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8.人たらし

「何だか久しぶりだね、ミーナ」



 ドレスを選んでから数時間後、数日ぶりに金剛宮へやって来たアーネスト様は、そう言って穏やかに微笑んだ。



「ええ、お久しぶりです」



 アーネスト様の上着を受け取りつつ、わたしは深々と頭を下げる。


 昨日までのわたしだったらきっと、こんなにも穏やかな気持ちでアーネスト様を迎えることはできなかったと思う。なんなら、顔を見るのも辛くて、変に目を逸らしたり、ぎこちなく接したに違いない。


 だけど、昼間交わしたベラ様とのやり取りが、いい感じに効果を発揮してくれている。とてもおおらかな気持ちで、アーネスト様に接することができた。



「お元気そうで何よりです。疲れていらっしゃるんじゃないかなぁって心配していたので」



 言えば、アーネスト様は少しだけ目を丸くして、それから首を傾げるようにして笑う。



「ありがとう。ミーナもなんだか元気そうだね。なにかいいことでもあった?」



 ソファに腰掛けて一息つきつつ、アーネスト様はわたしを手招きする。カミラに準備してもらったティーポットを手に、わたしはアーネスト様の元へと向かった。



「いいことって程じゃないんですけど――明日からカミラに読み書きを教わることになったんです。礼儀作法や歴史なんかも。こういうのが、アーネスト様を狙う犯人探しに繋がるといいなぁと思って」


「カミラ……ああ、ミーナの侍女のことか」


「はい。実は彼女、ベラ様の妹らしいんですけど、アーネスト様は前世でカミラと面識がありましたか?」



 アーネスト様にティーカップを手渡しつつ、わたしは小さく首を傾げる。


 二人が姉妹だと聞いてから、『カミラは前回の人生でベラ様の侍女をしていたんじゃないか』ってわたしは予想をしていたのだけど。



「うーーん、ベラの宮殿には殆ど足を運んだことがないから、覚えてないなぁ」


「えぇっ⁉ どうしてですか⁉」


「え? どうしてって……」



 尋ねれば、アーネスト様は面食らったような表情で、わたしのことを見つめてくる。



「ベラ様は素敵なお妃様じゃありませんか! 今日もわたしのドレス選びを助言してくださって……」


「ドレスを? ふぅん。ミーナも俺の知らないところで、色々と頑張ってるんだね」



 そう言ってアーネスト様は自分の隣をポンポン叩いた。ここに座れという意味らしい。キュンと胸をときめかせつつ、わたしはアーネスト様の隣に腰掛けた。



「頑張ってくれるのは嬉しいけど、そんなに急いであれこれしなくても、数か月間は平和に過ごせると思うよ?」



 アーネスト様は穏やかに目を細めつつ、わたしの頭をそっと撫でる。途端に胸が甘く疼いて、わたしはギュッと目を瞑った。



「急いでいるつもりはありません。今回の人生でも犯人がアーネスト様を殺そうとするかはわかりませんし」



 ただわたしは、わたしにできることをしたいだけ。だって、自分を磨くことが、アーネスト様を守ることに繋がるかもしれないんだもの。そんな風に思うと、なんだかとてもワクワクする。世界が昨日とは全然違って見えた。



「そっか。俺と会えなくて、ミーナも少しぐらい『寂しい』って思ってくれてるかなぁって期待していたけど――全然だったね」



 そう言ってアーネスト様は困ったように笑う。



「へ?」



 一瞬、彼の意図することが分からなくて、逡巡して、それから顔が真っ赤に染まった。心臓がドキドキと早鐘を打つ。アーネスト様の顔が見れなくて、思わずわたしはそっぽを向いた。



(な、なんて思わせぶりな……!)



 からかわれているだけだってわかっている。だけど、それでも反応してしまうのが乙女心ってものだ。

 だって、『寂しいと思われたかった』だなんて、まるでわたしからの好意を期待しているみたいじゃない。



(実際好きだけど。大好きだけど!)



 だけど、アーネスト様にとって大きすぎる好意は邪魔だってわかっている。だから、わたしの想いをアーネスト様に気づかれるわけにはいかない。



(だって、金剛宮は他のお妃様たちから逃れるための隠れ蓑だから)



 わたしまでアーネスト様の訪れを待つようになったら、アーネスト様は身の置き所がなくなってしまう。契約妃の存在理由が――わたしがここにいてもいい理由がなくなってしまうんだもの。



「実はね、ギデオンに苦言を呈されたんだ」



 一人物思いに耽っていたわたしを、アーネスト様が現実に引き戻す。



「ギデオン様、ですか?」



 ギデオン様はアーネスト様の側近だ。わたしが彼と直接言葉を交わしたのは、二度目の人生がはじまったあの時だけ。

 どうして唐突に彼の名前が出てきたのか分からなくて、わたしはそっと首を傾げた。



「金剛宮にばかり通い過ぎだって。他の妃に示しが付かないって。だから、少しだけ間を空けたんだ」



 アーネスト様がポツリと呟く。その瞬間、胸の中をゾワゾワッと何かが駆け巡って、わたしはゴクリと唾を呑んだ。



(苦言を呈されていなかったら――そしたら、ずっとここに通ってたってこと?)



 深読みし過ぎだって――ううん。きっと、『ちゃんと妃の元に通っている』って実績がほしいだけだってわかっている。それでも、冗談めかして聞けたらいいのにって、そんな風に思ってしまう。



(なんて、いよいよ思い上がりもいいところだわ)



 見初められて妃になったならいざ知らず、わたしはただの契約妃。アーネスト様を守るため、隠れ蓑になるためだけに存在している。



「それでは、今夜はゆっくり、お休みくださいね」



 他の宮殿で休めなかった分まで――そう心の中で呟きつつ、わたしは軽く頭を下げる。



「うん――そうさせて貰う」



 アーネスト様はそう言って穏やかに微笑む。次いで、わたしの頬を柔らかくサラサラした何かが撫で、それから肩がほんのりと温かくなった。見れば、アーネスト様がわたしの肩に頭を預けて休んでいる。



(うわぁっ!)



 体中の血液が沸騰するような心地がした。動かないようにしないと――姿勢を崩さないよう、わたしはソファをグッと掴んで息を吸った。



「楽にしてよ。体が強張ってると、ミーナが疲れちゃうよ?」


「そっ、そんなこと言ったって……!」



 わたしの体が安定しないと、アーネスト様が落ち着かないだろうし。そもそもこんな状態で楽にできる筈がない。



「ほら」



 そう言ってアーネスト様は、わたしの頭を抱き寄せる。コツンと小さな音が鳴った。恥ずかしさで涙が滲みそうになる。


 わたしがアーネスト様を支えているようで、寧ろ支えられている。わたしの腰を抱くアーネスト様の大きな手のひらに、心がめちゃくちゃかき乱された。



「こっ……こういうことは、他のお妃様にお願いした方が良いんじゃありませんか?」



 言いながら声が裏返る。正直言って、わたしにはキャパオーバー。動揺するなって方が無理だと思う。



「嫌?」



 一言、アーネスト様はそう尋ねてきた。ズルい。物凄くズルい。



「嫌、ではありません」



 皇帝相手に『嫌』と言える人間はいないだろう。第一、わたしは、アーネスト様のことが好きなわけで。



「だったら、問題ないね」



 そう言ってアーネスト様は目を瞑った。とても、とても気持ちよさそうに。



(アーネスト様はやっぱり『皇帝』なんだ)



 超が付くほどの人たらし。嬉しくさせて、舞い上がらせて、彼のために全てを捧げたいっていう気持ちにさせる。

 きっと他の妃にも同じように接しているのだろう――そう思うと、無駄に早かった鼓動も段々と落ち着きを取り戻していく。



「多分、しばらくはギデオンも何も言わないから」


「そう、ですか」



 また、しばらくはここに通うということなのだろう。アーネスト様に寄り添いつつ、わたしはお腹の底から熱い吐息を吐き出す。



(ホント、ズルい)



 どこまで好きにさせる気だろう――底知れないほど大きな自分の恋心に身震いしつつ、わたしも静かに目を瞑るのだった。

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