一話 「神か悪魔か!? 学園に現れた顔面最凶の男」
それは桜の花弁が皆どこかへ旅立ってしまった五月の半ば。
新入生の多くがクラスメイトの顔と名前を間違えずに言えるようになり、校内のどこの自販機でお汁粉が売られているかを正しく覚えたことだろう。
「今日休みじゃねーよな?」
朝のホームルーム開始を告げるチャイムが鳴って五分と経つが教師は現れない。
何人かの生徒が席を離れて「もしかしてゴリ先死んだんじゃね?」などと喋り出したところでようやく、白い引き戸が勢いよく開けられた。
「おー、待たせたなー!」
快活な声で入ってきて教壇に上がり、教卓の横に仁王立ちした男はこの一年四組の担任松田。
よく焼けた肌、爽やかなスポーツ刈り、程よく鍛えられた身体を持つ三十過ぎの体育教師だ。
そこまでゴリラに似ているわけでもないが部活や食堂、朝の職員室でバナナを貪っている姿を多数目撃されてしまい、その上ガタイが良く日焼けしていることもあってか即座に「ゴリ先」「ゴリ松」などと安易なあだ名を付けられてしまった哀れな雄である。
「突然だが、今日はお前らに重大なお知らせがある」
ゴリ先がこのクラスでは見せたことのない真剣な面持ちで告げた。
「なんスか先生、結婚するんスか!?」
「交際相手すらまだいねーよ」
「じゃあついに逮捕っスか? この前電車で痴漢してたっスよね」
「次ふざけたこと言ったらビンタな」
「へーい」
髪を茶色く染め、片耳にピアスを三つ付けたチャラい男子生徒がいつもの調子で茶化したが、今はお前に付き合っている場合じゃないと突っぱねられた。
「なんとウチのクラスに、転入生がやってきたッ!!」
生徒がざわめき立たないうちにゴリ先は答え合わせをした。
一秒と満たない時間ほとんどの生徒の息が堰き止められたがそれはすぐに決壊した。
「ぃよっしゃあああああっ!!」
「美少女来い美少女! 女優じゃなくてアイドルでもいいから来てくれ! 頼む!」
「いいえ絶対にイケメンよイケメン! 私の勘は七割的中するんだから! 今回はモデルの卵が来るわよ! 見てなさい!」
「七割は絶対って言わねーよ!」
男子は近所の雑木林でヘラクレスオオカブトのリッキーブルーを発見した時のように、女子は人気アイドルグループカニーズジュニアの最前席チケットが当たった時のように狂乱する。
「先生! 男ですか女ですか!?」
「どっちなんですか!?」
「んなこと教えたら楽しみが半減するだろうが」
ゴリ先はとにかく入ってきてもらうから静かにしろとドラミング……ではなくそれなりに毛深い手をパンパンと叩いて生徒を鎮めた。
「よーし、入ってきてくれー!」
生徒は姿勢を正したり祈るように手を組んだり、人ぞれぞれ違いはあるが誰しも一つの引き戸を見つめている。
複数人の生徒が俳優やアイドルを熱望しているがそれは流れ星に願うような虚しいことではない。この学園においては百分の一くらいであり得ることなのだ。
ここは日本の首都圏でも有数の巨大私立校星愛学園。
中高一貫の星愛学園には一般庶民とスポーツ推薦の生徒がいるのは当然のことながら、財政界の大物や芸能人の隠し子、学生の身分でありながら会社経営や芸能活動に携わる者まで、多種多様な人種が在籍するマンモス校なのである。中高合わせての在籍生徒総数は六千人を優に超える。
ガラリと引き戸が開けられて壁に転入生の左手がかけられた。
色白だがゴツゴツとして骨ばった男の手だった。
「はぁー……」
視力が良くて頭の回転が速い男子生徒はすぐさま溜息をもらした。
その逆視力が良くて頭の回転が速い女子生徒は息を飲み込んだ。
「──お邪魔します!」
転入生は野太い声と共にのっそりと現れた。
おかげで溜息を吐いた男子生徒も息を飲み込んだ女子生徒も揃って息を止めた。
それはなぜか?
人によって理由は様々だろうが共通している単語は一つ、それは「ヤバい」だ。
「おーう、ここに立ってくれ」
「はい!」
まず身長がヤバい。
教卓つまりはゴリ先の横に立ったおかげでその差がよく分かる。
ゴリ先の身長が百八十センチあり日本人としてはかなり高い部類に入るのだが、転入生はゴリ先よりも一回り高く百九十センチは超えている。世界でも中々見ない高身長だ。
「そんじゃま、好きに自己紹介をしてくれ」
「春名健です、よろしくお願いします!」
ガタイがヤバい。
背が高いだけでなくその肉付きまでもが高校生とは思えない。見た目だけで転入生の職業が何かを街頭アンケートで尋ねたら、大多数がプロのボディビルダーか格闘家だと答えるだろう。
隣のゴリ先は多少出ている腹をツッコまれた際に「これはもしもの時のために栄養を貯めてんの! 痩せようと思えばいつでも痩せられるんだよ!」などと豪語するくらいには筋肉があり、一般男性よりは鍛えている。しかし転入生の横に並ぶと運動不足な大人にしか見えなくなる。
「こうやって書きます」
直角のお辞儀をしてから黒板に名前を書くために背を向けた際に、白いワイシャツの下に鬼が宿っているのを生徒全員が目にした。
男子の半数はその名前と体格から最強の暗殺拳を用いる世紀末救世主を連想したに違いない。顔はどう見ても世紀末覇者寄りであるが。
「特技は手品です! 生まれは日本ですが親の仕事の都合で五年間外国に住んでいました! 一日でも早くみんなと仲良くできたらなと思ってます。気になることがあれば何でも質問してください!」
そして顔がヤバい。
今時の高校生らしくセンター分けの髪型をしているが、どこぞの超一流スナイパー漫画の握手嫌いな主人公よりも濃くて厳ついツラをしている。髪型と顔が壊滅的に合っていない。ついでに言えば額の右端には傷跡がある。銃で撃たれたような傷跡が。
そんな裏社会のドン染みた顔面をした大男に笑顔を向けられた生徒は誰も目を合わせようとしない。当然だ。
「おい、誰も質問しねえのか? どうなんだ白井」
「へっ!? ……なっ、何にも、ありま……せん」
誰しも頭の中は疑問に埋め尽くされているだろうが一人として手を挙げないし口も堅く閉ざしたままだ。
こういう時はいつだって一番槍で飛び込むチャラ男くんでさえも優等生の皮を被った。下手なことを聞けば殺されるという動物の生存本能がそうさせた。
たとえ画面越しであろうと誰も質問をしないだろう。
「んだよ誰もいねえのかよ。わりーな春名、みんな根は良い奴らなんだが恥ずかしがっててよ。とりあえずそこの空いてる席に座ってくれ」
「はい!」
教壇を降りた春名はその巨体に反して足音を一切立てずに自分の席まで行った。
そして座ったのは最後列の窓際という、ラブコメ作品における主人公のお決まりの席だ。
しかし春名にとっては親愛なるクラスメイト全員をまとめて見守れることができて、前と後ろどちらの戸から不審者やテロリストが現れても冷静に対処できる最高の席という認識だった。
(……ククク、ツイてるな)
春名は懸念の一つであった自己紹介を何事もなく終えて安堵し、教室を一望しながらニヤリと笑みを浮かべる。
「ひぃッ!?」
僅かでもその表情を見てしまった生徒は多かれ少なかれ正気度を減少させることになった。
♦♦♦
「つーわけで一時間目はちょっとした職員会議のため自習だ! 春名を虐めんじゃねえぞ? 余所者を嫌う猿じゃねえんだから仲良くしろよな!?」
がらがらぴしゃりと戸を閉めてゴリ先が出て行った。
「虐められるわけねえじゃん……」
誰かがぼそりと呟いた。
その呟きを聞いた者は小さく頷いた。
一体誰がどうやってアレを虐められるというんだ。ヘビー級のプロボクサーでもないと相手にすらならないだろう。
葬儀中の如き沈黙が一年四組を覆いつくした。
今の時間はあくまで自習だというのに誰も教科書や参考書を読むわけでもなく、仲の良い友達と駄弁るわけでもない。ただただ沈黙している。
「あっ」
にやにやと不気味な笑顔で教室を見回していた春名が不意に立ち上がる。半数の生徒が居眠りをしているわけでもないのにビクッと跳ねた。
それを特に気にするわけでもなく春名は前の戸から教室を出て、黒い学生鞄を携えて戻ってきた。
(仕事道具とか、入ってないよな……?)
(ターゲットリストだけ持ってきてたり……)
銃もナイフも、ましてや白い粉も標的の資料も入ってなどいない。春名の鞄には学生らしく教材と筆記用具、スマホと財布くらいしか入っていない。
しかし悲しいかな、いつの時代も人は見た目が九割なのである。
「えーと……」
春名は鞄から国語の教科書を取り出して読み始めた。
クラスメイトが皆停止している中、一人だけ正しく自習を始めた。
おかげで春名から誰かに声をかけることはない…………が、十秒置きにチラチラとクラスメイトを観察している。
それに気づいた者は一様に戦慄した。
(おい、見てるって! どうすりゃいいんだよ!)
(やっぱりこっちから話しかけに行かないとまずいんじゃ……)
ただただ沈黙しているだけでは逆に失礼に当たるのではないか?
暗に挨拶をしにこいと言っているのではないか?
そのように一年四組の面々は推察した。
(じゃあ誰から行くんだ? それともみんなで一緒に行くのか?)
(まずはチャラ井が行けって!)
(は? ムリムリムリムリ! 絶対殺されるって!)
(こういうのはお前の仕事だろ!?)
(そ、そうよチャラ井くん! あなたはこの日のために生まれてきたのよ!)
チャラ井こと白井佑丞に白羽の矢が刺さった。遠くから弓矢を射って刺さったというよりは、矢を手に持って直接玄関口に突き刺したくらいの抽選方法だ。
日頃チャラチャラしていたツケが回ってきたのだ。
(…………墓は全面金箔を貼ってくれよな)
チャラ井は自身の命よりも男としての名誉を選んで立ち上がった。
震える脚で春名の隣までいき、三度唾を飲み込んでから口を開いた。
「あ……あの……春名……様」
「ちょっと待て」
「ひゃっ!? ご、ごめん……なさ……」
春名はチャラ井の顔の前に大きな掌を突き出した。
誰もが転入生の機嫌を損ねてしまったと考えたことだろう。
チャラ井はこのまま頭を握りつぶされるか、そうでなければ針金でぐるぐる巻きにされて腹の中に溶かした鉛を流し込まれて湾に沈められると考えたことだろう。
転入生が一人増えた代わりにクラスメイトが毎日一人ずつ消されていくと。
だがそれは早とちりだ。
「なんで様付けなんだよ? タメなんだから呼び捨てでいいって!」
春名は自身の欲求を満たしてくれるかもしれないクラスメイトを傷付けるつもりなど毛頭ない。むしろその逆、自身の出来る限り守護しようと思っている。
「春……名?」
「そうそう。それでもまだちょっとそっけないな。健でいいよ」
「そ、それじゃあ…………健」
「おう! 白井、だよな? よろしくな!」
それからはもう早かった。
勇気と好奇心のある者から一人二人と席を立ち、あっという間に普通の転入生に相応しい人だかりが生まれた。
「俺達とタメってマジかよ!? 実は政府から送り込まれたスパイだったりしないか!?」
「マジマジ。まー、顔がちょっと怖いから勘違いするよな。だけど安心してくれ、俺は正真正銘タメだぜ!」
嘘である。
この男、実年齢は地球人の日数換算で二百歳近い。
「手品ができるって本当なの!?」
「うん、できるよ」
「何か見せてもらえる?」
「今は大した道具がないからこんなのしかできないけど……」
嘘である。
この男、手品が出来ないのでサイコキネシスを使っている。
「春名くんは外国で暮らしてたんだよね? どの辺?」
「アメリカのオレゴン州。今度写真とヘラジカの角を持ってくるよ」
半分嘘である。
この男、たしかに日本の外の国からやってきた……が、それは地球上の国ではない。
──春名健は宇宙人である。
ラブコメ熱を発散させるために書いてます。
最初の数話以降は不定期更新になりますが、よろしくお願いします。