13『聖なる泉(後編)』
最上階へ到達した俺とスティア。
バベルの欠片の力を使って外壁に穴を空け内部へ侵入する。
周辺の様子を窺う。
下で感じたような厳戒な警備は敷かれていない。むしろ正反対だ。人声や足音ひとつ聞こえない。
ただ唯一聞こえてくるのは静かに流れる水の音だ。
『こっち』とスティアが水の音が聞こえてくる方を見て目配せする。
広い廊下を進む。扉が見えてきた。
俺は扉に耳を当てて中の様子を探るが人がいる気配はない。
万が一、中に誰か居て見つかった時に、スティアであればまだ最低限の言い訳が立つ。スティアが先に中へ入る。中を確認したスティアが大丈夫だというサインを送ってきたので俺も続いた。
やはり誰もいない。
聖依奈はいないのか。俺の顔から察したのかスティアが口を開く。
「安心して。彼女がいるのはこの先。聖水が満たされた泉の中央に立っているはず。バベルの欠片を手放した状態で……」
スティアの言葉に俺は頷く。
事前の打ち合わせ通りだ。
無防備な状態の聖依奈にふたりで飛びかかる。スティアが聖依奈を拘束して、俺は人工バベルの欠片を握らせる。それが事前に決めた作戦だ。
バベルの欠片を持たない聖依奈ならそれは聖人でも何でもない。ただの女子高生。ただ可愛くて頭が良くて性格まで良くてファンクラブまで存在するだけのただの正統派ヒロイン系JKだ。
向こうの世界では振り切ったステータスのチート気味の女子高生だけど、シンアルではそれは通用しない。
バベルの欠片を使える神門の守護者ふたりがかりなら何も問題は起きようもない。
だとすると、残る問題は人工バベルの欠片が聖依奈を主として選んでくれるかどうか……。そこは祈るしかない。
周囲を警戒しつつ、泉がある奥の部屋へ向かって進む俺とスティア。
「……ん?」
そんな俺の目に入ってきたのは。
「服?」
近くの籠に綺麗に折り畳まれて入っているのは女性ものの服に見える。
……。
俺の思考がある可能性にたどり着く。
まさか。
なんということだ。
どうしてその可能性に気付かなかったんだ。そう、泉で身を清めるという儀式。であれば聖依奈は一糸纏わぬ姿となっているはず。
小さい頃は一緒に風呂に入ったこともあるし小学生ぐらいまでは一緒にプールに行ったこともある。中学校でも夏の授業で聖依奈の水着姿だって見ている。
だがしかし聖依奈が成長するにしたがって徐々に俺は聖依奈の身体を直視できないようになっていった。健全なる男子には眩しすぎるのだ。
周囲の野獣どもは遠慮なくガン見していたが、俺は「幼馴染みだし昔から見慣れてる」とか言って無駄にマウントをとって、聖依奈の水着姿を見ないようにした。(なお、チラ見ぐらいはしていた)
無駄なマウントをして強がった過去の自分を激しく呪っていたが、そんな悲劇を味わった俺が今、報われようとしている……。
ふと、横のスティアを見る。スティアがジト目で俺を見る。その表情は『もしかしたら幼馴染みの可愛い女の子の裸を見れるとか期待しているんじゃないかコイツ、マジキモいんですけど』とでも言わんとしているかのようだった。
コイツ、人の思考が読めるのか。
天才か……。
スティアが小声で、
「安心して。儀式用の薄いドレスを着ているはずだから」
と、溜め息混じりで言った。
「……。そうですか。うん、安心したよ」
「ねえ、セリフと表情が全く合ってない。そんなことよりも、用意はいい?」
俺は気持ちを切り替える。そうだ。聖依奈の命がかかっているのだ。年頃男子には不可避の精神異常デバフを俺は気合いで振り切る。
頷いた俺を見てスティアが部屋へ突入し、俺も続く。これは奇襲だ。直ぐに聖依奈を見つけて接近しなければならない。
だが。
目の前に広がるのは、建物の最上階とは思えないような広い空間だった。広いだけならまだしも、靄のようなものがかかっている。
「どこだ、聖依奈……」
目を凝らして見る。靄の隙間から見えるのが恐らく聖なる泉。子供用のプールよりも全然浅い。足首ぐらいまでの深さだった。透き通っていて底が見える。
「ハルト、見て」
スティアが示した先には台座があった。そしてその上にペンダントにはめ込まれたバベルの欠片があった。
見覚えがある。
あれは聖人シータのバベルの欠片だ。
俺とスティアは顔を見合わせて頷く。
今ならいける……。
あとは聖依奈を見つけて取り押さえるだけだ。
そう思った時だった。
「なめられたものだな」
その声に俺とスティアはビクッとする。
濃い靄に人影が現れる。
「聖人を狙った暗殺か。無謀で馬鹿げた考えだ。だが、ただの暗殺者ふぜいがここまで侵入できたことをむしろ私は称賛したい」
靄から進み出てきたのは聖人シータ、つまり俺の幼馴染みの聖依奈だった。
「聖依奈……」
「ほう。これは面白い。卑怯にも無防備な聖人を狙ってきた暗殺者がまさか聖教会の司教と、神門の守護者とはな」
聖依奈が向こうの世界では決して見せないような上から目線の笑みを浮かべる。
「ハルトと言ったか。お前の方は私に思うところがあったようだったからな。このような暴挙に出ても不思議はない。だが、司教スティア・マーベルク、貴女には正直驚きだ。司教の中でも上級司教でいずれ聖教会の中枢に進むと目されている人物が何ゆえこのようなことを?」
「こちらにはこちらの事情というものがあるのです、聖人。つきましては、おとなしく私たちの言うことに従っては頂けませんか? 決して悪いようにはしないとお約束致しますので」
「バベルの欠片を手放している時を狙って襲ってきた者を信じろと? 司教、それは無理というものだ」
聖依奈が手を台座へ向けて翳す。
しまった!
そう思ったが間に合わない。
台座の上にあったバベルの欠片が反応し、聖依奈のもとへ飛んでいく。
欠片をキャッチした聖依奈は欠片を剣に変えて構える。
「さあ、きなさい。私は聖人。矜持がある。声を上げて助けを呼ぶようなことはしない。私一人でお相手しよう」
どうする。助けを呼ばないのはありがたいが……、これじゃあ聖人と真っ向からやりあうことになる。
一度引いて……と思ってスティアを見たが、俺の前に出たスティアは既に剣を構えている。
「ハルト! ここまできたらやるしかない!」
「いや、でも」
「大丈夫! いくら相手が聖人だと言ってもこっちだって神門の守護者ふたり。互角以上にはもっていける、それに」
スティアは振り向いて意味深な目で俺を見る。
「こういうこともあるかと思って、ちゃんと策もあるから。大丈夫。私を信じて」
無敵の聖人相手にどんな策があるのか。
でもここはスティアを信じるしかない。
スティアの言葉に俺も剣を構える。
考えてみれば、確かに俺たちは聖依奈を倒す必要はない。隙をついて聖依奈からバベルの欠片を奪って人工バベルの欠片を握らせればそれで良いんだ。
それくらいならいけるか。
ふたりがかりなんだし……。
「来ないのか。ではこちらから」
聖依奈が一歩進む。
これは……あの時の!?
予測した通り、二歩目には俺のすぐ側まで来ていた。
ガキン!
聖依奈の剣を受け止める。
「ほう、また防いだな」
「見覚えがあったからな」
相変わらず反則級の早さだ。
一歩で、そして一瞬で距離をつめてくる。
見覚えがなかったら今の反応は無理だった。トルード地区でクウを切ろうとした時と同じ攻撃パターンだったから何とか対処できただけだ。
俺はまだ聖依奈と戦ったことは一度しかない。魔法が使えるのか、どんな技を持っているのかという戦力分析は出来ていないが、目下最大限に警戒しないといけないのはこの神速の攻撃だ。距離があっても瞬間移動のように接近し斬りかかってくる。
「はあぁぁッ!」
スティアが聖依奈に斬りかかる。
聖依奈は流れるような動作でそれを避ける。
聖依奈とスティア。
それぞれが攻撃を繰り出しては華麗に避ける。
互いの攻撃の速度が上がっていく。バベルの欠片の力を使っていても目で追うのがやっとだ。
「司教は魔法の方が得意だと思っていたが剣もなかなかなものだ」
「お褒めに預かり光栄です、聖人。本当は魔法を使いたいのですが、それだと階下の衛兵にも気づかれてしまいますので」
と言葉を交わしたふたりが戦闘を再開する。
傍目には互角だ。
しかし。聖依奈の表情には余裕があるのに対してスティアは必至だった。
聖依奈は全力を出していない。互角を保たせてもらっているに過ぎない。
(このままだとマズい……)
スティアが言う策がどんなものかは分からないけど一度戦術を変えるしかない。
「スティア! 黄金竜を倒したあの攻撃だ!」
RADを知り尽くした俺とスティアだからこそ繰り出せた完全同時攻撃。
RADのボス戦のBGMでリズムを刻み、タイミングを合わせて同時に同じ場所を攻撃する。
「了解! 狙うのは……」
「聖依奈の剣!!」
黄金竜の時は倒すのが目的だったけど、聖依奈の身体を直接攻撃するわけにはいかない。
仮初のバベルの欠片が変じたあの剣を弾いて聖依奈の手から離れさせることができればそれでいい。
「いくよハルト!」
「ああ!」
一度聖依奈から離れ、目配せをして脳内でBGMをかけ始める。
お互い何百、いや何千回とリピートしたBGM。寸分の狂いもなく攻撃を……。
「……っく!!」
「ハルト!!」
聖依奈が例の瞬間移動攻撃で俺に切りかかってくる。
俺はそれを何とか受け止めたがそのせいでリズムが狂う。
シンクロするはずの俺とスティアの動作がずれていく。
「何を狙っているかは分からないが隙だらけだ」
防戦一方になる俺。
俺を助けようとスティアも聖依奈を攻撃するが、それは同時攻撃ではなく連携はとっているものの基本的には各個バラバラの攻撃だ。
俺とスティアの完全同時攻撃はリズム、タイミングが生命線。
今の聖依奈のように神速、瞬間移動で攻撃してくる相手には圧倒的に不向きだ。
速度をはじめ個別のステータスでは俺とスティアは聖依奈には及ばない。
おまけに本来得意としている魔法攻撃がこの場ではスティアは使えない。
どうする。
このままだとじり貧だ。
聖依奈の攻撃に吹き飛ばされたスティアが俺の近くに倒れる。
「……くぅッ」
「スティア!!」
倒れたスティアだったが直ぐに立ち上がった。
「大丈夫。さすがに手強いね」
「ああ。黄金竜が雑魚に思えるほどに」
「ホントそれ。普段チート気味の神門の守護者の私たちでも聖人相手だとこんなものなんだね」
俺とスティアは並んで剣を構える。
対峙する聖依奈。油断しているわけではなさそうだが全力を出しているわけでもない。
もし彼女がどこかのタイミングで本気になったら勝負はついてしまう。その前に決めてしまわないと。
「倒さなくていいんだ……。一瞬でも隙を作れれば」
俺の言葉にスティアがふっと笑う。
「やっぱりこうなったか……。まあそうだよね」
「スティア?」
「ハルト。私、策があるって言ったよね。最後の手段のつもりだったんだけど、たぶん他にもう手段がない。それでいこう」
スティアが一歩前に進む。
「いい? 私が彼女の隙を作る。ハルトはその機を逃さずに彼女から仮初のバベルの欠片を奪って人工バベルの欠片を渡して」
ここまで聖依奈相手に押されっぱなしのスティアにそれが出来るのか。
でもスティアの表情は真剣そのもの。俺は頷く。
「何があっても動じないでちゃんと作戦通り動いてよ」
「……え?」
何があっても、の言葉の意味が気になったが、俺が聞き返す前にスティアは聖依奈に向かって突進していった。
「はあぁぁぁぁぁッ!!」
「……くッ」
スティアの渾身の攻撃に聖依奈がわずかに怯む。
「破れかぶれの攻撃だな、司教」
「もうお上品な戦いなんてしてられないからね!」
スティアの攻撃が熾烈さを加速していく。
「必死だな。だが長続きするとは思えない」
「さあ、それはどうかしらね!」
スティアは強がるが、聖依奈の言葉が正しい。スティアの攻撃は確かに凄まじい。しかし、スタミナの面から見て悪手だし何より……。
「くッ……」
攻撃に特化したスティアは聖依奈の攻撃が避けきれない。徐々に傷が増えていく。
「守りは捨てたか。まさに捨て身の攻撃だな」
「まあね。でも攻撃は最大の防御とも言うでしょ!」
俺は二人の剣戟を見ながら聖依奈の隙を窺う。
スティアの狙いがいまいち分からない。ひたすら攻撃に特化すれば聖依奈の隙が見いだせると考えたんだろうか。
休む暇を与えないスティアの攻撃に聖依奈が苛立っていく。
反撃でスティアに多少のダメージは与えているがそれを顧みることなくことなくスティアは攻撃を続ける。
そして……。
「しつこいッ!!」
聖依奈の突き出した剣がスティアを貫く。
スティアが手にしていた剣は消え、両手がだらりと落ちる。
「……がはッ」
腹部に聖依奈の剣が突き刺さったスティアが血を吹く。
「スティアッ!!」
駆けだそうとした俺だったが足を止める。
スティアが聖依奈の剣を握ったからだ。
「はあはあ……。ふふ。ね、狙い通り」
「司教、お前……」
聖依奈は剣を引き抜こうとするがスティアが離さない。
「強いだけじゃなく賢い聖人様のことだから……、今回の事件の背後関係を調べるために私は殺せない。だから攻撃も致命傷を与えないようにしていたよね?」
聖依奈は剣を引き抜こうとするがスティアは握った手を離さない。初めて聖人の顔に焦りが生じる。
「作戦成功。これであなたを無力化できた……」
「狂っている」
はは、とスティアが笑う。
「はあはあ。それ、誉め言葉だよ。狂うくらいじゃないとゲームの上位ランカーなんてやってらんないんだから。それに仲間を犠牲にしないとクリアできないクエストなんてありふれているでしょ?」
「お前……一体何を言って……」
スティアが振り向く。
「ハルト!!」
我に返る。
スティアの考えは分かった。
今は何かを考えている場合じゃない。
ただ行動するしかい。
俺は二人のもとへ駆け出す。
「く、離せ」
「無理」
聖依奈は剣を抜こうと、スティアを振りほどこうとするがそれが叶わない。
俺はどんどんふたりに近づいていく。
聖依奈は剣を離してその場を離れるなんてできない。
聖依奈の剣はバベルの欠片。それを手放して欠片の力が使えなくなったらそれこそ詰みだ。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぁぁッ!!!!」
俺は聖依奈の直ぐ側に立つ。
近くで見れば見るほど、目の前の少女は聖依奈だった。
「ッく!!」
聖依奈が剣を欠片に戻す。
スティアがその場に崩れ落ちる。
聖依奈は再び欠片を剣に変えようとペンダントを握ろうと手を伸ばす。
「聖依奈!!!!」
俺は叫んだ。
彼女の名前を精一杯の声で。
目の前の少女が目を合わせてくる。
俺と聖依奈の視線が交わる。
俺は視線に想いを載せる。
聖人シータ・エスファルト。
シンアル聖教会聖人第三席次。
そんな大層な名前と地位にいるらしいけど……、お前は諏訪聖依奈。俺の幼馴染だ。
見た目も可愛くて、成績だって学年上位。スポーツだってできる。そんなチートヒロインみたいなステータスのくせに誰にだって優しくて……。
お前はこんな風に訳もなく誰かを傷つけるような人間じゃない。
それは俺が一番知っている。
だからさ。もう止めよう。そして思い出してくれ。
仮初のバベルの欠片しか持たない聖依奈は向こうの世界での記憶を共有していない。
だから俺が幼馴染みの桐生陽斗だなんて知りようもない。
それでも。
聖依奈が一瞬、動きを止める。
その一瞬で十分だった。
俺は聖依奈の首にかかるペンダントを引きちぎった。
そして聖依奈に人工バベルの欠片を握らせた。
次の瞬間。
ドクンッと聖依奈の身体が跳ねる。そして、そのまま動きを止めた。
「スティア!」
「ハルト……、成功したみたい、だね」
俺は横たわったスティアを抱きかかえ、一度聖依奈から離れる。
聖依奈は動かない。
ここから先は賭けだ。
人工バベルの欠片がシータ、つまり聖依奈を主人として選ばなければ意味はない。
欠片が聖依奈を選ぶ保証はない。
それでもここは賭けなければならなかった。
次の瞬間。
聖依奈の身体から光があふれ出す。
「ああああああああああッッ!!」
聖依奈が叫ぶ。聖依奈から発せられた光が俺が持つ仮初のバベルの欠片の中に吸収されていく。
まるで仮初の欠片が聖依奈から力を吸い上げているようだった。光は徐々に収まっていく。
そして、今度は聖依奈が手にした人工バベルの欠片が激しく光りだした。
欠片と聖依奈がその光に包まれていった。