3つの道
よしひさ、よしひろ、ただつね、3人で意見が違うしまづの殿様たち。
ついに関ヶ原勃発寸前まで意見はまとまりませんでした。
まず、オーナーであり年長者でもあるよしひさはしまづの社員に関ヶ原参加禁止令を出しました。
これは「行くなよ、行くなよ」というフリではなくマジ、ガチの命令でした。
正確に表現するならば、先に先行させたとしひさ直轄の忍び、やまくくり衆とごく一部の観戦武官以外はしまづ領内から出ることを禁止しました。
これは、中央の争いにはもう2度と巻き込まれたくない、よしひさのトラウマが強く影響していました。
それに対して現しまづ社長のよしひろはよしひさとは逆に関ヶ原の積極的関与を目指していました。
さすがによしひさの威光には表立って逆らえませんでしたが、よしひろに近しいしまづの者たちを集めて上洛の準備を始めました。
株式会社しまづの最大兵力は4万!
対して、この決死のよしひろ部隊の数は2000とごく少数でした。
でも、彼らの士気はとても高い。
よしひろはみつなりに味方すべくしまづ勢を率いて発進します。
さて、一番若いただつねはいえやすに恩を感じています。
伯父であるよしひさの命に逆らわず、父の上洛を見定めてから、彼はいえやす勢に従う準備を密かに始めます。
彼の手元には約4万のしまづ勢がいました。
いざという時に彼の命に従うかどうかは分かりませんが、それでも父よりは恵まれてると言っても過言ではありませんでした。
とまあ、細かく書きましたが、要はしまづはどこが勝ってもいい様にそれぞれに保険をかけていたのです。
しかも殿様たちは意識しないうちに・・・