13 『宗教都市ベクチア』
「ハルト」
馬車から外を眺めていた俺にそう言ってリズが手渡してきたのは水の入った皮袋だった。
ありがとうと返して口をつける。
「ん? 甘い」
「分かるか? 売り物にはならないスビテア草の葉を1枚入れておいたんだ。スビテア草は薬草としての価値も高いけど甘味料としての価値も高い。品質が良いものなら葉っぱ一枚で小銀貨一枚の値がついてもおかしくないんだぞ」
「へぇ」
こういう何気ない会話をしていていつも思うがまだまだ知らないことが多い。自分の脳内妄想の産物なはずなのに……。
眠りについた次の瞬間に訪れる夢の世界。
魔法だモンスターだと、ゲーム脳の自分が造り出した世界らしいと言えばらしいが、そのリアルさは異様だ。それに、毎回正確に前回の夢の続きから始まる。まるでふたつの世界を行き来しているような気分になってくる。
そんな生活はかれこれ1ヶ月続いていた。気づけば期末テストも終わり来週からは夏休みだ。
期末テスト。
中間に続いて危うく複数の科目で連続赤点をとるところだった。実際、聖依奈のノートが無かったら危なかった。
首の皮一枚でつながった。
本当に良かった。
だがしかし、結局は無事乗り越えられたことに変わりはない。大事なのは結果だ。これで2学期の中間まで恐れるものは何もない。
Ragnarok of Ancient Dragonsでは紺碧の神聖竜を引き当て、この夢の世界ではバベルの欠片を保有する神門の守護者だ。
そう。文字通り本当に恐れるものは何もない。いつまでこの夢を見続けられるかは分からないけど最大限浸って有意義な夏休みを過ごしたいものだ。
「それにしても……、ハルト、凄かったな!」
言ってぐぐっとリズが身を寄せてきた。
「なんだよ、いきなり。凄いって……何が?」
「何がって……、この間、ゴブリンが村を襲ってきたときのことだよ!」
「ああ」
神に選ばれし無敵の神門の守護者たる俺がゴブリン……ではなく危うく期末テストに葬られかけた事件。
半月ほど前、バルパ村がゴブリンの集団に襲われた。
村に神門の守護者が常駐することになり、気持ちを大きくした村人たちが自警団を作った。
その自警団が山中に見張り場を作った。そこで警戒にあたっていたところ、偶然ゴブリンたちが村へ向かっているのを発見した。
おかげで夜襲は防げたのたが、数が多く、守りを破られた一角から村にゴブリンたちが侵入。ツァディーが高位魔法で片付けなければもっと被害が出ていたかもしれない。
「でもあれは俺よりも、村に入ってきたゴブリンたちをツァディーがやっつけてくれたお陰だから」
謙遜でもなく本気でそう思っている。
1匹1匹は大したことがなかった。どちらかと言うと鉄毛狼の方が強かった気もする。それでも数に押されて手間取った。
俺の言葉が不満なのか、リズが頬を膨らませる。
「もちろん司祭様も凄かったけど……、最後にゴブリンのボスを倒したのはハルトなんだから!」
それは事実だった。
いくら倒してもキリがない。そう考えた俺は群れのボスを探し切り捨てた。頭目を失ったゴブリンたちは壊走し、村は最低限の被害で救われた。
何故か夢の中での疲労感が現実にも現れる。村を救った後、三徹したような疲労を抱えテスト期間を迎えたが俺自身も何とか最低限の被害で救われた。
「リズの言う通りですよ、ハルト様」
「ツァディーまで……。おだてても何も出ないよ?」
「いえいえ。そんなつもりは。それにしても鉄毛狼を駆除したと思ったらゴブリンですか……」
どうやら鉄毛狼たちを一掃したことで、村の周辺のモンスターたちの勢力図に異変が起きたらしい。
鉄毛狼に押さえられていたモンスターたちが縄張りを広げようと活発に動き出しているようだった。
村が再び襲われる可能性は高い。バベルの欠片の力があれば大抵のモンスターは恐るるに足りないが、ゴブリンたちのように数を揃えて来られるとやっかいだ。俺はツァディーを見る。
「なあ、俺もツァディーみたいに魔法が使えるようになったりするのかな?」
ツァディーはもちろん、と頷いて続ける。
「ただ、私のように、という部分は少し違います。私などより遥かに高位の魔法を使えるようになるでしょう。ハルト様は魔法に興味がおありですか?」
「興味というか……、この間のゴブリンたちみたいに、沢山の敵を相手にするときにはやっぱり魔法が使えないとダメだなって」
「左様ですか。であれば、これから司教様を通じて行う精霊との契約を楽しみにしていてくださいませ。あ、ちょうど見えて参りましたね」
ツァディーの言葉に俺は馬車の先を見る。
「あれがこの辺りの教区を統べる司教、スティア・マーベルク様がいらっしゃる街──ベクチアです」
◇◇◇
馬車は緩やかな坂道を下り、森を抜け、川の畔に出た。さっきは山の上から見えたベクチアの街が今は川の対岸に見える。
「こんな山奥なのにメチャクチャ大きな街だな」
大きな山の裾野に沿って広がるベクチア。
「仰られる通りベクチアはこのような山の中にありますが、この辺りでは一番大きな都市です。それもそのはずで、実はベクチアはかつて私たちシンアル聖教会の大聖堂があった場所なのです」
ツァディーの話では聖教会の中心である大聖堂は王国の建国に合わせて王都へ機能を移してしまったらしい。
それでもかつての聖教会の中心地ということで宗教都市としての地位を確立している。ベクチアに残る聖職者も大勢いて、巡礼者も多いという。さらに、周辺には良質な鉱山も多く年々人口が増えているのだそうだ。
ツァディーがベクチアについて話してくれていた間に馬車は大きな橋を渡る。
渡り終わって直ぐの所にあった検問所で馬車が止まる。
「少々お待ちください」
そう言って馬車から降りたツァディーは警備にあたる兵士たちの方へ向かう。
兵士たちの態度は至って丁寧だった。ツァディーを明らかに目上の人間として扱っていた。
深々と一礼した兵士たちに軽く頭を下げツァディーは戻ってきた。
「さあ、参りましょう」
馬車の手綱を握る村人にツァディーが指示を出す。馬車が動き出し市街地へ入る。
行き交う人たちも通りに軒を連ねる店で売られている品々も興味深かった。物珍しそうにする俺にツァディーが声をかけてきた。
「もし良ければ見て回りますか?」
「ええと……」
一瞬迷う。
街に入ったら一通り人々に話しかけ家捜しをするのがRPGの基本だ。
だが……今はまず魔法だ。
魔法を使えるようになりたい。そのためには司教に会わなくてはならない。
「いや、司教様を待たせるのも悪いし先を急ごう」
「畏まりました」
ツァディーの上司であるという司教がいる教会は俺たちが渡ってきた川とは反対側のベクチアの最奥にあった。
「……。私、こんな格好で来てしまって良かったんだろうか……」
リズが自分の身なりを見ながらそんな言葉を漏らすのも無理は無かった。村の教会とは比べ物にならないくらい大きく立派な教会だった。
高い塀に囲まれた敷地の奥に大きな聖堂が見える。
「大丈夫ですよ、リズ。私だっていますし、何より神門の守護者の随伴者なのです。堂々としていらっしゃい」
「で、ですよね」
気を取り直すように自分の頬を叩くリズ。
馬車は門をくぐった先の広場の中心で止まる。
付いてきてくれた村人たちを馬車へ残し、俺とツァディー、リズの3人で教会に降り立つ。
俺たちに気づいたのだろう、近くの建物の中から何人か出てきて馬車の近くまでやってきた。
「ツァディー! 早かったね! 手紙の書きぶりからして明日の到着かと思っていたよ」
建物から出てきた一団の先頭の男が笑顔でそう言った。
「まあ、シリス様。神門の守護者であるシリス様にお出迎え頂けるとは光栄の極みです」
恭しく一礼したツァディーに男は首を振る。
「実のところ、ベクチアの教会の警護役を仰せつかってからは退屈していてね。こうやって誰かが尋ねてきてくれるが嬉しいんだよ」
「まあ。ふふ」
珍しくツァディーが笑顔になる。
銀色の高価そうなフルプレートアーマー。高い身長。整った顔立ち。どこか近寄りがたい雰囲気のツァディーとも楽しげに会話を出来るコミュ力。
何故だろう。
春に入学して多少なりとも高校デビューやスタートダッシュを期待していたのに、気づけばクラスの一軍陽キャ集団を外から見ていた自分に気づいたときのことを思い出す。
「ハルト様」
「はッ」
ツァディーに呼ばれ我に返る。気づいたらツァディーと男が並んで俺の前に立っていた。
「シリス様。こちらが手紙でもお知らせしました新しい神門の守護者、ハルト様です。ハルト様、こちら、ハルト様と同じく神門の守護者であらせられるシリス様です」
「は、はい。宜しくお願いします、シリス様」
俺の畏まる様子を見て笑んだシリスは手を差し出してきた。慌ててその手を握り返す。
近くで見ると本当に立派な鎧だ。村に来た行商から買ったこの皮の鎧との差は歴然だった。
「シリス・ヴァンドリュアだ。宜しくハルト! 歓迎するよ! あ、でもね、敬語は不要だ。気軽にシリスと呼んでくれ」
「え、いやでも……」
「同じ神門の守護者同士なんだ、気兼ね無くいこうじゃないか」
爽やか風イケメンな上に性格も良さげ。おまけに神門の守護者。何だろう、この圧倒的敗北感……。天は二物を与えずという言葉は極めて悪質な嘘だと常々思う。
ばれないように項垂れる俺の横でツァディーが周囲を見る。
「シリス様。司教様は?」
「聖堂でお待ちだ。旅で疲れているところ申し訳ないが早速ハルトには司教に会って貰いたい」
シリスの言葉に俺は顔を上げる。
そうだ、これから俺は魔法を使えるようになるという一大イベントに臨むのだ。こんな所でしょげている場合ではない。
「全然問題ない。さあ、シリス、案内してくれ!」
馬車に残った村人に荷物を任せ、俺たちはシリスを先頭に教会を進む。
ドキドキが止まらない。
入学早々にモブと化したことや、先を行くシリスが俺が持っていない全てのものを持っていることは今は(あくまで瞬間的にだが)どうでもいい。
魔法を行使することが出来る力を付与されるという神聖な儀式。もしかしたらその儀式を受けるにあたってクリアしなければならないクエストが発生するかもしれない。
クエストは困難を極めるだろう。
それでも俺は、成し遂げて見せる……。
非課金の誓いを破り、春休みにやるべき高校の入学前課題を放棄し、母親から死ぬほど説教され、誇張でもなく1ヶ月全ての時間を費やして廃人とり、ようやく紺碧の神聖竜を手に入れた時と同じくらい気合いが入っている。
やるぞ。
やってやる。
基本的には世界で一番信じられないのは自分だ。しかし、自分で言うのも何だけど、一極集中したときの自分は自分でも若干引くくらい没頭する。この変態的集中力だけは本物だと自信を持って言える。
そんな俺だ。
どんな困難が立ち塞がったとしても大丈夫だ。必ずやゲーム・アニメ脳人間にとっての至高の願い、『魔法を使えるようになる』を叶えて見せる。……。夢の中だけど。
一体どんな魔法を使えるようになるんだろう。ツァディーは自分よりも高度な魔法を使えるようになるとか言ってたけどやはり広範囲系の魔法で詠唱もエフェクトもカッコいいやつが……。
「ハルト、緊張してるのか?」
「え」
「司教に会うだけじゃなく、精霊との契約もするのだから無理もない。けれど気を楽にしていけばいい。儀式も難しいものではないし、司教は好い人だ。何も心配は要らないよ」
黙ったまま脳内妄想にいそしんでいたせいで、どうやらシリスに勘違いされてしまったらしい。俺は適当にシリスの話に乗っておいた。
階段を上がった先、大きな扉があった。
「ここが司教のいる聖堂だ」
シリスが開けて聖堂の中へ入る。俺たちも続いた。
厳かな雰囲気の広い聖堂の奥にひとりの人影が見えた。シリスが振り向く。
「あちらが司教だ」