3『かりそめの欠片』
シンアルの世界には魔法が存在する。ゴブリンやオーガのようなモンスターだって普通にいるし、まさにゲームやアニメの中の世界だ。
そんなシンアルは俺たちバベルの欠片を持つ神門の守護者とって『もうひとつの現実』だと言われた。
最初は夢の中だと思っていたけれど、流石にこれだけこっちの世界で過ごしていれば少なくとも夢の中の出来事ではないと分かる。
いつからか、自然とこの世界も俺にとっての現実なんだと思えていた。
そんな俺でもあくまでシンアルはもうひとつの現実だ。
今まで生きてきた世界とはあまりにも違うこの世界は自分にとって現実なんだとは分かっても現実感は薄かった。
だからもしこの世界で死んでしまって向こうの世界だけが自分にとって唯一の現実になってしまっても、それはいわばゲームオーバーのような感じがしていた。そりゃこっちの世界は楽しいし死にたくなんてないけど、もしそうなったら仕方ないくらいにしか思っていたなかった。
むしろ、向こうの世界でRADがプレイ出来なくなるなんてことがあったらそっちの方が俺にとって死を意味することになるかもしれない……。考えるだけでもおぞましい。
そんな風に考える俺だからスティアの言葉もその意識の延長線上でとらえた。
「まあ、そりゃ魔法にモンスターなんてのが存在しているんだもんな。そりゃ下手すれば死ぬことだって……」
「ううん。ハルトは勘違いしている」
「勘違い?」
「うん」
スティアは躊躇するような顔をして、そして再び口を開いた。
「座って」
促されたので俺はスティアとテーブルを挟んだ反対側のソファーに座った。
「私たち神門の守護者は『バベルの欠片』と呼ばれるこのアイテムを所有することによってふたつの世界の記憶を持ちながら、ふたつの世界で生きることが出来る……。ここまではいいよね?」
「ああ」
「それって、すごーく異常なことだよね?」
俺は頷く。
向こうで普通に高校生をしながら日々RADにいそしみ、こっちの世界では神門の守護者として生活する。数ヶ月そんなふうにふたつの世界を行き来して生きる中で、いつしか違和感なく今の生活に馴染んでいたけど、それでもふたつの世界、ふたつの現実を生きているということの異常さは変わらない。
「そう、私たちはかなりイレギュラーな存在……。ふたつの現実世界で生きているって言うのもそうだけど、特にこのシンアルの世界。魔法に魔物、獣人……。どれひとつ日本、ううん、世界中探したって見つかるわけがない存在ばかり。魔法に至っては恐らく宇宙中探したって見つかるわけがない。私たちが知っている常識の範疇を超えた、私たちの世界の法則をさらっと無視した代物よ」
「それは、まあそうだな」
「私たちが今まで生きてきた世界とシンアルは全くの別物。異世界、パラレルワールド……呼び方は何だっていいけど、このふたつの絶対に交じり合うことのないはずの世界、そのふたつの世界で意識を行き来させている私たちこそが異常なのよ。そんな本来なら不可能なことを可能にさせているのが……」
「バベルの欠片」
「そう。この石の存在こそが私たちに不可能なことをやってのけさせている」
スティアは首からかけて服の中に入れていた自分のバベルの欠片を俺に見せた。
剣や盾に自在に変化し、無類の攻撃力と防御力をほこり、常人では扱えない魔法を使えることを可能とし、更に身体能力をあり得ないくらい向上させてくれるバベルの欠片。
「バベルの欠片は確かにとんでもない代物だよな……。でもなんでいきなりバベルの欠片の話を? 聖依奈のことと何か関係があるのか?」
「不可能を可能にする力を手にしている神門の守護者。ふたつの現実世界を生き、ふたつの現実世界の記憶を共有する存在。でも聖依奈ちゃんは……」
「神門の守護者としての力は一級で聖人なんて呼ばれているけど、向こうの世界での記憶を持ててはいない」
「そう。だとするとその原因はひとつしか考えられない」
「聖依奈が持つバベルの欠片か」
スティアは静かに頷いた。
「ここまでの話の流れから、聖依奈ちゃんが持つバベルの欠片が不完全だったり、もしくは何か不具合が生じているかもしれない……とハルトは考えるかもしれないわね」
「違うのか?」
完全にスティアの言う通りのことを考えていた。
「あのね、バベルの欠片は不可能を可能ならしめる言わば神器なんだよ。スマホや時計じゃあるまいしちょっと故障して不具合が……なんてあるわけないでしょ」
「言われてみればまあそれはそうかも。でも、じゃあ何だって言うんだよ」
「……。あくまで仮説なんだけど聖人シータはバベルの欠片を持っていない」
「……は?」
俺はスティアの言葉に思わず変な声を出してしまった。スティアの言葉はここまでの話と圧倒的に矛盾している。
「ええと。スティア」
「何よ」
「俺、聖依奈がバベルの欠片を持っているところを見たことが」
「ええ、もちろん私だってあるわよ」
「……」
言っていることが支離滅裂だ。
聖依奈はバベルの欠片を持っているけど、持っていない。
「ごめん、ちょっと何言っているのか……。スティアってたまに意味不明なこと口走るよな」
「失礼な。分かっているわよ、自分でも荒唐無稽なことを言っているって。でもそういうことなのよ!」
「そういうこと……とか言われてもなぁ」
「でもそうとしか考えられないのッ!! 神器であるバベルの欠片が異常をおこすことはない。でも聖人シータと聖依奈ちゃんは記憶を共有していない。記憶の共有が出来ていないならバベルの欠片を持っているはずがない」
スティアの言っていることは答えから逆算するなら的を射ている。記憶の共有が出来ていないならバベルの欠片の保有者ではない。だが、そうだとすればひとつ、すさまじく辻褄が合わないことがある。
「でも、聖依奈はこっちでは聖人シータ……、つまりは神門の守護者だ」
「ハルトの言う通りね。シータはバベルの欠片の力を使いこなせている。しかも通常の神門の守護者よりも圧倒的に……」
「じゃあ……」
聖依奈はやはりれっきとした神門の守護者で欠片の所有者だ。そう言おうとした俺をスティアが遮る。
「持っているけど持っていない。この矛盾をクリアするひとつの仮説があるの。それが『かりそめの欠片』」
「『かりそめの欠片』?」
こっちの世界に来てから初めて聞く言葉だった。まあ神門の守護者で知っているのはシリスと聖人のシータだけだし、他の神門の守護者は知っていて当然ことなのかもしれないけど。
「極めて稀な事例なんだけど」と前置きしてスティアが語り始める、どうやら知っていて当然という話でもないらしい。
「『かりそめの欠片』というのはバベルの欠片の力の結晶体。そのどれもが神器であり有り得ないくらい強力な力を持っているバベルの欠片だけど、実はそれぞれの欠片にも力の差はあるの。力の差だけじゃなくて特性の差なんかもある」
「へえ。物理攻撃の力が強い欠片とか魔法攻撃の力が強い欠片みたいな感じに?」
「まさにその通り。だから一通りの欠片の力の使い方が分かったら自分の欠片が何に向いているのか試してみて、自分の欠片の特性が分かってきたらそれに応じて使い方や戦い方を特化していくのがおすすめかな」
「ほう。まあ自分や自分の持つアイテムのスキルに合わせて成長させていくのはゲームの基本だからな」
「紺碧の神聖竜を持つハルトに言われるとなんかムカつく……。あんな全方位に特化したチートキャラ使うなんてホント反則。RADの運営ももっとゲームバランス考えて欲しいわね。クレームものよ」
「そ、それは……。いや、でも紺碧の神聖竜を持っててもキツいクエストだってあるんだぞ! この間から始まった『機械仕掛けの神の涙』は俺だってクリアするのに3日……」
「はあッ!? 3日!? あのクエスト難易度高くてクリアできない人ばかりで軽く炎上してるんですけど!! 私RADの配信やってるけど、その私が1週間で何とかクリアして『なんだ、ただの神か』とか『世界最速なんじゃね』とか言われてるレベルなんだよッ!!」
立ち上がってテーブルにのぼり俺の胸倉を掴むスティア。
しまった……。
シンアルの世界の事で精一杯でクエストのクリアはしたけどネットやSNSの反応や評判をチェックしていなかった。あのクエスト、そんなに難易度高かったのか……。
思えばやたらとストーリーや音楽が気合入っていた。もしかしたら運営からしたら今期の目玉クエストだったのかもしれない。
いや、確かに素晴らしいクエストだった。ストーリーが神がかっていた。本当に泣いた。俺の中では既にあのクエストを元にしたアニメ化……どころかその先の劇場版化まで決定している。それにとどまらず、劇場版の大ヒットを記念したファンイベントが開かれ、そこでアニメ二期の製作が発表……ってそうじゃない。
「スティア。今はRADのことを話している場合じゃない」
「はっ……。そ、そうね。この話はまた後日」
俺から一歩離れてコホンと一息ついたスティアが続ける。
「聖依奈ちゃんが持つバベルの欠片はその『かりそめの欠片』かもしれない。これなら聖依奈ちゃんとシータが欠片を持っているのにふたつの世界の記憶を共有することが出来ていないことの説明がつく」
「『かりそめの欠片』、か」
「ただあくまで仮定の話ね。『かりそめの欠片』を生み出せるような強力なバベルの欠片なんて滅多にないんだから。そうね、ここ数百年は存在が確認されていないはずだよ」
「数百年……。でも確かに可能性としてはなきにしもあらずだな。でもさ、それが何かまずいのか? 聖依奈が持つ欠片がその『かりそめの欠片』だってことだけなら大した話じゃないだろ。何で聖依奈が死ぬなんて話になるんだよ?」
「はあ。それが大した話なんだよ。かりそめの欠片の力は所詮はかりそめの力。元は別のバベルの欠片からあふれ出した力の結晶体。聖依奈ちゃんが元のバベルの欠片に主として認められて授けられた力じゃない。だとしたら、いつその力が暴走するか分からない」
「その力の暴走で聖依奈が死ぬかもしれないってことか……」
「かもしれない、じゃなくて確実に死ぬよ。あ、ちなみに私たちもね」
「は?? 何で??」
「考えてもみなよ。所詮かりそめだなんて言ったけど、その力は聖人級なのよ? 純正のバベルの欠片を持っている神門の守護者を凌ぐ程の力なんだよ? その力が暴走なんてしたらどうなるか。この王都が丸ごと吹き飛ぶぐらいで済むなら感謝しないとねってレベルよ」
「そんな……」
「だから、聖依奈ちゃんのことは何とかしないといけない。最悪の場合、手段は選べない」
「聖依奈のこと、どうする気だ?」
「ハルトの考えてる通りだよ」
サラッとスティアは言ったけど目は笑っていない。
スティアが言いたいのは最悪聖依奈を殺すってことだろう。聖依奈に宿る力が暴走する危険性があるなら、その宿り主を殺して力を霧散させてしまえばいい。そんなところだろう。
「俺がそれをさせると思うか?」
「おお、こわ。でも私だって引けないな。死にたくないもん」
「そりゃ俺だって同じだ。こんなゲームみたいな世界でも生きられているんだ。もっともっと楽しみたい。でもそのために幼馴染が殺されるのは見過ごせない。そんなシーンを見るくらいなら大人しく聖依奈の力の暴走に巻き込まれてゲームオーバーになった方がましだ」
「ゲームオーバー、か……」
スティアは俺の言葉にふっと悲しそうに笑った。
「スティア?」
「ゲームみたいな世界だもんねホント。もうひとつの現実だなんて言っても私たちみたいなゲーム脳属性の人間にとっては、確かにこっちの世界で死んでもただのゲームオーバーって思えるかもね」
「実際そうだろ。シンアルの世界で死んでも、俺たちがこれまで生きてきた向こうの世界がある。自分にとっての現実世界がひとつになる。現実世界がふたつっていう異常だった状態がある意味で元に戻るってだけだろ」
「私もそう思うよ。ある事実さえなかったらの話だけどね」
「ある事実?」
「本当はね、もっとこっちの世界の事を知ってもらって、落ち着いてから話そうと思っていたんだけど……」
スティアはこれまでに見せたどんな表情とも違った表情で俺にその事実を伝えた。
「こっちの……シンアルの世界で死ぬとね、向こうの世界でも死んじゃうんだ」