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022.囮作戦(四)

 第八階層から第七階層に下りてオグリムへの最短距離を走るギイ。

 まだ意識の戻らないジルを背負っていた。


 二人とも軽量級で尚且つそこそこ筋力もあるので、ひとり背負うぐらいは大した負荷ではなかった。

 前傾姿勢を保持したまま恐ろしい速さで駆けて行く。


「ギイ……」


「気が付いたか」


「オレ……どうなっちまったんだ?」


「いいからコレ飲め」


 ギイは背中のジルに中級回復薬(ミドルポーション)を渡す。


「中級じゃねえか、随分奮発したな」


 言いながら飲み干すジル。


「まあな、早く回復してもらわなきゃ困るんだ」


 既に高級を一本使用済であることは敢えて言わない。 

 あの場でジルに高級回復薬(ハイポーション)を無理矢理流し込み(要はマウスツーマウス)、担いで逃げ出したはいいものの、この速度ではすぐに追いつかれてしまう。


 そこでギイはジルを背負って走りながらも、後方に土壁を作って通路を完全に塞いだり地面を泥にして通行妨害をするなどで少しでも時間稼ぎをしようとしていた。

 罠や障害物系の道具はヤンのために全部使い切ってしまっていたので、もう魔法でなんとかするしかないのだった。


「すまねえギイ」


「気にするな。相手が悪かった」


「もう大丈夫だ。下ろしてくれ」


 ギイはジルを下ろして二人で走り出す。


「無理するなと言いたい所だが」


「ここが正念場ってヤツなんだろ」


「ああ、そうだ」


「ギイ」


「なんだ?」


「次はもういいから」


「何がだ?」


「もう助けなくていいから自分の事だけ考えてくれ、頼むから」


「ジル……」


「せっかく助けてもらって何だけどよぉ。オレのせいでギイまでやられちまったらと思うとオレぁ……」


 ぐずっと鼻をすするジル。


「わかったわかったから。次はすぐに見捨ててやるよ」


「ああ、そうしてくれ。絶対だからな」


 心底安心した声のジル。


「ならお前もだぞ」


「んあ?」


「オレに何があっても助けはいらん」


「ギイ、それはダメだ」


「なんでだよ」


「オレには……一回借りがある」


「そんなもん気にするなバカ」


「あ、銀貨十枚」


「……ほらよ」


 懐から取り出してジルに渡すギイ。


「なんだよ、やめろよギイ、なんでだよ……」


 みるみる顔をくしゃくしゃにして泣き出すジル。


「うるさい泣くな! お前が要求したんだろうが」


「でも……だってよぉ、いつもは違うじゃねえか。なんで今に限って……」


 全力走をしながら泣くのは相当体力を消耗するのではないか。

 やったことがないのでわからんが。


「次だけ一枚って言ってあったのによぉ……」


「ああ、そういやそうだったな。まぁ別にいいだろ。足りないよりは多い方がいい。大は小を兼ねる、だ」


「意味わかんねーよ。これだからインテリはよぉ……」


 いつまで泣き続けるつもりなのか。



 ドガーン!

 ドガーン!


 後ろの方で大きな音がしている。

 土壁が壊される音だ。

 追手がすぐそこまで迫っているようだ。


「ジル」


「なんだギイ」


「お前は先に行け」


「な、なんでだよギイ。オレも残るぞ」


 ギイは走りながらジルの方へ体を寄せていくと、横道があるタイミングでジルを思い切り突き飛ばす。


「なっ、ギイッ!」


 横道の壁にプチ当たるのを回避すると自然に奥に進むことになるジル。


「すまんなジル。任せたぞ」


 ギイは立ち止まって横道の入り口に土壁を作る。


「なにすんだよ、やめろ! やめてくれギイ……」


 壁の向こうから聞こえるジルの声を無視して念入りに壁を四重にする。

 ジルの声はもう全く聞こえない。

 自力で掘り崩すのはまず難しいだろう。


 とっとと気持ちを切り替えて一秒でも早く迷宮を出てくれるといいのだが。


 ギイは脱出と報告を弟に任せて、自分は時間稼ぎにまわるつもりだった。

 最悪でもどちらか一人は絶対に戻らなければならないのだ。


 だから頼むぞジル。

 決して優先順位を間違えるなよ。


 突然、背中から激しい衝撃が襲ってきて頭から転げるギイ。


 ゴロゴロ転がった状態から流れるように起き上がるとそのまま走り出す。


 背中の激痛など気にしている余裕はない。


 と、前方を確認してギイはすぐに立ち止まってしまった。


「追いかけっこは終わりか……」


 ギイの目の前に立ちはだかるヤンの姿があった。




* * * * *




「なんでだよぉ、ギイ〜ぃああああああ……」


 走りながら泣き叫ぶジル。


「おおおああああああッ!」


 その両手は泥まみれ且つ血まみれで指の何本かは爪が剥がれていた。


 ギイに壁で仕切られてすぐに無我夢中で壁に穴を掘ろうと足掻いた結果の状態だった。


 絶望と焦りの中で「考えろ」と何度もギイに言われたのを思い出し、這いつくばったまま感情を殺して今一番大事なことは何か考えた。


 それは疑いようもなく、この塔を脱出して祖国アラゴンに帰ることだった。

 ギイの思いを無駄にしないためにも、絶対にここを脱出してアラゴンに帰る。


 早く行かなければ。


 バッと立ち上がりそのまま走り出すジル。


 急げ急げ急げ。

 走れ走れ走れ。


 ジルはひたすら走り続けた。




* * * * *




「おとなしく捕まってよ」


 目の前の子供がギイに投降を求める。


「それは出来ない相談だな」


 ギイの目的は今や時間稼ぎただ一つ。

 どのみちオグリムにも誰かしら配置されているだろうが、そればっかりはジル自身で何とかしてもらう他ない。


「お前、名前は?」


「ヤン」


「ヤンか……聞いた事がある。確かクレイジーヤンだったかな」


「え!? なにそれ」


 ヤンにとっては初耳だったらしい。

 いや、まぁ我々もそうなのだが。


「知らぬは本人ばかりなり、か。噂ってのは面白いもんだな」


「えー、どんな噂なの?」


 (こいつ、どうしてこんなにマイペースなんだ?)

 (早くオレを捕まえたいんじゃないのか?)

 (まぁこっちにとっちゃ願ったり叶ったりだが)


 ギイは何度か耳にしたフレーズを思い出しながら伝える。


「何をやるかわからない暴れん坊。命令無視、規則無視は当たり前のコントロール不能なクレイジー案内人(ガイド)なんだろ?」


「あー、そういう感じかー。ははは」


 困ったように頭を掻くヤン。

 心当たりはありまくるらしい。

 実際問題ほぼ当たっているのでどうしようもない。


「しかもまだ見習いなんだって? 滅茶苦茶じゃねーか。よくまぁギルドが見逃してくれてるもんだぜ」


「見習いだから、じゃない? 」


「……そういう見方もあるな」


「ねえ、そろそろいいかな。あんまりお話してる時間ないんだ」


「オレの方は充分にあるんだがな」


 もうひと押し、してみる。


「ごめんね」


 いきなり飛び込んで来る。


「くッ」


 パッシブスキルの【見切り】でギリギリかわすギイ。


 お返しにとこれまたスキル【連撃】で斬り込むが、全ての攻撃モーションが途中から軌道をズラされて空振りになる。


 ギイの攻撃スキルで一番練度の高いレベル4の【連撃】が、まるで子供扱いだった。

 相手が子供にも関わらず。


 しかもヤンは武器を持たない素手の状態。

 そもそもジルも合わせて自分たち双子最大の長所であるスピードですらこのヤンにはレベチで相手にならないのだから、やはり勝ち目など最初からなかったのだ。


 それでもギイは諦めない。

 勝つのが目的ではないのだ。


 【土埃嵐ダストストーム】!


 このスキルは発動者の周囲だけはセーフティになるのでギイは普通に見えるし動けるのだが、土埃が周囲を覆い隠す直前にヤンが目を閉じるのを見た。


(やはり察知系スキル持ちか)


 少し距離を取ってヤンの接近を警戒していたギイの肩に何かが当たった


「イッつ……なんだ?」


 次から次へとぶつかってくるのは小石だった。

 サイズと数のせいで【見切り】では対応しきれない。


 【土壁クレイウォール】。


 目の前に壁を作って小石を防ぐ。


 あちこちに打撲傷が残るほどのダメージ。

 小石の攻撃が収まってややほっとした瞬間、何やら気配が……。


 ドゴァッ!


 土壁が木っ端微塵に破壊され、直径4mほどの巨大な岩がギイの目の前に迫る。


 見切りでかわすには巨大すぎる。


「ぐはッ!」


 左に回避しようとして間に合わず右半身を岩で強打。

 そのまま右回転に錐揉み状態に。


 視界が高速回転する中、ギイは岩の後ろから飛び込んできたヤンの姿を一瞬捉えた気がしたがそこで意識が途絶えた。



 夢中で走りながら、熱に浮かされたように色々な事を思い出すジル。


 エルゴのギルドに依頼完了の報告をしなければならない。


 メルルが元気になるまで、兄弟二人どんな事をしてでも金を稼ぐと誓ったのだ。


 両親を失った時、兄弟はまだ七歳だった。

 病気がちな三つ下の妹メルルのため、すぐにでも金が必要だった。

 だから自分たちを闇組織である暗殺者ギルドに売った。

 メルルを教会の施設に入れ、金は薬代として全額寄付した。


 暗殺者ギルドに入ってすぐにやったのは人間らしい感情を捨てる訓練だった。

 半年かけて訓練を終えた時、兄弟はメルルに会う資格を永遠に失ったことを自覚した。

 もはや金を支援する事でしか繋がりを維持できない関係。

 それはそれで構わない。

 メルルの病気が治って普通の暮らしが出来るようになれば。

 

 だがメルルの病気は一向に良くなる気配がなく、むしろ悪くなっているようだった。

 やがて薬代を施設が渋っているのを知った兄弟は当時の施設長を殺害し、代わりの施設長には金は出すから薬は絶対に切らさないよう約束させた。

 以来、不定期ではあったが兄弟は手に入れた金のほとんどを施設に寄付し続けた。

 また兄弟にはメルルの治療方法を探すという目標も出来た。


 二十年という年月を闇の仕事をして生きてきた。

 そう、ギルドには現在十八歳と登録しているが、実際には二十七歳だった。

 見た目が異常に若く見えるのはもしかすると兄弟も妹とは別の病に冒されているのかもしれない。


 アラゴンの暗殺者ギルド『無慈悲のラドック兄弟』と言えば本国では泣く子も黙る存在にまでなった。


 この迷宮に来てからも特に問題なく順調にやって来れたと自負している。

 双子のCランク冒険者として極力真面目にこの半年間過ごして来たのだ。


 ギルドからの依頼を一通り終えた後、普段から何かと絡んできていたムカつくパーティにちょっとお灸を据えてやった辺りから歯車が狂ってきたのかもしれない。


 帰る道々、下層でも二組ほど遊んでやった。

 中途半端で終わったのが不満だったが下層までは審判(ジャッジメント)の目があるから目立ち過ぎるなというギイの方針に従ったまで。


 そうしていよいよ底層となった所でやっとギイの許しが出たのだ。

 それなのに皆殺しどころか一人も殺せず、ロクな怪我すら負わせることも出来なかったなんて……。

 こんなのは今まで経験がなかった。

 完全なる失敗、完膚無きまでの敗北。


 挙句、オレを逃すためにギイが囮になるだなんて!

 今でもまだ信じられない。

 いったいなんなんだ!

 なんでこんなことになっちまったんだよ……。


 こんなのは現実じゃない。

 オレは今悪い夢を見てるに違いない。

 早く目覚めろオレ。

 そしたら今度こそ皆殺しだ。



 ――ふと我に返るジル。


 体全体が熱っぽい。


 (そういや、走るのに夢中で確認してなかったな……)


 足を止めずに【気配察知】で周囲を探ると、前方に気配がひとつ。

 よくない事実だが、不思議とジルは冷静に受け止めた。

 

 (確か……ん? なんだっけ?)

 (……ああ、虫の知らせとかいうヤツだったよな、ギイ)


 昔、予感の話をしている時にギイが言っていたのを思い出す。


 なにも問題はない。

 真っ直ぐ進んで邪魔をするようなら排除するだけだ。



「え? こりゃどういうことだオイ」


 ジルは自分の目を疑った。

 反応は一つだったので一人なのはわかっていたが、それがまさかあのガキだったとは。


 ギイと一緒の時、追ってきているのがコイツだとばかり思っていたが違ったのか。


 相手を前に立ち止まるジル。

 なんとなく落ち着かない気分だが、とにかく声をかけてみる。


「よぉ、また会ったな」


「うん、追いつくの大変だったよ」


 息切れのひとつもないくせによく言う。


「なんで追いつくんだよ。おかしいだろ」


「うーん、ボクも頑張ったからかな」


 ほとんど相手の表情が読み取れない。


「ふざけんな」


「ねえ、降参しない?」


 突然の降伏勧告。


「はぁ?」


 あまりに唐突だったため思わず間の抜けた声を出してしまった。


「人を殴るのってあんまり好きじゃないんだ」


 子供が表情のひとつも変えずに言うセリフではなかった。


「さっきオレをぶっ飛ばしといてよく言うぜ」


 ジルは鳩尾に疼くような痛みを覚えながら反論する。


「あれはごめんなさい。ちょっと気が立ってて加減を間違えちゃったんだ」


 (加減だと……?)


 手加減してあの威力なのか。

 憮然とするジルだが、どうにも人を舐めたような態度が許せず怒りが沸々と湧いてくる。


「てめぇ……」


「あ、ダメダメ。怒らないで」


 両手を前に出して制止する様子に、ますます怒りがチャージされる。


「ざけんなッ」


 剣を抜いて飛びかかるが、軽くかわされる。

 動きが読めないし、そもそも見えない。

 まるで瞬間移動しているかのように感じる。


 (もうやるしかない)


 狭い底層では危険だからとギイに禁止されてた火魔法を使うことを決めたジル。


「くらえっ!」


 特大サイズの火球(ファイアボール)だ。

 発動までのラグがほとんどない。

 しかも直径がほぼ通路の高さと同じなので逃げ場がない。

 ギイが禁止するのも頷けるほどのハイリスク。

 ただでさえ火魔法は酸素消費の観点から底層で使用を自粛するようギルドからも通達が出ているのだった。


 だが、ジルは自らの放った特大火球が一瞬にして消失するのを目の当たりにする。


「なんだと!? どういうこった? 何をした!?」


「教えたら降参する?」


 火球が消えた場所から現れた相手がてけてけこちらへ近づいてくる。


「一体なにモンなんだよてめーは!」


「ヤン。見習い案内人(ガイド)のヤンだよ」


案内人(ガイド)だと? ヤン……もしかしてクレイジーヤンか?」


「えーまたそれ? やめて欲しいなぁもう」


「はは……ははは……」


 目の前のガキが本当にあのクレイジーヤンなら、オレたちが敵わないのも仕方がない。

 聞いた話じゃたった一人で高潮の魔物共を全滅させたとか、中層の階層主(ボス)に匹敵する魔物を一撃で倒したとか、誰が聞いても眉唾ものの怪物っぷり。


「ウソじゃなかったってことか」


 そこでふとギイのことを思い出す。


「おい、ギイはどうなった? まさか、てめーがやっちまったのか?」


「さっきの人なら向こうで伸びてるから大丈夫だよ」


 伸びてる?

 気を失ってるだけなのか?

 やっぱりコイツ、あそこからオレの前に出やがったのか……。

 コイツの言葉は信用できるのか?


「生きてるのか?」


「うん。だって捕まえるのが仕事だから。殺しちゃったら捕まえられないでしょ」


 まあ、そりゃそうだけれども。

 なんだか生死をかけた攻防という感じが全くなくなって拍子抜けした気分のジル。


「見逃してくれねえか。オレはどうしても故郷に帰らなきゃならねえんだ」


「殺された冒険者の人たちにもそれぞれ事情はあったと思うけど」


 そんなこと考えた事もなかった。

 全く自分になかった視点を投げかけられてポカンと口を開けるジル。


「いや、でもよぉ……」


 とにかくここをやり過ごして外に出なければの一心で言葉を繋ごうと試みる。


「殺された人にも言いたいことはあったはずだけど、聞いてあげたの?」


「……」


 二の句が告げないジル。

 お説ごもっとも。

 ジルは思考停止と活動停止を併発。


「じゃあ悪いけど」


 瞬時にジルの背後に現れるとその首筋に手刀を打ち込むヤン。

 ジルは自分が何をされたのかすらわからぬまま崩れ落ちた。




* * * * *




「もう大丈夫だから、ホントに」


 あれこれ甲斐甲斐しく世話を焼いてくる傭兵団にさすがに辟易したオンドロが上体を起こし両手を前に出して制止する。


「でもまだ少ししか休んでねーじゃねーか」


 ずっと濡れタオルを絞って額に当ててくれていたイボンヌがまたタオルを当てようとしてくる。


「そうなんだな。もう少し横になるんだな」


 扇子を仰いで風を送ってくれていたウッシードが引き続き仰ぎ続けながら言う。


「まだ動かない方がいい。この足じゃ今度はもっと酷い怪我をしてしまうよ」


 筋肉疲労でパンパンになった足をずーっとマッサージしてくれたアマティが今も右足を曲げ伸ばしさせて筋肉の張り具合を確かめながら進言。


 本当になんて気のいい連中なんだおたまじゃくし傭兵団。

 怪我して休養中のヤツもさぞかし手厚い看病をされたんだろうな。


 しかも想像以上に腕が立つ連中だった。

 あの双子は間違いなくヤバいほどの実力者だったのに、こっちは満身創痍のオレ以外擦り傷ひとつ負ってなかった。

 土埃で視界の利かない中、あのスピードの攻撃を耐え凌いだというのはとんでもない事なのだ。


 今でこそC、Dランクにいるが遠からず昇格するのは確定した未来のようにオンドロには思えた。

 そして同時に自分の未熟さ不甲斐なさも痛感したのだった。


 ヤンが謹慎で里帰りする直前まで僅か数日だったが、一緒に稽古をして自分のスキルについて色々試行錯誤から可能性を見出して道を示してくれたのがなかったら完全に死んでいた。


 そして約一カ月の間、毎日一人稽古を続け、昇格のためのクエストをこなしながらスキルの応用練習を繰り返した分の成果は確かに実感出来たものの、課題もはっきりしたのだった。


 向こう側ではついさっき合流した別働隊のバーンズが、三番隊のディオと激しめの口論を続けていた。

 もうかれこれ十分以上は経っているのではないか。


「あっ」


 オンドロが思わず声を上げる。

 音波がヤンを捉えたのだ。

 素のままの反応が返ってきているので、もう全てカタがついたのだろうとオンドロはようやく完全に安心することができた。


 立ち上がってヤンの来る方向へ歩き出すオンドロ。


「あ、オンドロさん、どこ行くんすか」


 イボンヌがタオルを持ったままついてくると、ウッシードとアマティも続く。


 オンドロの【音波】によればヤンは高速でこちら向かっている。

 ヤンたち、というべきか。

 反応が三つほぼくっついたまま移動してくるのはどういうことなのかとオンドロが不思議に思っていると、ほどなくキャンプの間にヤンが入ってくるのが見えた。


「ヤン!」


 ヤンに走り寄るオンドロ。


「オンドロ、具合はどう?」


「気分は良くないが大丈夫だ」


「ははは、それは微妙だね」


「で、その背中の荷物があいつらか……」


 ヤンが背中の背負子(しょいこ)に乗せているのは縄でぐるぐる巻きにされた双子だった。

 もちろん意識はない。


 背負子(しょいこ)は自作のものなのか、二つの背負子(しょいこ)のそれぞれ一辺を百二十度ぐらいの角度でくっ付けて一つにしたような形状だった。

 それぞれに一人ずつ乗せてると、斜めに開いて後ろを向く感じなのでぶつかったり擦れたりしないように出来ていた。


「うん。なんとか追いつけたよ」


「なんていうか、まぁお前らしいな、ヤン」


 この男はこの年齢にして既に完全に規格外のバケモノなのだとオンドロは確信していた。

 この程度のことはおそらく朝飯前なのだろうと。


「貴様ッ、どういうつもりだ! 執行官に対する暴力は厳罰だぞ」


 向こうからディオが怒鳴りながら走って来た。


「あー、またうるさいのが来た」


「そいつら置いて逃げたら?」


 オンドロが面白そうに提案する。


「そういうわけにもいかないよ」


 諦めたようにうな垂れるヤンを見て、オンドロは少し安心する。

 ヤンにもちゃんと人間らしい部分、子供らしい部分があるんだな、と。


「とっととそいつを引き渡せ! 抵抗すると……」


「おい!」


 ディオの口上の途中で割り込むオンドロ。


「なんだ貴様は」


「うるせーよ。少しは黙ってろ。ヤンが捕まえてこなかったら取り逃がしてたんだぞ。審判(ジャッジメント)は馬鹿の集まりなのか」


「なんだと貴様ッ……」


「オンドロ……」


 ディオが怒りで口をパクパクさせている時、ヤンは憧れるような表情でオンドロを見上げていた。


「おい、ヤン」


 そこへバーンズ登場。


「あれ? バーンズさん、いつ来てたの?」


「ちょっと前だよ。それよりお前、またこんな目立つ真似しやがって。もう少し穏便に出来ないのか毎度のことながら」


「ええー、それを言うならこの人たちが邪魔しなきゃもっと早く終わってたんだけど」


 ヤンはパクパク中のディオを指差してツンツンする動作。


「ハァ~ッ、それもまた問題になるだろうな。ったく、ここにあのガンギマリお姫様がいなくて良かったよ」


「ほぉ、それは一体誰のことだ? 是非教えてもらいたいものだ」


 バーンズの直後にいつの間にかリンが立っていた。


「おひゃりょあっ!」


 なんだかよくわからない声を上げてバーンズが飛び退く。

 顔面蒼白で明後日の方向を見たまま知らぬ存ぜぬを決め込むモードに入ったようだ。


 隣でオンドロもどこから聞かれていたのかとちょっとビビリモード。


「局長ッ!」


 ディオが一瞬で起立敬礼姿勢になる。


「どういう事だ、これは」


 静かに怒りを湛えたリンがディオに尋ねる。


「ハッ、ホシ二名を捕えたところでありますッ!」


「見ればわかる。誰が捕えたのかもな」


「こ、これはその……この案内人(ガイド)が我々の邪魔をした結果……」


「オイふざけんな! 邪魔したのはそっちだろ!」


 オンドロがビビリモードから脱却して全力ツッコミ。

 偉いぞオンドロ!


 しかしリンにジロリと一瞥されて黙り込む……。


「こちらの御仁はそう言っているようだが」


「で、ですからその……我々が拘束しようとした所でこの案内人(ガイド)が……」


「あのさ」


 ヤンがディオの嘘弁解を中断させる。


「なんだ」


 リンが話の続きを促す。


「誰が捕まえたとかどうでもいいよ。早くこの人たちを連れてって」


 ヤンが背中を親指で示しながら呆れた顔で言うと、リンの表情が一変する。


「はははは。やはり面白いな、君は」


「ボクのこと知ってるの」


「噂程度にはな。私は保安局局長のリン・アマギだ。よろしくヤン君」


「あ、ご丁寧にどうも。ヤンです。よろしくお願いします」


 リンが差し出した手をヤンが取って握手。

 ヤンとリン、初めての邂逅であった。


「三番隊!」


 リンが後方に控えている隊員たちに声をかけると三人ほど走って来た。


「ニコラス」


「ハッ!」


 三名の内、一人の隊員が一歩前に出て敬礼をする。

 ニコラス・カリンニコフは入隊六年目の二十四歳。

 ディオの三年後輩にあたるが同期の中ではずば抜けた資質を持っていることで三番隊の副隊長を拝命していた。


「今から貴様が三番隊の隊長だ。いいな」


「……ハッ! 」


 束の間逡巡したニコラスだが相手が局長となれば迷いも疑念も決してあってはならないと思考を切り替える。


「ディオ、貴様は一週間の謹慎だ」


「ハッ……」


 直立で俯いたまま動かないディオ。


「それと、ヤン君からホシを受け取ってスタルツまで運べ。出来るな」


「ハッ……」


 威勢よく返事をした後に若干の逡巡が見られたがリンは気に留めた様子もない。


「ヤン君、ご苦労だった。君には幾ら感謝してもしきれない。本当にありがとう」


 リンが四十五度角で礼をする。

 すぐにディオ含め隊員たち全員も同じ姿勢で礼をする。


「あ、いえ。ギルドの仕事をしただけです」


 さすがのヤンもリンに対してはタメ口はまだ遠慮しているようだ。


「あとで詳しい話を聞かせてほしい。少し時間をもらえるかな」


「うん、少し休憩してからでいい?」


 あれれ、もうタメ口?

 ちょっと早すぎね?


 さすがのリンもこれには少し面食らったような表情を一瞬見せたが、すぐに普通に戻る辺りはさすが。


「もちろんだ。ディオ、早くしろ!」


 双子の身柄受け取りを急かされるディオ。


 ヤンが背負子を下ろして(二人を乗せたままちゃんと地面に立っている)、それを代わりにディオが背負う。

 周囲の人間には背負子の重さが急に何倍にも増えたのではないかと思えた。


 さすがに隊長、いや元隊長だけあってフラつくような事はなかったが、何も背負っていないかのようだったヤンと比べるとかなり見劣りしてしまうのはどうしようもなかった。


「ミカ」


 三番隊員に向かって呼びかけるリン。


「ハッ!」


 ミカ・エルクライムは三番隊の女性隊員でニコラスと同期の二十四歳。

 保安局執行官の正規隊員のうち、女性はリンとミカの二人だけだった。


「こちらの皆さんからの聞き取りを頼む」


 リンの手が示した方向からするとオンドロと傭兵団の面々ということらしい。


「ハッ、直ちに」


「くれぐれも失礼のないようにな」


「ハッ!」


 敬礼。


「ではニコラス、移送は頼んだぞ」


 コニラスに向き直って指示を出すリン。


「ハッ!」


 新隊長のニコラスを先頭に、ミカを除いた三人の三番隊がスタルツへ向かって出発する。


「では、向こうで少しよろしいでしょうか」


 早速ミカが傭兵団へ話かけている。

 オンドロはヤンと一緒が良さそうにしているが、聞き取り対象なので向こうへ連れていかれるのが不本意そうな顔。


「オンドロ、後で一緒に帰ろう」


「わかった」


 ヤンの言葉でようやく納得してミカに着いていくオンドロ。


「さて」


 いきなりリンが仕事モードの声で言うのでどうしたのかと思ったら……。


「さきほどの件についてお聞きしたい、バーンズ殿」


 リンが鋭い目付きでバーンズの方を見つめている。


「え、ええ、あれはそのですね……なんといいますか言葉のアヤと申しますか……」


 口調から何から色々とおかしくなっているバーンズ。


「ああ、ガンギマリお姫様のことか」


 何も考えていない無邪気な子供の言葉です!

 恨むなバーンズ。


 ヤンが言った瞬間、バーンズを見据えたままのリンの表情が一層険しくなる。


「おいヤン!」


 慌ててヤンの口を手で塞ごうと駆け寄るバーンズ。


「待て」


 その間に割って入るリン。


「子供に何をする気だ」


「いや、子供って……ヤンはギルドの部下なんです。一緒に帰ろうかと」


「それには及ばない。バーンズ殿は私と帰るのだからな」


「え!? あ、もしかしてそれはデートのお誘いというワケでは……」


 バーンズ、それはちょっとどうかと思うぞ。

 案の定、リンの爆発寸前の視線によって中断されてしまった。


「……絶対にありませんよね、わかります!」


 急に開き直ったかのようにキッパリと言い切るバーンズ。


「さて、ちょっと向こうで話でもしようか。ではヤン君、失礼する」


 リンはバーンズの襟首の後ろを掴むとずるずると引きずっていく。


「ちょ、ちょっとリン局長! おい、ヤン! 助けてくれヤン!」


 バーンズが必死で懇願するも、ヤンはにこにこしたまま手を振るばかり。


「バーンズさん、頑張って~! リンさんもまたね~!」

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