21 『少女の名前』
聖人の少女が去ってから直ぐに兵士たちが駆けつけてきた。ケモッ娘を含め俺が倒した黒ずくめの獣人たちを縛って連行していった。
周辺の火事も収まり、それまでの騒然とした周辺の空気が落ち着きを取り戻していった。多くはないが王都の住人たちの姿も見える。
軽く息を吐いて近くの瓦礫に腰掛けた俺にツァディーが近づいてくる。
「流石はハルト様。王都に着くなりのご活躍。まさに神門の守護者として相応しいお働きですね」
相変わらず表情を変えずに褒めてきたツァディーが、ですが、と続ける。
「あれは宜しくありません」
「あれ?」
「私の見間違いでなければシータ様と剣を交えていらっしゃったご様子。シータ様は聖人。聖人はシンアル聖教会でも教皇猊下と並ぶ権力者であり、かつ、神門の守護者の中でも卓越した力を持つ方々が列せられる御位……。決してハルト様を軽んじる訳ではありませんが、何卒自重なさって下さいませ」
「でもさ……」
「ハルト様」
ピシャリと言われて俺は黙った。
ツァディーが正しい。聖教会内での力関係、そして何より俺と聖人の間にある絶対的な力の差。あのまま戦っていたら勝算はなかっただろう。
「了解。聖人には気を付ける。……でもさ、あの人にも問題があると思うぞ。いくら騒ぎを起こした奴らでも問答無用で叩き切ろうってのはちょっと……」
「ハルト様はお優しいのですね。ただ……、そうですね、聖教会内ではそういった考えを持つ方々はかなり限られるかもしれませんね。今回の相手は獣人でしたから」
「獣人だから? ああ、聖教会の教義なんだってな。嫌われてるんだな」
「嫌われている、という表現は適切ではないかもしれません。『認められていない』という言い方が正しいかと」
「どういうことだ?」
「聖教会では『人間』以外の存在は認められていないのです。ゴブリンやオークなどのモンスターはもちろん、人としての一面もある獣人、あとは他種族との混血など……。そういった存在を全て『自然への背理』であるとして否定しているのです」
かなり偏った教義だな。モンスターならまだ俺も理解できる。しかし会話も出来る獣人をモンスターたちと同じ扱いをしていることに俺は少なからぬ抵抗を覚える。
「でもさ、獣人は確かに多少は見た目とか俺たちとは違う所はあるけど、会話だって出来るし……」
「それでも駄目なのです」
そう言って背を向けて歩き始めたツァディー。表情からも声色からも彼女が何を考えているのかは読み取れなかった。
◇◇◇
トルード地区でも一件は終り、事後処理を兵士たちに任せた俺、リズ、ツァディーは城へと戻った。そして謁見の間へと再び通された俺たちを待っていたのは満面の笑みの国王だった。
「流石は神門の守護者だッ!! いや、本当に素晴らしい!!」
国王はこの上なく上機嫌だった。テラスから炎上する王都の一角を見た時はこの世の終わりだと言わんばかりに狼狽していたんだけど。
俺の功績をひたすら褒め称えた国王は横のツァディーにも視線を向けた。
「聖教会にも改めて感謝の言葉を送りたい。聖人のシータ殿がこの王城を反徒から守ってくれた。あの勇猛果敢な姿は今も目に焼き付いておる」
「勿体ないお言葉です、陛下。ですが、我々は我々の務めを果たしたのみ。それが王国の為となるならこれに勝る喜びはございません」
と一礼するツァディー。けれど、その顔からはこれに勝る喜びとやらは全く読み取れなかった。ツァディーの言葉に満足げに頷いた国王は再び俺を見る。
「さて、ハルト殿。この度の反徒鎮圧にぜひとも報いさせて貰いたい。褒美は何が良い? 何なりと言ってくれ。ハルト殿が今一番欲しいものは何なのだ?」
「何なりと、ですか……」
褒美、か。
ここは慎重に考えなければ……。確かに神門の守護者として自分で言うのもなんだけど圧倒的な力を持つ俺。しかし、向こうの世界同様にシンアルでも懐事情は厳しい。素直に考えるなら金か。
「無論だ! 二言はないぞ。金でも財宝でも……。そうじゃ、我が国の貴族位でも良いのだぞ」
ほう、その手もあったか。王国の貴族ともなれば領地なんかも貰えるかもしれない。そうすればそこから不労収入が……。
などと褒美に思いを巡らせていると扉が開かれた。
「陛下! 反逆者どもを連行致しました!」
言った兵士を先頭に、兵士たちに囲まれ、両手を縛られた黒ずくめの獣人たちが連れてこられた。
獣人たちの姿を見た王が表情を変える。
「こやつらか……」
俺に向けていた表情は一変し、王は忌々(いまいま)しげに言うと足早に獣人たちに近づき、そして。
「貴様らッ、獣人の分際で……美しき我が都に何をしたッ!?」
国王は近くにいた何人かの獣人たちを蹴り散らした。轡をかませられた獣人たちは言葉を発せられない。しかし、彼らの、国王を見る目にははっきりと尋常じゃない憎しみが見てとれた。
「……ッ! ……ッ!!」
黒ずくめの獣人の一人が王に飛びかかろうとした。しかし直ぐに兵士に押さえつけられる。それでも獣人はもがき続ける。
「あ……」
と俺の横にいたリズが声を漏らす。リズの視線の先を追うとそこには例のケモッ娘がいた。俺やリズに気付くことなく国王を睨んでいる。
そのケモッ娘の視線に国王が気付く。
「何じゃ、その目は……。獣人ふぜいが。本来なら余を目にするだけで感謝すべきなのだぞ。それなのに、そのような視線を向けてくるとは……」
王は近くに控えていた兵士が腰に下げていた剣を掴む。剣を抜いてその切っ先をケモッ娘に突き付けた。
「どうせ死刑なのだ。ならばここで首を跳ねられても同じこと。むしろ余から直々に死を賜れることを光栄に思うが良いぞ」
国王は笑みを浮かべて剣を構えた。
兵士たちにねじ伏せられた獣人の少女には助かる術はない。もし自分があんな立場にいたら少しでも助かる方法はないかと間違いなく狼狽していただろう。
けれど、獣人の少女は暴れもせずただ国王を睨み据えていた。国王はその視線に一瞬臆したようだったが直ぐに剣を構え直した。
そして。
「自然への背理は正されねばな」
と残忍な笑みを浮かべる。
国王の剣が獣人の少女に振り下ろされようとした、その時。俺にひとつの案が浮かんだ。
「待ってください」
俺の言葉に国王が動きを止める。
国王だけじゃない。国王の近習、兵士、獣人たち、それにリズやツァディー。謁見の間にいる全ての者の視線が俺に集まる。
楽しみを邪魔をされたかのように不快な顔をした後、困惑した声で国王が口を開く。
「ど、どうされたハルト殿……」
「さっき言いましたよね? 褒美は何が良いかって。何でも良いって」
何故このタイミングでそんなことを聞いてくるのか。国王の顔にはそんな困惑が見てとれた。戸惑いながら国王が俺の問いに答える。
「あ、ああ。そうじゃな」
「じゃあ……、この獣人たちを貰っていきます。何でも良いんですよね?」
……。
国王が呆気にとられる。国王だけじゃない。その場にいた誰もが俺を信じられないような目で見ている。それは獣人たちも例外じゃない。
静まり返った謁見の間に国王の乾いた声が響く。
「な、何を馬鹿なことを……。あ、いや。ゴホン。ハ、ハルト殿……。冗談が過ぎ……」
「いや、冗談じゃないです。王都を救った褒美として俺はこの獣人たちを選びます」
「い、いや、しかし……」
「二言はないんですよね?」
「それは……そうだが。余が申したのは金や財……」
「なら尚更です。獣人たちは奴隷、つまり売買の対象になることもあると聞きました。売買の対象ならそれは間違いなく財です」
「それは……。だ、だがなハルト殿。この者共は余とこの国に邪な考えを抱く犯罪者で……」
「二言は……ないんですよね?」
国王の表情が変わっていく。俺が神門の守護者だから、そしてその後ろには聖教会があるから。そんなことを考えて我慢していたのだろうが、その国王の堪忍袋の緒が切れる。
「ならんならんッ!! いかに神門の守護者と言えどもそれはならぬ!! 余に逆らった者共をこのまま生かしておけるか! ふざけるな!!」
それが本音か。
確かに聖教会の教義のことなんかもあるんだろうけど、要は自分に逆らった獣人たちが気にくわないってだけなんだろう。小さいおっさんだな。俺は小さく溜め息をついた。
俺からの軽蔑した視線を受けて国王はハッとした顔をする。
「い、いや、今のだな……。ハハ。それにしてもハルト殿も冗談が上手い。さて、褒美についてじゃがハルト殿には一生贅沢しても使い切れぬ財を与え……」
「要りません。俺はこの獣人たちを貰っていきます」
一度は落ち着きかけた国王の顔がまたしても怒りに染まる。そして国王が次の言葉を発しようとした、その時。謁見の間に凛とした声が響いた。
「王は彼の意見を認めるべきです」
国王はその言葉に反応して「誰じゃッ!? 余に意見するとは無礼な……」と振り向いたところで言葉を止めた。
そして、
「せ、聖人……」
とおののいた声を絞り出した。
俺は謁見の間に入ってきたその人物を見る。聖人。さっき剣を交えたときと同じくフードで覆われていて顔が見えない。
国王が聖人と呼んだ人物は静かに、そしてどこか優雅さも感じさせるような足取りで近づいてきた。
「こ、これはシータ殿。かような所においでとは何か……。あ、いや、それよりも、この度は我が都の窮地を……」
国王が聖人にも感謝の言葉を伝えようとしたが、聖人がその言葉を遮る。
「王におかれては、我ら聖教会……、しかも神門の守護者に向けられた言葉を覆されるおつもりか?」
「い、いや。何もそのようなことは……。ただ余は」
「王が二言はないと断言された言葉を自ら破る。かようなことが許されれば我々は王を信じることが出来なくなる。王は、いや、王国は我ら聖教会に何か含むところがある、そう疑いたくもなる」
聖人の言葉に王は蒼白になる。
「そ、そんなことは決してない! あるわけがない! 余もこの国も聖教会に含む所などあろうはずもな……」
それでは、と聖人は王の言葉を再び遮る。
「王におかれては、褒美としてこの者が望むものを与えるということで宜しいか?」
「そ、それは……」
「宜しいか?」
「反論は許さない」と言わんばかりの声音で聖人に繰り返された言葉に、苦渋の顔で王は頷く。
聖人が俺の方を向く。
「貴方は、報奨としてこの獣人たちを望むのだな?」
「ああ……」
「ではたった今からこの獣人たちは貴方の物だ」
聖人と俺のやりとりに憤慨を隠せない国王だったがそれでもやはり聖人には逆らえないのだろう。国王は足早にその場をあとにして側近たちがそれに続いて出ていった。
謁見の間に残ったのは兵士と獣人たち、リズ、ツァディー、そして俺と聖人。
誰も何も言わない中、俺は聖人に近づいた。
「あの、ありがとう。助けてくれて」
「助けてくれて、という意味では礼には及ばない。私は貴方やそこの獣人を助けようとしたのではなく、王の聖教会への態度を正したかっただけだ」
「うん、まあそれはそうかもしれないけど……助けられたのも事実だし。ありがとう」
「では同じ神門の守護者の仲間としてその言葉は受け取っておこう」
俺は感謝の気持ちを表そうと手を差し出した。しかし聖人は俺の手を握り返すことなく続けた。
「ではハルト殿。その穢らわしい獣人たちを早く王都の外へ連れていってくれ」
「え……?」
「聞こえなかったか? 早く連れて……いや、持っていってくれ。所有者なのだから責任を持つように」
……。
一度、剣を交えただけだが、それでも聖人の力の凄さ、恐ろしさを感じた。同時に嬉しさも感じていた。スティアやシリスを除けば初めて出会った同じ神門守護者同士。新しく仲間になれたら……。そんな期待もあったけど。
獣人を物扱い……のみならず穢らわしいと言い放った目の前の少女に俺は怒りを抑えられない。
「その目……。気に入らないな」
初めてちゃんと目が合った。その瞬間。なんだろう。それまでの怒りとは違った感情が自分の中にわき上がってきた。
聖人の指が自ら被っていたフードに伸びる。白く綺麗な指だった。フードが外され、長く綺麗な髪が目の前に現れる。
「改めて自己紹介をさせて貰おう。聖人シータ・エスファルトだ。私に対する態度はそのままシンアル聖教会の中枢に対するものだと心得ておいて欲しい」
彼女がいつもとは違った冷ややかな視線でそう言った後、既に固まっていた俺は「え……」と声を漏らす。
少女は自ら聖人シータ・エスファルトと名乗った。それが少女の名前。
少女の凛とした声はしっかりと耳に届いていた。だが、少女の言葉を脳が理解することを拒んでいた。
獣人たちに対する侮辱とか聖教会の中枢が……とか、そういうことはどうでも良くなっていた。俺の脳にはそんな些細なことに思考を割いている余裕はなかった。
俺は目の前の少女から目を離せない。何でこんな所に……。何でお前がこっちの世界に……。
「どうした? さっきまでの勢いは。私への非礼を今更ながら悔いているのか?」
別にそんな理由で固まっているんじゃない。そんなことは今はどうでも良い。
俺は彼女の問いに答える代わりに、
「聖依奈……」
と、目の前にいる、数秒前まではただの聖人だった幼馴染みの少女の名前を口にした。
第一章・完
改めましてネット小説大賞一次選考通過、ありがとうございました!
お読み頂いた方々のお陰です。
2ヶ月空いてしまいましたが無事一章完結です。
二章についても出来るだけ早くスタートできるように頑張っていきますのでお付き合い頂けますと幸いです。
今後とも宜しくお願いします!