021.囮作戦(三)
(来たッ!)
オンドロが飛び起きる。
死ぬほど眠かったがやはり眠れず、体だけでも休めようとじっと横になっていた所へ反応が来たのだ。
しかもかなり近い。
この距離まで気付かなかったなどどうかしてる。
オンドロは自分の迂闊さを呪ったが、違和感がある。
もしかすると気付かれないほどゆっくりと移動していたのか。
それが普通に動き出したので気付いたということなのかもしれない。
オンドロがあまりにバタついて起きたため、隣で寝ていたアマティも起こされた。
どうしたんですかと声をかける暇もなく、オンドロはまだ二人で起きていた見張りの側まで走って叫ぶ。
「敵が来る! 荷物をまとめろッ!」
「えっ?」
イボンヌが呆気に取られて固まる一方で、ウッシードがおそるべき早さで動いて荷物をまとめ出す。
オンドロは完全に整理された荷物を枕元に置いていたので後はシーツを突っ込むだけだった。
(クソッ、速すぎる、なんだこの速さはッ)
敵の移動速度が人間離れしたものに変わっていた。
(ダメだ、間に合わない)
「移動するぞお前ら。最悪荷物は置いてけ」
だがもう敵はすぐそこまで来ている。
絶望感がひしひし湧き上がる中、声を出さずにはいられないオンドロ。
「オンドロさん、一体何があったんですか? 敵がいるんですか? どこに?」
アマティが質問攻めにしてくるが残念ながら答えている余裕など一秒もないのだった。
「ここだよー。キヒヒヒヒ」
嘲笑うような声と共に暗闇から人影が生まれてくる。
「え、人間?」
「誰?」
アマティとイボンヌが間の抜けた疑問を口にする中、ただ一人ウッシードだけは剣を構えて戦闘体勢に入っていた。
「ふしゅーッ」
しかもだいぶ気合いが乗っているようだ。
「気を付けろ! 二人いるぞ!」
オンドロが注意喚起をする。
「おいおい、マジか。まさかもじゃ頭がそんな出来るヤツだったなんてよぉ。」
やや短めの剣を抜いて剣身をぺろりと舐めながら近づいて来る男。
年齢は若く見えておそらく十七か八くらい。
身長は低め、痩せ型だが強靭でしなやかな身のこなしから相当な手練の可能性。
シーフやアサシン系だとすると一層厄介な相手になる。
一番目を引くのは綺麗なブロンドの短髪と整った顔立ち。完璧な美青年と言っても過言ではないのだが、残念ながら表情に邪悪さが滲み出ていてそのギャップが何とも言えない恐ろしさを感じさせるのだった。
「あと一人はどこ!」
目だけキョロキョロさせながらイボンヌが叫ぶ。
頼むから落ち着いて、冷静に対処してくれと祈りながらオンドロは答える。
「まだ奥だ。コイツら恐ろしく速いぞ。油断するな!」
オンドロがいい終わらないうちに暗闇からもう一人生まれてきた。
「!?」
四人全員が驚愕。
出てきた男が最初の一人と全く同じ容姿だったからだ。
(双子かよ)
誰でもひと目見たらわかる間違えようのない事実。
「両方見てろ! 見失うなよ!」
自分でも出来るかどうかわからないのに、とにかく誰にも死んでほしくない一心で思ったことは伝えずにいられないモードのオンドロ。
双子を生かした連携をされたら初見は圧倒的に不利になるだろう。
(ヤンはまだか!)
(こっちの状況はわかってんだろうが! 早く来てくれ、頼むからッ!)
心の中で何度もヤンに叫ぶオンドロ。
「そっちのあんちゃんがリーダーだと思ってたんだがどうやら違ったみたいだな」
後から来た方が不機嫌そうに吐き捨てる。
「双子かよ!」
今更のようにイボンヌが叫ぶ。
「どういうつもりなんですか、こんな夜中に。危ないから剣をしまってください!」
アマティが前の男に呼びかける。
「危ないから剣をしまってください! だとよ。キヒヒヒヒ」
前の男がいかにも面白そうにアマティのマネをする。
「無駄だ。こいつら人殺しだぞ!」
オンドロがアマティに釘を刺す。
「おいお前! そこのもじゃ頭、お前だよお前。なんか怪しいな。オレたちの事何か知ってるのか?」
剣を抜いた後ろの男がオンドロに剣先を向けながら尋ねる。
(やッべ、なんか疑われてる?)
「いや、誰だよ知らねーし。迷子の双子ちゃんか?」
「テメー、ギイに向かってなんだその口の聞き方は!」
「やめろ! 余計な口きくんじゃない!」
怒りに任せて叫ぶ片方をもう片方が鋭く叱りつける双子劇。
「なるほどそっちはギイってのか。で、頭の悪そうなお前の方はなんて名だ?」
オンドロがわざと挑発する。
少しでも情報を引き出したいのと、出来るだけ時間を使ってヤンが来るまで持たせたいという目論見だった。
いいぞ、ちゃんと考えてやれてるじゃないか。
そしていつの間にか傭兵団三人もしっかりまとまってオンドロのすぐ後ろで臨戦態勢。
「テメーこの野郎、死ねッ!」
頭の悪そうな方がいきなり飛びかかって来た。
死ねが聞こえた瞬間にはもうオンドロの目と鼻の先に剣先があった。
キンッ!
甲高い金属音。
オンドロが素早く後ろにバックステップしたのと同時に斜め後ろからウッシードが割り込んで来て敵の剣を横に弾いたのだった。
図体に似合わぬ電光石火の動き。
「なッ、この牛野郎ッ!」
横に流された重心を足を軸にした回転で吸収し更にそこから反転攻撃でウッシードの脇腹めがけて剣を振る敵弟(推定)。
だが、それも剣で受け止めるウッシード。
彼の剣は普通のブロードソードより短く剣身が広いグラディウスと呼ばれるもので、丈夫な代わりに重さも相当あるのだがウッシードはそれを両手に持って二本を軽々と扱っていた。
「チッ、動ける牛だったか」
一旦距離を取る敵弟。
オンドロもウッシードの動きは完全に予想外だったが、これほど頼もしいことはなかった。
「助かった。恩に着る」
「ウッシ!」
視線は敵を見据えたままニヤリと笑っただけだが、なんかもうすごくイケメンに見えてきたぜウッシー!
「考えなしに突っ込むからだぞ」
敵兄(想定)ギイがもう一人を諫める。
「悪かったよ。でもあの牛、予想外すぎる」
「それは同感だ。オレが引きつけるからお前は他をやれ。いいな!」
「オケッ!」
ギイがウッシードの横から素早い連続攻撃を仕掛け、受けるウッシードは徐々にオンドロたちから引き離されていく。
やや遅れて敵弟がこちらに突っ込んできた。
【音波】!
オンドロが前に伸ばした掌から衝撃波を出すと、真正面から直撃した敵弟が十数m先まで吹っ飛ばされそのまま壁に叩きつけるられた。
「ぐはァッ!」
大の字に壁にめり込み血を吐く。
壁面が大きく凹んで崩れるほどの威力だった。
「ジルッ!」
思わず名を叫んでしまうギイ。
ウッシードの相手を一旦止めてジルの下に走る。
「すごっ。なに今の?」
「オンドロさんがやったのか?」
「次からはこうは行かねえ。全員で何とか耐えるぞ。もうすぐ助けがくる」
「助け? 誰か呼んだんですか?」
アマティに言われてオンドロは失言に気付いたがもう今更どうでもいいかとスルーを決め込む。
「話は後だ。いいから全力で生き延びる事だけ考えろ!」
「はいッ!」
「りょーかい」
「ウッシ!」
「おい、大丈夫かジル」
「ク、クソッ……しくじった……すまねえギイ」
「いいからしゃべるな。回復薬飲めるか」
無理矢理ジルの顎を上げて飲ませるギイ。
飲み干したジルの顔色がみるみる良くなっていく。
「助かった……あんがとよギイ。悪いがもう一本あるか?」
「ああ、ホラよ」
二本目を自分で飲み干したジルは、やっと自力で立ち上がれるまで回復。
「チックショーなんなんだよあのもじゃ頭。気味悪い技使いやがって」
「おそらく何かのスキルだろうな」
「なんのスキルだ? 魔法じゃねーのか?」
「よくわからん。魔力は感じなかった。とにかく油断できない相手だって事がはっきりした」
「だからって今更止められるかよ」
「ああ。それは変わらない。」
第一ラウンドは何とか凌ぐことが出来た。
それだけでも上々と言うべきだが、ヤンが来ない以上すぐに第二ラウンドがあるのは間違いない。
「いいか、絶対に無理はするな。守りに専念しろ」
もうすぐヤンが来るからとは言えないところが辛かったがそもそもヤンは何をしているのか。
オンドロは恐怖に変わって苛立ちと焦りを感じていた。
再び敵が来る。
二人同時攻撃。
ターゲットは……オレか。
「クッ」
オンドロが歯を食いしばって再度【音波】を放とうとした瞬間、突然激しく土埃が舞った。
「させねえよ」
すぐ近くで声がしたのでオンドロは慌てて声のした方向に剣を薙ぐ。
が、手応えはない。
空振りだ。
声に惑わされるなんぞ初心者かよ、と自己嫌悪。
ついでにいうとオンドロはそもそも剣が不得手だった。
腹を蹴られた。
ウッと呻いてくの字になった首筋に両脇から同時に剣が振り下ろされる。
ガガキンッ!
二人の剣が跳ね返され、警戒した二人はオンドロから距離を取った。
土埃が晴れていく。
「なんだコイツ」
「障壁か?」
ギイが正体を見破った通り、オンドロは咄嗟に【音波障壁】を使用したのだった。
【音波】の応用スキルで、使用者を中心に半径一m位の範囲に物理攻撃に対する極短時間の全方位障壁を展開する。
展開した直後に効果が最大化しその後は二秒くらいかけて減衰するという、発動タイミングが極めて難しいテクニカルなスキルなのだった。
一寸動きの止まったギイの後ろからアマティが斬りかかる。
キィン。
背中越しに剣が止められ、振り返り様の横蹴りを腹に受けて三mほど後退させられたアマティ。
すぐその左右にイボンヌとウッシードがカバーに入る。
「無理すんなっつったろ!」
オンドロは怒鳴るが、少しでもオンドロの負担を軽くしようとやってくれた事が判るだけに心が痛む。
と、再び突然の土埃が辺り一面を覆う。
(もしかして魔法か、コレ)
オンドロ大正解。
ギイの土魔法【土埃嵐】だった。
今度のは規模がデカい。
広範囲で視界がきかなくなる。
何より土埃が目に入って痛いし目が開けられない。
だが、オンドロには【音波】があるのだった。
目を瞑り【音波】で各位置を把握。
敵はオンドロから少し離れた傭兵団三人へ標的を変更したらしい。
「クソがッ」
覚えたてホヤホヤの新スキル【音速】を使った超高速移動で三人に即時合流したオンドロは敵の攻撃タイミングに合わせて【音波障壁】を発動。
【音速】は音速移動術で身体への負担が相当大きいので出来るならあまり使いたくなかったのだがそうも言っていられない。
「三人とも背中合わせで守れ!」
叫んだら口の中に土埃が入ってきてオエッ、ぺっぺっとなる。
かくして、【音速】と【音波障壁】を駆使した無茶を続けるオンドロ。
土埃で視界が効かない以上、傭兵団を守るにはこれしかなかった。
ここまでありえないほどの大健闘ぶりを発揮してきたオンドロだったが間もなく限界が訪れた。
元々寝不足で気力体力が不足気味なところに【音速】過剰使用の反動が重なって身体が限界、意識も飛びそうな状態に陥っていたのだ。
(ちくしょう、もう限界だ。すまない……)
土埃の嵐の中で双子が交差しようと重なった瞬間、オンドロの最後の気力を振り絞った【音波】が炸裂!
「ぐあッ!」
「うごぁッ!」
周囲の土埃と共に双子が吹き飛ばされる。
一瞬で周辺の視界がクリアになった。
完全に意識を失ったオンドロがスローモーションのようにゆっくりと後ろに倒れていく。
傭兵団の三人は土埃でやられた目を擦りながら涙目で状況を把握しようとする中、倒れていくオンドロをイボンヌが視認。
「オンドロさんッ!」
ほとんど絶叫に近い声が響く。
倒れるオンドロの背中越しに、吹き飛ばされた双子がそれぞれ体勢を立て直しつつあるのが見えた。
【音波】自体はあくまで衝撃波なので大ダメージを与えるほどの攻撃力はないのだった。
オンドロを支えなければとイボンヌが一歩踏み出したその瞬間、目の前を突風が駆け抜けた。
「ごめん。遅刻しちゃった」
なんとも場にそぐわない感じのお茶目な子供の声が聞こえた。
オンドロが背中と頭を地面で強打する直前、ギリギリでヤンが間に合ったのだった。
「よく頑張ったね、オンドロ」
本人には当然聞こえない。
ようやく見えつつあった傭兵団の三人だが、見知らぬ双子に襲撃されている最中にまた別の見知らぬ子供が割り込んでくるという事態に思考が追いつかない。
「お前は……」
「ギイ、あいつだ」
先に言葉を発したのは双子の方だった。
「フン、オレの思った通りだったな」
「さすがギイ。あれが効いたんだな。キヒヒヒヒ」
ヤンはオンドロを静かに寝かせると傭兵団の方を向く。
「オンドロをお願いします」
「わかった。任せてくれ」
アマティが答えてる内からイボンヌ、ウッシードがオンドロの元へ走る。アマティも続く。
ヤンはすぐに双子に向き直るとゆっくり歩き出す。
「置き土産のせいで遅くなっちゃったよ」
「気に入ってもらえたか?」
近づくヤンにギイが尋ねる。
ここに来る途中の通路にありとあらゆる罠と妨害工作を仕掛けておいたのだった。
「全然。面白くなかったし」
「ははは、そりゃ災難だったな」
「オンドロ、強かったでしょ」
「ん? そこのぶっ倒れたもじゃ頭か?」
ギイが嘲るような視線をオンドロに送る。
ちょうど傭兵団が三人がかりで奥に移動させて介抱中だった。
「そうだよ」
ヤンの表情が変わる。
今にも襲い掛かりそうな猛獣の気配。
「おい止まれ、ガキ」
頭の中で警報が鳴ったジルが叫ぶ。
ヤンは止まらない。
ジルには目もくれずギイに近づく。
「止まれってんだよ、テメ――ぐぉッ」
しゃべりの途中でヤンの掌底を鳩尾に食らって斜め上に吹き飛ぶジル。
さっきオンドロの【音波】で壁に叩きつけられた時とは訳が違った。
掌底自体が致命的ダメージだった上に十mはあるだろう天井に叩きつけられ追加ダメージ、からの落下ダメージで三連コンボ。
哀れジル、もはや虫の息。
「ジル!」
ギイが半身になってジルに声をかけるが倒れた姿勢がパッと見でもう諦めるレベルなので体が動かない。動けない。
動きが全く見えなかった。
自分に向かってきていたのが、一瞬でジルの懐に飛び込んでジルをやっちまった。
ジル……おお、弟よ。
まだ今なら間に合うかもしれない。
高級回復薬なら回復させられるはずだ。
だが動けない。
ヤツが近づいてくる。
(逃げる……)
そうだ逃げるしかない。
弟……ジルを置いて?
見捨てて逃げるのか?
だがこのままでは二人ともやられる。
まだ手合わせもしていないがわかる。
このガキには勝てない。
どうやったって無理だ。
百回戦っても百回負ける。
そんな相手から逃げ切れるのか?
やってみなきわからんだろうが。
ダメでもやるしかないんだ。
だが今は無理だ。
このガキ、隙がなさすぎる
どうにかチャンスを作らないと……。
瞬きの間にあれこれ考えるギイ。
機を逃すまいという必死さが血走った目に現れていた。
「そこまでだ! 全員動くな!」
突然声が響いた。
全員が声の主のいる方向を見た。
逃げるチャンスを窺っていたギイでさえつい見てしまったほど、あまりに予想外の乱入者だった。
「審判三番隊のディオ・グリムリーパーだ」
彼は保安局執行官の三番隊隊長。
二十七歳にしてBランク相当の実力者で審判のナンバー4とも3とも言われている人物だった。
三番隊は本来オグリム支部の封鎖任務にあるはずが何故この場所にいるのかは謎だ。
「たった今からこの場は保安局の管理下に置かれる。全員許可があるまで一切の発言と行動を禁ずる。従わなかった場合命の保証はない」
一方的且つ高圧的な発言に誰もが不快感を覚えたが、若干一名まるで意に介さない者がいた。
「オイそこ! 動くなと言ったはずだ!」
ヤンが再びギイに向かって歩いていた。
ヤンを猛追したディオがその腕を取ってギイとの間に割って入り、無理矢理ヤンを止める。
「貴様がヤンか。噂通り生意気なヤツだ」
どうやら保安局内ではヤンの評判はよろしくないらしい。
「どいてよ。その人を捕まえるんだから」
ヤンが抑揚の無い声で言う。
ディオを見る目もまるで無関心なものを見るような冷たいものだった。
「それは我々の仕事だ。貴様は邪魔せずおとなしくしていろ」
ヤンの周りに他の隊員と思しき三名が集まってくる。
と、その時またしても土埃嵐。
「うわっ」
「なんだこれはッ」
「クソッ、目が見えないッ」
初見の隊員たちがプチパニックを起こす。
そんな中ディオはヤンの腕を潰さんばかりの力で掴み、絶対に逃さないという意志を示していた。
「動くなよッ!」
その声でパニクっていた隊員まで固まる。
おいおい、大丈夫なのか。
ちゃんと訓練しとけ。
「ヤン!」
オンドロの声。
意識を取り戻したらしい。
ナイスだ、おたまじゃくしちゃんたち。
「わかってる」
ヤンが答えるや否や、ディオの身体がぐるんと一回転して地べたに叩きつけられる。
当然ヤンを掴んでいた手は離れてしまった。
「がはぁッ……き、貴様ナニを……ゴホッゴホッ」
返事はない。
ヤンの気配も既にない。
あるのは土埃のみ。
「どこだっ!? 探せッ! 捕獲しろ!」
ディオが命令するが、肝心の『誰を』が抜けているので正しく意図が伝わったとは言い難い。
そもそもこの視界で何かを探すこと自体極めて困難だった。