12『聖なる泉(中編)』
別に俺は高所恐怖症って訳でもない。父親は高い所は苦手だけど別に俺は嫌いじゃない。むしろ好きと言ってもいいかもしれない。
何とかタワーや何とか山に登ってそこから見える景色はきれいだし最高だと思う。床が透けているような所でも特に怖くてすくんだりはしない。なぜなら透けてはいても、そういう場所は安全対策が完璧で万が一にも落ちることはないからだ。
そう。落ちる可能性がほぼ皆無だから怖くないのであって、その可能性が高まるにつれて恐怖心も高まる。
もし仮に落ちる可能性しかないなんて状況になったら、もちろん恐怖心もマックスになる。
今の俺のように。
「あの、スティアさん……」
「何? こっちだって集中してるんだからむやみに話しかけないで。あ、分かってると思うけど下を見たら……本当に落ちるよ」
そう言ってスティアは壁づたいに進んでいく。
聖依奈が行う『聖なる泉』の儀式はこのシンアル聖教会の王都大聖堂の最上階で行う。
通常ならその最上階へは階段や建物内の転移魔方陣を使って行くらしい。
しかし。
当然ながら今回はそんな正規ルートは使えない。何と言ったって、俺とスティアは地下大聖堂から聖教会が秘密裏に魔力を集めて作っていた人工バベルの欠片を盗んでいるのだ。挙げ句にこれから聖教会の重要人物である聖人シータが儀式中の場所に忍び込む。人目につかないように移動しなければならないのは当たり前だ。
でも、だからって……。
「こんなやり方しかないのかよ!?」
叫ばずにはいられない。
俺の叫びにスティアも叫び返す。
「私だって怖いんだから我慢してよ!」
「落ちたら死ぬ落ちたら死ぬ落ちたら死ぬ……」
「神門の守護者がこの程度の高さで死ぬわけ無いでしょ! ちゃんと欠片の力を身体に纏わせておきなさいよ! 死にはしないけど落ちたらまた最初からやり直しなんだから!」
「ぐっ……、それは絶対に嫌だ」
ゲームにありがちなやつだ。
塔やダンジョンの落とし穴で落ちたらやり直さなければならないやつ。手元が狂って一番下の階まで落ちて発狂したことが今までに何度あっただろう。
今、まさに俺はそんなゲームシーンを現実に体験している。
スティアの司教としての権限である程度のまでは正規ルートで登ってきた。俺が大聖堂を見学したいからスティアがその案内をしているという体で。
正規ルートで上ってきた先に空中庭園があった。そこから見える王都の景色は見事としか言いようがなかった。竜の涙の異名を持つ王都の景色。
ちょうど夕陽が沈みきる直前のタイミングで、その光景は美しくも切なさを感じさせた……。
てな感じでせっかく良い具合に浸っていた俺を他所に、スティアが周囲に誰もいないことを確認して手摺の外へ出た。
え、ここ何階だと思ってるの? と開いた口が塞がらない俺に「よし。足場もあるし、ここからなら上へ行けそうね」とスティアは言った。
そのまま大聖堂の外壁を掴みながら僅かな足場を摺り足で移動し始め、俺もそれについていき、そして今に至る。
果たして今ここが地上何十、何百メートルなのか、考えたくもない。
俺は目の前の壁か、先を進むスティアの背中しか目に入れない。外壁から僅かに突き出した足場をスティアと同じく摺り足で進んでいく。
風が吹く度に背中がヒヤッとする。
「『聖なる泉』中の最上階は何人も入ることはできない。だとしたら外から登って侵入するしかないでしょ」
それはその通りなんだが……。
まあでも確かにスティアが言うように他に手段は無いだろう。聖依奈を助けるためには仕方ない。
トラウマで高所恐怖症になるのは確実だけどスティアも怖いだろうし、俺も頑張ろう。勇気を振り絞って先に進む。
「それにしても、儀式が夜とはな」
お陰で足元が良く見えない。足の裏の感覚だけが頼りだった。
「こんな目立つ侵入の仕方なのよ? 昼間だったら見付けてくれと言ってるようなもんでしょ。儀式が夜なのはむしろ好都合よ」
「まあ、それはそうか。でも、なんで『聖なる泉』はわざわざ夜にやるんだ?」
「夜の方が地脈に沿って大聖堂へ流れ込んでくる魔力量が増えるのよ。バベルの欠片の強力すぎる魔力から解き放たれた身体に自然の魔力を流して魂を癒すの。聖水を媒介としてね」
スティアが説明してくれた仕組みは俺にはよく分からないが、やはり人工のものより天然物の方が身体に良いということか。
「ハルト、止まって」
スティアに言われて摺り足を止める。こんなシチュエーションで急に止まれと言われるとドキッとする。ちょっと踏み外したら空中庭園どころか地上からやり直しだ。
「な、何だよ急に」
「ほら、見て。あそこに窓がある」
俺はほんの僅かに身を乗り出して先を見る。たいして大きくはない窓があり、仄かに明かりが漏れていた。
「見つかったりしないか」
「たぶん大丈夫かな。そんなちょうど良く誰かが窓を開けて外を見るなんてことはないだろうし、そもそもこの時間はそんなに人がいないし」
とスティアがに進んでいく。
スティアのセリフに若干フラグ感を覚えたが、なにも起こらないことを祈るしかないか……。
俺もスティアのすぐ後ろに続き、窓の近くまで来た……その時。
ガタンっ。
突然、窓が開いた。
「「……ッ!?」」
ビクッと身体を大きく震わせた俺とスティア。全神経を集中して声を出すのは我慢したが……。
「……!!」
しまった! 足を滑らせる俺。
ま、まずい……、落ちる!!
咄嗟に掴んだのはスティアの手だった。
「ッ!?」
いきなり俺に掴まれたスティアも塔から落ちかける。
ふたりして宙に投げ出される。
フラグ回収して一階からやり直しか! てかそんなことしてたら儀式が終わる!
もうダメだと思ったその時、スティアがバベルの欠片を剣に形を変えて大聖堂の壁に突き刺す。
壁に深く突き刺さるバベルの欠片の剣。
剣を掴んでぶら下がるスティア。
そのスティアに掴まってぶら下がる俺
窓から顔を出した聖教会の人間が煙草のようなものを吸っている。
「ふぅ」
煙を吐いて遠くを見るおっさん。
絶対に下を見るなよ! 少し下に目を向ければ見つかってしまう……。
俺は声を出さず、動かずじっと耐える。
一方のスティアはかすかにモゾモゾと動く。
俺に掴まられてバランスが取りづらいんだろうか。下を向いたスティアが口パクで何かを俺に伝えようとする。
いやいや。この暗さの中じゃ全然分からないって。
ただ、想像するに、恐らく今のままではふたりの体重を支えるのはバランス的に難しいということじゃないだろうか。
よし。
だとすればスティアが俺に伝えようとしたのは……。
「……んん!?」
推論の末に俺のとった行動にスティアがビクッとする。
スティアの言わんとしていることを完璧に読み取ったはずの俺は握っていたスティアの手から登っていき、そしてスティアの身体に抱きついた。
「……ッ!?!?」
スティアが何故か身体を左右に揺らす。
振り子のようになった俺とスティアが宙で揺れる。
あ、あれ。
どうやら俺はスティアが意図したのとは違うことをしてしまったらしい。
俺としては今の状態が極めてバランスが取れて安定していると思うんだけど。俺が手を握ることを止めたお陰でスティアも両手で剣が握れてるし。
暗くて見えないはずなのに何故かスティアが怖い顔をしていることだけは分かった。今も身体を小刻みに震わせている。
ええと。
うん。
これは、ちょっとやってしまったかもしれない。
バタン。
一服していたおっさんが窓を閉める。
仄かに漏れ出ていた明かりも消える。
もう大丈夫だと判断したのかスティアが小声で言う。
「ハルト、足場に上がって……」
「お、おう」
俺は身体を揺らし、その反動を使って、元いた足場に着地した。手を伸ばしてスティアも引き上げた。
少し先に腰を下ろせそうな場所があった。取り敢えずそこまで進む俺とスティア。
スティアがへたりこむ。
「……」
何故かスティアは無言でこっちを見てくる。
そして、
「何でさっき……、あんなことしたの?」
「あんなって?」
「大聖堂から落ちかけたとき……、その、だ、抱きついてきたじゃん」
「ああ。だってスティアがそうしろって」
「はぁ!? 私そんなこと言ってないし!」
「いや、ほら、口パクでさ。俺は状況から考えて、『上まで上がって来て私に掴まって』とかそういうことじゃないかと……」
「私が伝えたかったのは『そのまま動かないで』よ!」
スティアが顔を背ける。
どうやら俺の盛大な勘違いでスティアを怒らせてしまったようだ。
このままにしておくのは得策じゃない。機嫌を直してもらわないと。ここは気のきいた一言でも。
「まあ、ほら、スティア向こうでもモテそうだし、彼氏だっていそうだし、ああいうのにも慣れて……」
「……ッ」
直後。
スティアが全力でビンタしてきた。
パァンという乾いた音が王都の夜空に木霊する。
「い、痛え……」
欠片の力を纏わせているとは言え、それはスティアも同じこと。完璧なはずの防御を貫通したスティアのビンタは普通に痛かった。
「は、初めてだったんだから……。あんな風に男子に、その、だ、抱きつかれたのなんて……」
ボソッとスティアは言って俯いた。
「あ……。そ、そうなんだ」
「馬鹿なこと言ってないで先に行くわよ! 最上階まではあと少しなんだから!」
スティアは再び最上階へ向かって移動を始めた。
何故かスティアを怒らせてしまったらしい。俺としては可愛いと褒めたつもりだったんだけど……。
女心は難しい。どうやら選ぶべき選択肢を間違えてしまったようだ。恋愛未経験な俺には難易度が高すぎだ……。
スティアに対抗するためピアノ練習も始めないといけないが、これは別途空き時間を作って恋愛ゲームにも取り組まないといけないな。
向こうの世界でのTODOリストがまた増えしまった。
お読み頂きありがとうございます!
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