いえやすのゆううつ
世紀の大決戦を制したいえやす。
確かにかれはとよとみに代わり日の本のトップ企業に躍り出ました。
東北はDATEが活躍するも、その後いえやすが牽制しています。
うえすぎはDATEといえやすに削られて大敗北。
かつよりも壊滅的敗北で甲斐の国に押し込められました。
ほうじょうはいえやすに吸収されます。
とよとみの親いえやす派はいえやすにこれまた吸収されました。
みつなり派は生存だけは許されましたが勢力図を大きく減らしました。
例えばもうりは4分の1に縮小。
四国もちょうそかべが敗北、勢力図も消え去りとくがわに吸収。
おおともも同じく。
しまづと共闘したたちばな屋むねしげもいえやすにつぶされむねしげたちは京の都で再起をはかるという始末。
こうして残った領土のほとんどがいえやすの配下に渡る中で、しまづだけは今だに敵対と恭順の間をさまよっていました。
これがいえやすのゆううつです。
一見すると完全勝利に近いのですが、やはり最後のしまづの意地がとくがわの頭に残ります。
いえやすの本心はしまづ潰せ!なのですが、それを反対する人々が多くいました。
たとえばとよとみ派でありながらみつなり嫌いでいえやすについたふくしま屋まさのりなどがそうです。
「しまづの戦は気持ちよい、あの連中をどうか助けて欲しい」ふくしま屋まさのりと共に嘆願をする者も多くいました。
それを聞くといえやすも簡単にはしまづをつぶせません。
じゃあ、許すかとなるとそうは簡単ではありません。
すでにとくがわ傘下に入ったかとうとくろだの勢力がすでに九州の真ん中まで迫り、しまづを潰さんと隙を伺っていたのです。