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033.帝国の挑戦(一)

「ふぅ……」


 大きく溜息をついたシドは今しがたギルドハウスを出て行った者たちの姿を目で追うかのようにじっと壁を見つめているがもちろん何かが見えているわけではなかった。


 オグリム支部冒険課課長のシド・エリタスは今年三十九歳。

 Aランクパーティ『タリムの星』のメンバーだった彼が冒険者を引退して早八年が経っていた。

 同じパーティのリーダーだったエンリケ・メンドーサの誘いでギルド職員として第二の人生を歩んでいたが、三年前にエンリケが冒険課課長から案内課課長に転任することになった際の後任として現在のポジションに就いたのだった。


「課長、お疲れ様でした」


 いつの間にか傍らに立っていたオリヴィエ(二十二歳になりました)が優しく労う。


「ああ、ありがとう。しかし今日のところはまだ前哨戦といったところだ。次はどう出てくるやら……」


「明日も来るでしょうか」


 まるでそれを期待しているかのようなウキウキ加減で尋ねるオリヴィエ。


「たぶんな。連中としては一刻も早く塔に入りたいだろうから十中八九来るだろ」


 来ても来なくてもどっちでもいいとでも言うようにのんびり他人事モードのシド。


「もし全軍で来られたらどうされますか」


 まるでそれを期待しているかのようなワクワクフィーリングで尋ねるオリヴィエ。

 ……おい。


「さてな。そもそも迷宮攻略に三百人なんて馬鹿げてる。手続きだけでも全員塔に入るのに何時間かかるのか想像もつかん。仮に強行突破するにしても狭い空間に大人数など邪魔以外のなにものでもないだろうに。帝国は馬鹿なのか」


 かつての冒険者シドが少しだけ顔をのぞかせるように悪態混じりの愚痴がこぼれる。

 オリヴィエはこの瞬間がたまらなく好きなのだった(恋愛的な意味では全くない)。


「戦闘になる可能性もあるのでしょうか」


 まるでそれを以下略。

 ほどほどにしておかないと怒られるぞ。


「どうだろうなぁ。そこまで血の気が多そうには見えなかったぞ。あくまで今日来た連中に限って言えばだが」


 通常モードに戻ったシドがまたのんびりと答える。


「二番隊の方々にはしっかり待機しておいてもらいますね」


 オリヴィエの言うように、この事態に備えて審判(ジャッジメント)二番隊がオグリム支部に配備されていた。


 隊長を凌ぐほど急速に成長したレツに加えて一番隊からダミアンが異動してきた審判(ジャッジメント)二番隊は、今やバルベル迷宮ギルドの最強部隊であると言っても過言ではなかった。


 そんな二番隊をわざわざ送り込むのだからギルド首脳部も今回の件には相当な危機感を抱いているのだろう。


「彼らの出番がないことを祈ってるよ」


 日頃から何かと面倒を避け物事を穏便に済ませようとするシドだったが、ふとした時の言葉の端や表情などから実は力業(ちからわざ)で解決した方が手っ取り早いと思っているような節があるため、今の言葉も額面通りに受け取ってよいものかどうか疑わしいところである。


 諸々弁えているオリヴィエはそれ以上煽るような言葉は口にせず沈黙で賛意を表明するに留めておく。

 上司と部下の腹の探り合いを兼ねたある種のエンターテインメントにボーダーライン越えはあってはならないのだ。


 とは言え実は二番隊には帝国軍の監視任務(名目上はあくまで案内人(ガイド)の護衛)が与えられているため、いずれにしろ出番はあるのだが……。



「おい、帝国の連中はどうなった!?」


 その時、勢いよくドアが開いて支部長のマッカーシーが入ってきた。


 シドが椅子から立って礼をするとオリヴィエもそれに倣う。


 部下の報告を待ちきれずに自ら出向いて問いただす上司というのは通常はダメな典型なのだが、今回のような重要時で尚且つ当事者がマイペース(いい意味で)なシドとあってはマッカーシーの気持ちもわからないではない。


「さきほどお帰りいただいたところです」


 頭を上げたシドがすぐに答える。


「それはわかっている。で、状況は?」


「まだなんとも。今日のところは対応不可の一点張りで何とか凌いだという感じですね」


「三時間ほど粘られましたけれど」


 シドの報告にオリヴィエが一言付け加える。


「そうかそうか。第一段階は上々ということだな」


 ようやく落ち着いた様子のマッカーシーがいつもの雰囲気に戻って表情を緩める。


「まぁそうなりますかね」


 役目は果たしましたよ、という顔で皮肉な笑みを浮かべるシド。


 シドが事前にマッカーシーから言われていたのはただひとつ。

 初日は一切交渉せず何がなんでも追い返す、だった。


 大方、戻った帝国側の様子を間諜でも使って確認した上で次の手を考えるつもりなのだろう。

 それくらいのことはシドにも想像がつく。


「で、明日は支部長も同席しますか?」


 シドが一応聞いてみる風に尋ねる。


「いや、君に任せるよシド。おそらく入塔人数の交渉になるだろうからな。今日より長引きそうだ」


 いかにも面倒くさそうに答えるマッカーシー。

 裏表なく正直なのが彼の美点のひとつであったが、ギルドの支部長としては良し悪しの判断は分かれるところかもしれない。


「勘弁してくださいよ。結論が出てるならそれを伝えて終わりにしちゃダメなんですか?」


「そうもいかん。一応帝国側のメンツもあるだろうから充分な交渉プロセスを踏んでギルド側もそれなりに譲歩したという大義名分を与えてやらんことにはな」


「あ~面倒くさいっすね。誰か代わってくれないかな」


 口調が、と注意しかけたオリヴィエにシドが視線を向けたので、慌てて首をふるふる振って拒否する。

 オリヴィエとて、帝国相手の面倒な交渉など断固としてお断りなのだった。


「そう言わずに頼むよ。どうしても必要とあらば私も顔を出すくらいはやぶさかではないからね」


 オリヴィエのふるふるまでを確認したマッカーシーが満面の笑顔でシドに言い含める。


「ではせいぜい支部長の顔を高値で売りつけられるよう頑張りますよ」


「ははは、その意気だよシド」


 豪快に笑ってシドの背中をバンバンと二度叩いたマッカーシー。

 相当力を込めて叩いたように見えたが、シドは全く意に介さぬ表情で微動だにしなかった。

 ピークを過ぎたとはいえ、さすがは元Aランク冒険者である。


 むしろ叩いたマッカーシーの方が手をひらひらと振って痛がっている様子だった。


「ではまた明日の朝に少し打ち合わせをしよう。今日はご苦労だった二人とも」


 痛みはすぐに引いたのか、マッカーシーは上機嫌で二階の支部長室へ戻っていった。


 マッカーシーの背中を見送ったシドとオリヴィエは束の間、目を合わせた後でそれぞれの職務に戻っていった。




* * * * *




「どういうことだッ!! ダンジョンの連中は我々帝国を愚弄しているのかッ!!」


 ベリオール帝国第四師団の師団長であるクレイグ・ボッツ少将三十七歳は副師団長ナンダス准将の報告を受けるなり怒りを(あらわ)にした。


 ナンダス准将は二歳下の上官の叱責に耐えるべくじっと頭を垂れたまま動かず。

 だいぶ日が傾いてきたのか、ナンダス准将の横顔に強い陽射しが当たってじりじりと熱くなっていた。


 本日午後、オグリム到着と同時にバルベル迷宮ギルドのオグリム支部に足を運び迷宮入場の手続きをする予定だったのだが、ギルド側から三百人規模の他国の軍勢を入場させるのは前例がなくギルドのルール上も不可能であると申し渡されたのだった。


「それでおめおめと引き下がって来たのか貴様はッ!」


 ボッツ少将の怒りの矛先はナンダス准将にまで向き始めた。


 帝都を出発して三ヶ月余。

 今回の遠征については人員編成やら物資調達の期間なども含めるとトータルで半年以上の時間と労力を注いできた。

 ようやく出陣に漕ぎつけて遥々砂漠を超えて辺境国タリムの更に片田舎のオグリムくんだりまでやって来たというのに、まさかの門前払いを食らったのだ。

 ナンダス准将とてボッツ少将と一緒になって当たり散らしたい気持ちは山々だった。


「申し訳ございません閣下。参謀長とも相談の上、明朝改めて交渉に参ります。兵も疲れておりますのでどうか本日の所はこちらで御休息頂きますよう」


 わざわざ兵を引き合いに出したのはボッツ少将の性格を良く知るナンダス准将の知恵であった。


 とは言っっても、宿舎に寝泊まり出来るのはあくまで幹部クラスの者と傷病兵のみであり、ほとんどの兵は宿舎から少し離れた町外れの空き地で野営をすることになる。

 もちろん、その状態では兵たちの疲れが充分にとれるはずもなかった。


「フンッ、休んだところで状況は変わらんではないか。明日になればダンジョン側が譲歩してくれるのか? そもそもこのような横暴が……理不尽が罷り通ってよいものかッ!」


 言ってるうちに再び腹が立ってきたボッツ少将。

 ここで幾ら怒鳴ろうか喚こうが事態は一向変わらないのも事実だろうに。


「仰る通りにございます閣下」


 ナンダス准将としてはひたすら嵐が過ぎるまで頭を垂れてやり過ごすしかない。

 本来ならすぐにでも次回交渉のための作戦会議を始めたいところなので、体の内側からじりじりとした焦りが手足の先までピリつく血流となってナンダス准将の体中を駆け巡っていたのだが、そんな素振りはおくびにも出さない。


「もういい! さっさと交渉の方針をまとめろ。時間がない」


 ナンダス准将の焦りを見透かしたようにボッツ少将自ら話を切り上げた。

 

 ナンダス准将は顔を上げると目前でそっぽを向いているボッツ少将をよく観察する。

 感情的になった自分を恥じているような雰囲気も見て取れたので安堵すると同時に、改めてこの憎めない上官への敬意を新たにするのだった。


 ボッツ少将は子爵家の三男で士官学校を出てからトントン拍子に出世して現在に至る。

 帝国の師団長では最年少であり、子爵家が懇意にしている公爵家の計らいが裏であったと噂する者もいたが、ナンダス准将に言わせればボッツ少将は決して肩書だけの無能な上官ではない。

 戦場では頼りになる指揮官であり、また個人としても極めて強力な戦士であり、尚且つ平時においてもそれなりに有能な上官であった。

 多少の贔屓目もあるかもしれないが、平均的なバランスでいえば四人の師団長の中でも一番優れているとナンダス准将は評価していた。


 ただ今回は帝国の威信のかかった任務であり、皇帝陛下直々の命を受けての出陣でもあったことが想像を絶する重圧となってボッツ少将の肩にかかっていたのだった。

 そこへ三ヶ月に及ぶ行軍の疲労も重なってギリギリでメンタルを維持していた所へ迷宮ギルドのこの仕打ちとなれば、瞬間的に暴発するのも止むを得ないとナンダス准将も理解していた。


「畏まりました」


 一礼して師団長の部屋を辞するナンダス准将。


 ボッツ少将のことは一旦頭の隅へ追いやり、すぐに目の前の難題に頭を切り替える。


 さて、我が軍をどうやってダンジョンの中へ進軍させるか。


 否。


 どうやってそれを迷宮ギルドの連中に認めさせるのか。


 今日の話ぶりでは全く取り付く島もない様子であったが、まさかあれが最終回答ではなかろう。

 シドとかいう男が出てきた時から既に腹の探り合いは始まっていたのだ。


 あの手この手で感触を探ってみたが、なかなかどうして相手もかなりのやり手だとナンダス准将は感じていた。


 それにしても情報が足りない。

 交渉するためのカードがない。


 あるのは三百人の兵――帝国軍の武力のみ。

 しかしそれを頼みにするのはあまりに浅薄であり、万が一そうなるとしても最後の最後の手段でなければならなかった。


 暗闇を手探りで進むような心許ない状況だが、どうにか切り抜けなければならない。


 ナンダス准将は一層険しい表情になると、臨時司令部となっている応接室に向かって足を早めた。




* * * * *




「おお、ナンダス殿。如何でしたか、師団長閣下のご様子は」


 臨時司令部に入るなり声をかけてきたのが、ハウエル・フォン・シュタインベルガー参謀長。

 ナンダス准将とは帝国士官学校からの付き合いで、互いに首席を争った同期で同い年の三十九歳。


 明らかに問題ありげな厳しい顔のナンダス准将に対して敢えておどけたように尋ねるのも彼なりの配慮だった。

 事実参謀長の一言で、ナンダス准将の表情も少しだけだが和らいだ。


「うむ。さすがに憤慨されていたが思ったより冷静に事態を受け止めておられた」


 若干盛っている気はするが、そこはナンダス准将なりのボッツ少将への敬意の表れなのだろう。


「そうであったか。さすがは閣下。で、今後のことについては何と?」


「まずは我々に交渉の方針をまとめよ、とのことだ」


「なかなかに難題ですな」


 ここにきて参謀長も難しい表情にならざるを得なかった。

 参謀長もナンダス准将と共にギルドへ行っていたので事情は呑み込めていたのだった。


 暫し沈黙が続く。


 臨時司令部である応接室にはナンダス准将と参謀長の他にもう一名、第四師団の第一大隊隊長であるガルディア・エルモンド大佐が同席していた。

 あとはそれぞれの従卒が一名ずつドアの横に待機しているのみ。


 今回の遠征では大隊長クラスが他に二名参加しているのだがいずれも頭より体を使うタイプの軍人で、作戦会議などはエルモンド大佐に一任すると言ってそれぞれ自分の部隊が野営している先へ出向いてしまっていたのだ。


 面倒事を押し付けられた形のエルモンド大佐がここで口を開く。


「参謀長から頼まれていた件ですが、やはりバルベル迷宮に軍隊が入ったという例は過去に一度しかなかったようです」


 帝国情報部がまとめた『バルベル迷宮に関する報告書』には記載のない情報だったため、オグリム到着後速やかに調査をしてほしい旨、事前に参謀長から依頼されていたのをエルモンド大佐が直属の部下に命じて最優先で調べさせたのだった。


「ほぅ、してその一度というのは?」


 目を光らせた参謀長が感心したように尋ねると、あまり期待するなと言わんばかりの沈鬱な表情でエルモンド大佐が答える。


「今からおよそ八十年前の一〇三七年、タリム国軍が階層突破を果たして今の第十階層を切り拓いた時の事だそうです」


「なんと、八十年も前とは……」


 先程とは打って変わって残念そうな表情で参謀長が唸る。


 絶句して考え込む参謀長に代わってナンダス准将が言葉を繋ぐ。


「となると現在のギルド設立前という事になるな。なるほど前例がないというのもそういう意味合いであったか……」


 ナンダス准将はギルドでシドという男が語ったことを思い出していた。


 バルベル迷宮ギルドが設立されたのは一〇四九年。

 当時はまだタリム国の管理下にある行政区域のひとつに過ぎなかった。

 そこから紆余曲折を経て徐々にギルドとしての体裁を整えていき、国の影響下から抜け出して自治権を持つ独立機関となったのが一〇六七年。

 これが本当の意味で現在のバルベル迷宮ギルドの始まりであった。


「今現在のギルドの有り様からすると他国の軍が迷宮に進入するというのは軍事的な越境行為に相当するのか……」


 参謀長がボソリと言ったことが本件の性質を端的に表現していた。


 ナンダス准将がギョッとした表情で参謀長の方を見る。

 エルモンド大佐は見事なまでの渋面で机の一点をじっと見つめていた。


 ベリオール帝国は一〇六七年のバルベル協定(※)に参加していない上にそもそもタリムと国交を開いたのもごく最近であったため、基本的に迷宮含む近郊地域全般について知見が浅く情報不足なのだった。


 ※バルベル協定とは新暦一〇六七年に署名、即時発効されたバルベル迷宮の自治独立を保障し参加国との経済活動におけるルールなどを定めた協定である。参加国はタリム、アリアルド、グランダム、オクスフォルド、ルガーツ、シュネク、マール、バルベルの八カ国。


「迷宮側の戦力というのはどの程度でしたか」


 数分間の沈黙の後、エルモンド大佐が尋ねる。


 『バルベル迷宮に関する報告書』によれば迷宮ギルドには軍というものは存在せず、迷宮内の治安維持を目的とした保安局という部署があるだけなのだと言う。

 しかもたったの三部隊で、人数は全部隊合わせても二十人にも満たないらしい。

 保安局以外にも直接戦闘行為が可能な人材がいたとしても、せいぜい三十人前後であろうと。


 最初この報告書の内容を見た時、ナンダス准将はさすがにそんな馬鹿な話があるわけがないと宰相に直接確認しに行ったのだが、当然複数の情報部員により確認済みだと却って宰相の心象を損ねるだけに終わってしまったのは苦い記憶として未だ燻っていた。


 当然、エルモンド大佐も報告書の内容は頭に入っているはず。

 エルモンド大佐は長く前任の大隊長の副官を務めていたが、その勇退に伴い昨年大隊長に昇進したばかりであったため、まだ上層部でその為人を充分に把握しきれているとは言い難い部分があった。


「戦力というのがどこまでを指すのかにもよりますな」


 参謀長が持って回った言い方で牽制する。


「対人戦闘が即時可能な兵力という意味ではどうでしょう」


 対魔物と明確に区別して、という意味なのだろう。

 即時可能という表現も、予備兵のような流動性のあるものを除外するということだと思われる。


「報告書が正しければだいたい三十人前後といったところですな」


 参謀長が言い終わるなり、エルモンド大佐が続ける。


「三十対三百の勝敗について何か特段に考慮すべき要素があるのでしょうか。このダンジョンとかいうものの中には」


「少なくとも我々はダンジョンについて無知に等しい。それは無視できる要素ではない」


 論外だとばかりにナンダス准将が言い捨てる。

 ボッツ少将の部屋を出た後に自ら頭に浮かべた内容であったが、こうもあっさり切り出されてしまうとその暴論ぶりが浮き彫りになって嫌悪感を覚えたのだった。


「准将にひとつお聞きしたいのですが、今回の遠征の目的は本当に階層主討伐にあるのでしょうか」


 エルモンド大佐が改まった口調で尋ねる。


「大佐はそうではないと言いたいのかな」


 ナンダス准将は突然何を言い出すのかと思いつつもどこか引っかかる部分を感じて逆に聞き返す。


「いや、もうひとつ隠された目的があるのではないかと、帝都を出てからずっと考えていました」


「隠された目的ですと!?」


 参謀長がガッツリ食い付く。


「報告書にあるギルドの兵力が三十人前後。我が軍の兵力が三百人。この十倍という戦力差は果たして偶然なのでしょうか」


 なるほど、とナンダス准将は理解した。

 同時に自分の中にも同じような疑念が(数字由来ではないが)少なからずあったのを自覚した。


 つまりエルモンド大佐の言いたいことはこうだ。


 帝国軍は迷宮ギルドに十倍する兵力を以て速やかにこれを制圧せよ。


 皇帝陛下の勅令にはそのような意図が込められているのではないか。

 司令官たる師団長と一部の幹部はそれを承知していて今回の遠征に臨んでいるのだろう、というわけだ。


「いや、そのような事は……まさか……」


 言いかけてそのまま言葉が出てこなくなった参謀長。

 果たして本当にないと言い切れるのかと自問するような表情。


 参謀長がナンダス准将に視線を向けるとちょうど二人の目が合った。


 もしや……いや、まさか……。


 その疑念はお互いに向いているのか、あるいはボッツ少将へのものなのか。

 しかし両者とも直ぐに前者は否定され、後者の可能性を考え始める。


「いや、これは失礼しました。しかし遠征の目的が例え表向きのものだけだったとしても、ギルドとの交渉次第あるいは今後の展開次第ではそのようなケースも充分に考えられます。となれば具体的な作戦まで立案しておく必要がありましょう」


 自ら爆弾を投げ込んでおいてまたそれを拾って回収するエルモンド大佐。

 しかも軍事作戦そのものは自分に任せろと言わんばかりのまとめ方。

 なるほど、他の大隊長たちが彼に全権委任したのは単に年齢や階級のみならずこうした部分もあったのかとナンダス准将は腑に落ちる。


 ナンダス准将が小さく頷いたのを確認した参謀長がエルモンド大佐に向き直る。


「ふむ。ではそちらについてはエルモンド大佐、貴殿とノックホルト中佐、ガイム中佐の三名で進めてくれたまえ。作戦は最低でも二案、出来れば三案は欲しい。出来たら書面にまとめて報告するように」


 命令を受けたエルモンド大佐の目が怪しい光を放つ。

 心なしか表情も生き生きとしてきたように見受けられる。


「心得ました」


 我が意を得たりとばかりに口の端に好戦的な笑みを湛えてエルモンド大佐が頷く。


「では小官は早速立案に専念したいのでこちらで失礼させていただいても?」


「うむ、よろしく頼む」


 一瞬何を言ってるのかという表情を見せたナンダス准将を差し置いて参謀長が即座に了承してしまった。


 エルモンド大佐とその従卒が出ていくと、ナンダス准将は早速参謀長に真意を問う。


「なぜ大佐を行かせたんだ」


「いや、彼はもうこの後の話には興味がなさそうだったのでね。それなら出来ることをすぐにやってもらった方がいいだろう」


 二人になると参謀長の口調は同期のハウエルに戻るのだった。

 ナンダス准将の方も軍人めいた口調から友人としての口調に戻る。

 この空気になると何故か二人の従卒までリラックスした雰囲気になるのもいつも通り。


「身も蓋もないな、お前は」


 苦笑いをしつつ、納得するナンダス准将。


「それにしてもまさか大佐まであのように考えているとはな」


 ナンダス准将が感心したように話すのを参謀長はややご立腹の表情で見ていた。


「という事は貴殿もそのように考えていたのだな。くそ、水臭いではないか」


「内容が内容だけにさすがに口に出来なかったのだ。すまん。それに俺も大佐の言葉で初めて自分の中の疑念が確信に変わったよ」


「ではやはり陛下は迷宮自体を手に入れるおつもりだと!?」


「おい、気を付けろハウエル。ここは敵の領内だぞ」


 ナンダス准将が真剣な顔で諫める。


「あいすまん。つい興奮してしまった」


 手の平をナンダス准将に向けて頭を下げる参謀長。


「それについては今議論しても仕方ない。今日のところは明日の対策にだけ集中しよう」


「そうだな。うむ、その通り」


「で、さっきの軍の進入の話以外に何か有用な情報はあるのか」


「いや、それについてはまだ調査中だ。今夜中に何かわかればよいのだが」


「ふむ。なら現状で具体的に交渉の材料になるようなものが我々にあるだろうか」


 何もないと思っているナンダス准将がやや自虐的に尋ねると、参謀長の目が鋭くなる。


「カードは二つ。金と労働力だ」


「ん? 金はともかく、労働力というのはまさか兵のことか」


「当然だ。他に誰がいるというのだ」


「それはそうだが、仮にも皇帝陛下からお預かりしている兵を労働力になど……」


「その是非を今議論する余裕はないであろうに」


「ううむ……」


「とにかくその二つをうまくチラつかせて入国可能な人数・入国時期・手続きの簡略化と効率化・必要経費などを可能な限り譲歩させるのが我々の使命になる」


「交渉の過程で向こうから新たな条件が提示された場合はどうなる」


「いちいち持ち帰って判断などとやっていては連中の思う壺だ。我々二人に全権委任してもらうよう我らが師団長閣下に掛け合ってほしい」


「……わかった。それは何とかしよう。しかし最終的な落しどころはどうするつもりだ」


「落しどころか。ふふふ、我々の目的はあくまでも速やかに全軍を以て迷宮に進軍し第三十四階層の階層主を討伐する、ということで変わりはない」


「さすがにそれは無理難題が過ぎるだろう」


「いやいや、まずは帝国の威信をかけて今日の意趣返しをする必要があるとは思わんか」


「それではまた一日無駄にするだけではないか」


 ナンダス准将が呆れ気味にぼやく。

 そう言えば参謀長は昔からやられたらやり返すタイプの人間だった。


「貴殿は帝国の威信を無駄と申すのか」


「そうは言ってない。話をすり替えるなよハウエル」


「どのみち貴殿の言う落しどころとやらは連中の側では最初から決まっているはずだ」


「なにッ!? そうなのか?」


「あくまで俺の勘だ。だからその内容を出来るだけ早く晒してもらう必要がある。そこからが勝負と言ってもいい。まずはあのシドとかいう男の上官を引きずり出すのが鍵になるだろうよ」


「確かオグリム支部の支部長はマッカーシーとかいうんだったか」


「そう、そいつだ。そいつに直接圧をかけるのが一番効果的だと思う」


「なんだか楽しそうじゃないか、ハウエル」


 問いかけるナンダス准将の表情も充分楽しそうだった。


「そういう貴殿こそ。今回の遠征は間違いなく我々のキャリアのピークになるだろうから精々全力を尽くして最大の成果を勝ち取らんとな」


「同感だ。花を咲かせるにしろ散らすにしろ、だな」


「おいおい、俺はまだ散る気はないぞ」


「それは俺もだ。ところでお前、もし連中の落しどころが俺たちの容認できぬものだった場合はどうする?」


「その時こそ大佐たちの出番になるだろうな」


 ノータイムであっさり応える参謀長。

 あまりに自然体すぎてナンダス准将の方が気圧される。


「……いきなり、か?」


「いきなりだ。それくらいの覚悟で行かないと舐められるだろう」


「それはわかるが、覚悟するのと実際にやるのとは……」


 言い淀むナンダス准将を見て、ニヤリと意地悪な顔になる参謀長。


「それを覚悟が足りないと言うんだ、ナンダス」


 ナンダス准将は一瞬タイムスリップしたような感覚に陥る。

 参謀長がナンダス准将を名前で呼ぶのはもう何年ぶりになるか。

 懐かしくも嬉しい感覚が湧いてくるが、言われた内容はほぼ侮辱だった。

 だが、不思議と悪い気はしない。


「フフッ、なるほど覚悟が足りないか。そうかも知れん」


「そうだこの軟弱者め。帝国軍人の誇りを見せよ!」


「ベリオールの旗の下にッ!」


 突然起立したナンダス准将が右手の拳を左胸に当て、左腕を斜め前方に真っ直ぐ伸ばす帝国式宣誓動作をする。

 ちなみにそこから左腕を曲げて手を額に翳すのが帝国式敬礼である。


「ベリオールの旗の下にッ!」


 すぐに参謀長も続くと、慌てて従卒の二人も無言でそれに倣う。


 ナンダス准将は今や応接室へ入る前とは真逆の気分になっていた。

 大枠の方針が決まればあとは様々なケースを想定して対応策を用意するだけだ。


 参謀長と二人の話し合いは深夜にまで及んだ。




* * * * *




 クレイグ・ボッツ少将は簡易ベッドに横になったまま眠れぬ夜を過ごしていた。


 報告がないことからナンダス准将らはまだ会議中なのだろう。

 自分も加わるべきかという考えが何度も頭に浮かんだものの、彼らの自由な議論を邪魔するようなことになってはならないとその度に思い直してじっと耐えていた。


 もちろんボッツ少将自身にも考えはある。

 しかしそれよりもナンダス准将やシュタインベルガー参謀長らが思慮を重ねた結果をまずは聞きたいという気持ちの方が強かった。


 立場上は自分が上官だが、年長者で経験豊富な二人を心から信頼していたし、短気激情型の自分を見限らずにここまでついて来てくれた事に感謝もしていたのだった


 それなのに今日またナンダス准将を詰るような言動をしてしまった……。


 全ては自分の責任だ。

 今回の任務の結果がどうなろうとも全ては自分の責任になる。


 最初から困難な任務なのは明白だった。


 勅令とは言え、突然降って湧いたダンジョン攻略という役目は自分の身の丈に合っているとは言い難かった。

 しかしもちろん断ることなど許されるはずもない。


 帝国軍は四師団から構成されており、それぞれの役割は以下。


 第一師団は帝都防衛が主たる任務で帝都を離れるなど言語道断。

 第二師団は帝国軍の中でも最大規模を誇るが、その任務は国境警備であり各隊が東西南北へ散って国土を守っている。

 第三師団は戦闘のスペシャリスト集団で、現在はバルマスの緩衝地帯における王国との紛争に大半が出兵中。


 というわけでボッツ少将率いる第四師団――通常は帝国領内の治安維持や来賓の移動中の警護などを担当――に白羽の矢が立ったのだった。


 第四師団の兵士には各領地の自警団や関守(門番)あがりの兵士が多く、後は冒険者をやっていた者がいるような感じでいずれにしろ対人戦闘がそれほど得意というわけではない者が集まっていたのだった。


 当然、軍として日々戦闘訓練は行っているが、実戦となるとまた別だ。

 任務には領内の魔物討伐などもあったりしたので、圧倒的にそちらの経験の方が多かった。


 その辺りも今回の遠征を任される要因になったのかもしれない。

 貴族出身の兵が少ないのも、こうした長征に出すには好都合だった面も少なからずあったと思われる。


 ボッツ少将自身経験はないものの、魔物討伐なら第四師団で充分対応可能だと考えていた。

 問題はダンジョンという場所と、もうひとつの任務についてだった。


 前者はともかく、後者は考えるだけで頭痛が酷くなる。

 いや、前者だけでも十分に頭が痛いのだった。


 もうひとつの任務についてはボッツ少将には口頭で説明があり、任務遂行の指示があるまで他言無用とのことだった。


 ナンダス准将や参謀長にまで秘密にしておくのがまずボッツ少将にとって心苦しかった。

 

 しかも任務遂行の指示についての詳細も説明がなかった。

 宰相からはその時が来ればわかる、の一言のみ。

 作戦遂行の責任者であるボッツ少将に対してでさえ異常なまでの情報統制がかかっていた。


 果たしてその指示というのはいつ誰によってどのようにもたらされるのか。

 この点もボッツ少将の精神を常に削り続けるストレスの一因だった。


 宰相はわざとこのような形で自分を試しているのだろうかとも考えたが、万が一失敗するリスクに対して自分の試練などあまりに釣り合わなさすぎる。


 考えても仕方がないというのは頭ではわかっているものの、責任の重圧からどうしても頭から離れないという悪循環の無限ループ。


 そうしてボッツ少将が導いた結論が、裏ミッションはさておき表ミッションだけでも絶対に完遂しなければならないということだった。


 それなのに今、ダンジョンに入ることすらままならない状況に追い込まれている。

 ギルドの連中が帝国憎しで妨害工作を仕掛けてきているのか。

 あるいはこちらの意図をなんらかの方法で事前に察知していたのかもしれない。


 だとすると、自分の首が真っ先に狙われる可能性もある。

 もしそうなったら……。


 そうなった場合の遠征隊の行動指針についてナンダス准将には伝えておく必要があるな、と思い至ったボッツ少将はがばと簡易ベッドから起き上がると、ベッド横の机に座って一心不乱に何かを書き始めた。


 この男、少なくとも自らの暗殺の可能性にただ怯え惑う臆病者ではなかったらしい。

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