15 『シンアル』
「ええと……、どういうこと……ですか?」
「何が? 今言ったじゃん? 私もやってるんだよ、Ragnarok of Ancient Dragons! あ、良かったらフレンド登録しない?」
いや、俺が聞きたいのはそこじゃない。RADで女の子のフレンドはいない。今の場面が「教室でクラスの女子と……」だったら素直に喜んでいただろうけど。
だがしかし、今の場面はそうではない。
……。
いったん落ち着こう。
ここは自分の夢の中。
言わば目の前の美少女司教も自分の妄想の産物。だとしたらその子がRAD好きという設定も納得はいくが……。
でも……。
今までに夢の中で出会ってきた人物の中にRAD好きはいなかった。それどころか、俺が普段生活している現実世界の話をした人物すらいなかった。
この目の前にいるスティアだけが特異な存在なのだ。それが凄くひっかかる。『そういう設定の女の子』では済ませられない。
「どしたのハルト?」
気づいたらスティアは目の前に迫っていた。
くそ。可愛いなこいつ。……いや、違う違う。今はスティアの可愛さに目を奪われている場合じゃない。
俺は慌ててスティアから離れた。
「あの、スティア様……。どうして紺碧の神聖竜のことを……」
「どうしてって言われても……。RADやってて紺碧の神聖竜を知らないプレイヤーなんていないでしょ」
「いや、そうじゃなくて……」
俺は頭を抱える。話が噛み合わない。どう説明すれば良いんだろう。ますます頭が混乱してくる。
そんな俺を見てスティアは吹き出した。
「ごめんごめん。ちょっとからかっただけだよ。あ、でもフレンドにはなってね? 私の周りにいないんだよねぇ、RADやってる子がさぁ。ちょっと真面目な子が多い女子校なんだよねぇ、私が通ってるとこ」
と、肩を竦めたスティアが続ける。
「あとさ、ふたりの時はスティアでいいよ。敬語もなしで。教会での立場的に仕方ないんだけどさ、ホントは堅苦しいの嫌いなんだよねぇ」
「わ、分かった。じゃさスティアで」
「うんうん。いやぁ、それにしても……、まさかあの紺碧の神聖竜の保有者に会えるだなんて。超ラッキーじゃん私」
そんな感じでひとりで盛り上がるスティア。
「いやぁ、私さ、実はただプレイするだけじゃなくてRADのゲーム配信もやってるんだよね。だからホントは『ついにあの紺碧の神聖竜の保有者特定!!』みたいな動画作って配信したらメチャクチャ再生数伸びてチャンネル登録者数も増えそうなのに……」
RADは世界的にヒットしてるゲームアプリだ。ゲーム配信してるプレイヤーも多い。トッププレイヤー、芸能人なんかがRADネタの配信をしたりしたら数日で再生数が100万回に達することも珍しくない。
そんな感じだから、確かに紺碧の神聖竜の保有者特定なんて動画流したら速攻でバズりそうだ。
「あー、でもハルトの向こうでの情報が何もないからなぁ」
俺はスティアが口にしたその一言に反応する。
「向こうっていうのは? あ、バルパ村のこと?」
「バルパ村? ああ、ツァディーの教会があるとこね。違う違う。私が言っているのは……」
スティアが窓際まで進む。
大きな窓から見えるベクチア市街は夕焼けに染まっていた。
「リアルの……私たちが普段生活している現実世界の事だよ」
振り向いたスティアは背中で西陽を受け止めながらにこりと笑ってそう言った。
……。
コイツは一体何を言っているんだろう。
リアル?
現実世界?
もし俺がそういう言い方をするのだとした間違っていない。ここが俺の夢の中で、夢から覚めたその先にあるのがまさに現実に生きている世界なのだから。
だが……。
俺の夢の中の住人がリアルだとか現実世界だとかを口にするのは異常だ。
それが仮に異常ではないとするなら、目の前にいるスティアも俺と同じ現実世界に生きる人間で、俺たちは同じ夢を共有しているということになる。
そんなことはあり得ない。
思わず内心をそのまま口にしてしまう。
「俺の夢の中の登場人物が……、何で現実世界とか……そういうこと言うんだ? そういう設定なのか?」
「夢の中?」
スティアは俺の言葉に首を傾げたが、直ぐぽんっと手を叩いた。
「ああ、そういう風にこの世界のことを認識してたんだねハルトは。まあ無理もないよね、魔法にモンスター……。まるでゲームの中みたいな世界だもんね。私もさ、最初はそう思ったよ。私もハルトに劣らずゲーム脳だからね。ついにゲームのやりすぎで頭がおかしくなったか、夢の中のことだよな……って」
テヘッと舌を出すスティア。
「待ってよ、スティア……。その言い方だとさ、まるで……」
ここが夢の中じゃないみたいに聞こえるじゃないか。そう言おうとしたが言葉にならなかった。その先はスティアが口にしてしまったから。
「ここ、夢の中なんかじゃないよ? ここは私たちにとって、もうひとつの現実」
「もうひとつの……。あ、あのさ。あんまり大丈夫じゃないことを自覚してる俺が聞くのも何だけど、スティア大丈夫? 主に頭が」
「失礼な。私はいたって普通よ。いや、普通ではないかもしれないけど、少なくとも頭は大丈夫よ。女子校育ちで多少ずれてるところはあるかもしれないけど」
心外だと言わんばかりにプンプン顔になるスティア。
「ハルトこそ大丈夫? ちゃんと現実を見れてないのはハルトの方だと思うけどな!」
「そんなことないよ……。俺は……ただ事実を言ってるだけだ!」
そう俺は何も変なことは言っていない。
厨二病末期の俺だって流石に分かる。
魔法やモンスターがいる。
だからここは現実世界じゃない。
そんなわけがない。
「ここが……現実なわけないだろ? 魔法やモンスターが存在してるんだぞ!」
「魔法やモンスターが存在していたら現実じゃいけないの?」
「そりゃそうだろ!」
「なぜ?」
「なぜって……。そんなこと、考えたら誰だって」
「それだと説明にならない。何で『魔法やモンスターが存在していたら現実世界ではない』が成り立つの?」
俺は言葉に詰まる。
反論できなかった俺にスティアが詰め寄る。
「シンプルに考えなよ。ここは現実世界。そしてそこには魔法やモンスターが存在した。ただそれだけのことじゃん」
「いや、そんな……。だってさ……。な、なら、100歩譲ってここが夢の中じゃないんだとしたら俺たちは何なんだよ!? 何でこんなところにいるんだよ!? 現実世界で死んでこの世界に転生しましたってか!?」
「最近のアニメとか漫画の流行りから考えたからそうなるわよね」
言いながらスティアが近づいてくる。目の前で止まり、服の中から取り出したそれを俺の目の前にぶら下げる。
「バベルの……欠片」
「そう、バベルの欠片」
俺は咄嗟に自分のポケットを探る。
「安心して。これは私のだから」
「スティア……の……?」
「そう、私の石。私も神門の守護者なの。シンアル聖教会において司教以上の位に就くにはバベルの欠片の力を使いこなせる必要があるの」
「そうだったんだ」
「まあ正確には神門の守護者ってのは正しくないかな。神門の守護者というのは聖教会が『この者は神門の守護者である』って認定するからそう呼ばれるだけ。私はそうじゃない。だから私はハルトと同じようにバベルの欠片の力を操れる人間ってだけで、あくまで立場としては司教というだけ」
「そう……なんだ」
「そして、これがハルトの質問の答え。この石こそが私たちがここにいる理由。理由というよりは原因、かな」
再び思う。
コイツは一体何を言っているんだろう。
ここがスティアが言うところの俺たちにとってのもうひとつの現実で、バベルの欠片がその原因?
「別に私たちは向こうの世界で死んでここに転生した訳じゃない。ハルトもそうだと思うけど、こっちで寝たり意識を失ったりしたら向こうの世界で目覚めるんじゃない?」
「それは……そうだな」
「でしょ? だから私たちは私たちが今までに生きていた現実世界でも生き続け、そしてバベルの欠片の力で繋げられたこっちの世界でも生きている。ただそれだけ。だから、ここは私たちにとってもうひとつの現実世界」
スティアの言葉が脳内で反芻する。
俺が夢の中だと思ってたこの世界が、俺たちにとってのもうひとつの現実世界だと言う。
にわかには信じられない。
「……冗談だよね?」
「ええ。そりゃ私も最初はそう思ったわよ」
「そんなこと、あるわけないよ」
「そうね、私も同じことを思ったわ」
俺は思い付く限りの、ここは夢の中であって現実世界であるはずがないという自分の考えをぶつけた。それをスティアはそれを完膚なきまでに論破していく。
どれくらいそれを続けただろう。
ついに「思い付く限り」の限界をむかえ、俺は俯いた。
そんな俺を見たスティアが目の前に来た。
「ねえ、ハルト」
「……何?」
「ていッ!」
「痛ッ!」
いきなり正面から頭にチョップしてきた。しかもかなり強めで。
「な、何するんだよ!?」
「何って、チョップだけど?」
「そうじゃなくて、何でここでチョップなんてするんだよ!?」
「ああ。それはね、ほら、痛かったでしょ。言葉では分かってもらえなさそうだったけど、これなら夢じゃないって分かってもらえるかなーと」
ずいぶんと古典的な方法だな。
まあ確かに痛かった。
けど……。
「それだけじゃ、やっぱりまだ信じられないよ……」
「ええ。誰も直ぐにはこんな馬鹿げたこと信じることなんて出来ないわよ。けどね、自分の目で、手で、足で……少しずつこの世界のことを知っていけば最後には信じられる、ううん、信じるしかなくなる」
スティアは再び俺から離れて窓際へ向かった。陽は既に沈んでいた。
月明かりに照らされたスティアが言う。
「これはね、あくまで私の意見なんだけど……、たぶんここは私たちが生きてきた世界……いえ、宇宙とは違うところなんだと思う」
「違う宇宙……」
中学では理科……特に天体が苦手だった。
宇宙を持ち出されても理解が出来ない。
ただ……。
「魔法、モンスター……」
そんなものが平然と存在しているんだ。少なくとも、ここが俺が知っている常識や法則は通用しない世界だというのは分かる。
「そう。私たちが元々いた世界にはそんなものは現実には存在しなかった。特に魔法の方は非科学的この上ないでしょ?」
「まあ、それはそうだね……」
「ねえ、知ってる? 宇宙ってさ、広がり続けてるんだってね」
そう言われれば理科の先生がそんなことを言っていた気がする。さっぱり理解は出来なかったけれど。
「言わば、最果てのない宇宙。そのあるはずのない最果ての先にある……、それがこの世界、シンアルよ」