4 『ふつうの石』(後半)
こ、これは……死ぬ、きっと。
こんなことなら中途半端にテスト勉強のことなんて考えずに、自分の残りの人生の時間をRADに全振りしていれば良かった……。
激しい後悔に苛まれつつ死を覚悟した。出来れば苦しまずに逝きたいんだけど……。
……。
だが、転がり続けていくうちに勾配が緩やかになっていく。そして……。
「えッ……」
突如、身体が宙に浮いたような気がした。直ぐに転がり続けてきた穴から吐き出されたと分かった。
「ぐはッ……」
そのまま地面に叩きつけられる。目が回って上下の感覚は麻痺しているのに全身がメチャクチャ痛い。
あまりの痛さに動けない。そのまま暫く横になって踞っていたが、ようやく痛みがおさまり、生まれたての小鹿のように身体を起こす。
「し、死ぬかと思った……」
良く聞く台詞だったが、本気でそう思った。
何なら本当に走馬灯のようなものも見た気がする。その殆どがこれまでクリアしてきたゲームについてのものばかりだったが……。
「さて……」
と立ち上がったが暗くて何も見えない。
ポケットからスマートフォンを取り出して画面を点ける。
「ぐ……」
待受の画面に設定していたのはRADに一体しか存在しない「紺碧の神聖竜」のスクショだった。
現状、俺にとっては命の次に大切な……いや、命と同等と言っても過言ではない紺碧の神聖竜。
コイツを引き当てるため、自らに課した『絶対的非課金の誓い』を破り、挙げ句に親にはメチャクチャ怒られてしまった。だが、そのこと自体に後悔はまったくない。
ただ、今は紺碧の神聖竜を待受にしたことを少し後悔していた。
青を基調とした神聖竜のせいで、目の前の青白く浮かび上がった空間があまりにも不気味で恐ろしかったからだ。
よし、無事に地上に戻れたらまずは待受画面を変えよう。
気持ちを切り替えて辺りを見回す。
振り向いた先には自分が転げ落ちてきた穴があった。近づいて穴を見上げる。穴の先は真っ暗で何も見えない。
「おーい!! 聖依奈ーっ!!」
試しに穴の先にいるはずの幼馴染みに向かって声を張り上げてみる。しかし反応はない。もしかしたらかなり深い所まで落ちてきてしまったのかもしれない。
「うーん。助けでも呼びに行ってくれてるのかな……。だとしたら変に動かないでここで待っているべきか」
呟きながら改めて空間を見てみる。
自分が日々通っているクラスの教室くらいの大きさだった。
教室を思い浮かべたのは空間の形もさることながら、ちょうど普通の教室なら教卓があるであろう辺りに教卓みたいな何かが見えたからだ。
不気味に感じたが何故か近づいてみたくなり、実際に近づいていった。
近づくにつれて教卓のように見えたそれは大きな黒い石であることが分かった。
更に近づくと石の側面には文字なのか絵なのか分からないが、何かが彫られていた。
黒い石の傍らに立つ。
石の表面は自分の顔が映るくらいの光沢だった。思わず手を伸ばす。
「何だろう……、墓?」
神社の地下に墓というのも変な話だが、この辺りでは珍しいことじゃない。
俺が住んでいる地域は歴史的に価値がある物が埋設されている可能性が高いとかで、再開発が禁止されている地区なんかもある。
確かこの石上神社もそうだった。
「マズいな……。てことはここも立入禁止確定……。おまけに本当に墓だったりしたら俺、確実に呪われるな」
俺は目の前の大きな黒い石から一歩下がった。
よし、地上に戻ろう。
何も見なかった。
何にも触れなかった。
うん、そういうことにしよう。
踵を返そうとする。
その時だった。
俺の視界の端に何かが映った。
映ったのは黒い石の上に置かれていた、人の拳より一回り小さい何の変哲もない石だった。
本当にただの石だった。
下の黒い石の神秘さと比べると不自然なくらい普通の、どこにでもありそうな石だった。
だからこそ、その妙なコントラストが気になる。それに、何だか石の置かれ方が気になる。これじゃあまるで下の黒い石が台座の様に見える。
まさか、こんなふつう過ぎる小石が祀られているなんてことはないだろう。うーん、正直気になる。
だがしかし、触らぬ神に祟りなし。
一刻も早く地上に戻って何もなかったことにしなければならない。仮にこんな所に立ち入ったことがバレた日にはスマホ没収は確実だ。そして、それは俺にとっての致命傷になる。
さあ、戻ろう。
そうは思うのだけれど、何故かそのただの石ころから目が離せない。
突然、俺は不思議な感覚に包まれた。何かに呼ばれているような気がしてきた。
そして、そうすることが当然であるかのように黒い石に近づき、ふつうの石を持ち上げる。
その瞬間。
全身の血が、波打つ。
衝撃が全身を駆け巡った。
「な、なんだ、これ……」
俺は石を手放そうとしたが、出来なかった。
信じられないくらいに石が手に馴染む。まるでそれがもともと自分の身体の一部であったかのように。
思わず手にしていたスマートフォンを落としてしまった。
スマートフォンを拾おうとした俺に今度はまた別の感覚が襲ってくる。ただの石から手を伝って自分の中に何かが流れ込んでくる。
それが何なのかは分からない。しかし、心地よかった。自分に欠けていた何かが満たされていくような感覚に身を委ねる。
何だろう、暖かい……。
俺は閉じていた目を開き、そして驚く。
手にしていた石が仄かに光を発していたからだ。そして、信じられないことに自分の身体も石と同じ様に光を発していた。
「えっ……、は、ハァッ? な、なんだこれ……!?」
驚きの余り声を上げてしまったが、それ以上に焦ることはしなかった。何故か、そんな摩訶不思議な状況すら自分にとって当たり前のものであるような心地がしたからだ。
石と、俺から発せられる光に包まれる石室。
その神秘的な光景に目を奪われていたが……。
「陽斗くん! 大丈夫!?」
突然の声が石室に響く。
「う、うわぁーーーーッ!!」
驚いた俺は叫んで飛び上がる。
それと同時に石と俺の身体が発していた光はスッと失われた。俺は咄嗟に石をポケットにしまう。
「な、何よ。そんなに驚かなくたって……。ううん、そんなことより、陽斗君大丈夫……? ケガとかしていない?」
言われて気付く。確かに身体のあちこちが痛い。でも、そんなことより……。
「な、なあ聖依奈。俺、何か変になってたりしないか? 前とどこか変わったり……」
「パッとみた感じだと大丈夫そうだけど……。どこか痛んだりする?」
「いや、痛さはまあ、大したことないんだけど……。お前も見ただろ? 俺、光って……」
「光る? ああ、目の前がチカチカするってこと? 頭でも打ったのかしら……」
「いや、そうじゃなくて……。こうパァっと俺の身体が光ってさ……」
首をかしげる聖依奈。
「ええと、陽斗君。大丈夫? もしかして本当に当たりどころが悪かったりとか……」
何だか憐れんでいるような表情を浮かべる聖依奈。頼むからそんな目で俺を見ないで欲しい。
「いや、そうじゃなくて……」
「とにかく今はここから出て地上に戻りましょう。はい、これ」
言って聖依奈が手渡してきたのは縄だった。
「これは?」
「倉庫から持ってきたの。もう一方の端を神社の柱に結びつけて、これを使ってここまで降りてきたのよ。さ、戻りましょう」
確かにいつまでもここにいるのは得策じゃない。と言うよりも気味が悪い。それに立入禁止の場所の可能性が高い。
そう思ったら改めて一刻も早くここから出たくなってきた。
「よ、よし行くぞ聖依奈」
俺は足元のスマートフォンを拾い上げ聖依奈と共に地上の神社へと繋がる穴に急いだ。
「ふう、生きて戻ってこれたんだな俺たち」
縄を頼りに何とか神社まで戻ってきた俺と聖依奈。石室に続く穴はどう考えてもこのままにはしておけない。
片付けていた木の箱や、箱の中に詰められていた石を使い穴の入口を塞ぎ、その上に木材を被せた。
一通りの隠蔽作業を終えて俺と聖依奈は神社から出る。
ふたり揃って身体を伸ばした。
「なあ、聖依奈?」
「ん?」
「あそこって一体何だったんだ? お前、何か知ってる?」
「ううん。全然。おじさんからあんな場所のこと一度も聞いたことない」
それよりも、と聖依奈は神妙な面持ちになる。
「あそこに入っちゃったこと……、いえ、それだけじゃなくてあそこの存在自体、ふたりだけの秘密にしておきましょう?」
「それは、まあ構わないけど……、何でそんな真剣に?」
「陽斗君も知ってると思うけど、ここの神社ってかなり歴史があるのよね。と言うかこの辺り一体がそうらしいんだけど。だからこの地区の全域が再開発の禁止地区に指定されているわ。再開発どころか地面を少し掘ることですら市の許可が必要なの」
頷く俺。その手の注意は親からも学校の先生からも何度も聞かされて育ってきている。
「だからあそこはもしかしたら凄く貴重な、歴史的な遺跡とかかもしれない。何だかお墓みたいな雰囲気もあったし」
「俺もそう思った。あ、でもそうだったらやっぱり然るべき所に連絡して調査して貰った方が……」
「それはそうなんだけど……。その場合、私たちはその凄く貴重な遺跡に勝手に足を踏み入れたことになるのよ」
「ああ、確かにそれはあるな……」
聖依奈の言う通りだ。
そうすれば何事もなかったかのように今まで通りの日常を送れる。
スマートフォンを取り上げられること無く、超スーパーレアキャラの紺碧の神聖竜を使い、リアルでは味わえない無双に日々浸れるのだ。
強く頷く。
「じゃあ確認ね。この神社の地下に謎の石室があって、そこにふたりで入ってしまったこと。これ、ふたりだけの秘密。いいわね?」
ふたりだけの秘密。何とも甘美な響きだったが、目の前の聖依奈の表情は真剣そのものだった。
「ああ、もちろんだよ聖依奈」
取り繕った俺の真面目な返答に満足そうに頷く聖依奈。
俺は歩きだそうとしたが、聖依奈が、あ、と思い出したような声を出す。
「念のために聞いておくけど、あそこから何か持ち出してきたりしてないわよね? だとしたら無断で立ち入ったどころの騒ぎじゃなくなるんだけど……」
「そんなの当たりま……」
と、そこまで言って青ざめる。
右のポケットに入っているのはスマートフォン。それ以外に持ち物はないはずだ。だとしたらこの左のポケットに入っているものは……。
「し、しまったぁーーッ!!」
俺の声に青ざめる聖依奈。
「エッ……!! な、何か持ち出してきちゃったの!?」
「こ、これ……」
恐る恐るポケットから取り出した例のふつう過ぎる石を聖依奈に見せる。
「な、なんだ……。ただの石じゃない。驚かせないでよ」
安堵する聖依奈。
「いや、聖依奈。実はこれただの石じゃないんだ!」
「えぇ……、どこが? 私にはこれ以上『ふつうの石』って言葉が相応しい石はないぐらいにしか見えないのだけれど……」
そう言って言葉を途切らせた聖依奈が急に頭をおさえた。
「聖依奈?」
「ああ、ごめんなさい。何だか急に目眩と頭痛が……。たぶん気圧と雨のせい。この時期ってホント嫌なのよね」
ため息混じりに言った聖依奈。
痛みが落ち着いたのか話を続けた。
「まあ、これくらいならどうってことはないわよね。墓まで持っていく秘密だから表沙汰になることはないでしょうけど、記念に持っていればいいわよ」
どちらかと言うと墓から持ってきた秘密なのでは……。
少し迷ったが、今から石を戻しにあの石室へ行く訳にも行かない。
俺は石をしまって聖依奈と一緒に神社を後にした。