16 『王都へ』
「つ、疲れた……」
ベッドに崩れ落ちる俺。
明かされたシンアルの秘密に戸惑う俺をスティアが教会に付属している演習場へ連れ出した。
『せっかく覚えたんだから使いこなさないとね!』とか言ってスティアが魔法の使い方を教えてくれた。
いきなり強力な魔法を行使するのは身体への負担が大きいらしく、今日は基礎的な低級魔法だけ教えてもらった。
厨ニ病系人類の宿願である魔法。それを覚えたのだから本来なら全力で歓喜に浸るところなんだけど。
「もうひとつの……現実……」
俺はベッドに置いてあった1枚の紙を広げる。演習場から出るときにスティアが渡してくれた。この世界──シンアルの地図だ。
「シンアル……」
広げた地図には幾つかの大陸が描かれていた。国、海、山脈、大河、湖……様々な情報がそこに記されていた。
これぞRPGのマップといった感じだった。これが本当にただのゲームだったらマップを見ながら、どんなクエスト、どんなイベント、どんな出会いが……と空想に耽っていたことだろう。
「これが、本当に現実の世界だって言うのかよ……」
今まで見慣れた世界地図とは似ても似つかない地図だった。
不思議と文字は読めるし大体のことは理解が出来たが、国名や地名はどれも聞いたことがないものばかりだった。
「ここが……バルパ村か」
俺がこの世界にやってきて最初に訪れた場所だ。訪れたというよりはリズにただ連れていかれただけだけど。
地図上でバルパ村から今いるベクチアまでの道程を指でなぞる。
実は結構遠くまで来たんだな。
改めてこうして地図で確かめてみるとその実感がわく。
ただ、遠くまで来たと言っても地図全体から見れば些細な距離だ。この世界で自分が知っている、見てきた場所など全体の1%にすらならないだろう。
「これから……どうなるんだろう」
今まで生きてきた世界以外に、これからはここでも生きていかなくてはならない。
今までの人生。
お世辞にも順風満帆とは言えない。
いや、ゲームやアニメを中心とした引きこもりライフは充実しているし、何と言っても今の俺には紺碧の神聖竜がある。リア充とは程遠いけどそれなりに楽しい日々を送っている。
それでも日常生活でくすぶっているところが無いと言えば大嘘になる。
それと比べると、こっちの世界ではバベルの欠片の力があるんだから大抵のことは何とかなるだろう。それに魔法だって使えるようになった。
それでも、じゃあこれから「どこで、何をするのか」という具体的なこととなると全くと言っていいほど考えが浮かばない。
「うーん」と頭を抱えていると。
コンコン。
ドアをノックする音がした。
「は、はい!」
誰だろう。リズかツァディーもしくはスティアだとは思うけど。ベッドから起き上がってドアを開けるとそこにはシリスが立っていた。昼に会ったときとは違い、平服姿だった。
「やあ、ハルト。良かったら少し外を歩かないかい?」
いきなりのお誘い。
スティアの魔法訓練でクタクタだったけどシリスも神門の守護者だ。色々と話してみたいことがあった。
「ああ、もちろん」
◇◇◇
シリスが俺を連れてきたのは大きくはない庭園だった。スティアと魔法訓練をした演習場は教会の裏にあったが、この庭園はその演習場の先にあった。
庭園には俺とシリスしかいない。シリスはあえてここを選んだのだろう。だとすればこれから話すのはシンアルのことや神門の守護者のことに違いない。
庭園のほぼ中央の池の畔にあるベンチに俺たちは並んで座った。シリスが口を開く。
「ハルト、司教からは……」
「ああ、聞いたよ。シンアルのこと」
「そうか」
シリスが遠い目をして言った。
「ちょっと、まだ半信半疑なんだけどな」
「仕方ないさ。誰だって最初はそんな感じだよ。僕だって初めは凄く取り乱した」
「シリスも? それはちょっと想像できないな」
俺の中ではシリスは優秀にして冷静沈着、イケメンにしてそれでいて嫌な奴じゃない完璧キャラという設定が出来上がっていた。
「誰だって驚くさ、普通はね。ここが自分にとってもうひとつの現実世界だなんて言われたら。むしろハルトは異常だよ」
「俺が?」
「ああ。半信半疑とは言ったけど、少なくとも取り乱したりはしていない。少なくないんだ、事実を知って耐えきれずに少しおかしくなる人とかね。だから凄い精神力だと思うよ」
それはおそらく俺の厨ニ病的精神構造のお陰だ。確かに半信半疑だし苦悩もしているが、心のどこかでこのゲームのような世界を楽しんでいる自分がいる。
「司教からも言われてると思うけど……」
「ああ。俺たちがふたつの現実世界を生きていることは秘密だってことだろ?」
別れ際。
陽キャ全開のキャラから急に真面目な雰囲気になったスティアに言われた。自分たちがふたつの現実世界を生きていることは絶対に口外しないように、と。
「そう。まあ神門の守護者以外の誰かに言ったところで信じてはもらえないだろうけど」
それはその通りだ。
そもそも自分がその事実をまだ信じられていないのだから。
「なあ。シリスやスティアが言うことが本当だとして、シリスは向こうで……」
シリスの顔がにわかに険しさを帯びる。
「ハルト。神門の守護者は互いの向こうことについて聞かない、話さない。これもまた暗黙の絶対的なルールだよ」
そうだった。つい聞いてしまったが、これもスティアから厳命されていたことだった。
「そ、そうだった。ごめん。でもさ、こっちの世界の先輩からあんな調子で言われたから守るけど、何でなんだ? どうせならこっちで仲良くなった同士、向こうでも連絡し合ったり会ったりすれば良いんじゃないか?」
「それは……まあほら、向こうの世界でだって個人情報をペラペラ話したりはしないだろ? そんな感じだよ」
どことなくシリスの言い方は歯切れの悪いものだった。あまりこの話題を続けたくないのかシリスは急に話を変えた。
「そう言えば、王都行きの話はもう聞いたかい?」
「ああ、それは覚えてる」
スティアからさっき聞かされた。何でも鉄毛狼やゴブリンの討伐の功績を称えるとかで俺が王都に呼ばれているらしい。王都から迎えの使者が数日で来るとのことだった。
「俺なんかが王様に会ってもいいのかな」
俺の言葉にシリスが小さく笑う。
「無論だよ、ハルト。むしろ聖教会に属している僕たちの方が立場は上だよ。王都の警備は僕たち聖教会が担ってるんだから」
「へぇ。でも王国って言うくらいだし兵士とかだっているんだろ?」
「もちろん。けれど……、こう言っては申し訳ないけど、正直弱い。数は多いけど練度が低い上に魔法を使える者が極端に少ない。もし聖教会が本気になれば、王都にいる少数の手勢だけで王宮を陥落させることだって難しくない」
そうなのか。
その話が本当だとしたらこの世界でシンアル聖教会は絶大な力を持っていることになる。
「それに、王都にある聖教会の大聖堂には『聖人』がいる」
「聖人?」
「僕たち神門の守護者の中でも卓越した力を持った者だけが就くことが許される地位だ。現在聖教会には10人の聖人が居るけど、その第三席次の聖人が王宮を守っているんだよ。聖人シータ。女性だ。王都へ行くならこの名前は覚えておいた方がいいよ」
「シータ……。分かった」
それからシリスは王都へ行く俺にあれこれと教えてくれた。シリスは王都に詳しいらしい。
『竜の涙』の別名を持つ美しい街だということ。聖教会の本部がある王都大聖堂の場所、食事はどこの店が旨い、どこの武器屋は品揃えがいい、神門の守護者にとっては危険はないけど絡まれると面倒だからスラム街には近づかない方がいいなんてことも教えてくれた。
王都について一通りの話を聞いた俺は部屋へ戻った。王都の話を興奮気味に聞いていて忘れていたけどスティアの魔法訓練のせいでクタクタだった。
ベッドに横になると一気に疲労が押し寄せてきて直ぐに眠りについた。
そして気がつくと向こうの──元々の世界の自分の部屋だった。
枕元のスマートフォンを手に取る。Ragnarok of Ancient Dragonsのアプリから来週始まるイベントの告知が届いていた。
自分の部屋を見回す。
ああ、そう。ここが自分の部屋だ。なぜか見慣れている自分の部屋がやけに懐かしく感じる。
突然ドンとドアが開かれる。
「お兄ちゃん! また遅……」
入ってきた妹が既に起きていた俺を見て驚く。
「あ……、え?」
「おはよう」
「う、うん。おはよう。珍しい……。もう起きてたんだ……」
「ああ、何か自然と目が覚めちゃってね」
「ふーん。そうなんだ。こんなこと初めてじゃない? 雨降らなきゃ良いけど。……えと、じゃあ私、もう部活行くからね」
「うん、気を付けて」
妹はどこか釈然としないような顔をしながら部屋を出ていった。
妹が階段を降りていく音が聞こえ、そして玄関のドアが開かれ、閉じられる音がして、静かになった。
今までに何百回も繰り返されてきた朝。
そう、これが自分にとって、ひとつしかないはずの現実。
ひとつしかないはずだった現実だ。
お読み頂きありがとうございます!
次回から一章のラスト『王都編』に入ります。
引き続きお楽しみ頂けますと幸いです。
宜しくお願いします!