しまづ関ヶ原への道
「関ヶ原」かつて戦国武将たちが天下分け目の戦いとして馳せ参じた歴史がありました。
時代は日ノ本となり、かつての武将たちの多くがお菓子屋を開業する中、この関ヶ原もまた形を変えて存続することになりました。
各お菓子会社は関ヶ原の戦いというイベントを楽しみにしていました。
なにしろ北条も武田も今川も家名再興を果たし、参加することが許されていたからです。
ひでよしの代替わりにより最大勢力だったサンサン商事は武闘派のきよまさやまさのりと文治派のみつなりに見事分裂していました。
関ヶ原の発生条件には全国の混乱が不可欠だったのです。
さて、所はかわってしまづの県、しまづの内部で反乱が相次ぎただでさえ貧乏なしまづ社員がますます貧乏になってしまいました。
これを憂慮したよしひろは関ヶ原の参加を目指すべくしまづ社中で会議を開きました。
しかし、会議は難航しました。関ヶ原の参加は多大な出費があるためいまのしまづでは無理ではないかという意見が出ました。
しかし、若い社員の間では乾坤一擲、関ヶ原でしまづの勢力を広げようという意見も多くありました。
結局、よしひろの会議は何も決まらない状態となりました。
一方しまづのオーナーよしひさは関ヶ原の参加に反対でした。
慎重な性格のよしひさにとって一か八かの関ヶ原はリスクが大きすぎると感じたのです。
よしひさは自分の影響力をフルに生かして関ヶ原の参加を妨害しようとしました。
ところ変わっていえひさ、とよひさ親子ですが・・・
関ヶ原に参加する気満々でろくに意見も聞かず状況の準備をしていました。
それを見てよしひさもよしひろもそれぞれ頭を抱えていました。