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9.手紙

 帝国の東部――現在のセザーリン地方の辺りは、かつて小さな王国だった。

 大河の恩恵を受けたその地は、豊富な食糧、資源に溢れた豊かな土地だ。


 かの地が帝国に統合されたのは今から約200年前。海外からの侵略の危機に晒され、強い軍事力を誇った帝国に救済を求めた形だった。



「統合……えっと、この間教えてもらった『同盟』って形じゃダメだったんでしょうか?」



 カミラの解説を聞きながら、わたしは疑問に思ったことを尋ねてみる。



「そうですね……。私から申し上げられるのは、歴史というのは、それを語るもの、見るものの立場や価値観によって、形を変えるということです」



 分厚い教本をパタンと閉じつつ、カミラはそんな風に答えた。



(語るもの、見るものの立場?)



 教養がないためなのか、今のわたしにはイマイチ理解できない。カミラは穏やかに目を細めつつ、わたしの顔を覗き込んだ。



「時が経てばミーナ様にもきっと、分かるようになりますわ。急がず、少しずつ進めてまいりましょう」


「……そうね」



 今のわたしには、物事を判断するための基礎となる下地が圧倒的に足りない。分からなくても、まずは知識を増やしていくことが大事なんだってアーネスト様にもアドバイスを貰っていた。



「さて、今日も書き取りを始めましょうか」


「うっ……はぁい」



 それは、ここ最近の朝のルーティーン。まずは十五分程カミラから帝国の歴史を聞き、それから読み書きの練習をする、というものだ。


 この二ヶ月の間に文字を読むのは随分上達した。だけど、わたしは作文が破滅的に下手くそだった。

 たった30字弱しかない文字を組み合わせて文章にする――そんな単純なことが上手くできない。

 単語や文章表現を覚えて、それを文字に起こしていくわけだけど、どれだけ頑張ってもミミズの這った跡のような文字しか書けないし、そもそも言葉が上手く出ない。

 だから、まずは児童向けの本をひたすら書き写すということが、カミラから与えられた課題だった。



「話せるのに書けないってもどかしいなぁ」



 一心不乱に文字を書きながら、ついつい弱音が漏れてしまう。



「幼い頃から勉強をしていたら、読むのも書くのも、同時進行で覚えられますからね。正直私は苦労をした、という感覚があまりありません。しょっちゅうサボっていたせいか、姉のベラは覚えが悪かったようですが」


「そっか」


(羨ましいなぁ)



 わたしの子ども時代は生きるか死ぬか――次にご飯を食べられるのはいつだろう、と心配をするような生活だった。

 読み書きを習うだなんて、夢のまた夢。そんなこと、考える余裕もなかった。


 だから、当たり前のように教育を受けられる『貴族』という人たちを羨ましく思ってしまう。



(本当に、こうしてここにいられるだけでわたしにとってはものすごいことだもの)



 それもこれも、幼い頃にわたしを救い出してくれたアーネスト様のお蔭だ。

 だからこそ、苦手だとか、難しいとか、そんな弱音を吐いている場合じゃない。学ばなければわからないことがたくさんある。


 それがアーネスト様の命を守ることに直結するかもしれないんだもの。使えるものは全て使う――わたし自身を含めて――そう決めたんだから、頑張って前を向かなきゃならない。



「そうですわ! ミーナ様、折角ですし、目標を決めたらいかがでしょう?」


「目標?」


「はい。例えば、どなたかにお手紙をお書きになる、とか」



 カミラの言葉に、わたしは目を丸くする。



(手紙……手紙、か)



 これまでわたしの人生で、縁のなかったものだ。文字を読むことも書くこともできなかったのだから、当然っちゃ当然だけど。



「そっか……いいかも」



 ただ漠然と文字を書くより、文字を基に何かを成し遂げようと決めた方がずっといい。練習にも身が入るというものだろう。何だか途端に楽しくなって、笑みが零れた。



「誰に手紙を書くの?」


「うーーん……ベラ様、かなぁ」



 わたしのミミズみたいな文字を受け入れてくれそうなのはベラ様――百歩譲ってエスメラルダ様位だろう。というか、他に手紙のやり取りができそうな知り合いがわたしにはいない。



「俺じゃなくて?」


「…………へ?」



 耳元でそんな言葉を囁かれ、ビクリと身体を震わせる。急いで顔を上げると、そこには不敵な笑みを浮かべたアーネスト様がいた。



「アーネスト様!? 一体、いつの間にこちらへ?」


「随分前からいたよ? ミーナは気づいていなかったみたいだけど」


「全然気づきませんでした」


「それだけ集中していたってことだよ。感心感心」



 上機嫌なアーネスト様を余所に、わたしは複雑な気分だ。



(見られてしまった。よりにもよってアーネスト様に)



 こんな下手くそな字、絶対、見られたくなかった。正直、アーネスト様にだけは見られたくなかったというのに。



「どうしてそんな顔をするの? 褒めているのに」



 そう言ってアーネスト様は、わたしの頭を優しく撫でる。気づけばカミラは部屋からいなくなり、わたしたち二人きりになっていた。



「だって……こんな汚い文字だし」


「汚い? 丁寧に書けていると思うけど」


「丁寧に書いてはいます。だけど、何回書いてもヨタヨタした文字しか書けないんです」



 どうせなら、もっと上達してから見てほしい。そう思うと自然と涙が浮かんでしまう。



「――ごめん。ミーナがそんなに落ち込むと思わなかったんだ」



 アーネスト様はそう言って、わたしの頬をそっと撫でる。真っ白な手袋のサラサラした感触がくすぐったい。思わず目を瞑ると、アーネスト様が小さく笑う気配がした。



「だけど、約束して。ミーナが初めて書く手紙は、俺宛にすること」


「……どうしても、アーネスト様宛じゃなきゃダメですか?」


「うん、ダメ」



 アーネスト様はキッパリとそう言い切る。どうやら、この件については一歩も引く気がないらしい。



「わかりました」



 渋々そう返事をすると、アーネスト様は満足気に微笑んだ。



「できれば毎日書いてほしいな。そっちの方がミーナの練習に繋がるし」


「毎日⁉ だけど、まだ全然上達していませんし……」


「だからこそ、だよ。俺ならミーナにアドバイスをしてあげられるし。それに、最近はあんまりミーナに会えていないから」



 その瞬間、胸がキュッと音を立てて軋む。

 ここ一ヶ月ほど、アーネスト様は金剛宮に殆ど来れていない。公務が忙しいらしいけど、翠玉宮や紅玉宮には通っているとの噂も聞いている。



「そう……ですね。調べたことを手紙でお知らせできるようになれば、アーネスト様にわざわざ来ていただく必要もなくなりますし」



 本当の意味で妃の元に通われるなら――わたしというカモフラージュがいらないなら――それに越したことはない。

 皇族がアーネスト様しかいないということは、帝国の存続に関わる由々しき問題だもの。アーネスト様の気が向いてよかったと、素直に喜ぶべきなんだと思う。



「調べたこと? そんなこと、手紙に書かなくてもいいよ」


「え?」



 そんなこと、なんて言われてしまい、わたしは大きく首を傾げる。



(だったら、何を書けばいいのよ?)



 そんなことを思っていたら、アーネスト様がすぐに答えをくれた。



「手紙にはミーナ自身のことを書いてほしいんだ。そうだな――その日楽しかったことや嬉しかったこと、好きなモノや嫌いなモノ。そういうことを手紙に書いて教えてくれたら俺は嬉しい」



 アーネスト様はそう言って穏やかに微笑んだ。



(わたし自身のこと?)



 そんなこと、知ってなんになるのだろう。そう思うけど、手紙を書くハードルはそちらの方が断然低い。



「わかりました」


「うん、ありがとう。ねえ、俺もミーナに手紙を書いていい? そしたら『読み』の勉強にもなるだろう?」


「わたしの勉強のために皇帝陛下にそんな手間を取らせて、怒られませんか?」



 読みの勉強なら、本を用意してもらえば幾らでもできる。なにもアーネスト様の手を煩わせることはない。ギデオン様や他の側近たちが嫌な顔をする様子が目に浮かぶようだった。



「俺が書きたいんだよ」



 けれど、アーネスト様はそう言って笑う。心臓がドキドキと鳴り響いた。



(早速、カミラに便せんや封筒を用意してもらわないと)



 嬉しくて、アーネスト様の顔がまともに見られない。「待ってるからね」と囁くアーネスト様の声に、心と身体が熱く震えた。

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