19 『トルード地区炎上』
その表情を見れば一大事があったことを察せられそうなものだけど国王はこの場の進行を邪魔されたことに怒り心頭の様子だ。
「何事だ! 騒々しい! ハルト殿にも無礼であろう!」
国王は怒りをぶちまけ続け、兵士は口を挟むタイミングを失っている。
「陛下、どうか落ち着かれませ」
さっきナイスアシストをして見せた男が国王を宥める。
ようやく訪れたタイミングで兵士が口を開く。
「そ、外を……」
「外?」
兵士の発した言葉の意味が分からないようで国王は首を傾げた。
そして、兵士は悲鳴にも似た声を出した。
「そ、外をご覧くださいませッ!!」
その声に王の背後に控えていた男が反応する。謁見の間から外のテラスへ駆ける。咄嗟に俺もそれ続いた。
「あれは……」
目をこらす。
王都のシンボルであるシンアル聖教会の大聖堂が目に入ったが、直ぐに王都の一角が赤く夜空を焦がしていることに気が付いた。
「火事?」
呟いた俺に並んだ国王が狼狽を隠さずに叫ぶ。
「なんだ、あれは!? 一体何があったというのだ!?」
国王の近臣の一人がテラスに駆け出してきた。その近臣に国王が詰め寄る。
「あれは何としたことか!? 火事なのか!?」
「詳しいことは分かりませぬ! ただ先ほどの兵の話では……、その……」
一瞬躊躇ったが近臣がその先を口にする。
「ど、どうやら騒ぎを起こした一団があったようで、その者共が……トルード地区を占拠している模様です」
国王と他の近臣、兵士たちが青ざめる。どうやらトルード地区というのは国にとって重要な場所らしい。
「あ、あそこには国軍の武器庫が……」
国王の周辺の一人がそう口にした。なるほど。武器庫がある周辺で何らかの騒ぎがあった。だとしたら一大事だろう。
「守備隊は何をしているんだ!」
「まずは状況を確認しなければ……」
「衛兵を王城の正門を固めさせなければ!」
国王の周辺が慌ただしくなる。近臣たちがそれぞれに考えを声高に口にしていくが国王は立ち尽くしたままだった。
「陛下。ご命令を」
俺たちをベクチアまで迎えに来てくれた初老の男が国王にそう告げると、国王は我に返った。
「そ、そうじゃな……。よし! 城から兵を出すのじゃ! それと聖教会にも伝令を! 反徒の鎮圧を要請するのだッ!!」
ハッ、と王の言葉を受けた兵士が駆け出そうとしたその時、
「へ、陛下! それでは城の守りが……。何者かは分かりませんが、その連中が陛下のお命を狙っている可能性も……」
近臣の誰かが上げた言葉に王はハッとする。駆け出した兵士を直ぐに呼び止める。
「先ほどの命令は無しじゃ! 兵には城門及び城壁を守るように伝えよ! 聖教会にも王城を守護するようにと!!」
「か、畏まりました!」
一礼して兵士は再度駆け出していった。
王宮内にいた近衛兵たちが厳戒態勢に入っていく。
取り敢えず王城は安全になったという空気が辺りを包み国王や近臣たちは一先ず安堵した表情を浮かべた。
「陛下、トルード地区の方はどうなされます?」
「……ッ」
おいおい。まさかここの安全のことだけ考えてトルード地区とかいう所のことを忘れていたんじゃないだろうな。いや、たぶんあれは忘れていたな。その証拠に国王の顔は再び真っ青になっていた。
「そ、それはだな……」
王が視線をさ迷わせる。
そして俺と目線があった国王の表情が晴れる。早足で近づいてきた国王は俺の両肩に手を載せた。
「ハルト殿! 状況はお分かりだろう」
「は?」
「ぜひそなたの力を借りたい。神門の守護者の力をもってすれば狼藉をはたらいているのが何者であっても敵にもならぬであろう」
「えっ? いや、でも俺は……」
そもそも状況がお分かりでない。王都の大事な場所で、何か事件があり、それが国王と近臣が狼狽するレベルのことだというのは理解できたが、詳細は知らない。
俺が返事をしないうちに両肩を掴む手に力が入る。俺が何も言わないでいると国王が急に破顔した。
「そうかそうか、力になってくれるか! これはありがたい! 流石は神門の守護者だ!! ハルト殿とその仲間がトルード地区に向かうぞ! 馬車の用意をッ!」
「え、は、ちょ……」
なぜか俺と、更にはリズまでがトルード地区に行く流れになっている。確かにバベルの欠片の力があれば人間だろうがモンスターだろうが大抵のことは何とかなるだろうけど。
「ハルト様! こちらへ!」
兵士たちが俺を呼ぶ。
俺は国王に目線を向けた。
「宜しく頼むハルト殿! この一件を解決した暁には望みの褒美を与えるぞ」
文句の一つも言ってやろうかと思っていたが褒美の言葉に思い止まる。正直この国王は好きじゃないけど貸しを作れるのは悪い話じゃない。まあバベルの欠片があれば何とかなるだろう。
少しでも早く俺とリズを現地へ連れていきたいであろう兵士たちが俺たちの背中を押して城の外へ向かわせた。
◇◇◇
「ではハルト様! 我々は城を守らねばなりませんので! ご武運を!!」
ここまで馬車で俺たちを連れてきた兵士たちは砂ぼこりを上げて王城へ退散していった。
「何だか大変なことになったな」
ここまで口も開かずに様子を見ていたリズが言う。
「ああ。というか俺たちは一体何をすればいいんだ」
馬車の中で兵士たちにされた説明はあまりにも適当なものだった。トルード地区で何か騒ぎがあったらしい。暴徒がいて放火もされている。地区を守っていた部隊はどうなっているのか不明。
まあ兵士たちも本当に何が起こっているのか分からないようだから仕方ないのかもしれないけど。
さて、と俺とリズは前を向く。
ここがそのトルード地区……の少し手前。恐らく兵士たちが危険な場所までは近づきたくなかったのだろう。
トルード地区がある方向の空は赤くなっている。まだ火は収まっていないらしい。
「まずは何が起こっているのか確認しないとな」
暴徒の正体、強さ、数……何もかもが不明。いくらバベルの欠片があるといって闇雲に突っ込むのは避けたい。
「取り敢えず身を隠しながら進めるところまで進んでみよう。俺が先に行く」
「分かった」
俺はバベルの欠片の力を身に纏わせ、そして剣を握った。バベルの欠片を剣に変えても良かったが力は温存しておきたい。リズは弓矢を背負い短剣を手にする。
リズをこのまま一緒に連れていくのが多少不安だがここに残しておく方が危険だ。それにリズは強い。伊達に今まで村を賊やモンスターから守ってきた訳じゃない。特に弓の腕は文句無しだ。それは俺が身をもって体験している。
「行くぞ」
俺とリズは身を低くして建物の影に潜みながらトルード地区に向かう。途中、住民らしい人たちがいて話を聞こうとしたが、誰もがこの場から逃げ出そうとするのに必死で声をかけられなかった。
空が赤くなっている場所が近づいてくる。
細い裏道を通ってきたが目の前は開けた場所になっていた。雰囲気も変わり広場の周辺は街というよりは砦と言った方がしっくりくる感じだった。
「まずいな。ここから先は身を隠す場所がない」
まだ状況が掴めない。
広場の周辺の建物の幾つかからは火が上がっている。明かりにまだ目が慣れないせいか良く見えないが広場には少なくない数の人が倒れていた。
さて、どうするか。
リズが俺の肩をつついた。
「ハルト。あそこ」
リズが示したのは塔だった。広場を囲む建物のひとつに付属する塔。あそこからならトルード地区を一望できそうだ。
「あそこなら周囲の状況を確認出来るんじゃないか?」
「確かに……。でも敵に見つかる可能性もあるな」
「ああ。でもこのまま進んでもどうせ敵には見つかる。全体の状況を把握する前に。あそこなら見つかりはするかもしれないけど、少なくとも状況は把握できると思う」
「なるほど」
「それに、ハルトなら相当な相手じゃなければ遅れはとらないでしょ?」
「それは、どうかな。まあでも早く状況を確認したい。よし、塔の上に行こう」
リズと目配せをして動き出す。一度裏道を戻り塔のある建物の裏に回った。
建物は無人のようだ。俺たちは警戒しつつ建物に入り階段を上り、二階の屋上へ出る。そこにも誰もがいない。俺たちは屋上を駆けて塔へ向かう。
周囲に人の気配はない。俺とリズは頷き合って塔の階段を上っていく。
塔の上にも誰もいないようだ。塔の上は思ったよりも広い。姿勢を低くしたまま壁沿いまで進み、顔を出して周辺の様子を窺う。
正解だ。ここからなら様子が良く見える。
火の勢いは衰えてきているが鎮火には程遠い。広場に倒れている人たちはトルード地区の守備隊だろう。城の兵士たちと同じ鎧を着ている。
「変だな」
「変?」
「ああ。だってここは王都の重要な場所なんだろ? だとしたらそこを守る部隊だって相当な規模のはず。そこを襲ってきた敵がいたとして、その敵だってそこそこの数がいたはず。大規模な戦闘になったはずなのに、それにしては戦いの跡が少ない、それに……」
広範囲の火災があったのかと思ったが、良く見てみると激しく燃えている建物の数は少ない。既に鎮火して煙が燻っているばかりの建物の方が多い。
「狙いが分からない。兵士を倒して放火……。これってもう反乱だよな? だとしたら騒ぎは続いているはずだなって。それともピンポイントな目標、目的があってそれを達成したか。もしくは……」
「もしくは?」
「ここは陽動で本命は別に……」
「他に狙いがあるということか。でもだとしたらそれは何なのだろう」
「分からないな。危険は覚悟するしかない。広場へ下りて調べて……」
と、そこまで俺が言った時。
「それをされちゃ困るんだよな」
俺たちはバッと声がした方を振り向く。広場周辺の詮索に気がとられていた。声の主は広場とは逆の方から現れた。
声の主は黒ずくめだった。頭も顔も黒い布で覆っていた。声からすると男だろう。体つきを見ても間違いない。しかし、それ以上のことは分からない。
塔の最上階だというのに悠然と壁の上にどっしりと腰かけている。
突然の敵かもしれない相手の出現に俺はバベルの欠片を取り出して剣に変える。リズも短刀を構えた。
二人で黒ずくめの男に対峙する。
俺が持つバベルの欠片の剣を見た男が、ほう、と言って続ける。
「神門の守護者様がお出ましとはな。こいつは騒ぎを起こした甲斐があったってもんだな」
男が片手を上げると同じ様な黒ずくめが数人姿を現した。それぞれが武器を構えて俺たちに近づいてくる。
「さ、せいぜいここで俺たちは俺たちの役目を果たすとしよう」
最初に現れた黒ずくめの男はそう言って大きな剣を抜いた。