5 『夢遊病かと思ったら弱小主人公でした』
「ふふふ、見たか……。我が力……」
スマートフォンを見下ろして俺はビシッと画面を指差す。画面にはたった今クリアしたばかりのクエストの報酬が表示されていた。
やはり紺碧の神聖竜は無敵だった。クエストはさくさく進むし、イベント開催中のプレイヤー同士の対戦でも正直チートだった。
紺碧の神聖竜と双璧をなす黄昏の神聖竜でも出てこなければまず負けることはないだろう。
俺は気分良くベッドに転がる。
中間テストは終わったばかりで期末テストまではまだ少しある。
中間テストでは四教科で赤点を叩き出した。我ながら若干やってしまった感はあるが、あれは俺は悪くない。ほとんどの高校生がテスト期間であるはずの時期にわざわざ大型のレアイベントを開催するRADの運営に問題があるのだ。
「ふわぁ……。今日は早めに寝るか」
普段ならこんな時間に寝ることなんてまずない。夜はこれからだ、くらいの時間だったがさすがに今日は色々あって疲れていた。
穴に落ちて、その先には隠された秘密の石室が。
それ自体もうゲームの中の話のようだった。怖かったけど、興奮する気持ちが無かったと言えば嘘になる。
それに……。
「あれ、何だったんだろう……」
聖依奈には若干頭のことを心配されたけど、あれは見間違えなんかじゃない。
石は確かに光っていた。
俺の身体も。
もちろんスマートフォンの画面の明かりなんかでもない。
あの時の光景がよみがえる。同時に、俺の身体を包んだあの不思議な感覚を思い出す。
正直、嫌な感覚ではなかった。
欠けている自分が満たされていくような、それとは逆に自分が広がっていくような……、そんな感覚だった。
うーん。
なんだか、またあの石に触れてみたくなってきたな。触れればまたあの感覚を味わえるのだろうか。
「よっ、と」
起き上がって、収納スペースの最奥、『絶対に見られてはならない物を隠してあるコーナー』から石を取り出す。ちなみに自分ではこの場所を「聖域」と呼称している。
聖域をしっかりと封印して再びベッドに横になり、そして仰向けになって石を眺める。
うん。
やはりどこからどう見てもただの石だ。
指で擦ったり匂いを嗅いでみたりしたが、やはりただの石でしかない。
凄く、ふつうの石だ。
「うーん。何の反応も無し……」
突っついてみたり、「えい」とか「おーい」とか話し掛けてみたりする。
「ほれほれ、さっきみたいに光ってみせろよ」
と、そこへ。
「お兄ちゃんー、洗濯も……」
「あ……」
妹が部屋に入ってきた。
石と俺の目を交互に見て、そして哀れむような視線を向けてきた。
「ええと……。お兄ちゃん。何て言うか……その、大丈夫?」
「まあ、一応……」
「そう……。あのね、もし話し相手が欲しいなら、私で良ければ聞くから」
「え、あ、うん」
持ってきてくれた洗濯物を置いて、妹はそっとドアを閉じて出ていった。
……。
只でさえゲームオタクの体たらくな兄という残念な評価なのに、「石と話す寂しい兄」という余計な属性まで加わってしまった。
ふう。まあいい。
今はそれどころじゃない。
改めて石を見てみる。
こうして握っていてもあの時に感じた不思議な一体感や万能感は今は感じない。
それからしばらく石を手にあれこれと考えていたが目がとろんとしてきた。
さすがにそろそろ寝ないとな。明日も学校だ。確か明日は生徒会の仕事で聖依奈が遅刻した生徒を取り締まる係だったはずだ。
アイツもアイツで何故か俺の遅刻の回数をきっちり数えているらしく、あと何回で欠席扱いになる、あの先生から目をつけられている、と喧しく言ってくる。
「まあ、今朝の約束破ったのは悪かったし、明日ぐらいはちゃんと……遅刻……しない、で……」
言葉が途切れ途切れになり、俺は石を握りながら眠りに落ちた。
◇◇◇
そんなに長く寝た気はしなかったが、どうやら朝が来たらしい。目蓋を閉じていても周囲が明るいのが分かる。
辺りをサアッと風が吹き抜けていく。
うん。心地がいい。
やはり文明の利器は素晴らしい。温度調節だけじゃなく、梅雨のうざい湿気を取り除いてくれる。
ふう。
これはいい。自然を感じる香り。
森の木々の香りが鼻腔をくすぐ……。
……。
ん?
森の木々の香り?
なんでエアコンの風が森の木々の香りを運んでくるんだ? そんな高性能は我が部屋のエアコンにはない。
というか、そもそも寝る前にエアコンをつけた記憶がない。昨日はそんなに暑くなかったはずだ。
それに、何だこれ。背中がやたらとゴツゴツする……。どう考えても地面だこれは。言うまでもなく俺は自分の部屋のベッドで寝ているはずだ。
更に、耳に入ってくるのはチュンチュンといった朝の和やかな小鳥のさえずりではなく、ギャアギャアといった厳つい鳴き声だった。
ええと。
そうだ。
これはきっと悪い夢だ。
悪い夢は見ない方がいい。よし。更に眠りを深くして、気付いたら朝だったというパターンにもっていこう。
俺は意を決して全力で深く深く眠ろうとした。
……。
……。
ダメだ。全然無理だ。
もうここまで来ると、むしろ目の前に何があるのかを確認しない方が怖い。
恐る恐る目を開く。
そして周囲の状況を確認する。
木、木、木……。
ここは……、うん、いわゆる森ってやつだな。
だが、別に森なんて珍しくもない。
問題は、夢の中で「森にいた」ではなく、これが本当に「夢の中」なのかということの方だった。
手を握ってひらく。
指先の感覚。嗅覚。聴覚。視覚。
どう考えてもこの感覚は起きている時のものだ。
「ちょっと古典的だけど……」
俺はお約束通り、自分の頬をスパァンと叩いた。
い、痛え……。
夢だと思って割りと本気で叩いてしまったため普通に痛かった。
え、じゃあやっぱりここは夢じゃない。
なら、部屋で寝ていたはずの自分が何故森の中に……。
俺は立ち上がって少し歩いてみた。
自分の知っている所じゃない。少なくとも家の近所ではない。
だとすると、俺は無意識で家から遠く離れた森までやってきてしまったというのか。
「まさか、俺、重度の夢遊病だったり……」
実は自覚が無いわけでもない。最近RADをやり過ぎなのは自分でも分かっている。長時間ゲームに没頭していると現実とゲームの境目が怪しくなってくる。
ゲームの世界にのめり込み、現実の世界の時間の流れを感じられなくなるとかはもはや日常茶飯事だ。
朝起きて気付いたら夜になっていたとか、自分でも気付かないうちにゲームをしながら飯を食い終わっていたとか……。
だが、ゲームをしているわけでもないのに無意識状態で夜に家を抜け出してこんな所まで来るなんて……。
「なんということだ……」
俺は顔を両手で覆う。
やはり自分の夢遊病は相当に深刻だ。
死に至る病かもしれない。
まずは治療する為の専門の施設を探そう。
スマートフォンの持ち込みがOKでwifiが完備されている所がいい。
治療期間は一ヶ月半くらいが望ましい。そうすれば期末テストを受けずに済むし、そのまま夏休みだ。
「よし、それでいこう。……さて、まずは家に戻らないと」
俺は森を進んだ。
すぐに森は抜けられるだろう。少しは遠くまで来てしまったかもしれないが、所詮は都会の森。じきにどこか道に出るだろう。
……。
…………。
………………。
「あれ……」
おかしい。
行けども行けども森を抜けない。
それどころか、むしろ森が深くなっていっているような気がする。
「どうなってるんだよ、一体……」
少しパニックになってくる。
本当に自分はどこまで来てしまったのか。
不安が募ってきた、その時。
パキッ。
背後で渇いた音がした。
良かった。誰かがいる気配がした。
誰でもいい。これで助けを求められる。
俺は音のした方を振り向いて、……そして、固まった。
「……。は?」
振り向いた先にいたのは……。
長い鼻に長い耳……。それに全身緑色の肉体……。
「ゴ、ゴブリン……?」
RADを例に挙げるまでもなく、ゲームやアニメでお馴染みの下級モンスター。
俺はゴブリンを見ながら頭を整理する。
前言撤回。
これはやはり夢だ。
確かに木々の香りや頬の痛みははっきりしていたが、これはきっとそういう類いの夢なのだろう。
そう言えば、寝る前までRADのクエストでゴブリンを狩りまくっていた。あまりにもゴブリン狩りに集中したせいでこんなリアルな夢を見てしまうだなんて……。
こんなことならエルフの国のクエストをやりまくっていたらよかった。クエスト報酬の点で効率が良かったからゴブリン狩りをやっていたが、その結果がこれだ。
こんなリアルな夢なんてそうそう見れるものじゃない。どうせなら美しいエルフに囲まれてキャッキャウフフする夢を見たかった。
くっ。一生の不覚だ。
「はぁ……」
と、大きなため息をついた俺にゴブリンが近づいてくる。
「お、何だ。この下級モンスターが。俺とやろうってのか?」
俺はファイティングポーズをとる。
これは俺の夢だ。ならば都合よくちゃんと俺無双な設定になっているはず。
「何だよ、かかって来ないのかよ。ふふふ。ならこっちから行くぜ!」
武器は無いがきっと素手のパンチで一撃粉砕だろう。
俺はゴブリンの腹にパンチを入れる。
決まった。完璧なまでに。
軟弱なゴブリンは吹き飛ばされ、いやいや、俺の必殺パンチがゴブリンの身体を貫通してしまっているかもしれない。
勝利に浸ろうとした俺だったが。
「あ、あれ……」
ゴブリンは全然健在だった。
無双なはずの俺のパンチは……、うん、これは全く効いていないな。
筋肉隆々(きんにくりゅうりゅう)なゴブリン。俺のことを冷たく見下ろしている。
「ええと……」
俺は一歩下がった。
近くでこうして見るとゴブリンの顔って……、マジで怖い!
「うぉーーーーッ!!」
俺は全力ダッシュで逃げた。
そうか。パワーは大したことなくてスピードが無双なんだ。ならばきっと神速の速さで無事逃げることが出来るはず。
……。
あれ……。
ゴブリンは神速なはずの俺を軽々と追い抜いて再び目の前に立ちはだかった。
逃げる、を選択した俺だったが「しかし回り込まれてしまった」的な状況に焦る。パワーもなくて、スピードもなくて……。他に何が……。
そんなことを考えている内にゴブリンが迫ってきた。拳を振り上げる。
ちょっと待て。
避けられる気がしない。
いくら夢とは言え、あれを喰らうのは……。
怖い。
頭ではこれは夢の中のことだと分かっている。
だがそういうことじゃない。目の前の直接的な恐怖は「夢だから」とか理由をつけてなんとか出来るものじゃない。
逃げなきゃ。
そうは思うが、その思考が身体に伝わらない。
身体が動かない。
ゴブリンが両手を俺に向かって振り下ろそうとする。
夢の中。
だから大丈夫。
安心しろよ、俺。
そんな楽観的な思考を押し退けて、思い浮かんだ言葉はひとつだった。
俺、死んだ。
ゴブリンの拳が迫る。
身動きができない俺はそれをただ見ていることしかできない。終わった。そう思った。
だが。
次の瞬間。
ヒュンと音がした。
そして、俺の耳がその音を捉えた次の瞬間にはゴブリンの眉間に矢が深々と刺さっていた。
「エッ……」
ゴブリンは悲鳴をあげることすらなくドサッと倒れた。
……。
ええと、これは……。
誰かが俺を助けてくれた。
俺は矢が飛んできたと思われる方向を見た。
そして、俺は思わず声を出してしまった。
「おお……」
弓を手にしていたのは金髪ロングの美少女だった。あの子が俺を助けてくれたらしい。
そうか、そういう設定の夢か。
まだレベルが低くて弱い主人公を助ける美少女。
あの子が……マイヒロイン!
「君ー、ありがとう! おかげで助か……」
ヒュンッ。
「え……」
マイヒロインの放った矢が俺の頬をかすめていった。