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専属メイドですが婚約破棄された伯爵さまと結婚いたします。馬脚でも美しいケントさまをぜひご覧くださいませ!

作者: 佐倉えび

 


「膝から下が、馬の脚になってしまった」


 わたくしがお仕えするケント・フォルタさまは、スラックスの裾を持ち上げると眉を下げて仰いました。

 裾からのぞく栗毛は艶々としており、それはそれはとても見事でした。


「まぁ……!」

「……カティーナ、感想は『まぁ』だけか?」


 普段はくるりと巻いた艶々とした茶色の巻き毛が目を隠し、あまり見ることのできないハシバミ色の瞳がじとりと睨んだような気がいたします。わたくしは背中をぶるりと震わせ――恐怖ではなく、歓喜でございますが――にこりとほほ笑みました。メイドたるもの笑顔は大切でございましょう。


「ご立派な栗毛でございますね? 髪の色とお揃いで素敵です!!」

「違う、そうじゃない」


 ケントさまは薄い唇を尖らせ、少々不貞腐れたご様子です。


「では、お御足のブラッシングなどさせていただけますか? できれば毎日お手入れいたしたく――」

「そうじゃない!! なぜこんな脚になったのかとか、このせいで婚約破棄されたのかとか、聞くことが他にあるだろう!?」

「はぁ……綺麗なお御足でございますけれども。馬脚になられても長く美しいのですねぇ」

「……もういい」


 顔を片手で覆って俯いてしまいました。


 指は顔のほとんどを覆えるほど長く、手も大きくていらっしゃいます。背も高く、それに見合った脚の長さはわたくしの腰より上まであります。細くしなやかなお身体は大変美しく、特に窓際で物憂げにカップを片手に(かし)ぐときなど、密かに見つめてしまうのです。


「ケントさま、天然ボケのカティーナに構ってないで今後の対応を決めますよ」


 俯いたケントさまを容赦なく叱咤されたかたは、レオ・アルコットさまです。伯爵であるケントさまの侍従をされており、大変優秀なかたです。


「カティーナ、さっさと仕事に戻れ」

「はい、ですが」


 項垂れていたケントさまが、わたくしのエプロンの裾を掴んでいます。


 お小さいころから人見知りだったケントさまに、先代の伯爵さまは大変手をやいていたそうです。身の回りの世話も限られた人にしか任せられなかったとか。


 そんなケントさまが十七歳のとき、珍しく熱心にわたくしをメイドにしたいと仰ったそうです。


 貧乏男爵家としては大変ありがたいお申し出だったことや、彫刻のように美しいケントさまにお仕えできる喜びから、二つ返事で了承いたしました。


 ケントさまは今年二十五歳になられましたが、いまでもわたくしのエプロンの裾をちょこんとつまむ癖が残っていらっしゃいます。いえ、十七歳でもかなり幼い仕草ですけれども。


 そして侍従であるレオさまも、ケントさまになつかれた一人です。


「まだそんなことやってるんですか。そんなんだからヴェロニカ・ミュレなんかに馬鹿にされるんですよ」

「馬鹿とはなんだ」

「あんな馬の口みたいな女のほうから婚約破棄されるだなんて」

「馬の話をするな!」

「あんたじゃなくヴェロニカ嬢の話ですよ。歯茎が出てるんで裏で馬令嬢とか言われてるんですからね。むしろこっちが願い下げだっつーの」

「人の容姿をそのように言うもんじゃない」

「今度はあんたが馬伯爵って呼ばれる側になったの!!」


 レオさまは大変お口が悪いですが、実は大変お優しいのです。ええ。本当は。本当に……たぶん。

 仔犬のように尻尾を丸めたケントさまはソファで震えていらっしゃいます。


 あぁ、抱きしめたい!!


「あのぅ」

「なんだ乳娘」


 レオさまは機嫌が悪いとき、わたくしのことを乳娘と呼びます。少々わたくしのお胸が大きいせいですが酷いですね。


 そういうレオさまは綺麗な銀髪に切れ長のアイスブルーの瞳で、隙のないレオさまのお人柄をあらわしているかのように顔のパーツ全てが整っていらっしゃいます。お肌も艶々、どこからどう見ても二十歳ぐらいにしか見えませんが、御年三十五歳。恐ろしいですね。


「婚約破棄されたとはどういうことでしょうか」

「お前、さっきまでの話聞こえてなかったのか?」

「すみません。艶々の栗毛に夢中で」


 わたくしが素直にお答えすると、お二人は揃って目を丸くされておりました。ケントさま、項垂れていなくてよろしいのですか?


「ミュレ伯爵家から正式に婚約破棄の書類が届いたのだ。ケントさまの脚が馬になったから」

「え、それだけで!?」


 お二人はまた目を丸くされております。


「たとえ馬脚だろうと、もしくは下半身が馬だろうと」

「待て、下半身は馬じゃない」

「ケンタウロスだろうとわたくしなら受け入れますわ。ケンだけに」

「ケンじゃない、俺はケントだ」

「わかっております。言葉の綾ですわ」


 エプロンの裾をつまむケントさまの左手を、両手で包んで頷きます。たとえ全身が馬になろうとも、わたくしは誠心誠意お仕えするでしょう。

 使用人に対して威張ることなく声をかけてくださるケントさまを、心から尊敬しているのです。


「よろしい。乳娘、明日からお前がケントさまの婚約者だ」

「はい!? なんですって!?」

「お前の心意気に感動した。一応お前も男爵令嬢だしな。年齢差も悪くない。なんとかなるだろう」

「いやいやいやいや、ちょっと、それは違いますよねぇ!?」


 きっとケントさまもお嫌なはず!


 二十五歳になられたケントさまと、二十二歳のわたくし。年齢差は悪くはないとレオさまは仰いますが、貴族の令嬢は二十歳前に結婚しているのが現状です。


 慌てて斜め下を見ると、巻き毛の隙間から寂しそうなつぶらな瞳が『どうして』といわんばかりに潤んでいます。


 はい、可愛い!!


「カティーナは俺と婚約するのが嫌なのか?」

「滅相もございません!! 恐れ多いだけにございます!!」

「ならよい。俺と結婚しよう」

「どうしてそうなります!?」

「婚約はよくても結婚は嫌なのか?」

「どちらも嫌ではありません!!」


「ハイ、ケッコーーン!!」


 レオさまの荒々しい宣言で、わたくしとケントさまの婚約、および結婚が決まってしまいました。


 どうしましょう。

 ケントさまをお慕いするみなさまに、イジメられてしまいそうで怖いです。




 大変なことになったと震えながら午前の仕事を終え、遅い昼食を食べていると後輩メイドのマルタさんがいらっしゃいました。


「ちょっとあんた」

「はい、なんでございましょう」


 普段から高圧的なかたですが、今日は一段とご機嫌が悪いようです。


「ケントさまの婚約者になったってほんと?」


 あぁ、やはりその件でしたか。

 どのみち隠し通すことはできません。仕方なく頷きました。


「なんであんたみたいなチンチクリンがケントさまの婚約者になるのよ!?」

「ええ、本当に」

「は!? 馬鹿にしてんの!?」

「いえ、滅相もございません。わたくしが小さいのは事実だなぁと」

「わかってるなら断りなさいよ! あんたみたいなのが婚約者じゃ、ケントさまが社交界で笑われるんだからねっ!!」


 マルタさんは、ご自慢の金髪を振り乱して怒っていらっしゃいます。ケントさまに憧れているようなので、わたくしが婚約者になるのが許せないのでしょう。


 わたくし自身もまだ実感がわかず、とりあえず婚約者に仕立て上げ、パートナー同伴の夜会を乗り切ろうというお話なのかと考えてみたりもしております。


 マルタさんからは長々とお叱りをいただきましたが、レオさまからのご命令なので、わたくしにはどうにもできないと説明したところ、ようやく解放してくださいました。



「ちょっと、カティーナ。あんたのほうが先輩なのに、なんであんな口の利きかた許してんのさ」


 食べ終えた食器を洗っていると、横からエルゼさんがひょこりと顔を出して仰いました。エルゼさんは、わたしと同期で年齢は三つほど上です。


「ええ、ですが年上のかたですし敬わなければと思いまして」


 少々苦笑いになってしまいます。


 というのも、マルタさんは二つ年上ですが、ケントさま専属のわたくしのほうが立場はうんと上です。しかもわたくしは十四歳のころからケントさまにお仕えしているので、メイド歴は既に八年と、とても長いのです。専属とはいえ、普通のメイドの仕事もこなしますので、仕事内容が劣るということもありません。


 メイド歴五年の彼女もフォルタ伯爵邸ではそこそこ長いですが、わたくしやエルゼさんにとっては後輩です。メイド長にも上下関係をはっきりさせろと言われておりますが、わたくしの性格上それは難しいのです。


 マルタさんも男爵令嬢であることから、同じ男爵令嬢、しかも年下のわたくしに突っかかる気持ちもわかります。


「どうせケントさまとの婚約にケチでもつけに来たんだろ?」

「普段からエルゼさんは鋭いかただなと思っておりましたが、本当によくおわかりになりましたねぇ」

「……そんなこと、みんなわかるわよ」

「まぁ!」

「……あのさ、わたくしが婚約者になんてなったらイジメられそう、とか思ってない?」

「もしかしてエルゼさんて、能力者のかたです?」

「なんの能力者よ? こんなのただの観察眼だわ」


 なぜか脱力されていらっしゃいます。不思議ですね。


「この邸には他にも貴族の令嬢はいるけど、ケントさまが選ぶならあんただって、みんな思ってるよ」

「まさか!」

「あんたがわかってないのが不思議だよ、あれだけなつかれてて」

「そんなケントさまを仔犬のように仰って」

「あんたが一番ケントさまを仔犬扱いしてると思うけどね」

「それは……」

「それに、あんたの胸が一番大きいし?」

「そ、それって、関係あります?」

「ないと思ってるわけ?」


 殿方の多くは、お胸が好きだと聞いたことはありますが。

 あの儚げで彫刻のように美しいケントさまにも当てはまるのでしょうか?


「そういったことは、よくわからないのです」

「ふ~ん。まぁ、いいや。奥さまになったら、あたしをカティーナの専属メイドにしてよ」

「それは楽しそうですね!?」

「だろ? よろしくね、奥さま」


 ウインクして去るエルゼさんは『ちゃっかり』しておられました。裏表のない性格のエルゼさんとはメイド仲間の中でも一番気が合います。彼女が専属になってくれたら楽しいだろうなと、想像するだけでわくわくします。


 頬を緩めながら歩いていると、マルタさんがレオさまに叱られているところを目撃してしまいました。

 心なしかマルタさんに睨まれているような気がしますが、気のせいということにして仕事に戻りましょう。


「あんた、この花瓶いくらすると思ってんの?」

「あた、あたしじゃないですぅー」

「いや、あんたが倒して割ったの見たから、この目でハッキリと。まったく、それじゃなくても忙しいっつーのに、仕事増やしやがって!! 給金から差っ引くようメイド長に伝えるからな」

「そんなぁ!」

「あんた、貴重品壊すの何度目だよ!? 長くいるくせに新人臭い仕事しやがって、次やったら追い出すからな!!」


 おお怖い。

 触らぬレオさまにたたりなしですね。








「カティーナ、早く」

「も、申し訳ございません……」


 手が震え、なかなかボタンを留めることができません。


「目をつぶっていたら留められないだろう」

「ですが、見てしまうと」

「そんなに嫌?」


 ケントさまの傷付いたような声に、カッと目を開きました。


「嫌なわけないです! 刺激が強いだけにございます!!」


 わたくしが叫べば、ケントさまはニヤリとしました。

 目の前にはまだボタンの留まっていないシャツから覗く胸元、見上げれば巻き毛の隙間から見下ろしているケントさま。


 死ぬ、萌え死ねる。


「なぜこれが結婚の練習になるのでしょう?」


 急にお着替えを手伝えと言われ、それが結婚の練習になると言われたのです。


 実はわたくしは専属でありながら、先代の伯爵さまからお着替えに関しては手伝わないようにと命令されていました。

 ケントさまがわたくしに大変なついていることから、適切な距離を、とのご配慮だったようです。


 ですから、お肌を間近で拝見するのは初めてなのです。


「え? だって結婚したらもっと色々見るでしょ?」

「色々とは……」


 お話している間も、美しい顎のラインが気になって会話が頭に入りません。なぜこんなにもケントさまは美しいのでしょう。


 顎から喉仏までの曲線の美しさといったら!!



「あんたら、無駄にイチャついてないでさっさと着替えて夜会に行け」


 モダモダしていたわたくしたちをレオさまが叱咤なさいました。


 ええ、別に二人きりではなかったのです。

 え? モダモダしてたのはわたくしだけ?

 失礼致しました。


 その後は、レオさまにケントさまのお着替えを任せ、わたくしもエルゼさんに手伝ってもらい、着替えを済ませました。


 先日、無事に婚約が成立いたしまして、今日は婚約のお披露目を兼ねて王宮の夜会へ参加いたします。


 早くから伯爵家でお世話になっておりましたので、わたくしは男爵令嬢のわりに高度な淑女教育を受けさせていただきました。

 ようやく先代の伯爵さまに施していただいた教育を活かし、ご恩を返せるような気がしております。


「奥さま、今日のヒールは高いですから痛くなったらすぐに旦那さまに頼ってくださいね」

「やだわ、エルゼさん。わたくしまだ奥さまではありませんのに」

「え、めんどくさい。もういいじゃん、奥さまで」

「えぇぇ……」


 エルゼさんは少々雑でした。

 知っていましたけれど。


 追い立てられるように馬車に乗り、王宮へ着いてからは忙しさに目がまわるほどでした。

 みなさま、メイドから婚約者になったわたくしが物珍しいらしく、次々と冷やかしにこられたのです。


 足が少々痛みますが、我慢ですね。


 チラリと斜め上を見れば、余所行きモードのケントさまを拝見できます。

 長い巻き毛をゆるりとリボンでまとめ、あらわになった首筋と、そこに垂れる後れ毛がとても色っぽいです。


 はぁ、眼福。


 正装もお似合いです。

 それになんといってもケントさまのこの香り。

 常人ならざるよい香りがいたします。香水はお好きではないようですので、自前の香りですね。


 どうして自前で香るんでしょう?


 そんなことを頭の片隅で考えながらも顔と仕草は淑女モードです。


 あら。

 あちらからいらっしゃるのは、リヒャルト・イエルカさまですね。公爵家の次男でいらっしゃるリヒャルトさまは、金の巻き毛が美しく、蒼の瞳は湖畔のよう。くっきりぱっちりしたお顔立ちです。

 お小さいころは天使のような可愛らしさから宗教画の再現と言われていたそうです。


 あら、あらら?

 横からヴェロニカ・ミュレさまもいらっしゃいました。

 これはひと騒動ありそうです。


 背筋を伸ばし、対峙いたします。


 腰までの長い黒髪をハーフアップにされたヴェロニカさまのお召し物は濃い紫色です。十八歳というご年齢からすると少々重めのお色かと思いますが、お好きなのでしょう。



「どういうことだ!?」

「ちょっと、どういうこと!?」


 まぁ。お二人は気が合うのでしょうか?

 リヒャルトさまは邪魔をされたと思ったのか、ヴェロニカさまを睨んでいらっしゃいます。

 ヴェロニカさまのほうは、リヒャルトさまを見て頬を染めております。リヒャルトさまは二十五歳とは思えない、大変お可愛らしいかたですから無理もないでしょう。


「馬っ、」

「はっ!?」


 リヒャルトさまは思わず馬っ、と仰いました。レオさまが仰っていた『馬令嬢』という言葉が出そうになったのですね。

 ヴェロニカさまは、それを聞いて少々顔を引きつらせていらっしゃいます。口を大きく開くと歯茎がさらに出てしまいますよ?


「いや、伯爵」

「あっ、ええ、そうですわね」


 リヒャルトさま、うまくごまかしたようですね。

 ヴェロニカさまもケントさまのお御足のことだと解釈なさったようです。


 変ですねぇ。

 ケントさまのお御足のことは、リヒャルトさまはご存知ないはずですが。


 やはり、レオさまの仰っていたとおりなのでしょう。本当にレオさまは優秀なかたです。いったい何人の間者を抱えているのでしょうか。


「フォルタ伯爵、脚のお加減はいかがかな」

「これはこれはリヒャルトさま、お気遣い感謝いたします。ご覧のとおり、なんともありませんよ?」


 ケントさまはご自分で靴をデザインされ、蹄でも見栄えのする革靴をお召しになっております。なんと蹄まで細長く、とても美しかったので特注であれば靴を履くことができたのです。そしてこの靴、人間の足に戻っても脱げないようにデザインしてあるそうです。


 もはやケントさまの美しさと才能は罪ですね。


「そんなはずは……呪いは成功してるはずなのにっ!!」

「呪いとは物騒ですね、リヒャルトさま。どういう意味でしょう?」


「ねぇ、なんであんたみたいなメイドが婚約者におさまってるわけ?」


 ヴェロニカさま、いまはケントさまとリヒャルトさまがお話中です。横からわたくしに話しかけるのはいただけませんね。視線でうながしてみましたが、通じないようです。困りました。


「だって、だって僕は、自分の脚を犠牲に」


 ぶつぶつと、可愛らしいお顔を歪めてリヒャルトさまが呟いていらっしゃいます。


「ちょっと、なんか臭くない!?」


 ヴェロニカさまが鼻をひくひくさせています。

 わたくしたちは、それがなにか、ということを理解しているので我慢できますがヴェロニカさまは素直でいらっしゃるようで口に出してしまいました。

 鼻をひくつかせるのもまた、淑女として大変よろしくないと思いますが。

 周りにいるみなさまも臭いに気付いてしまったようでざわついています。


「見ろ!! はく、伯爵の脚を!!」


 あぁ、なんということでしょう。


 リヒャルトさまが苦し紛れにケントさまのスラックスの裾を捲ってしまいました。

 それを見た方々が悲鳴をあげています。


「これがどうかしましたか?」


 異臭と悲鳴と混乱の中で、ケントさまの凛とした声が響き渡りました。

 著名な建築家であるケントさまは、癖の強い作業員たちを時々こうして叱咤されます。

 お邸では仔犬のように振舞われておりますが、実はとてもお仕事のできる殿方なのです。


 二十歳という若さで伯爵位を継いだのですが、それも実力がありすぎるケントさまを爵位で守るために、先代の伯爵がお決めになったことです。


「見事な栗毛でしょう? 我が愛しのカティーナは、この栗毛をとても好んでおりましてね。呪われてもなお美しい脚だと自慢しているんですよ」


 そう言って、わたくしを抱き寄せました。

 みなさまの視線が一斉に集まりました。


 とても恥ずかしいです!!

 ですが、とってもいい香りがします……!!

 はぁ、素敵。

 リヒャルトさまからの異臭も消える勢いです。


「私のことよりも、貴殿こそ大丈夫ですか? 失礼ですが、大変臭っておりますが」


 リヒャルトさまはわなわなと震えています。


 人を呪うには代償が必要です。

 レオさまの話では、リヒャルトさまはご自分の脚の『臭い』を代償にしたようです。

 腐敗臭が漂っています。周囲の方々も、鼻をつまんだり扇で遮ったりしてこらえているようです。

 リヒャルトさまも、ここまで臭くなるとは想像していなかったのかもしれません。


「それからヴェロニカ嬢」

「な、なによ。私は嫌よ、そんな馬脚の人となんか! 婚約し直して欲しいとか言われてもお断りよ!?」


 歯茎をむき出しにして、怒ったときのお馬さんのようなお顔をされています。もうどちらが馬かわかりませんね。ケントさまはお御足だけですけれど。


「私のカティーナに先ほど大変失礼なことを仰っていたので謝罪を要求します」

「はぁ!? どうして私がメイドなんかに」


「カティーナはただのメイドではありません。私が選んだ最高に美しい女性です。貴女と私が婚約していたのはミュレ伯爵に恩があった父上が結んだ縁です。私は最初からカティーナのことしか見ていません。ですから、貴女のことはなんとも」


「そんなこと聞いてないんだけど!?」


 ヴェロニカさまは真っ赤になって怒っていらっしゃいます。

 わたくしもケントさまの告白に真っ赤になってしまいます。


「私は美しいものが好きなんですよ。カティーナのストロベリーブロンドの髪や、翡翠のような瞳、胸から腰の見事なこの曲線。全てが美! 完璧な美! 究極の美! 私の創作意欲をこれでもかと刺激する圧倒的な美!! この美の前にひれ伏し、メイドなんかと罵ったことをいますぐ謝罪するのです!!」


 ケントさまの本気の覇気に、ヴェロニカさまは口を尖らせながら『わ、悪かったわ』と、わたくしに謝罪しました。


「その程度で――」

「ケントさま。もう十分でございます」


 わたくしがそう告げれば、ケントさまはとろけそうなお顔をこちらに向け、わたくしに口づけました。

 同時にケントさまの鼻先がむぎゅっと押し付けられ、一瞬で離れていきます。


 ケントさまの鼻はとても高いので、ぶつかってしまうのですね?


 そんなことを思っていると、先ほどまで震えていたリヒャルトさまが叫び出したのです。

 周囲の視線がリヒャルトさまに集まりました。


「あっ、脚が、脚が!!」

「あぁ、呪いが返ったんですね」


 えぇぇ……。


 レオさまが『さっさとキスすりゃ、あっちにいくのに』なんてため息を吐いていらっしゃいましたが、本当だったのですね。


 乙女とのキスで呪いが解けるなんて、そんなおとぎ話みたいなことあるわけないと馬鹿にしておりました。レオさま、ごめんなさい。



「リヒャルトさま、靴のデザインでしたら承りますよ。建築ほどではありませんが、靴のデザインもまぁまぁ楽しかったんで」


 ニコニコ笑うケントさまは、意外と意地悪なところもおありなようで?――いえ、自分を呪った相手のデザインをして差し上げるのですから、やはりお優しいのでしょうか?


「ず、ずるいだろう!? なんでいつもケントだけ!! 背も高いし、かっこいいし、設計の才能もあって、みんなにチヤホヤされて、そのうえ馬脚になっても美女と婚約できるなんて!! 僕なんて、僕なんて!!」


 リヒャルトさまはえぐえぐ泣き出してしまいました。少々可哀そうになってきました。靴が脱げ、見えた蹄はコロコロしています。まだら模様で毛並みもよくありません。しかも呪いが返っても臭いは消えないようです。二重苦ですね。


「リヒャルトさまは可愛らしいお顔に合った、絶妙な身長でしょうに」

「いつもそうやって馬鹿にして!!」

「いいえ、馬鹿になどしておりません。私はあなたの可愛らしい顔立ちと、金の髪や蒼の瞳を本当に美しいと思っています。リヒャルトという名まで、あなたの美しさをあらわしているではありませんか」

「えっ、本当に?」

「本当です。私は美しいものが大好きなのです。美は神から賜った最高の祝福ですよ。嘘は美しくありません。私は美の神に見放されたくはありませんから嘘などつきません」


 美しいものが大好きと言いながらわたくしを見つめるのはやめてください。


 甘すぎます!!


「ティナ、足が痛むのだろう。無理して高いヒールを履くから」

「ご存知だったのですか?」

「もちろん」


 ケントさまはわたくしをお姫さま抱っこしてくださいました。

 痛いので助かりますが、とても恥ずかしいです。


 あっ、ヴェロニカさまが鬼の形相で怖いです。誰ですか、馬の形相なんて仰ったのは。


 リヒャルトさまは脱げた靴を履こうとなさっていますが……入らないようですね。

 蹄なのでそのまま歩けますよ?



「あの、ケントさま」

「ん?」


 小首を傾げ、わたくしの話を聞いてくださいます。


「う、美しいだなんて」

「ティナは誰よりも美しいよ。毎日愛でたいから父上に必死に頼んでメイドにしてもらったんだ」

「あの、もしかしてレオさまも美しいから侍従に選ばれたのですか?」

「さすがに侍従は能力を重視して選んだよ。彼が美しかったのは偶然だね」


 そう言いながらも、鼻高々な様子からレオさまを大変お気に召しているのがわかります。


「あと、その、ティナって」

「愛称だよ」

「恥ずかしいです」

「こんなことぐらいで恥ずかしがっていたら結婚なんてできないよ。俺のことはケントって呼んでね? 夫婦で『さま』なんて要らないから」

「無理ですぅ」

「そんなこと言わずに呼んでよ」


 笑いながらわたくしを見下ろすケントさまは、色気が駄々漏れでした。

 わたくしの心臓は耐えられるでしょうか?


 お邸に帰ったらまたお姫さま抱っこをされ、それを見たエルゼさんにニヤニヤされました。


「奥さま~。よくやりました! 満点です!!」

「なんのことですの!?」


 ソファーに降ろされ、足の手当てをケントさまがすると言って聞かないので、ため息を吐いていたらエルザさんに耳打ちされました。


「旦那さまにお姫さま抱っこされる奥さまを見られて最高です! あざっす!」

「まぁ……!! 身長差がありすぎるとか理由をつけてわざと高いヒールにしましたわね!?」


 わたくしが叫べば、エルゼさんはますますニヤニヤしました。

 先が思いやられます。


「あぁ、それに関しては役得だったのでエルゼにボーナスを出そう」

「ケントさま!! なにを仰っているんですか!!」

「ティナはそうでもしないと抱かせてくれないからな」

「人聞きが悪いですわ!!」


 お二人のニヤニヤした視線のせいで顔が熱いです。


「旦那さま〜! ぜひ私を奥さまの専属メイドにしてくださいね!? 必ずや旦那さまのお役に立ってみせますから!!」


 エルゼさんの言葉に『すぐに任命しよう』と真剣な顔で頷くケントさま。

 わたくしではなくケントさまの役に立つというところに不安しか感じられません。

 ですが。


「やったぁ〜! 奥さま、よろしくね〜!!」


 満面の笑みでわたくしの両手を握って喜んでいるエルゼさんに、頷くことしかできませんでした。

 ケントさまも満足げに頷くと、わたくしの足を消毒しはじめました。



 その後、目まぐるしく変化する生活に追いつくのがやっとで、あっという間に迎えた結婚式。

 その夜から不安が的中することになってしまいましたが、ケントさまが喜んでくださったので、よしとします。



 専属メイドでしたが、いまは伯爵家の奥さまとして日々ケントさまを愛でております。



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