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039.帝国ドリル(二)

 ムンバ少佐は言葉では言い表せない感情に呑み込まれ、ただただ茫然と立ち尽くしていた。


 今、目にしている光景は果たして現実のものなのだろうか。


 下層フィールド特有の鍾乳洞を模したようなゴツゴツした岩場。

 すぐ近くでは急流の小川が飛沫を上げている。

 川面の光が薄明りとなって周囲をほんのり照らす中、ゆらめく影絵。

 水音に紛れて聞こえてくるのは岩肌が擦れる音と打撃音と気合の声。


 それはまるで何かの出し物(ショー)を見ているようだった――。




* * * * *




 小一時間ほど前の事。


 遅い夕食を終えた後、消灯までの短い自由時間の間に今日の労いを兼ねて隊員たちに一言づつ声をかけていたのだが、ジュノ軍曹の姿が見当たらなかった。


 副隊長のマッコル軍曹にも心当たりがないようで、まさかキャンプを離れて迷宮の方に入った可能性もあるかと案内人(ガイド)のヤンに一緒に探しに行ってもらえないか声を掛けようと思ったところ、そのヤンの姿も見当たらない。


 案内人(ガイド)仲間の所かと思い、他の隊の方を見ると第一・第二小隊は既に消灯して見張り番以外は休んでいるようだった。

 到着がかなり遅れた第三小隊だけタイムテーブルがズレている状態だったらしい。


 それなら明日の出発を少し遅らせれば良いだけだとムンバ少佐は開き直っていた、


 今日、実に二年半ぶりにレベルアップしたのでどことなく気分が高揚していたせいもあるかもしれない。

 食事の前にヤンから明日以降第三小隊は第二十階層のエンダ到着まで原則単独行動になると聞いたのも影響していた。


 帝都を出てからというもの、初めて組む士官らとの関係構築をしつつ、各部隊からの寄せ集め編成の隊を率いて行軍するのは決して容易なことではなかった。

 兵たちの間のみならず士官同士でも大小の揉め事は日常茶飯事だったし、遠征の目的であるバルベル迷宮の最上階層突破という任務に対しての具体的な展望なり戦略なりが提示されないまま惰性で行軍を続けているような状況が、遠征隊全員に漠然とした不安となって蔓延しているのがそれに輪をかけているような毎日だった。


 それがここにきて明日からほんの数日ではあるが、これまでの全てのしがらみや呪縛から解き放たれるのだ。

 ただ目の前の魔物を倒しながらエンダを目指す、というシンプルな目的に集中できる。


 また一隊十人という規模は小隊の中の分隊と同等だったため、入隊したての頃のような気分がして実に新鮮で懐かしかった。


 そんな少し浮ついた気分になっていたのも手伝ってか、ほとんど無意識のうちにムンバ少佐は一人でキャンプを離れるという行動にでてしまった。

 もちろんジュノ軍曹を探すため、という名目はあったものの案内人(ガイド)も同行させず、隊員の誰に告げるでもなく勝手に隊を離れてしまうことは本来であればもちろん軍紀違反であった。


 頭の片隅にはマズイぞという声が聞こえていたような気もしたが、キャンプが後ろに遠ざかる頃にはもう足が止まらなくなっていた。




* * * * *




 (なんと見事なのだろう……)


 それを目にした時、ムンバ少佐が最初に抱いた感想だった。


 キャンプ手前にあった脇道をほんの二、三分進んだところで探し人を二人まとめて発見していた。


 本来であれば無断行動を叱責するなり、その意図を問いただすなり、あるいはただ心配したぞと声をかけるだけでもいいのだが、とにかく隊長として何か行動を起こすべきところではあったが、二人が他者の介入を寄せ付けない断固たる空気を纏っていたように感じられたため、ムンバ少佐はただ見守るという選択をしたのだった。


 見る限りそれは戦いというよりも素手による立ち合い稽古のようだった。


 ヤンが信じられないような速さで攻撃を繰り出し、ジュノ軍曹がそれをかわす。

 かわすといっても、ただ回避するのではなく、手足を巧みに使って相手の攻撃を受け流したり、時には完全に受け止めたりしていた。


 ジュノ軍曹が格闘術も身に付けているというのは自己紹介で彼女自身が語る以前から彼女の兵籍簿(へいせきぼ)を見て知っていたつもりだったが、まさかここまで動けるとは思ってもみなかった。


 自身も入隊前に格闘術の心得があったにも関わらず、いつの間にか他の帝国兵同様に武器を持たない格闘術を軽視してしまっていた自分に気付いて忸怩たる思いになるムンバ少佐。



「ほぅ、やるもんだねぇ」


 突然人の声がしたのでびくりとするムンバ少佐。


 いつの間にか左隣にダミアンが立っていた。


「ウェルド殿か。驚かせないでくれ」


 二人は底層移動中に何度か言葉を交わしていたので既に面識があった。


 といっても親交を深めるような交流はなく、たまたま歳が一緒ということがわかって少しお互いに気を許した程度の間柄に過ぎなかった。

 少なくともまだ今のところは。


「覗きの趣味でもあったのか、少佐殿は」


 早速いつもの調子でいじりだしたダミアンだが、ムンバ少佐は苦笑いをしつつもその手には乗らず。


「それにしてもあのちっこいお嬢ちゃんはすごいな。師匠の動きに完全についていってるじゃないか」


 部下を褒められて悪い気はしないムンバ少佐だが、ダミアンの話をまたもスルーして逆に質問で返す。


「そういえばウェルド殿は何故ヤン君を師匠と呼んでいるんだ?」


 キャンプ到着時もそうだが、その前にも何度か耳にしたのでずっと気になっていたのだった。


「そりゃ俺が師匠の一番弟子だからだな」


 ダミアンは事情を知らない相手には常に自分が一番弟子だと名乗っていた。


 その話を耳にする度にオンドロとタッツォールが本気で文句を言ってくるのがまた少し楽しかったため尚更やめられなかったというのは内緒である。


「弟子ってなにを教えてもらっているんだ?」


「そりゃ鍛えてもらってるんだよ。強くなるために」


「強くなるため?」


「帝国の情報部ってのは随分節穴なんだな。ドリルヤンの情報すら報告していないとか、ザルにもほどがあるだろ。ポンコツかよ」


 情報部のみならず帝国そのものへの侮辱に感じたムンバ少佐は内心ムッとしながらも、ダミアンの話に興味があったのでそこはぐっと我慢した。


「その、ドリルヤンというのは?」


「師匠はこの迷宮で定期的に参加者を募ってレベルアップやスキル獲得のためのプログラムを実施しているんだ。それが大好評でもう百人以上が師匠の教えで大成長を遂げてるんだぜ。それで付いた二つ名がドリルヤンってわけだ。ちなみに俺も去年それに参加して師匠の凄さを目の当たりにしてその場で弟子入りしたんだ」


「今ひとつよくわからないな。ダンジョンの中で一体何をするんだ?}


「そりゃもう地獄の特訓と魔物狩りだよ。えげつないぜ、師匠は」


「その特訓というか、プログラムはどのくらいの期間実施するんだい?」


「くくっ、やっぱそこは気になるよなぁ。こんな重要な情報、俺なんかが帝国に教えちまっていいのかなぁ」


「ウェルド殿も人が悪い。差支えない範囲でいいから是非教えてくれないか」


「十日だ」


 一瞬それが何を指すのか理解出来なかったムンバ少佐だが、懸命に頭を働かせてその日数が妥当と思われる単位を推測する。


「……それが1サイクルだとすると都合何サイクルやることになるんだ?」


「いや、だから全部で十日。それで終了」


「バカな。レベルアップだけなら魔物を倒せばまだ可能性があるとしても、スキルの習得などたった十日で出来るわけがないッ」


「くははは、だよなぁ。それが普通の常識ってやつだ。だが、我らが師匠はドリルヤン以外にもうひとつあだ名があるんだ。知りたいか?」


 真剣な眼差しをダミアンに向けて大きく頷くムンバ少佐。


「クレイジーヤン」


「……え?」


「何もかも規格外で常識にかからない、狂ってるはみ出してるイカレてる野郎って意味だ」


 何か少し我々の認識している内容と齟齬があるように思えるが、もしかすると今現在の迷宮内ではそういう解釈が一般的になっているのかもしれない。


 ダミアンの説明が全くピンとこなかったムンバ少佐が固まっていると、ダミアンが言葉を続ける。


「不可能を可能にしちまうってことだ。十日どころか早けりゃ三日で新しいスキルが手に入るぜ」


「そんなバカな……信じられない」


「ああ、やっぱこれ帝国に流しちゃダメな情報だった気がするな。これで師匠が帝国に狙われたりなんかしたら洒落にならん。あ、もちろん師匠の方じゃなくて帝国の連中が、って意味だが」


「どういう意味だ?」


「スキルの超短期習得のノウハウを奪うために師匠を拉致ろうなんて考えるなよ。どエライ目に合うぞ」


「そんな卑劣なマネはしないッ」


「少佐殿はそうでも、帝国の上層部も同じ考えとは鍵らねぇだろ」


「いくらウェルド殿でもこれ以上我が帝国を愚弄するのは看過できんッ」


 怒れるムンバ少佐が腰の剣に手をかけて構えるが、ダミアンは何事もなかったかのように突っ立っている。


「何してるの、二人とも」


 いつの間にかヤンとジュノ軍曹が傍まで来ていた。


 つい熱が入りすぎて大声になってしまっていたのに気付いたダミアンとムンバ少佐。

 続いて、音も無く接近された事実に愕然とする。


「師匠、いつの間に?」


「まだまだだね、ダミアンは」


 しょうがないなぁという体のヤンの隣でジュノ軍曹がニコニコしている。


 ヤンはまだしょうがないにしろ、このお嬢ちゃんにまでまんまと出し抜かれたのかと思うと途端に悔しさがマグマのように湧き上がってくるダミアンだった。


「師匠、頼みがある」


「なに?」


「その子とちょっと稽古させてくれ」


「ええッ!?}


 突然のご指名に目がまん丸のジュノ軍曹。


「ダメだよ。もう時間も遅いし、相手は女の子なんだから」


 自分はその女の子とこんな時間まで乳繰り合っていたくせに(オイ)よく言う。


「ちょっとだけ。本当にちょっとだけでいいから」


 なんか別なシチュエーションでよく聞くセリフに似ているが敢えてここではスルーしておく。


「ムンバ少佐はどうして?」


 ヤンが話の矛先を変えて来た。


「あ、いや、私はジュノ軍曹を探しに来て……」


「すみませんッ! 勝手に抜け出したりして本当に申し訳ありませんでしたッ」


 本当に申し訳なさそうにすごい勢いで何度も頭を下げるジュノ軍曹。


「ならボクも謝らなきゃ。ペクちゃんを連れだしたのはボクだから。ごめんなさい」


 ヤンの謝罪よりペクちゃんという呼び方の方が気になってしまうムンバ少佐とダミアン。


「いえ、違うんですッ。私がヤン君にちょっと付き合ってほしいってお願いしたんです。ヤン君は悪くありませんッ」


 おっとこれまた衝撃の告白が……。


「なんだよ、師匠も隅におけねぇなぁ……」


 ダミアンがうっかり口にした瞬間、ヤンが物凄い目で睨む。

 怒りというより羞恥の色が濃いようにダミアンには思えてますますこれは……と想像が捗るのだった。


「とりあえずわかったから。どっちが誘ったかはこの際不問にする」


 ムンバ少佐もここに来て空気を読んだのか、何やら表情がぎこちなくなっていた。

 ついニヤけそうになるのを必死に堪えて強面にしているせいかもしれない。


「じゃあ、稽古を」


「ダメ!」


 しれっと始めようとしたダミアンを全力で阻止するヤン。

 ジュノ軍曹の前に立ちはだかって両手を広げて見せる。


 いやはや、これはひょっとするとひょっとしますな。


「ヤン君、ひとつ聞きたい」


 ムンバ少佐が突然改まってヤンに声をかける。


「なに?」


「うちのジュノ軍曹はどうだった?」


「……どうって?」


「さっきまで立ち合い稽古をしていたように見えたんだが、実力の方はどう見る?」


「ああ、そういうことか。うん。思ってた以上に凄かったからびっくりしたよ。うちの自称弟子連中なんかよりずっと基本が出来てるしこれで魔法まで使えるんだからすぐ追い抜いちゃうんじゃないかなぁ」


 ヤンが自分の事を褒めているのをすぐ後ろで聞いて顔を真っ赤にするジュノ軍曹。


「さぁ、そいつはどうだか……」


 ダミアンはまだ稽古をしたそうなそぶりでヤンの評価に異議申し立てを試みるも、またすぐヤンに睨まれてお口チェック。


「そんなに心配しなくてもまだダミアンの方が強いから。来年はわからないけど」


 何故に上げて落すのか。

 ヤンは弟子に対して普段から容赦なくなっているのか。


「はぁ? なんだよ師匠その言い草は! 俺だって来年にゃ今の俺より強くなってるに決まってるだろ!」


「ハイパー禁止でも?」


「ぐっ……」


 最近のダミアンはハイパーダミアンのレベル上げにご執心で、後先考えずとにかくハイパー化しては魔物を独り占めするという横暴を繰り返しているのを度々ヤンに窘められていたのだった。


「ヤン君、キャンプへ戻る前に少し話がしたい」


「いいよ」


 ムンバ少佐の改まったお願いにヤンは即答する。


「じゃあ俺はそっちのお嬢ちゃんと先に戻ってるとしよう。いいよな、師匠」


 ダミアンがヤンに許可を求めるが、ヤンはまだダミアンが途中で稽古を始めたりするのではないかと思っているような疑念を孕んだジト目でダミアンを横目に見つつ渋々といった様子で頷くと、ジュノ軍曹の方に向き直る。


「ペクちゃん、それじゃまた明日」


「はい。今日はありがとうヤン君。隊長、お先に失礼します」


 ジュノ軍曹はヤンに礼を言った後、ムンバ少佐にも一礼してダミアンと一緒にキャンプの方へ去っていった。

 既に打ち解けたようにおしゃべりしながら歩く二人の後ろ姿を複雑な表情で見送るヤン。


「ダミアン殿からドリルヤンの話を聞いたんだ」


 突然話し出すムンバ少佐に、ヤンは不意をつかれたような顔で向き直る。


「今日の様子や今さっきのジュノ軍曹との稽古を見てしまうと、信じないわけにはいかないみたいだな」


「なにを?」


「君は何らかの育成系スキルを持っているんじゃないかな」


「え!?」


 ヤンが心底驚いたような表情で目を丸くするのをムンバ少佐は見逃さなかった。

 全くの当てずっぽうではあったが、手応えありの感触を得てひとまず話題を変える。


「実は私も軍に入る前まで格闘術を学んでいたんだ」


「やっぱり? だと思った」


「……どうしてそう思ったんだい?」


「だって身のこなしがそれっぽかったから。溜め技をキャンセルする時の動きとか特に」


「驚いたな……そんなことまでわかるのか」


「ペクちゃんでもわかるよそんなこと。ムンバ少佐はもうちょっとその先生の下で教わった方が良かったね」


「……そうだな。出来れば私もそうしたかったんだが、お師匠様はご病気で亡くなられたんだ」


「あ、ごめん。ボクそんなつもりじゃ……」


 さすがのヤンも失言を後悔しているのか、しゅんとして俯く。


「いや、いいんだ。私の方こそ余計な話をしてしまってすまない。それで本題なんだが、ヤン君。明日からうちの隊員たちを訓練してやってくれないか」


「いいよ!」


 瞬時に顔を上げながら即答したヤンはもういつものニコニコした表情に戻っていた。


 待ってましたと言わんばかりのその反応にやや気圧されたムンバ少佐だったが、思いのほかすぐに承諾してもらえて安堵したのだった。


「ありがとうヤン君。助かるよ。それで訓練の内容についてなんだが……」


「あ、それはもうボクに任せて。大丈夫、悪いようにはしないから」


 ムンバ少佐が切り出した話を途中から被せるようにして終わらせてしまうヤン。


「いやしかし、六日後にはエンダに到着するというのを最優先事項にした上で……」


「大丈夫。ペクちゃん個人にだけやるのは後ろめたかったからね。第三小隊のみんなに平等にやれるってなってボクもやりやすくなったよ」


「ジュノ軍曹に? そういう話になっていたのか?」


「うん。頼まれたんだよね。さっきの稽古の前に。もっと強くなりたいからって」


「そういうわけだったのか」


 ムンバ少佐はだいたいの経緯がわかったような気がした。

 確かジュノ軍曹の兵籍簿(へいせきぼ)には「向上心:極めて高い」の評価があったはず。


「ムンバ少佐もだからね」


「私も?」


「そうだよ。レベルアップしたからって呑気にしてたらダメだからね」


「私は別に呑気になど……いや、多少浮かれていたか。そうだな。ならば兵たちと一緒にやらせてもらおう」


 急に新たな活力が湧いてきたムンバ少佐は自分が十歳ほど若返ったような気がしていた。


「じゃあ、明日朝五時ね。もう戻って寝た方がいいんじゃないかな」


「五時? わかった。」


 明朝動き出しが少し遅くなってもよいなどと考えていたところへ普段より一時間早く起きろと言われ、少し前までの自分を叱咤するような気持ちで返事をするムンバ少佐。


 ヤンとキャンプへ戻る道すがら、階級や出世とは別に自分がまだまだ上を目指せるという自信とどこまで行けるのかという期待がムンバ少佐の心を沸き立たせるのだった。


 そしてこの夜、ヤンの帝国ドリルは正式に発注されたのだった。




* * * * *




 そして翌朝。


「第三小隊、集合!」


 マッコル軍曹の声が響く。

 他の小隊を起こさないよう多少抑えられているものの、それでも声がよく響いた。


 昨夜遅くに全隊員に告知されていたので寝坊した者はいなかった。


 隊員の点呼の間に、ムンバ少佐はやや離れた所でヤンに小声で確認する。


「それで訓練のことだが……」


「もう、心配性だなぁムンバ少佐は。大丈夫。全部任せて」


「その全部というのはどこからどこまでになるのか、せめてそれだけでも……」


「いいからいいから。さ、点呼終わってるよ」


 ヤンに促されて隊の方へ戻るムンバ少佐。

 結局これからどういう訓練をするのか全く何も知らされないまま始まることになってしまった。

 だが、不思議と不安よりも期待感の方が強かった。



「昨夜伝えたように今日から早朝訓練を行う。また、今後の行軍も全て訓練の一環と考えて欲しい。そして、訓練の内容とその実施及び各員への指導についてはこちらのヤン君に一任する」


 ムンバ少佐が告げると一斉にどよめきが起こる。

 

 ただ一人ジュノ軍曹を除けば、全員が何等かの不平不満疑問を抱いているような顔の中、ムンバ少佐が続ける。


「私も訓練に参加する。指揮官としてではなく訓練される側のリーダーとしてだ」


 再びどよめき。


 何故という疑問と隊長が一緒にやるならという納得とが半々といったところか。


「突然のことで色々思うところもあるだろうが、本件については私が全責任を持つ。もしこの訓練について何か疑問や不満があるなら私に申し出てほしい。できるだけ善処する。ただ訓練の内容や具体的なアドバイス等についてはヤン君の方に直接聞いてもらった方がいいだろう。それでいいかな、ヤン君」


「うん、いいよ」


 笑顔で頷くヤンと朗らかといっていい表情のムンバ少佐の間で視線が行ったり来たりする隊員たち。


「では早速始めよう。よろしく頼むよ、ヤン君」


「わかった。じゃあまずみんなこれを背負ってね」


 ヤンがいつの間にか取り出していたザックの束をひとつずつ配っていく。


 まずは石二個からスタートという事でだいぶ薄っぺらいが、その見た目に反して相当な重さがあるので受け取った隊員は一様に驚きの表情を見せた。


 尚、ドリルを何度も開催するうちにザックは以前のものより改良されていた。

 ギルド予算で特注品として新規に作られたザックは本体がコンパクトになり、ショルダーストラップとザック本体がより体にフィットする形状になった事で装着感と動きやすさが格段に向上していたのだった。


「みんなの荷物はボクの方で預かるから戦闘用の装備だけ身に付けて後はそれを必ず背負っているように。今は初めてだから軽くしてあるけど様子を見ながらだんだん重くしていくからそのつもりで」


 ヤンが軽くしてあると言った瞬間にざわつくが、その後の言葉で一気に静まり返る。


「ヤン君。君も同じものを背負っているようだけど、一体それはどれくらいの重さなんだい?」


 興味深そうにムンバ少佐が尋ねるとヤンはなんでもないという顔で


「みんなの十倍くらいかな」


 と答え、この日最大のどよめきが起こる。


「あ、でもムンバ少佐とジュノ軍曹は他のみんなの倍重くしてあるからそれと比べたら五倍だね」


 どよめきMAX値更新。


 ムンバ少佐はさておきジュノ軍曹が何故重くしてあるのかという点での疑念や非難の声が多かった模様。


「それじゃ始めるよ。まずは走力強化のダッシュから。ちょうどこのキャンプまでの道が真っ直ぐ五十mくらいあるから一人ずつ全力で走って向こうに着いたら川とは反対側の端を駆け足で戻ってきて」


「よし、では私から行こう」


 隊員たちに有無を言わせぬため自ら一番手を買って出るムンバ少佐。


 誰かが口を開く間もなく猛ダッシュで走り去る。


「では次は自分がッ」


 マッコル軍曹が続いて走り出す。

 特に指示もなかったのに絶妙なタイミングだった。


 マッコル軍曹がスタートすると他の隊員たちも迷うより遅れを取るなという気持ちの方が強くなり、どんどん列を作り出してマッコル軍曹と同じような間隔で次々と走り出す。


 ムンバ少佐が戻ってきてまたその最後尾に並ぶ。

 さすがに一本目では息も乱れていない。


 続いて戻って来たマッコル軍曹は、少し呼吸が荒くなっていたもののすぐにそれも治まったようだった。


 十人しかいないのですぐにまた順番が回って来る。


 こうして二本目、三本目と続くうちに明らかに体力・スタミナの差が目に見えてきた。

 しかしまだ誰も弱音を吐く者はいない。


 五本目の最後の一人がスタートしたところで、満足そうに眺めていたヤンが突然声を発した。


「じゃあ今からスタート間隔をもっと短くして!」


 さすがにこれには悲鳴に似た声が上がったが、ムンバ少佐が六本目をすぐにスタートさせるとマッコル軍曹もこれぐらいでいいのかと言わんばかりに続く。


 その間隔約三秒ほどか。


 一瞬後続がパニックを起こしかけたがなんとか三秒間隔でスタートしていく。


 十人目がスタートしてもまだムンバ少佐が戻ってこないぐらい立て続けに走って行ったことになる。


「すぐスタートしていいのかな?」


 戻って来たムンバ少佐がヤンに確認する。


「スタート!」


 答える代わりに合図で尻を叩くヤン。


 ニヤリと不敵に微笑みながらスタートを切るムンバ少佐。


 それを見てまだ戻る途中だったマッコル軍曹が慌てて走って戻って来てすぐにスタートを切る。

 当然その後続も同じようにするので、戻りの駆け足も自然とほぼ倍速になるのだった。



「ダッシュ! ダッシュだよ! 遅い遅いッ!」


 ヤンの発破が続く。


 八本目になると体力に自信のある隊員でもダッシュの速度が落ちてきていた。

 そうでない者については言うまでもない。

 そのうち戻りで追い抜かれる隊員も出て来た。

 ワルベルク上等兵に至っては六本目を走り終わったゴール地点で座り込んだままそれきり戻って来ていない。


「ラスト一本!」


 ヤンが十本目のコールをすると、これで最後だとばかりに息を吹き返す隊員たち。

 尚、ワルベルク上等兵は以下略。


「ハイお疲れ様。五分間休憩」


 最後の一人が戻ってきたところで休憩を告げるヤン。

 ワルベルク上等兵もなんとか自力で戻ってきていた。


 半分以上は大の字に倒れ込み、他も座り込んで休む中、ムンバ少佐とジュノ軍曹、そして鎧騎士団(アーマーナイツ)の二人は立ったまま呼吸を整えていた。


 その間、ヤンは黙々と次のトレーニングの準備をしていた。

 いつもの雷サンドバック打ちだった。


 五分後、第三小隊十名はビリビリに苦しめられながらの打撃練習に奮闘することになる。




* * * * *




「何やら朝から面白い事をやっていたようだが」


 出発前の隊長クラスの会合でノックホルト中佐がムンバ少佐に尋ねていた。


「はい。せっかく若手を集めた隊ですので、お互いの競争心を刺激しながら少し鍛えてやろうと思いまして」


 ムンバ少佐が内心ドキドキしながら答える。


「いい心掛けだ、少佐」


 ボッツ少将直々にお褒めに預かり恐縮する。


「うむ。エンダで再合流した時に見違えていることを期待しているぞ少佐」


 参謀長も上機嫌の様子だった。


「ノックホルト中佐、ムンバ少佐。この後は各隊がそれぞれルートを進んで別々のキャンプで野営をする形になる。戦力的に劣る貴殿らの小隊はまず無事にエンダに到着することを最優先に行動してもらいたい」


 ナンダス准将が改めて伝えると二人の将校は直立して意を示す。


 ナンダス准将がそれを見てボッツ少将に向き直る。


「では諸君らの健闘を祈る!」


 ボッツ少将の発声と共に会合は終了。

 僅か五分程度のものではあったが、お互い無事に再会しようという約束の意味合いが強いものだったのでその内容よりも実際にお互いが顔を突き合わせることが必要なのだった。


 会合が終わるとすぐ、第一小隊が出発。


 第二小隊が間隔を空けるために待機しているうちに、第三小隊は少し戻った脇道から別ルートを進むことになった。


 もちろん、全員ザックは背負ったまま。

 そして、十歩毎に隣の隊員と体をぶつけ合う(出来るだけ勢いよく全体重をかけて)というルーティーン付き。



 先頭はヤンとムンバ少佐。

 続いて二列目、マッコル軍曹とジュノ軍曹。

 三列目、グランツ伍長とホランド伍長。

 四列目、ホーネック一等兵とプレスキー一等兵。

 五列目、ウリゲル少尉とエリンコヴィッチ准尉。

 最後尾、ワルベルク上等兵


 最後尾を一人で進むワルベルク上等兵には歩数の号令役が任された。


 イチ、ニ、サン、シ、ゴ、ロク、シチ、ハチ、キュウ、ハイッ!


 ザッザッザッザッザッザッザッザッザッズザッドンッ!

 ザッザッザッザッザッザッザッザッザッズザッドンッ!

 ザッザッザッザッザッザッザッザッザッズザッドンッ!

 ザッザッザッザッザッザッザッザッザッズザッドンッ!

 ザッザッザッザッザッザッザッザッザッズザッドンッ!


 尚、五列目鎧騎士団(アーマーナイツ)の二人だけはガシャッ!とぶつかる音が違っていたことを追記しておく。

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