042.採掘推進局
トントンと局長室のドアが二度ノックされたので、ロレッタは入室許可の声をかけた。
「失礼します。マイネル主任を連れて参りました」
局長補佐官を務めるアイデス・ブルート四十三歳が部屋に入って来ると、後からモンド・マイネル主任五十五歳が続く。
ややぽっちゃりメタボ気味のブルート補佐官に対して、マイネル主任は元ベテラン採掘者らしく頑固そうな表情に未だ筋肉の衰えを見せない立派な体ですぐにでも現場に出られそうな雰囲気だった。
採掘推進局は約半年前の臨時最高会議にて可決された議案により新設されたバルベル迷宮ギルドにおける採掘業務全般を管理運営するギルドマスター直轄の組織である。
採掘に関する諸事はそれまで商業ギルドの管轄とされてきたが、これに伴い全ての関連業務を採掘推進局に移管する形となった。
採掘推進局ではまず採掘作業員を採掘者として定義し直し、新たに甲種採掘者と乙種採掘者として資格制を導入した。
これは採掘作業員を単なる日雇い作業員ではなく、ギルドにおける人的資産として冒険者と並ぶ存在に再定義するもので、発表後の反響は非常に大きく問い合わせが殺到したのだった。
乙種採掘者は従来通りの採掘作業のみを行う鉱夫を指し、年齢15歳以上50歳以下なら誰でも申請可能であり、その経験(累計従事年数)等により五級から一級までの区分が設定された。
一方、甲種採掘者は採掘作業に加え、警護任務や魔物討伐任務を兼務できる冒険者資格を有する者を指し、40歳以下のDランク以上の冒険者であれば誰でも申請可能であり、乙種同様に五級から一級までの区分が設定されていた。
尚、いずれの場合でも申請後に心身の健康状態や為人を審査の上で登録可否が決定される。
また、採掘者とは別に採掘管理者の資格も同時に作られた。
こちらは採掘現場における作業の指揮監督に加え、これまで案内人がなし崩し的に兼務していた進捗管理や人員管理を一括して請け負うための資格で、通常各採掘現場には有資格者が最低二名は必要とされた。
採掘管理者は五十歳未満で採掘経験と冒険者ランクを元に五つの区分に分けられている。
三級 採掘経験一年以上
二級 採掘経験二年以上
準一級 採掘経験三年以上且つ冒険者ランクD以上
一級 採掘経験五年以上且つ冒険者ランクC以上
特級 採掘管理者一級資格者で且つギルド推薦のある者
特級を除いていずれも上記の条件と審査の他に区分別筆記試験があり、正答率八割以上でなければ合格出来なかった。
試験があるために採掘者のように随時募集とは違い、毎月末に実施される試験の結果をもって認定される形となっていた。
ちなみに最初の認定試験は三級と二級のみ実施され受験者二百人超に対して合格者僅か三%の狭き門であった。
あまりの低さにギルド側では急遽試験対策講座を実施する必要に迫られたが、その甲斐あってか第二回認定試験の合格率は十五%程度まで上昇したが、まだまだ採掘管理者不足は続いていた。
幸いなことに現在は波の最中で採掘業務全般がほとんど中止されていたため、管理者不足の問題は棚上げされた形になっていたが。
「どうぞ、掛けて」
ロレッタが入って来た二人に勧める。
新設局だけあって局長室の調度品は皆新調された立派なもので揃えられていた。
ロレッタは贅沢なものは不要とメルクリオに伝えていたのだが、出入りする人間から侮られないようにするのはギルドマスターからの指示だと言って勝手に手配されてしまったのだった。
採掘推進局局長のロレッタ・コンスタンティン三十四歳はエンダ支部商業課の採掘係主任を務めていた所を今回の人事で抜擢されたのだった。
他支部の採掘係主任をはじめとする元同僚たちから若すぎるだの女性が云々と未だに陰で色々と言われているのが最大のストレスだったが現職の実務上では既に非凡な才を発揮しており、ギルド首脳部での評価は極めて高かった。
応接セットの長椅子に並んで腰掛ける中年男性二人を待たせて書類に幾つか判を押した後、ロレッタはようやく自分の机から離れて二人の向かい側の長椅子に浅く腰掛けた。
「お待たせしてごめんなさい。早速だけど採掘組の引き上げ状況について聞かせてもらえるかしら」
波がいよいよ本格的になってきたという事で迷宮内全階層で採掘業務を一旦中止して引き上げる指示を出したのが五日前。
新体制でスタートした採掘業務に早速水を差された格好となったのが癪だが、被害を出すような事があってはならないと自らの判断で決定したのだった。
元より採掘業務全般に対する全権委任が採掘推進局局長に与えられた権限であった。
「それについては中層の奥に行っていた組が今日遅くになる予定ですが、他は例のアレを除けば全組帰還済と他支部からも報告があがっております」
ブルート補佐官がここに来る前に最終確認をしておいた結果を報告する。
「そう。それで戻った人たちはみんな無事なのよね」
「はい。通常の採掘作業で軽微な負傷をした者は数名いたようですが、魔物による被害は確認されておりません」
「通常の作業での負傷については詳細を確認したの?」
「いえ、それはまだ……。必要でしたらこの後すぐに確認いたします」
「お願い。採掘者区分と採掘現場とのアンマッチや、管理上の問題がなかったか、あるいは採掘者同士の問題を偽装した可能性など出来るだけ詳しくヒアリングしてちょうだい」
「さすがにそこまでやるこたぁねぇんじゃねぇか」
マイネル主任が呆れた様子で口を挟む。
立場の違いなどものともせず、言いたい事を言うマイネル主任であった。
採掘者側のことをよく知っているだけに、あれこれギルドが介入することに対して懐疑的なポジションでもあった。
「そうなんだけど、これは採掘管理者への教育的意味合いもあるから必要なことよ」
「難しいことはわからんが、お前さんがそう言うなら好きにするさ」
意外とあっさり引っ込むマイネル主任。
頑固者のわりには物分かりが良いと言われる所以である。
「ありがとう主任。それで例のアレの方だけれど……」
「昨日の朝方に出発しましたから今日から作業開始予定かと」
ブルート補佐官は自ら出発を見送りに行った時の光景を思い出すかのように、手元の書類から顔を上げて遠くを見るような表情をしながら語った。
「三十人規模の採掘なんて久しぶりね」
ロレッタの経験上では確か過去に一度あっただけと記憶している。
「ありゃ確か前回の波の後だったな。波の直後は魔物も少ねぇし結構掘り出しモンが出てくるから狙い目なんだ」
マイネル主任は何度か経験があるような口ぶりであった。
当時、ロレッタはまだ外の世界からやって来たばかりで塔内部の事情にはかなり疎い状態だった。
「あの時はギルド側は大騒ぎだったので、採掘をすることに対しても色々言われました」
ブルート補佐官も当時を懐かしむモードに入った模様。
こうなるとロレッタは自分だけ蚊帳の外に置かれたような気分にならざるを得なかった。
「確か階層突破したパーティの案内人が行方不明になったのよね」
ロレッタもギルド職員としてその程度のことは覚えていたが、なにぶん新天地での騒ぎだったのもあって詳細まではもちろん把握できていなかった。
「そうです。ギルドでも特に有名な人でしたから捜索隊志願者が殺到して数十人規模の捜索を二週間近くやったのですが、結局見つからず仕舞いでした」
「あいつの話は今でもギルドでは禁句みたいになってるからな」
「そう言えばマイネル主任はエルさんと面識があったんでしたよね」
ブルート補佐官が思い出したようにマイネル主任に尋ねるとマイネル主任の表情は一変した。
「面識もなにもあいつはオレの弟子みたいなもんだ。いや、個人的な護衛役でもあったな。中層や上層の採掘調査に行く時なんかは必ずあいつを連れて行ったもんだ。ボウズが産まれてからは子連れでな。今じゃそのボウズがギルドの有名人だってんだからオレがすっかり老いぼれになるもの道理ってな」
ガラガラ声で軽く笑うマイネル主任。
特にヤンの話になってからは表情が一層崩れて孫の自慢話をするお爺さんのようになっていた。
「老いぼれだなんてそんな。マイネル主任はまだまだお元気ですよ」
「それだそれ! 他人からいちいち元気だなんだって言われること自体が老いぼれた証拠なんだ。お前もいずれわかる」
マイネル主任がブルート補佐官を指差して非難すると、申し訳なさそうに縮こまるプルート補佐官。
「す、すみません。大変失礼いたしました」
「話を戻しましょう。私が聞きたいのは例のアレについてです」
「あ、はい局長。アレは第八階層の採掘ポイントαで本日より二週間の採掘予定となっております」
「それはもう知ってるわ。うちのバックアップ体制はどうなっているの」
「はい。緊急時の対応は冒険課の方とも協力してこれまでと同様の流れで対応する想定となっております。今回は人数が人数ですのでもしもの場合の人選はある程度当たりをつけて待機してもらっている状態です」
「もちろんCランク以上なのよね」
「はい。Cランクの『エ・スタルツ』とBランクの『疾風』になります」
「ああ、『疾風』は確か最近昇格したのよね。それなら安心だわ」
ロレッタは心底安心した様子。
「それを言うならそもそもアレにくっ付いて行った連中がボウズの弟子なんだから、元から何も起きやせんだろうよ」
マイネル主任がいかにもつまらないという風に話すと、ロレッタが再び懐疑的な表情になる。
「主任、それはどういう意味なの」
「局長、まさかご存じないのですか? チームヤンですよ」
ブルート補佐官が種明かしをしてもピンと来ない様子のロレッタ。
「チームヤン? 案内人のヤンって子と何か関係があるのかしら」
「おやおや、うちのお局さんは世間に相当疎いようだぞ。アイデス、お前がしっかりせんからだぞ」
「はい、すみません」
「ちょっと。どうして私のことでブルート補佐官が謝るのよ。それに世間に疎いだなんて失礼だわ」
ロレッタが静かに抗議申し立てをする。
お局さんの方には敢えて触れなかったのか、それとも本当に気にしていないのか。
「フン。迷宮ギルドで働いとるモンがチームヤンも知らんで何をぬかすか」
マイネル主任も一歩も譲らない。
「まぁまぁ局長。マイネル主任もどうか落ち着いて」
「オレはハナっから落ち着いとるわ」
「私だって落ち着いています」
なんだこの意地っ張りどもは、とでも言いたそうな所をぐっと飲み込んでブルート補佐官がロレッタに続ける。
「そうですか。では私の方から報告を続けます。一番問題なのは帝――アレが逃走したり敵対行動を取った場合です。いずれの場合も初期対応が非常に重要になってきます」
「だから私は五人から十人ほどはスタルツに待機させるよう進言したのだけれど……」
ロレッタは思い出して悔しそうな表情を見せた。
「ペンデルトン支部長に却下されたんですよね。人質を取るような真似はギルドの精神に反すると」
ブルート補佐官がロレッタの言葉を受けて説明する。
そういいつつも、採掘部隊をスタルツに残していることが既に人質に等しいのではないかと内心では思っているのだが、そこはさすがに気づかないフリをするしかなかった。
「そりゃオレも支部長に賛成だな」
頷きながら納得するマイネル主任。
「人質だなんて人聞きの悪い……」
ロレッタはまだ納得していないのか不満げな様子。
「人聞きなんぞ関係あるか。実際問題人質以外の何者でもなかろうが」
マイネル主任にビタリ正論を言われて二の句が継げず黙り込むロレッタ。
「えー、つまりその帝こ――アレが問題を起こした場合の初期対応についてですが、これは先程から名前の挙がっているチームヤンに全て一任する形となっております」
「なんですって!?」
ロレッタが突然復活。
「正確には案内人のタッツォール君と冒険者のオンドロ君に一任しております」
「そういう事じゃなくて、何故その子たちに一任なの? チームヤンってそもそも何!?」
「そこからですか……ハァ」
わざとらしく大きな溜息をついてからチームヤンについて説明を始めるブルート補佐官。
説明を聞きながらもまるで腑に落ちない様子のロレッタだったが、ヤンの噂だけはそれなりに耳にしていたようなのでブルート補佐官はそこを取っ掛かりに多少脚色を施した上でロレッタの顔色を伺いながら説明を続けた。
「なんだかよくわからないけれどとにかくすごい子たちなのね」
「まぁ簡単に言えばそういう事です」
一生懸命説明した結果がその程度なのかと落胆しつつそんな素振りはおくびにも出さないブルート補佐官。
「だからといって三十人ものアレをコントロール出来るとは思えないけれど……」
「例の双子事件のことはさすがにご存じでしょう。あの時活躍したのがオンドロ君ですよ」
「えっ!? あれがそうなの? ふ~ん、そっか。なるほどね」
ようやく納得してくれた様子。
まさかヤンの方と勘違いしているというオチではないことを祈りつつ、ブルート補佐官は役目を終えた。
「オレはもう行くぞ。そもそも何で呼ばれたのかわからんし」
マイネル主任はそろそろ飽きたのか腰を上げて立ち去る気配を見せた。
「待って。まだ話は終わってないわ」
それを制するロレッタ。
不本意そうに再び腰を下ろすマイネル主任。
「波で休業状態の間に採掘者の登録人数を増やしておきたいの。特に経験の浅い者への研修や座学講座を出来るだけ開催して敷居を下げてはどうかしら。それから過去の採掘の監督経験者に採掘管理者認定試験の受験を勧めるようもっと宣伝した方がいいと思うの」
ロレッタが早口で捲し立てたのはいずれも寝耳に水のブランニューアイディアだった。
「波の後の採掘ラッシュを見込んでって意味なら確かにやらにゃならん仕事だな」
ブルート補佐官が返答に困っているところへ先にマイネル主任が全面的な賛意を表明してしまった。
「えーと、ひとまずそれらの予算につきましては……」
ひとまずお金の問題を持ち出してインターバルを稼ごうとするブルート補佐官。
「それは大丈夫。メルクリオ先輩に私の方からお願いするから」
あっさりロレッタに一蹴されてしまった。
同じ商業課であったとは言え、採掘係の主任と所属支部も異なる商業課全体の長とは相当に距離があると思われるのだが、何故かロレッタは年上の男性へ取り入るのが非常に巧みでそれが相当広範囲に効果を発揮する特技だと認識されたことが今回局長に抜擢された一番の理由ではないかとブルート補佐官は思ったりしているのだが、それはもちろん自分もその影響下にあるという前提で出した推論であった。
「いいからさっさと動かんかい。四の五の言わずに行動するのが男ってもんだ」
マイネル主任も既にその影響を多分に受けている可能性について早急に検討しなくてはならないとブルート補佐官は思ったが、ひとまずこの場は従うほかないと諦める。
「わかりました。進めておきます」
また今夜も残業確定だ。
いや、今夜どころか暫くは夕食を家族と囲むのは無理そうだな、と確信したブルート補佐官。
「それでは私は戻って詳細を詰めます」
立ち上がってそのままドアの方へ向かう。
「あ、ブルート補佐官」
「なんでしょう?」
立ち止まって振り返ると、微笑むロレッタが立ち上がって両手を胸の前で合わせじっと見つめてくる。
「無理を聞いてくれてどうもありがとう。とっても感謝しているわ」
これだよ。
これがいけない。
これで自分が彼女の役に立っている事を実感させられる。
彼女の感謝と信頼と親愛が伝わってくるように思い込まされる。
逃れられない罠のような微笑みだ。
「これが私の仕事ですから」
無表情を装って一礼するとそのまま部屋を出て行くブルート補佐官。
「ならオレもこの辺で」
言うなりドタバタと早足でマイネル主任も出て行く。
一人になったロレッタは再び長椅子に腰掛けると、頭の中で今後の採掘計画のスケジュールを思い描く。
採掘推進局の局長に任命された時、ギルドマスターから直接言われた事が三つ。
ひとつ、新しい体制で一日も早く以前の採掘量を回復する
ひとつ、一年後までにその採掘量を倍にする
ひとつ、一年後から上層での採掘を開始する
あまりにも過酷な要求だとロレッタは即座に絶望して任命されたばかりの職を辞することも考えたが、ここで反論したり辞めるなどと言おうものなら今後ギルドに居場所はなくなるだろうと思い至り堪えたのだった。
それにしても、ただでさえ困難なのに波だ帝国だと勝手に難易度爆上がり。
いったい何なのだ。
特にこの帝国絡みの仕事は本当に虫唾が走る不快さだった。
アリアルド王国出身のロレッタにとって、ベリオール帝国はまさに天敵。
王国での徹底した反帝国教育の賜物ではあるのだが、帝国と聞くだけで遺伝子レベルで刻まれているのではと思われるほどの嫌悪感が自然と沸き上がってくるのだった。
そのため、局内では帝国軍による採掘案件をアレと称しているのだが、これまで一度もその理由について聞かれた覚えがないということはブルート補佐官やマイネル主任はどう考えているのだろうかと思わないでもなかった。
その程度の客観的視点は残っているのだが、それでもやはり帝国憎しの感情は何にも増して強いのだった。
従って実のところロレッタ本人はアレについて、是非とも何か問題が起きてほしいと内心思っていた。
仮に大問題が起きて連中にとって何かマズイことにでもなれば少しは溜飲が下がるのに、と。
いっそ何人か、いや何十人でも構わないので死んでくれればもっと気分がいいだろう、と。
王国人にここまでの反帝国思想があることは両国の人間であればほぼ周知されているものの、他国ましてや迷宮内の人間にとってはおよそ理解不能なものであり、ギルド上層部もこの点を見誤った可能性は無きにしも非ず。
げに恐ろしきは王国の反帝国教育也――。





