14 『司教スティア・マーベルク』
シリスが示した人物は祭壇にいた。ツァディーとは色違いのローブを羽織っている。ローブについているフードを目深に被ってるが長い髪が見える。雰囲気的にたぶん女だ。
女は俺たちが祭壇まで近づいた辺りで被っていたフードを脱いだ。その動きに合わせて長い金色の髪が揺れる。
「ご苦労様です、シリス様」
凛とした声が聖堂に響く。
そしてシリスからツァディーへと視線を移す。
「久しぶりですね、ツァディー」
「はい。司教もお変わりないご様子で……」
ツァディーと一通りの挨拶を終えたところで、さて、と俺を見る。
「ハルト様……ですね?」
頷く俺に女は静かに微笑む。
「初めてお目にかかります、ハルト様。私、この教区の司教を拝命しております、スティア・マーベルクと申します」
「は、はい。宜しくお願いします」
俺は祭壇の女を見る。
司教。ツァディーの上司。勝手にある程度の年齢の人物だろうと思っていたが……若い。というより高校の自分のクラスにも普通にいそうな女の子だ。
肩にかかる位の長さの金色の髪はリズよりも少し明るい色をしていた。
この髪。見た目。雰囲気
はッ。こ、これは……。
ふう。落ち着け、落ち着くんだ陽斗。
俺は深呼吸をした。
金髪ロングというだけでも刺さるのに、何だこの可愛さは。顔立ち……というか目付きはクラスの陽キャ集団の中でも中心にいそうな感じで俺なんかが話しかけたら「あー、ごめん、誰だっけ?」とか塩対応されて終わりそうなギャルなのに、司教然とした清楚な佇まいというこのギャップ……。
最近俺の中で話題になっている「一見すると派手な今風のギャルなのに実は家庭的で清楚な一面もある」という女の子を見事に体現していた。
まずいぞ、これは。
目がすくんで動けない。
「あの……」
「はッ……」
スティアの声に俺は我に返る。
「私の顔に何かついていますか?」
「あ、い、いえ……」
「そうですか。ええと、大丈夫ですか? 何か尋常ならざるご様子でしたが……」
スティアの言う通り。
尋常ならざるし、全くもって大丈夫でも無かったが「いえ、お構い無く」と返してごまかす。
不思議そうにしたスティアだったが気を取り直して口を開く。
「そ、そうですか。では早速ですが、ハルト様。まずは神門の守護者たる証をお見せください」
「あ、証……?」
咄嗟に言われ焦る俺。後ろのツァディーが「バベルの欠片のことです」と呟いてくれた。
「あ、そうか」
急いで皮の鎧の下からバベルの欠片を取り出す。
「これ、ですよね」
「ええ。確かにバベルの欠片です。ハルト様、石に力を込めて頂けますか?」
「は、はい」
言われた通り俺はバベルの欠片に力を込める。バベルの欠片が仄かに光る。
それを見たスティアが感極まったのか、いきなり手を握ってくる。
これはあれだな。
勘違いさせる系女子だ。一見ギャルだけど何故か清楚な雰囲気を漂わせるという設定にこんな設定も盛り込むとは、これはもう反則だ。
「間違いありません。この石はハルト様を主人と戴いています」
言って背後の祭壇に祈りを捧げるスティア。もう少し手を握っていてくれても良かったのに。
「神よ。感謝致します。新たなる神門の守護者をこの地にお使わし頂きましたことに……」
祈るスティア。
ツァディーが前に進み出る。
「ハルト様は魔法の力を欲しておいでです、スティア様」
そうだった。スティアの俺の癖を狙い澄ましたようなギャップにあてられて一瞬忘れそうになっていたが……、俺はここへ精霊との契約を結びに来たのだ!!
危うく当初の目的を忘れるところだった。
恐るべきギャップ萌え。
「手紙で伝え聞いていましたがやはりそうなのですね。では早速精霊との契約を執り行いましょう」
スティアが静かに両腕を広げる。その姿に再び目を奪われる。やはり可愛い。
再び妄想モードに入りかけた自分を頭を振って御する。
しっかりしろ、陽斗。
長年の夢──そもそも夢の中の話なんだけど──が叶うのだ。
魔法が使えるようになればただでさえ無敵チート状態のこの夢の中で更に気持ち良く過ごせることになる。
よし、今は儀式に集中しよう。
スティア攻略ルートのことは後日また改めて考えよう。
「ハルト様、こちらへ」
「はい」
スティアの言葉に従い祭壇中央へ進み、スティアと向かい合う。
「バベルの欠片を」
言われた通りバベルの欠片をスティアの前に差し出す。バベルの欠片に向かって両手を翳すスティア。
「我、シンアル聖教会司教スティア・マーベルク。全知全能たる神、そして精霊たちよ」
スティアは淀み無く祈りの言葉を続ける。それに合わせバベルの欠片が激しく光を発した。光は聖堂に広がり、建物が大きく揺れる。
す、凄い……。
ああ、これから繰り広げられる儀式、そして魔法を使える力を得るべく困難極まる試練に挑み……。
目を閉じて意識を統一する俺。
どんな困難にも俺は決して……。
揺るがない決意を胸に抱く俺の肩をトントンと誰かが叩く。
「ん?」
「ハルト様。終わりましたよ」
「……。は?」
「無事、精霊との契約は締結されました。これでハルト様も魔法が使えます」
「え……、こんなあっさり?」
「ええ。ハルト様は神門の守護者であらせられますので精霊との契約など造作もないことです」
「……」
期待していたような壮大かつ荘厳なイベントは体感6秒……いや、実際それくらいの短さで終了してしまった。
「どうですか? ご自身の体の内に今までとは違った力が感じられませんか?」
スティアに言われた通りだった。
儀式のことは置いておくとして、バベルの欠片がもたらす万能感とは異なる別の力が体を巡っているのが分かる。
「これで、俺も魔法が……」
「ええ。魔力の使い方や、そもそもの魔法の基礎や理を学ぶ必要はありますが」
「ほう」
思わず笑みがこぼれる。
ニヤニヤが止まらない。
全中二病人類の夢、魔法。それを行使し得る力を手に入れたのだ!
「Ragnarok of Ancient Dragonsのゲーム内みたく、紺碧の神聖竜を召喚した時に発動できるような巨大魔法が使えるように……。いや、違う違う。あれは効率が悪すぎるんだ。あえて魔法は使わずに紺碧の神聖竜に強化魔法を使って戦わせた方がMPの節約に……。いやいや、待て待て。紺碧の神聖竜に強化魔法なんてわざわざ使わなくとも……」
興奮して内心が駄々漏れになる俺。
スティアがピクリと反応した。
「紺碧の神聖竜……?」
しまった。こんな所でRADの話をしても通じるわけがない。
「あ、いえ……。こっちの話です。気にしないでください」
悪い癖だ。
RAD、特に紺碧の神聖竜のことを考えると思考をそっちに極振り、いや全振りしてしまう。試してみたい戦術、攻略したいクエスト、ダンジョン……と妄想が無意識かつ際限無く広がっていってしまうのだ。
はは、と頬をかく俺に顔を寄せて探るような視線を向けてくるスティア。
「な、何ですか……?」
ち、近い。
嬉しいけど耐性がない。俺は一歩下がる。
何だろう。確かにゲームの中の話を口走ってはしまったが、そんなに変なことを言ってしまっただろうか。
「いいえ、何でもありません」
スティアは振り向く。
「シリス様。私はハルト様と魔法のことや神門の守護者のことについてお話があります。皆さんを別室にご案内頂けますか?」
分かりました、と頷くシリス。
「おふたりとも、こちらへ」
シリスがツァディーとリズを連れて外へ出ようとする。ツァディーとリズ、特にリズが心配そうな目を向けてくる。だがシリスが外へ向かって歩き始める。付いていくしかなくなる2人が口を開く。
「ではまた後程、ハルト様」
「またね、ハルト」
3人が外へ出ていったのを確認したスティアが「こちらです」と別の出口を示した。
◇◇◇
「どうぞ」
カチャと置かれたティーカップからは仄かに甘い香りがした。口をつけてみる。香りの通り甘かった。そしてその甘さには覚えがあった。
「ええと、スビテア草ですか?」
「ええ、分かりますか? 普通スビテア草は薬として調合されるか甘味料として流通しますが、ごく僅かに茶葉としても用いられます。少々贅沢ですね」
確かリズはスビテア草の葉一枚が銀貨一枚にもなると言っていた。贅沢の一言では済ませられない気が……。
「摘み取ったスビテア草の葉の中でも茶葉として相応しいのは数が少ないのだそうです。その葉を特殊な製法で乾燥させて……」
スティアはどうやらスビテア草の茶が好きらしい。精製方法を滔々(とうとう)と語っている。
ああ。これ、長くなるやつだ。
俺には分かる。俺がゲームやアニメについて語るときと同じテンションだ。
こうなったらもう止められない。
覚悟した俺はスティアの話を聞き続ける。
「あ、ところで……、少々お尋ねしても宜しいでしょうか?」
といきなり質問をぶつけてきた。
参ったな。
俺、スビテア草のお茶のことなんて全然分からないぞ。
「は、はい。何でしょう?」
「やはり紺碧の神聖竜ガチャは滅びの祭壇の最上級エキスパートクエストをクリアしたプレイヤーだけが回せたんですか?」
ホッとする俺。
何だ。
スビテア草とは関係ないじゃないか。
うんうん。
紺碧の神聖竜のことなら任せろ。
いくらでも話せるぞ。
「ええ、そうなんですよ。手に入れた今だからこそ言えるんですけどね」
「1回ガチャを引いて外れだったらもう一度クエストを最初からやり直さなきゃいけないという噂が」
「そうなんですよ!! 本当にクソみたいな設定ですよね。ガチャ自体排出一体なのにそのガチャに行き着くまでが死ぬほど大変って鬼畜過ぎですよね……」
「うわぁ……、マジか。噂の通りだったんですね。でも、そもそもガチャに行き着けたこと自体が尊敬なんですけどー。滅びの祭壇の最上級エキスパートクエストって激ムズじゃないですか? だから、ほとんどのプレイヤーが挑戦すらしなかったらしいじゃん?」
「いや、そうなんですよ。でもね、だからこそ俺は思ったんですよ。もしかしたら紺碧の神聖竜ガチャを回すせる権利はこの先にあるんじゃないかって」
「実はさ私もー、もしかしたらって思って何回もやってみたんだけど結局クリア出来なかったんだよねぇ……。ねえねえ、どうやってクリアしたの?」
「ふふふ、それは秘密だな」
「えー、いいじゃん! ちょっとだけ!」
「仕方ないな。まあもう紺碧の神聖竜は俺が手に入れたから今さら話したところで問題はないか。実はな……」
俺は滅びの祭壇の最上級エキスパートクエストの攻略法を語る。スティアは目を輝かせて凄い凄いとはしゃいでいる。いやぁ、女の子に凄いと言われるのは悪い気がしない。
「……とまあ、ざっとこんな感じだね」
ふぅ、と一息ついて茶を飲む。
うん、紺碧の神聖竜について語った後のスビテア茶は格別だ。旨い。
それにしても快感だ。
やっと語ることが出来た。どのプレーヤーも紺碧の神聖竜を狙っている以上、自分が握っている情報は漏らさない。無論俺もそうした。紺碧の神聖竜が一体しかいないスーパーウルトラグレートレアキャラなのだから当然である。
そのせいでネットでは噂レベルの情報しか出回らず、しかもそのほとんどが全くのデタラメだった。
ごく一部のプレーヤーが滅びの祭壇に辿り着き、更にそこから最上級エキスパートクエストまで到達できたのは一握り。
そこまでしてガチャを回しても外れればクエストを最初からやり直し。
今でも自分が紺碧の神聖竜をゲットしたことが信じられない。入試が終わってからの艱難辛苦の道のりは筆舌に尽くしがたい。
だが、後悔はない。
それ以上の価値があるのだ、紺碧の神聖竜には。
「なるほどなぁ。やっぱりそれくらいの覚悟がないとダメだったんだねぇ。私もね、実は一応上位ランカーだったりするから相当気合い入れてやったんだけどぉ……。運の要素も大きいかもだけど、ホント凄いよハルト! あ、お茶、お代わりいる?」
「ぜひ」
「はーい」
スティアが立ち上がってティーカップにお茶を注いでくれる。
カップに口をつける。
うん、やはり美味しい。
それにしてもスティアはやはり良い。
見た目も喋り方もギャルっぽくて陽キャ全開なのに、俺の喉の渇きにも気をつかえる家庭的なところもある。やっぱギャップは大事。
それにシンアル聖教会の司教って偉いポジションに就いてるのもポイント高いよな。どんだけ陽キャでイケイケでも基本は真面目ってところはやっぱ譲れない設定で……。
……。
俺の思考が、止まる。
今の状況に強烈な違和感を覚え始める。
ここは学校でも自分の部屋でもない。
ここは自分の夢の中。
神門の守護者として選ばれた俺はシンアル聖教会に正式に認められるため、そして魔法が使えるようになるため、司教に会いに来たのだ。
そして、ここは司教スティア・マーベルクの執務室だ。
Ragnarok of Ancient Dragonsとは全く関係ない世界だ。
ならば、なぜ俺は紺碧の神聖竜について会話をしているのだろう。
会話はひとりでは成り立たない。紺碧の神聖竜を知っている誰かがいなければならないのだ。
そして今、この部屋には自分以外にはもうひとりしかいない。
その、ひとりを見上げる。
「どーしたの? ハルト? お茶美味しくなかった? 温め直してくる?」
司教スティア・マーベルク。
見た目はそのままだが、祭壇にいた時のような厳かな雰囲気は微塵もなかった。
クラスで遠巻きにしか見ることがない、陽キャ集団の中心にいるようにしか見えない女の子がそこにいた。
俺はこの状況に置かれたなら誰もが問いたくなることを口にした。
「何で、紺碧の神聖竜のこと……」
固まる俺と対照的にスティアはハハッと屈託無く明るく笑った。
「えっ、そりゃ当然だよー。私もやってるもん。Ragnarok of Ancient Dragons」