035.帝国の挑戦(三)
キャンプ1-3で最初の休憩に入って間もなく、モーガンは自らの失策に気付いた。
「准将閣下、ちょっとよろしいですか。少々問題が……」
部隊の様子を観察していたナンダス准将に近づいて声をかける。
帝国の偉い軍人さんに自分なんぞが直接話しかけるなど畏れ多い以外のなにものでもなかったが、今回は案内人リーダーという立場もあって出発以降何度となく言葉を交わす機会があった。
「どうかしましたか、モーガン殿」
ナンダス准将はずっとこうした丁寧な物腰でモーガンたち案内人に接していた。
これは参謀長も同様。
司令官のボッツ少将とはまだ直接やり取りはないが、大佐や中佐クラスの幹部たちの対応は至って冷淡というか事務的というか社交辞令すら感じられないものだったのを思えば、二人が特別な存在でありそれ以外が一般的なのだろう。
「どうも場所が狭すぎたようです。このままだと人が溢れちまいますね」
キャンプ1-3は第一階層では一番広いベースキャンプではあるが、さすがに百人近い人数が同時に休憩を取るようなスペースの余裕は無さそうだった。
立ったままであれば百人程度は充分に収まる広さなのだが、腰掛けたり荷物を置いたりある程度間隔を取ってしまうとあっという間に手狭になってしまうのだった。これは実際に百人連れて下見をする訳にはいかないので、ギルド側の多少の目算の狂いは正直やむを得ないところではあった。
もちろんモーガンたちも一応の対策は考えていた。
計画では三つのグループをそれぞれ順番に休ませる予定になっていたのだが、実際には各小隊(帝国軍は一グループを小隊として編成した)の間に時間的ラグがあるわけではなくすぐに後続小隊が続く形で行軍しているため、小隊単位で入れ替えるのは難しい状況になってしまっていた。
これは関所通過時の待ち行列から想定外が始まっており、最初から各隊の間隔を取るという事ができずにただただ縦に長い大所帯になってしまっていたのが原因だった。
その時にはこれも致し方ないと見逃していたのだが、どうやらここにきてそのツケが回って来たらしい。
今も続々と到着してくる後続兵が空いているスペースを埋めていくのを眺めながら、モーガンはスキンヘッドをしきりに撫で回してただただ困っていた。
「なるほど確かに。では少々早いですが、第三小隊が到着する前に我々第一小隊は出発した方が良さそうですな」
モーガンもそれは考えていたが、第一小隊の最初の方に到着した兵と最後の方に到着した兵とでは休んだ時間に差が出来てしまうので提案するのを躊躇していたのだった。
といってもたった数分の差ではあるのだが。
「そうしてもらえると助かります」
モーガンは恐縮して軽く頭を下げる。
「いえ、こちらこそ無理を言って大所帯を許可してもらっているのです。何かあれば都度都度対応していきましょう」
「よろしくお願いします」
再び頭を下げるモーガン。
「おい、こりゃマズイんじゃねぇのか」
審判二番隊のダミアンがモーガンの傍までやって来た。
マズイというのは今しがた話していたスペースの問題だと思われる。
彼はモーガンの護衛という名目でこの第一小隊に同行しているが、実際には帝国幹部の監視役だった。
「いや、今准将閣下とも話して第一小隊を先に出発させることになった」
「そうか。ならいいんだが、最初っからこれじゃ先が思いやられるな」
「すまん。ってなんでオレがお前に謝ってんだよ!」
モーガンがダミアンの肩を小突こうとするが、あっさり躱される。
「護衛に手を上げるなんてひどいジイサンだな。ボケたか」
笑って茶化すダミアン。
「ジイサンはやめろお前ッ!」
モーガンは今年四十四歳……まぁ孫がいても不思議ではない。
スキンヘッドを赤くして怒るモーガンだが、このやり取りを見た近くの帝国兵が笑っているのを見て冷静になる。
その横ではナンダス准将が参謀長に話を通して隊へ出発の指示を送っていた。
そうして第一小隊が出発の準備を終えて整列している時にそれは起こった。
「うわああああああああ」
「道を開けてくれえええ」
「逃げろ! 前へ逃げるんだああああ」
第二小隊の後方と思しき兵たちが雪崩を打ってキャンプへ走り込んで来た。
どの顔も必死の形相で、中には途中で放り出して来たのか荷物を背負っていない者もいた。
「何事だっ!?」
ナンダス准将らより先にボッツ少将が声を上げていた。
騒つく第一小隊の列を迂回してナンダス准将と参謀長も急ぎボッツ少将の横に馳せ参じていた。
「モーガンさん!」
第二小隊の案内を担当しているD級案内人パテック二十五歳が通路からキャンプに出てくると、猛ダッシュでモーガンの下へ駆け付けゼェハァ乱れる息を整える間もなく話し出す。
「大変です。キ、キバウリが、出ました。横道から、いきなり飛……飛び出して来た、みたいです」
「なにっ! キバウリだと? そいつはちとマズイな……」
モーガンがスキンヘッドをぐるぐる撫でまわす。
キバウリというのは正式名称ジャイアントボアという巨大なイノシシの魔物だ。
体長4~5m体高3m程度の体躯、その表皮は非常に頑丈で更にスタミナお化け。
基本は一直線に突進してくるだけだが、その迫力たるや半端ない。
顎から突き出ている巨大な二本の牙も脅威だった。
通常は下層・中層に出現するのだが、稀に底層でも目撃される事があった。
底層の迷宮フィールドで出くわすと逃げ場が限定されることもあって数段厄介な相手になるのだった。
「どうした? 魔物か?」
ダミアンが興奮を抑えきれないニヤケ顔でやって来た。
「キバウリが出たらしい」
一方、沈鬱な表情で答えるモーガン。
「くははは、そりゃいい。ここじゃさぞかしやりたい放題だろうな」
そこへ今度はナンダス准将が走って来た。
「モーガン殿、魔物が出たらしいのでこちらで対処してもよろしいですかな」
意外と落ち着いているのにモーガンは感心すべきか、もっと危機感を持つよう諭すべきか迷う。
「いいんじゃないの? 帝国のお手並み拝見と行こうじゃないの」
横からダミアンが焚き付ける。
まぁここでそれ以外の選択肢はなさそうなのでモーガンも腹を決める。
「ではお願いします准将閣下。どうかくれぐれもお気を付けて」
ナンダス准将自身が戦うわけではないとは思うが、出来るだけ兵が負傷しないに越した事はない。
なにしろまだ塔に入ってから三時間少々しか経っていない序盤も序盤なのだ。
こんな所で負傷者が出るようでは先が思いやられる。
例え予期せぬ魔物が現れたにしても、だ。
「なにジャイアントボアの一頭や二頭、うちの兵たちの訓練相手に丁度いい。では失礼」
言い終わるなり颯爽と部隊へ戻っていくナンダス准将。
ナンダス准将も、もちろんその他の帝国兵たちもどうやら知らないらしい。
例え外の世界と同じ種類の魔物でも、迷宮内に出現した魔物はそのステータスが基本的には二~三割増しである事を。
そして更に今は波の初期であり、各個体のレベルが通常よりも上がっている可能性が高い事を。
「あ……」
さっきまでご機嫌だったダミアンが急に顔を曇らせた。
「なんだ? どうかしたのか?」
モーガンの不安が更に増幅される。
「キバウリなんだが、全部で三頭いるぞ。帝国の連中だけじゃ持て余すかもな」
苦手な【気配察知】を使って索敵したらしいダミアンの言葉にモーガンの顔が青くなる。
スキンヘッドまで青くなったようには見えないのでそのグラデーションがどこでどうなってるか謎だった(どうでもいい)。
「おいおいおい、冗談はやめてくれよここは第一階層だぞ?」
第一階層に下層の魔物が三頭同時に出現するなど、モーガンの案内人人生でも未だかつて聞いた事もなかった。
「冗談なら良かったんだがな。事実だ」
ダミアンはもう普段と変わらぬ表情に戻っていたが、モーガンには帝国軍が苦戦するのを期待している顔にしか見えなかった。
* * * * *
「前衛ッ! 固めろッ!」
エルモンド大佐の号令が響く。
キャンプに繋がる通路のオグリム方面を塞ぐ形で兵を隙間なく横に配置する。
第一小隊三十人の中に盾兵は僅か六人だが、通路を塞ぐには充分な人数だった。
「第二小隊は全員無事かッ?」
その後方でナンダス准将が確認している相手は第二小隊隊長のズール・ノックホルト中佐三十五歳。
ノックホルト中佐は第四師団第二大隊の大隊長でフィロム戦役の英雄と呼ばれる武闘派の佐官であった。
尚、もう一人の大隊長ビル・ガイム中佐はオグリム残留組の指揮を執るため今回の入塔は断念していた。
「ハッ! 第二小隊全員確認出来ております。但し軽傷者三名が現在治療中であります」
「うむ。問題なかろう。動ける者で後詰めを展開」
「サー、イエッサー!」
帝国式敬礼をしてノックホルト中佐が隊へ戻っていく。
まだ姿を見せていない第三小隊の様子についてはキバウリを仕留めた後に確認する手筈になっていた。
実はキバウリに遭遇したすぐ後、隊列後方を進んでいたパテックの下に第三小隊の斥候が来て第三小隊は後方で対応するので先に第一小隊と合流するよう指示があったらしい。
一応この情報までは帝国軍と共有済だが、先程のダミアンの話はまだ伝えていない。
適当なタイミングでダミアンから伝えると本人が言っていたのでモーガンが任せた形だった。
というより帝国軍が動き出した途端、モーガンは割り込むタイミングを見失ってしまっていたのだった。
軍隊が戦う様子というのを見るのが初めてだったため、気圧されてしまったという部分もある。
「来たぞッ!」
誰かが叫ぶと同時に、ドドドドとキバウリが迫って来る足音と振動がモーガンたちにまで伝わってきた。
バゴォォォォォンッ!!!
鈍く硬い大音響と共に六人の盾兵が吹き飛ばされると、大きな影が飛び出して来た。
キバウリだ。
通常個体よりやや大きいか。
だが、誰もがその姿を目視した直後にキバウリの動きがピタリと止まった。
その巨躯の前に何者かが立ちはだかっていた。
大きなバスターソードをキバウリの二本の牙の間に斜にかけて動きを止めたらしい。
飛び出したタイミングもさることながら、尋常ではない膂力の持ち主であるに違いない。
「今だッ! 目を狙えッ!」
その人物の声に、第一小隊の兵たちがキバウリの両目に剣を突き立てる。
ゴバアァァァァァッ!!
剣を目に突き刺したままのキバウリが身を捩って暴れようとするが、バスターソードで牙ごと固定されているため動けない。
キバウリの目と口から黒い血が滴り落ちる。
「参謀長ッ!」
再び声を発するバスターソードの強者。
この人物の声は緊張感のそれだけではない見事な張りがあって低いがよく通る独特の声質だった。
ゴロゴロゴロ……。
低い音がしたかと思うとキバウリの目に刺した剣がピカッと光り、直後ズガガガガガーンと物凄い落雷音がして視界が真っ白になった。
ホワイトアウトした視界は時間経過と共に徐々に真っ黒に変化していく。
ようやく目が慣れて視界が戻ると、目の前にはなにやら黒コゲの巨大な物体がうまそうな臭いを漂わせて横たわっていたが、数秒後には跡形もなく消えていた。
尚、魔石はドロップしなかった模様。
ハズレだ。
いつの間にかあんぐり開いていた口に気付いて慌てて口を閉じたモーガンは、周囲の様子から戦闘が終了したのを理解した。
帝国兵たちが武器を掲げて喝采を送っている。
先程吹き飛ばされた盾兵たちも既に起き上がって盾を掲げていた。
「ヒュー」
ダミアンが口笛を吹く。
モーガンの視線に気付くといかにも楽しそうな口調で
「帝国もやるもんだねえ」
と笑いかけてきた。
モーガンがもう一度キバウリのいた方に目をやると、大きなバスターソードの主の下へナンダス准将や参謀長はじめ、第一小隊の面々が駆け寄って主を称えているところだった。
「ボッツ! ボッツ! ボッツ!……」
兵士たちが主の名を何度も何度も連呼して歓喜に湧いていた。
「あれが帝国の司令官か……」
モーガンが心底恐れ入った様子で呟いた。
「あの少将閣下だけじゃないぜヤバいのは。さっきのとんでもない雷魔法は例の参謀長が放ったんだ」
ダミアンが真面目な顔で話すのをモーガンは初めて見たような気がした。
明らかに敵性勢力としての脅威であると評価しているようだった。
「しかしあの魔法でよくまぁ誰も感電しなかったもんだ……」
実は帝国軍は全員小手と軍靴に絶縁体素材を仕込んでいるのだった。
これは参謀長の雷魔法による二次被害を防ぐためのもので、第四師団の標準装備とされていた。
さて、モーガンが極めて一般人らしい感想を呟いている間にダミアンはほとんど一瞬のうちにそのボッツ少将の下へ移動していた。
「司令官閣下、まだ二体ほど魔物がいますぜ。宴はそいつらを始末してからにした方がいいと個人的には思いますね」
なかなかに慇懃無礼な言い分だが、即座にナンダス准将が間に入る。
「ダミアン殿、それはまだ魔物がいるという事ですかな?」
「残念ながらその通り。前と後ろから一頭ずつ来やがりますぜ。ほら!」
グバアァァァァァッ!!
まさにその時、第一小隊が向かおうとしていた方角から一頭走り込んで来た。
今度は我々が、という気概で先程後詰に控えていた第二小隊がよく統率された動きでキバウリの両側面に回り込むが、キバウリのスピードの方が速くあっという間に通り過ぎる。
そのままキャンプの奥の壁まで行くと一旦停止し、ぐるりと回れ右をして前足で地面をガッガッと掻いて突進の準備を始めるキバウリ。
「後ろも警戒した方がいいぜ」
ダミアンが誰ともなしに忠告すると、すぐにナンダス准将は第一小隊の所へ急ぐ。
ボッツ少将は動かず、そのままダミアンと並んで様子を見守ることにしたらしい。
さっきのは突然の邂逅に思わず体が反応してしまったという事だったのかもしれない。
キバウリが第二小隊に向けて再度突進を始める。
「スキルでわかったのか」
何の前触れもなく突然話しかけられてダミアンが一瞬意外そうな表情を見せるがすぐにいつものニヤケ顔に戻って答える。
「まぁそんなとこだ。あんまり得意じゃないんだが」
さっきと違って完全なタメ口。
ボッツ少将はそれを気にするでもなく、鷹揚として会話を続ける。
「フン、結果が出せれば充分だ。で、お前ならあの魔物をどうする?」
第一小隊の待ち構える所へもう一頭のキバウリが出現した。
左のキバが折れているのか、短かった。
「どうって、今回は別にオレの出る幕じゃないんでこうして見学するだけだぜ」
うまくはぐらかせたかどうか、微妙だなと自己評価しながらダミアンはキバウリを目で追う。
第一小隊の盾兵がまたも吹き飛ばされるが、今回はキバウリの勢いがそれほどでもなかったので皆しっかり受け身を取ったりすぐに起き上がるなどしてダメージを感じさせない様子。
そして第二小隊の方は盾兵がおらず、剣を持った兵士がメインの部隊のようで小回りを利かせて立ち回っていた。
こちらはまだ被害が出ていない模様。
「兵の数が多くても意味がないというのはこういう事か」
じっと戦況を見つめながらボッツ少将が半分独り言のように呟く。
「ん? ああ、まぁ量より質が大事ってことだ」
ダミアンは帝国とギルドの交渉の事など一切知らされていなかったが、だいたいの状況から凡その事は察せられた。
迷宮で必要とされるのは個の力であり、それを前提とした上での連携だった。
一人一人の力は微力だが大勢集まれば云々というのは全く通用しない世界なのだ。
第二小隊は後方待機の魔法士隊も加わって攻撃しているが、まだ思うようなダメージは与えられていない様子。
「質か……フン、まぁいいだろう」
何がいいだろうなのかダミアンにも全くわからなかったが、聞き流す。
するとここでボッツ少将は片手で支えていたバスターソードを両手に持つと剣先を下にしたまま大きく上に持ち上げ、そのままザクッと地面に突き立てた。
「いい加減終わらせろッ!」
また例のよく通る低い声が響き渡る。
第二小隊側のキバウリは魔法士隊の土魔法であろう泥沼に足を取られ動きが鈍った所へ、すかさず十四人の剣士隊が周囲を取り囲み一斉に【斬撃】で斬りつける。
通常攻撃は通らなくても剣技スキルであれば多少のダメージにはなるようだった。
また六人の魔法士隊は泥沼ごと凍らせるべく氷魔法をかけ続けた。
最初はもがくキバウリに阻まれていたが、これも徐々に動きを制限し出して今や四本の足はほぼ氷漬けで完全に動けなくなってしまった。
そこへ【斬撃】が四方八方から容赦なく撃ち込まれる。
突如キバウリの二本の牙が叩き折られた。
ノックホルト中佐が前方側面から振り下ろした斬馬刀だった。
そのまま正面に回り込むと剣先を前に向けてぐっと左肘を後に引いて構える。
牙を折られて咆哮するキバウリの大きく開けた口の中へ、ほとんど見えない速度で斬馬刀をブチ込んだ。
鍔の部分まで深く深く刺し込まれた斬馬刀と共に身動きひとつしないノックホルト中佐。
ほとんど勝負がついたように見えたその瞬間、キバウリの内部から炎が噴き出す。
口、目、耳、肛門など穴という穴から強烈な炎がボウと顔を出した次の瞬間にはもうキバウリは立ったまま絶命していた。
熱で足の氷も瞬時に解けていたため、キバウリはゆっくりと横倒しにどぅと倒れると数秒後には消滅した。
ノックホルト中佐必殺のスキル【燃焼】であった。
触れたものを一瞬のうちに燃焼させるという特殊スキルで、今のは斬馬刀を媒介としてその周囲を、つまりキバウリを体の中から燃焼させたのだった。
今度のキバウリは大きく色鮮やかな魔石をドロップした。
帝国の兵士が回収して歓喜の声を上げていた。
一方の第一小隊はというと、もっと簡単にカタが付いていた。
ボッツ少将の檄の後、エルモンド大佐とナンダス准将、それに参謀長が三人がかりであっという間にキバウリを倒してしまったのだ。
「やはり大型の魔物には体内に魔法を流すやり方が効果的でしたな」
参謀長が他人事のように言うとナンダス准将が笑顔で答える。
「参謀長の魔法の発動速度と威力があっての事だがな」
「いやいや、魔物の動きを止めてもらえさえすれば後は教科書通りにやるだけですよ」
謙遜しまくる参謀長。
大きな魔法を使ったのはかなり久しぶりだったので気持ちが高揚していた。
「それにしてもここが戦場で良かったですな。あの狭い通路でやり合うと考えたらさすがにぞっとしませんからな」
エルモンド大佐が言うと、ナンダス准将も参謀長もうんうんと頷いて賛同するのだった。
「それについては実にラッキーでしたな。我々帝国軍の運気もなかなかどうして。わははは」
参謀長が高笑いを始めると、残りの二人も同時に笑い出す。
突然の魔物の襲来で緊張していたキャンプ内の空気がこれで一件落着したのだという安堵感に変わっていった。
「なるほどね~」
ダミアンが不敵な笑顔のまま鼻歌のように呟く。
傍らではボッツ少将が厳しい顔をして相変わらずバスターソードを突き立てたまま微動だにしない。
そうこうしている所へ、ようやく第三小隊の先頭が現れた。
「ライリー!」
パテックが第三小隊付き案内人のライリーの下へ駆け寄る。
「すみません、遅くなりました」
人間が出来てきたのかライリー。
ちゃんとした言葉でパテックに対し、第一声で謝罪をする。
「そっちは大丈夫だった?」
心配そうに尋ねるパテックに対し、ちょっと面倒臭そうな表情を見せるライリー。
「はい。レツさんがいたので問題なかったです」
問題ない所ではなく、実際にはライリーとレツはキバウリを一度退けていた。
最初にキバウリが現れたのは第二小隊の最後尾の隊列の辺りで、突然横道から飛び出してきたのだった。
事前に音なども特になかったので、脇道に隠れていたか、あるいはその時そこへポップしたのかのどちらかだったと思われる。
ギリギリ躱した第二小隊の兵士たちがキャンプ方面へ逃げる中、キバウリは自分へ向かって歩いて来た第三小隊の方を次のターゲットに選んだのだった。
暫し睨み合いが続いた後、前足を搔き始めたキバウリに対して最前列のライリーとレツが剣を構えて牽制。
ライリーは利き手の右ではなく左手に短剣を持ち、右手にはグローブを嵌めて拳を腰に溜める姿勢。
ヤンのキャンプ以来、格闘系の訓練を毎日欠かさず続けていたライリーにはある程度その成果に自信があるのだった。
後ろの隊列には後方に下がるよう指示してあるので、キバウリの前には現在二人のみ。
いや、正確にはその五m後方に第三小隊の隊長エルクック・ムンバ少佐二十八歳が単身控えていたのだが、結局今回彼には出番は回ってこないのだった。
突進してきたキバウリに対し、ライリーが左に回り込んで口の端を短剣で斬りつけると同時に下顎へパンチ。
レツは右に少し寄ると左下から斬り上げて左の牙を切断。
ライリーのパンチでやや左に押されたキバウリと壁の間に挟まれないようバックステップで離脱。
動きの止まったキバウリにトドメを刺そうかどうか一瞬躊躇しているうちに横の路地に逃げ込まれてしまった。
キバウリはそこから迂回するような形で再び第二小隊の後ろについたのだった。
第三小隊はパテックに出した斥候が戻って来るのを待ってかなりゆっくりと警戒しながら前進を始めた、というのが後の報告書から判明した第三小隊側の顛末だった。
「おい、ライリー。大丈夫か」
そこへモーガンがやって来てパテックの質問を繰り返す段になってようやくライリーの本性が……。
「だから大丈夫ですって。同じ質問を別々にするの、やめてください」
「お、おお。それはすまん。まぁ無事ならいいんだ無事なら」
突然機嫌を損ねたライリーに驚き、パテックの方をチラチラ伺いながらモーガンが申し訳なさそうに謝罪する。
「ライリー、お前なんだその口の利き方は」
普段は人見知りなパテックも大先輩のモーガンにあんな言い方をされてさすがに腹に据えかねたのか珍しく怒る。
実はキレると怖いタイプなのかもしれない。
「……すみませんでした」
めちゃくちゃ不満そうな表情だが一応すぐに謝るライリー。
「オレにじゃなくてモーガンさんに謝れよ」
一瞬目がギラついたものの、ライリーはモーガンに向き直ってもう一度謝る。
「すみませんでした」
「なに、別にいいって事よ。今は非常事態だったんだからな。無事でさえいりゃ他はみんな些細な事だ」
基本的に若い者には寛容で面倒見がいいモーガンだった。
「モーガンさん、皆さん、遅くなりました」
レツが後からやって来て声をかける。
「おお、あんたか。そっちは問題なさそうで何よりだ。こっちはさっきまで大立ち回りで大変だったんだ」
問題がなかったわけではないのだがまぁ事情を知らないので仕方ない。
モーガンはその大立ち回りの様子を話したそうにしていたが、レツはまずダミアンとコンタクトを取りたいのか目で周囲を探している様子。
「ダミアンのヤツならあそこだ。帝国の司令官閣下様と一緒にいるよ」
ダミアンとボッツ少将のいる方を指してレツに教えるモーガン。
手前の第二小隊の兵たちの陰になっていて少し視認しにくかったが、モーガンのおかげでダミアンを視認できたレツはすぐさま走り出す。
「ありがとうございます」
一瞬振り返ってモーガンに礼を言うのを忘れない律儀な男、それがレツ・アマギであった。





