殿とは久しぶりですな。うちのムンバ少佐はじめ第三小隊が大変お世話になったようで、改めてお礼申し上げます」


 ナンダス准将が今度はヤンに矛先を向けた。

 この時、ヤンに尋常ならざる注目が集まっているのを誰もが(ヤン自身も)感じていた。


「別にお礼なんていらないよ。ボクは仕事しただけだから」


「はは、ではそういう事にしておきましょう。『強者は常に謙虚であれ』を地でいってますなぁヤン殿は」


 困った様子で愛想笑いするしかないヤン。


「そう言えば、そちらの方は初めてお目にかかりますな」


 参謀省がリンの方を見ながら尋ねてくる。


「はじめまして。迷宮ギルド保安局長のリン・アマギと申します。こちらのレツは実弟になります。弟ともどもどうかよろしくお願いいたします」


 軽く頭を下げるリン。

 びっくりするほどまともな挨拶。


「おお! レツ殿の姉君でしたか。しかも保安局長をなさっておられると。お会いできて大変光栄です。こちらこそご挨拶が遅れまして失礼いたしました。私は今回の遠征隊の参謀長を務めておりますハウエル・フォン・シュタインベルガーと申します。今後ともよろしくお願い申し上げます」


 流れでこの後、参謀長が一通り帝国軍の人物紹介をする。

 一般兵はもちろん省略された。


 ああ、ちなみに帝国側の人数はこの時点で十二名。

 ・ボッツ少将

 ・ナンダス准将

 ・参謀長

 ・エルモンド大佐

 ・ノックホルト中佐

 ・ムンバ少佐

 ・プレスキー一等兵

 ・その他兵士五名(魔法士及び回復士含む)

 というパーティ構成だった。


 ちなみにプレスキー一等兵の枠だが、ムンバ少佐の旧第三小隊から日替わりで一名だけ同行させて重点的に鍛えているのだった。


「みなさん、この後はどういう予定なのですか」


 なんとなくアノスが代表して尋ねる。


「この先のメインルートの西側で魔物討伐を続ける予定です。そちらは?」


 参謀長が答えて逆に聞き返す。


「ヤン、どういう予定なんだ?」


 アノスも知らされていないのでここはヤンに聞くしかなかった。

 これで、この一行の中心人物が誰であるかイヤでも帝国に伝わったであろう。


「十八階層のボスエリアに行ってから、十九階層に戻って片っ端から魔物を狩るよ」


「ははは。どうやらそういう予定らしいです」


 苦笑しながらアノスが参謀長に向き直る。


 呆気に取られたような表情を一瞬見せた参謀長だが、すぐに気を取り直す。


「そうですか。みなさんが同じ階層にいると思えば、心強い限りですな。ははは」


 なんだかよくわからないお世辞をもらってリアクションに困るアノスたち。


「我々もこれから暫く迷宮に通うことになりそうですので、引き続きよろしくお願いします」


 アノスが無難にまとめて、なんとか顔合わせ終了。


 その後速やかに別れの挨拶を交わしてヤンたちが先に進んでいくのを帝国軍パーティが見送る。


「あの少年がヤン……」


 ボッツ少将が改めて刮目したその姿を記憶に刻むように呟く。


「はい、そうです閣下」


 ムンバ少佐が何故か誇らしげに答える。

 少し離れた後にいるプレスキー一等兵も似たような顔をしていた。


「未だに信じられんな……」


「私もだ」


 参謀長が口にすると、ナンダス准将も頷いて見せた。


「行くぞ」


 ボッツ少将がくるりと身を翻して歩き出すと他の者も従った。

 まだ朝八時を少し回ったばかりだった――。




* * * * *




「下層も全然たいしたことないね」


 ロスティが風魔法でフォレストウルフの群れを一掃したところでいつもの軽口を叩く。


 スタルツを出てから二日目にして、七騎士(セブンナイツ)一行は既に第十七階層にまで到達していた。


「お前のおかげで俺たちは楽できるよ」


 マルスが言葉とは裏腹の不満げな表情で応える。

 自分にも少しは戦わせろとその目が訴えていた。


「でしょー。みんなの露払いなら任せて。まだまだ魔力もたっぷりあるし、全部倒しちゃうよー」


 ロスティはそんなマルスの気持ちを知ってか知らずか、調子に乗りまくっている。


「前方約二百。敵三体」


 ロックの気配察知に魔物が引っかかった模様。


「たった三体かぁ。じゃあ今度は誰かやってみる?」


 ロスティが珍しく魔物を譲る気になったらしい。


「ハイハイハイ! オレオレオレ!」


 マルスがしつこく手を挙げる。


「アタシにもひとつ分けてちょうだぁ~い」


 ナラクが科をつくっておねだり。


「じゃあオレ残り二つね」


 マルスは絶対何がなんでもやるつもりらしい。


「はい、決まり~。ちゃんとカッコ良く仕留めてよね」


 ロスティがまるで仕切るのは自分だとばかりに告げる。

 誰も異論を申し立てる者がいないので、そのまま決定。


「あれね! それじゃ一番乗りぃ~~~ッ」


 ナラクが猛ダッシュで突っ込むとレッドベアの一頭を蹴り飛ばして他の二頭と引き離すとレイピアであっという間にハチの巣にしてしまった。

 あのレッドベアをまるで粘土細工か何かのようにプスプス突き刺す姿は異常でしかなかったが、誰もそんなことを気に留める者はいなかった。


 遅れて登場のマルスはというと、先端に炎を纏わせたウォーハンマーを目一杯振りかぶって前方のレッドベアの頭に叩きつけて完全に粉砕すると、振り回した反動でくるりと回転したまま次のレッドベアの頭を続けて粉砕。

 僅か一回転半する間にあのレッドベアを二頭、瞬殺してしまったのだった。


「もうちょっと歯応えのある魔物はいないのかよ。こんなんじゃ準備運動にもならないぜ」


 マルスが物足りなさそうに愚痴ると、ナラクも頷いて同意。


「せっかく譲ってやったのにぐちぐち言わないッ」


 ロスティの一言で終了。


 ロックが何も言わずに魔石を回収していた。

 放っておくと誰も気にも留めずにそのまま放置してしまうので、仕方なく自ら回収役をかって出ているのだった。


「さ、早く次。おばさんッ」


「はいッ」


 レイチェルが慌てて走り出す。

 おばさん呼ばわりにいちいち口答えするのは底層の段階で既に諦めていた。


 この調子だと夜までに第十八階層にまで到達してしまいそうだった。

 底層のメインルート総移動距離に比べると下層のメインルートの方が短いのだが、魔物の強さが全く違うし地形も下層の方が歩きにくいはずだった。

 だが、この化け物連中には全く関係ないらしい。


 そしてレザースーツの機敏さ20%向上の効果を得た全力疾走でも、相変わらず連中の歩き移動の方が尚速かった。




* * * * *




「オタクもしつこいな。何度来ても答えはノーだ」


 マリオがディオに冷たく言い放つ。


 『バルベル30』一階奥の一角はこのところずっと『マグマリオ』の専用席になっていた。

 ディオがそこへやってきてマリオに直談判するのは今日で三日目になる。


「なぜだマリオ! お前たちはもっと強くなりたくないのか」


 ディオは諦める様子もなく、説得を続けている。


「ははは、今でも充分強いんだよ。それともなにか。この迷宮にオレたちより強いヤツが他にいるってのか」


 マリオの隣にいたクッパーノ・デル・ヒメナス(三十四歳/レベル35Aランク)が嘲笑うように言い放つ。


「せめてお前らがオレたちに追いついてから出直してきな」


 クッパーノの軽口が止まらない。


 ディオはクッパーノをガン無視してマリオだけを見つめている。


「おい! 聞いてんのか保安局崩れ」


 もはや聞き慣れた罵倒にディオがジロリと一瞥をくれてやるとクッパーノはバツが悪そうにそっぽを向く。

 こんなしょうもないヤツでも『マグマリオ』の創設メンバーの一人だった。


 『マグマリオ』はバルベル迷宮に三つしかないAランククランのうちの一つで、元々はマリオ率いるAランクパーティ『MAX』が母体となって五年前にいきなり複数のパーティを併合する形で発足したのだった。


 発足当時はエンダにあった拠点をセインに移した後、中層上階をメインにレベリングと魔石稼ぎをしつつ時々上層の依頼も受けるスタイルで五年間活動してきていたが、最近はセインにあるカジノでギャンブルにハマっているというのが巷の専らの噂になっているのだった。


 カジノは商業課が冒険者のリフレッシュのために許可した民間施設で、バルベル迷宮内ではセインにのみ存在。

 八年ほど前に出来て以降は迷宮の上階を目指すモチベーションにも一役かっていた。


「誰も階層主(ボス)を討伐してくれとは言ってない。レベリングしながら上層の魔物の情報収集に協力してくれと言ってるだけなんだ」


 ディオは諦めず説得を続けるつもりのようだ。


「オレたちのメリットは?」


 全くノリ気ではないのに一応聞いておく体のマリオ。

 これまではそれすらなかったのを考えると一歩前進したとディオは感じたが果たしてそうなのか。


「ギルドが調査依頼の報酬を約束してくれている」


「幾らだ」


「一日当たり金貨一枚」


「一人一枚か?」


「……いや、パーティで一枚だ」


 ディオが言い淀んだのは先の展開が読めるからだが、ここで嘘をつくわけにもいかない。


「一人一枚なら考えてやらないでもないんだがな。おい、誰か一日金貨一枚で下へ行きたいヤツはいるか!?」


 マリオが仲間に呼びかけるが、皆顔を見合わせるだけで誰も返事をしない。


「前言撤回。一人一枚だとしても無理だな」


 ダメ押しのようにディオに告げるマリオ。


「結局は金か……」


 思わず口に出た言葉に今度はマリオが感情を露わにする。


「おい! なんだその言い草は! 自分の命を担保にするのに、金以外に何があるっていうんだ! お前はタダで命を差し出せるのか!?」


 マリオの言葉に合わせて他の仲間たちも色めき立つ。


 しまった、と思ったが後の祭り。

 今日はおとなしく引き下がるしかないか。


「すまん。オレが悪かった。さっきの言葉は忘れてくれ。今日のお代はオレが持つ」


 頭を下げるディオ。


「フン。貧乏人に奢られるほど堕ちちゃいねぇよ」


 手をひらひらさせて早く帰れと促すマリオ。


「本当にすまん」


 再び頭を下げてマリオたちのテーブルから離れるディオ。


 奥のテーブルでは早速喧噪が戻っていた。



 二階ではオスカーとジーグが今日もスピナー片手に一部始終を見ていた。


「本当にパーティに金貨一枚なのか」


 ジーグも思わず聞きたくなるほどリスクに釣り合わない報酬だった。


「私の方までは報告が上がっていないが、確かに安すぎる」


「財政的な問題なのか」


「いや、アランの考えだろう。下手に報酬を高くするとそれ目当てで命を落とす者が現れるかもしれない」


「なるほど、そっちの方か」


 ジーグも納得。


「確かに上層の未知の魔物の情報は欲しいが、冒険者の命と天秤にかけるほど切迫しているわけではないからね。私はアランの考えを支持するよ」


「それならわざわざそんな依頼、出さなくてもいいんじゃないか」


「ギルドの体裁上、そうもいかないのだろう。実際、ディオ君のような者もいることだし」


「そのディオのやる気についてはどう考える?」


「大変ありがたいし立派だとは思うが、少し気負いすぎのように見えるね」


「それを聞いたらさぞガッカリするだろうなぁ」


「おいおい、やめてくれよ。そんなつもりで言ったのではない」


「わかってるよ。だが、ディオにも何かしらサポートが必要だな」


「……頼めるか」


「仕方ない。ここは奢りだぞ」


「君はいつも私に払わせてばかりだ」


「安いもんだろ」


「……まぁトントンってところだ」


「なら文句言いっこなしだ」


 ジーグはそう言いながら席を立つとメーテルとザナドゥールに軽く手を挙げてさっさと階下へ降りて行った。


 その背中が店を出るところまで見送ったオスカーはメーテルにスピナーのお代わりを頼むのだった。




* * * * *




 ヤンたちが下層に通い始めて三日目。


 今日も第十九階層のアーマーグリズリー狩りに精を出す帝国軍パーティを横目に素通りして第十八階層を目指す。


 まずは第十八階層の代理主(ボスもどき)戦。


 中層のボスクラスに相当するレア種のレッドライオンとブルーライオンの二頭。

 近接特化型のアーマーグリズリーよりもある意味では難易度が高い二頭出しだが、ヤンたち一行にかかればものの二分で討伐完了してしまうのだった。


 その後、第十九階層に戻って帝国軍と競合しないようルートを選びながら魔物を討伐するのがいつもの手順。

 帝国軍パーティも案内人(ガイド)抜きという事情もあってだいたいいつも同じルートを使っているようなので、ヤンたちの方がルート選びの自由度は高かった。


 この大波で実質第二十九階層の難易度であることを考えると、ヤン以外のメンバーにとっては相当厳しい探索のはずなのだが、さすがに三日目ともなると体も慣れるし精神的にも落ち着いてくるので余裕があった。


「師匠、そろそろ俺も……」


「ダメー」


「なんでだよ。もう充分反省しただろ」


「充分かどうかは反省する人が決めることじゃないよ」


「そりゃそうだけどよぉ……」


「とにかくダメ。ダミアンはまだハイパー禁止。魔物へのトドメ禁止」


「くっ……」


 苦渋の表情で反論したいのを我慢するダミアン。

 既に初日の段階から思い切り暴れたくてウズウズしていたのだが、師匠にダメと言われたらおとなしく従うしかなかった。


「じゃあ今日はリンさん中心でやるよ」


 ボスクラスを除いて通常の魔物の討伐では予めレベリングしたい人を決めておいてその人にトドメを任せるやり方をしていたのだった。


「みんなよろしく頼む」


 リンが下げた頭を戻した瞬間から、怒涛のダッシュ討伐が始まった。

 ちなみにヤンも含め、全員が例の石――ヘビーストーンの入ったザックを背負っていた。


 ヤンが先頭を走るが基本魔物に手は出さず、索敵と二番手のダミアンへの指示出しのみ。

 ダミアンはヤンの指示通り魔物へ接近すると可能な限り体力を削って次へ。

 三番手アノスが可能な範囲でダメージを追加して、四番手リンが剣でトドメを刺す。

 万が一打ち漏らした場合には後詰のレツがケツを拭く、といった流れになっていた。


 魔物が複数いる場合はヤンも与ダメ係になってダミアンとシェア。

 アノスは可能な限りの魔物に手を出して、アノスの行動を見て判断した上でリンがトドメ。

 レツも、状況を見てリンの安全確保のためなら積極的にトドメを刺して良いことになっていた。


 魔物は完全に中層の魔物にシフトしているため、だいたい以下のようなラインナップ。


 ・マッドベア

 ・レッドベア

 ・フォレストウルフ

 ・マッドディア

 ・マッドタイガー

 ・ブラックライオン

 

 ガチな中層と比べると亜種の出現頻度が低いが、いずれもレベル3以上と強化されているのが厄介だった。


「ストップ!」


 ヤンが停止の合図を出した。


「この先にすごい数が集まってるよ。たぶんリザードマン。レベル4以上だと知能が高くなってるから油断しないで」


 中層でも水辺にしか出現しないリザードマンは迷宮の外にもいる亜人種だが、迷宮のリザードマンは水の近くでは能力が軒並み向上する性質があるのと集団戦に長けた戦闘をするのが特徴で、外の世界のそれとは全く別モノと言ってよかった。


「広いスペースに出たら自由に戦っていいよ。ダミアンはハイパー禁止。トドメは許可」


「よっしゃ! そうこなくっちゃ」


 ハイパー禁止でも魔物を思い切りぶん殴れれば少しは鬱憤が晴らせるとテンションが上がるダミアン。


「アノスさんは一応ボクの後ろについて来て」


「了解。すまないな」


 アノスは純粋な戦力として考えるとCランクからBランクの間くらいなので、このメンバーでは一枚力が劣るのだが、だからこそこの機会に少しでも強くなっておきたいと同行を願い出たのだった。


 すぐにスペースに出た一行。

 案の定目の前にはリザードマンの大集団が陣取っていた。

 予想通り、スペースの端を川が流れている。


 水辺効果で強化されている前提で臨まなければならない。

 リザードマンの水際バフ効果はレベル3なら三割程度で済むのだが、これがレベル4では五割、レベル5では十割つまり二倍になるのだった。

 当然みんなには共有済の情報なので、頭に入っているはず。


「行くよ!」


 ヤンが先行して飛び出す。

 アノスがすぐ後を追う。


 おそらくヤンはレベル5から叩いてくれるものとみんな了解しているので、他はヤンとは別方向へ散ってそれぞれ戦闘開始。


 ヤンが一撃で戦闘不能にしたリザードマンにアノスがトドメ。

 ちょうど三体目を倒したところでアノスがレベルアップ。

 静かに小さくガッツポーズを作るアノスだったが、もちろん誰も他人の事など気にしていないし気付いていない。


 ハイパー禁止状態でもダミアンは【爆裂拳】で次々とリザードマンを屠っていく。

 まさにここも一撃必殺。

 稀に一撃で死なない個体もいたが、おそらくそれがレベル4なのだろう。


 リンとレツはほぼ背中合わせのような形になり、周囲をぐるりと囲まれながらも押し負けずに徐々に数を減らしていく。

 リザードマン側もこの二人が一番与しやすいと判断したのかもしれない。

 とにかく大量に集まってきていた。


「レツ! あれをやるぞ」


「了解ッ、姉様(あねさま)


 二人が同調するように剣を一旦鞘に納めると、低く構えた姿勢で力を溜める。


「天城流奥義ッ、閃刃(せんじん)!」


 リンの発声に合わせ二人同時に一歩前に踏み出しながら一瞬で横払いに抜刀。

 左前方から約百二十度角の範囲に対して距離五mまでを射程として一刀両断の物理範囲攻撃を放つ技だった。


 それを二人同時に背中合わせで放ったので、死角の六十度・六十度にいたリザードマン以外は全て胴体を真っ二つにされた。

 リザードマンの生命力は胴体を両断されてもまだ動けるほど強いものなのだが、それは単に動けるというだけであり意識的な攻撃行動にはならないため、放置しておくと間もなく失血死するのだった。


 そんなわけでリンとレツの周囲には真っ二つになりながらビクビクしている肉体が山のように散らばっている状態。

 その様子を見て死角にいたリザードマンが怯んでいるところへすぐに追撃を加えるリンとレツ。


 レベル3個体だけあってそこそこ知恵が回るのか再び周囲を囲むような真似はせず、今度は二人を分断するように動くリザードマン。


 残念ながらこの二人は単体でも充分に強いのがリザードマンの誤算だった。


 レベル5を掃除し終わったヤンとアノスが、スペースの端の方で全体の状況を確認。

 リザードマンの数は早くも半減して、現在およそ五十体ほど。


「ヤン、俺はアマギ局長が本気で戦っているのを見るのはこれが初めてだ」


 アノスが感心したようにリンの動きを目で追いながら話す。

 昨日までのリンは後詰役をやっていたため、基本的にはあまり戦闘に参加していなかったのだ。


「そうなんだ。強いでしょ、リンさん」


 格闘術はダメダメでも剣術になれば全く話が変わってくるのだ。


「ああ、思ってた以上にこれは……心強いな」


 アノスの言葉に何故かヤンがへへっと照れたように笑った。


「レツ君もアマギ局長に匹敵する腕前だな。いつの間にあんなに腕を上げたんだ」


「単純にレベルだけで見たらほとんど変わらないからね。あとは経験とかスキルの差になってくるよね」


「俺ももう少し真面目に剣術を鍛えておくんだったな」


 後悔するように呟くアノス。


「今からでも遅くないよ。リンさんの道場に通えば?」


「……そうだな、考えておくよ」


 エンダ支部所属の案内人(ガイド)として働きながら、エンダにある清凛館のことは全くの他人事のように捉えていた自分をぶん殴ってやりたい気分のアノス。


 この歳になって道場に弟子入りするのも気が引けるが、やらなければ何も変わらない。

 いつまでもヤンに迷惑をかけるわけにもいかないのだ。


「さ、ボクたちもやるよ」


 駆け出すヤンを慌てて追いかけるアノス。

 三日前は随分苦しめられたザックの重さも、今はあまり苦にならなくなってきていた。




* * * * *




 第十八階層のボスエリアは空だった。

 直近で誰かが代理主(ボスもどき)を討伐済みだったのだろう。


 とはいえ、今は大波の最中。

 いつ討伐されたのかは不明だが、長くても半日もせずに復活するはずだった。


「ここまで来てわざわざ半日も待つ馬鹿がいるか」


 リーダーのハリーが即座に却下したため、エンダに到着することを優先することになった。


「ボクらはちょっとだけ休憩するからおばさんは先に行って上の階層の様子を見てきてよ」


 ロスティがまた鬼畜な言い草でレイチェルをこき使おうとする。

 スタルツ到着まではちまちま嫌味を言われるものの、どちらかというと空気扱いだったのに対して、スタルツを出て以降は事ある毎にいじられるストレスの捌け口扱いをされ続けたため、レイチェルも既に色々な感覚が麻痺しつつあった。


 元Aランク冒険者のレイチェルにとっても、この七騎士(セブンナイツ)のメンバーはどいつもこいつも化け物揃いとしか思えない連中だったため、逆らおうなどとは毛頭思わないのだった。


「わかったわ」


 感情を押し殺した低い声で一言だけ返事をするとそのまま上階へ繋がる道を駆け出すレイチェル。


「三十分経ったら出発しちゃうからねー」


 後ろからロスティの楽し気な声が追いかけてくる。


 自分がいなくとも進めるのであればそれこそ勝手に行けばいいのに。


 そもそもたった三十分で往復できる程度の場所を見てくるのにどんな意味があるのか。

 わかっている。

 あれは自分だけを休ませないためのただの嫌がらせなのだ。

 それを楽しんでいる。


 まさか自分が帝国の人間だと思っているわけでもあるまい。

 確かにここに来る前は帝国のギルドで冒険者をしていたが、それも僅か三年間のことで元々はルガーツの冒険者だったのだ。

 生れ故郷は北部のオクスフォルド連邦の辺境の町だが、十三歳の時に出て以来一度も帰った事はない。


 冒険者になるまでも様々な辛酸を舐めてきたが、冒険者になってからも割と最悪な人生だった。

 新人狩りに身包み剥がされたのを皮切りに、パーティ仲間の裏切りからの追放、拾ってもらったパーティが闇組織絡みの裏稼業をやっていて自分も片棒を担がされたが足を洗いたいと言ったら奴隷に売り飛ばされた。

 たまたま買ってくれた貴族の当主が人徳者で事情を話したら解放してくれたのがかけがえのない唯一の幸運だったが、結局その後もロクな事はなかった。


 自分の意思とは無関係に今のギルドの仕事に就き、自分の意思とは無関係に今の依頼を押し付けられ、そして自分の意思とは無関係に嫌がらせの使い走りをさせられている。


 (いっそ魔物に殺された方が楽なのかもしれない……)


 何度か頭に浮かんだ考えが今また現実味を帯びて沸き上がる。

 だが、いざ危険が迫ると生き残るために体に覚えさせたノウハウが無意識のうちに勝手に発動してしまうのだった。


 今もまた、走りながら無意識の内に腰の火巫女(ヒミコ)の安全装置を左手指先で確認している。

 同時に右手は腰のベルトに収納している魔弾倉の数をチェック。

 いずれもレイチェル自身の魔力をセキュリティーキーとしてアクティヴになる設定なので、それぞれに一瞬だけ魔力を流して同調(シンクロ)することで正常な状態にあるかどうか判別できるのだった。


 第十九階層に上がったところでレイチェルはギルドから支給された隠遁薬を服用した。

 できるだけ魔物との接触を避けるためだ。

 いざという時の逃走用に絶対に一本は残しておかなければならなかったが、幸いここまで一度しか使用する機会がなかったのでまだ拡張バッグ(そこなし)に四本残っていた。


 ひとまずメインルートを行けるところまで行くか。


 波が始まってから塗料の確認と上書きの作業は中断されていたが、ここまで問題になりそうな場所はなかった。

 この階層だけ例外とは考えにくいのでそこは安心しても良さそうだ。


 探索系スキルも感知系スキルも持っていないレイチェルにはメインルート以外の探索は正直厳しいので、今回もわざわざ無茶をするつもりは初めからなかった。


 七、八分ほど進んだところで急に立ち止まったレイチェル。


 スキルはなくとも持前の謎の超感覚が発動したのか、何か違和感に気付いたのだった。


 (なんだ? いったい何がある? ここはメインルートなのに……)


 慎重な野ウサギのようにキョロキョロと辺りを警戒するレイチェル。

 

「なにしてるの?」


「きゃああああッ!」


 いきなり左斜め後方から声をかけられて絶叫するレイチェル。


 五、六歩ほどバタバタと後ずさりながら引き攣った顔で声の主を確認すると、今度は恥ずかしさで赤面する。


「どうしてあなたが……いつからそこにいたのよ」


 そこに立っていたのはヤンだった。


「さっき、だけど」


「ウソ。全然見えなかったわよ。どこに隠れていたの」


 そもそもレイチェルは隠遁薬を使用していたのだから、普通であれば相手に存在を知られることなどないはずだった。

 それなのになぜバレてしまったのか。


「別に隠れてないけど」


「……まぁいいわ。それで、どうしてあなたがこんなところにいるのよ」


 深く追求するのを早々に諦めてしまったレイチェル。


「それはこっちのセリフだよ。レイさん一人で何やってるの」


「仕事よ。エンダまでの送りのね」


「でもどうして一人なの。依頼人は?」


「下の階で休憩中よ……」


 とここでレイチェルはある可能性に気付く。


「まさか、十八階層の代理主(ボスもどき)倒したのってあなたじゃないでしょうね」


「え、そうだけど、どうして」


「ハァ……」


 レイチェルは深い溜息をつくと、直後に気合を入れ直した。

 あの代理主(ボスもどき)を倒したのがヤンなら、ついでにこの付近の魔物も一掃してくれている可能性がある。

 だとすると、思ったよりかなり楽に通過できるかもしれない。


「あなた、どうせこの辺の魔物もあらかた倒しちゃったんでしょ」


「うん、まぁね」


「やっぱり。まぁ連中はお冠だろうけど私にとってはラッキーだったわ」


「ねぇ、連中って誰? レイさんは誰を案内してるの」


「王国の冒険者よ」


 正確な情報を伝えていないだけで、嘘は言っていない。

 

「王国の? うわぁ、それはマズイなぁ」


「なによ、何がマズイの?」


「今、この十九階層に帝国の人たちがいるんだ」


「帝国のッ!? どうしてこんなところで! ってあなたまさか……」


「違うよ。ボクは帝国の案内人(ガイド)じゃないよ。今日はプライベートだから」


「また? あなたと会う時はいつもそうね。なんだか怪しいわ」


 あの中層でジーグといるところを目撃したのはもう一年前になる。

 やや懐かしさを覚えながらも、ヤンの行動を訝るレイチェル。


「いつもってまだ二回目だけどね。たまたまだよ、たまたま」


 レイチェルの火巫女(ヒミコ)と魔弾倉を交互に見つめるヤン。


「あげないわよ」


 冗談のつもりで言ったレイチェルだが、ヤンの眼差しは真剣そのものだった。


「それって外の世界の武器だよね。高いの?」


「そうね。安くはないわ。こっちは消耗品だからランニングコストもバカにならないのよ」


 右側の魔弾倉に手をやりながら正直に話すレイチェル。


「ふーん。レイさんってお金持ちなんだね」


「何言ってるの。なけなしのお金で買った装備なのよ。おかげで今じゃジリ貧よ」


 実際、火巫女(ヒミコ)はバルベル迷宮に来る直前に手に入れたものであり、ライダースーツ風のレザーアーマーはルガーツの工房で製作された試作品をバルベルの商業課経由で入手したレア物だった。


「そうなんだ。じゃあ頑張ってお仕事しないとね」


「だから今やってるんじゃない。だいたいあなた、プライベートって言ってたけどギルドが休暇を認めてくれたってことよね。私が何度申請しても全然認められないのにどうしてあなたは休めるのよ!」


 ヤンにぶつけるべき怒りではないと理解していても、言わずにいられない自分の今の不遇さ。


「そんなのボクに言われても……」


 そりゃそうだ。


 はっとレイチェルは時間のことを思い出す。

 こんなところでヤンと無駄話をしている場合ではなかった。

 この辺の魔物はしばらくリポップしないのがわかっただけでも上等。

 そろそろ戻らないと――。


「そろそろ戻るわ。あなた、今日は一人だけなの?」


「ううん、他にもいるよ。向こうの奥で魔物狩りしてる」


 ヤンがメインルートから外れる道の方を指差して答える。


「ああ、そうなの。今からメインルートを王国の人たちを連れて通るから、一応覚えといて」


「わかった。気を付けてね」


「ありがとう。でも全然大丈夫よ。王国の人たち、全員化け物だから。ここまで来るのも全然余裕だったし」


「へぇ、そうなんだ。すごいね。一度見てみたいかも」


「エンダにいたら会えるわよ、たぶん」


 まさか王国の連中もそのままセインまで上がるなどとは言いださないだろうとレイチェルは考えているのだが、もしかするとその予想は外れるかもしれない。


「じゃあエンダで」


「そうね。それじゃ私はもう行くわ」


「さよなら~」


 手を振るヤンに背を向けてレイチェルは急ぐ。

 うっかり長話に付き合ってしまった。

 だが、前回会った時の最悪な印象は今回で少しは挽回できたのではないか。

 別にヤンと殊更親しくする必要はないが、一応案内人(ガイド)の同僚たちとは良好な関係でいた方が都合がいい。

 ジーグともあれきり顔を合わせていないが、あちらは汚名返上するには骨が折れそうだった。


 とりあえず王国の連中と帝国の人間が鉢合わせすることだけは避けなければ。

 万が一そうなってしまった場合は……とそこでレイチェルは考えるのをやめてしまう。

 それは自分の知ったことではない。

 回避する努力はする。

 しかし結果には責任は持てない。

 それでいい。


 第十八階層へ下りながら、レイチェルはむしろその事態を期待していることに気付いてしまっていた。

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