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046.大波(一)

「すまなかったね。話の途中で」


 オスカーはジーグのいるテーブルまで戻ると静かに席に着いた。


「で、どんな吉報だったんだ?」


「吉報ね……まぁそう悪い知らせでもないから間違いではないな」


「もったいぶらずに早く教えてくれ」


「おいおい、塔通話(タワーコール)の内容はギルドの機密情報にあたるんだぞ。その辺の世間話のように言ってくれるな」


「その機密情報のやり取りをこんな店の中でやってた人の言うセリフとは思えないね」


「全く君には敵わんな。今のはキャサリンからで、エンダへ移動した者の確認完了の報告だ。それと帝国は予想通りエンダで滞在することになったそうだ」


「なんだつまらん」


「なら聞くな。今のでスピナー一杯分だ」


「おっと、意外と高くついてしまったな……」


 ジーグがおどけて肩をすくめる。


 オスカーははぁと溜息をつくとスピナーを一口流し込んでその香りと喉越しの余韻に身を委ねる。


 普段と比較して人口が二割程度まで減ってしまったセインはすっかり静かになってしまっていた。


 唯一例外なのはこの『バルベル30』くらいで、こちらは昼夜問わず在留民が飲み食いにやって来て賑やかに営業していた。


 オスカーは夕方になるとギルドハウスを出て、ここの二階に塔通話(タワーコール)を持ち込み、一階の喧噪を肴にしながらゆったりした時間を過ごすのが日課になっていた。


 ジーグはそれにご相伴させてもらっているのだった。


「それにしても、ここも完全に孤立したな」


 中層第二十九階層のボスエリアに上層の階層主(ボス)らしき個体が出現したという知らせが今日の午後になってギルドに届いていた。


 第二十九階層のボスエリアでは数日前から従来の代理主(ボスもどき)が高レベル化し始め、同時にリポップ間隔も短くなっていたのだが、一昨日の段階で半日で復活しているのが確認されて以降は姿を消していた。

 それが今日の昼前には当該エリアに見た事もない巨大な禍々しい魔物が出現していたらしい。


 これらの情報は波が確認されて以降、毎日中層の様子を確認していたディオたち正義(ジャスティス)からの報告によるものだった。


 この報告を以て、中層の魔物はほぼ完全に上層と入れ替わったものと推察された。

 事実上、下の階層への移動は不可能になったわけで、上層の進入禁止と合わせてセインは完全に上下階層から切り離されて孤立化してしまったのだった。


「ああ。ここまでの波は私も経験がない。本当にこれからどうなるのか、全く読めないよ」


「ギルドマスターがそんな事言わないでくれ。この塔にいる全員が不安になるだろうが」


「もちろんここだけの話だよ。私にも少しくらい愚痴を言う権利はあるはずだ」


 珍しく弱気な発言をするオスカーを見て、ジーグは本気で不安になるのだった。


 ミーンミーンミーン……。


「今度はなんだ」


 立て続けの塔通話(タワーコール)にオスカーが再び席を立つ。


「人気者だな」


 ジーグがその背中を見送る。


 カウンターの端に置いている塔通話(タワーコール)の所まで行ったオスカーが何やらやり取りした後で、また戻って来ると今度はジーグが聞くより早く自ら内容を明かしてくれた。


「エドからだ。七騎士(セブンナイツ)が入塔したそうだ」


「タリムに入ってから随分と早かったな。さすがSランク。ギルドの斥候も舌を巻くスピードじゃないか」


「皮肉はやめてくれ。彼らも精一杯やってくれているんだ」


「わかってるさ。自分ならどうかと考えて自虐的になっただけだ」


「まぁ年齢的にもハンデがあるからな」


「おい、おれはまだ現役だぞ」


「体力を維持するためにも、ヤン君に少し鍛えてもらった方がいいんじゃないのか」


「……ヤンは今エンダか」


 暫し何か考え込む様子のジーグ。


「どうした?」


「……いや、なんでもない」


 とは言うもののまだ心ここにあらずといった目をしている。


 ヤンに関係があるという意味でなら、オスカーにもひとつだけ考えていることがあった。


「もし……もし仮にの話だが、ヤン君ならばここまで到達することができると思うか」


 オスカーはその考えをジーグにぶつけてみる事にしたのだった。


 するとジーグが珍しく驚愕の表情でさっとオスカーの方を向くと、じっと目の奥を覗くように見つめてきた。

 まさにそれこそジーグが一番危惧していたことなのだった。


「わからん。わからんがもし可能性があるとするならヤン以外には考えられない。だがダメだ。そんな危険は絶対に冒して欲しくない。だからアマギ局長にもしつこく言い含めておいたんだ」


 エンダへ下りるリンにジーグが直々に頭を下げて頼み込んだのはヤンがセインに行こうとするのだけは絶対に止めてくれという事だった。

 何故かわからないが、ヤンならそう考えるような気がしたのだった。


「ヤン君がその気になれば誰にも止められないのはわかっているだろう」


 オスカーは自分の心の奥に、若くて強大な力の持ち主がこの状況を打破するきっかけになってくれるの望む気持ちがあるのをこの時初めて自覚したのだった。

 しかしそれをそのまま口にするのは憚られたので、いかにも狡い大人の言いそうな表現で誤魔化してしまった。

 なんとも後味の悪い言い草だったとすぐに後悔するがもう遅かった。


 一瞬ジーグがきっと睨むような視線をオスカーに投げたが、またすぐに目を逸らして考え込む。


 今の一瞥で全てを見透かされてしまったように感じたオスカーは、残り僅かなスピナーに救いを求めるしかなかった。




* * * * *




 門弟たちが稽古を終えて帰った後の清凛館では、最近夜な夜な激しい稽古の音が響いていた。


「くッ、まだだ。もう一本!」


 道場の床に倒れ込んでいたリンがすぐに起き上がる。


「まだ剣を持ってる意識が抜けてないよ。足裁きとか一回全部忘れて」


「何度も言わなくともわかっているッ」


「じゃあ何度も言わせないで」


「うりゃああああッ」


 リンには返す言葉がないので突撃するしかなかった。

 もっとも格闘の稽古でいちいち声を上げている時点で剣術の打ち込みの癖が抜けていないのだが、それも既に何度もヤンが指摘済みなのだった。


 拳を突くと見せかけて反対側の脚を回し気味にぶつけてきたのはなかなか良い攻撃だったが、いかんせんスピードも技のキレもまだまだ未熟な付け焼刃レベルなので簡単にスカされてしまった上に回した脚の裏からカウンター気味に掌を当てられてぐるりと一回転してバランスを崩してしまうリン。


「局長、その辺にしといたらどうです?」


 次の順番待ちをしているダミアンが痺れを切らしたかのように退場を促す。


「うるさいッ、まだやれるッ! お前は黙っていろ」


 熱くなったリンに外野の声は響かない。


「やるなら俺の後に幾らでもやってくれりゃいいものを……」


 ダミアンがボソリと呟くがもちろんそれは聞こえない。


 ヤンがジュノ軍曹から教えてもらった円空拳をダミアンも教えてもらうことになっているのだが、一向に順番が回って来る気配がなかった。

 下手にリンにそれを言うと自分もやると言い出しかねないので黙っていたのだが、どの道この状態では同じだったかもしれない。


「もう一本!」


 またしてもリンが起き上がっては飛びかかっていった。

 受け身はそれなりに身についているので幾ら倒されてもすぐに起き上がるのはさすがであった。


 リンはヤンを通じて格闘に興味を持つようになり、自分の戦い方の幅を広げるためにと格闘の稽古をヤンにつけてもらうようになっていたのだった。

 最初にここで会った時に始まった稽古から既に一年が経過していたが、リンの格闘術はなかなか上達しなかった。


 それが焦りになって若干空回りしているのが最近のリンの状態であった。


 ドン、と大きな音がしてまたリンの体が床に転がる。


姉様(あねさま)、その辺で一旦休憩にしましょう」


 レツが堪らず声をかける。


「私はまだ疲れてなどいないぞ」


 燃える怒りの眼差しでレツを睨むリン。


「いや、局長。そういうことじゃないんだ。ヤンを独り占めしないで俺たちにも稽古させてくれ」


 ダミアンが再び物申す。


「独り占め……そんなつもりはない」


 急にトーンダウンするリン。

 俯き加減なのは熱くなり過ぎた自分を省みているのかもしれない。


「それがいいよ。他の人の稽古を見るのも勉強になるし」


 ヤンが助け舟を出したところでリン陥落。


「わかった……すまない」


 謝ったということは色々理解したということなのだろう。

 冷静になりさえすれば、今どういう状況なのかわからないリンではないのだ。


「じゃあ、ダミアンとレツさん、一緒にやるよ」


「よっしゃ!」

「はいッ」


 同時に返事が響く。


 リンは隅に正座し、呼吸を整えながら三人の動きに集中する。


 二人同時にヤンを攻める形の稽古が始まる。


 ダミアンとレツ、二人の比較でいうとやはりダミアンの方が格闘術のスキルが高いのが一目瞭然。

 ヤンとダミアンの動きは常に流れるように淀みないのに対して、レツの方は相手の動きに呼応する時はいいのだがいざ自分から攻撃するとなると動きがやや硬くなりしかもその軌道が直線的で単純に見えた。

 ただ、これはあくまで二人との比較においてであって、レツ単体で見れば充分にモノになっているのだ。


 おそらく自分はレツと同じ系統でもっと未熟な動きになっているのではないかとリンは推察する。

 これが体に染みついた基本が剣術にある者と、格闘術にある者との違いなのだろうか。


 だとすると自分は永遠にあの二人には追い付けないのではないか。

 いや、しかし自分の基本はやはり剣なのだ。

 敵と戦う時には剣を取り、剣を振るう。

 格闘はあくまでも二次的なものであり、剣士としてより強くなるためのプラスアルファ要素だとリンは捉えていた。


 ヤンにはいつも剣術のことは全て忘れて無になるよう繰り返し言われているが、それがどうしてもできなかった。

 正直、剣術を捨てたら何をどうしていいのかもわからない。

 自分で思っているほど器用ではなく、実は不器用なのだと思い知らされた。

 そういう意味ではレツの方が自分よりも多少は器用さがあるように思える。


 それにしてもヤンは背が伸びたな、とリンは最初にここで立ち会った時と比較して感慨に耽る。

 こうして見ていると改めてダミアンやレツとは比べ物にならない高みにいるのがはっきりとわかる。

 その高みに対してダミアンやレツが具体的にどう挑もうとしているのかも、なんとなくわかるような気がした。


 (なるほど。他者の稽古を見て学ぶとはこういうことだったな)


 剣術でもそういう経験があったのを思い出した。

 まるで昨日のことのようでもあり、はるか昔のことのようにも思える。


 あれはまだ父が生きていた頃だった。

 兄のケンシロウと父の稽古をレツと二人でずっと見学させられた記憶。

 父が病に伏せてからは兄の相手をするのが自分になり、それを他の門弟に見せる側になったのだった。


 いつの間にか兄の相手をするのはレツに代わり、自分は館長兼師範として全門弟を指導する立場になっていた。


 父亡き後、道場を継ぐのは兄だと当然のように思っていた自分にはその立場を受け入れるのに相当な時間がかかったが、結局自分は保安局に入ることを決め、道場のことは兄に押し付けてしまう形になってしまった。


 自分にとって剣とは即ちこの清凛館であり父であり兄であった。


「お前はこれから自分の道を切り拓くのだ」


 保安局に入ることを告げた時、兄から言われた言葉。

 あの時は無理矢理道場から切り離されるような寂しさを覚えたのだが、今ならわかる。

 兄は自分にもう一段上のステージへ行けと背中を押してくれたのだ。


 色々考えを巡らせながらも三人の稽古を見て感じていたリン。

 一瞬、道場に正座する自分の姿を天井辺りから俯瞰するような感覚が襲ってきてすぐに消えた。

 

 (なんだ今のは……)


 二度と再び再現できなかったが、さっきの感覚の余韻が不思議なほど生々しく小一時間ほど残っていた。



「休憩ッ!」


 ヤンが言うなりバタリと倒れ込むダミアンとレツ。

 どうやら直前にひと当てずつ食らったらしい。


「師匠……今のはえげつない」


 床に俯せに這いつくばりながらも顔を横にして絞り出すように恨み節を言うダミアン。

 レツの方は必至の形相で口をパクパクさせて呼吸しようともがいていた。


 気付いたダミアンがレツの背中を叩いたりさすったりと呼吸のサポートをしてやると、ようやくレツの顔色が戻ってきた。


「よし! では次は私だ」


 リンが待ってましたとばかりに立ち上がると、呆れたようにヤンがリンの顔を見つめる。


「もう遅いから今日はここまでだよ」


「えっ!?」


 びっくりして道場の時計を見るとちょうど0時をまわったところだった。

 自分がここに座ったのが何時だったか、リンは覚えていない。

 時間を確認する余裕すらなかったのだ。


 ヤンはダミアンとレツにも声をかけてそのまま三人で更衣室に入っていった。


 暫くすると着替えた三人が出てきて、まだ道場に立ったままのリンを見て驚く。


「リンさんも早く着替えて休まないと。明日は下層に行くんだから」


 そうなのだ。

 大波だからと誰もかれもが安全層(セーフレイヤー)に閉じこもっているのを見かねたヤンが、有志を募って下層で魔物狩りをしようと提案したのだった。


 帝国軍が毎日第十九階層に下りて探索したり代理主(ボスもどき)と戦ったりしてレベルアップに励んでいるのを知っていれば尚更うずうずしてくるのも当然であった。


「えっ、姉様(あねさま)も行くんですか?」


 レツは知らなかったらしい。

 もっともリンはこの稽古前にヤンから直接声をかけられて二つ返事で了解したばかりなので、他の者が知らないのも無理はないのだが。


「局長、早く寝ないとお肌が荒れるぜ」


 ダミアンのこの手の茶々にはリンは慣れっこなので完全にスルー。


「まさかお前たち、この後私に内緒で訓練とかじゃないだろうな」


 リンよ、疑心暗鬼が過ぎるぞ。

 さすがに三人ともドン引きした様子でふるふると首を振る。


 三人が呆れ顔でおやすみの挨拶をして帰って行った後、急に恥ずかしくなってしまったリンは道場の床に大の字になって天井を見上げながらゆっくりと深呼吸をしていると、ものの一分もしないうちにそのまま眠りに落ちてしまっていた――。




* * * * *




 スタルツ支部の応接室に七騎士(セブンナイツ)が入室してきた。


「おお、これはこれは。ようこそスタルツへ。私は冒険課長のオリバーと申します。スタルツ支部を代表して皆さんを歓迎いたします。さぁどうぞお掛けください」


 満面の笑みで立ち上がり、両手を広げて歓迎の意を示すオリバー冒険課長。


 一方の七騎士(セブンナイツ)のメンバーたちは言葉こそ発しないものの、穏やかな表情を保って着席する。


「この波の中にもかかわらず僅か二日と半日でスタルツまで到着するとはさすがですな」


 早速持ち上げてご機嫌取りにはしるオリバー。


「本当はもっと早く来れたんだけどね。案内人(ガイド)のおばさんが遅くって」


 一番若く見える魔導士風の少年が笑顔で答える。


 お茶の用意をしていたケイトの手が一瞬止まるが、すぐに手際よくテーブルにカップを置いていく。


「それはそれは。うちのスタッフがご迷惑をおかけして大変失礼いたしました。至らぬ点は多々あったかと存じますが何卒ご容赦いただけますと幸いにございます」


 オリバーが普段では考えられないようなお行儀の良い対応をするのを背中で聞いて眉をひそめるケイトだったが、自分の役目は終わったのでそのまま一礼すると部屋を退室していった。


 少年はもはやその話題には興味がないのか、特に返事もなく出されたお茶に手を伸ばして一口すする。


「これ、なかなかいけるよキリト」


 隣の二十代半ばと思える青年に話しかける少年。


「そうですか。では私もいただきます」


 こちらはすこぶる礼儀正しい青年のようで何より。


「それで皆さんはこのスタルツには何日ほどご滞在の予定でしょうか」


 オリバーが今後の接待のバリエーションを幾つか頭に想定しながら尋ねると、一番体が大きくて武骨そうな男が即答する。


「いや、今日のうちに立ちたい」


「えっ! そのまま行かれるおつもりで?」


 さすがにそれはオリバーの想定外だった。


「何か問題でもあるのか」


「いえ、決してそのようなことはございません。ですが、せめて一泊だけでもお体を休められてはいかがでしょうか」


 過度にあたふたせず落ち着いて提案するオリバー。

 さすがに伊達に歳は取っていないらしい。


「必要ない」


 こいつは一筋縄ではいかない頑固者だとオリバーはすぐに見切りを付けると、他に話のわかりそうな者はいないかと密かに様子を伺うが、皆すんとして一切隙を見せなかった。


 翻意させるのを秒で諦めたオリバーは仕方なく他の口実で話を振る。


「では何か私どもでお力になれることはございませんか」


 これには大男も即答せず、他の者の意見を待つようなそぶりを見せた。


「あのおばさんより優秀な案内人(ガイド)はいないの?」


 またコイツか、とオリバーは心の中で舌打ちをする。

 どうしてこうも大人を舐め切ったガキが最近多くなってきているのか。

 しかし表情にはおくびにも出さず、平身低頭を貫く。


「それにつきましてはこちらとしましても是非ともご要望にお応えしたいところではございますが、なにぶん今の波の状況ですと人員の移動もままならない状況でして、現状こちらに待機している者ではあのレイチェルという案内人(ガイド)が一番等級が高く魔物への対応力も優れた者となっておりますので……」


「なぁんだ、あれが一番いい案内人(ガイド)だなんて、ガッカリしちゃうな」


 我慢、我慢だオリバー。


「せめてもう少し足の速い人はいないのかしらん」


 理解不能な服装をしている厚化粧マッチョが突然妙な声色で話し出したため、一瞬ギョッと身を竦めてしまったオリバー。


 なんだコイツは。

 こんなのが王国最強パーティにいるなんて聞いてないぞ。

 無視だ、無視。

 まともに相手などしていられるか。


「足だけ速くてもなぁ。隠蔽系のスキルでもないと結局足手まといだよ」


 少年が再び毒付く。


「それならお前が付与してやればいいだろ」


 少年の次に若く見える二十歳そこそこの若者が少年に提案する。


 付与?

 隠蔽系効果を他人に付与できるのか?

 そんな魔法は聞いたこともないぞ。


 オリバーは頭の中で必死に情報収集と分析をしていた。

 これでも七騎士(セブンナイツ)の対応を自ら買ってでたのは、少しでもギルドのために情報を引き出そうと考えた彼なりの忠誠心からなのだった。

 支部長のギンガミルがちょうど別件の会議で顔を出せないため、その代理に立候補しただけなのではあるが。


「えー、イヤだよ魔力の無駄。隠遁薬とか隠れマントとかそういうアイテムここにはないの?」


「隠遁薬でしたら幾つか在庫がありますので、案内人(ガイド)に持たせることは可能でございます」


 ようやく要望に沿えられると勇んで答えるオリバー。


「じゃあそれで。なんで最初から持たせないかなぁ」


 オリバーの堪忍袋はもはやパンパンに膨れ上がっていたが、袋の緒を二重三重に巻き直してなんとか堪える。

 この段になってもまだ表面上は笑顔をキープできているのが逆にすごい。


「他には何か必要なものなどございますか」


 気を取り直して尋ねると、またしても予想外な言葉が返ってきた。


「ヤンという案内人(ガイド)はここにはいないのか」


 今まで一言も発していなかった金髪の美形があまり聞きたくない名前の話題を振ってきた。

 まさかここでこの相手からその名前が出るとは全く予期していなかったためかさすがのオリバーも無意識に表情が曇る。


「ああ、その者なら今は第三十階層のエンダにいますよ」


 幾分言い方がそっけなくなってしまったのは致し方ないことだった。


「そうか、ではエンダに行けば会えるんだな」


 すんなり納得してくれた様子の美形にオリバーは安心する。


 だが何故あの小僧を知っているのか、そして何故会おうとしているのか。

 非常に気にはなるのだが、これ以上あの小僧の話をするのは現状のオリバーの堪忍袋の状態では回避したいところだった。


 後でギンガミルに報告だけしておこうと心に決める。


「ひとつ質問してもよろしいでしょうか」


 礼儀正しい青年が手を上げた。

 服装などから察するにどうやら神官職のようだとオリバーは見当をつける。


「ええ、もちろんです。なんでしょうか」


「波という現象についてお聞きしたいのですが、波の時系列による変化や過去の波との比較などで我々が理解しておくべき情報がありましたら是非ご教示いただけないでしょうか」


 なかなかに難しい質問だとオリバーは頭をフル回転させる。

 波に関する情報は特にギルド内で機密指定等はされていないものの、職務上知りえた情報の部外者への開示については職務規定が存在するのでこの場合波に関する情報がどういう扱いになるのか、瞬時に判断しかねたのだった。


「そうですね、詳しくご説明するとなるとかなり長くなってしまいますので皆さんがこれから上階を目指すにあたって必要な情報だけかいつまんでご説明しますね」


「はい、それで結構です。お願いします」


 素直に了承する青年神官。

 やはりこの青年だけは極めて好感の持てる人物だ。


「まず今現在の波。これはギルドが今の体制になってから観測した最大級の波だという話です。我々は大波と呼んでいます。過去の記録にも大波と呼ばれる事象は確認されているのですが、その詳細な情報が残されておりませんので今の大波と比較してどうであるかという分析ができないのが残念なのですが」


 と、ここまでやや早口に捲し立ててしまったために一息入れて相手方の様子を伺うと、意外にも静かにそして興味深そうに聞き入っているようなのでオリバーも満足して話を続けることにした。


「皆さんが上がってこられた底層ですが、今現在そこは本来の下層とほぼ同等となっております。主に魔物の生態という意味になりますが。そしてこれから入ることになる下層では本来の中層の魔物を相手にすることになります。その先の中層では本来の上層、これは上層の未踏破階層の魔物も含まれるという形になるようですが」


「ちょっとよろしいですか」


 青年神官が申し訳なさそうに再び手を上げる。


「はい。いつでもご質問は歓迎いたしますよ」


「今の未踏破階層の魔物という部分ですが、それはつまりこれまで全く知られていない未知の魔物ということになるのでしょうか」


「はい。基本的にはそうなります。そもそも上層自体がまだ十七年の探索歴しかございませんので、まだ色々とわからない部分が多いのです」


「ねぇ、じゃあ上層は今どうなってるの?」


 生意気少年がまた口を挟んできたが、オリバーは大人の対応に徹する。


「わかりません。理論上は上層の更に上の階層、つまり第四十階層より上にいる魔物が出現していることになると思われます」


「思われますってことは、まだ誰も確認できてないってこと?」


「いえ、幾つか未確認の魔物が目撃されておりますが、基本的にはすぐに退避するよう指示を徹底しておりますので詳しい情報等は現状ありません」


「ええッ、なんで!?」


「なんでと申しますと?」


「なんで逃げるのさ。戦ってどんな魔物か確認しなきゃダメじゃない」


「おいロスティ無茶言うな。四十階層より上の魔物なんだぞ。手を出したら最後、死あるのみだろ」


 若者風の男がツッコミを入れる。


「ボクなら戦ってみたいけどなぁ。ギルドに強い冒険者はいないの?」


「強さの基準が皆さんの物差しであるならば、そう言われても致し方ありません」


「えー、認めちゃうんだそれ。なぁんだ、つまんないの」


 この瞬間、あろうことかオリバーの頭にはありえないイメージが浮かんだ。

 ヤンがこの少年をぶちのめすイメージだった。

 それを思い浮かべた時、胸がすっとしたように感じたことがオリバーには信じられなかった。


 (馬鹿な。どうして私があんな小僧に……)


 毒を以て毒を制するという発想だったわけでもなさそうだ。


「うちのロスティさんが失礼しました。話の続きをお聞かせください」


 青年神官が続きを促すと、オリバーは先程のイメージの事は忘れて再び話し始めた。


「ええと、つまり今のところエンダまでがなんとかギリギリ通行可能な上限でして、その先へ進むのは非常に厳しい状況であるということになります。仮に皆さんが第三十四階層の突破を目指しておられたのだとしても、今のこの大波の状況に当てはめますと第二十四階層辺りがちょうどそれぐらいの攻略難易度になりますので、もしそれを突破されたとしてもより厳しい未知の階層の魔物が第二十五階層で待ち受けております。何よりこの場合新階層突破の栄誉には該当しない事になりますので、労多くして功少なしどころか功ほぼなしという残念な結果になってしまうでしょう」


「となると、波が収まるまでは階層突破は無理なんですね」


 青年神官の理解で合ってるが、他のメンバーはご不満の様子。


「でも実質上層の中層を突破しちゃえばセインまで行けるんでしょ」


 少年がまた強気一辺倒な主張をする。


「現実的には難しいと思います」


「そんなのやってみなきゃわからないよ。どうして最初から諦めるのさ」


「別に諦めているわけではありません。現状認識としてはそれが最も合理的というだけです。これから皆さんは下層に入るということですから、そこでの様子を踏まえて改めてお考えいただければと思います」


「あ、そういうこと? なら初めからそう言ってよ紛らわしいなぁ」


「そうね。これでもし下層で苦戦するようならアタシたちには荷が重かったってことになるわね」


「そんなことにはならん」


 厚化粧マッチョの言葉に即座に反応したのが大男。


「お話はまとまりましたでしょうか」


 オリバーがおそるおそる割って入る。


「ちょっと待って。ねぇ、とりあえずエンダまで行くってことでいいよね? 反対の人!」


 少年が仲間たちを見渡して決を採り始めたが、もちろん誰も手を挙げる者などいなかった。


「はい、じゃあ決定」


 今ので決定したらしい。

 何人かはその場で頷いているので実際問題ないのだろう。


「それでしたらとりあえずエンダまでの通行手続きと案内人(ガイド)の契約を先に済ませましょう。ケイト君!」


 オリバーが大きな声でケイトを呼ぶと、応接室の外で控えていたケイトが失礼しますと入室して来た。


「手続きの方を頼む」


「畏まりました」


 既に書面は用意されていたらしく、ケイトがリーダーと思われる大男の前に書面を出して説明を始めようとすると、厚化粧マッチョが自分がやると言って書面を奪い取ったため、仕方なく厚化粧マッチョに説明を始めるケイト。


 本当にこの後すぐにエンダへ向かって出発するのだろうか。


 特にギルド側から七騎士(セブンナイツ)の扱いについて指示は出ていないが、心もとなさからなんとなく不安を覚えるオリバー。


 そんなオリバーの不安などどこ吹く風。

 七人は手続きを終えるとすぐ席を立ってそのまま関所(ゲート)へと向かったのだった。


 少し遅れて、慌てた様子のレイチェルがダッシュで後を追って行った。

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