いえひさの改革
とくがわとの融和に動いたいえひさ(ただつね)の改革は迅速でした。
まず、お菓子戦国時代とは逆のことをどんどん進めていきます。
初めのうちはよしひさやよしひろが口やかましく反対していました。
それもそのはずで彼ら年配者の価値観ではまず会社を大きくするのが正義でした。
でもいえひさは徐々に自信を付けつつ自分のやり方を押し通していきます。
やはり、いえやすの影響力が大きく、「いえやす様が賛成してる」といえひさがいうと二人の年よりは黙ってしまうのでした。
さて、いえひさの改革の内、目立つのがサッカーでした。
しまづの県にサッカー場を作り、優秀な選手を集めました。
彼自身もサッカーは好きですが、それほどうまくはありません。
なにしろ、性格が短気なので・・・
しかし、サッカーに対する熱意は本物です。
彼はいえやすやとくがわのお偉方に全国的なサッカーブームを起こすように盛んに提案しました。
いえやすやとくがわのお偉方も殺伐としたお菓子業界が少しでもおとなしくなるのは賛成なので、話を聞くようになりました。
いえひさがもう一人目を付けていた人物がいます。
それは大会社まえだの利常です。
彼は徳川に次ぐお菓子企業を3代かけて作り上げた名家ですが、事実上のNO2ということでいえやすや徳川から警戒されてもいました。
彼は警戒を解くためにわざと鼻毛を伸ばしたり、奇行をしたりしていました。
そんな彼にとっても物騒ではないいえひさのサッカー構想は渡りに船の企画だったのです。