032.ギルド指名
「おはよーケイトさん」
ケイトが案内課の事務所に入るなりヤンが大きな声で中から挨拶をしてきた。
「あらヤン君おはよう。今朝は随分早いわね」
「えー、だってケイトさんが朝一番に来いって言ったんだよ」
不満そうに頬をぷくっと膨らませてヤンが糾弾する。
か、かわいい……とケイトは朝からきゅんとするもそんな素振りはおくびにも出さない。
「それはそうだけど、まさかこんな早くに来てるなんて……」
ケイトがもごもご言ってるところへ後からアイシャが出勤してきた。
「おはようございますケイトさん、そこ邪魔ですよ……あ、ヤン君! 珍しいわねこんなに早く」
入口のドアの前に立っていたケイトを押しのけるようにしてアイシャが入って来る。
「アイシャさん、おはよー」
ヤンが軽く手を振って応える。
アイシャのやぶにらみの目がぎょろっと動いたのはケイトのもごもごと同じような理由かもしれない。
「おはようアイシャ。ちょっとヤン君と話があるから暫くここお願い出来るかしら」
「えっ、いきなりヤン君独占ですか? ずるいですよケイトさん」
「違うわよ何言ってるの。ヤン君を連れてくるよう支部長に言われてるのよ」
「あ、じゃあ留守番してまーす」
しれっと背を向けて自分のデスクに向かうアイシャ。
分が悪いのを悟ったため、なかったことにしようとしている模様。
「それじゃヤン君、行きましょうか」
「ギンガミルさんのとこ?」
「ええ、そうよ」
「久しぶりだなーギンガミルさん。まだ腰痛いのかな」
「さぁ……それはどうだったかしら」
ギンガミルが腰痛持ちだという話はケイトは聞いたことがなかった。
ヤンとギンガミルの関係についても実態はよく知らなかったので、予想以上に親しそうな口ぶりにも少々驚いた。
「アイシャさん、またねー」
「またねー、ヤン君」
てけてけと歩きながらアイシャと言葉を交わすと、先にドアを開けて出ていくヤンをケイトは慌てて追いかける。
* * * * *
「おお、ヤン君。久しぶりだね」
支部長室に入るなり、ケイトが今まで聞いたことがないような上機嫌な口調でヤンに声をかけるギンガミル。
「ギンガミルさん、おはよー」
ヤンは誰に対しても分け隔てがないが、気持ち声のトーンに親しみがプラスされているようにケイトには思えた。
「おはようございます支部長」
「おはよう、ケイト君。早くから呼び出してすまなかったね」
「いえ、とんでもありません。それでご用件というのはいったい……」
「まぁまぁ、そう急がなくともいいじゃないか。まだ来ていない者もいるし、少しヤン君と話してもいいかね」
「え、ええ。もちろん構いません」
来ていない人がいるというのが気になったケイトだが、それも来ればわかることだと思い直す。
「ヤン君、正規の案内人就任おめでとう。ようやく、といったところかな」
ギンガミルの言う通り、ヤンはつい先日十二歳の誕生日を迎え、それをもって見習い案内人から正式な案内人へと昇格したのだった(正しくは正規職員として再雇用)。
現在はスタルツ所属のE級案内人というのがヤンの肩書になる。
「そうでもないよ。十二歳になったってだけのことだし。見習いも結構楽しかったから」
「そうか、楽しかったか。それは良かった」
「それよりギンガミルさん、腰はもういいの?」
「いやそれがなあ、一時期は本当に辛かったんだがネックス君から聞いたヤン君の方法を試してみたらあっという間に痛みがなくなったんだよ。まるで魔法みたいだったねぇあれは」
「そっか、効いたんだ。良かったね」
「うんうん、本当に助かったよ。ありがとうヤン君」
完全におじいちゃんと孫の会話になっているなぁとケイトは置物になったまま聞いていた。
「どういたしまして。まだまだ恩を返し足りないから、これからも何でも相談してよ」
「それはもういいと言ったはずだよ。気にせずヤン君のやりたいようにやりなさい」
「そうだけど、でもやっぱり恩は返さなきゃ。とうちゃんもそう言ってたし」
「そうか……エルが……そうか……」
ヤンの口からエルの話が出たのでうっかり涙声になってしまったギンガミル。
横で聞いていたケイトも慌てるが、自分がしゃしゃり出る場面ではないと空気を読む。
ヤンも半ば呆れた様子でギンガミルが我に戻るのを待っている。
トントン。
その時、ドアがノックされた。
「うむ、開いておるよ」
ギンガミルが己を鼓舞して声を張る。
「失礼します」
ドアから入ってきた面々を見てケイトは一瞬息が止まるかと思った。
ネックス課長を先頭に、オリバー課長、メルクリオ課長、更にはハキーム局長にアマギ局長まで。
スタルツ支部の首脳陣に加えてバルベル迷宮ギルドのトップクラスの人間までわざわざやって来るとは、一体今日の用件とは如何なるものなのかとケイトは緊張のあまり急に胃が痛くなる。
しかし極め付けは最後の一人だった。
「陛下ッ」
思わずギンガミルも立ち上がって頭を垂れる。
ケイトもすぐに倣って四十五度に礼。
ヤンだけは何食わぬ顔で突っ立ったまま自然体。
あろう事か笑顔で手を振ったりし出したので(誰に?)慌ててケイトが無理矢理頭を下げさせた。
ギンガミルの反応から察するにオスカーは来る予定ではなかったものと思われる。
「待たせてすまなかったね、フィリップ」
「いえ、とんでもございません。まさか陛下自らお見えになるとは思わず失礼いたしました」
オスカーがギンガミルに詫びを述べるとギンガミルは完全に本来の自分を取り戻した様子でしっかりと答える。
「サプライズだよ、フィリップ。私だってヤン君に直接会って話したかったのだ」
(ヤン君に? ギルドマスターが一体どういう用件で?)
ケイトの頭はぐるぐる同じ問いが繰り返される無限ループ状態。
(そもそも私なんかがこの場にいてもいいのかしら)
ふと思った疑問を、しかし誰に確認してよいものやらわからず途方に暮れるケイト。
「ヤン君、久しぶりだね。だいぶ背が伸びたみたいで見違えたよ」
オスカーはヤンに向き直ると親しげに声をかけた。
「おはよー、オスカーおじさん。身長は今百六十を超えたところだよ」
「ほぅ、そんなに。これからが楽しみだね」
ケイトの知る限りオスカーは未婚のはずだが、まるで息子を見るような眼差しだった。
「積もる話はあるが、まずは用件を済ませようじゃないか」
* * * * *
「さて、ヤン君。今日君に来てもらったのは他でもない私から直々に頼み事があるからなんだ」
オスカーはここでひと呼吸置く。
誰もが押し黙ってオスカーの話の続きを待つ。
ヤンはきょとんとした表情。
ケイトは目がまんまるに見開かれて飛び出そうなほどの驚愕ぶり。
他の面々が至って冷静なのは事前にあらましを聞いているためなのだろう。
「ヤン君は外の世界のことについてはどの程度知識があるのかな」
「うーん、あんまりない」
ケイトがヤンの方を向いて驚きと怒りの表情で口をパクパクしているのはおそらくギルドマスターに対してその口の利き方は的なお小言を言いたいのだろう。
「この塔も含めて我々が生きる土地――大地と言った方がいいかな。レムデール大陸と言うのだが、それは知っているかな」
「うん。学校で習ったよ」
「そうか。ではそのレムデール大陸で一番大きな勢力を誇る国はどこかな」
「えーっと、確かなんとか帝国じゃなかったかな」
「ベリオール帝国だ。今のが試験なら落第だよ、ヤン君」
「あはは。ボク勉強はあんまり得意じゃなかったからなぁ」
「ふむ。まぁそれはさて置き、そのベリオール帝国がバルベル迷宮の攻略を目論んで軍を派遣して来たらしいのだよ」
「え?」
「えっ!?」
ヤンとケイトがハモる。
複数の視線に直撃され、すぐさま口に手を当てて背筋を伸ばし虚空を真っ直ぐ見つめるケイト。
「帝国の軍隊が攻めて来るの?」
「いや、正しくは攻めて来るのではなく、あくまで迷宮攻略を目的に行軍して来るというのが向こうの言い分だ」
「あ、あの! よろしいでしょうか、陛下」
ケイトが虚空を見つめたまま手を挙げる。
「なんだね、ケイト君」
まさかギルドマスターに直接名前を呼ばれる日が来るとは今この瞬間まで夢にも思わなかったケイトは更に緊張三倍くらいの勢いでビクリとするが、必死に気力を振り絞って発言する。
「タリムは帝国軍の入国を認めたのでしょうか」
「なかなか鋭いね、ケイト君。そこがひとつ問題なのだがまぁ結論から言うとその通りだ。タリムは帝国軍の入国を認めた。実に愚かなことだ」
穏やかに話すオスカーの言葉に僅かだが確実に怒気が含まれているのを誰もが感じた。
「そういうわけで後数日の内に帝国軍がオグリムにやって来るだろう。そこでだ――」
またもひと呼吸置くオスカー。
「ヤン君、君に帝国軍の案内を頼みたい」
「ボクに?」
「そうだ。正確にはスタルツからセインまでの案内を頼みたいのだ」
二十階層移動!
ケイトは声が出そうになるのを辛うじて堪えた。
間に町を挟むとは言え、連続二十階層の案内業務は現在ではほとんど実施されなくなった過酷な任務だった。
それを案内人に昇格したばかりの者にさせるなど常軌を逸している。
ケイトはヤンのために即座に異議申し立てしたい所だったが、相手が最高権力者たるギルドマスターであることに加え、他の面々の様子からこれも既に周知済みの既定路線である事を察し、忸怩たる思いで押し黙るしかなかった。
「オグリムまでは誰が案内するの?」
しかしヤンの関心は全く別の極めて冷静な業務上の確認事項にあるらしかった。
「ふむ。今の所候補に上がっている者の内、有力なのはC級のモーガンという者らしいね」
「えっ、おっちゃんが? そっか、それなら安心だね」
「知り合いなのかね?」
「うん、見習いになってすぐの研修でお世話になったんだ。今も仲良くしてるよ」
三十歳近く年上の先輩なのだが、ヤンにとっては友達感覚なのだろうか。
「ほぅ。では二人で帝国の連中をセインまで送り届けてほしい。どうかな、ヤン君」
「……帝国軍って何人?」
少し間を置いたヤンはオスカーの問いには答えず質問で返す。
「これは失礼。大事な情報を伝えずに答えを求めるなど公正さを欠いていたね。申し訳ない」
オスカーがしっかり頭を下げる。
基本的に得体の知れない雰囲気ではあるが、このように誠実な態度が時々垣間見られる所がオスカーの人気の一因でもあった。
「帝国軍だが、今現在こちらに向かっているのは三百人規模だという話だ」
「三百人!?」
さすがのケイトもこれにはとうとう声が出てしまった
そのケイトに対してオスカーは片手を上げて制すると、話を続けた。
「もちろん、この三百人全員がバルベルに入ることなどありえないことだ。私が認めない。これまでのルール通り、塔内の集団行動は一グループ三十人までが最大人数というのは変わらない。帝国には三グループまでという制限で入ってもらうつもりだ」
「じゃあ九十人だね。案内人は何人?」
「三人だ。足りないとは思うが、帝国に対して手厚いサービスをしてやる必要はないだろう。そこで最低限の道案内業務だけという条件なら許容範囲内だと思うのだがどう思う?」
「そうだね。でももしその人数が好き勝手始めちゃったら案内人三人じゃ手に負えないんじゃないかなぁ」
「その時はなに、アレだよヤン君。ガイドラインの第十九条だよ」
「緊急対処措置?」
「そうだ。思う存分やってくれて構わないよ」
「やって欲しいみたいに聞こえるけど」
「ははは、本音を言うとそういう気持ちがないとは言い難いね。まぁ今後のことを考慮するなら今回は何の成果もなくおとなしく退散して戴くのが一番良いのだが」
「中層の魔物が倒せるくらいの力はあるの? 軍隊の人って基本的に対人の集団戦に特化してるんでしょ? 迷宮の魔物相手に本当に戦えるのかなぁ」
「さすがよくわかっているねヤン君。まさしく帝国はそこの見極めを誤っているように私も感じているのだよ」
「でも道案内だけなら討伐には手を貸さなくていいんでしょ」
「もちろんだ。盛大に自滅していただこう」
「うーん、なんか可哀相」
「優しいね、ヤン君は」
「別にそんなんじゃないけど。でもそれだとセインどころかエンダにも辿り着けないと思うよ」
「そう、そこでヤン君の出番だ」
「ボクの?」
「適度に露払いをして欲しいんだ」
「あー、そういうことか」
「できるかね」
「できるけど、ちょっとメンドクサイ任務だね、これ」
ケイトのみならず、ネックスもこめかみがピクリと動くほどの物言い。
オリバーも仮面を被っているのが限界に近づいたのか、顔面を真っ赤にして怒りを隠さなかった。
他にオスカー以外ではギンガミルとリンの二人が面白そうな表情で微笑んでいた。
「ははは、まぁそう言わずに頼むよ」
「うん、わかった。いいよ。でもなんでわざわざセインまで行かせるの?」
「帝国の面子を潰さないため、かな」
「面子かぁ、ボクにはまだわかんないなー」
「そのうちイヤでもわかる時が来るさ。さぁ、それじゃあ本日のハイライトだ。サイラス」
「はい。こちらに」
オスカーに呼ばれると即座に懐から何かを取り出して手渡すハキーム局長。
「ヤン君、本日より君をC級案内人に昇格とする」
「えっ?」
「ええッ!?」
またしてもヤンとケイトがハモるが、今度は明らかにケイトの声がヤンの数倍大きくて目立ちまくる。
「ケイト君ッ」
これには思わずネックスも釘を刺さずには居られなかった。
「すみません、課長」
またも口に手を当てて直立して虚空を見つめるモードに入るケイト。
オスカーがヤンに手渡したのはC級の証になるエンブレムだった。
正規の案内人になると身分証明代わりに制服の肩の部分にエンブレムを付けることになっていた。
エンブレムは階級によって異なるデザインとなっており、ギルドの人間であればひと目見ただけでその案内人の階級がわかるような仕組みになっているのだった。
ヤンは驚いた表情のままエンブレムを受け取ると、続いてC級昇格の認定書も受け取る。
「よし、これでヤン君も晴れてC級案内人だ。セインまでの永久通行許可が出たんだ。おめでとう」
「あ、どうも。ありがとう」
オスカーの喜びように対してヤンのポカーンが実に対照的。
「フンッ」
小さく鼻息で抗議の意思表示をしたのはオリバーらしいが、さすがに表立って騒ぐことはしなかった。
「諸君。これは確かに前例のない飛び級になるが、ここにいる全員の了承の上で私が許可した正式な人事だ。今後の対処については引き続き諸君の協力をお願いしたい」
頷く者、返事をする者様々だがケイト以外の全員が(あのオリバーでさえ)承認した様子であるのは間違いなかった。
逆にケイトは自分だけ蚊帳の外にいるのを実感して居たたまれない気分だったが、ヤンの昇給自体は素直に認められるし喜ばしいことだと思っていた。
「では私の用件は以上だ。後は任せるよフィリップ」
「はい陛下」
ギンガミルが頭を下げる。
「ではヤン君、セインに着いた時にでもまたゆっくり話そう」
既にドアの方に歩き始めながらヤンに声をかけるオスカー。
「うん。C級にしてくれてありがとう。オスカーおじさん」
オスカーはドアの前で立ち止まってヤンの方に向き直る。
「いやいや、君の実力ならC級でもまだ足りないくらいだよ。次の昇格試験も受けるといい」
「わかった。やってみるよ」
「うむ。では失礼するよ」
ハキーム局長とリンを従えて出ていくオスカー。
スタルツ支部の面々だけが支部長室に残った形になる。
「支部長、本当に大丈夫なんですか?」
ケイトが開口一番にギンガミルに迫る。
「まぁ細かい部分はこれからみんなで調整することになるだろうが、大丈夫だろう。なぁヤン君」
「ん? なにが?」
「話を聞いておらんのか貴様はッ」
我慢に我慢を重ねていたであろうオリバーがとうとう口を開いた。
「何がC級だ。ギルドマスターのコネを使って昇級など本来あってはならんのだ。貴様というヤツは何から何まで特別扱いされ過ぎているッ。真っ当に頑張っている他のギルドスタッフに対して申し訳ないとは思わんのかッ!」
「えーっと、なんかごめんなさい」
何を怒られているのかいまひとつわかっていないのか、ヤンはとりあえずといった風の謝罪。
それが益々オリバーの怒りに油を注ぐ。
「なんかとはなんだッ! 人を馬鹿にするのも大概にしろッ!」
今にも掴みかかりそうな剣幕で怒鳴り散らすオリバー。
まぁまぁととりなすネックスの声も全く耳に入っていない模様。
その時、ドアが再び開いてハキーム局長が顔を覗かせた。
「何かありましたかな。騒々しい声が外まで聞こえていますよ」
オリバーが直前のポーズのまま完全にフリーズ。
顔面蒼白になって唇もわなわなと震えている。
あまりのことにハキーム局長の方を振り向くことすら出来ない。
「ハキーム局長がああ仰ってますが、どうなんですかオリバー課長?」
ケイトがわざとオリバーに話を振る。
「な、ななな、なんでもございませんッ。ちょっと持病の癪が出た……のかな、うん。もう大丈夫……です」
あからさまに不自然な言い訳と口調だったが、そこは全員スルーするしかなかった。
「そうですか。ではお大事に」
ハキーム局長はそう言ってドアを閉めたが、オリバーはまだ動けずにいた。
「では私たちもそろそろ。行こうかケイト君、ヤン君も」
ネックスが絶妙なタイミングで声をかける。
「はい。では支部長、失礼いたします」
「じゃあね、ギンガミルさん」
三人がそそくさと出ていくと、ギンガミルとオリバーは一層気まずい空気の中に取り残されたのだった……。
* * * * *
ヤンのC級案内人昇格の話はその日の午前中のうちにほとんどのスタルツ職員が知るところとなった。
誰もがそれを当然のことのように受け止めヤンを祝福してくれた。
皆さんご存じの絶対アンチヤンの御仁を除いては(笑)。
ヤンはその日の夕方の稽古の時、珍しく夕方にも顔を出したダミアンから例の名前の件を打診されたが、意外にもその提案をアッサリ認めたのだった。
「いいんじゃない、別に」
の一言に三人ともやや拍子抜けしたのは言うまでもない。
しかし、すぐにC級昇格のお祝いの話で盛り上がったのでチームヤン結成の日は大変お目出たい日としてメンバー全員の記憶に刻まれたのだった。





