第2話「泡沫の夢」
街が少しずつ遠くなっていく。
運賃は特別高くなかったが、乗り心地は良い。
馬の調子が良いのか、御者の腕がいいのか。
なんにしろ、いい気分だ。
俺は、スラムから脱出する為の30万Gを稼ぎながら、商いの内容を考えた。
斬新さは必要だが、安定してないと駄目だ。
案が良くても、実現出来なければ意味が無い。
そして考えついたのが、養鶏売りだ!
つがいのニワトリ、飼育小屋、餌をセットで売る。
つがいが子供を産むので、10年間は卵が手に入り続ける。
愛玩動物としても優秀だ。雛の方は言わずもがな、ニワトリにも、意外と愛嬌がある。
定期的な餌代と掃除の手間を差し引いても、メリットはかなり大きいはずだ。
さっそく俺は準備に取り掛かった。
他の商人に予想利益や売買のルートを話して、資金を融資してもらう。
養鶏農家から飼育方法や生態について学び、各地に養鶏場を設立。
馬車の貸し出しをやっている商会との提携。
そして、ニワトリを持ち運ぶ檻や、飼育小屋の作成のため、土の魔術を扱える人材の確保。
これが、何より大変だった。
優れた魔導師というのは、かなり希少な人材なのだ。
ほとんどの魔導師が既にどこかしらに雇われていて、高給取りだ。
俺のような駆け出し商人が雇えるのは、目的もなく放浪している変人ぐらいしかいなかった。
しかし、当然だが放浪しているので、どこへ行けば会えるのか分からない。
旅人には高い所に登りたがるという習性があるらしいので、取り敢えず近場の小高い山を登ってみた。
いた。頂上に。
老人だ。ぼろぼろの布だけを纏い、座禅を組んでいる。
寒くないんですか? 鶏売りませんか? それ何してるんですか? などと、楽しく談笑の時を過ごしたが、スッパリと断られてしまった。
これぐらいでめげる俺ではない。
次は、深い深い森の中だ。
エルフが住んでいてもおかしくない程の深度で、護衛の冒険者を雇うのにかなり費用がかかった。
男は、樹の上にツリーハウスを造って住んでいた。
例の習性は本当らしい。
話してみると意外と気さくで、土魔法が得意で、樹に見えるこの家も実は加工した岩であると、得意げに話してくれた。
説得には時間を要した。
俺の鶏で子供たちを笑顔にしたいんだ、優しい心は食事から生まれるんだよ、金持ちになって女とイチャイチャしたい、などと、涙ながらに熱弁した。
男は初め嫌がっていたが、最後は了承してくれた。
土の魔術が得意な者は、鉄鉱石がよく採れる土地を好むことと、700歳を超えたエルフは、抱くとダンゴムシのような匂いがすることを教えてくれた。
そんな調子で、約半年。
最後の方はどこで魔術師を見つけて、どうやって説得したか、よく覚えていない。
湖のほとりで、民族歌謡に合わせて半裸の山男と踊り狂った記憶があるが、経緯については何一つ思い出せない。すごく怖い。
雇えたのはたった5人だ。半年で5人。
しかし、十分だった。
商いは成功した!
騒音のことがあるので、家同士の距離が空いている土地のみを客層としたが、売上は上々だ。
売上金と実績があるので、今後は魔術師もどんどん雇っていけるだろう。
今向かっているのは、ヴァラギン領。
土地が広大なことで有名な領地で、上手く販売網を敷ければ、間違いなく多大な利益を得られる。
ふっと、匂いが変わった。
馬車が森へ入ったんだろう。
強い緑と、土の匂い。
(あ〜……いい香りだ。将来屋敷を立てる時は、緑の豊かな土地にしよう……)
全てが順調だ!
まだ商売を立ち上げたばかりで、何がどう転ぶか分からない。金はあるが、好きに使えない。
金持ちになったとは言えないが、間違いなくそれに近づいている!
まずは、家だよな。
なるべくデカいのがいい。城みたいなやつ。
メイドを山ほど雇って、美味い飯を作らせて……。
(……あの頃からすれば、こんな状況考えられないな)
ネズミみたいにコソコソと、毎日怯えながら残飯を漁っていた頃。
惨めだった。本当に嫌だった。
それが、今はどうだ?
(これは、ただの妄想じゃない。人生設計だ!)
本気でそう思えるほどに、俺の人生は潤っている。
素晴らしい将来。
嗚呼、バラ色の未来。
壁にもたれ掛かり、足を組む。
どごまでも広がる高い夏空を見上げて、思わずにまりと笑みがこぼれた。
「きゃあッ!!!!!!!!!!!」
なッ、なんだ!!? 隣に座っていた女が、突然叫んで立ち上がる。
「あっ……あ……!あ…………!」
震えながら、馬車の後方を指さす。
目を凝らすと、かなり遠くに白い何かが見える。
それは、少しずつ……。大きく、なっていく。
ああ……。
最悪だ。
「わぁぁぁッ!??ぁああああああ!!!!!!!」
「なっっ!?!!?まッ魔獣!?この辺りには居ないんじゃなかったの!?!?」
「オイ!!もっとスピード上げろよ!!!!さっさとしろッ!!!!」
「う"え"え"ぇぇぇぇええええん!!!!」
馬車の中は大混乱だ。
追ってくる白いアレは、おそらく魔獣。
遠目だが、狼のような姿で足が早い。
もうじき追いつかれるだろう。
「だッ誰かっ!?この中に戦えるものは居ないのかっ!?かっ、金なら払う!!助けてくれ!!!」
小金持ちだろうか。裕福そうな男が喚く。
護身用のナイフは持ってるが、見たところ魔獣は5、6頭。勝てる道理は無い。
「そうだ、囮だっ!誰か囮になろう!!そうすればソイツは死ぬが、他のみんなは助かるかもしれない!」
快活そうな男が言った。
実際、取れる策はそれしかないだろう。
他の面々も次々と賛成する。
「私は学者だっ!私は、社会に大きく貢献できるッ!貢献している!!!」
「わッわたしは、主婦でっ…………!おっ、お願いします!!!助けてください!!この、この子を残して、死ねません!どうか、どうか助けて……!」
「俺はこの案の立案者だ!!その時点で、除外されるべきだよなっ!!? なあ、そうだろっ!?!」
轟々と飛び交う自己紹介。
ああ、よかった。助かりそうだ。
2人ほど犠牲にすれば、きっとヴァラギン領の衛兵がいる場所まで逃げ切れる。
8人中、2人の弱者。その中に俺は含まれない。
程なくして、彼らの視線は1人の男に集中していった。
小汚い中年男だ。
農夫をやっていて、家族は年老いた母親1人のみ。
今日は趣味の植物採集の為に馬車に乗ったそうだ。
無言の圧力が、男を押し込める。
初めはう、とかあ、とか言って、抵抗しようとしていたが、程なくして虚ろな顔になり、静かに俯いた。
「…………!」
その顔を、俺は知っている。
スラムでは、みんながそんな顔をしている。
人は、希望を持つから絶望する。
初めから何もかも諦めていれば、余計に傷つくことなんてない。
だから、スラムの人間は全てを諦める。
自由も、尊厳も、友も、家族も。
男は震えながらも、澱みない足取りで歩いていく。
諦め慣れてる。
奪う人間と、奪われる人間。
奪われる人間の多くは、生まれた瞬間からそこに縛られている。
そう思うと、俺は幸運だった。
奪われる側に生まれたが、縛られてはいなかった。
きっとアイツは、ずっと、奪われる側だったんだ。
馬車から飛び出した男は、地面にぶつかって転がっていく。
一瞬だけこちらに手を伸ばし、悲痛な顔で何かを言いかけて────
──────何も、言わなかった。
そんで、俺の体は宙に浮いてた。
「はッ……?」
困惑が俺の喉から漏れた。
咄嗟に受身をとって、地面を転がる。
なんでだ、なんでだ、なんでだ、なんでだ!!!!
立ち上がって、魔獣の方へ走る。蹲る男の前に立ち、ナイフを構える。
今更どうした!? 今まで散々奪ってきた!!
自分の生活のために、盗みも、殺しもやった!!!
体が言うことを聞かない。
視界の端に、ぽかんとしている男が見えた。
「とっとと逃げろよ!!!!!」
男は、慌てて逃げていく。腕が変な方向へ曲がっていたが、足の方は大丈夫そうだった。
何やってんだ、俺。
あーあ……。これからだったのになぁ。
これから、金持ちになって、デカい家を建てて、いい飯を食って、女を抱いて……。
結局全部、出来なかった。
魔獣に追いつかれた。
6頭の魔獣が俺を睨んで、唸っている。
とりあえず、ナイフを振って牽制してみる。
獣は医者にかかれない。
少しの傷が命に関わるので、用心深い。
多少は時間を稼げるはずだ。
アイツが静かに頷いた時、物乞いをやった日を思い出した。
それだけは死んでもやりたくなかったけど、死ぬほど腹が減って、1回だけやった。
祭りの前日だった。
視線は、痛い。
ナイフで刺されるより、ずっと痛い。
結局、俺は何にもありつけなかった。
同じように物乞いをしている奴らが山ほどいたからだ。
俺みたいな愛想の悪いガキに、施す飯はなかった。
遂に、魔獣が襲いかかってくる。
1番近い魔獣の胸を蹴りあげて、喉笛を切り裂く。
でも、浅い。死んでない。
地面に組み敷かれた。
全身に牙がくい込んで、皮膚が食い破られる。
体の温度が消えていく。
視界がぼやけて、意識が遠くなる。
なんで、俺は馬車を飛び出したんだ?
全部順調だったのに。
上手く、いってたのに。
……答えは、簡単だった。
(アイツは、俺だったんだよ。物乞いをやった、あの日の俺だった)
値踏みされて、切り捨てられて。
俺は、あの日の俺を助けたんだ。
(悔しい。ようやく金持ちになれそうだったのに)
(アイツ、ちゃんと逃げられたのか?)
(商会のみんなに悪いな)
(娼館、行っとけばよかった)
感情がぐちゃぐちゃに入り乱れる。
いつもより澄んでいた筈の空は、いつの間にか赤黒く染まっていた。
―――
もう、目も見えない。
どこかに引きずられていく。生き餌にするつもりだろうか?
背中が地面で削れていく。
痛みがどんどん薄れていって、どうしようもない死を感じる。
しばらく俺を引きずった後、突然、魔獣達の足音がピタリと止んだ。
キャンキャンと情けない声が聞こえて、足音が遠ざかっていく。
そして代わりに、近づいてくる足音が1つ。
「……ふふ……久し…………ルド。……変わ……ず…………可哀……う」
なんだ? 何を言ってる?
何とか気力を振り絞って、耳を澄ましてみる。
「早速なんだけど、この本200億Gで買わない?」
「……ぇ…………?」
その涼しげな声は、初めて聞いた声ではなく、どこか聞きなれた声だった。
彼女は今、楽しげに微笑んでいるだろう。
何も見えないが、なんとなく、そんな気がした。