020.囮作戦(二)
翌朝、スタルツ支部ロビーに『おたまじゃくし傭兵団』の三人が姿を見せた。
「おはようございす、おたまじゃくしの皆さん」
アイシャが三人をロビーで出迎える。
朝一番のギルドハウスにはまだチラホラとしか冒険者の姿はなかった。
「おはようございます」
「おはよーっす」
「ウッシ」
三人とも朝は強い方なので今朝は既に準備万端元気一杯だった。
「早速ですがみなさんにご紹介します」
アイシャが手を向けた先、ロビーの柱の裏側にいた人物がゆらりと姿を現す。
「Dランク冒険者のオンドロさんです」
オンドロがアイシャの隣まで歩いて来て軽く一礼する。
「どうも、オンドロです」
声が低くて小さい。
どうしたんだオンドロ、朝弱かったっけ?
もしかして少しでも真面目ぶるために考えた演技なのか。
そしてアイシャの紹介で驚愕の事実が判明。
あのオンドロがいつの間にかDランクに昇格していたとは!
ほとんど天変地異レベルではないか。
実はヤンがセインに行ってる間の宿題として課せられていたのがランクアップだったのをなんとかギリ達成出来たばかりなのだった。
おめでとうオンドロ、やれば出来る子。
とは言え、オンドロがギルドのロビーにいたのに気付いた冒険者たちが密かに騒ついていたのを見ると巷の評価はまださほど変わっていないらしい。
一度定着した評価を変えるのはやはりそう簡単ではないのだ。
まだまだ険しいオンドロ更生への道。
「おたまじゃくし傭兵団のリーダーのアマティです。今回は急なことだったのに協力してもらえて本当に助かります。よろしくお願いします」
アマティが直立姿勢から直角に腰を折って礼をすると、他の二人のメンバーも軽く頭を下げる。
頭を上げたアマティはすぐメンバー紹介を始めた。
「こっちがイボンヌです」
「どもー。よろしくっす」
左手を挙げてラフな挨拶をするイボンヌ。
「で、その隣がウッシーです」
「ウッシ。よろしくなんだな」
こちらは突っ立ったままニタリと笑ってご挨拶。
紹介される度にオンドロの表情が困惑度を増していたのだが三人はその辺は気にしない様子だったのでセーフ。
「では、特になにか確認などなければもうこれで手続き等は終了していますので、出発していただいて大丈夫です」
アイシャがまるで早く出発しろとでも言わんばかりにエントランスの方へ手を差し出す。
「あ、そうなんですか。オンドロさんの方は準備とかは?」
「大丈夫だ」
「それじゃ行きますか。アイシャさん、どうも色々とお手数かけました。ありがとうございます」
アマティがアイシャに手を差し出す。
「いえいえ。大事な依頼でしたのでこちらこそ助かります。あとは気を付けて、無事達成されるよう祈ってますね」
その手を両手で受けてしっかりと念を送るアイシャ。
「はい。では行って来ます」
「行ってらっしゃいませ!」
オンドロも最後にアイシャに一礼してから三人にくっついてギルドハウスを後にする。
ここまでは上出来じゃないかオンドロ。
見違えたぞ!
四人を見送ったアイシャが奥の窓口へ歩き出した時、ちょうど案内課控室からヤンが出て来た。
「ヤン君!」
アイシャが元気に声をかけるとヤンはアイシャの近くまで来て挨拶。
「アイシャさんおはよう。お見送り?」
「ええ、ちょうど今行ったところよ」
「そっか。じゃもう少しだけ待とうかな」
「え、すぐ追いかけるんじゃないの?」
「うん、大丈夫」
すぐ後をついて行ったらいかにもな感じで台無しになってしまう。
ただでさえ誰がどこで見ているかわからないのだから用心するのは当然のことだった。
「ヤン」
今度は冒険課控室からバーンズが出てきた。
ヤンとアイシャの声が聞こえたのだろう。
「バーンズさん、おはよう!」
「色々すまんな」
ヤンに向かってゆっくりと歩きながらバーンズが近づいてくる。
頭の裏を掻きながらいかにもダルそうな様子。
「いいよ別に。気にしないで」
「そうは言ってもなぁ……」
「バーンズさん今朝は珍しく早いんですね」
バーンズが目の前まで来たのでアイシャが皮肉混じりに声をかける。
「早いんじゃなくて泊まりだっただけだ」
「え、ここにですか? ……ってちょっと! お酒臭いですよ」
アイシャが鼻をつまんでもう片方の手を前に出してバーンズをブロック。
「ははは、まだ抜けてねえか」
笑う時吐き出す息が更に酒臭い。
「ハウス内禁煙禁酒ですよ! バーンズさん!」
アイシャが眼球をぐりぐり動かしながら怒る。
「まあまあ、たまには見逃してくれや」
「上の人がそんなじゃヨイノ君の教育上良くないですッ! 見逃せませんッ!」
「そんなら奥で寝てるケイトにも是非言ってやってくれ。ははは」
控室の方を指差して頭痛に耐えるバーンズ。
「ケイトさんも!? 二人で朝まで何してたんですかッ! しっ、支部長に報告しますからねッ!」
「アイシャさん、そんなに大声出したらみんなに聞こえちゃうよ」
ヤンが堪らず制止を試みる。
「聞かせてるんですッ!」
やけくそか!?
「ええーッ」
呆れたように立ち尽くすヤン。
こちらも全く同じ気持ちですわー。
「お前なぁ……」
バーンズも呆れ気味にアイシャに何かを言おうとするが、途中で思い出したようにヤンに向き直る。
「ヤン、とにかく頼んだぞ。一応一日遅れで別働隊が底層に下りることになってるが、コトが起きるまでは接触禁止だからなぁ」
「何かあっても合流前に終わらせるから大丈夫。相手が何十人もいたらちょっと手こずるかもだけど」
「ははは、そりゃ大ごとになるなぁ」
ヤンが物騒なことを言うが、バーンズは軽くいなす。
「そこ! 笑うとこじゃないと思います!」
真に受けた人が約一名。
「はいはい、もういちいち突っかかんなよ頭に響く……。んじゃ、オリャもうちょっと寝ることにするわ。じゃあな、ヤン」
言い終わらぬ内に踵を返してバーンズは奥の控室へ歩き出していた。
「うん、おやすみなさいバーンズさん」
バーンズの背中に声をかけるとバーンズは右手だけ軽く上げてひらひらさせる。
「じゃあボクも。行ってきまーす」
アイシャに向き直って声を掛けるとヤンはそのままエントランスへ駆け出す。
「え? ヤン君? なに? おやすみ? え? 」
バーンズとヤンと、控室とエントランスとを交互に見ながらキョロキョロあたふたするアイシャだった。
* * * * *
スタルツの東関所近くのとある建物の二階。
各安全層にある二箇所の関所のうち、東側は下の階層との連絡口であり西側は上の階層との連絡口になっていた。
四人組の冒険者が関所で門番から誰何と確認手続きを受けている。
「アレなんかどうだギイ」
「フン、まぁまぁだな」
「……行ったな」
「ああ、行ったな」
部屋の窓を僅かに開けた隙間から外を観察している者たちがいた。
「今度こそ皆殺しでいいんだろ、ギイ」
「そうだな、ヤツらを殺ったらそのままオグリムまで下りてトンズラだ。思う存分やるさ」
「キヒヒヒヒ、楽しみだぜ。下りる途中に他のヤツらがいたらそいつらも全部殺っちまっていいよな」
「ああ、好きにしろ」
「連中今頃は必死に下層を調べてるんだろ。マヌケにもほどがあるぜ。なぁギイ」
「それなんだがな、どうもキナ臭い。下層をやるならスタルツも対象にするはずだが、ここは今んとこ平和そのものだ」
「どういうことだ?」
「ギルドのヤツらが何か姑息な策を弄している可能性もある。念には念を入れてもう少し様子を見るぞ」
「まったく、ギイの心配性は毎度ながら異常だぜ」
「それを言うならお前の殺人衝動の方が異常だろ」
「殺しの気持ち良さが異常ってんなら確かにその通りだ。アレはもうこの世のありとあらゆる快楽の中でもブッチギリで最高なんだぜ。なんでギイにはわからねえんだよ」
「頭がまともだからな」
「チッ、またそれか。インテリ兄貴ぶるのはやめろよな」
「別に兄貴ぶってはいないだろ」
「……そうだったな」
「さあ、オレたちもそろそろ行くか」
「待て、ギイ!」
腰を上げかけた一人をもう一人が制止する。
「なんだ?」
「アレは誰だ?」
関所で一人の子供が門番と話をしている。
「なんだガキじゃねーか、ほっとけ」
子供はそのまま外へ行ってしまった。
「いや、にしても一人で底層に下りるのは不自然だぜ」
「確かにな。大人は付いてないか」
そのままじっと関所の様子を伺うが特に出入りはない。
「……いねえな」
「本当にガキ一人かよ、なんなんだ」
「やっちまうか?」
「おいバカ待て! 町に近すぎる」
「チッ、つまんねえなぁ。てか今バカって言わなかったか」
「言った。すまん。ついな」
「しょーがねえなぁ。一回だけ許す」
「ああ、気をつける」
「追ってくか、あのガキを」
「待て、もう少し様子見だ。後から行くヤツがいるかもしれない」
「はいはい、しょーがねえなぁ」
* * * * *
第九階層に下りてすぐの場所は本来なら代理主エリアだった。
「代理主、いないねー」
残念そうに言うイボンヌ。
「まぁそういう依頼条件だからな」
「楽チンでいいんだな」
「いつもこうならいいのにねー」
「でもこれ、どのタイミングで倒してくれたんだろうな。早すぎたら復活するし、うまく合わせるのも大変な気がするけど」
「ま、いいじゃん。そんなのギルドの仕事だし」
「そうなんだけど、やっぱ自分たちの安全に関わることだから知っといた方がいい気がするんだよなあ」
「アンタなんか知ってる?」
いきなりオンドロに話をふるイボンヌ。
「いや」
相変わらず低くて小さい声で答えるオンドロ。
しかも挨拶の時以来久々にしゃべったからか若干掠れ気味。
「え? なんて?」
イボンヌは聞き取れなかったらしい。
「……」
何か言ってもまた掠れそうで声を出せないオンドロ。
「ねえ、なんて言ったの?」
グイグイくるイボンヌ。
完全に立ち止まって追及モードに入ってしまっていた。
「……」
オンドロは斜め下を向いて立ち尽くす。
「ちょっとちょっと、アタシ今シカトされてるんだけど。超ウケる。アハハハ!」
ギャルかお前は。
「だから知らねえっつってんだよ」
さすがに我慢ならなかったオンドロ、つい大声で怒鳴ってしまう。
「おわッ! ……なんだしゃべれんじゃん」
悪びれる様子もなくオンドロの肩に手をポンと置くイボンヌ。
オンドロは無言でその手に視線をやる。
「すみません。コイツ誰でもすぐ馴れ馴れしくしちゃうんで。悪気はないんです」
アマティがオンドロの前まで来て頭を下げる。
「別に。気にしてねえよ」
やや照れ隠しも入ってぶっきらぼうモードのオンドロ。
「ホラ、気にしてねえってさ! 仲良くやろうぜオンドロさん、な?」
肩に置いていた手を反対側の肩に回してぐっと顔を近づけてくるイボンヌ。
近い……そして胸が腕に当たってる……。
「……ああ」
またキレられると困るのでオンドロは素直に返事をしておく。
違う意味でもドキドキしていたのは内緒だ。
チェリーでもないのに何故か純情君が顔を出すオンドロ。
「じゃあこの先はメインルートから外れるんで、みんなコレ付けて」
ちょうど暗い通路の手前まで来た所でアマティがベルトーチを配り始める。
「オレ、これ苦手なんだな」
ウッシードは体も大きいが顔も大きい分頭の周囲も大きいのでベルトの長さに余裕がなく、いつもギュッと締め付けないとベルトが止まらなくてそれがイヤだった。
「悪いな、我慢してくれ。それにしてももう少しベルトの長さに余裕が欲しいよな、これ」
こんな所で商品改善案を愚痴っても意味がないのだがアマティよ。
どうせなら商業課にでも要望として入れておけ。
「オンドロさん、これどうぞ」
「オレは必要ない」
「え、でも真っ暗で何も見えなくなりますよ」
「大丈夫だから気にするな」
ベルトーチを頑なに拒否するオンドロを見て怪訝そうにしていたアマティだが、突然思い出したように晴れやかな顔になる。
「なるほど、そういう事ですね。わかりました」
何がそういう事なのかオンドロにはわからなかったが、しつこく言われなくなったのでほっとした。
「いやぁ、やっぱりギルド推薦のソロ冒険者だけあるなぁ」
勝手に感心しているアマティにイボンヌが食い付く。
「ナニナニナニ、どうしたの?」
「いや、オンドロさんがこれ必要ないんだってさ。すごいスキル持ちなんだよきっと」
「え、暗くても見える的な?」
「それそれ。何て言ったっけなぁ」
「暗視なんだな」
まさかのウッシードが答えるパターン。
「そう、暗視だ!」
いや、全然違います不正解ですごめんなさい。
でもオンドロのスキルは秘密なので間違いだろうが誤解だろうか放置するしかないのだった。
ひとしきり感心しまくっている三人を横目に先頭を切って暗い通路へ入って行くオンドロ。
それを見てまた三人が嬌声を上げるのだった。
* * * * *
第九階層の非メインルートエリアの指定場所を一通り確認し終えた一行は、今夜のキャンプ場所として第八階層に下りた近くにあるキャンプ8-3を選択した。
ちなみに第九階層については高潮の時にヤンたち『青の開拓者』一行がほぼ全滅の勢いで魔物を狩りまくったので、現在他のどの階層よりも平穏な状態なのだった。
手分けしてキャンプの設営を済ませ、メシの支度をしてみんなで食べ、自由時間を経て寝る時間となった。
オンドロは自ら見張り番を志願していた。
さすがに一晩ずっとは申し訳ないと思ったのか、途中でアマティが交代する条件で確定。
明日に備えて早速三人は寝床に入った。
オンドロは一人、少し離れた場所で焚火をしながら【音波】で様子を探る。
(やはりいるな)
直線距離で約二百m程離れた場所に微弱な反応が二つ。
底層に入って十五分程経過した辺りでオンドロは最初の反応をキャッチしていた。
反応の弱さからすると隠蔽系のスキルを使って追ってきているらしい。
一日中、二つの反応が一定の距離を保ってずっとついて来ていたのだった。
正直何度後ろを振り返りたくなった事か。
(ヤンのやつ、ちゃんとついて来てるんだろうな)
来ているのはわかっているつもりでも、どうしても反応がないと不安になる。
ヤンが特殊なスキルで【音波】に反応しないように出来ることは知っていたが、実際の任務中にこうもノーリアクションだとさすがに色々考えてしまうのも致し方ない。
敵が察知系スキルを使っている可能性を考慮してヤンも極力おとなしくしているというのは事前の打ち合わせ通りでもあったのだが……。
それでもこのキャンプに落ち着いてから一度だけヤンの反応があった。
オンドロの働きを労うつもりだったのかもしれないし、おやすみの合図だったのかもしれないが、やっとヤンがいるという確信を得られたオンドロはそれだけで勇気百倍だった。
(それにしてもオレがこんなことになるとはな……)
万年ソロ冒険者だった自分がギルド直の依頼で他のパーティに同行するような任務につくとは。
オンドロは自分でもここ一カ月余りでの自分と周囲の環境の変化に戸惑っていた。
(全部あの日あの時、ヤンと出会ってから始まった……)
初対面の子供の目の前で人生初の大号泣を披露してしまったのは今思い出しても大声で叫んで身悶えしたくなるほど恥ずかしかった。
今やオンドロにとってヤンは年の離れた弟でもあり、師匠のようなものでもあり、そして初めて出来た友人でもあった。
ヤンがいてくれるから、ヤンが手伝ってくれるなら、自分は変われる。
もっと上を目指せるんだ、と言い聞かせて死に物狂いでがむしゃらに頑張ったこの一カ月。
その成果を見せる時でもあった――。
充分に警戒しながらも、一カ月間の色々な事に思いを廻らせながらどこかゆるりとした気持ちで焚火に木をくべるオンドロ。
昼夜の区別のない底層の迷宮内だが、まだ夜は長い――。
* * * * *
「そろそろ寝たかな」
「まだだぞジル」
「わかってるって。殺る前に獲物をじっくり観察するってのもお楽しみのひとつなんだからよ」
「まったく本当によくわからねえなお前は」
「そういうギイだって殺る時の顔なんか尋常じゃねえくらいやべえって知ってたか?」
「知らねえよ、自分の顔なんか」
「アレ見たらもうションベンちびるくらいビビるって絶対。人間の顔してねえもの」
「チビらないし人間だバカ」
「あ、また言った!」
「……すまん。もう一回だけ許してくれ」
「しょーがねえなぁ。次言ったら銀貨一枚な」
「意外と安いな」
「じゃあ十枚!」
「……一枚にしておいてくれ」
「お客さん今回だけですぜ」
「いや、今回はタダで許せよ」
「チッ、バレたか」
「こういう時だけ頭が回るのはなんなんだよ」
「知らねえよ、頭に聞いてくれ」
「今聞いてるだろ。お前は頭以外で考えてるのか」
「ギイ、オレたちの仕事は頭で考えるんじゃねえ。体で感じるんだ」
「ったく急にまともなこと言いやがって。だが頭でも考えるんだぞ。じゃないと死ぬぞ」
「なぁなぁギイ、ちょっとだけ見てきていいか」
「……見るだけだぞ、何もするなよ」
「わかってるって。キヒヒヒヒ」
「絶対に何もするなよ!」
* * * * *
「ワッチュ。ウソだろ、もう来やがった――」
反応が近づいて来たのを感知したオンドロは信じられない思いだった。
ヤンと昨日予想したのは第七階層で仕掛けて来るだろうってことだったのにまさか初日の夜とは。
やはり隠蔽系スキルを使用しているのか、微弱な反応。
「ん?」
オンドロはもう一度確認する。
近づいて来るのは一人だけだった。
もう一人は全く動いていない。
すると、ヤンが三回だけ反応した。
これは『待て』の合図だった。
ヤンもこの状況をわかった上で何もするなと言ってきてるのだ。
それにしてもヤンの位置が遠い。
敵のスキルを警戒してるのはわかるが、これでは何かあってもすぐ来られないのではないか。
信頼と不安の間で揺れ動くオンドロ。
だが、勝手に動いて失敗するのが何よりも最悪だってことくらいはわかっていた。
「クソがッ」
あれ? 汚い口はまだそのままですか。
いやいやそれもすぐ治した方がいいですよ。
(もうそこの角まで来てやがる)
気付かないフリというものがこんなにも難しいことだとは今の今まで知らなかったと思い知らされるオンドロ。
奥歯がガタガタいうほど体の奥から震えがくるのを全神経を集中して抑え込む。
なんだか最近もこんな目にあったばかりのような気がするがあの時と違うのはもうオンドロがEランクの底辺冒険者じゃないということだった。
加えて今回は最初からヤンが見守ってくれている。
そう考えると、今感じている怖さはあくまで自分の弱さによるもので、状況自体は相当マシな部類なのだと頭では理解できたオンドロ。
それにしてもこの敵は隠蔽系スキルを使ってる一方でこんなダダ漏れの生の殺気を放って来る辺りは不用意さよりも異常性の方が際立っているように思える。
一方、傭兵団の連中は適度な疲労もあってか、剥き出しの殺気にも気付かず眠りこけている。
「チッ、呑気なもんだぜ」
オンドロの悪態も夢の中までは聞こえなかった――。
* * * * *
おおおおおッ、四人だ、四人いるぅッ!!
見張りのヤツはもじゃ頭の冴えねー野郎か。
まぁ殺り甲斐はなさそうだが、ちょいと動けなくしといてイジメてやったらいい具合に鳴きそうだなぁ。
キヒヒヒヒ。
あのリーダー格の男はちょっと手応えあるかもしれないなぁ。
先に手足やっといた方が楽チンだなー。
あとクソデカい牛男は転がせばどうにでもなりそうだ。
あいつ肉食えそうな気がするなぁ。
バーベキューやるか?
そんでメインディッシュはあの女だぜ、キヒヒヒヒ。
どうやってやろうかなー。
ああああ色んなアイディアが止まんねえ!
最後はやっぱ下から剣突っ込んで口から出すアレかなぁ。
そんで剣をぐりぐり回したらどんなんなっちゃうんだおいおいおいッ。
あぁでもギイも女好きだったなぁ。
最後に取っといたら先にギイにやられちゃうかも知れねえなぁ。
うーん……最初に目ん玉だけ貰っとくか。
あの女の目ん玉をオレの金玉ん中に入れて玉四つにするか。
キヒヒヒヒ!
おっとやべえ、つい声出しちまった。
まぁ、あのボンクラどもじゃ気付かねえか。
もうちょっと待ってろよ。
オレが……オレたちがちゃんと可愛がってやるからよぉ。
* * * * *
敵の反応が遠ざかって行った時のあの感覚。
安心とか安堵ではなく皮一枚で命が繋がったというジンジン痺れる感じにプラスして物凄い重力を伴った脱力感が襲いかかってくる感じ。
あんなのは二度と御免だと身をすくめるオンドロ。
結局、アマティと交代した後もほとんど寝付けずギンギンの不眠状態で翌日が始まった。
第八階層も特に異常なし。
魔物の種類も出現数も出現場所も平常時のものだった。
基本魔物には敢えて仕掛けず、確認して立ち去るスタンスなので戦闘によるタイムロスがないのがありがたい。
それでも第八階層は底層で一番広い階層なので周るのに丸一日かかった。
魔物をやり過ごすために待機したり迂回した時間も結構あったので討伐しながら進めた方が結果的には早く終わってたかもしれない。
傭兵団の面々はそれでもノーリスクで報酬を貰える事を喜んでいる風だったのでオンドロも特に何も言わずアマティの采配に任せていたのだった。
二日目の夜はキャンプ8-1を利用することにした。
明日一日かけて第七階層を確認したら任務は終わる。
後はオグリムに下りて報告すれば依頼達成だと晩飯の時に傭兵団が盛り上がっていた。
オンドロは眠気と戦いつつも、また今夜もヤツが来るかもしれないとか、今度こそ二人が動いてやり合いになるんじゃないかと考えて気が気ではなかった。
「今夜はアタシとウッシーが交代で見張りやるからオンドロさんはゆっくり休めばいいよー」
イボンヌが飯の後に声をかけてきた。
「ああ、そうさせてもらうよ」
まだ低くて小さい声を続けるつもりのオンドロ。
「オンドロさんいい加減普通にしゃべろーよ。疲れるっしょソレ」
笑いながら肩をパンパン叩くイボンヌ。
バレテーラはーずかC!!
ゲホゴホと咳き込んで誤魔化すオンドロ。
よく見るとイボンヌだけじゃなくアマティとウッシードもこちらを見てニヤニヤ笑っていた。
みんなお見通しだったーッw
「寝るわ……」
そう言ってその場から逃げるのが精一杯。
そのおかげか、恐怖が少し和らいだような気がして知らず知らず笑みが溢れるオンドロ。
ただの照れ隠しだったのかも知れないが。
* * * * *
「なぁギイ、今日も見に行っていいか」
「ダメだ」
「えええッ! なんでだよいいだろ見るだけ、見るだけだから!」
「そういう事じゃない。やるぞ」
「そ、それってもしかして……」
「そうだ。今夜やる」
「でもギイ、確かやるのは明日のはずだろ?」
「最初の計画ではそうだったが……イヤな予感がするんだ」
「予感か。ギイの予感は当たるからな」
「あのガキが気になってるんだ」
「ガキ? ああ、関所から先に下りてったガキか。あのガキがどうしたんだよ」
「どうもおかしい。あのガキが下りてったのはターゲットの後だ。どこで追い越した? オレの【気配察知】にもまるで反応がねぇ。メインルートを歩いてったにしてもキャンプを使った形跡がなかった」
「さすが、よく見てるなギイ。オレなんかもう忘れちまってたぜ」
「ジル、言ったろ。考えるんだ。自分で考えないといざって時にしくじるぞ」
「わかったよ。でも今はあのガキはいねえんだからターゲットの事だけ考えてりゃいいんじゃねえのか」
「うむ……。とにかく予定変更だ。とっとと終わらせてズラかるぞ」
「オレは全然構わねえよ。むしろ願ったり叶ったりだ」
「周囲にオレたち以外の気配はない。お前も確認しろ」
「おれの【気配察知】にも反応なしだ。あるのはあの四人だけだぜ」
「お前のはレベル2だから当てにならねえんだよなぁ」
「ちぇッ、なら聞くなよ。レベル4だからって威張るんじゃねえ。殺しならオレの方が上なんだからな!」
ちなみにオンドロの【隠れ身】はレベル3(レベルアップした)なので、もし使ってもジルには通用するがギイには看破される。
このように隠蔽系と察知系は相対レベルで効果の有無が決定するのだった。
「そんな事でいちいち張り合うんじゃねえよ。仕事に集中しろ」
「分かった。集中だな、集中」
「もう一度確認だ。全員始末したら金目の物だけ頂いて全力で撤収だ。いいな」
「途中で会ったヤツらも全部始末するんだよな」
「そうだ。これで最後だから遠慮はいらん」
「キヒヒヒヒ、ワクワクしてきたぜ」
「よし、行くぞジル!」
「オケッ」
二人の暗殺者が闇へ奔り出した――。





