041.帝国ドリル(四)
「ただいまー」
夜の補習ドリルから戻って来たヤンが外で出迎えてくれたムンバ少佐に手を振る。
ヤンが隊員二人を連れて出て行ってから三時間ほど経過していた。
「早かったな。それで二人の方は?」
夜中遅くまでかかるのではと危惧していたムンバ少佐は半ばホッとしながら成果を尋ねる。
「うん、バッチリ。ね?」
後ろに続く二人に微笑みかけるヤンだが、当の二人はげっそりして無言だった。
グランツ伍長とワルベルク上等兵は昨日今日の戦闘でもまだレベルアップ出来ていなかった。
ワルベルク上等兵は魔石集め役だったので仕方ないとしても、グランツ伍長の方は仲間が皆成長を遂げたにも関わらず自分だけ置いて行かれたような気がしてすこぶる落ち込んでいたのだった、
そんな中、おそらくは残り必要経験値まで確認した上でヤンが補習ドリルと称して二人を連れ出したのだ。
無事レベルアップ出来たからこそ戻ったのだろうが、一体どれだけの魔物にトドメを刺したのかについてはムンバ少佐も聞くつもりはなかった。
しかもヤンの事だから、プラスαで何かやらされていたとしても何ら不思議ではないのだ。
その証拠に今、ワルベルク上等兵は何故か目隠しをされたまま歩かされていた。
ムンバ少佐は好奇心を刺激されつつも、敢えてそこもスルーしてヤンの好きにさせるのだった。
「うわッ」
ワルベルク上等兵が岩場で躓いてコケそうになるがなんとか堪えて自力で持ちこたえる。
「教官、これいつまで着けてればいいんですか」
先程のヤンとムンバ少佐の会話で野営地に到着したのを悟ったワルベルク上等兵が音を上げ出した。
「いいって言うまでだよ」
即答。
「……わかりました」
あっさりと諦めるワルベルク上等兵。
「じゃあ、あとこれもね」
そう言いながらヤンはワルベルク上等兵の頭から耳当てのようなものを被せる。
「え……なに? 聞こえないッ。聞こえなくなりましたッ!」
「大丈夫! 聞こえるでしょ!」
ヤンがワルベルク上等兵のすぐ横から大声で叫ぶ。
「あ、はいッ! 聞こえますッ!」
安心したように叫ぶワルベルク上等兵。
ヤンがこちらを見てニヤッと笑う。
「ヤン君……いや、ヤン教官。それは一体どういう効果を狙っているんだ?」
ムンバ少佐がとうとう好奇心に勝てずに尋ねると、ヤンがてけてけと近付いて来て耳元で囁く。
「スキルだよ。ス・キ・ル」
ちょっとこそばゆかったが我慢したムンバ少佐。
つまりワルベルク上等兵の目と耳を塞ぐことで何等かのスキル習得を促しているということだと理解した。
自分もやってみたいという衝動を抑えつつ、頷いて納得してみせるムンバ少佐。
「今日はこのまま寝ていいけど明日からは夜も訓練するよ」
「いいだろう。では私もそろそろ休ませてもらうとしよう。すまんが頼むよヤン君」
若干の後ろめたさを覚えつつも、ヤンが見張り番なら安心して眠れるという事に心から感謝するムンバ少佐であった。
「おやすみー」
ヤンが手を振る横でグランツ伍長とワルベルク上等兵は敬礼。
「それじゃこっちも解散。あ、でもハンスはボクと一緒に来てね」
後半を大声で言うヤン。
「え……わかりました教官」
ワルベルク上等兵に拒否権などなかった。
「それじゃ、お先に」
グランツ伍長はチラリと気の毒そうな視線をワルベルク上等兵に向けた後、ヤンに一礼してテントの方へ歩いて行った。
「あの、自分はまだ何かやるんでしょうか」
不安になったワルベルク上等兵がおずおずと尋ねる。
「ボクと一緒に見張り番」
あまり何度も大声を出すと先に休んでいた隊員が起きてしまうぞヤン。
「二人で、ですか?」
なんだ見張りかと少しほっとする一方で、この目隠しはどうするのだという疑問がぐるぐる頭の中を回り始める。
そしてもうひとつの問題に気が付いた。
確か見張りはホールの前後二ヵ所でやるはずだったので、二人だけならそれぞれ一人で担当することになってしまう。
ワルベルク上等兵の不安はたちまち膨れ上がってもはやパンパンだ。
「マッコル軍曹とジュノ軍曹も一緒だよ」
ヤンの答えを聞いて膨らみ切った不安が一気にぷしゅーっと萎んだ。
少なくとも完徹させられることはなさそうだった。
補習に連行されてからというもの、気持ちのジェットコースターが激しすぎて振り回されっぱなしのワルベルク上等兵。
しかし、目と耳が不自由になってから不思議と気持ちのリカバーが早くなった気がしていた。
「軍曹たちは明日は他の人と交替するけど、ボクたちは毎日見張り番だからね」
大声を少し抑制するためか両手を口に当ててワルベルク上等兵の耳元で話すヤン。
最初に耳当てをさせた時に耳元で出した大声と比較すると随分抑えた声量だった。
「えッ……あ、はい」
ほっとしたのも束の間、ワルベルク上等兵は再び失意の底に叩き落されるのだった。
ワルベルク上等兵の聴力の適応力に拍手。
* * * * *
その後も帝国ドリルは順調に進んでいった。
毎朝のダッシュとサンドバッグ打ち。
昼食後にサンドバッグタックル。
夜は就寝前に反復横跳び風の岩タッチとインターバル走。
一日一階層ペースで徹底的に魔物討伐(トドメ刺し)。
そして道中は体当たり行軍。
更に一日一個ずつザックに石を追加。
これを波真っ只中の迷宮で六日間繰り返したら一体どうなったかと言うと――。
――エルクック・ムンバ少佐 二十八歳――
武器:長剣
レベル28⇒30
成長スキル
【掌撃】 LV(2)⇒(3)
【体力増強】 LV(1)⇒(2)
【必殺剣】習得 LV(0)⇒(2)
【直感】習得 LV(0)⇒(2)
【円空拳】習得 LV(0)⇒(1)
【身体強化】習得 LV(0)⇒(1)
【魔法耐性(雷)】習得 LV(0)⇒(1)
二日目の個別ドリルで習得したスキルを伸ばしつつ、格闘メインで魔物を倒すも新スキル習得には至らず。
代わりにジュノ軍曹との立ち合い稽古を重ねることにより【円空拳】を習得。
年齢の割に【身体強化】習得及び【体力増強】のレベルアップを実現したのは出色と言える。
武器に頼らずとも近接戦闘全般に対する自信を持てたことが今後の大きな飛躍に繋がるだろう。
――ピート・マッコル軍曹 二十一歳――
武器:剣、短剣
レベル20⇒22
成長スキル
【回転斬り】 LV(2)⇒(3)
【加速】習得 LV(0)⇒(2)
【気配察知】 LV(1)⇒(2)
【体力増強】習得 LV(0)⇒(1)
【魔法耐性(雷)】習得 LV(0)⇒(1)
【忍耐】習得 LV(0)⇒(1)
素早い身のこなしを活かすためのスキルを習得または成長させている。
本人はオルガの戦いぶりを参考に二刀流を目指すつもりになっている模様。
副隊長として戦闘面でも充分に頼りになる存在へと成長したと言える。
――テオスカー・ウリゲル少尉 二十二歳――
武器:大剣
レベル19⇒21
職業適性:騎士 LV(1)⇒(2)
成長スキル
【飛転両断】 LV(2)⇒(3)
【体力増強】 LV(2)⇒(3)
【加速】習得 LV(0)⇒(1)
【魔法耐性(雷)】習得 LV(0)⇒(1)
【身体強化】習得 LV(0)⇒(1)
【根性】習得 LV(0)⇒(1)
大剣を振り回すためのスピードと体力を大きく補強するスキルを身に付けたので、はっきり言ってほとんど別人レベルに動ける騎士になっている。
【加速】により【瞬足】が死にスキルになりそうなものの、今後【身体強化】を伸ばせば更なる飛躍に繋がりそう。
――オルガ・エリンコヴィッチ准尉 二十一歳――
武器:双剣
レベル20⇒22
職業適性:騎士 LV(1)⇒(2)
成長スキル
【加速斬】 LV(3)⇒(4)
【体力増強】 LV(2)⇒(3)
【連撃破】習得 LV(0)⇒(2)
【魔法耐性(雷)】習得 LV(0)⇒(1)
【受け流し】習得 LV(0)⇒(1)
【忍耐】習得 LV(0)⇒(1)
元々習得していた【加速斬】に【連撃破】を習得した事で凶悪性が増し増し。
更に【受け流し】習得により、唯一懸念点だった接近戦中の被弾リスクの改善の道が拓けたため、今後が更に楽しみな逸材レベルに成長したと言える。
――マーカス・グランツ伍長 十九歳――
武器:剣
レベル18⇒20
成長スキル
【斬撃波】 LV(1)⇒(2)
【身体強化】 LV(1)⇒(2)
【回転斬り】習得 LV(0)⇒(2)
【体力増強】習得 LV(0)⇒(2)
【魔法耐性(雷)】習得 LV(0)⇒(2)
【加速】習得 LV(0)⇒(2)
量産型ムンバ少佐タイプ(非格闘)だったが、スピード系のスキルを新しく覚えてらしさを確立。
【加速】と【身体強化】レベル2の同時発動はえげつない事になるのでここぞという時の突破力は絶大。
ヤンの補習ドリルの時にアドバイスされ、己の進む道を見つけた。
新スキルのレベルアップが軒並み早いのは【早熟】というレアスキル持ちだったためで、若いうちに鍛えれば相当な所まで伸びる可能性がある。
――キッズ・ホランド伍長 十九歳――
武器:槍、剣
レベル18⇒20
成長スキル
【連続突き】 LV(2)⇒(3)
【氷魔法】 LV(2)⇒(3)
【筋力向上】習得 LV(0)⇒(1)
【魔法耐性(雷)】習得 LV(0)⇒(1)
【氷属性付与】習得 LV(0)⇒(1)
【受け流し】習得 LV(0)⇒(1)
【忍耐】習得 LV(0)⇒(1)
新スキル五個習得はムンバ少佐、ワルベルク上等兵と並んで最優秀。
実戦に役立つスキルが多いので戦闘貢献度的には一番の成長株と言えなくもない。
【氷属性付与】を覚えた事で槍術と魔法の連携の幅が大きく広がったのが最大の特徴で、あとは【受け流し】を槍で成長させれば幅広い間合いで支配率が上がってくると思われる。
――マーヴィン・プレスキー一等兵 十八歳――
武器:剣
レベル17⇒19
職業適性:魔法士 LV(2)⇒(3)
成長スキル
【土魔法】 LV(2)⇒(3)
【氷魔法】 LV(2)⇒(3)
【体力増強】習得 LV(0)⇒(1)
【魔法耐性(雷)】習得 LV(0)⇒(1)
【加速】習得 LV(0)⇒(1)
魔法士で【加速】持ちはレアなので回避系高速魔法士を目指すとキャラが立ってくると思われる。
また常時消費MPが軽減される【魔力効率】というスキルを持っているので成長する程に活躍の幅がより広がる。
ヤンから土魔法についてのノウハウを伝授されたようなので、今後の研鑽次第では化ける可能性あり。
――ウィリアム・ホーネック一等兵 十八歳――
武器:剣
レベル17⇒19
職業適性:魔法士 LV(2)⇒(3)
成長スキル
【風魔法】 LV(2)⇒(3)
【氷魔法】 LV(2)⇒(3)
【体力増強】習得 LV(0)⇒(1)
【魔法耐性(雷)】習得 LV(0)⇒(1)
【忍耐】習得 LV(0)⇒(1)
プレスキー一等兵とほぼ同様の成長方向だが、こちらは【忍耐】の習得により万一被弾した場合の保険ができた。
また上記には表示されていないが魔力切れを起こした後のレベルアップ時に最大MPが大きく増えたため、ステータス面ではプレスキー一等兵より一歩先んじている。
――ハンス・ワルベルク上等兵 十七歳――
武器:剣、スリングショット
レベル16⇒18
成長スキル
【気配察知】 LV(1)⇒(2)
【必中】 LV(1)⇒(2)
【射程向上】 LV(1)⇒(2)
【体力増強】習得 LV(0)⇒(1)
【暗視】習得 LV(0)⇒(1)
【遠耳】習得 LV(0)⇒(1)
【忍耐】習得 LV(0)⇒(1)
【魔法耐性】習得 LV(0)⇒(1)
戦闘ではほとんど目立った活躍をせず魔石回収に専念していたかと思いきや、見張り時間にヤンから手解きを受けてスリングショット系スキルが伸びていた。
また斥候として役に立ちそうなスキルも習得し、今後の成長が楽しみなルーキーへと変貌を遂げた。
【魔法耐性(雷)】を唯一覚えないままだったが最後の最後で【魔法耐性】(属性表記がない場合は全属性対応となる)を覚えたミラクルボーイでもある。
――ペク・ジュノ軍曹 十六歳――
武器:格闘
レベル17⇒19
職業適性:モンク LV(2)⇒(3)
成長スキル
【雷魔法】 LV(2)⇒(3)
【体力増強】 LV(1)⇒(2)
【身体強化】 LV(1)⇒(2)
【直感】習得 LV(0)⇒(2)
【魔法耐性(雷)】習得 LV(0)⇒(2)
【受け流し】習得 LV(0)⇒(1)
【根性】習得 LV(0)⇒(1)
ジュノ軍曹は魔物討伐では基本回復役に専念していたが後半は雷魔法による攻撃で経験値を稼いだ。
訓練の成果も上々で既得の強化系スキルも成長出来たが、ヤンやムンバ少佐との立ち合い稽古がちょくちょくあったために若干時間をロスした感は否めない。
近接戦闘・魔法・回復の三刀流をこなせる極めて稀有な存在で、現時点ではまだまだ成長の余地しかない金の卵ではあるが、十六歳という年齢を考慮するなら既に相当非常識な強さと言える。
これがたった六日間の訓練の成果であると言われて信じる者が果たしているだろうか。
ヤンのドリルを知っている者であったとしても、過去のドリルと比較してあまりに破格の成果であるため、必ずしも信じてもらえるとは限らないのではいか。
迷宮が丁度波であった事による魔物の質向上と獲得経験値ブースト効果(まだ一般的には認知されていない)だけではなく、第三小隊の隊員たち個々の資質による部分も相当大きかったものと思われる。
波は冒険者を育てる試練――。
根拠のない妄言として忘れ去られていたこの言葉が、真実味を帯びて語られるようになるのはもう少し先の話であった。
* * * * *
下層八日目、第十八階八合目――。
野営を畳んだ後、整列して出発を待つ第三小隊。
前に立つムンバ少佐が厳しい表情で隊員たちへ語りかける。
「いよいよだ諸君。知っての通り我々は既に予定から一日遅れている。従ってなんとしてでも今夜までにはエンダに到着して本隊と合流しなければならない」
一呼吸置きながら、隊員たちの顔を確認。
「それに伴い、ヤン教官に依頼した訓練は本日この時刻を以て終了とする。全員、教官に礼ッ」
「ありがとうございましたッ!」
ピタリ揃った声と共に、ザッと足を揃える音がして第三小隊十名全員がヤンに向かって敬礼。
ヤンはちょっと驚いた表情の後、くしゃっと照れ笑いを見せると、一瞬で真剣な顔になり直立して四十五度のお辞儀で応える。
「では教官からひとこと。ヤン教官、よろしく頼む」
「え、ボク? 聞いてないんだけど……困ったなぁ」
頬をぽりぽり掻きながらもムンバ少佐の隣に立つヤン。
「えーっと、みなさんどうもお疲れ様でした。いつもは十日ぐらいやるんだけど今回はたった六日間という短い期間にもかかわらず、今までなかったくらいの成長を見ることができてボクもとても嬉しいです」
隊員たちの顔をひとりひとり見ながら話すヤン。
どの顔にも喜びと自信が溢れていた。
「自分がどれくらい成長したのかはたぶんみんな自身が一番わかっていると思うけれど、これからもっともっと鍛えて誰が見ても前とは見違えるほど立派になったって認められるように頑張ってください」
頷く者、口元を引き締める者、目を輝かせる者、背筋を伸ばす者……それぞれ反応は異なるが、ヤンの言葉の意味はしっかりと伝わったようだ。
「それとひとつだけ注意。今回の結果はもちろんみんなの努力ではあるけど、今は迷宮の中で尚且つ波が来ている時期だったからここまでの成果が出たのであって、これから先も同じように成長出来るとは思わないでね。焦ったり落ち込んだり悩んだりするよりも休まずにひとつひとつ積み重ねていく事だよ。もしどうしてもじれったくて我慢できなくなったらまたこの迷宮に来たらいいよ。いつでも待ってるからね。但し大勢で来るのは勘弁だよ。また面倒な事になるから」
チラホラと笑い声が起きる。
「あ、それからもうひとつ大事な事があったんだ。エンダに着いた後なんだけど、できれば今回の訓練の事は他言無用でお願いします。本当は結構高いお金をもらってやってる訓練だからもし帝国の人にタダでやったって事がバレたらボク、ギルドの偉い人に怒られちゃうから」
爆笑。
「最悪クビになるかも」
大爆笑。
「教官! そうなったら是非帝国へ来てくださいッ」
グランツ伍長が後列から大きな声で叫ぶと、他の隊員たちも口々に好き勝手しゃべり出す。
「そうだ」
「それがいい」
「是非帝国へ、教官」
「ウチに部屋空いてますよ」
「いつでも歓迎しますッ」
「いっそ帝国軍へ入ってください」
「気持ちはとっても嬉しいんだけど、だからってわざと言い触らさないでよね」
ヤンが困った顔で釘を刺すと、再び大爆笑。
「ボクとしてはみんなが軍を辞めてこの迷宮で冒険者になってくれたら一番嬉しいんだけど……あーごめんなさい。今のナシナシ。ウソです間違えました。全然そんな事思ってないよ。ずーっと帝国軍人として頑張って欲しいに決まってるよ。ねぇムンバ少佐」
ムンバ少佐の厳しい視線に気付いて慌てて前言撤回したヤンだが、あまりにも白々しすぎたので隊員たちは笑いを堪えるのに必死だった。
ここで笑おうものならその場で帝国軍人失格の烙印を押されかねない。
「とにかく、みんなは強くなったけどまだまだ弱いのも事実だから決して無理しないでね。死んじゃったら意味ないから」
最後に辛辣な一言を付け加えてヤンは浅く一礼。
さっきまでヤンに軽口を浴びせていた隊員たちだが、既に真顔に戻っていた。
生きて帝都に戻るという決意を新たにしたのかもしれない。
こうして第三小隊はエンダに向けて出発したのだった――。
* * * * *
第三小隊は下層の最終層となる第十九階層に入っていた。
これまでヤンが担っていた先制&圧倒的削り役がいなくなった事で魔物の討伐に要する時間は長くなったものの、通常移動時がほぼダッシュに近い駆け足になったため、移動時間が大幅に短縮されていた。
ヤンのザックから解放された第三小隊は今や迷宮を駆けぬける疾風であった。
ワルベルク上等兵は依然として魔石回収役ではあったものの、今ではヤンと並んで先頭を走りながら【気配察知】で進路上の索敵を任されていた。
ヤンから迷宮内での索敵ノウハウを直接伝授されたおかげもあり、精度も上々。
しかも、ヤンが普段投擲に使用している曲玉(魔法や特殊効果を付与した直径五cmほどのアイテムの汎用名)を幾つか譲ってもらったのもあって、気分が高揚していた。
「前方に魔物らしき気配。数は十以上、距離およそ二百m」
ワルベルク上等兵がすぐ後ろを付いてくるムンバ少佐とマッコル軍曹に聞こえるよう、大きめの声で伝える。
「フォレストウルフだよ。中層の危険な魔物でオオカミ種。素早くて狂暴。群れで狩りをするよ」
ヤンが補足で魔物の特定と特徴を端的に伝える。
聞いたムンバ少佐が目でマッコル軍曹を促す。
「戦闘準備! 前方二百ッ」
ほんの気持ち進軍速度を緩めつつ、各々武器を手に持ちいつでも戦える状態で走る。
間もなく広い空間に出ると、獲物が出てくるのを待ち構えていたフォレストウルフが一斉に襲い掛かってきた。
ホールの入口付近に密集した第三小隊の前方に白い光と共に大きな盾が現れる。
三重詠唱の【氷盾】が幅五mほどの大きさとなってフォレストウルフの突進を阻む。
先頭集団のフォレストウルフは盾に弾かれてノックバックすると怯んで様子見。
回りもうとする後方のフォレストウルフが第三小隊に接近するより早く、ジュノ軍曹の雷魔法【雷電波】が炸裂。
ホール全体を震わせる轟音と閃光と共に稲妻が網の目のように扇状に広がってフォレストウルフを一匹残らず絡めとると強烈な電撃ダメージと共に感電効果でその動きを止めることに成功。
【身体強化】持ちのムンバ少佐、【加速】持ちのマッコル軍曹、そして両方発動させたウリゲル少尉とグランツ伍長があっという間に盾の横から飛び出すと、感電して動けないフォレストウルフに自身の持つ最大攻撃力を叩きつける。
エリコヴィッチ准尉はどちらのスキルも持っていないものの、一緒に飛び出すと【加速斬】を上手く使って次々と手数を稼いでスピードアップしつつ同時に【連撃破】で攻撃力も上昇させるチート技で最終的には五頭のフォレストウルフにトドメを刺すという離れ業をやってのけた。
フォレストウルフが感電で動けくなっていた時間は長いものでも十秒ほどで、早い個体は五秒後くらいには動けていたのだが、第三小隊の特攻メンバーの攻撃により十頭余りが既に倒されていた。
群れのリーダーと思しき一際大きな体の個体はいち早く感電から抜け出すと後方に下がって警戒態勢。
その後感電から復帰した個体もリーダーに倣って一旦退いて距離を取ったので、残り六頭が第三小隊と十五mほど距離を置いて対峙する状態となっていた。
「自分が隙を作りますッ」
ワルベルク上等兵が叫ぶと同時にスリングショットを射出。
フォレストウルフたちの真ん中に着弾するとフォレストウルフがギャンと悲鳴を上げながら散開。
ヤンからもらった曲玉の中にあった臭玉を一発放ったのだった。
臭玉は魔除け玉に使用される成分を凝縮して短時間だが激烈な効果を発揮するように加工したもので、獣系の魔物には特に効果が高く、臭いの効果が切れるまでほとんど鼻が利かなくなるだけでなく、その臭気により激痛に等しい苦痛を対象に与えることが出来るのだった。
そこへ【身体強化】継続中の三人が斬り込んでいくが、ステータス向上中であってもフォレストウルフのスピードにはなかなか手を焼かされている状態。
逆に孤立したところを集団で襲われるリスクもあるのだが、そこは後方から魔法の援護で当たらないまでもフォレストウルフを引き続き分散させておくことには成功していた。
そのうち地面を【氷結】させてからのフォレストウルフの跳躍に合わせて魔法の集中砲火という手法で二頭を倒すと、グランツ伍長とムンバ少佐の連携で一頭、鎧騎士コンビとマッコル軍曹で一頭、ジュノ軍曹とプレスキー一等兵とでもう一頭をそれぞれ倒す。
最後の残ったリーダー一頭が憤怒の咆哮から捨て身の猛攻を仕掛けてきた時はさすがにヤンが手を出してリーダーの横っ腹に強烈な一撃を加え、その体力のほとんどと動きの俊敏性をごっそり奪ってしまう。
フラつきながらも闘志は衰えないリーダーだったが、【氷結】と【電撃】で動きを止められたところへムンバ少佐の【刺突】レベル4で絶命。
こうして第三小隊は中層の強敵フォレストウルフの群れを見事に討伐してみせたのだった。
* * * * *
フォレストウルフの群れの後、より少数のフォレストウルフやマッドベア、レッドベアとの戦闘はあったものの、第十八階層までと比較すると戦闘回数は少な目のまま進むことが出来ていた。
休憩時にムンバ少佐がワルベルク上等兵に確認したところ、魔物の気配自体はあるが進路上ではなく離れたエリアだったり洞窟の壁の向こう側だったりで、たまたま遭遇することなく通過できているとのことだった。
隣にいたヤンが何も付け加えなかったのでおそらくは事実その通りだったのだと思われる。
「もうこの次が最後のホールだよ」
ヤンが案内人として告げる。
午後三時をちょっと回ったところだった。
「最後というのは階層主エリアという意味なのか」
ムンバ少佐が後から確認する。
「そうだよ。まぁ第一小隊の人たちが代理主を倒してくれていれば素通りできると思うけど」
「どうもそうはいかないみたいです」
ヤンが説明する横からワルベルク上等兵が割り込む。
「なにッ! 魔物がいるのか?」
ムンバ少佐がワルベルク上等兵の肩を思わず掴むと、ワルベルク上等兵は立ち止まって話し出す。
「この先に大きな反応が四つほどあります」
「代理主だね。あーあ、楽できると思ったのになぁ」
ワルベルク上等兵よりも先に知っていたであろうヤンがシレっと言うのをスルーしてでもムンバ少佐は聞きたいことがあった。
「しかし、第一小隊が昨日倒したのではないのか」
「高潮程度ならまだ復活しないんだけど、今回は波だからね。一日で復活してもおかしくはないかなぁ」
「だが、十八階層では何もなかったぞ」
確かに今日、野営地から第十九階層に上がる直前の第十八階層ボスエリアは戦闘なしで素通りしていた。
「そうなんだよね。それがちょっと気になるかなぁ」
どうやらヤンにも判断に迷うような事があるのだとムンバ少佐は安心するような不安になるような微妙な気分になった。
ここで四の五の言っても仕方がない。
敵がいるなら排除すればいいだけの話だ。
「いずれにしろ我々は前に進まねばならない。行こう」
ムンバ少佐の決断。
「ぜんたーい、進めッ」
マッコル軍曹が号令をかけると、第三小隊は再び疾風の如く進み始める。
* * * * *
「なッ……どういう事だこれはッ!」
ボッツ少将が目の前の光景に思わず大きな声を張り上げる。
「第三小隊です閣下。ムンバ少佐がいますッ」
ナンダス准将も同じく目を見開いて驚きの表情を浮かべつつ、冷静に観察して言葉を発した。
「何故第三小隊が我々より先にいるのだ!? ホックリー殿ッ!」
参謀長が理解できないという風に案内人のアノスに説明を求めると、アノスは頭を振りながらお手上げポーズ。
だが内心では「ヤンのやつ、やってくれたな」と半ば呆れつつ感心しきりのアノス・ホックリーであった。
第一小隊が入口周辺に固まって第三小隊の戦闘を見守っていると、前方から声がした。
「ほら早く! 手伝って! みんなで戦うんだよ!」
戦闘領域から少し離れた所にいたヤンがこちらに向かって口に手を当てて叫んでいた。
「師匠がああ言ってるんで、早く行ってくれ。あんたらのお仲間がピンチらしいぜ」
ダミアンがナンダス准将と参謀長に向かって促す。
ヤンの言葉は即ち、ダミアンは手を出すなという意味でもあった。
「閣下! ご命令を」
ナンダス准将がボッツ少将にお伺いを立てると、ボッツ少将は既に自ら走り出しながら叫ぶ。
「突撃だッ! ぐずぐずするなッ!」
「司令官閣下に遅れるなッ! 全軍突撃ィッ!」
ボッツ少将に被せるようにエルモンド大佐が自ら号令を発すると、第一小隊全隊員が一斉に突撃を開始した。
オオオオオオオッ!
ワァァァァァァッ!
その怒号のような声に第三小隊の隊員たちの一部がチラリを視線を動かしたのか、レッドベアの一撃をモロに食らって吹き飛ばされたのが数名。
他の隊員が救助に回ってジュノ軍曹が回復する間、部隊は一旦防御中心にシフトする。
第一小隊の突撃にレッドベア三頭とアーマーグリズリー一頭ももちろん気付いて、どちらに対応するか迷いが生じたのが第三小隊にとっては僥倖となった。
第一小隊三十人が加わったことで代理主戦は一気に大混戦の様相を呈してきた。
「ねぇ、なんでこんなに遅かったの? 昨日のうちにエンダに着いてるものだとばっかり思ってたよ」
いつの間にかヤンが隣にやって来ていてダミアンは驚いた。
「びっくりさせんなよ師匠。向こうは放っといていいのか?」
ヤンの質問には答えずはぐらかしを図るダミアン。
「うん、まぁ任せるよ。アーマーグリズリーが厄介だけど第一小隊も来てくれたし」
「ああ、あれはなぁ……俺でもちょっと苦戦するわ。本当に大丈夫なのか」
「あれが倒せないようじゃ上層どころか中層に入るのすら絶対無理だよ」
「いや、今の上層は俺も無理だな。師匠は大丈夫だって言いきれるのか?」
「わかんない。だって上層の更に上の階層の魔物なんてまだ誰も見たことないでしょ」
これまでも波は何度もあったが、波の最中に上層に入ろうなどという物好きは誰一人としていなかったのだ。
「そりゃそうだ。にしてもこの波ってのは恐ろしいなぁマジで。いつまで続くんだ?」
「それがわかれば苦労はしない」
アノスが会話に参加してきた。
「アノスさんでもわからないの?」
「誰にも予測不能だろうな。それほど今回の波は規格外だ」
アノスの言う通り、今回の波の規模はこれまで観測されたものを大きく上回るというのがギルドの見立てだった。
しかも尚、現在進行形でその規模は拡大しつつあると言われている。
「それはそうと、なんでこんなに遅くなったの?」
ダミアンが答えないのでアノスに尋ねるヤン。
「それはだな……おい、ダミアン。君から説明しなくていいのか?」
「あ、いや……ちょっと調子が出なくて……師匠、申し訳ないッ!」
いきなり土下座をするダミアンにヤンもアノスも啞然とする他なし。
ダミアンは頭を地面に擦り付けたまま微動だにしなくなってしまったので、仕方なくヤンはアノスに視線を向ける。
「なんだ結局オレが説明するのか。あのなヤン。彼のその、例のなんとかっていうスキル?」
「ハイパーダミアン!」
元気よく答えるヤンに思わず失笑するアノス。
「くっ……」
何故かそこで悲痛な声を出すダミアン。
「あれっていうのは制限時間があるんだってな」
「ああッ!! さてはダミアンッ!!」
ヤンが全てを理解したかのように仁王立ちで土下座ダミアンを鋭く見下ろす。
ダミアンはビクリと反応するがまだ額は地面にくっついたまま。
「また調子に乗ってやり過ぎたんでしょ! だから何度も何度も言ってきかせたのにほんっとうにどうしようもないなぁ」
「申し訳ないッ、魔が差したんだ。本当に心から反省してるッ。申し訳ない師匠ッ!」
ゴンッ、ゴンッと額を地面に打ち付けて謝罪するダミアン。
そこはかとなく漂うデジャビュ感。
【身体強化】には制限時間があり、それを越えると強制的に解除される上にペナルティとして一定時間の行動不能とスキル再使用までのチャージタイム延長の二つが課せられる。
おそらくダミアンは昨日ないし一昨日辺りにこれをやらかし、盛大に隊に迷惑をかけた上に現在まだチャージタイム中でハイパー化できない状態なのだろう。
「それでその後は魔物とガチで戦ってたってこと?」
ダミアンは無視してアノスに尋ねるヤン。
「まぁそうなんだが、さすがにきつくてな。休み休み進まざるをえなかった。終いには俺まで駆り出される始末だ」
「アノスさんも戦ったの? ちょっとダミアン! わざわざ行かせた意味ないじゃん!」
「申し訳ないッ!」
ゴンッ!
第一小隊と第三小隊が総力をあげて必死に戦っているすぐ横でこの茶番劇。
なんともシュール極まりない。
願わくば、帝国軍の誰一人としてこちらに気を配る者がおりませんように――。