9 『欠片の力』(後半)
俺は炎の塊が盾にぶつかった衝撃と音に思わず目を閉じた。
衝撃と音が収まるのを待って恐る恐る目を開ける。
手にしていた青く透明な盾。
全くの無傷だった。
もちろん俺も怪我はない。
盾は軽く、それに厚くもない。
まったく頑丈そうには見えない。
けれど。
感覚的に分かる。
この盾の力。さっきのツァディーの魔法の力より上だ。防ぐことが出来たのが当然のことのように思えてくる。
近づいてきたツァディーが口を開いた。
「どうですか、ハルト様。バベルの欠片の力は」
「これは、確かに凄いかも……」
我ながら語彙力の無さが情けなかったが、正直『凄い』以外の言葉が思い浮かばなかった。
ツァディーが「当然です」と言って続ける。
「バベルの欠片の力を以てすれば大抵の魔法や物理攻撃は防げます。なにしろ、ハルト様が今手にしているのは神の力なのですから」
「神の力……」
その通りだ。
今までこの石から感じていた万能感。なるほど、確かにこれは神の力と言っても過言ではないかもしれない。
「もう少し試されますか?」
「え?」
俺の返事を聞かずツァディーは右手を地面に向かってスッと翳す。
「召喚魔法、【土の傀儡】!」
次の瞬間。
土が大きく盛り上がったかと思えば次第にそれが人の形になっていく。
「で、でかい……」
土の傀儡を見上げる俺にツァディーは少し下がった所から言った。
「さあ、ハルト様」
「いや、さあ……とか言われても」
「【土の傀儡】は低位レベルの召喚魔法ですが、それでも並の兵士が持つ剣や槍では太刀打ちできない程度の強度はあります」
改めて土の傀儡を見上げる。大人の背丈の4倍はありそうだ。見るからに強そうだ。これで低位魔法なのか……。
「ハルト様、バベルの欠片を今度は剣に変えてみて下さいませ」
「剣……」
ツァディーに言われた通りにする。『自分的にこれこそが剣である』という剣をイメージする。
盾に形を変えていたバベルの欠片が青白く光り、俺のイメージ通りに形を変える。
「おお……。こ、これは……」
カッコいい。
強さと、そして美しさを兼ね備えた剣だった。
「お見事です。……。初めてにしては何だかやたらと精緻な剣ですね。匠が長年に渡り構想し、心血を注いだような拘りをここかしこに感じます」
当然だ。どれ程の年月、授業中にノートや教科書に自分が理想とする剣を書いてきたことか。細部への拘り。素材。更には剣が誕生するまでの物語まで……。設定に抜かりはない。
それにしても、素晴らしい。
そう、やはり剣だ。槍でも弓でも斧でもなく剣こそが武器の頂点なのだ。
剣にうっとりとする様子の俺にツァディーが遠慮がちに声を掛けてくる。
「ハルト様。もう宜しいですか?」
「え、あ、はい」
「防御の次は攻撃です。今からあの土の傀儡がハルト様を襲うのでその剣で屠って下さいませ」
「ええ、分かりました。……って、……えッ」
まだ若干剣の出来に浸っていた俺。何も考えずに答えてしまった。
「では」
ツァディーが指をくいっと動かす。次の瞬間。土の傀儡が突進してきた。
「ち、ちょっと……!!」
確かに剣は素晴らしいしゲームではゴーレムなんかは何度も倒してきた。けれど、おれ自身がゴーレムを倒した経験などもちろんあるはずがない。
剣の使い方も知らない。せいぜい体育の選択授業で剣道をやったくらいだ。
でも……。
バベルの欠片の力は本物だ。
負ける気がしない。
「うぉりゃーーーーッ!!」
構えも何も分からないが、俺は土の傀儡へ向かっていく。そして、とにかく力任せに剣を振るった。
「えっ……」
思わず声を出してしまった。
青く透明な剣があまりにも軽かったからだ。それこそ、羽のように。
バベルの欠片が変じた剣は頑丈そうな土の傀儡をいとも容易く真っ二つにした。
その光景に立ち尽くす俺に並んだツァディーが静かに言った。
「もう、試される必要はありませんね?」
◇◇◇
「では、我らが神門の守護者、ハルト様に……乾杯!!」
『乾杯!!』
広場に集まった村人たちが一斉にそう言うと大宴会が始まった。
「これでこのあたりの治安も良くなる」
「山賊や盗賊が来たって恐れることはない」
「ゴブリンにオーク、オーガ、いやいや最強種と呼ばれるドラゴンが襲ってきてももう大丈夫だ」
村人たちの威勢の良い声が耳に入ってくる。俺はとても期待されているらしい。
教会を飛び出していったリズが村中駆け回って俺の存在を知らせてきたようで、俺が教会を出ようとしたときにはほぼ村人全員が教会前に集まっていた。涙を流して喜ぶ人もいれば拝んでくる人もいた。
「何を難しい顔をなさっているのですか?」
横に座っているツァディーが声をかけてきた。あえて突っ込まずにいたけど、コイツ、一体何本空けたんだ?
ツァディーの周辺には空になったワインのボトルが無数に転がっている。
「ああ、もしかして手紙のことを気にされているのですか? でしたらご心配には及びません。先程しかと出しておきました」
ツァディーが言っているのは司教への手紙のことだ。
正式にシンアル聖教会に認められて神門の守護者となり、そして魔法を使えるようになる為には司教とやらに会わなくてはいけないらしい。
なのでツァディーは自分の直属の上司である司教に俺のことや、いつ会いに行けば良いかと伺いをたててくれたのだ。
「ええと、うん、それはありがとう。それにしても……」
俺は村人たちを見る。
歓喜の渦に包まれている。過度な期待に困惑している。それが俺が微妙な顔をしていた理由だ。
「凄い喜びようですね」
「それはそうでしょう。村に神門の守護者が現れたのですから」
「そんなに凄いことなんですか?」
「それはもう。これで村人たちも安心して生活ができるでしょう」
「安心して生活できないような状況だったんですか? ああ、村の周辺にモンスターが出るんでしたっけ?」
ツァディーはグラスに残っていたワインを飲み干して次のボトルに取り掛かりながら答える。
「もちろんモンスターのこともあるのですが、あとは盗賊や山賊の類いですね。このあたりの山では良質な薬草が採れるのです。それを狙って来る者が後を経たないのです」
そういえばリズと最初に出会った時にそんなことを言っていた気もする。
「こんな山奥の村ですから王国や聖教会の庇護が届かないのです。私も周囲の村々の教会との掛け持ち司祭ですからね。ひとりでは如何ともしがたく」
「そうなんだ。あ、じゃあツァディーはまた他の村へ?」
「いえ。一度他の村を見回ってきますが、その後はこの教会の専任になるかと思います」
「え、なんで?」
「ハルト様ですよ。神門の守護者がおられる村の教会に司祭がいないのは問題なので」
司祭は神門の守護者の補佐も兼ねているらしい。
正直助かる。
ネットもない世界だ。攻略サイトで調べたりは出来ないから、何か分からないときに気軽に聞けるお助けキャラの存在は非常に貴重だ。
「ハルトー!!」
息を弾ませてリズがやってきた。手にしている皿には料理が山と盛られていた。
ツァディーとは反対側の俺の横の席に座ったリズが、あ、と急に畏まる。
「すまな、あ、いや、申し訳ない。呼び捨てはダメだよな……いや、ですよね。ええと、……ハルト様」
「い、いや、リズ。そんな改まらなくても今まで通り接してくれればいいから……」
「だ、だけど……」
リズはチラチラとツァディーの方を見る。その視線に気づいたツァディーは少し考えるような素振りをする。
「まあ、ハルト様がそれで良いと仰るのならそれで宜しいのではないかと 」
ツァディーの言葉にリズの顔がぱあっと晴れる。
「それにしてもハルトは本当に凄いんだな。森でゴブリンを倒したのも勿論だけど、聞いた話では司祭様の魔法すら容易くねじ伏せたとか」
「リズ。神門の守護者たるハルト様に失礼ですよ。私ごとき、その偉大なるお力の足元にも及びません」
ツァディーの目と声からは神門の守護者の力への絶対の信頼が窺えた。そうか。だからこそツァディーは俺に平然と魔法をぶつけてきたのか。
確かにバベルの欠片の力は凄いかもしれないけど、その主はまだ初心者プレイヤーなんだからお手柔らかに願いたい……。
「そう言えばハルト様」
「ん、ツァディー、何か?」
「もし宜しければ……、バベルの欠片を少し拝見しても?」
「え、ああ、はい」
俺が手渡したバベルの欠片をあれこれと調べるツァディー。
「あの、何か?」
「いえ、気のせいかもしれないのですが……、教会で見た時から欠片に、何と言うか陰りの様なものを感じていまして」
「陰り……」
「まあ、ハルト様は石に選ばれてまだ日が浅いご様子。恐らくはその影響でしょう。私の気にしすぎかもしれません。失礼致しました」
ツァディーはそう言ってバベルの欠片を返してきた。陰りとか言われてもな。本来どうであるかとか俺には分からないし……。
「司祭様」
リズが立ち上がる。
「司祭様はハルトの力を疑っておいでなのですか?」
「そうは言っていません。ただ、欠片に気になるところがあると」
「それがハルトを疑ってるのではないか、と言うのです!」
ダン、と立ち上がったリズが両手をテーブルに突く。
「え、ちょっ、どうしたんだ? リズ。そんな急に……」
俺はハッとした。
リズの前に空になったワインのボトルが……。リズの顔は赤く、目の焦点があっていない。
「ハルト様。どうぞお気になさいませんよう。リズはお酒に弱いのです。いつものことです」
ツァディーも立ち上がりリズと向かい合う。
「先日はグラス一杯で潰れたあなたが今日は随分と威勢が良いですね。確か村長様にも止められていたのでは?」
「この村に神門の守護者がいらっしゃるんだ! 祝わずにいられますか!」
「それでハルト様の前でそのような醜態を……。あ、そう言えばリズ。言い忘れていましたが、ハルト様は今日から教会で私がお世話をしますので」
『は?』
俺とリズの声が重なる。
リズが俺をバッと見る。俺はブンブンと頭を横に振った。始めて聞いたぞ、そんなこと。
「元より神門の守護者を補佐するのは聖教会の役割、つまりはこの村では私がその任にあたるということですね」
「そ、それは確かに……。ですが、ハルトにはこれからこの村を守って貰うんですから、ここはやはり村長の娘である私が……」
「足元もおぼつかない今のリズがその役に相応しいとはとても思えませんね」
言ってリズはなみなみとワインが入っていたグラスを空にして見せた。何でこの人は顔色ひとつ変わらないんだ……。
「あのさ、ツァディー。俺、お酒とか飲んだことないし分からないんだけど、その飲み方は身体に障るのでは……」
「何を仰るのですかハルト様。この程度まだ練習の内にも入りませんよ?」
「練習」
「それに」
ツァディーがすぐ側まで近寄ってきた。
「神門の守護者たるハルト様であれば、飲む気になればこの程度は造作もないことかと」
「は?」
ツァディーの言葉にリズが反応する。
「そうだハルト! ハルトの力を司祭様に見せてやってくれ!」
「は?」
いや、何言ってるんだコイツら。
突如、リズがワインのボトルを俺の口に突っ込んでくる。
「ご、ごぼ、こほ……ッ」
ワインが流れ込んでくる。
い、息が出来ない……!
「リズ、何をしているのですか」
そうだ、助けてくれツァディー!
「神門の守護者がこの程度で満足されるわけないでしょう」
ツァディーがもう一本、俺の口に突っ込んできた。さ、裂ける……、口が裂ける!!
もがく俺をリズとツァディーが押さえ付ける。
「ごはッ……、ごふ……ッ!! ……。…………」
何か身体がフワフワしてきた。
眠気も感じてきて、意識が少しずつ遠退いていく。
「おや、ハルト様?」
「ハルト? ……ハルトッ!?」
ツァディーとリズが俺を呼ぶ声まで遠ざかっていく。
意識がどこかへ飛んでいくようだった。
そんな中、俺はそれまでにあったことを思い出していた。
バベルの欠片。
神門の守護者。
魔法。モンスター。
そして。
リズ。ツァディー。
登場したヒロインの俺への扱い方の設定に思うところがない訳じゃないが、良い夢だ。
夢……。夢だよな。
ゲームの中の世界をそのまま体験しているようだ。夢に決まってる。それなのに凄くリアルで。
子供じみていると我ながら思ってしまうが、そう思ってしまった。
これが現実だったらな。なんて。
……。
…………。
………………。
「……ん、……ゃん、お兄ちゃん!!」
身体が激しく揺らされる。
もう少し寝かせて欲しい。
森をさ迷ったり、石に選ばれたり、弓や魔法をぶっ放されたり村の宴会で酷い目にあわされたりして疲れてるんだ。
今日だって走ればちゃんと遅刻しないで授業に間に合うからあと五十分……。
……。
ん?
あれ?
俺はガバッと身体を起こす。
いつもと何も変わらない俺の部屋。
そして、毎朝勝手に入ってくる妹。
「えと……、嬉しいんだけど、そんな急にちゃんと起きられると逆に……」
戸惑う妹。
しかし俺は戸惑うとかそういうレベルじゃない。
「ここ、俺の部屋だよな?」
「え、うん」
「お前って魔法って使えたりする? あと、周りで最近モンスターとか盗賊って出たりしてないか?」
妹が俺から3歩ほど下がる。
「あのね、お兄ちゃん。最近、聖依奈ちゃん心配してるんだよ? 高校入ってからお兄ちゃんがゲームばっかりしてるって……」
「はあ」
「私も結構心配してたんだ……。だからさ、たまにはゲームから離れて公園散歩したり、ちょっと遠出したりしよう? 私、ちゃんと時間作るから……ッ!!」
何故か泣きそうな顔で妹が部屋を出ていき、階段を下りる音も直ぐに聞こえなくなった。
朝の陽が薄く射し込むばかりの部屋は凄く静かだった。
俺は大きく息を吸う。
「やっぱ夢じゃんッ!!」