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034.帝国の挑戦(二)

「エリタス殿にお取次ぎ願いたい」


「お待ちしておりました准将閣下。早くにご足労いただきありがとうございます」


 何年かぶりに総合受付に立ったオリヴィエが恭しく頭を下げる。


 ギルドハウスの開館と同時に入ってきた帝国軍遠征隊の交渉メンバーは昨日と全く同じ顔触れになるナンダス准将、シュタインベルガー参謀長とその従卒二名であった。


 オリヴィエが奥に控えているティナに目配せをすると、ティナは頷いてひと足先に来客を知らせるために二階へ。


「ただいま部屋をご用意いたしますので少々お待ちください」


 昨日は冒険課のバックヤードへ移動してもらって狭くて散らかった部屋の中で侃侃諤諤にやり合ったのだが、それと比べるとだいぶマシな扱いになったのではないか。


 オリヴィエもナンダス准将もそのように感じていたが、もちろんそんな心情はおくびにも出さずオリヴィエは穏やかな営業スマイルを、ナンダス准将は軍人らしい厳かなしかめ面をして向かい合っていた。


 残念ながらオグリム支部ギルドハウスのロビーには腰を下ろせるような調度品などは設置されていないため(以前は置いていたがあまりに損耗率破壊率が高すぎるため撤去された)賓客と言えど立ったまま待ってもらう他ないのだった。


 並の神経の人間ならストレスでハゲるレベルの精神的負担が今この瞬間のオリヴィエにはかかっているはずだが、そこはオグリム一のメンタル強者と噂されるだけあってむしろいつも以上に営業スマイルに磨きが掛かっている。


 来客からは見えない角度の案内課受付の方からポランとミミナリスが顔を覗かせて様子を伺っていたが、オリヴィエが眩しすぎて目を細めたり何度も瞬きする位の輝きっぷりだった。


 ほどなくティナが二階から下りて来るとオリヴィエに軽く頷いて見せた。


「お待たせいたしました。ではご案内いたします。どうぞこちらへ」


 オリヴィエが総合受付のブースから出てきて促すと、無言で頷いたナンダス准将は参謀長に目配せをして共にオリヴィエの後に続いた。




* * * * *




「馬鹿なッ! たったの十人だと!?」


 思わず声を荒げたナンダス准将を隣の参謀長が制する。


「先程もご説明した通り、迷宮に入る際の一単位毎の最大編成は十人と規則で決まっているのです」


 無表情のシドがつい先刻と同じ説明を淡々と繰り返す。


「いや、それは一般的な冒険者パーティの場合であってクランの場合は三十人になるはずでは」


 参謀長が指摘すると、一瞬シドの口の端が動いたようにオリヴィエには見えた。

 昨日同様、交渉の場にはオリヴィエも同席してお茶出しやら資料等の対応などをしていた。


「よくご存じですね。しかしそれはあくまでクランとして認定されたグループの場合です。クランの承認や登録には様々な条件やプロセスが必要になるのもおそらくはご存じなのではないですか」


「それは確かに承知しているが……」


 その辺の基本的なルールは『バルベル迷宮に関する報告書』に記載があったので参謀長も当然頭に入っていた。

 杓子定規の正論で来られると分が悪くなるのも一応は参謀長の想定内。


「であれば話は早いですね。同一団体の入塔は十人一単位として三単位まで、というのが我がギルドの規則になります」


「話にならんッ!」


 ナンダス准将がテーブルをバンと両手で叩いて激高する。


 シドもオリヴィエも全く意に介さず冷静そのものなのがまた更にナンダス准将の神経を逆撫でするのだった。


 (くそッ、これは本当に腹が立つ。ハウエル、早くなんとか言え!)


 ナンダス准将が心の中で舌打ちしながら参謀長の言葉を待つ。

 ナンダス准将が感情的になる役で、参謀長が冷静な役という風に事前に取り決めていたものの、爆発したボッツ少将を参考にした慣れない演技は思った以上に疲れるのだった。


 そんなナンダス准将の心を知ってか知らずか、参謀長は必要以上に長い間を置いた後にようやく言葉を発した。


「ところでエリタス殿、昨日は何度お願いしても我が軍の入場は許可出来ないの一点張りであったのに今日になって急に入場人数の話になっているのは何故(なにゆえ)ですかな」


 そう、この点がまず今日最大の変化であり最大のサプライズでもあった。


 交渉を始めるに当たりまずはお互い形式的な挨拶をした後、いきなり「それで本日は入塔人数についてなのですが」とシドが続けた時のナンダス准将と参謀長の驚きたるや。

 今朝方までかけてあれやこれやと話していたことの半分以上が無駄になってしまったのだから、話が進んだことを喜ぶよりも前になぜという疑問が湧いてくるのも致し方ないところ。


 参謀長の質問は改めてシドの真意を問う形になってはいるが、実際には帝国側の精神的なリセットを図りつつ交渉自体についても角度を変えて仕切り直しを狙う意図があった。


「確かに昨日の今日という事でご不審に思われるのも無理はありません。昨日お二人の訪問の後で私の方でも思うところがありましてうちの上司に相談させてもらったのですよ」


 恩着せがましさを出さないよう努力したつもりだがあまり成功したとは言えないシド。

 そもそもその話自体が嘘だしな。


「ほぅ、そうでしたか……貴殿のお心遣いに感謝しますぞエリタス殿」


 参謀長がいかにも大袈裟で芝居がかったジェスチャーを交えて礼を言う。


 わかったという風に頷きながら話を続けるシド。


「確かに他国の軍隊が迷宮に入るというのは過去に例のないことで、ギルドの規則上はやはり許可できない。運用上も正しい措置だと私は今も確信しています。何より帝国はバルベル協定に参加していない上、外交ルートもない現在は事実上国交断絶状態にあると言えます。そのような相手がいきなり軍を差し向けてくるというのはこれは宣戦布告と取られても仕方ないですよね」


 ナンダス准将も参謀長もさすがに身が縮こまる思いで固まる。


 今二人はシドに「あなたがた非常識にもほどがありますよ」と苦言を呈されているのだった。


 至れり尽くせりの皇族外交で常習的に関係国に忖度を強いている帝国にはそのような常識的な対応など期待できるはずもなかった。


 一介の軍人であるナンダス准将と参謀長にしても命令に従って行動してきただけで、その命令以前にあるべき政治的配慮や根回しのような部分については元より管轄外であると思考の外にあった。


「しかし遠路はるばる階層主討伐を目指して来られた方々を無下に追い返すような事はバルベル迷宮としても私個人としても出来れば避けたい」


 さっきの言葉の効果を充分に確認できたシドが今度は殊更穏やかに告げた。


 ナンダス准将と参謀長のどちらかわからないが、ゴクリと喉を鳴らすのが聞こえた。

 今や顔を上げて真っ直ぐシドを見返している二人の目が若干血走っているように見えるのは気のせいか。


「そこで帝国の方々には一旦仮に冒険者に準ずる者という形で、まぁこれはあくまで正式な冒険者登録の手続きを省略するための方便なわけですが、とにかくそうした特例措置でもってギルドが身分を担保することにより迷宮に入る権利を付与するという方法ではどうだろうか、といった形のお伺いを立てたところそれならば充分検討の余地はあるという話になったわけです」


 ここでシドは二人の様子を伺うが、どうにもピンと来ていないのか今一つ反応が鈍い。


「えーっと、ここまではご理解いただけましたか」


 仕方がないので一度確認。


 緊張した面持ちの参謀長がようやく口を開く。


「エリタス殿、まずはこの度の我々の一連の振舞いについて心よりお詫び申し上げる。そして改めて貴殿とバルベル迷宮ギルドの方々の温情に心より感謝します」


 そう言うと深く頭を下げる。

 テーブルに両手を付き、頭がごっつんこするスレスレまで下げる。


 それを見てナンダス准将も頭を下げるが、こちらは手は太腿の上で頭もテーブルよりかなり高い。


「いや、お二方ともどうか頭を上げてください。こちらも規則規則と融通が利かない事ばかりで大変恐縮しております」


 シドが内心にんまりとしながらも焦った様子でとりなすと、二人も頭を上げて姿勢を正した。


 ちょうどそこへ、オリヴィエが奥からお茶を持って出て来た。


「どうぞ。こちら迷宮名物のバルベル茶になります。少しクセがありますが、リラックス効果があると言われているんですよ」


 説明しながらそれぞれの前にお茶を出していく。


「冷める前にどうぞ」


 配膳し終えたオリヴィエがなんとも魅惑的な響きの声で言うと、誰からともなく手を伸ばして飲み始めた。


 口元までもっていったところでハッとしたナンダス准将が参謀長の方に視線だけ動かすと参謀長はもう既に口を付けてほっこりしていた。


 (おいおい、少しは毒物の可能性を疑わないのか。仮にも参謀長だろうに)


 ナンダス准将は心の中で毒づくと意を決して自らも口を付ける。


 (これは……美味いな)


「これはなかなかに美味ですな」


 言い終わるなりまたずずずと茶をすする参謀長は何故か一気に老け込んで見えた。


「お口に合いましたら幸いです」


 軽く礼をしたオリヴィエが頭を上げる時、ほんの一瞬だけシドと目があった。

 よくやったという意味でかなり強めの熱い視線を送ったのだが、オリヴィエが勘違いをして受け取らない事を祈る。


「もし気に入られたのでしたら今日お帰りの際に用意させますよ」


 シドがさも気前良さそうに申し出る。


「いえ、結構。お構いなく」


 喜んで承諾しそうな参謀長が口を開く前にナンダス准将がきっぱりと断る。


 せっかくティーブレイクで和らいだ空気がまたしてもやや硬くなっていく。


「もうよそう准将。ここはひとつじっくりとエリタス殿の話を聞こうではないか」


 いきなり何を言い出すんだとナンダス准将は驚きと怒りの表情で参謀長を睨む。


 参謀長はナンダス准将の目をじっと見据えると、ゆっくり頷く。


 ふぅと大きな溜息をつくナンダス准将。


「わかったよ」


 安堵と諦念の響きが入り混じった口調で言い捨てるとナンダス准将は椅子の背に体を預ける。


「いや失礼した。実は准将と手前とで交渉のためのちょっとした役割分担をしておりまして。准将もだいぶ無理をしていたようなのでもうそろそろ本音で向き合って話した方がよいだろうと思った次第です」


 大方予想通りだったものの、まさかここまでぶっちゃけてくるとはシドも思っていなかった。


「まぁそれはこちらとしても助かります」


 シドの言い草に思わず失笑するオリヴィエ。

 聞こえなかった体でシドはノーリアクション。

 オリヴィエは飲み終えたお茶をてきぱきと片付けると一礼して奥に引っ込んでいった。


「先程の話ですが、我が軍の兵を冒険者に準ずる者として扱うという部分についてもう一度ご説明願いたい」


 胸襟を開いて向かい合う参謀長の気持ちが伝わったのか、シドは頷いて説明を始める。


「要は何をどうしたら一番簡単に最小限の手続きでみなさんの兵を迷宮内に入れることが可能となるのか、ということなのです。そちらにも希望する条件があるのは理解しますが、はっきり申し上げてそれらを考慮して実現するのは現実的にはほとんど不可能に近い。是非を検討するだけで月単位あるいは年単位の時間がかかる可能性もあります」


 今度はナンダス准将も素直に耳を傾けているので、シドはもう二人の様子を気にするのはやめてフラットな気持ちで話を続ける。


「そこでギルドの規則を一切変更せず入塔者の取り扱い、つまりは登録区分という所の選択肢をひとつ追加する、という方法を思いついたのです。これまでは塔民、商人、冒険者、ギルド職員、来賓、その他という六つのカテゴリがあったわけですが、そこに準冒険者というカテゴリを一つ追加するのです。これが今回のみなさんの兵ということになります」


「それを追加するのは簡単なことなのですかな」


 参謀長が手を挙げて質問する。


「まぁ簡単というか一応最高会議で承認する必要があるのですが、うちは割と現場主義なのである程度は支部長判断で先に運用を始めてしまって後付け承認でも問題ないということになっています。但しこれはあくまで慣例的な措置で決して正規の手続きではない事は念のためご承知置きください」


「なるほど。バルベルのギルドというのは随分と支部長の裁量が認められているのですな。なんとも革新的で羨ましい」


 素直に感心する参謀長の足をテーブルの下でナンダス准将が蹴る。


「んんッ。あ、いや失礼。今のは失言でした。どうかお忘れください」


 慌てて咳払いをすると発現取消を願う参謀長。


 今の参謀長の発言は裏を返せば帝国への内部批判とも取られかねないため、ナンダス准将も自粛せよの意図で蹴ったのだった。


「それで、その場合はやはり十人三組の計三十人までというのが最終見解なのですな」


 参謀長が今やさほど反対するような素振りも見せずに確認する。


「そうなります。しかしよく考えてみてください。三百人もの人数で迷宮に入って一体どうするつもりなのです? 入った途端に渋滞を起こすのは目に見えてますし、縦長に伸びきった隊列で本当にスタルツまで無事に辿り着けるとお考えですか?」


 今のはシドの本心であり、どうしても一度確認しておきたかったことでもあった。

 本当に帝国は一体何を考えているのか、と。


「確か第一階層から第九階層までは底層という事で、迷宮初心者向けの比較的容易な階層であると伺っていましたが……」


 参謀長の話を途中で遮るようにシドが割り込む。


「そういう問題ではないのですよ。まさかとは思いますが、初心者向けなら大軍勢でも問題ないとでもお考えなので?」


「今エリタス殿は大軍勢と申されたが、三百人規模というのは軍の運用としてはかなりの小編成なのです。つまり今回の軍はあくまでダンジョン攻略を前提とした少数精鋭で編成した部隊なのです」


 参謀長の反論を聞いてシドは眩暈がした。

 そもそもの基準が違い過ぎる。

 帝国の人間というのは何かにつけこういう考え方をする連中なのだろうか。

 だが、人数に関する見解の相違の根幹が何なのかはよく理解できた。


 実は『バルベル迷宮に関する報告書』には客観的な事実や情報の記載はあっても、例えば迷宮探索におけるセオリーやその実態のような体験をベースにした知の集合体のような部分はごっそりと抜け落ちていたのだった。


 例えば底層のメインルートは平均してだいたいこれぐらいの道幅、高さであるという情報はあるが、そこを進むに当たってどのような点に留意すべきかというような事には一切言及されないといった具合だ。

 従ってナンダス准将らも、底層は兵が二列縦隊で通行可能である、というような極々基本的な部分にしか思考が向いていなかったのだった。


 メインルートはほとんど魔物が出現しない安全なルートであるという記載が『バルベル迷宮に関する報告書』にあった事もこのような移動部分にのみフォーカスした理解に繋がった点は否めない。


 こうした齟齬は報告者自身が、冒険者として迷宮探索をした経験が乏しいという事実を示していた。

 報告者は冒険者ではなく、商人として迷宮に入ったのかもしれない。

 あるいは迷宮の住民かギルドの人間を装ったのかもしれない。

 いずれにしろ観察のための重要な視点が欠けていたのだった。


 逆説的にそれは報告書をまとめた人間なり部署なりが、階層主討伐という任務をさほど重要視していなかったという事実を証明してしまっているのだが、この時点でダンダス准将も参謀長もそこまで考え至ることはなかった。


 ただ一人、シドを除いては――。



 今朝早くにマッカーシーに呼び出されたシドは、帝国に迷宮自体への侵略意図がある事を告げられていた。

 昨夜のうちに帝国軍の宿舎へ放っていた間諜が複数回に分けてもたらした情報がソースらしい。

 

 間諜は帝国の司令官が書いたと思われる書状を持ち出すことに成功しており、その内容から作戦自体は秘匿されており真の目的を知る者は司令官のみであることが判明したらしい。


 交渉の相手であるナンダス准将と参謀長も知らぬ事(昨夜の時点でその可能性に思い至ったという事実は間諜により報告されていた)であるというのはシドにとっては気が楽になる情報であった。

 それもあって、思い切って最初から入塔人数交渉を始める事をマッカーシーに提案し、許しを得たのだった。


 マッカーシーの考えでは帝国との交渉は当初の予定通りの着地点で進め、迷宮に入った後は上の階層の連中に任せる、という事らしい。

 なんと他人任せな、とシドは思わず口にしてしまったが、それがギルドマスターの意向でもあると聞かされるともはやそれ以上何も言えず納得するしかなかった。


 所詮自分たちもギルドという組織の駒のひとつでしかない。

 冒険課課長はもちろん、支部長にしても同じなのだと、シドは世知辛さを実感した。


 だが、ひとつひとつの駒がしっかり役目を果たし、互いに噛み合っていれば物事は大概うまくいくのだ。

 そう考えるとさほど悪いものでもないと思えた。


 ならばせいぜい駒としてやるべき事をやってやろうとこの会合に臨んだのだった。



 感情的な対立や、双方の誤解がなくなったおかげでその後の会合はスムーズに進行した。


 シドは元冒険者の知見を交え具体例を挙げながら迷宮探索について説明すると、帝国の二人は興味深くそれを拝聴し大人数の無意味さをすぐに理解したようだった。


 とは言えたった三十人で迷宮に入り、それ以外は待機するというのも人的リソースの大いなる無駄遣いであるため、交渉のカードとして考えていた労働力の提供を参謀長から率直に打診してみるとシドは歓迎すると答えたのだった。


 最終的にはパーティではなくクラン扱いにして階層主攻略のための部隊を三十人、その予備兵と資源採掘要員を三十人×二単位で合計九十人編成として支部長に掛け合うという結論でこの日の会合は和やかな雰囲気のまま終了した。


 そしてこの案はマッカーシーを充分に満足させた。


 特に攻略部隊を三十人に抑え、資源採掘要員を帝国兵から調達するという部分が非常に秀逸であるとシドは何度も持ち上げられ全身こそばゆくなるほどだった。


 帝国側は司令官の説得と部隊の再編制のため丸一日は欲しいと言うので、入塔日は会合の二日後の開館と同時にという事で決定した――。




* * * * *




「行ったか?」


 シドの背後からマッカーシーが声をかける。

 オグリム支部ギルドハウスの裏手にあるバルベル迷宮第一階層への入口となる関所(ゲート)まで、支部長がわざわざやって来るというのもなかなかに珍しいことだった。


「ええ。今さっき最後尾が第一階層に入って行ったところです」


 関所(ゲート)の奥を見つめたままシドが応える。

 マッカーシーも同じ方向に目をやるが、当然何も見えないのですぐに手持無沙汰になる。



 帝国軍が今朝早くからギルドハウスの前に整列して直立待機しているのを見た時、シドは心底げんなりしたのだった。

 たいして広くもないギルド前の道が完全に塞がれて迷惑この上なかったし、何より空気が悪い。


 仕方がないので開館時間を三十分早めて(出勤前のスタッフを急いで呼びに行かせた)、まずはティナのガイダンスを三十人づつ(部屋がすし詰めに近い状態)三回実施する一方で、終わった組から順に入塔手続きをしていったのだがこれを全員分こなすだけで二時間近くかかった。


 ギルドに来た他の冒険者たちにはミミナリスが頭を下げまくって午前中はお引き取り願った。

 休みなしで連続三回のガイダンスを終えたティナはげっそり疲労困憊でそのままバックヤードでダウン。


 案内課で案内人(ガイド)をつける段でもポランが冷静に対処してくれたので問題なし。


 対クランにおける案内の場合、案内人(ガイド)は基本的に道案内のみの補助的な役割に徹することがほとんどだったが、今回は迷宮のド素人相手ということで色々と勝手が違うというか、ギルド側としても未知の部分が多いため、事前に担当案内人(ガイド)とも何度か協議した上で入塔前に迷宮探索の基本について別途レクチャーすることになっていた。


 そのレクチャーがまた三十人単位で三回。

 講師がモーガン(w)というチャレンジングなプランだったが何とか無事に終わったのが昼過ぎ。


 昼休憩で一時間後に再集合し、ようやく入塔を開始するも関所(ゲート)通過時にいちいち一人ずつチェックするため、ここでも待ち行列ができる。

 しかも通常とは異なるやり方異なる書式の書面ということで関所(ゲート)の門番も手続きに時間がかかってしまっていた。


 こうした一連の苦行の中でもただの一言も不満を漏らすことなく、表情すら変えず整然としていた帝国軍の兵士たちはみな立派であったと言うべきだろう。



「無事にスタルツに到着すると思うかね」


 マッカーシーが何故か楽しそうに聞いて来る。


「するでしょう。してもらわないと困ります」


 一方のシドはもう自分の仕事は終わったとばかりに、他人事のように答える。


「おや、マッカーシー支部長にシド課長。直接お会いするのは久しぶりですね」


 背後から声がしたのでシドもマッカーシーもほぼ同時に振り向く。


 そこには見事な自然体で立つ審判(ジャッジメント)二番隊隊長のシン・アマノの姿があった。


 昨年までは審判(ジャッジメント)のナンバー2と自他共に認める存在だったが、今現在は部下のレツと何故か今回の任務直前に一番隊からトレードで異動してきたダミアンの二名によってその座を脅かされている疑惑のナンバー2という微妙な立場になっていた。


 とはいえ、ダミアン加入によりバルベル迷宮最強部隊の称号を得たのは隊長としては誇らしくもあった。


「おお! アマノ隊長じゃないか。最近はセインやエンダへ行った時もなかなか顔を合わせる機会がなくて……今日会えて本当に嬉しいよ」


 社交辞令ではなく本当に嬉しそうに両手で握手するマッカーシー。


 固く手を握られたまま上下にブンブンとやられ放題のシンはやや苦笑気味。


「久しぶりだねシン……いやアマノ隊長と呼ぶべきかな」


 シドがあまり他人には見せない柔らかで優しい笑顔で声をかける。


「やめてくださいよシド課長。シンでいいですよ」


 シンが両手をマッカーシーに支配されたまま更に微妙な表情で答える。


「なら俺のこともシドでいい」


 シンとはシドが冒険者だった頃から既知の間柄であった。

 当時はまだ少年だったシンを冒険者に誘ったり、ちょっとした稽古をつけたり、一緒に迷宮に入ったりしたこともある。

 少年シンにとってはやんちゃな大人であり頼れる兄貴分というような存在だったシド。

 

 シンが保安局に入局し、シドも冒険者を引退した辺りからあまり交流がなくなってしまっていたのをお互い寂しく感じていたが、本当に久しぶりに再会したのがまさにこの瞬間なのだった。


「なんだ、二人は知り合いだったのか」


 ようやくシンの手を解放したマッカーシーがあまり空気を読まずにずけずけと会話に入って来る。


「はい。シドさんには昔すごく世話になったんです。俺の恩人の一人ですよ」


「そうかそうか。シド君がこんな有望な若者にも慕われてたなんて私もまだまだ知らないことだらけだよ」


 何故か自分のことのように喜んでいる風のマッカーシー。

 シドとシンの表情をよく見てみるべきだと思うぞ支部長さん。


「それはそうとシン。一緒に行かなくて大丈夫なのか?」


「ええ。入塔組はレツとダミアンがいれば問題ありませんから。俺は残留組の担当なんです」


 残留組担当というのはつまり迷宮に入らずオグリムに駐留している約二百人の監視役ということなのだろう。


 決して警備体制が強固とは言えないオグリム支部の目と鼻の先に帝国軍が鎮座している状況というのは確かに保安上の大きなリスクであった。


「お前一人なのか?」


「いえ、ゴッツも一緒です。さすがに俺一人じゃ何かあった時対処しきれませんから」


「二人なら大丈夫なのか?」


 シドもなかなかに意地が悪い。


「ははは、相変わらず容赦ないですねシドさん。でもまぁ一応保険というか局長の計らいというか、清凛館の方から十人ほど来てもらっています」


「おお、アマギ局長の道場か! それは心強い」


 マッカーシーが大喜びで手を叩く。

 シンはさりげなくマッカーシーから距離を取ってまた握手攻めされるのを防いでいた。


「十人とは随分と気前がいいんだな」


「でしょう? うちの局長はこのところずっと上機嫌なんですよ」


「なんだ、やっと男でも出来たのか?」


「バッ……馬鹿なこと言わないでくださいよシドさん。本人の耳に入ったら血の雨が降りますよ」


 何故かやや取り乱した様子のシン。


「なんだ、違うのか。まぁお前の顔を見る限りそれはなさそうだが」


「どうして俺の顔で局長のおと……異性関係がわかるんですか」


「まぁそいつはアレだ。経験で培われた大人の知恵ってヤツだ。お前もあと十年もしたらわかる」


「なんだ、アマノ隊長はアマギ局長に気があったのか。それは知らなかったな。いいじゃないか、大いに頑張りなさい。ははは!」


 全く空気を読めないマッカーシーがド直球を口にしてしまった。

 しかも何度もうんうん頷いて無駄にご機嫌な様子。


「…………」


 耳まで真っ赤になるシン。


「…………」


 やれやれといった顔でゆっくりと頭を振りながらシンの肩に手を置くシド。

 そのままポンポンと叩いて慰めるも、シンは完全に硬直してぷるぷる震えるばかり。


 いかに優れた強者でも、男女間の問題に関する得手不得手はまた別なのはある意味世の常。


 ただシンの場合、リンとは従弟関係である事が一歩踏み出すのを躊躇させているだけであって、決して奥手であるとか草食系であるとかましてやDTであるとかそういう訳ではない。

 彼の名誉のためそれだけは付け加えておく。


「ああ、そろそろ仕事に戻らないと……うん。ではまた今度ゆっくり話そうアマノ隊長」


 自分のやらかしにようやく気付いた様子のマッカーシーがいかにもバツが悪そうにしながらそそくさと撤収して行った。


 残された二人は暫しそのまま――。


「すまんな、シン」


 うちの上司がと言いたいところを、そもそも原因を作ったのは自分であると理解しているので省略したシド。


「……違うんです……俺は、別に……」


 俯いてたどたどしく言い訳をするシン。

 往生際が悪いぞ。


「お前、もう少し精神面を鍛えないとマズイんじゃないか……」


 シドも兄貴分として最低限言うべきことは言わなければならなかった。


「……はい」


 力なく肯定するシン。

 大丈夫だシン、リンはまだフリーだぞ。

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