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044.帝国の決断

「ガイム中佐、本日の探索班出発しました」


「そうか。報告ご苦労」


「ハッ」


 帝国式敬礼でピタリ一秒静止した後、ハリス中尉は隊に戻って行った。


 帝国軍第四師団第三大隊の隊長であり、今現在はバルベル迷宮遠征隊オグリム駐留組二百人余を任されているビル・ガイム中佐三十三歳は野営地に設置された広めの天幕の中で暑さに耐えていた。


 天幕の入口は全開にしたままだが、外はほぼ無風状態なので陽射しに天幕が熱せられて中はひたすら蒸し暑かった、


 ボッツ少将率いる迷宮攻略隊が出発してから既に二週間ほどが経過していた。


 本日に至るまで攻略隊からの連絡は二度のみ。

 第十階層スタルツ到着の知らせと出発の知らせだけだった。

 まさかとは思うが、第三十階層セインはおろか第二十階層エンダにすらまだ到達していないのだろうか。

 いくらなんでも遅すぎる。

 他に何か不測の事態が生じた可能性が高い、とガイム中佐は判断していた。


 暑さよりも内心の焦りの方がジリジリと切実だった。


 先程のハリス中尉の言う探索班とは兵の育成の一環としてガイム中佐が提案したもので、六人一組として毎日三組づつを迷宮の底層(主に第一階層から第三階層で日帰りが原則)へ派遣しているのだった。


 迷宮に関する知見を実体験により深めると共に、波というものの観察、そして何よりも兵士個々の実力の底上げを目的としていた。

 毎日単調な訓練のみで目的なくただ同じところに留まっていなければならないストレスを適度に発散させる意図もあった。


 もちろん事前にガイム中佐自らがギルド側に何度か面会を申し入れ、例の仮冒険者待遇での入場許可と希望する班への案内人(ガイド)の手配を認めてもらったのだった。


 探索班の試みは初日から驚くほどの効果を上げ、全十八名のうち二名がレベルアップを遂げた。

 戻って来た兵たちが興奮気味に他の兵たちに成果や体験を話したことで、一夜のうちに兵たちの士気が爆上がりしたのだった。


 もうすぐ二周目に入るが一周目でレベルアップ出来なかった兵たちが今度こそと意気込んでおり、通常の訓練にまで熱が入っていた。


「む?」


 天幕の外にただならぬ気配を感じたガイム中佐は、おもむろに立ち上がると外に出て気配の正体を探す。

 ガイム中佐の【気配察知】スキルはレベル1ではあったが、長年の軍人経験による補正で脅威に対する感覚は鋭かった。


 とはいえ、ここはオグリムの町の中である。

 魔物が出るはずがない。

 迷宮内の魔物を感知したなどという事もありえない。


 となると――。


「……人間か」


 ふとギルドハウスのある方向に目をやると、通りに数人の歩く背中が見えた。

 ちょうどギルドハウスへ向かっているように思える。


 ひと目で冒険者とわかる出で立ちだが、それにしてはやたらと豪奢な装備だった。

 見た目が派手というだけでなく、いかにも希少で高そうな武器や装具の数々。


 (あれひとつで貴族の家が買えるんじゃないか)


 ガイム中佐は半ば呆れながら、半ば羨望の思いで後ろ姿をじっと見つめていた。


 (どれ、ちょっと顔でも拝んでやるか)


 悪戯心あるいは好奇心からか、ガイム中佐は腰の剣の柄に手を置くと一瞬だけその視線に強い殺気を込める。


 (反応なしだと?)


 七人いるうちの誰一人として反応する者はいなかった。


「いったい何者なんだ……」


 最前線においても怖れ知らずと言われた猛将ガイム中佐が、一瞬にして背中に嫌な汗の感触を覚えた。


 無反応であるが故の圧。

 あの一人一人が自分の手には負えない相手だと本能的に悟った。


 ガイム中佐は硬直したまま、七つの背中が見えなくなるまでその場に立ち尽くしていた――。


 


* * * * *




「ダメだよみんなで無視しちゃ」

「ならお前が挨拶して来たらいいだろう」

「えー、ボク人見知りだからなぁ」

「よく言う」

「帝国軍もあの程度か」

「一般兵は誰も気付かなかったみたいですね」

「あれは指揮官だったのかしら」

「だろうな。天幕から出てきてたからな」

「この暑いのに天幕ってwww」

「おい、もうちょっと涼しくしてくれ」

「えー、魔力の無駄使い禁止~」

「もうすぐギルドだ。我慢しろ」

「チッ、真面目かよ」

「馬鹿ねぇ、そこがいい所なのよ」




* * * * *




 エンダのギルド職員が贔屓にしている食堂兼酒場の店『メイズ1059』ではささやかな慰労会が行われていた。


 カウンター席が五つに四人掛けテーブル席が四つというこぢんまりとした店だが、料理が美味くお値段もリーズナブル且つギルドハウスにほど近いという事が贔屓にされる理由であったが、ギルド職員にとっては店主のメイズが元ギルド職員であったという経歴が一番大きかった。

 要は脱サラした元同僚の店なのだった。

 ちなみに店名にある「1059」というのは第二十階層に初めて到達した年から取ったものである。


 貸し切りの連絡を急遽受けたメイズ四十四歳はすぐに店の看板を下ろすと、店内のテーブルを横一列に並べた団体様仕様に変更して本日の貸し切り客の到着を待ったのだが、まさかそれから六時間近く待たされることになるとはさすがに思いもよらなかった。、


 その六時間遅れで始まった慰労会の参加者は以下の12名。


 キャサリン・デンデロークス支部長

 ガイエン・モルドー冒険課長

 ファイズ・オルフェン案内課長

 ファーゴ・メイスン(案内課主任)

 シリア(冒険課主任)

 ヒルダ(総合受付)

 リン・アマギ保安局長

 アノス・ホックリー

 ラノック

 ヤン

 レツ・アマギ

 ダミアン・ウェルド


 帝国御一行様が到着したのがちょうどギルドの終業間際だったのもあって、会議室で報告を受けるよりも馴染みの店を貸し切りにしてゆっくりのんびり食事しながらやった方が良いのではと提案したのはヒルダであった。


「こんな時間になってしまったが、まずは無事到着を祝って乾杯」


 案内課のオルフェン課長四十一歳が極めて短い言葉で音頭を取ると、皆が杯を掲げる。

 オルフェン課長は元B級案内人(ガイド)で引退後にギルド職員となり、以来案内課一筋の六年目で二年前に現在のポジションに就いた。

 案内人(ガイド)としてはラノックやモーガンの後輩にあたるが、現在はギルドの役職者という事で立場としては上になるのだった。


「予定から一日遅れたのはやはり波の影響かね」


 まだお腹にモノが入る前なのに前のめりで聞いてくるのは冒険課のモルドー課長三十九歳。

 気になる事があるとTPOにかかわらず自由な言動をする人物で放っておくと色々問題を起こすのだが、そこは主任のシリアが上手くコントロールしていた。


「はいはい、まずは皆さんゆっくり食べて飲んで少しでも疲れを癒してくださいね」


 言いながら小皿に料理を取り分けて案内人(ガイド)三人の前に置いたり、早速杯を空けたラノックのおかわりを注文したりと甲斐甲斐しく動いて、モルドー課長の先走りをなかった事にしてしまうシリア。


「遅れたのはやはり波の――」


 モルドー課長がしつこく食い下がろうとするが、再びシリアに文字通り身を挺してブロックされる。


「課長、まずは食事をどうぞ」


「うん? あ、ああ、そうだな。ここの料理は何を食べても美味いんだ。沢山食べてくれよ」


 シリアによく調教されているのがわかる一幕だったが、今度は一転して店の食事の自慢を始めたのにはさすがに皆失笑せざるを得なかった。


「いただきまーす」


 もうお腹ぺこぺこだよ、と言いながらヤンが目の前の料理をがっつく。

 お行儀の方は……まずまず。

 汚く食べ散らかすようなことはしないが、かといってお世辞にもマナーが良いとは言えない。


「おい、全部食うんじゃねぇぞ」


 ラノックの冗談でみんなヤンの方に注目すると、いつものてへへ笑いで誤魔化すヤン。

 しかしまたすぐ食べ始める。


 慰労会の始まりが六時間も遅れたのは、ヤンが帝国の第二小隊を迎えに行くと言い出したからだった。


「十九階層の最後のエリアには入ってたみたいだから、すぐ見つかると思うよ」


 アノスやエンダのギルド職員たちはラノックやレツに任せておけと皆反対したのだが、ダミアンも連れて行くからいいでしょ、とそのままダミアンを連れて出て行ってしまったのだった。


 実際、五時間半ほどで戻ってきた時には皆驚かされた。


 ラノックによると、第一小隊との間隔が空いてから魔物との戦闘頻度が増えてしまったために遅れたらしい。


「それにしても本当に助かったよ、ヤン」


 ラノックが隣のヤンの頭をガシガシと撫でながら満面の笑みで何度目かになる礼を言う。


「あ、ダミアンもな。ありがとよ」


 慌てて付け加えるラノックの横でヤンは黙々と食べ続けている。


 ダミアンは第一小隊の露払い役のミスの件で、ヤンからペナルティを課せられている真っ最中。

 ・当分の間、ハイパー禁止

 ・当分の間、飲酒禁止

 ・当分の間、真面目にする(曖昧すぎるw)


 というわけで今夜は一番端の席に大きな体でちょこんと座り、ノンアルコールのベリージュースをちびちび飲みつつ無駄口も叩かずにおとなしくしているのだった。


 もちろん、第二小隊を連れて来る道中、ヤンから目一杯こき使われたのは言うまでもない。


「俺からも改めて礼を言わせてほしい。ヤン君、来てくれて本当にありがとう」


 馬鹿丁寧なのはヤンの向かいに座るレツ。


 上の階層へ進むにつれて中層レベルの魔物がぼこぼこ出てきたため、レツ一人では対処しきれなくなっていたのだ。

 第二小隊の兵たちにはノックホルト中佐以外に頼りになる戦力がないのもあって、事前に魔物の接近を阻止するという役回りはさぞかし大変だったであろう。


「ひいはあいんあはえおーお(いいからみんな食べようよ)」


 口の中に一杯入ったまま、もごもごと言うヤン。


「あ? なんて言った?」


 ラノックが耳に手を当てて聞き返すので周囲が笑いに包まれる。


 何故かこの場にいるリンがそんなヤンの様子を愛おしそうに、そう正に愛おしそうに見つめていた。


姉様(あねさま)はどうしてここに?」


 テーブルの端に偶然隣り合わせになったレツが若干気恥ずかしさを覚えつつ小声でリンに尋ねる。


 リンのヤンへの視線には気付いていないらしい。

 お前もまだまだだな。


「まぁ僭越ながら陛下の名代といった所だ」


 面白くもなさそうに答えるリン。

 ヤンウォッチの邪魔をされてご機嫌斜めになったのか。


「ということはマスターはセインに残られたのですか」


「かなりしつこく説得したのだがな。自分がセインを離れるのはギルドとして波と戦う姿勢を放棄するようなものだと仰って頑として聞き入れてもらえなかった」


「なるほど。マスターらしいですね」


「お前が感心してどうする」


 肘でレツの脇腹を小突くリン。

 一瞬だけ顔をしかめるレツ。


「すみません。それで他の方々は?」


 脇腹をさすりながらも気を取り直して尋ねるレツ。


「ペンデルトン支部長はじめギルド職員は全員残っている。もちろん監査局もだ。我々一番隊はエンダに避難する者の護衛で下りて来ざるを得なかった。冒険者もマグマリオと正義(ジャスティス)以外は皆下りてきたはずだ」


 波が本格的になると上層は立ち入り禁止、中層も移動が困難になる事で物流や人の行き来が途絶えてしまう可能性が高い。

 そのためセインが孤立してしまう前に可能な者は皆エンダに一旦移動するようギルドから通達が出ていたのだった。

 もちろん、波の予算である程度の物資などは蓄えられているので飢える心配などはないものの、波が治まるまでの期間が読めない以上最悪半年くらいは孤立すると考えると、現実的にセインに残る選択をする人は少なかった。


「ディオたちは残ったんですね……らしいと言えばらしいですが、大丈夫でしょうか」


「さぁな。マリオの所と張り合ってるんだとしたら馬鹿げてる」


「それだけじゃないと思いますけど」


「なんだ?」


「マスターがいるからじゃないですかね。姉様(あねさま)たちもエンダへ下りるって知ってたでしょうし」


「おい、まさか――」


 リンの顔が一瞬にして青ざめる。


「そういう所は律儀なんですよ。昔から」


「チッ。それならそうと言ってくれればもう少し違った言い方をしたものを……」


 レツから顔を背けて激しく後悔している様子のリン。


姉様(あねさま)、まさか別れ際にヘンな悪態ついたりしてないですよね」


「…………知らん」


 そっぽを向いたまま目をつぶって吐き捨てるリン。


「またマスターから説教食らいますよ」


 さっきの脇腹の仕返しとばかりに嵩にかかるレツ。


「うるさいッ!! 知らなかったのだから仕方がないだろう」


 レツの方に向き直ってナイフとフォークをそれぞれ手に持ち赤くなって怒るリン。

 これはこれで充分可愛らしい。


「そこを察して対処するのが上に立つ者の器ですよ」


「くッ……」


 反論できずに唇を嚙みしめるリン。


「ならお前が代わりに局長をやれ。そうだ明日からやれ。私は保安局を辞めて冒険者になるッ!」


 半ばヤケクソのリン。

 まだ酔ってはいないはずだが……。


 レツもさすがにそんなお鉢が回って来るのは御免被る所なので「まぁまぁ」と宥めにかかるのだった。



 仲良さげにじゃれあう(傍からはそう見える)姉弟を酒の肴にニヨニヨしているのはヒルダ。


 彼女はエンダ支部の陰の女王とも呼ばれていた。


 支部長のデンデロークスはギルド初の女性支部長として脚光を浴びる存在ではあったが、実務上の優秀さとは別に人心掌握という点ではなかなかに課題が多く、その辺を都度都度カバーしているうちにいつの間にかといった流れでそういう風に落ち着いてしまったのだった。


 以前一度、支部長補佐という名目で役職者にならないかと打診された事もあったのだが何故か丁重にお断りして今現在も平の職員として主に総合受付の窓口に立つギルド勤務十七年目独身の大ベテランであった。


「あなたもそろそろ食べたら。もう充分頑張ったわよ」


 モルドー課長のフォローに忙しいシリアに優しく声をかけるところなどさすがである。


「あ、はい。それじゃお言葉に甘えて」


 やっと席に座って食事に手を伸ばすシリアは六年目の二十九歳。

 大人の色気ムンムンタイプの美女で、未亡人という属性もあって若者から年配まで男性人気がすこぶる高かった。


「いつも大変だね、シリア」


 向かいから声をかけたのは案内課のメイスン主任三十二歳独身。

 シリアの亡くなった夫の親友だったメイスンは、色々と噂されるのを避けるため普段は親しいそぶりを極力見せないよう努力していたのだが、今日この場にはギルドの職員しかいないので少し警戒を緩めていたのだった。


「そんな事ないのよ。でもありがとうファーゴ」


 久しぶりに他人の目のある所でメイスンから優しい言葉をかけられてやや照れるシリア。

 照れてはいるが、しっかりとメイスンの目を正面から見返す。

 その頬がほんのり赤く、瞳はうるうるしている。

 アレ? もしかして――。


 早くも察したヒルダが二人にやや背中を向ける形に体勢を変えて、再びアマギ姉弟の方に目をやると二人はヤンも巻き込んで波の話に夢中になっていたのでそれをバックグラウンドに流してチビチビとりんご酒を飲むことにした。


「支部長、今日はこのような場を設けていただきありがとうございます」


 真面目か、とツッコミたくなるような模範的な礼を言っているのはアノス。


「いいのよ、アノス。あなたたちが大役を終えて無事戻って来たんだからこれくらい当然よ」


 りんご酒の酔いも少し手伝ってか、ご機嫌モードのデンデロークス支部長。

 A級案内人(ガイド)のアノスがエンダ支部に所属している事がデンデロークス支部長の自慢であり、アノスが大のお気に入りなのは周囲も認める事実なのだった。


「と言うと、やはりこの任務はここで?」


 アノスはデンデロークス支部長の「終えて」という部分にすぐに反応して確認する。


「ええ、おそらくは。詳しくはアマギ局長が直接陛下から聞いているはずよ」


 何故それを支部長であるあなたが先にアマギ局長から聞いていないのだ、とここでつっこむのはKYなのでアノスは言葉を飲み込む。


「そうですか。では後ほど聞いておきます」


「その時は私も同席するわ」


「……わかりました」


 いや、それはさすがにどうだろうかデンデロークス局長よ。

 幾らリンが苦手だと言っても、そこまで露骨にするのは組織の一拠点を預かる者としていかがなものか。


 A級案内人(ガイド)と言えども所属する支部のトップには面と向かって反目するわけにはいかないのだろうが、アノスももう少し言うべき事をはっきり言った方がよいのではないか。


「帝国が面会を申し入れてくるのはいつになるでしょうね」


 アノスとデンデロークス支部長の話を聞いていたのか、オルフェン課長が話を振ってきた。


「早くて明日の午後か、順当なところで明後日辺りね」


 デンデロークス支部長は既に万事織り込み済みといった口調で答える。


「向こうは向こうで相当揉めるんじゃないでしょうか」


 オルフェン課長が更に踏み込む。

 おそらく帝国軍人の名誉やら誇りやらに対する執着心は尋常ではないと伝え聞いているのだろう。


「どうかしら。アノスはどう思う?」


 いきなりこっちに振るかーと焦るアノスだが、何食わぬ顔をキープ。


「これまでの道中で体験した事を夢だとでも思っていなければ自ずと結論は決まっているでしょう」


「ふふ、そうね。帝国軍人がまともな神経の持ち主である事を祈りましょう」


「これまた手厳しいですね支部長」


 オルフェン課長が皮肉な笑みを浮かべている。


「自力で登れない山に挑むのは愚か者のする事よ」


「まったくです」


 小さく首をすくめたアノスには気付かず、笑い合う二人。


 (上を目指す志があるなら挑戦する気概は失ってはならないのだがな……)


 もちろんそんな事は口に出さないアノスであった。

 実際アノスであっても、現状で中層に行くかと言われれば即座に固辞するであろう。



 遅くに始まった慰労会は正味一時間ほどで一旦お開きとなり、その後は任意で残ったメンバーがそれぞれ好きな時間まで店で過ごしたらしい。




* * * * *




 帝国軍がエンダに到着した翌日、改めて攻略隊の今後について検討の場が設けられた。


 場所はエンダで帝国幹部が寝泊まりする宿舎の一室。

 一部屋余分に押さえていた四人部屋の中の家具を会議用に急遽総入れ替えしてもらったのだった。


「現時点で既に四日の遅れが生じております。ダンジョンに入る前の足踏みを加えると合計七日の遅延ですな」


 当初の計画に対する状況を淡々と説明する参謀長。


 行軍の遅れは通常の作戦行動であれば何等かの処罰を免れない大失態であった。


「それについては不問とする。この状況で当初の計画を云々しても始まらぬ」


 ボッツ少将の言葉で張り詰めた場の空気が少し落ち着く。


「では今後の予定について――」


「待て」


 段取り通り進めようとする参謀長をボッツ少将が制する。


「その前に昨日の第三小隊の件をはっきりさせたい」


 ボッツ少将がムンバ少佐をじっと見据える。


「あ、はい。あの、その、昨日は勝手に先行してしまい誠に申し訳ございませんでした」


 立ち上がったムンバ少佐がドギマギしながらも、まずは謝罪しなければと深く頭を下げる。

 朝、着替えたばかりのシャツに汗が染みだしてくる。


 昨日夕刻にこのエンダに到着した時には第一小隊、第三小隊合わせて四十名全員が疲労困憊しており、第二小隊の到着を待たずにすぐ野営の準備を始めると寝床が出来るなりほとんどの兵たちはそのまま倒れ込むように眠りに落ちてしまったのだった。


 幹部たちは回復薬を服用して持ち堪えていたが、第二小隊が到着したのは結局深夜近くになってからでそれもヤンとダミアンが迎えに行って尻を叩きつつ露払いしまくってようやく辿り着いたのがその時間なのだった。


 なんでも第二小隊は当日中の到着を諦めて野営の準備を始めようとしていたらしく、エンダ到着後に待ちくたびれた幹部たちからノックホルト中佐が集中攻撃を受けたそうで、今朝のノックホルト中佐は顔色が飛び抜けて悪かった。


 そんな事情の所へ、一方の第三小隊は逆に先行した事で批判されるという展開になり、ノックホルト中佐はますます居た堪れなくなるのだった。


「何故謝る? 少佐の隊が前に出てしまったのは我々が遅れたからだ。そうだな、参謀長」


「御意。その通りにございます」


 遅れた責任追及に話が飛び火しないよう願いつつ恭しく賛意を示す参謀長。

 次にどんな言葉が飛んでくるのかと緊張しているのを気取られてはならなかった。


「ハッ。それでは何をはっきりさせるのでありましょうか?」


 ムンバ少佐も緊張の限界に近かった。


「どうやってあの短期間であそこまで兵を鍛え上げたのだ」


 なるほどそれか、とムンバ少佐は理解したが、同時にヤンとの約束を思い出し、どう説明したものかと別な意味の緊張でまたぞろ汗が噴き出してきた。


「どうしたムンバ少佐。閣下の問いに答えよ」


 押し黙っているムンバ少佐を訝ったナンダス准将が声をかけた。


「ハッ。それなのですが、どう申し上げてよいものか、実のところ小官自身も驚いているような次第なのです」


 言葉を探りながら、言うべき内容を吟味しながら、ゆっくりと話し始めるムンバ少佐。


「と言うと?」


 ナンダス准将が続きを促す。


「第三小隊に付いた案内人(ガイド)をご存知でしょうか」


 一瞬、話の飛躍に思考が追いつかず顔を見合わせるように視線を交わす幹部たち。


「あの少年ですな。確かヤンとかいう名前だったはず」


 意外にもエルモンド大佐が答えたことに一同驚いた表情。


「はい、そうです。ヤン殿です」


 ムンバ少佐に、早く先を続けろと無言の圧力がかかる。


「彼はあの年齢にもかかわらず極めて優秀な案内人(ガイド)であるそうで、また同時におそらくはこのダンジョンの中でも屈指の強者だと見受けられます」


 ボッツ少将の目がギラリと光ると同時に体から発するエネルギーが一気に膨張したように感じられた。


「まさか。まだ十五にもなっていないように見えたが……」


 ナンダス准将が言いかけると


「十二歳だそうです」


 ムンバ少佐が被せた瞬間、再びボッツ少将がギラリ。


「信じられん」


 参謀長も困惑の表情で呟く。


「いえ、彼の実力は確かです」


 きっぱり断言したのはノックホルト中佐だった。


「そうか、貴殿は昨日直接目にしたのだな」


 エルモンド大佐が思い出したように言うと腕組みをして考え込む。


「あれは……とても言葉では表現できないほどの圧倒的な力でした。ムンバ少佐の見解に小官も同意します」


 今まさにその光景を見ているかのようなノックホルト中佐の真剣そのものの表情には誰にも疑う余地のない説得力があった。


「それほどかね」


 目を見開いたエルモンド大佐が難しい顔で尋ねる。


「我々の常識を遥かに凌駕しています。あれはもう人間の領域を越えているとしか言い様がありません」


 再びムンバ少佐が、もはや宗教的な崇拝まで感じさせるような口ぶりで続ける。


 それを聞いたエルモンド大佐が再び黙り込んでしまったのとは逆に、参謀長やナンダス准将はさすがにそれは誇張が過ぎるのではといった疑いの目を向ける。


「それで、彼がどう関係するというのだ」


 ボッツ少将が先を急かす。


「はい。彼と話しているうちにこのダンジョンに関する優れた知見を垣間見たわけですが、その中に興味深い話題がありました」


「ほぉ、それはどのような?」


 ムンバ少佐の話に参謀長が食いつく。


「このダンジョンの中では魔物を倒した時に得られる経験値が通常よりも多いのだそうです。しかも現在は波という現象でダンジョンの中が不安定になっているというか、ある意味では強化されている状態らしく、この期間には更にその経験値が多くなるようなのです」


「なんと!」

「それは真か!」

「バカな。そんなものどうやって証明するのだ」


 懐疑的あるいは否定的な言葉が飛び交う。


「そういうことかッ」


 ボッツ少将がガタリと立ち上がり大きな声を出す。


「閣下?」

「どうかしましたか」


 ナンダス准将と参謀長が何事かと慌てる中、エルモンド大佐もすっくと立ちあがる。


「道理で。この歳になって久方ぶりのレベルアップを経験した理由がわかりましたな」


 ボッツ少将と目を見合わせてニヤリと笑うエルモンド大佐。


 二人とも、下層の戦闘で比較的早い段階でレベルアップしていたのだった。

 

「小官も今回下層でレベルが2上がりました」


 上官二名がレベルアップを果たしたと聞いて喜びの余り、自分もと言葉にしてしまったムンバ少佐。


「なんだと!? 馬鹿を申すな。僅か一週間で2レベルも上がるなどありえん!」


 レベル据え置きのナンダス准将が目をギラつかせて否定してくるが、上がったものは上がったのだからどうしようもない。


「いや、しかし部下も大半が2レベル成長しておりますので……」


 あー、それ言っちゃうかームンバ少佐。


「ムンバ少佐ッ!」


「ハッ!」


 ナンダス准将が出した大声に反射的に直立不動になるムンバ少佐。


「戯言を申しているのでなければいったいどのような魔法を使ってそんな事が出来たのか」


 もはや質問のようでいて質問になっていないナンダス准将。


「第十二階層のキャンプの朝を覚えておられますか、准将閣下」


 ムンバ少佐の言葉に、すぐ思い当たるナンダス准将。


「ああ、あの後から各隊がそれぞれ独自に行軍を始めたのだったな」


「そうか。確か貴殿の隊が朝から何やら必死になって訓練をしていたアレか!」


 ノックホルト中佐はまざまざと思い出していた。


「はい。参謀長閣下がエンダで再会した時に見違えていることを期待すると仰ったあの時です」


 ムンバ少佐が参謀長の方を見て話すと、本人も思い出したらしい。


「言った! 確かに言ったぞ!」


 言ったけれども忘れていた。

 言ったけれども社交辞令だった。

 まさか本当に見違えるほど成長しているとは思わなかった。


 という意味合いで二度言ってみたのか参謀長。


「あれから毎日、魔物と戦いながらも訓練を朝昼晩必ず続けていたのです。そして魔物についてはヤン殿がほとんど先制して大きく体力を削った上で我々に任せてくれたので、極めて効率よく大量の魔物を討伐する事ができました」


 これくらいは大丈夫だよな、と心の中でヤンに詫びながら話し続けるムンバ少佐。


「我々の時もまさにそのような感じだった。尤も初手はウェルド殿に任せる事の方が多かったようだが」


 ノックホルト中佐もつい昨夜のことなのでまだ臨場感たっぷりに思い出しながら語る。


「して、貴殿の隊でも誰かレベルアップしたのか」


 参謀長が興味津々に尋ねる。


「それは……小官が」


 申し訳なさそうに申告するノックホルト中佐。


「おお!」

「なんと!」

「中佐もか」


「結果的にほとんどの魔物に私がトドメを刺すような形になってしまいまして……なにぶん急いでおりましたので」


 部下を差し置いて自分だけレベルアップしたのが心苦しいらしいノックホルト中佐。


 しかし、実際第二小隊はヤンとダミアンが合流してからというもの、ほとんど常時全力ダッシュに近い状態で走らされたのだった。

 そのスピードで魔物と戦えるものなど、一般兵にはいなかったのだ。

 ヤンとダミアンの動きを把握し、なんとか付いて行けたのがノックホルト中佐だけだったという話。


「見事だ」


 ボッツ少将が突然低く通る声で呟いた。


「え?」

「は?」

「…………」


 せめて主語を、ボッツ少将。


「ひとつ教えてくれムンバ少佐。その訓練と魔物討伐をもってすれば他の兵たち、そして我々もまだ強くなれるのか。そして第三小隊もこの上更に強くなれるのか」


 いや、それ二つあるような気がするんですがボッツ少将。


「はい、閣下。もちろんです」


 本当は自信がなかったが、期間を指定されたわけではないので敢えて強気で突っ張るムンバ少佐。

 あくまでも強気の視線をグッとボッツ少将に向ける。

 上官に対して礼を失すると言われなければよいのだが、とチラと思ったがすぐに捨て置く。


「そうか。では参謀長、そなたに尋ねる」


 突然ボッツ少将に指名されて身構える参謀長。


「我々の目的は達成可能だと思うか」


「そ、それは……」


 あまりにも本質的かつ残酷な問いにどう応えてよいものかぐるぐる思考がループする参謀長。


「ナンダス准将、貴殿はどう考える」


 まさかこれは誰かが答えるまで順番に聞かれるパターンかとナンダス准将以外も察し始めた。


「この波という現象が完全に想定外でしたので……もう少し詳しく状況を把握しないことには何とも」


「フン。波でなくとも下層で戦った相手が本来中層の相手だったというだけであろう」


「それはそうなのですが……」


 ボッツ少将は自分に何を言わせたいのだとナンダス准将はその真意を測りかねて焦る。


「よろしいですかな」


 エルモンド大佐が口を開く。

 どうせ放っておいてもナンダス准将の次は自分だと思ったので先に発言した、わけないか。


「なんだ大佐」


「閣下の求める答えかどうかはわかりかねますが、我々の目的達成のためにはもっと強くあらねばならない。それが厳然たる事実かと」


「うむ、その通り」


 ボッツ少将が満足気に頷く。


 だが、それならどうするというのか。

 諦めて帝都へ帰るのか。

 帰れるのか。


「司令官閣下! やりましょう!」


 ムンバ少佐が全て理解したと言わんばかりに宣言する。


「フフン。そうか、やるか。面白くなるな」


 鼻息荒く興奮した面持ちのボッツ少将。


「小官もお供しましょう」


 エルモンド大佐も十年若返ったかのような顔付きで応じる。


「では早速午後からでも……」


「まぁ待て少佐。はやるのはわかるが、筋を通してからだ」


 エルモンド大佐に諫められてハッと我に返るムンバ少佐。

 思わず興奮しすぎていたのを反省。


「そうですな。しかしギルド側に打診する前に、もう少し具体的な部分を詰めておきたいですな」


 ようやく流れを理解した参謀長がペースを取り戻す。


「閣下、暫くはここエンダに滞在するという結論でよろしいのですね」


 ナンダス准将は念のため言質を取っておくべく改めて尋ねる。


「うむ。だが波の終わるのを甘んじて待つつもりはない」


 ボッツ少将の言葉に我が意を得たりと頷く一同。


「そしてもうひとつ、改めてここではっきりさせておく」


 何事かと固唾をのむ一同。


「我々の最終目的は階層突破の実現に尽きる。それ以外の雑念は只今この瞬間を以て全て捨てよ」


 殺気にも似た迫力を放ちながらボッツ少将が宣言する。

 それはつまり、もうひとつの目的は破棄することに他ならなかった。


 重苦しい枷のように各人の心の奥に鎮座していたものが、この言葉によって完全に消失した。

 ボッツ少将の真意を理解した面々の表情がみるみる活力に満ちていく。


「御意ッ」


 全員起立して左手を胸に当て頭を軽く下げる。

 そのまましばらく静止。

 皆が顔を上げた後もどことなく晴れやかな気分が心地よく、暫し余韻に浸る。


「では後は任せる」


 ボッツ少将が部屋を出て行くと、ナンダス准将と参謀長の主導でエンダ滞在の詳細について具体的に詰める作業が始まった。


 まずエンダを出発する最終討伐班の編成とその選抜方法。

 ムンバ少佐から下層での訓練の詳細を聞き取り。

 それを受けて今後の訓練方針の策定と新たな班分け。

 ギルドとの交渉について。


 会議は昼を過ぎ、夕方を過ぎ、深夜にまで及んだ。


 帝国軍からエンダ支部に出発の無期限延期とエンダでの長期滞在について申し入れがあったのはその翌日の朝一番の事であった。

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