028.天城ドリル(二)
「今日はこれから魔物討伐に行くよ」
ヤンが開口一番に宣言すると、おおっと門弟たちから声が上がった。
「でもこれは討伐任務じゃないから魔物を倒すのが目的じゃなくて、実際に魔物を相手にしていつもと同じことをやるんだよ」
途端に騒つくがまぁ当然の反応だろう。
魔物と戦うというのにいつもの訓練と同じというのは普通に意味がわからない。
その騒つきが収まらぬうちにヤンが続ける。
「だから武器なしで魔物に打撃を与えたり、魔物の攻撃をしっかり受け止めて耐えることを最優先に考えて動くこと」
一層大きくなる騒つき。
気持ちはわかる。
「ヤン教官!」
堪らずリュウ師範代が手を挙げる。
「なに?」
「魔物と素手で戦うのですか」
「そうだよ」
「それは……危険ではないのですか」
「ちゃんと訓練通り出来れば大怪我はしないから大丈夫」
「しかし……」
リュウ師範代が言い淀んでいるところへ横槍が入る。
「なぁ教官、もしなんかあったらどう責任取るんだ?」
声の主は特別門弟枠のダミアン二十七歳。
審判一番隊のメンバーで格闘術の心得もある剣闘士だった。
まだ今回のキャンプでの成果は出ていないはずだ。
「うーん、ボクは見習いだからたぶん責任は偉い人が取ってくれるんじゃないかな。どういう意味の責任かにもよるけど」
「くははは、なるほどな。確かにそうだわな。すまん、興味本位で聞いただけだ。忘れてくれ」
「ヤン教官、せめて私とネイサンだけでも武器の使用を許可してほしい。門弟を守るのも師範代の務めなんだ」
ダミアンの無駄話の間に冷静さを取り戻したリュウ師範代がヤンに嘆願する。
「うーん、じゃあ木刀ならいいよ」
「木刀……いや、それでもないよりは……」
「ヤン教官、それで結構です。ご配慮感謝いたします」
迷っているリュウ師範代の代わりにネイサン師範代が了解して謝意を伝える。
「ネイサン……」
「いいんだリュウ。俺たちで守ろう」
「わかった。やろう」
ようやく二人とも納得したらしいのでヤンが話を続ける。
「でもなるべく手は出さないでね」
言われた二人は一瞬唖然とするも、すぐに唇を噛み締めて承諾する。
「わかりました」
「じゃあタッつん」
「うん。それじゃ今から討伐用の班分けを発表します。名前を呼ばれたら前へ出てきてください……」
タッツォールが班分け作業をしている間、ヤンは特別枠組のダミアンとレツを呼んで個別に指示を伝えていく。
「二人とも今回の討伐訓練ではソロで動いてね。好きなだけ倒していいけど、門弟の人たちの獲物を奪ったり邪魔しないように」
「いいねえ、ワクワクするぜ」
ダミアンが舌舐めずりしそうな顔でヤンの肩を抱いてくる。
「それはありがたいが、門弟たちのフォローはしなくていいのですか」
審判二番隊から参加のレツ・アマギはリンの弟らしい真面目さで確認してくる。
「大丈夫。そっちはボクたちでやるから。それに今この階層は高潮だから実際問題として魔物の数を減らす役が必要なんだよね」
「なにっ、高潮だと?」
「本当ですか、ヤン教官」
「うん。まぁ行けばわかるよ。結構すごい数だから、出来れば先行してどんどん数を減らしてほしいな。あ、でも多少はわざと後ろに回してね」
楽しそうだったダミアンの表情が硬くなる。
Bランク相当の実力者なら下層の魔物程度なら問題ないはずだが高潮となると話が変わってくるのだ。
魔物のレベルと絶対数。
決して油断できないものになる事を今この場で確信した顔だった。
「それじゃ、俺たち二人は普通に剣で戦っていいってことですね」
レツは冷静に条件の確認をしてくる。
「うん。ただ折角だからなるべく同じ動作で倒してほしいかな。スキルを使うなら全部同じスキルを使うとか」
「おいおい無茶言うなよ……」
「いや、わかりました。下層の魔物なら高レベルでもスキルなしで倒せるだろうから、何とかなるでしょう」
ダミアンの不満に被せるようにレツが続ける。
「だがなレツ……」
「ダミアン先輩もたまには遠慮なしに思う存分暴れたいんじゃないですか?」
「……いいのか?」
「ヤン教官、構いませんよね?」
ダミアンから求められた答えをヤンに振るレツ。
「うん、いいよ」
「くははは。いいねえ、話のわかる教官だ」
「ヤン教官、先輩は実は格闘も得意なんですよ」
「へー、そうなんだ。一回手合わせしてみたいなぁ」
「……望むところだ」
ダミアンの目はマジだった。
「それじゃ後でね。とりあえず討伐の方をよろしく。一応二人の訓練も兼ねてるから頑張ってね」
「わかったわかった。仰せの通りに、教官」
ダミアンが不適な顔に戻っていた。
今回の討伐訓練を安全に実施するためには、防波堤としての二人の働きが一番重要になるのだった。
一方、タッツォールの方もだいたい終わりそうな気配。
「今決めてもらったトドメ役の人以外は魔物を倒してしまわないよう注意してください。魔物の状態をよく観察するのが大事になります……」
タッツォールの説明の後に予定されている質疑応答が終わればいよいよ討伐へ出発となる。
* * * * *
下層はほぼ全域が鍾乳洞ライクな洞窟フィールドになっていた。
メインルートの一部は多少整備されているものの、ほとんどの行程は道なき道、岩場ガレ場の連続で水場の近くは滑り易いなど、底層と比較すると移動自体の難易度が高い。
底層との違いでいうと、光源の心配があまりない点が挙げられる。
鍾乳石のような岩自体が発光しているのでフィールド全体が暗闇になるような場所は極一部を除くとほぼない環境だった。
また、水の中に生息している微生物にも発光する種類があるらしく淡いグリーンと青色に光っているので 水場の周囲も大抵明るかった。
加えてメインルートに添って例の塗料が一本線で引かれているといった具合なので、ベルトーチの活躍する機会はほぼゼロ。
水場はかなり多く、小川から急流、池、湖などバリエーション豊かで外観上は飽きがこない。
出現する魔物の種類も豊富で平常時でも亜種が多く確認されるのが特徴とされている。
キャンプのある第十八階層は複雑な地形になっているところが多く、メインルートやベースキャンプ以外はほとんど人が通らない階層だった。
そのことが高潮の原因にもなるのだが、よほどのことがなければ高潮になってもメインルートまでは魔物が溢れてこなかったため(そういうところをメインルートにした)、放置されがちになっているのも事実だった。
今回の討伐訓練ではわざわざその人の通らないエリアに踏み込んで行くことになる。
高潮の状況把握と可能であれば鎮め、少なくとも間引きぐらいはやってほしいというのがギルドからの要望だった。
マストではないものの極めてそれに近いニュアンスの要望。
「まったく、イヤんなっちゃうよ」
ヤンが隣で呟くのを耳にしたタッツォールもほとんど同じ気分だった。
ヤンと一緒に始めた体力養成キャンプが回を追う毎に色んな余計なものがくっ付いてきて、あれこれ面倒になってくるのには心底うんざりしているのだった。
タッツォールでさえそう感じているのだからヤン本人はどれだけストレスを抱えているのだろう。
とはいえ考えても仕方がないのでタッツォールは聞こえないフリでついて行く。
「ダミアンさん、レツさん」
ヤンが呼びながら二人の方へ移動していく。
「そろそろ魔物のいるエリアだから先行して」
「わかった」
「承知した」
ダミアンとレツが走って先へ行く。
(大丈夫かな)
タッツォールが心配そうに見送る。
いざとなればヤンが助けに行くのはわかっているが、万が一怪我でもされたら審判の総隊長にクレームを入れられるんじゃないか。
いや、クレームだけで済めばいいが何か代償や処罰なんてことになったら……と要はビビりまくっていたということだ。
「始まったみたいだよ」
ヤンがサラッと言ったのは先程の二人が魔物と交戦状態に入ったということなのだろう。
ちょうど本隊もひらけた場所に出た。
「タッつん、ここで」
「わかった」
タッツォールは師範代二人に合図を送って、停止して班毎にまとまるよう指示を出すとすぐに六つの班がまとまった。
各班は四、五名で構成されており、年代も偏らないように平均してあった。
一番年長者を班長に、一番年少者をトドメ役にしてあり、魔物が充分弱ってからトドメ役が短刀で仕留めるよう指示してあった。
また、班長には木刀の携帯が許可されていて、緊急時に必要と判断した場合に限り使用するよう厳しく通達されていた。
短刀も木刀も当初の予定にはなかったのだが、班分け後の質疑応答の際に師範代や門弟たちから突き上げを食らう形で渋々認めざるをえなくなったという次第。
気付くとヤンが先発隊と本隊との間に入るような位置に移動していた。
先発隊をかいくぐってこちらに来る魔物への対応をするためだ。
師範代二名はそれぞれ三班づつをフォローするような感じに位置取っていた。
「くるよっ!」
ヤンの声とほぼ同時に奥から魔物らしい影がやって来た。
トカゲだ。
タッツォールも一目でわかる、比較的戦いやすいとされる下層のメジャーな魔物。
体長二~三メートルと大型のトカゲで動きはやや鈍いが体力値が高く、突進と噛み付き、尻尾の攻撃が主な攻撃手段とされている。
正式名称はコモディスというらしいがみんなはトカゲと呼んでいるのでタッツォールもその呼称しか知らないのだった。
(高潮ならきっとレベルも高いんだろうな)
と思ったその時にヤンの攻撃を食らったトカゲがこちらに吹き飛ばされて来た。
「うわっ!」
ドンと重い音で落ちて来たトカゲを避けるタッツォール。
次々とトカゲが飛ばされてくる。
ヤンがある程度体力を削ってからこちらに回してくれているのだ。
気を取り直して声を張り上げるタッツォール。
「各班一匹ずつ対応して!」
「はいッ!」
元気な返事。
門弟たちにそれほど恐怖はないということらしい。
あるいは自ら鼓舞しているのか。
六匹吹き飛ばした後のヤンはそれ以上トカゲがこちらに来ないよう適当に足止めにまわっていた。
ヤンが相手にしている分は今のところ五匹。
こちらの各班も思った以上に善戦していて、それぞれトカゲの噛みつきや尻尾をしっかり避けつつ打撃を加えていた。
中には尻尾に吹き飛ばされる者もいたが、ガードと受身が出来ているので擦り傷程度ですぐ復帰できている様子だった。
吹き飛ばされずに尻尾をしっかり受け止める者もいて、タッツォールは何年も修行してきた人のポテンシャルに改めて感心するのだった。
師範代たちも心配が杞憂だったのを実際に確認できて、どこか誇らしげな、そしてまた一方で手持ち無沙汰な複雑な表情で見守っていた。
「やったぞ!」
勝鬨の声が上がる。
どうやらトカゲを倒した班が出たらしい。
ちゃんと削りきってから倒したのならいいが、気持ちが逸ってのものだと困るなぁなどと考えてつつ声の方を眺めるタッツォール。
「ああ、ゼノスか……」
よく見るとキャンプ唯一の二度目の参加者がいる班だった。
ゼノス自身がトドメ役になっていたようだ。
しかし喜びも束の間、同じ班の近くにまた新たなトカゲが吹き飛ばされてきた。
(相変わらずよく見てるなぁ……ゲッ!!)
タッツォールが感心しながらヤンの方を見ると、トカゲの他にトサカまで相手にしていて驚く。
トサカは正式名称ランプリオス。
翼のない鳥獣種でハダカドリと最初は呼ばれていたらしいのだが、次第にトサカに落ち着いていったらしい。
噛みつき、突進、尻尾、ジャンプからの踏み付け、鉤爪など多彩な攻撃手段があり、素早く力も強いので下層の魔物の中では中程度の難易度(平常時)とされていた。
(さすがに門弟たちにトサカはちょっと荷が重いんじゃ……大丈夫かなぁ)
またも心配するタッツォール。
せめてトカゲのストックがなくなるまではヤンの所でキープしておいてもらいたいものだ。
* * * * *
「ダミアン先輩ッ! 大丈夫ですかッ!」
レツがトサカの首を一文字に斬り捨てながら叫ぶ。
「問題ないッ! そっちこそどうなんだ」
ダミアンは刃渡四十センチ程の逆手剣を両手に持ってトカゲの尻尾をぶった斬ると残った胴体の方もズタズタに切り裂いて血飛沫の舞う中、笑っていた。
「キリがないですね、これは」
出来るだけ同じ攻撃で倒す、というヤンの課題は二人とも完全に失念しまっていた。
それほど忙しかったのだ。
「高潮なんだ。これぐらい当然だろうが」
「先輩は高潮の経験あったんですか」
「ん、まぁな。おしゃべりは止めだ。集中しろ」
急に話を打ち切ったダミアン。
レツは何かマズイことでも聞いたのかと一瞬思ったが、今は目の前の魔物に集中する。
もうかれこれトカゲは三十匹以上、トサカも十匹は倒している。
それでも結構な数を後ろへ逃がしてしまっていた。
追って倒すべきか、ここで踏ん張るべきかレツは悩んだが傍らのダミアンは全くそんなことは気にする様子もなく前からやってくる敵に対応しているので、ここを一人にするわけにはいかないと後者を選んだのだった。
なに、後ろにはたぶんヤン教官がいるのだ。
きっと何とかしてくれているだろう。
姉のリンから少しだけは話に聞いていたが、実際に会ってその実力に触れてみると自分の想像していたレベルを軽く凌駕する驚異的な強さにレツは戦慄するほかなかった。
(バルベル最強の噂は真実だったな……)
元三番隊隊長改め『正義』リーダーのディオが言っていた話を思い出す。
酒の席での戯言という前置き付きだったが、もう既にそんな所でも話題になるほど知られていることに驚きを禁じ得なかった。
(まだ十一歳だったか……)
幼気な少年が政治利用されたりするのだけは見たくないものだとレツは強く思うのだった。
「おっと、もう打ち止めか」
ダミアンが残念そうに言う声で我に返るレツ。
いつの間にか考え事に嵌って、惰性で戦ってしまっていたらしい。
「落ち着いたみたいですね」
後から後から湧いてきていた魔物がパッタリ出てこなくなっていた。
「いや、待て」
ダミアンの目が鋭くなる。
レツ自身もほぼ同時に何かただならぬ気配を感じていた。
「大物のお出ましだな」
ダミアンが言うのと同時に奥から一際大きな影が近づいてくるのが見えた。
* * * * *
「これは無理だ」
「動きが早すぎる」
「痛ッ!」
タッツォールの右後方の班から泣き言が聞こえて来た。
トサカはやはり門弟たちには荷が重いのかもしれない。
とは言え、なんとか立ち回っている班もあるのだからやれば出来る範囲なのだ。
ヤンの見立てに間違いはなかった。
それにしても苦戦している班へのサポートは?
師範代は何をしているのか。
「タッつん!」
ヤンが急に戻って来たのでタッツォールは驚いた。
「どうしたんだ?」
「ちょっと前がピンチみたいだから行ってくる。こっちはよろしく!」
言い終わらないうちに走り出したヤンはあっという間に視界から消えてしまった。
「よろしくって言われてもなぁ……」
タッツォールにもトサカを倒す自信はなかった。
* * * * *
「なんだコイツは」
「デカいトサカですね」
確かにトサカを二回りほど大きくして抹茶色に塗ったような魔物だった。
体長は十メートルを超え、体高も起き上がると五メートル以上ありそうだった。
よく見ると体表の鱗もトサカよりギラギラして硬そうに見える。
「んなもん見りゃわかる」
「では先輩も初見ってことですね」
「俺らの仕事は魔物退治が専門じゃねえからな」
「まぁそうですよね。さて、どうしますか」
向こうも様子を伺っているらしくまだ何もしてこないので、こちらで相談する余裕があるのは有難かった。
「やるしかないだろ」
「出来ますかね」
「出来るか出来ないかじゃねえ、やるんだよ!」
いかにもダミアンらしい言葉にレツは思わず笑ってしまう。
「先輩、お先にどうぞ」
「チッ、ありがとよッ!」
ダミアンが飛び出して魔物の左から斬りかかると、魔物はすぐに向きを変えて正面から対峙する形へ。
魔物の爪攻撃を逆手剣で受け流しながら堪えているのを後目に、レツは回り込んで斬りかかる。
ギィン!
レツの剣が尻尾に弾かれる。
「それならッ」
尻尾目がけて斬りつけるレツ。
察した魔物が大きく尻尾を引いて叩きつけようとしてくるのに合わせて――。
「ハッ!」
ザンッ!
見事尻尾の先、三分の一ほどを切断。
切り離されて地面に落ちた尻尾がまだビチビチとのたうっている。
「おらあッ!」
レツに意識が向いた魔物の隙をついてダミアンの【剣乱舞】が炸裂する。
が、魔物の体部分の鱗は尻尾よりも硬いらしく、幾つか鱗が剥がれただけで大きなダメージは入っていない模様。
「クソだらぁッ!」
悪態を吐きつつダミアンが狙いを魔物の短い腕に変えて斬りつける。
ギャアアアアアッ!!
左手の上腕骨を切断された魔物が絶叫する。
同時に大きく体を反転させて短くなった尻尾をダミアンに叩きつける。
「ぐッ……」
咄嗟にガード姿勢を取ったものの、右腕を激しく打たれて横っ飛びに吹き飛ぶダミアン。
「先輩ッ!」
叫びながらレツは魔物がダミアンを追撃しないよう、足止めの攻撃を入れ続ける。
キィィィィッ!
先程とは違う鳴き声を上げる魔物。
キィィィィッ!
キィィィィッ!
するとどこからともなく別の鳴き声が二つ聞こえてきた。
「マズイな……」
どうやらこのデカブツは他にもいるらしい。
横目でダミアンを確認すると、既に起き上がってはいるがぶらりと垂れた右腕の負傷は隠しようがなかった。
目の前のデカブツが再びレツに襲いかかって来る。
腕が一つないだけで正面の攻防は随分楽になっていた。
突き攻撃をかわしたついでに右腕も斬り落とすレツ。
ギャアアアアアッ!!
キィィィィッ!
悲鳴に別な鳴き声が重なって聞こえたかと思うとレツは背中に衝撃を受けて思わず横に転がって距離を取った。
思ったより早く他の個体が合流してきてしまったらしい。
新たにデカブツが二頭現れていた。
起き上がろうとして激痛に顔を歪めるレツ。
背中を触った感触から出血はしていないようだが打撲痛が酷い。
「つッ……」
まさか審判執行官が二人居ながらこんなに苦戦を強いられるとは……。
「レツ!!」
呼びかけたダミアンの声が聞いたこともない緊張感を伴っていた。
その視線の先に目をやったレツもすぐに状況を理解した。
ついさっきデカブツが新たに出て来た方向とは別方向から、更に三匹のデカブツともう一体別の魔物が今まさに現れようとしているところだった。
「大丈夫?」
背中でヤンの声がした時、レツは不覚にも安心感で脱力しそうになった。
「ヤン教官……」
まだ話している途中なのに襟首を掴んでダッシュでダミアンの所まで引きずっていくヤン。
「教官自らお出ましとはご苦労なこって」
ダミアンにまだ減らず口を叩く元気が残っているのを知ってレツはホッとする。
「とりあえずこれ。右腕に塗ったげて」
ヤンがレツに放り投げたのはいつものバルベル軟膏・赤。
レツは言われた通りすぐにダミアンの右腕に軟膏を塗りたくる。
正直この手の作業は苦手なのでかなり不調法な塗り方だったがそれでも効果に変わりはないようだった。
「おお! なんだこれスゲーな」
ダミアンが右腕をぶんぶん回しながら興奮している。
それを見たレツは自分の背中の痛みを思い出し、今度はダミアンに頼むのだった。
「ドサカが七頭か。なかなか大変だったね」
どうやらトサカのデカブツはドサカという呼称らしい。
由来はまったく想像がつかないが、とりあえず名前がわかって何よりだ。
ちなみに正式名称はランブリガ。
「あの奥のヤツはなんなんだ?」
ダミアンが指差してヤンに尋ねる。
「アレはトカゲドン」
なんだその脱力系ネーミングセンスは……。
体の大きさはドサカより更に大きく感じる。
だいたい体長が十五メートル弱ほどで体高が四メートルくらいか。
正式名称はコモディガなのだが、例によってそんな呼び方をする人間は塔には一人もいないのだった。
「トカゲドンは火炎を吐いたり毒霧を吐いたりする厄介なヤツだよ。でも一番イヤらしいのはトカゲを無限に召喚することだよ。だから早く倒した方がいいね」
「火炎に毒……」
レツが反芻しながら目の力をやや失う。
「無限ってどういうことだ? 消費コストはねえのか」
ダミアンがさすがに理不尽だろという顔でヤンに尋ねるとヤンは飄々として答える。
「うーん、わかんない」
「わかんねーのかよ!」
気持ちはわかるが、ヤンとて全知全能ではないのだからそこは許してやってほしい。
「はい、時間切れだよ」
とヤン。
トカゲドンがすぐそこまで来ていた。
七頭のドサカはその横に整列するような配置。
ドサカはトカゲドンの攻撃方法を知っているため前へ出ないようにしているらしい。
トカゲドンが大きく頭を反らせる。
「来るよッ」
いきなり初手で火炎攻撃!?
迫りくる炎を目前にして回避も間に合わずもはや打つ手なし――。
と思ったら目の前が壁になっていた。
レツとダミアンは何が何やらわからず困惑。
ヤンがいない。
壁の向こうで何やらドカドカと派手な音がする。
再びゴオと火炎が吐かれる音が聞こえるが、壁のこちら側では多少熱が感じられる程度。
シュイーンと聞き慣れない音がしたかと思うと、周囲の地面に幾つもの魔法陣のような模様が浮き上がる。
ドガッ!
大きな音とズシンという地鳴りが聞こえ、模様が一斉に掻き消える。
(今のは……召喚を阻止したのか)
レツがダミアンの方を見ると、ダミアンは両手を上に向けて広げるポーズ。
ヤンが向こうで戦っているのはわかったが、さて自分たちはどうしたものか。
下手に動いで足手まといになっては本末転倒だが、といって何もせず指を加えているのも憚られる。
すると、二頭のドサカが壁の端の左右から回り込んで来た。
「どうやらお客さんだぞ」
「先輩はそっちを頼みます」
「不本意だが仕方がねぇッ」
駆け出すダミアンを見て、レツも反対側に走る。
本当なら二人がかりで相手をしたいところだが、この状況ではそんな贅沢は言ってられなかった。
「おりゃああああッ!」
ダミアンがドサカの懐に飛び込んで【剣乱舞】を発動。
鱗の色が違う腹の部分を集中的に斬りつけると、間もなく皮膚に達して出血。
ギャアアアッ!!
両手を上げて叫んだドサカの首に右腕を巻きつけるとぐるりと腰を使って前に投げる。
さすがに完全には持ちあがらず、横から地面に押し倒す形になったがそれでも圧倒的に有利なポジション。
からの巻きつけていない左腕で首の部分をボコボコに殴りつける。
ひたすら連打連打連打すると、骨が砕ける音。
ビクンビクン暴れるドサカ。
手の爪でひっかきに来るのがウザいので腕の骨もボコる。
そうしてあちこちボキボキゴキゴキを続けると――。
ギャッ……
ひと鳴きしたと思ったら組み敷いたドサカが完全に動きを止めた。
念のため頭も砕いて完全終了。
ダミアン、ドサカ討伐まずは一頭。
一方のレツは若干苦戦していた。
一対一では体格差からくるリーチの問題と攻撃の手数でどうしても劣勢になってしまう。
飛び込んで一撃必殺が出来れば良いのだろうが、この相手だと斬るのではなく突く必要があり、そうなると突いた後の追撃を防ぐ手段がないため、捨て身にならざるを得ないのだった。
後ろの方でダミアンがドサカをボコる音が聞こえてくる。
「さすがは先輩……」
ニヤリと笑ったレツはようやく覚悟を決めた。
スッと短く息を吸うと正面から一気にドサカの懐に潜り込むとその腹に背中をつけるようにして密着する。
一瞬レツを見失うドサカ。
その隙にレツはドサカの腕を片方ずつ斬り落とす。
このサイズの魔物の腕を一振りで斬り落とせること自体が達人レベルの技だった。
余りの激痛に堪らずドサカがバックステップ。
背中が軽くなったのを感じたレツはそのまま振り向きざまに大きく二歩踏み込んでドサカの腹のやや上方、出来ればそこに心臓があってくれと願ってやまない場所に向けて斜めに剣を鍔まで深々と突き刺す。
万一そこで暴れられたら刺さった剣ごと持っていかれて丸腰になってしまうリスクがあったのだが、幸いなことにドサカはビクビクッと細かく痙攣して硬直。
レツがゆっくりと剣を引き抜くと同時にドッと血が溢れてきてそのままどうと倒れた。
これにてレツのドサカ討伐もめでたく一頭目。
「やったな、レツ」
振り向くとダミアンが倒したドサカの上に片足を乗せながら拳を突き付けていたので、レツもやや照れながら拳を前に出す。
「先輩も」
シュイーン……。
その時、またしても例の音が聞こえて周囲の地面に複数の魔法陣模様が浮き上がった。
「これはッ」
レツが見構えるとほぼ同時に模様の中央からトカゲが一匹ずつ現れた。
全部で六匹か。
「レツさん!」
壁の向こうからヤンが叫んでいる。
「はいッ、なんですかッ」
「そのトカゲ連れて本隊の方へ誘導して!」
「えっ……わかりましたッ。やってみます!」
思いもよらない指示がきてレツは面食らったが、よく考えたら本隊への魔物供給が止まっていたのだからなるほどそういうことかと合点がいった。
にしてもわざとトカゲを召喚させたということなのか。
向こうにはトカゲドンとドサカ五頭がいるはずだが、そんな余裕があるのだろうか。
「ダミアンさんはこっち!」
ヤンの指示が続く。
「今行くッ!」
ダミアンが答えると、レツに向かって手を挙げる。
「じゃあな!」
壁を回り込んで向こうへ行くダミアンを目の隅で捕えつつ、さてどうやってトカゲたちをうまく誘導したものかと頭を回転させるレツだった。





