7『身代わり大作戦』
「……ん」
最初に目に映ったのは天井だった。頭を軽く上げて見回す。小さな松明が辺りを照らしていた。
どこだここ。
というか俺は何を……。
そうだ。
ティットから聞いた聖教会の話を確かめようとスティアに会いに俺は大聖堂へ向かったんだ。
スティアにティットから聞いた魔力貯留器のことを話したらいきなり襲いかかってきて戦闘になった。そしてスティアの魔法で眠らされて……。
スティアは強かった。神門の守護者である俺だけど、それはスティアも同じこと。バベルの欠片を使いこなす技量はスティアが上だった。
そのスティアとの戦闘で傷を負っていたはずなんだけど。
「あれ、痛くない」
不思議なことに身体には全く痛みはない。それどころか心地よさすら感じる。布団も柔らかい。そして何よりも横に寝ている女の子はもっと柔らかいし何よりも良い匂いが……。
……。
……ん??
俺はガバッと上半身を起こした。
驚いて思考停止。人は、真に驚くと声が出ないのだということを知った。
……。
よし。ここは少し落ち着こう。
どこかは分からないが、今俺がいるのは広くはないがこぎれいな部屋だ。そんな室内には幾つかの家具とベッドがひとつ。
そして、そのベッドでは俺の横で、俺を圧倒した聖教会上級司教系美少女が無防備に寝ていた。
いや、おかしいだろう。なんでさっきまで互いにバベルの欠片の力をぶつけ合って戦っていた相手が同じ布団で寝ているんだよ。
……ハッ。待てよ。
俺は気づいてしまった。
俺、こんな可愛い女の子と同じ布団で寝て……。そう、スティアは可愛いのだ。こっちでは普通に絡んでるが、向こうの世界ではカーストの序列的に話しかけることすら烏滸がましいレベルだ。
「ス、スティア……」
思わず口にした若干上ずった俺の声に反応してスティアがモゾモゾと動き出し、そして目を開ける。
「……んん。おはようハルト。ふわぁ~」
とアクビをして目を擦るスティア。
起きたスティアは窓の方をちらりと見た。窓の外は真っ暗だ。
「ああ良かった。ちゃんと起きれて。実はね、少し自信なかったんだ。いや、朝は強いし寝起きは良い方なんだけど、最近ちょっと忙しくて寝不足だったからさ」
よし、と自分の頬を叩いて気合いを入れたスティアはベッドから飛び降りてスタッと着地した。いや、もう少し同じ布団の中にいてくれても……って、違う、そんなことを考えている場合じゃない。
「お前……、ええと、何で? どうして?」
「どうしてって言われても。私の魔法にやられて、ものの見事に眠ったハルトをベッドに入れて、気持ちよく寝てるハルトを見てたら私も眠くなっちゃって、つい」
「いや、つい、じゃないだろ」
「ああ、なるほどね」
何かに納得したようにスティアが頷く。
「聖人シータ……じゃなくて聖依奈ちゃんか。聖依奈ちゃんみたいな可愛い幼馴染みがいてメインヒロイン攻略勝ち確なのに、浮気なんかして聖依奈ちゃんに愛想つかされたらそりゃあ怒りたくなるよね」
「違う! 俺が言いたいのは……」
「大丈夫だよ、ハルト。ほら、バレなきゃ犯罪じゃないって言うでしょ? むしろヒロインをふたり同時攻略可能なんて、今までの恋愛ゲームの常識を超えた神ゲーだよ? ハーレムゲーム略してハーゲムだよ?」
ダメだコイツ。人の話を聞いていない。
確かにシンアルの世界は魔法ありモンスターありのゲームみたいな世界だ。でも別に恋愛ゲームというわけではない。一度あるヒロインを攻略して、またセーブポイントから前回と異なる選択肢を選んで別ルートへ……という作業をせずに、ヒロインを同時攻略できるというシステムは……、いや、まあ確かに全人類の夢には違いない、あり寄りのだいぶありだな……ってまた話が脱線している。
「なあ、スティア」
「分かってるわよ。ちょっとふざけただけ。でも少し待って。多分そろそろだから」
「そろそろ?」
そんな俺とスティアの会話にタイミングを合わせたようにドアがノックされた。
俺はその音にビクッとした。スティアは誰かが来るのが分かっていたようで、スタスタと進みドアを開け、ノックした人物を招き入れた。
「クリフ。時間どおりですね」
スティアの声色が司教用になる。いつも思うんだけど、スティアの『素』と『司教』のキャラの使い分けは完璧だったし、何よりも切り換えの速度が神がかってる。
俺のところまで戻ってくる足取りひとつ見てもさっきまでとは明らかに違っていた。さっきまでハーゲムとか訳の分からないことを言っていた奴とは思えない厳かさを纏っていた。
その司教として佇まっているスティアの後ろには前にも見た書記官のクリフがいた。
「クリフ。抜かりはありませんね? 例のものは?」
「え、あ、はい、こちらに……」
クリフが差し出したのは何の変哲もない小瓶だった。中には淡く紫色の光を発する怪しげな液体が入っていた。飲んだら絶対に状態異常になること間違いなしと見た目で分かるような代物だった。
「この短時間でよく用意できましたね、流石です」
「いや、そんなことは。それに聖教会の御用商人にスティア様の名前を出して無理を言ってようやく……。」
「出来れば秘密裏に用意をして欲しかったのですが、まあ仕方ありません。急ぎでしたからね」
クリフから小瓶を受け取ったスティア。なぜかクリフから見えなくするように背中に隠し、そして静かに瓶の蓋を開けた。
「クリフ。目を閉じて口を開けて下さい」
「え、はい。こうですか?」
「ええ。ちょっと動かないで下さいね」
「は、はあ。……ぐぼッ!」
クリフの後ろに回ったスティアはクリフの口に瓶を突っ込んだ。液体を飲まされたクリフの身体から液体と同じような紫色の怪しげな光が発せられる。
「げほッ。ス、スティア様!?」
「クリフ! ハルト様を見るのです!」
クリフは閉じていた目を開け、俺を見る。俺と目が合った次の瞬間、クリフから発せられる光が強くなっていき……。
「ふう。どうやら上手くいったようですね」
一仕事終えたぜみたいに良い顔をしているスティアの前には……俺と、あと俺がいた。
『!?』
俺と俺はお互いにガン見する。声も出ない。なんだ、これ!?
「さきほどの液体は魔法変身薬」
「ま、魔法変身薬……」
シンアルにはそんな物があるのか。聞いたことも無かった。少しはこっちの世界にも慣れてきたかと思ってたけどまだまだだな。
「ご覧の通り、クリフにはハルト様になってもらいました。どうですか、そっくりでしょう」
確かにそっくりだ。鏡ではなく、実際に自分が目の前にいるというのは何と言うか凄く不思議な気分だ。
「それは、まあ」
「魔法変身薬は精度や効果の持続時間で値段が変わります。そもそも出回ることが珍しい上にこれ程の品質のものとなると庶民どころか王侯貴族でもおいそれと入手はできないでしょう」
俺もそうだがクリフも全く事態が飲み込めていないようでアタフタとしている。そのクリフにスティアが何事もなかったかのように言う。
「さて。伝えておいた通り、私の明日以降の予定の調整は大丈夫ですか?」
「あ、は、はい。それはもう。延期できる会合は先伸ばしにし、そうでないものは他の司教の方々に代理での出席をお願いいたしました。そしてスティア様は急遽ご自身が管理されている教区へ視察に向かわれる、ということに。私もお供をするということになっています」
「それは何より。計画通りですね」
うんうんと満足そうに頷くスティア。
「それでスティア様、一体これは……?」
「ええ、クリフ。貴方にはハルト様の身代わりを務めてもらいます」
『……は?』
俺とクリフ、いや、俺の声が重なる。
「み、身代わり、でございますか?」
「ええ。私とハルト様はこれから少々内密に行わなければならないことがあります。二日ほどで戻ります。その間クリフにはここでハルト様として過ごして欲しいのです」
「あの、お話が私にはさっぱり……」
「ハルト様は私との手合わせ中に大ケガをされ、ここで治療を受け身体を休めているという話はすでに私の方で広めてあります」
「手合わせ、ですか。それでスティア様の執務室があのようなことに……」
クリフの話ではスティアと俺の戦闘でスティアの執務室は当分は使い物にならないようだ。まああれだけ遠慮なく魔法をぶっ放せばそうなるだろう。
「というわけで、クリフ。二日間ほどお願いしますね」
「えッ? いや、しかし……」
事情が分からず困惑するばかりのクリフ。
そんなクリフの言葉を遮るようにスティアはクリフの手をそっと握る。
「!?」
一瞬にして黙ったクリフが赤くなる。
スティアは優しく微笑む。
「クリフ。貴方には苦労をかけます。いつも本当にありがとう。凄く助かっていますし、私は誰よりもクリフを頼りにもしているのですよ」
「え、いや、そんな……」
「まして今回は神門の守護者たるハルト様の身代わり。詳しいことは今は話せませんが、光栄なことです。一方で、その重責は図り知れません。クリフ、貴方にしかこのようなことは頼めません」
スティアがクリフの手を握る手に力を入れる。「ふへへ」と照れと嬉しさを隠さないクリフ。
「それにですね、働き詰めのクリフには休みが必要だと前々から思っていたのです。確かに大切な役目ですが、役目自体は『ハルト様として二日間寝て過ごす』というものです。クリフにはこの機会にしっかりと休んで欲しいのです」
「スティア様。そこまで私のことを心配して……。明日明後日の二日分の仕事が溜まってしまうのは厳しいと思っていたのですが、確かに言われてみれば私には休みが必要なのかもしれません」
「ええ、そうですね。ではクリフ、お願いできますか?」
「承知しました! お任せ下さい!」
感極まったようにピシッとクリフは言った。
そして、俺は見た。スティアが一瞬、「コイツ、チョロいな」と言わんばかりの顔をしたのを。
「ええ、その意気です。二日も寝て過ごせばその後三日くらいは寝ずに働いてもさして問題はないでしょう」
「もちろんですスティア様! ……。え?」
「私とハルト様が戻ってきたら直ぐに資料の用意をお願いします。聖教会と王国の連絡会議の資料です」
「え、いや、そんな急に……。そもそも、それほど大事な会議の話、聞いておりませんでしたが……」
「ええ、今初めて言いましたから」
「……」
時が止まったように固まるクリフ。顔からは血の気が失せていた。
クリフが口を開きかけた瞬間。
「さあ参りましょう」と爽やかな笑顔でスティアは俺の方を向く。
俺はスティアに手を引っ張られて部屋を出る。ドアを閉める直前まで「スティア様! お待ちを!」というクリフ、いや俺の悲痛な声が聞こえた。何故だろう、自分の声のせいか、他人事のはずなのにこっちまで悲しい気持ちになってくる。
「ええと。いいのか、あれ」
「うん。いつものことだもん。大丈夫。優秀だもん。クリフなら何とかするでしょ」
あっけらかんと言った。
憐れクリフ。
でも……、すまん。許せ。
こっちも今はそれどころじゃないんだ。
わざわざこんな手の込んだことをしているスティア。何をしようとしているのかは分からないけど、話の流れ的にはたぶん聖依奈に関係している。であれば俺はスティアについていくしかない。
歩き始めるスティア。俺の少し前を歩き廊下を進んでいく。わざわざ人の目を避けた道を選んでいるようだったので俺も黙ってついていく。
進んだ先に地下へ向かう階段があった。
そのすぐ側には衛兵がいる。椅子に座っているがこれ以上近づけば気づかれてしまうだろう。
近づきながらスティアが何かを唱える。俺に使った眠りの呪文だ。眠った衛兵の横を通り抜け、スティアと俺は階段を下りていく。
階段の前後に人の気配はない。
俺は口を開いた。
「それでスティア。そろそろ説明してくれないか? 一体どこに行くつもりなんだ?」
「ハルトさ、確認するんだけど、聖依奈ちゃんのこと、本当に助けたいんだよね?」
「何だよ、いきなり。そんなの当然だろ」
「他の何よりも……優先して助けたいんだよね?」
「ああ。その気持ちで俺は動いている」
俺のその言葉を聞いたスティアが立ち止まり、そして振り返った。薄暗い階段。スティアの表情は良く見えなかった。
「地下大聖堂。たぶんそこにハルトが求める物があるはず」
お読み頂きありがとうございました!
今月中には次の話を更新しようと思っておりますので、続きは少々お待ちください!