012.緊急救難信号(二)
第八階層採掘ポイントαをチャッキーの群れが襲う約四時間ほど前。
採掘警護にあたっていた冒険者オンドロが姿を消した。
オンドロと一緒に警護のシフトに入っていたラムズはイヤな予感が的中したと暗澹たる気持ちになっていた。
オンドロとラムズは案内人のタッツォールと一緒に五日前にこの現場に到着したのだった。
前任の冒険者二名が任期満了でオグリムに戻るため、その補充として派遣されたのだった。
ラムズは23歳のDランク冒険者でこれまで四年間ずっとソロで活動していたのだが最近限界を感じており、そろそろどこかのパーティに所属するべきかと悩み始めている時期だった。
採掘警護のクエストはこれまで三度の経験があった。
難易度に対し報酬が比較的厚遇されているクエストだったので、時期が合えば積極的に参加してきたつもりだった。
今回も底層の案件ということもあってほとんど何も考えずに条件反射で応募したのだった。
採掘警護は採掘作業員を魔物から守るのが主な目的だが、採掘現場には魔除け処理が施されているので通常の魔物であればほとんど近寄ってくることはなく、事実ラムズが過去参加した三回とも魔物の姿すら見ずに終わっていた。
そう聞くと一見ラクな仕事のように思えるかもしれないが、最低でも一週間は現場に滞在するのでちょっとした遠征と同じ装備で臨む必要があるし、現場にいるのは作業員と他の警護冒険者ということでいずれもデリカシーに欠けるきらいの面々であることが通常であるため、魔物とは無関係なトラブルが日常的に発生していた。
主にそれは賭け事であったり、酒に酔った挙句の言動であったり、所謂いじめにような行為だったりと要因は様々ではあったが、とにかく何かしら問題が高頻度で起きるということでそれを嫌って受注を忌避する冒険者も少なくないのだった。
そんなわけであの悪名高いオンドロが警護任務に参加するというのがそもそも予想外の出来事だったのだ。
だが現実にはこうして自分と一緒に現場に向かうオンドロが隣にいる……。
しかも今回同行する案内人はE級になったばかりの若者だというではないか。
これではいざという時に自分にしわ寄せがくるのではないかと不安が募る。
現場へ向かう道々のオンドロの態度がまた想像以上に酷いもので、これから一週間こいつと一緒なのかと考えると早くも任務の契約を破棄してでも帰るべきなのではないかと考え始めていた。
「なぁお前、どうでもいいがオレの邪魔すんなよ」
最初にラムズがオンドロから声をかけられたのがこの言葉。
「どういうことだ?」
とラムズが聞き返すと
「質問禁止。うぜぇ」
と斬り捨てられたのだった。
傍で聞いていた案内人もこれにはあからさまに聞えないフリで背中を向けていた。
ラムズとしても道中できるだけ関わらないようにしていたのだが、暇を持て余したのか向こうからなんやかんやと声をかけられ、そのストレスもあって不安がどんどん大きくなっていった。
「お前、あんま見ない顔だよな。何ランク?」
これなどはまだ初対面における普通の会話と言えるのだが、話している本人がオンドロというだけで不快度アップ。
以下もひとつひとつは他愛ないものだが、ひたすらこの手の発言が続くとうんざりを通り越して無の境地にすがりたくなるラムズであった。
「しょぼい装備してんなぁ。そんなんで魔物と戦えんのか?」
「警護なんてダサい仕事、やってやるだけ感謝しろってーの」
「なんか食いモン寄越せよ。腹減ったんだけど」
「なぁ女の知り合い紹介しろよ。誰かいるだろ。姉ちゃんとかでもいいぜ。母ちゃんは勘弁だけどな」
「お前人殺したことある? ねぇよな。そんな顔してるし」
「喉乾いたぞ案内人。早く水持ってこい」
「使えねー案内人だなオイ。チェンジチェンジ」
「ちょっと待てコラ。ションベンだションベン」
「あとどんくらいだよ。ハァ? ふざけんなテメー。おぶってけよクソが」
「もし飯がマズかったら即帰るからな。こう見えてオレぁグルメなんだ」
「あークソつまんねぇ。なんか面白い話しろよお前」
「おいナニ黙ってんだよ、無視すんなカス!」
いやはや……。
現場に到着後、ある程度覚悟はしていたが案の定自分と同じシフトに組まれてしまった時は軽く絶望。
できるだけオンドロとの接触は避けて目立たないよう行動するしかなかった。
そうしてなんとか暫くは無事にやり過ごしていたというのに、任務終了間近になって行方をくらませやがるとは……。
「ちょっと行ってくるわ」
いなくなる直前のオンドロの言葉をラムズは小用を足しにいったものだと解釈していたのだが、待てども待てども戻らない。
仮に大だったとしても遅すぎるということで、同じシフトで警護にあたっていたリーダーのガモンに一言断って探しに出かけたのだった。
カンテラを持って暗い通路に入って間もなく、オンドロを発見するどころかチャッキー三体に発見されてしまい、慌ててその場から逃げ出したラムズ。
チャッキーと戦った経験こそあったものの三体を一度に相手にしたことはさすがになかった。
そもそも一体でもなんとか互角に戦えますレベルの戦闘スキルでは三体同時など自殺行為に等しい。
実はラムズはそもそも戦闘行為が得意ではなかったのだった。
採掘現場のあるスペースまで戻れば魔除け効果でチャッキーも諦めるだろうと思っていたのだが、チャッキーは全く気にするそぶりもなく追ってくるのでラムズは焦る。
しかもあろうことか採掘現場には既に別なチャッキーが十体以上いて、冒険者や作業員が大騒ぎしているではないか。
ここに至ってとうとうラムズもパニックに陥る。
「チャッキーだ! 誰か助けてくれ!」
いやそれは警護任務の冒険者である君自身の仕事なのだが。
残念ながらその声は誰の耳にも届いていなかった……。
* * * * *
冒険者オンドロ。
タッツォールが案内課の資料で確認した経歴では二十二歳で四年目のEランク冒険者。
四年目になってもまだEランクのままというのは一般的には底辺冒険者と呼ばれ、実力もなければやる気もなくただダラダラとその日暮らしを続けている生活落伍者たちとして認識される層でもあった。
だが、オンドロの場合は親が資産家という噂で実際お金に困っている様子もなく、他のEランク冒険者と比べると随分と気ままな余裕ある生活を送っているようだとの注釈が記載されていた。
タッツォールが実際にその姿を見た印象としては、なんだか埃っぽくて覇気がないもじゃもじゃ頭の冴えない男といった所で、これが資産家の息子とは俄かに信じがたかった。
その表情にはいかにも皮肉屋っぽい擦れた感じが滲み出ていて、目付きが悪く口元は歪んでいた。
もう一人の冒険者のラムズという男は元農夫ということで真面目そうな印象だっただけに、このオンドロの様子は際立って異質に見えた。
現場に向けて移動を始めた道中の様子から自分がオンドロに舐められているのはわかっていたタッツォールだが、まさか現場で任務についても態度が全く改善しないとは予想だにしていなかった……。
タッツォールは着任するとすぐ、入れ替わりに運び任務で現場を離れる案内人モーガンから簡単な申し送りを受けると、そのままオグリムに下りるモーガンと冒険者二人を見送った。
その足で今度は継続して警護を担当している『草原の風』の四人にオンドロとラムズを引き合わせると、役割やシフト等その後の対応は警護のリーダーであるガモンに任せて少し離れた場所で日報を書いていたのだが――。
小一時間も経たずにガモンが怒鳴り込んできた。
「オイなんだあのオンドロとかいう腐った死体みたいなヤローは! 言う事はきかんわ堂々とサボるわロクに返事も出来ないわで何の役にも立たん。ヤツは本当に正規の冒険者なのか!?」
まさかオンドロがそこまでポンコツだとは。
タッツォールの予想を上回る酷さだった。
「すみません。後でギルドには確認してみますがおそらくは……」
「とにかくヤツはダメだ。ダメ人間の更生なんぞ金を積まれたってお断りだ! こっちの仕事にまで支障が出ちゃ堪らんからもう金輪際ヤツには関わらねぇぞ。いいな!」
一方的に言い捨ててガモンは持ち場へ戻って行ってしまった。
警護の冒険者については案内人の管轄外なのだが、このまま放置するわけにもいかないのでタッツォールは仕方なくオンドロと直接話をしに行った。
「あの、オンドロさん」
「なんか用か?」
なんだ返事は出来るじゃないか。
ただ相変わらず完全にタッツォールを見下した態度だった。
「警護の仕事についてなんですが……」
「わかってるって。魔物が出たらやっつけるんだろ? 楽勝楽勝」
片手をひらひらさせながら気だるそうに言うオンドロ。
「警護の任務は一人でやるんじゃなくて協力してやるんですから、ガモンさんの指示にちゃんと従ってください」
「ああ? いちいちうるせーんだよあのオッサン。お前からもちゃんと言っとけ」
いや何をだよ……。
そもそもいまいち会話が噛み合っていないのだが、おそらく指摘しても相手にされないだろう。
「とにかく、あまり勝手するようなら契約違反で即時解雇になるかもしれませんよ。いいんですか?」
「だれが?」
「いやだからオンドロさんがですよ」
「違うだろ」
「違うってなにがですか?」
「クビかどうか決めるのは誰なんだよ」
なんだそっちのことか。
「今の現場ではガモンさんの判断ですが、実際に決定するのはボクになりますね」
解雇の判断は現場の警護リーダーだが、解雇の決定と通告はギルドの人間ということになっていた。
この場合は唯一ギルド所属の人間であるタッツォールということになる。
冒険者については案内課の管轄外としておきながらもこうして人事権に相当する権限が与えられているなど、ギルド側もだいぶいい加減というか面倒くさい部分はグレーゾーンでうやむやにしておこうという意図が透けて見える。
実際に現場に派遣された人間に丸投げしておいて、問題を起こしたら後で責任でも何でも取らせればよいという考えなのかと勘繰ってしまうのも致し方ないのだった。
「なら問題ねぇ。そうだろ案内人の兄ちゃんよぉ」
自分にはそんな度胸はないとでもいいたいのか。
タッツォールは人生でそう何度も経験したことがない憤りを感じた。
「さぁどうでしょうね。とにかくちゃんと警告はしましたから」
解雇通告の前に最低一度は該当本人に然るべき警告を発する必要があった。
警告後も改善が見られない場合に限り解雇は有効とされる。
そんなわけでタッツォールはGGL3.0に従って解雇前警告をオンドロに対して行ったのだが、果たして当の本人がそうした状況を正しく理解していたかどうかは極めて疑わしい。
実際、警告後もオンドロの態度は何一つ変わることなくサボリ続けていたのだから。
* * * * *
「オイ、こいつもそん中へ入れてやれねぇのか」
足をやられて引きずっているラムズを指してガモンがタッツォールに叫ぶ。
ラムズは見たところ怪我の程度よりも戦意喪失の方が重篤な様子だった。
「すみません、結界を展開してしまったらもう外からは入れないんです」
つい五分ほど前にようやく採掘作業員全員の無事が確認出来たので、一ヵ所に集めて防護結界のスクロールを二本続けて使用したばかりだった。
チャッキーがまだそこら中にいるので攻撃された時、一本分ではすぐに効果が切れてしまうと思ったのだ。
実際にチャッキーは高潮によりレベル3に成長していたので、もし突進が直撃したら十回と持たずに結界は破壊されてしまう可能性が高かった。
したがって、タッツォールの判断は正しかったと言える。
ただでさえ六人と多くはない警護の冒険者が、オンドロを欠いているため五名しかいなかった。
その穴を埋めてくれたのが元Dランク冒険者のヌルヒチとダラックという二人の採掘作業員だった。
二人はそれぞれ採掘作業の現場監督と主任という立場であったが、散り散りに逃げた作業員を探して連れ戻すのを率先して手伝ってくれた上に、無事が確認できたところで今度は自前の剣を取ってきて冒険者のサポートを申し出てくれたのだった。
何とも見上げた心意気である。
ありがたや、ありがたや。
というわけで現在は合計七名の冒険者及び元冒険者が結界の外でチャッキーに対処してくれている状況だった。
採掘ポイントαはメインルートから外れて十五分ほど奥に入った場所にあるのだが、作業の安全確保の面から作業場全体とメインルートからの通路には魔物除け効果のある蛍光塗料が塗布されていた。
しかし作業場からは更に奥へ続く通路が三箇所あり、それらはいずれも約十mほど先までしか塗布処理がされていなかった。
チャッキーはその通路から出てきたと思われるが、魔除けを苦にせず侵入してきたのは全く想定外だった。
作業員が戻るまでの間、タッツォールは手持ちの魔除け玉を使ってチャッキーの動きをコントロールすることに成功していたので、魔除け玉の効果はある程度認められていた。
となると塗料に含まれる魔除けの効果が薄れてしまっていた可能性がある。
直近でこのエリアの壁の塗り替え作業をやったのはいつだったのか、スタルツを出る前に確認しておくべきだったとタッツォールは後悔した。
とにかく、無事結界を展開した今となってはもうタッツォールにやれることはほとんどなかった。
外で頑張っている冒険者の人たちにチャッキーの位置を教えてやるくらいが精一杯。
ラムズが負傷した時もタッツォールはチャッキーが左右から来ているのを大きな声で伝えていたのだが、既に余裕がなく必死の状態のラムズにはあまり役に立たなかった。
一体に対処した隙にもう一体に背後から足に激突され転倒。
噛み付かれなかったのは不幸中の幸いだった。
転倒の気配で気付いたガモンがすぐにサポートに来て二体とも仕留めてくれたのでそれ以上の被害はなかったが、ラムズはもう既に立つのもやっとの状態。
それで先程のガモンの言葉と相成った次第。
「お前は結界の近くで作業員たちを守れ。出来るだけ結界にダメージを与えさせないようにするんだ」
ガモンがラムズに指示すると、ラムズは力なく頷いて足を引きずったまま結界のすぐ傍に来るとそこで剣を地面に突き立てて体を支えハァハァと荒い呼吸を整えるのだった。
「ヒヒだッ! ヒヒが来やがった!」
『草原の風』のエバンが大声で叫ぶのが聞こえた。
ヒヒは全身白い毛に覆われた猿人型の魔物で高い知能による集団での連携を得意としている。
腕力と握力は人間の数倍と言われ、そのパンチ攻撃はCランク冒険者でも油断できないと警戒されている。
また、素早くてトリッキーな動きからくる噛み付き攻撃は肉は元より骨まで砕くと言われていた。
チャッキーの群れでさえ苦戦している現状に更にヒヒがやって来たとなると状況は絶望的だ。
「何匹だ!?」
ガモンが追加の報告を促す。
「三匹……いやまだ来るぞ。ダメだ、これはマズイ!」
「待て! そこを離れるな。ヒヒを絶対こっちに入れるな! オレも今行く!」
ガモンに続いて同じく『草原の風』のナッシュもエバンの応援に向かう。
「アンタたちも結界の周りで守りに入って!」
唯一近くに残った『草原の風』の紅一点カイヤがヌルヒチとダラックに声をかける。
「もしヒヒが来たら全力でそっちを優先。それまでは向かってくるチャッキーだけに集中して」
タッツォールの結界の外側にラムズ、カイヤ、ヌルヒチ、ダラックの四人がほぼ等間隔に立つ。
結界は壁面を背中に展開しているので守るべき面は約百八十度。
ガモンたちのいる通路は三人がかりで何とかヒヒの侵入を食い止めているが、他の二つの通路からはチャッキーが自由に出入りし放題の状況になっている。
もしヒヒが通路から広い空間に出てしまうと連携攻撃が猛威を奮うであろうことは容易に想像できた。
なんとしてでもガモンたちに通路のところで阻止しておいてもらいたい。
そのガモンたちを背後から襲おうとするチャッキーもいたが、そこはカイヤが目を光らせて風魔法で対処していた。
ついさっきそのカイヤが魔力回復役を一本飲んだのをタッツォールは見た。
通常の回復役と比較すると魔力回復役は5倍ほどする高額アイテムだった。
カイヤは後何本持っているのだろうか。
いざとなったら自分の持っている分を使ってもらおう、と考える。
ゴン! ゴンゴン!
結界内に鈍く重い音が連続で響く。
チャッキーの数が多すぎて冒険者たちの間を余裕ですり抜けて体当たりしてきているのだ。
体当たりしてきたチャッキーが跳ね返されたところを冒険者たちが仕留めてくれるのだが、また別のチャッキーが次々突っ込んでくるので完全なイタチ……ネズミごっこになってしまっている。
手順が違う、そうじゃない。
結界にぶつかったチャッキーを倒すのではなく、結界にぶつかる前に倒してくれないと困るのだ。
タッツォールの手元にある魔除け玉は残りあと三つ。
だが、これはまだ今使うわけにはいかない。
ゴン! ピシッ……。
タッツォールが一番聞きたくない音、怖れていた事態がとうとう訪れた。
結界の強度が限界に達しつつあるのだ。
ゴン! パキパキパキ……。
(ダメだ。もうこれ以上はもたない)
「みんな目を閉じてッ! えいッ!」
タッツォールは閃光玉を投げつけると辺り一面が強烈な光に覆われる。
「うわっ!」
「目がッ!」
「なんだッ!」
「くっ……」
冒険者たちが口々に異議申し立て風に叫んでいるが申し訳ないが気にしていられない。
続けて魔除け玉を三方向に転がす。
投げるのではなく転がしたところがタッツォールの頭脳プレイ。
魔除け玉は半径約五mの円状に効果を発するので、投げてしまうと自分たちから離れた位置で効果を発揮する。
手前から転がすことで最初は自分たちの周囲を完全にカバーすることが出来る上に、徐々にその範囲を自分たちの外側に拡大することになるのでチャッキーを外へ外へと押し出すのではないかとタッツォールは考えたのだった。
これは閃光玉で目をやられた冒険者がいた場合にその回復までの時間を担保する効果も発揮した。
その間に余裕を持って防護結界スクロールを新たに二本展開する。
これで在庫ゼロになってしまうが、ちまちま一本づつ使ってすぐに突破されるよりはマシだとのタッツォールの判断であった。
暫しチャッキーの突撃は休止していたが、やがて魔除け玉の効果が薄れてくると再び猛攻が始まった。
ガン! ガンガン! ガンッ!
なんかさっきまでよりも激しくなっているんですけど。
それもそのはず、魔除け玉でチャッキーは近づいてこそ来なかったものの数自体は減るどころかどんどん通路の奥からやってきて増えているのだった。
今やタッツォールの結界は約二十体のチャッキーに取り囲まれていた。
対する冒険者はくどいようだがたった四人。
しかも内一名は負傷者。
冒険者たちは結界を守るどころか自分の身を守るのに精一杯だった。
孤立していては全方向から標的にされるため、結果的に四人は間隔を詰めて固まることになる。
結界の大部分はチャッキーの体当たりに晒され放題。
完全にノーガード戦法状態。
(もうダメだ。これじゃすぐにまた破られる)
チャッキーがぶつかる音の間隔がどんどん短くなる中、真っ黒い絶望感が心の中にじわじわと広がっていく。
(救助隊はまだなのか……)
無理なのは百も承知だった。
救助隊編成が済んで出発してくれていれば御の字という程度の時間しか経っていないのだ。
(早く来てくれ。頼む……頼む……頼む……)
それでももう祈るしかやる事がない。
手持ちの使えそうな道具はほぼ使い切った。
それならせめて目を開けて、ちゃんと状況を把握して、後でしっかり記録に残そう。
タッツオールは頼む頼むと心の中で繰り返しながら、目をギンと開いて、戦う冒険者たちと自らに襲い掛かるチャッキーどもをしっかりと見据えていた――。
ガンガンガンッ! ピシッ……
時間の感覚が失われかけたその時、最悪の事態が迫っている音がとうとう聞こえた。
(ああダメだ……もうおしまいだ……ん!?)
唐突に結界にぶつかる音が止んだ。
そして結界の周りのチャッキーの数がいつの間にか減っている。
(どうしたんだ? なにがあった?)
タッツォールがキョロキョロと辺りを見回していると――。
「タッつん!」
いきなり目の前にヤンが現れた。
いつもの笑顔でタッツォールの肩に置いてくれた手にグッと力が籠る。
「ヤン! 来てくれたのか!」
タッツォールは驚きと喜びと安心が同時に押し寄せてきて一瞬気が遠くなる。
「結界は大丈夫?」
ヤンの声で正気に戻るタッツォール。
「ダメ。もう限界」
「じゃこれ」
ヤンから受け取ったのは防護結界のスクロール二本。
迷わずすぐに二本続けて展開するタッツォール。
(良かった……本当に助かった……)
すっと気が楽になったタッツォールだったが、急に現実的な疑問が湧く。
救難信号を発信してからまだ一時間過ぎかそこらなのにヤンはどうやってここまで来たのか。
もしかして偶然通りかかったのか。
スタルツからこんなに早く着くのは不可能だ。
いや、そんなことよりももっと重要なことがある。
ヤンって今、結界の中にいるよな……。
どうやって中に入ったんだ?
もしかしてどこかに穴が開いてしまっていたのを見逃してた?
今さっき新しく結界を展開したからもう大丈夫だとは思うが、もし穴が開いてたらヤバイなんてもんじゃなかったと冷や汗が背筋を伝う。
「ところでどういう状況なの、タッつん」
考え込むタッツォールにヤンが状況説明を促す。
「突然チャッキーの群れがやって来て……。それからヒヒまで来てそっちは向こうでガモンさん達が対処してくれてるんだけどとにかく数が多くって……」
「保護対象はここにいる人達で全部?」
「うん。採掘作業の人はみんな無事だよ。あ、でもそこの二人は元冒険者の作業員の人。あと冒険者が一人行方不明になってるんだ。オンドロっていうんだけどその人も探してあげないと」
「へぇ、そうなんだ……」
全く動じる様子もなく落ち着き払ったヤンは、今一度状況を見定めるかのように視線を動かす。
「じゃタッつんはこのままここにいて。それとこれ、念のため」
タッツォールに更に二本のスクロールを渡すと、ヤンは一瞬にして消えた。
ほぼ同時に採掘場に残っていたチャッキーが次々と消えていった。
「やっぱりすごいな、ヤンは……」
おそらくこの最後の二本は使わなくて済むだろう。
タッツォールは既に危機は完全に去ったと確信していた――。
「案内人のヤンです。救援にきました」
突然右隣に現れた少年が目の前にいたヒヒをぶっ飛ばすのを見て、ガモンは唖然とした。
「なっ……君が噂のヤン君か。『草原の風』のガモンだ。ご覧の有り様だ。面目ない。あいつら次から次へと湧いてきやがる」
どうやらガモンはヤンのことを噂話程度には知っていたらしい。
それでも今現在目の前にいる子供がその噂の人物だとすぐには一致していないような表情。
「チャッキーとヒヒだけ?」
「いまんとこはな」
「一人行方不明がいるって聞いたけど」
「ああ、あの死体ヤロウか。とにかく使えねーヤツだった。こんな時まで面倒かけやがって」
「じゃあボクが探しに行くからここはよろしくね」
「オイ! 行くってまさか一人でか? ダメだダメだダメだ。敵の数もわからねぇのに突っ込むのは無茶だ。死ぬぞボウズ」
「ボクは死なないよ。心配してくれてありがとう。ガモンさんも気を付けて」
言い終わるなりフッと姿が消える。
「オ、オイボウズ! 」
つい今しがたまで苦戦を強いられていたヒヒどもの姿がいつの間にか消えていた。
ガモンはおそらくはヤンが向かったであろう通路の奥の闇を吸い込まれるようにじっと見つめる。
ハッと我に返って周囲を見回すと、背後にあれほどいたチャッキーの姿がどこにもない。
しかも、ガモンたちが防衛を諦めた二箇所の通路は大きな岩で完全に塞がれていた。
「これもあのボウズがやったっていうのか……」
半ば畏れ、半ば呆れてガモンはもう一度通路の奥に目をやる。
「どこが気を付けろだ。ヒマになっちまったじゃねぇか……」
口の端に笑みを浮かべたガモンは持っていた剣をブンと振って汚れを落とすと慣れた動作で鞘に納めた。
ああ、ちゃんと布で拭いてオイルを塗らないと錆びちゃいますよオジサン。
第八階層採掘ポイントαにやっと静寂が訪れていた――。